「難波津に咲くやこの花冬篭り今は春べと咲くやこの花」
古今和歌集の仮名序では帝の御初めで仁徳の作とされるが
仁徳の当時5・7・5・7・7の形式があった根拠がない
最も古い歌木簡は前期難波宮の宮内からでたもの
この歌は難波に都を移した孝徳作ではないかとおもう 情景がぴったりでしょう
孝徳(ギョウギ)の百済に5・7・5・7・7はあったのかな? 同じ語族だから