倭の五王は南朝外交で、半島利権を維持した。
同様に南朝寄りだった、日本傀儡の百済は500年以降劣化、
国内の親百済派と新羅派は対立、それが、磐井の乱〜聖徳太子〜天智天皇だろ。
隋が立ち、日本は隋唐外交に切り替えるが、唐は対高句麗で新羅を支援した。

百済は疲弊して、百済復興と称し日本貴族化していた皇太子を旗印に在日を送還した。
皇太子が逃げ、百済は滅びた。 これが、白村江海戦だよ。

唐は百済放棄の日本にこの海戦の深追いはしていないし、
南朝と倭の五王外交の存在も諫めなかった。

唐が百済の捕虜を変還してくるとか、なんの迷惑千万か知らんがw
遣唐使外交は600年から900年まで、普通に続いている。