♪邪馬台国ドンと来い!♪142
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前スレ
♪邪馬台国ドンと来い!♪141
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1537964681/l50 >>951
>3世紀の話をしろよ。
>すり替えるんじゃねえよ。
おや?
旧唐書(945年成立:10世紀ww)の話を持ち出したのは九州説の方なんだが?
それとも、古墳の話の方かい?
筑紫倭国が古墳時代も倭国の代表政権だって言ってるのも九州説の方だぞ?ww
論破されて逆切れかい?
しかも、自分の非を相手に擦り付けるミラーリングでww >>952
>でたらめはいいよ
どこがでたらめ?
具体的に根拠をあげて説明して?
「倭」というのは、「倭種の人・倭人の住んでいる領域」という意味でしかないから、
倭の別種がいるところも、当然に倭の中だぞ 倭国と日本国は高句麗国と扶余国の関係と同じでいいんだよ >>954
>倭の別種がいるところも、当然に倭の中だぞ
それは違うな。
国としての体裁がなくても倭人が住んでいるところはある。 >>942
>其國界東西南北各數千里
魏志倭人伝は南へ南へと縦に伸びてるのに対して唐書は東西の横への伸びが表されてる
やはり邪馬台国は九州だ >>956
>国としての体裁がなくても倭人が住んでいるところはある。
魏志「倭人」伝であって、「倭国」伝ではないことに注意
一応、卑弥呼を王と仰ぐ範囲が「倭国」扱いされているが、中央集権国家ではないし
ある意味「国としての体裁」は3世紀時点では整っていない
魏志倭人伝の扱う領域は、倭国ではなく「倭人の住んでいる領域」だ
「国としての体裁がなくても倭人が住んでいるところがある」という反論には意味がない でも南は東の写し間違いニダ〜!ってウソつかないと畿内説は始まらないんでしょう? >>958
>一応、卑弥呼を王と仰ぐ範囲が「倭国」扱いされているが、中央集権国家ではないし
>ある意味「国としての体裁」は3世紀時点では整っていない
>魏志倭人伝の扱う領域は、倭国ではなく「倭人の住んでいる領域」だ
指摘のとおり、倭人伝は倭人の住む領域全てを扱うが、実際には詳細な情報は女王国についてしかなく、情報に乏しい倭種の地についてはそのように断り書きがある。
そして帯方郡から一万二千里というのは、すでにわかっている女王国、すなわち邪馬台国までの距離だ。
範囲が不明確な「倭人の住むところ」もしくはその中心までではない。 >>955
>倭国と日本国は高句麗国と扶余国の関係と同じでいいんだよ
倭の別種と書いてあるのは、旧唐書だから、旧唐書での解釈を書いているんだが?
旧唐書194巻 突厥
突騎施烏質勒者,西突厥之別種也。
蘇祿者,突騎施別種也。
突騎施も蘇祿も、突厥の中の政権 >>960
>「国としての体裁」はないけど政権はあったんです!
政権とは一度も書いてないぞww
畿内説が想定するのは、卑弥呼を王とする祭祀連合であり、
邪馬台国=ヤマト国が卑弥呼の居所・都のある国で、祭祀連合の盟主というもの
緩やかな祭祀連合であって、参加する地方首長同士の個人的な紐帯だけを基礎とし
代替わりごとに関係を新たに確認する必要のあるゆるい連合体だ
その新たな関係の確認の舞台が、前方後円墳上で行われる、前代首長の葬送儀礼と
いう位置づけになる
支配ー被支配の中央集権体制ではないから、九州説のよくいう
「畿内による九州の支配はないから畿内説は成り立たない」という論立ては成立しない >>965
>これも結局は、扶余人の別政権という意味だよ
これはお前じゃないのか? >>964
>三国志で解釈しろよ
残念ながら、三国志に倭国について「別種」という記載はないから、
三国志で倭国と日本国が別種というのを解釈することはできないよww
九州説の人は、旧唐書の記述に引きずられ過ぎだし、旧唐書で解釈すれば
別種は同じ国の別の政権という解釈でよい 三国志東夷伝の「別種」表記は2箇所
東夷舊語以為夫餘「別種」 言語諸事多與夫餘同 其性氣衣服有異
東夷の昔話では夫餘の別種となし、言語や様々なことで多くが夫余と同じだが、
気性や衣服に違いがある。
結局、扶余と同じ種族であることを示すのが主眼
句麗「別種」依小水作國 因名之小水貃 出好弓所謂貃弓是也
高句麗の別種がこの小水のほとりに国を作っており、小水にちなんで
小水貊と名づけられている。良い弓を産出する。いわゆる貊弓がこれである。
これも、高句麗人の作った国だが、高句麗とは違う国名で呼ばれているという注記
別種というのは同じ種類の民族・種族が違う国名を名乗っているという程度の意味
「同じ民族、種族」というのを記述するのが目的 >>969
>「倭種」は「別種」じゃなかったんだ
そうだよ、別種だなどとは書いていない
原文は「女王國東、渡海千餘里、復有國、皆倭種」であり、
渡海前も渡海後も「皆」倭種である
つまり、倭地は或絕或連の海中洲島之上で、絶えた部分(海峡)を渡海千里しても、
その辺に住んでいる人は全部皆同じく倭種だと書いてあるだけ
倭種の人が倭人 文字として「倭種」と「倭の別種」と書き分けてることに注目せよ この別種の討論でも、畿内説側がきちんと原文の典拠を示して、
論理的に理詰めで説明しているのに対して、九州説の人のレベルの低さが際立ってるなww でも南は東の写し間違いニダ〜!ってウソつかないと畿内説は始まらないんでしょう? >>965
>畿内説が想定するのは、卑弥呼を王とする祭祀連合であり、
>緩やかな祭祀連合であって、参加する地方首長同士の個人的な紐帯だけを基礎とし
魏志倭人伝の解釈が間違ってませんかね。
卑弥呼が共立された経緯からそのように考えたというのはわかるけれども、即位から何十年も経ち、大率などの説明からは強力な集権体制が伺えます。
実際、各地の環濠集落が解体されたり、平原遺跡などごく一部に宝飾品が集中する傾向が見られます。
畿内説が夢想する緩やかな連合というのは、卑弥呼が支配する女王国ではなく、それ以外の領域に当てはめるべきです。
それが倭人が住むけれども邪馬台国ではない、倭種の地であり、畿内を含む西日本のことです。 >>967
>旧唐書で解釈すれば
>別種は同じ国の別の政権という解釈でよい
それでもいいよ。
魏に朝貢した邪馬台国は九州北部、畿内は倭種だけれども別の政権だね。 >>973
>文字として「倭種」と「倭の別種」と書き分けてることに注目せよ
三国志に、文字として「倭の別種」(倭別種)はないよww
10世紀の旧唐書の記述で、3世紀の倭国を語るのはいい加減にやめなよww 邪馬壹國は国邑ではなく国邑の連合体だった
これが理解出来ないと魏志倭人伝は読み解けない。 >>978
>大率などの説明からは強力な集権体制が伺えます。
集権体制が整っていたら、直接統治ができるってことだから、
一大率のような派遣官は必要ないんだよ
諸国が一大率を畏憚するのは、卑弥呼の権威が高いからであって
直接統治もしていなければ、中央集権体制にもない >>975
>倭種って言ったら新羅も倭種だな
またいい加減なことをww
新唐書にも旧唐書にも、倭種って言葉はどこにもないぞ
>>976
>え?逆にしか見えないんだが
>>975や>>983を見ても分かるだろ?
新羅が倭種ってのは、典拠も示さずに勝手に書いてるだけww
たぶん、三国史記の新羅の脱解尼師今が、多婆那國で生まれたってのを
聞きかじったんだろうが、思いっきり後世の12世紀成立の話だし、
王の一人の出自だってだけで、新羅の民族が倭種って話ではない
「脱解本多婆那國所生也 其國在倭國東北一千里」 >>979
>それでもいいよ。
いいだろ?
倭国が、畿内大和朝廷の天智朝までの国号で
日本国が、畿内大和朝廷の天武・持統朝以降の国号だ
同じ民族の同じ国の、異なる国号の政権を、別種と表現している
>魏に朝貢した邪馬台国は九州北部、畿内は倭種だけれども別の政権だね。
これは大間違い
後漢に朝貢した倭奴国は、北部九州福岡平野の国
魏に遣使した卑弥呼の都のある邪馬台国=ヤマト国は、そのまま後の大和国の旧名だよ
そして、畿内政権がずっと倭国を名乗っていて、天武・持統朝から国号を改めたということ 新羅は王族が倭種でも住民は北方から来た満洲系だな。 >>987
バカは黙ってろ
瓠をぶら下げて海を渡って来た倭人が初代王のパク氏族
多婆那国から箱で渡ってきたタルヘが四代目以降の王族であるソク氏族 >>990
そのあとの金王朝は倭人でも倭種でもないけどね 新羅の成立は4世紀後半の金王朝
それ以前の新羅の看板が懸かった諸記事は
金王朝の先祖騙りと考えるのが良い
新羅の王統も然り
これは倭人の歴史が巧妙にぱくられているということ
金王朝の名前もたぶん金海の首露王の末裔からの貰い物だろう >>986
>集権体制が整っていたら、直接統治ができるってことだから、
>一大率のような派遣官は必要ないんだよ
大率は中央官僚であり、周辺諸国を監視する統治機構だよ。
集権体制の内容を説明しているんだよ。
刺史のようだと書いてあるだろ?
後漢から魏の時代の刺史についての説明がこれ。
三国志最強の男 曹操の人望力 - 12 ページ
刺史は本来、地方行政の組織の枠に組み入れられた存在ではなかった。役職も目付のようなもので、州や郡、県の役人が政務を真面目に司っているか否かを監督し、 その成績を考察して、中央へ報告する役割を担っていた。 >>985
>邪馬壹國は国邑ではなく国邑の連合体だった
>これが理解出来ないと魏志倭人伝は読み解けない。
誤読だよ。
成立した時はそうだったが、約半世紀の間に中央集権化したんだよ。
それは考古学的にわかっている。
卑弥呼体制が九州北部を中心とする西日本の政治体制に影響を与えたんだ。 >>993
魏志韓伝の斯蘆を意図的に無視するなよ無能チョンコロ >>996
>魏志韓伝の斯蘆を意図的に無視するなよ無能チョンコロ
差別用語を使えば、半島人じゃないフリができるって訳じゃないんだよ、おバカさん
三国志の時代に、新羅はまだ成立していないし、魏志韓伝の斯蘆は新羅じゃないって話だよ >>995
>それは考古学的にわかっている。
その根拠を具体的に書いて見せてよww >>994
>大率は中央官僚であり、周辺諸国を監視する統治機構だよ。
>集権体制の内容を説明しているんだよ。
>刺史のようだと書いてあるだろ?
刺史は首都にいる中央官僚ではない
何度言えば分かるのかねぇ
思い込みだけでチェリーピッキングする人の相手はなかなか大変だw >>994
>中央へ報告する役割を担っていた。
刺史が中央官僚だったら、中央に報告する必要ないだろ?
自分で矛盾していることに気づかないのかねぇ?ww このスレッドは1000を超えました。
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