つまり、「邪馬台国」は戸数7万戸のクニであるから、
その7万戸の民百姓を統治するに十分な組織・機構・官衙・官道等が構築されていたのであろう。
またその官衙は、これにふさわしい邪馬台国内の一等地に置かれ、民百姓もそれを誇らしく思っていたに違いない。
其の一等地は、火の国・肥後のどのあたりにあったのであろうか・・。

また、「女王之所都」についてであるが、
其の女王は倭の30国により共立され、鬼道(倭神道の如き)の魔力により、
30国の旧王・官人・軍人・民百姓の心をとらえるべく振る舞った(振る舞わざるを得なかった)わけであるので、
それにふさわしい倭国内の特等地に都を定める必要があったと思われる。
其の特等地は、火の国・肥後のどのあたりにあったのであろうか・・。、