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【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬四
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 00:17:02.96
九州に決まっとろうが
福岡県山門郡、筑紫、糸島、大宰府、鐘崎、鹿児島県川内、出水、阿久根、宮崎県日向、延岡、高千穂、熊本県熊本、阿蘇、八代、球磨郡、人吉、佐賀県唐津、伊万里、長崎県松浦、佐世保、雲仙、島原、天草、潜木、塩田周辺を今すぐ発掘せよ!

邪馬台国畿内説の根拠は
邪馬台=大和=奈良(完)と言う
風潮に論理的に反論するスレです
九州中南部説、九州南部説、魏志倭人伝から邪馬台国の位置を推測する議論等々も大歓迎です!

*荒らしはスルーで
過剰なコピペは厳禁
0003日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 00:20:19.43
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0004日本@名無史さん
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2018/12/27(木) 00:21:39.15
張氏の解説を踏まえて進めていきたい。
多くの学者は「到」「至」「従」「始」「又」を考えずに解釈してきたらしい。そのため、「帯方」「対馬」「一大」「末蘆」「伊都」「奴」と、いわゆる「直線読み」をしてきた。さらに「放射読み」をしてきた学者は、「起点」を

間違えて、「邪馬台国」までたどり着けなかった。「直線読み」は、文献を全く理解出来ない、まるで小学生並みの解釈だ。

では、何が正しいのか?問題はまず「伊都国」「奴国」の解釈に出てくる。『東南に陸行すること五百里、伊都国にいたる。』の「起点」は「末蘆国」である。しかし、「伊都国」の前には「到」があるため、そこは「起点」にはなりえない。

つまり、次の「奴国」の「起点」も「末蘆国」である。さらに『東行して不弥国にいたるに百里』と続くが、やはりこれも「末蘆国」が「起点」であり、「伊都国」や「奴国」を「起点」にしてはいけない。

「伊都国」を「起点」にしてしまっている学者が多い。これを正しく訳すと「末蘆国から伊都国までは五百里、末蘆国から奴国までは百里ですよ。」ということになるし、

それ以外の読み方はできないそうだ。まだ途中だが、ここまでくると、今までの学者の解読が
いかにいい加減かが分かってしまう・・・。
距離、方位等を考えると比定地は現在の「潜木」となる。

ここでひとつ矛盾が生じた。実は「奴国」には「至」が使われていることだ。つまり、今までの解釈では「奴国」も「起点」になる

はずだが、張氏は違うとはっきり言っている。
「起点」になるためには、まず「距離」が書かれた後に「地名」が書かれなければいけないが、「奴国」の場合、

「地名」の後に「距離」が来ている。
この場合は「・・・ならば・・・」と仮定として読まなければいけないそうだ。

つまり「末蘆国から伊都国までは五百里、末蘆国から奴国へ“行くならば”百里ですよ。」・・・つまり「奴国」へは行っていない、当然そこを「起点」にしてはいけない

ということだ!・・・続く!
0005日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 00:23:16.24
ここからはよく知られている文面になる。
『南して投馬国にいたるに水行二十日』に関して、ここでは距離が示されていないため、「邪馬台国」の比定の後になる。

さてさて問題の『水行十日、陸行一月』だが・日本では、「まずは水行を十日、その後で陸行を一月」と読んでいるが、張氏は「これも間違い」と指摘している。

もしそのように読むならば、間に「又」のような字が入らなければいけないし、水行十日の後、どこに着くのか、

陸行一月はどこから始まるのかが書かれていなければならないと言っている。それがなければ、上記のようには読めないそうだ。

従って、正しい読み方は「水行するならば十日、陸行するならば一月」・・・「ならば」が正解だそうだ。当時の船は命がけなほど危険な乗り物だったため、

「末蘆国(佐世保)」についた後、好きな方を選べるように両方記載したと思われる。

現代でも、「電車なら〇〇駅から〇分、車なら〇〇インターから〇分」と記載するようなものだろう。この場合の「起点」は文献上、「末蘆国」以外に無いのは

上記の説明の通りだが、さらに追加すると、「水行」したり「陸行」したりできる地域でなければ「末蘆国」に

なり得ないのだから、「直線読み」や「畿内説」で当てはまるかどうか、考えてもらいたい。ここまでで、素直に理解された方は、この本の信憑性を理解してもらえると思う。

張氏は、1・語学的に絶対に無理が無いこと。

2・原文を絶対に修正しないこと。

3・国々の位置が陸上にあること。・・・という前提を絶対に守らなければいけないと言っている。これを見ただけで、幼い時から感じていた矛盾を払拭された感じがする。・・・続く!

参照 張 明澄著「誤読だらけの邪馬台国〜中国人が記紀と倭人伝を読めば・・
0006日本@名無史さん
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2018/12/27(木) 00:25:06.08
『南して邪馬台国にいたり、女王の都するところ、水行すれば十日、陸行すれば一月』・・・
ここで問題になるのは、肝心な「邪馬台国」までの距離が記されていないことだろう。

しかし「魏志倭人伝」には『都より女王国までは、万二千余里』・・・つまり1万2千里なのだから、引き算すれば残りの距離が出てくる。

翻訳と計算が正しくできていれば・・・の話だが・・・!「帯方」から「其北岸」は約七千里、「其北岸」から「対馬国」が約一千里、「対馬国」から「一大国」が約一千里、「一大国」から「末蘆国」が約一千里・・・

残りは二千里ということになる。つまり、水行十日=二千里になる。「魏志倭人伝」を忠実に読むならば、「邪馬台国」は「末蘆国」から「南」に水行、或いは「陸行」できて、約二千里・・・一千里の約二倍の距離にあって、

『七万余戸』、つまり七万人ほどが生活できる場所で無ければならない。

これだけでも比定地は限られてくるが、「魏志倭人伝」はここで終わっている訳ではない。当然、この後の文献内容ともつじつまが合わなければ正しいとは言えない。

そのすべてを考えると、張氏は「邪馬台国は現在の出水平野あたりになる。」と解釈している。さらに「条件を当てはめると、現在の水俣市と阿久根市が考えられるが、水俣市では地形的に七万人が住むのは難しい。従って阿久根市が邪馬台国にふさわしい条件だ。」

と言っている。「えーーー」っと言われる人も多いだろう。「畿内説」は問題外で、「北九州説」も完全に否定されてしまったからだ。

しかし、まだ比定されていない「投馬国」にもたどり着ける地域でなければ「魏志倭人伝」と矛盾してしまうため、他の地域では有り得ないということだ。・・・続く!
0007日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 00:26:10.12
「『魏志』には”一大石””一大蛇””一大統”という言葉が出てくるので、”一大率”もこれらの”一大...”の中の一つだと思われがちであるが、じつはそうではない。
三字をさらに区切るなら、
”一大石”は”一 大石”
”一大蛇””は一 大蛇”
”一大統”は”一 大統”
というような、”一”は”一つの”という意味になる。
したがって、ちょうど英語のaやanのような冠詞になる。そして”大”を加えると、まさに、a bigと同じ意味になって、石、蛇、伝統いうのにちょうどいいようになる。
しかし、”率”にa bigというのはおかしいし、例え”大”をbigといわずにgreat、largeといい変えてもおかしい。
日本で”率”を”軍団”と誰かがでっち上げたから、”一大率”を”一つの大率”と取っても違和感がなくなったが、もともと”率”は”軍団”ではなく、”師”であり、分かりやすくいえば”司令官”という意味である。」
誤読だらけの邪馬台国
0008日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 00:28:28.39
「女王国以南の投馬国は、天領の邪馬台国と全く同じで、邪馬台国からの司令官が統治していたと思われる。一大国の司令官が統治したのは、狗邪韓国、対馬国、一大国、末盧国が主だと思われる。
そして、司令官による統治は、つまり、軍政だということである。だから諸国は恐れたり、畏怖したりしたのである。
しかし、司令官による統治は、軍政だということであるから、小国に対してはできたが、伊都国のように“世有王”という半独立国にはできない。
したがって、いつも伊都国に対する統治の仕方は、国の中に刺史に似たような長官を置いたのである。つまり、一大国の司令官で統治するような軍政を行わずに、刺史のような長官で、伊都国王に一目おきながら伊都国を統治したのである。」
誤読だらけの邪馬台国
0009日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 00:58:30.69
北薩の遺跡
「出水地方の弥生時代遺跡は,出水市六月田や高尾野町柴引・下高尾野町一帯に濃密に分布しているが調査が行われたことがない」
http://www.jomon-no-...ikodai_hokusatu.html
0010日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 09:20:36.53
>>1
サンクス!
0011日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 09:34:09.01
末廬国=糸島泉川(千里 壱岐から72km)
奴国 =糸島三雲(百里 泉川から8km)
伊都国=大宰府 (五百里 泉川から38km)
邪馬台国=雲仙 (二千里 泉川から145km)
狗奴国=人吉 ( 境界の尽きる所)
投馬国=大隈半島 (薩摩)
0012日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 09:38:28.90
雲仙なら西側の航路が発達していたはずだから
糸島のほうには行かないな
0013日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 09:45:44.19
>>12
宮崎康平は
水路があったという証拠を発表してたらしいな
0014日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 09:46:49.00
また、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。四千余戸があり、山と海すれすれに沿って住んでいる。草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えない。

魚やアワビを捕ることが好きで、水の深浅にかかわらず、みな、水に潜ってこれを取っている。
0016日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 09:55:17.04
>>1

末廬国= 糸島・二丈松国
伊都国= 大宰府/基山
奴国= 小郡・鳥栖
不彌国= 甘木・朝倉
0017日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 09:58:49.97
>>13

博多湾と有明海をつなぐ水路の証拠はない
0018日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:00:26.10
>>16
却下
肝心の邪馬台国が書いてない
0019日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:00:58.92
>>17
あるらしいよ
0020日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:01:27.05
末盧国:
今の松浦市沿岸から、伊万里湾、仮屋湾、
そして東松浦のうら寂しい津であった唐津、以上合計4000戸
0021日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:02:20.26
>>17
西回りで雲仙まで行けるから
水路は必要無い
0022日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:04:40.79
>>20
答えて下さい
奴国 =
伊都国=
邪馬台国=
狗奴国=
投馬国=

距離もお願いします
0023日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:10:28.71
>>19

「まぼろしの邪馬台国」は手元にあるけど
書いてない
0024日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:26:33.63
>>23
俺も手元にあるけど
読んでない
0025日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:30:36.08
>>22
>>20
>答えて下さい
末盧国= 松浦地方一帯だが、上陸地点は唐津(0q)
伊都国= 佐賀川上の大願寺環濠遺跡(唐津から500里37q)
奴国 = 佐賀市一帯(伊都国から東南方向百里7q)
不彌国 = 吉野ヶ里(神崎・目達原一帯含む、伊都国から東行百里・11q)
邪馬台国=肥後一帯(主邑は菊池市七城町臺で不彌国から800里60q・女王の楼閣は阿蘇高千穂で不彌国から1400里110q、末盧国からは陸行1月)
狗奴国= 球磨郡球磨盆地
投馬国= 宮崎県西都市都万(帯方郡から末盧国まで水行10日1万里、末盧国から九州沿岸西回りで水行10日1万里)
0026日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:49:21.09
>>25

陸行一月の前の水行十日は?
0027日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:51:45.06
>>19
江戸時代に造ろうとしたけど難工事で失敗してるね。
0028日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:52:17.91
>>25
>>11
南九州はスカスカじゃないか
0029日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:53:24.45
>>26
俺は足さないよ
0030日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:54:42.28
>>25
先週の俺とかなり近い
0031日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 10:54:54.56
>>29

足さないでどこにもってった?
0032日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 11:02:44.36
>>4
>しかし、「伊都国」の前には「到」があるため、そこは「起点」にはなりえない。

え〜!じゃあ「到其北岸狗邪韓國 七千餘里」とある狗邪韓國も「起点」にはなりえないの?
「始度一海千餘里」は帯方郡からなのw
張氏はアホですかwww
0034日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 11:37:46.29
まだ足してる奴いるんだな
0035日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 11:41:04.73
>>34
足してるのは畿内説だけじゃなかったの?
0036日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 11:46:37.64
>末盧国= 松浦地方一帯だが、上陸地点は唐津

距離は置いといて
唐津は風景が違うと何度言えば

「海と山とすれすれの所に住んでいる」
こう言う所あるの?
0037日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 11:48:24.62
>>32
>>4
>>しかし、「伊都国」の前には「到」があるため、そこは「起点」にはなりえない。

>え〜!じゃあ「到其北岸狗邪韓國 七千餘里」とある狗邪韓國も「起点」にはなりえないの?
>「始度一海千餘里」は帯方郡からなのw
>張氏はアホですかwww

從郡〜七千餘里が渡海の起点で、そこは狗邪韓国とは違う場所。
張氏は野生号の航海実験の結果(海流に流されて対馬に到達できず)から狗邪韓国(釜山)よりだいぶ西の地点であろうとしていた。
0038日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 11:48:40.14
郡からそれぞれ水行二十日、水行十日陸行一月と読むなら
北部九州以南ならどこにでも比定できる
というか、特定できない
0039日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 11:56:54.75
>>38
それを特定するのがこのスレ

ちなみに魏志倭人伝の水行10日は二千里だ
0040日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:02:23.06
 
なにも足さない、なにも引かない。
 
by西村佳也
0041日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:02:50.71
>>39

それ郡から読んでないよな?
0042日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:03:37.91
>>23
あなた嘘つきねー

「博多湾と有明海をつなぐ水路
宮崎康平氏はこの難問を、原文どおりに解釈し解決している。

宮崎氏は博多湾と有明海をつなぐ水路があったはずだと確信し、

そしてその水路(運河)の可能性を綿密に調べ、可能性と証拠を発表している」
0043日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:05:48.76
>>42

水路があったはずだとは書いてるけど
証拠は書いてない
0044日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:07:28.36
>>43
ヒント:大覚
0045日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:09:32.61
>>39
あれ、前に1日千里って言ってなかったっけ?

815 名前:日本@名無史さん [sage] :2018/12/26(水) 16:45:00.78
海上は1日の移動距離=1000里にしたんだろ

826 名前:日本@名無史さん :2018/12/26(水) 16:54:10.94
>>815
水行十日は一万余里、水行二十日は二万余里ということになってしまうが。
0047日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:14:21.01
>>33
>阿波対策のテンプレとして

アハハ  @阿波
0048日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:14:57.00
真鍋が言うように、3,500年前の福岡平野,筑紫平野が海底だった
というのが、弥生時代末期も続いていたら
そもそも北部九州では稲作は発達しない
0049日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:15:32.44
>>33

太閤さんは、なんで糸島や唐津を通り越して名護屋まで行く必要があったのか?  さあ、お得意の妄想をしてみよう!  @阿波
0050日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:17:12.11
>>42
江戸時代の技術で出来なかったものが3世紀に造れるかよw
水路の痕跡も残ってない。
0051日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:19:16.42
>>37
日本語としてみみが意味が通じてない
ちゃんとした文章を書いてね。
0053日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:20:20.26
>>37
日本語として意味が通じてない
ちゃんとした文章を書いてね。コメント内容
0054日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:20:41.37
>>48
なぜ?
0055日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:21:03.23
>>37
日本語として意味が通じてない
ちゃんとした文章を書いてね。
0056日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:21:44.34
俺はネラーより
宮崎を信じるw
0057日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:24:02.43
>>36
東松浦半島や糸島市の二丈辺りは正に「海と山とすれすれの所に住んでいる」でしょ。
0058日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:24:51.20
>>51
狗邪韓国は起点にならないから渡海開始場所まで七千餘里の起点は帯方郡になる。
ちなみに張氏は渡海開始場所は狗邪韓国の釜山より相当西寄りあったと考えていた。
0059日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:24:58.81
>>54

耕作地が少ない=良田が少ない
對海國、一大國と同じになってしまう
0060日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:25:35.30
>>42
宮崎康平さんがおらの地元が邪馬台国だって適当に書いただけだからな。
0061日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:27:29.84
>>58
伊都国が起点にならなず末盧国からだとするなら
「始度一海千餘里」は帯方郡からなの?
0062日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:29:04.80
>>60
嘘つき
九州人はおらとは言わん
0063日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:29:49.77
>>61
>>58
>伊都国が起点にならなず末盧国からだとするなら
>「始度一海千餘里」は帯方郡からなの?
「七千餘里始度一海千餘里」の起点が帯方郡
0064日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:33:55.94
>>57
ん?
東松浦と唐津と糸島で別のエリアだが
トリプルスタンダード?
0065日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:34:43.16
>>63
それは当然だけど
張さんの主張だと「到其北岸狗邪韓國 七千餘里」とあるから狗邪韓國は起点にならないんだろ?
すると「始度一海千餘里」は帯方郡からってなるよな。
0066日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:35:46.60
>>59
そんなことねーだろ
現に大宰府辺りまで浸水してたのは貝の遺物で判明してるわけだが、板付遺跡の同時代地層に水田遺構が存在してる
学べの想定してた針摺の瀬戸は板付遺跡と金の隈遺跡の間を通ってる
0067日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:39:30.77
>>65
だから帯方郡から七千餘里の渡海開始地点と狗邪韓国は同じ場所じゃない。
0068日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:41:22.47
>>65
郡から七千余里進んではじめて一海を渡る
0069日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:41:33.37
>>66

太宰府付近を瀬戸(針摺瀬戸)にしてつながっていたら
他は海峡だろ
0070日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:42:55.96
『まぼろしの邪馬台国』(講談社文庫)第二部第九章「有明海へ通じていた博多湾」

宮崎が提唱した"二日市水道"は真鍋の針摺の瀬戸論がベース

https://i.imgur.com/TYUbxae.jpg
0071日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:47:25.93
狗邪韓國は起点にはならない
ならないんだけれども、たまになるということだろ
0072日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:48:45.17
「狗邪韓国」は始点にならないが、「七千餘里」は始点になるなんて妙竹林。
七千余里は線であり、点ではない。
ま、てんでお話にならぬ。
0074日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:52:34.10
>>58
>ちなみに張氏は渡海開始場所は狗邪韓国の釜山より相当西寄りあったと考えていた。

対馬海流の流れを考慮してのことだね。
巨済島以西からの出航となる。  @阿波
0075日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:53:06.39
>>72
だから場所が違うんだって。
狗邪韓国と郡から七千餘里進んだ渡海開始地点は。
0077日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:55:33.77
帯方郡とか狗邪韓国とかどうでも良い
大事なのは末廬国からだ
0078日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:56:00.28
東南陸行五百里は伊都國じゃないことになるぞ
0079日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:56:15.41
>>75
七千餘里始度一海千餘里の起点が帯方郡だ。
わからない理由がわからない。
0080日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 12:58:07.61
>>77
>大事なのは末廬国からだ

末盧国は福津・宗像方面に決定済み。  「世界文化遺産」で決定済み。  @阿波
0081日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:02:48.82
*決定済みとか、解決済みとか言う発言は不適切
以後そう言うレスは禁止。すべてスルーでお願いします
0082日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:03:49.00
>>70
宮崎は伊都国を起点にしてるの?
0083日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:04:09.19
25日本@名無史さん2018/12/27(木) 10:30:36.08>>26>>28>>30
>答えて下さい
>邪馬台国=肥後一帯(主邑は菊池市七城町臺で不彌国から800里60q・女王の楼閣は阿蘇高千穂で不彌国から1400里110q、末盧国からは陸行1月)

26日本@名無史さん2018/12/27(木) 10:49:21.09>>29
>>25
>陸行一月の前の水行十日は?

水行1月は、帯方郡から末盧国まで1日千里。7千里+3千里=小計1万里の正味水行日数。
0084日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:06:10.68
>>67
>>68
なんで狗邪韓国にも到が使われてるの?
0085日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:07:31.09
>>77
何だいそのいい加減さはw
0086日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:08:36.32
>>81
もし古代より、福津・宗像辺り以外が大陸との文化流入の玄関口であれば、
宗像地方に替わってそこが世界文化遺産になっている。

大陸からの玄関口「末羅國」は福津市( 万津浦)宗像方面。
だから世界文化遺産に選ばれたのも当然と言えば当然。   @阿波
0087日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:09:21.09
>>84
そこに移動したから
0088日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:13:13.36
>>83
>>25
>>陸行一月の前の水行十日は?

>水行1月は、帯方郡から末盧国まで1日千里。7千里+3千里=小計1万里の正味水行日数。

じゃあ投馬国は帯方郡から2万里のところにあるんだね?
0090日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:16:04.67
>>75
「点と線」をごちゃまぜにしてどうするよ。
点は線ではない、線は点ではない。
だからA・B間の7千里という線は、点(始点)にはならないのだよ。君は、松本清張のファンではないのかね。
0091日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:18:10.78
博多湾と有明海の分水嶺付近では、水路の上流が百数十メートルしか離れてなく、小さな船なら担いで移動できるらしいね。
0093日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:19:36.57
>>89
ひもろぎはちょっとオカルト&スピリチュアル過ぎてゆんゆんだわw
0094日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:21:46.12
>>88
その通り。
帯方郡から水行だけ(2万里)で行ける投馬国は、宮崎県西都市都万。
地図を見てくれ、帯方郡−唐津、唐津−都万はほぼ同じ水行距離になる。
0095日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:22:10.43
>>90
何言ってるかさっぱりだけど、帯方郡から海岸線に沿って東南に進んで七千里とちょっと行った地点は「線」ではなく「点」だ。
0096日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:27:49.26
>>94
投馬国と邪馬台国の記述だけが急に帯方郡起点になるのはなぜですか?
0097日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:29:11.63
>>87
張さんの説なら帯方郡に起点が戻らないのなら至のはずだろw
0098日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:32:25.54
>>95
7千里というのは、A/B間の線の長さのこと。点ではないから始点にはならない。
点の意味にするなら、「従郡至7千余里地点」、又はこれを意味する文にされたであろう。
てんで(点で)お話しにならないとは、まさにこのことだ。
0099日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:32:35.48
>>97
だから記載としては帯方郡に戻ってる。
七千餘里始度一海千餘里の起点が帯方郡だ。

実際の行程は途中まで戻ったんだよ。
0100日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:33:33.18
>>83
違う、問題外
もう黙ってろ
0101日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:35:11.51
>>98
>点の意味にするなら、「従郡至7千余里地点」、又はこれを意味する文にされたであろう。

だから、それを意味する文になってるんだよ。
わからないことが不思議でしょうがない。
0102日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:37:01.30
>>91
あの辺の川は水量が少なくて各地に堰が設けてある
舟が通れる地点から地点までは20kmくらはあるけどね。
>>96
投馬国と邪馬台国の記述だけ帯方郡起点になるのは有り得ないよな
帯方郡起点は狗邪韓国と投馬国ですね。
0103日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:37:25.12
>>96
其のことは俺も気になってる。
が、正直良くわからん。(但し、帯方郡からと考えると、現地事情に良く合致する)
0104日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:38:21.47
>>99
帯方郡から対馬まで1000里ですかw
0105日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:39:05.95
なんで投馬国だけ帯方郡起点なの?
0106日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:42:09.87
>>103
道里は不弥国で12100里だから終了
投馬国と邪馬台国は後で追加挿入された文で
道里に掛かる日数での説明
従って投馬国のみが帯方郡起点
邪馬台国は投馬国起点。
0107日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:44:22.40
投馬国の起点の詳細が狗邪韓国
邪馬台国の起点の詳細が伊都国
到はこれを示している。
0108日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:44:40.17
>>104
帯方郡から7000里+1000里で対馬
0109日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:45:31.26
>>83
違う、問題外
もう黙ってろ
0110日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:47:29.19
邪馬台国は雲仙の土石流で埋まってるから
もう見つからない
0111日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:49:53.00
>>108
一貫性の無いご都合主義の主張だなw
0112日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:53:23.53
>>111
「到」の付く国は起点にならないから一つ前が次への起点
「至」の付く国は起点になるからそのまま次への起点
極めて規則的だけどね。
0113日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:56:31.78
>>112
狗邪韓国に説明が付かないよw
そんなんじゃ誰からも受け入れられないよ。
0114日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 13:57:31.89
>>112
間違えた。訂正する。

「到」の付く国は起点にならないから一つ前が次への起点
「至」の付く国は起点になるからそれまでの起点と変えない。
0115日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:01:17.55
>>113
あなただけだよ
0116日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:01:57.32
>「到」の付く国は起点にならないから一つ前が次への起点
>「至」の付く国は起点になるからそれまでの起点と変えない。

だいたいこれの根拠は何?
珍説なんだが?
0117日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:03:16.31
>>115
実際こんなの発表したら突っ込まれますよ
一発でアウト。
0118日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:03:28.33
>>116
4 名前:日本@名無史さん :2018/12/27(木) 00:21:39.15
張氏の解説を踏まえて進めていきたい。
多くの学者は「到」「至」「従」「始」「又」を考えずに解釈してきたらしい。そのため、「帯方」「対馬」「一大」「末蘆」「伊都」「奴」と、いわゆる「直線読み」をしてきた。さらに「放射読み」をしてきた学者は、「起点」を

間違えて、「邪馬台国」までたどり着けなかった。「直線読み」は、文献を全く理解出来ない、まるで小学生並みの解釈だ。

では、何が正しいのか?問題はまず「伊都国」「奴国」の解釈に出てくる。『東南に陸行すること五百里、伊都国にいたる。』の「起点」は「末蘆国」である。しかし、「伊都国」の前には「到」があるため、そこは「起点」にはなりえない。

つまり、次の「奴国」の「起点」も「末蘆国」である。さらに『東行して不弥国にいたるに百里』と続くが、やはりこれも「末蘆国」が「起点」であり、「伊都国」や「奴国」を「起点」にしてはいけない。

「伊都国」を「起点」にしてしまっている学者が多い。これを正しく訳すと「末蘆国から伊都国までは五百里、末蘆国から奴国までは百里ですよ。」ということになるし、

それ以外の読み方はできないそうだ。まだ途中だが、ここまでくると、今までの学者の解読が
いかにいい加減かが分かってしまう・・・。
距離、方位等を考えると比定地は現在の「潜木」となる。

ここでひとつ矛盾が生じた。実は「奴国」には「至」が使われていることだ。つまり、今までの解釈では「奴国」も「起点」になる

はずだが、張氏は違うとはっきり言っている。
「起点」になるためには、まず「距離」が書かれた後に「地名」が書かれなければいけないが、「奴国」の場合、

「地名」の後に「距離」が来ている。
この場合は「・・・ならば・・・」と仮定として読まなければいけないそうだ。

つまり「末蘆国から伊都国までは五百里、末蘆国から奴国へ“行くならば”百里ですよ。」・・・つまり「奴国」へは行っていない、当然そこを「起点」にしてはいけない

ということだ!・・・続く!
0119日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:06:22.81
>>118
だから根拠は何なんだ?
根拠が書いてないだろ。
0120日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:10:14.61
>>119
中国語の読み方の問題なんじゃないの?
接頭語を無視しちゃだめよって主張じゃないのか?
0121日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:12:29.90
>>120
そんな中国語の読みかたなんて無いぞw
張さんの発明でしょ。
0122日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:15:46.53
>>96
原文以外にも書き方はいくつか考えられる。
A:末盧国の次に、南至投馬国水行10日を挿入し、不彌国の次は、南至邪馬台国女王之所都陸行20日とする案。
B:不彌国の次を、南至投馬国陸行3月、南至邪馬台国女王之所都陸行20日、とする案。


これらの案を、原文と読み比べてみると、
A案は、伊都国までの行程が二股になってゴチャつき、伊都国の郡使常処駐と皆統属女王国の重要性が薄れる。
B案は、倭人有り帯方東南大海の中なのに、陸だらけじゃないか・・・、の印象になる。
またA/B案共に、
そりゃいいけど、いったい帯方郡からは何日かかるんやね・・、という気短かな読者の疑問も湧くであろう。
そこいらの処を、あれこれ勘案した結果。
原文のケースが、可も無し不可も無し、当り障りなくて一番いいんでねえの・・、ということだったのではないか。
0123日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:20:36.23
>>121
「到」と「至」は一緒に使われているときは同じ意味ではない、というのが張氏の主張だ。
0124日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:24:31.21
>>123
そういう使われ方の他の例はないの?

明らかに今ある中国の地名なんかで、三国志やらその近辺の時代の書物で
使い分けの例が示せればそれで済むはず。
0125日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:31:37.20
>>124
普通は用例を書いてから自説を主張するもんだよな
張さんの用例の無い説って???
0126日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:35:23.94
読解力の無い奴はスルーしろよ
荒らしたいだけなんだから
どうせ泡だろ
0127日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:36:33.40
>>124
ここの説は出だしから破綻してますね。
0130日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:44:35.38
少林寺拳法か
0131日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:45:59.80
>>129
相手にされてないなw
0132日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:47:45.92
>>128
魏志倭人伝では地名の前に至か到がついてるけど、その例では逆じゃね?
0133日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:48:37.74
>>128
9世紀の禅宗の本?
何の関係が?
0134日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:50:08.06
>>123
>「到」と「至」は一緒に使われているときは同じ意味ではない、というのが張氏の主張だ。

張氏の説明とは異なるが、確かに違う気がする。
至の場合は、A地点からB地点まで、直線的に表して差し支えない場合のようだ。
例として渡海の場合や、伊都国から奴国の方角を示す場合、伊都国から不彌国へ直線的に至る場合、
及び不彌国から投馬国・邪馬台国の方角を示す場合だ。

次に到のケースだが、
帯方郡から南へおよそ4000里して、そこで大きく方向を変え、今度は東3000里して狗邪韓国へ着く場合に、到と書いている。
同様に、末盧国からはまず南へ300里ほど進み、多久市付近で大きく方向転換して、
東200里の佐賀川上へ着くので到を使用している。

このように、至と到の使用法のちがいを、途中で大きく方向転換する・しないで考えると、原文及び現地の状況によく合う。
0135日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 14:59:07.41
>>134
そんなの君の個人的な感じだろ
意味のないこと書きこむなよw
個人の意見なんてどうでもいい
用例が大切だよ。
0136日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:02:50.85
>>132
そもそも兼中至と兼中到はそれぞれ別の固有名詞
土地でもないし行程でもない。

完全な誤読によるガセ
0137日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:03:12.95
>>135
「至」と「到」が同時に使われていて意味が同じ用例を出してみてくれ。
0139日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:19:41.69
>>135
「到」は、立刀であり、原義は刀の刃のように曲がっていくの意味と聞いた。
0140日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:27:21.90
>>138
到達、到着といった現代日本語からは行き着くイメージだから「到」を脇道とは感じないけど
そういえば至達、至着なんて言葉はないな。
0141日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:30:15.48
>>137
まぁまぁ、そんなにカリカリせんでもw  
度々、倭国(阿波)と大陸は何の問題もなく、往来してるんだから、そんなこと、どうでもよろしいがな。  @阿波
0143日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:33:18.53
至は、まっすぐすんなり行く/行けるけれど
到は、右に寄ったり、左を訪ねたり、あれこれ紆余曲折があってたどり着く
こんな違いではないか。
0144日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:36:15.57
>>139
漢字研究家の白川静によると「到」は、立刀は刀ではなく人が原型だそうです
象形文字では刀と人が似ており「到」の場合は、人が立刀へ変化したとのこと
至は地面に矢が刺さった形から
到はその横に人が立っている形から
至は単純に全てのものに対して使われ
到は人に関したものに使われる
至⊃到の関係にあり、用例を調べると至の方が多く使われている
魏志倭人伝では至と到で使い分けられているが
後の史書では至だけになっている。
0145日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:39:27.16
>>140
人の行動に対して到達、到着は使われていたからだろうな。
0146日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:42:44.56
「三国志魏書第一」だけで、「至」=57ヶ所、「到」=16ヶ所程の使用例がある
0147日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:45:50.62
>>144
なるほど
至は、矢のようにまっすぐ至る、で良い場合を表現する。
到は、道端に人々が立っていて、助けにもなるが、邪魔・障害にもなるので、
いろいろ気配りしつつ、場合によっては避けながら進む・・・、みたいなことかな。
0148日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:51:45.70
>>147
そんな誰の世迷言より白川静教授の方が信憑性が高い
白川 静(しらかわ しずか、1910年4月9日 - 2006年10月30日)は、日本の漢文学者・東洋学者。学位は文学博士(京都大学)。
立命館大学名誉教授、名誉館友。福井県福井市出身。
0149日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:56:34.31
>>141
倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を倭国(阿波)内各地で実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。

また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。

「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。  @阿波
0150日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 15:58:12.01
倭人伝の場合は、
途中に大きな曲がり地点がある場合に到を使ったと読めば、現地によく適合する。
陳寿、或はその当時独特の用法かもしれぬ。、
0151日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:00:42.15
道里で到の使われている狗邪韓国と伊都国は魏使が目的とする場所で
至の使われているその他の場所は単なる通過地点
伊都国は魏使の常駐場所だし狗邪韓国は渡海時に必ず通る場所。
0152日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:06:39.47
>>148
「白川は到を「矢の到達点に人がいたる」という意味だとするが、こんな意味がありうるだろうか。何のために矢の到達点に人が到るのか。矢が当たったかどうかの確認のためか。そんな行為を一語で表すだろうか。いかなる文献にもこんな意味には使われていない。」
「到は目的の所まで行き着く(いたる)の意味である。」
「至は「いたる」という行為に関係があることを示すための限定符号である。「引き寄せる」のイメージをもつ刀に限定符号の至を添えて、到は出発点にいる人が引き寄せられて終点(目的地)に至ることを示す図形。」

常用漢字論ー白川漢字学説の検証
http://gaus.livedoor.biz/archives/21467402.html
0153日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:10:03.76
>>152
>「到は目的の所まで行き着く(いたる)の意味である。」
>「至は「いたる」という行為に関係があることを示すための限定符号である。「引き寄せる」のイメージをもつ刀に限定符号の至を添えて、到は出発点にいる人が引き寄せられて終点(目的地)に至ることを示す図形。」

これ白川先生の意見と矛盾しないと思うんだが?
0154日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:15:36.91
>>146
単に全文検索で文字数カウントしただけだろ。
行程に使われてないし、地名の前に出てこないじゃねーか
0155日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:23:22.32
末盧國から500里も歩く伊都国だけルート上にないって
郡使が立ち寄るにも一大率が諸国検察するにも不便すぎるだろ
0156日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:25:35.62
>>153
こう(↓)書いてあったんで違うなと思って

144 名前:日本@名無史さん :2018/12/27(木) 15:36:15.57
>>139
漢字研究家の白川静によると「到」は、立刀は刀ではなく人が原型だそうです
象形文字では刀と人が似ており「到」の場合は、人が立刀へ変化したとのこと
至は地面に矢が刺さった形から
到はその横に人が立っている形から
至は単純に全てのものに対して使われ
到は人に関したものに使われる
0157日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:37:01.34
>>154
まぁまぁ、そんなにカリカリせんでもw  
何の問題もなく、度々倭国(阿波)と往来してるんだから、そんなこと、どうでもよろしいがな。  @阿波
0158日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:38:03.21
>>156
漢字の成り立ちについて
人が立刀へ変化したとする白川と
「引き寄せる」のイメージをもつ刀とはしてますが
到は目的の所まで行き着く
至は「いたる」という行為に関係があることを示すための限定符号である
の結論は同じじゃねえの?
つまりは至⊃到の関係。
0159日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:38:23.77
>>157
倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を倭国(阿波)内各地で実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。

また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。

「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。  @阿波
0160日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:43:01.05
>>158

まぁまぁ、そんなこと、どうでもよろしいがな。
  
度々、倭国(阿波)と大陸は何の問題もなく、往来・通交してるんだから。  @阿波
0162日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:51:21.41
で、用例は見つかったのか?

137 名前:日本@名無史さん :2018/12/27(木) 15:03:12.95
>>135
「至」と「到」が同時に使われていて意味が同じ用例を出してみてくれ。
0163日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 16:59:51.95
>>162
何でそんな用例が必要なの?
0165日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 17:41:39.08
>>162

まぁまぁ、そんなこと、どうでもよろしいがな。
  
度々、倭国(阿波)と大陸は何の問題もなく、往来・通交してるんだから。  @阿波
0167日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 17:58:28.93
北部九州の末盧国・伊都国・奴国・不弥国は
倭国(阿波)への通過点に過ぎないことを忘れないように!  @阿波
0169日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 18:52:07.58
人が仕事してる間に不毛な議論で埋めやがって!
0170日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 18:56:07.36
>>16
肝心の邪馬台国が書いてない
狗奴国と投馬国もよろしく
0172日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 18:58:38.73
>>12
西側は平戸もあるし
佐世保もある航路はかなり発達していたよ
雲仙まで水行10日、行けるよ
0173日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 18:59:47.57
>>169
>人が仕事してる間に不毛な議論で埋めやがって!

人が仕事してる間に不毛なスレで立てやがって!  @阿波
0175日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:06:50.73
>>174

人が仕事してる間に不毛な議論で埋めやがって!  @阿波
0177日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:10:39.35
>>176

人が仕事してる間に不毛な議論で埋めやがって!  @阿波
0178日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:11:14.37
>>170
末廬国=佐世保松浦
伊都国=嬉野
奴国=潜木
邪馬台国=阿久根
狗奴国=南九州
投馬国=大隈半島
0179日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:13:06.54
>>178
>末廬国=佐世保松浦

「対馬海流」に流されて「末廬国=佐世保松浦」は有り得ない と、何度言えばw  @阿波
0180日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:13:21.71
>>178
斬新すぎるw
0181日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:14:56.37
末廬国は糸島泉川説が一番説得力あったな
0182日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:15:15.62
<>失礼します。夜向きに、若干修正・再掲させていただきます。
末盧国= 肥前松浦地方一帯だが、上陸地点は唐津中原港遺跡(0q)
伊都国= 佐賀川上の大願寺環濠遺跡(唐津から東南500里・37q)
奴国 = 佐賀市一帯(佐賀川上の伊都国から東南方向百里・7q)
不彌国 = 吉野ヶ里(神崎・目達原一帯含む、伊都国から東行百里・11q)
邪馬台国=肥後一帯(主邑は肥後菊池市七城町臺で、不彌国から800里・60q)
(なお、共立女王の楼閣は阿蘇高千穂で、不彌国から1400里・110q。帯方郡からは水行10日+末盧国から陸行1月)
狗奴国= 肥後球磨郡の球磨盆地
投馬国= 宮崎県西都市都万(帯方郡から末盧国まで水行10日・1万里、さらに末盧国から九州西岸回りで水行10日・1万里)
0183日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:16:25.90
>>180
張氏の距離と方角だけを当て嵌めたら
こうなりました説だよ
0184日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:22:48.67
>>182
素晴らしい読み方!
下手な歴博よりも一歩上を行ってると
思う。

でも伊都国が微妙
伊都は古都と言うべきほどの重要な地域
環濠遺跡は住宅地跡じゃない?
伊都にはさほど人口がいないし
計画都市的な地域じゃないかと
0186日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:25:43.70
>>183
張さんの説明は無茶苦茶だけどねwww
0187日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:26:23.29
(帯方郡からは水行10日+末盧国から陸行1月

末廬国から南へ水行10日 もしくは陸行1月だと思います
0188日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:30:19.98
>>184
>伊都は古都と言うべきほどの重要な地域

伊都国は「直方辺り」  @阿波
0189日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:31:13.36
これまでのどんな本よりも
張の本は分かりやすいぞwww

張はレジェンド
0190日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:33:26.16
>>182
俺と読み方全然違うのに
なんで似てんだろw
0191日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:34:41.10
>>190
トンデモはトンデモを呼ぶ。  @阿波
0193日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:39:41.15
>>192

人が仕事してる間に不毛な議論で埋めやがって!  @阿波
0195日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:50:29.79
夜向きって何だ?

まあそれはいいとして、では糸島市にある遺跡や福岡市にある遺跡はどうなってしまうのか。
魏志倭人伝はまったく触れていないと?
0196日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:56:49.95
>>189
張さんの主張は何も根拠が無いしなw
俺はこう思うの独善、低レベルの説だなwww
0197日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:56:53.81
>>184
ありがとうございます。
なお若干、補足させていただきます。
(1)佐賀川上の環濠遺跡と書きましたが、より適切には「環・土塁遺跡」かと思われます。
東西約1q、幅約250mで、その中央に125m四方の区画が二つ、タテ(北と南)に並んでいます。
その一区画が大願寺廃寺跡遺跡です(この廃寺から出たと思しき梵鐘が、歴博に所蔵されています)
また、この中央区画の左右には、同様の区画が数区画続いています。
当に計画的な区割り遺構で、周辺部を合わせて1000戸の官庁都市だったように見えます。

(2)卑弥呼の塚は、高千穂町三田井の高千穂神社の本殿背後にある小さなご神体山ではないでしょうか。
これ自体は、径10歩・15mほどでしょうか。
但し、高千穂神社は径150mほどのこんもりした丘陵の頂上部にありますので、
陳寿の「大作塚 径百余歩」の表現も、まあ許されるのではないかと思われます。
0198日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 19:57:30.79
>>182
なんで末廬国まで来てるのに
帯方郡から数えんだよ
0199日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:05:00.08
>>163
135 名前:日本@名無史さん :2018/12/27(木) 14:59:07.41
>>134
そんなの君の個人的な感じだろ
意味のないこと書きこむなよw
個人の意見なんてどうでもいい
用例が大切だよ。
0200日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:07:12.47
里数が漢代=倭奴国時代の漢人による記録
日数が魏代の不彌國より先の倭人からの情報
倭奴国諸国を女王国の一大率が検察しながらも
郡(商人)との関係上伊都国王は存続している
0201日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:13:38.92
高千穂町なら松浦から一月かけて歩くより
投馬国経由(10日)で日向あたりから上がったほうが早い
0202日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:16:14.75
>>198
末廬から数えりゃ良いだろ
距離の計り方は人それぞれ

ただ一つ言える事は
泡は無いwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0203日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:16:19.17
>>196
で、用例は見つかったのか?

137 名前:日本@名無史さん :2018/12/27(木) 15:03:12.95
>>135
「至」と「到」が同時に使われていて意味が同じ用例を出してみてくれ。
0204日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:18:22.74
水行10日は2000里
0205日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:19:15.76
>>198
何故なのか?
邪馬台国の到達点を意図的に希望の土地に持っていきたいから。

至ってシンプルな理由
0206日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:20:25.82
>>202
>泡は無いwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

泡を気に留めてくれてありがとう。  @阿波
0207日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:21:38.19
>>205
泡みたいだねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0208日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:23:42.14
>>201
日向経由は、たいへん険しい道で、早くないですよ。
それより、陳寿の行程記事の目的は、行程を紹介するとともに、
通過する国々は、皆女王国を支える重要な国だったのですよ・・、といいたかったのではないでしょうか。
倭人伝を読むほどに、司馬遼太郎の連載「街道を行く」を思い出します。
奇しくも三世紀当時、司馬懿は大活躍しました。
もしかして司馬遼太郎は、三国志倭人伝を愛読していたのかもしれませんね。
0209日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:25:42.43
>>206
>泡みたいだねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

泡を気に留めてくれてありがとう。  @阿波
0211日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:30:29.18
>>206
>泡みたいだねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

泡を気に留めてくれてありがとう。 

どうしても、泡が気になるんだね。 分かる気がする。   @阿波
0212日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:41:37.38
>>208
沈没して貝や魚をとってると言うのは
邪馬台国に所属してる沿岸地域の事で
卑弥呼のいる場所の事ではない?
0213日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:43:18.10
卑弥呼の元に滞在していた魏の使いが見た風景だろ。
0215日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:46:23.43
>>212
畿内説の人はみんなそう言うねwww
0216日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:51:33.26
>>212
倭の水人は、沈没して魚や蛤を捕ることを好み、入れ墨はまた(少康の子と同様に)大魚や水鳥を追い払うためであった

「倭の水人は」
だから倭全体の事を指してる
卑弥呼のいる場所の事ではない
つまり卑弥呼は必ずしも沿岸部にいるとは限らない
これで阿蘇、高千穂は首の皮一枚繋がったな
俺は雲仙だと思ってるけど
0217日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:54:14.82
>>216
>だから倭全体の事を指してる

詭弁
0218日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 20:57:14.82
>>217
@泡ウンコ

を忘れてるぞ
0219日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:00:48.15
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 

次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 

次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡

これ分かる人いますか?
0220日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:03:12.52
>>212
陳寿が書いた倭人伝の元ネタは、
206年ごろ、倭地韓地の支配監督を目的に設置された帯方郡役所の役人多数が来訪し、
倭国一帯の風土国情文物を詳細に調査した時の報告書だったのではないでしょうか。
それを陳寿が再編集して、「街道を行く」のスタイルに書き直したのが倭人伝だったように思えます。

風土、慣習、墓制などのくだりは、いかにも役人が書いた無味乾燥さがにじみ出ています。
多少、役人世界のメシを食った私の経験から言えば、思わず、
「オイご同役、はるか大海の中の倭地倭国の調査、ご苦労だったな」と声を掛けたくなる気持ちです。
0221日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:07:59.03
>>220
>「オイご同役、はるか大海の中の倭地倭国の調査、ご苦労だったな」と声を掛けたくなる気持ちです。

そうだね。  @阿波
0222日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:09:16.37
>>208

高千穂町は熊本側から(車で)行っても険しい
日向、延岡から20日もかからないだろう
女王国以北は特に一大率を置いて檢察してるような諸国なので
5万戸の大国の投馬國との関係のほうがよほど重要だな
0223日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:15:57.40
邪馬台国は天草です
0224日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:17:54.22
>>223
>邪馬台国は天草です

天草は隠れキリシタンです。  @阿波
0225日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:18:48.33
天草なら、卑弥呼→天草四郎→美輪明宏
0226日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:23:31.13
>>222
高千穂から延岡までバスで2時間、それから宮崎・宮崎空港まで、まだまだ遠いです。
高千穂の人が東京へ行くときは、1時間余の熊本へ出て、くまモン空港から飛び立ちます。
昔も今も、高千穂は熊本経済圏なのです。
ただ、邪馬台国・高千穂と投馬国・西都都万は、おそらく強いつながりがあったことでしょう。
官の名に、両国とも彌という字が多用されています。
平素から親密な交流があったことは確かでしょうね。
0227日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:27:26.64
>>225
無くはない
0228日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:28:26.90
>>226

現代の東京に行く交通手段ではなくて
>>182に書いてる末盧国から徒歩歩1月と
末盧国から投馬国まで10日+徒歩?日の比較だよ
0229日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:31:56.83
訂正
末盧国から投馬国経由延岡まで11〜12日+徒歩?日の比較
0230日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:36:22.35
>>224
オッケー分かった
邪魔だから糞して寝ろ
0231日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:47:00.54
>>219
次有奴國
この奴国は福岡市周辺だな
一周して奴国に戻る可周旋5000余里
0232日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:49:55.93
>>219
有明海を一周、島原、天草、宇土半島で海越え。
0233日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 21:57:28.69
>>219
女王国(雲仙)以北

雲仙から 斯馬國しば 島原 巳百支國いぼき 阿母崎 伊邪國いや 諫早
0234日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 22:09:26.64
>>228
末盧国から共立女王の高千穂(推定地)までは徒歩1月となりますが、
末盧国から投馬国へも、高千穂までの区間は同じ道になりますので1月ですね。

その先、高千穂から西都市妻までは2つの山道が考えられます。
一つは、五ヶ瀬村から椎葉村を経て西都へ向かうもので、深山幽谷ですから、
おそらく当時は、猟師もめったに通わぬ経路だったのではないでしょうか。

もう一つは高千穂から、いったん東方向の日向海岸へ出ます。ここまでは神武天皇も下ったという経路ですので、まずまずでしょう。
日向からは、大河川を避け、山際の道を南の西都・都万へ向かうことになります。
この道でも、高千穂から都万までは陸行1月を優に超えるでしょう。

で、出発地の末盧国からは、あわせて陸行2月余だったのではないでしょうか。
元に戻って末盧国唐津から水行10日で西都・都万でしたが、そこから高千穂まで陸行すると1月余ですね。
うーんそんじゃ、元の倭人伝の、末盧国から(肥後邪馬台国・臺経由)の直行徒歩1月便でいいんじゃないの・・、
0236日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 22:24:23.33
>>234

いや、唐津から西都市まで船で10日で行けるなら
延岡まで船で行って、歩いたほうが早いんじゃないの?と言っている
あと、高千穂氏(三田井氏)は豊後大神氏の大神惟基の長子高千穂惟政の後裔
と伝わっている
0237日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 22:50:20.48
>>236
延岡から歩いても特に近くはない。似たり寄ったりの一月だろうねえ。

その高千穂三田井氏再興は、たしか平安時代ころのおはなしだね。
平家物語によれば、大神氏のはるかなる祖先は、高千穂の北の祖母山に棲む大蛇だったという。
天岩戸神社と、大神氏が宮司を務めたことのある宇佐神宮とは、親戚関係だったのかもね。
古代の高千穂と宇佐は、倭国〜大和の歴史に深くかかわっていたように思える。
0238日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 22:56:02.83
>>231-237

妄想や伝承頼りばっかりだね。  無理もないけれどwww   @阿波
0239日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 22:56:42.12
彌奴國
これは港のあるところ
長崎市に比定している研究者が多いらしい
0240日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 22:58:36.08
>>237

唐津から高千穂まで歩いて1月で
延岡からも同じ1月ってことはないだろw
高千穂の領主は豊後との関りはずっと江戸時代まで続くが
肥後との関りの記録はないんじゃないかな?
0241日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 23:13:19.63
>>240
倭人伝に書いてあるルートは、途中の女王国以北の国々の説明も重要だったし、
邪馬台国の主邑の臺を経由するルートにしたかったということもあったと思う。
だが、高千穂だけが目的なら、水行して日向や延岡から陸行のルートも多用されただろう。それはその通りだね。
0242日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 23:16:04.88
>>239
サンクス!
>>219

都支國とき 時津町 彌奴國みな 長崎港 好古都國こうこつ 高来町
0243日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 23:18:22.03
高地山=クシフルに連なる尾根が高地尾
記紀ではこれが訛って高千穂に化ける
0244日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 23:24:01.91
>>241

邪馬台国の主邑の臺が菊池っていうのが高千穂と離れすぎ
0245日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 23:49:48.36
>>244
ま、普通はそう思うな。
だが邪馬台国の主邑は、邪馬台国七万戸を統治するための政治の都だ。だから簡単に言うと、邪馬台国の中央付近に置かれるであろう。
それが菊池市七城町の臺であったというわけだ。

しかし、共立卑弥呼は鬼道によって九州の倭30国を統治しており、
そのための宗教の都だったから、九州倭国のほぼ中心部に置かれたであろう。
(古代における「政教分離」だな)
それが阿蘇高千穂であり、実際に阿蘇高千穂は、九州島のほぼ中心部にある。
倭30国の官たちから見れば大変便利なところにあったのである。地図で確かめてみてくれ。
0246日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/27(木) 23:58:14.69
>>245

船なら唐津から西都市まで10日で行けるなら
高千穂は断然不便だよ
しかも今架かってる橋ないし
0247日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 00:04:01.95
弥生時代の交通は海運が主力。
阿蘇高千穂は、畿内大和と同じ欠点を抱えているよ。
弥生時代において周囲に影響力を行使できる立場にはならない。
0248日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 00:19:07.59
倭人伝の行程記事は北部九州は陸行だけどな
0250日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 00:40:51.07
>>247
征治宗教による統治の根幹は、情報の伝達だ。
のろしもあったが、主力は伝令と文書の伝送。つまり人間(飛脚)の脚力・走力。
その点、飛脚が九州全土へ走るには、高千穂はとても便利な位置にあった。

ただ、経済活動となると、内陸にはたしかに欠点がある。
鬼道では、腹は膨れない。
日本神話では、やがて高千穂から多くのものが下界へ下り、東へ向かったというが、まさにご指摘の現象が生じたのではないか。
0251日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 01:07:47.62
一度高千穂から九州各地に走ってみてくれ
0252日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 01:38:41.18
高千穂で盛り上がってるとこ悪いが、水行10日でダイレクトで行ける場所だから高千穂は無いな、もし高千穂だったら、水行10日でどこどこへ到着、さらにこちらの方角に陸行一月と書かれなければおかしい

やはり水行なら十日、陸行なら一月が正解だ
0253日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 01:41:29.78
さて、日本が分担金を払わなくなった国際捕鯨委員会はどうなるだろうな
大国オーストラリアが最大金額を払うのか
0254日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 02:54:56.54
>>245
その時代に政教分離しちゃ本末転倒だろ
0255日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 06:42:50.27
>>252
>やはり水行なら十日、陸行なら一月が正解だ

正解だね。  @阿波

投馬国(五万戸)(土佐宿毛辺り)

↓【南】水行10日(太平洋ルート)又は陸行1月(旧土佐街道) 途中、阿南の若杉山辰砂採掘現場視察

女王・卑弥呼のおわす 【邪馬台国 阿波】 到着(七万戸)

↓【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)

女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。

当時の畿内は文化後進国の倭種なり。
0257日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 07:15:23.24
>>256
>邪魔だからもう一回寝ろ

むーりー〜〜〜   @阿波
0258日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 07:26:11.07
「倭国(阿波)への北部九州ルート」   @阿波

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)

↓【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

↓【東南】100里

奴国(二万戸)(田川辺り)

↓【東】100里

不弥国(千戸)(築上町辺り)
0260日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 08:12:09.54
>>258
魏の船は、福津から築上へ関門海峡経由で回航したんだよね?
0262日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 08:20:23.79
>>261
おまえうるさい。つまらんことばかり書くな。
0264日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 08:25:56.87
>>263
もう書くな。迷惑だ。
0265日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 08:28:32.79
>>262
ブーメラン
0267日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 08:39:23.93
>>260
>魏の船は、福津から築上へ関門海峡経由で回航したんだよね?

無理、無理。 関門海峡は避けて通らないんだよ。
魏の船じゃなく、倭国(阿波)の海人族の船だろう。 
福津で下船、築上で係留していた船に乗船。
倭国(阿波)の海人族は当然、造船技術もあるので、船の調達はお手の物。  @阿波
0269日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 08:47:03.81
因みに>>262>>264 は、@阿波じゃないからね。  みんな迷惑してるようだよ!  @阿波
0271日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 09:03:38.58
>>269
阿波は文盲なんだなw
当たり前か
0272日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 09:23:01.25
>>267
>魏の船じゃなく、倭国(阿波)の海人族の船だろう。 
>福津で下船、築上で係留していた船に乗船。
>倭国(阿波)の海人族は当然、造船技術もあるので、船の調達はお手の物。  @阿波

他国で自分の船を置き去りにして船に乗せてもらうなんて、生殺与奪を預けるようなことはちょっと想像しにくい。
まだ友好国かどうか半信半疑なはずなのに。
0273日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 09:44:24.42
>>252
末廬国=糸島市

水行10日 西回りで 火の国=邪馬台国=雲仙
0274日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 09:54:48.97
西回りなら糸島は遠回り
0276日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 10:58:42.41
>>275
迷惑だからつまらんことを書くな
0278日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:08:30.84
>>274
よく読め雲仙までだよ
そこまでなら10日2000里でパーフェクト
0279日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:11:17.88
>>273
俺は天草
なぜなら、その後の比定地に
邪馬台国の北じゃない箇所がある
天草ならすべて修まりそうな気配
0280日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:15:42.95
だから、西回りするなら平戸に行くよ
0281日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:22:34.17
>>279
どこがだ?
現在比定の真っ最中だが
今の所ほぼパーフェクト
女王国(雲仙)以北 

雲仙→ 斯馬國しば島原市しまば→巳百支國いぼき 阿母崎町いぼさき→伊邪國いや諫早市いさはや→都支國とき時津町ときつ→ 彌奴國みなこく長崎港ながさきみなと→ 好古都國こうこつ→高来町こうこ
0282日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:24:36.04
>>281
ちょっとGoogleマップで良いから比定地見せて!
0283日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:25:11.40
>>280
末廬国が糸島で大宰府が伊都
そこに都市があれば平戸も糞もない
反論弱すぎ
0284日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:26:32.87
>>282
ごめん俺、そう言うの苦手だから
自分で探して

雲仙からだ
0285日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:28:10.75
>>284
このやくたたずー
0286日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:30:58.63
大宰府が伊都なら反論以前に雲仙なんか何の根拠もない
0287日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:31:49.71
>>284
確かに全部以北にあるな
でもなんで彌奴國が長崎港なの?
0288日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:35:21.77
「長崎港ながさきみなと」地名なんか古代にあるか?w
0289日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:36:04.01
>>286
ある、末廬国(糸島)の真南2000里の場所にある
長崎は火の国 卑弥呼は火巫女
0290日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:38:39.15
>>289
火巫女ならやっぱ阿蘇だろ
雲仙の火山活動じゃ同時代を比定できんだろ
0291日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:41:16.03
雲仙にするために真北で考古遺物が豊富な糸島に寄ってるだけだろ
政庁があった大宰府を伊都国にして
他所のものばかり使ってるだけで雲仙なんか何の根拠もない
0292日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:42:33.57
>>287

彌奴が港の事らしい、ここは俺も分からなくて、上の方でアドバイスを頂いたのと
周辺にそれらしい港は長崎しかないので
0293日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:43:22.79
>>290
阿蘇は弥生時代に噴火していない
0294日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:44:00.47
>>291
反論が弱すぎ
0295日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:44:02.88
>>293
あたりめーだバカ
0296日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:45:03.74
>>295
お前はウンコ
0297日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:45:05.52
>>294

雲仙は根拠すらない
0298日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:46:28.03
>>291
いや、俺も雲仙は有力な説だと思うな
距離、方角は確かにあってる
0299日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:47:37.90
距離と方角であってるのは下手な遺跡より一番の根拠だ
0300日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:48:59.03
>>296
お前がトンスル?
オレは原料ってこと?
は?
0301日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:49:01.07
糞みたいな
反論してるのは
どうせウンコだろ
早く便器に帰れよ
糞かすwww
0302日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:49:34.90
距離、方角で雲仙だと思うなら
雲仙と西回りルートで根拠を捜せ
0303日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:51:50.93
>>300
お前が原料って事は
お前はウリナラ婆の熟成ウンコって事よwww
0304日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:52:00.07
>>301
それをお前は飲んじゃうんだろ?
マジでキモイよな
口臭とかマジでヤバそう
0305日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:52:39.28
>>303
それを有難がって発酵させて飲んじゃうお前はヒトモドキ属かwww
0306日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:53:12.92
お前ら百済スレに帰れよ
0307日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 11:53:23.73
>>302
ウンコに何を言ってもダメだろ
ウンコなんだからw
0308日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:01:47.44
>>304
お前は口も顔もウンコだから
お前自信が悪臭だろwww

飲むわけねーだろ
遠ざかるだけよwwwwwwwwwwwwwww
0309日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:03:08.95
>>308
トンスラーwww
0310日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:03:49.26
>「長崎港ながさきみなと」地名なんか古代にあるか?w


これがウンコの
脳ミソwww
0311日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:03:58.82
>>296が諸悪の根源
0312日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:05:04.81
>>310
オレ原料
お前トンスラー

思い込みで他人を巻き込むなよヒトモドキ
0313日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:06:21.27
>>291
>雲仙にするために真北で考古遺物が豊富な糸島に寄ってるだけだろ

方角と遺跡でたどって行ったら
雲仙に行き着いたが正解だな
0314日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:08:24.39
>>312
違う
お前ウンコ
トンスルお前の分身

思い込みで他人を巻き込むなウンコwww
0315日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:10:07.38
>>311
いや、よく読め
>>295
0316日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:11:54.87
>>315
お前は文盲か?
火山活動の意味履き違えてる低能は>>296=>>293だろ?
0317日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:13:47.45
だいたいウンコだトンスルだ言う奴の言葉に何の説得力もない
0318日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:20:10.61
>>272
>他国で自分の船を置き去りにして船に乗せてもらうなんて、生殺与奪を預けるようなことはちょっと想像しにくい。
>まだ友好国かどうか半信半疑なはずなのに。

あのねぇ、倭国(阿波)は前々から、中国・半島と通交しているの! なにも魏使が初めてじゃないんだよ!
中国・半島とは前々から誼みを通じてるから、この度、「親魏倭王」の認められたの! これ、常識ね。  @阿波  
0320日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:30:42.79
倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。

魏使が九州で留まっていようがいまいが、「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。

子供みたいに延々と無意味な論争は時間の無駄。   

こういう痕跡を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波
0321日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:40:55.90
肥国出身の日御子だが、倭王に共立された時に筑紫に上京して、倭としての王都は昔ながらの伊都、墓は平原遺跡。
0322日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 12:51:26.59
つまり肥国には根拠を主張できるような墓がないということ
0324日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 13:05:06.34
阿波は、お生まれも、お育ちもよろしくて、頭脳のほうもなかなかのようだ。
ただ、ご幼少のみぎりから、何故かお友達に恵まれず、
また諸先生・諸氏からも、お褒めの言葉をいただいたご経験なく、ご成人あそばしたのではないかな。

不肖案ずるに、
古代より天皇家を支えてきた阿波人の誇り、及びそれに連なる阿波諸衆の偉大なる事績、
(並びにそれを発掘してきたご自身の辛苦)を、広く大いに認識・賞賛してもらうべく、
必死でお書きあそばしておられるように読める。
0326日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 13:36:56.57
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0327日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 13:49:55.94
隠さず言えば、
確かにアワヒトは、先進の大陸技術を早々とモノにし、貴地に広めた偉大なる種族である。
そして古代九州の大倭国より出でし一部アマヒトの東行に当たっては、
これに多大なる援助を申し出るとともに、畿内大和国との仲を取り持ち、大願成就に導いたのであろう。
それゆえ今にいたるも、天皇家のご大祭に欠くべからざる有力な一族となっているものと思われる。
そこのところを、正確に後世まで伝えていくのが、今のアワヒトの重要なお役目と思うがいかが、、、。
0328日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 15:17:49.94
>>321
肥国は長崎?
0329日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 15:19:50.06
>>317
雲仙説は俺だが
ウンコ、トンスル言うのは俺じゃない
0330日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 15:23:10.55
>>322
墓なんてあっても誰のものかも分からないし
その意見もかなり弱いな

距離、方角>>>>>>>>>>>>遺跡
かな
0331日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 15:29:07.56
>>330

それなら距離、方角だけで比定すればいい
糸島は壱岐から距離が近すぎる
0332日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 15:49:20.15
>>327
>そして古代九州の大倭国より出でし

九州に「大倭国」など存在しない。


>一部アマヒトの東行に当たっては、

九州に、東行など出来る部族が存在しない。 


>畿内大和国との仲を取り持ち、大願成就に導いたのであろう。

「畿内大和国」など、存在しない。


>それゆえ今にいたるも、天皇家のご大祭に欠くべからざる有力な一族となっているものと思われる。

それならば、「古代九州の大倭国」だった九州が、「天皇家のご大祭に欠くべからざる有力な一族」とならないのか?

妄想は聞き飽きた。  @阿波
0334日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 16:20:35.70
>>332
日向国の高千穂から九州を北上し、本州に渡り、瀬戸内を船で東征した一族がいたみたいだよ?
0335日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 16:35:40.24
>>334
>日向国の高千穂から九州を北上し、本州に渡り、瀬戸内を船で東征した一族がいたみたいだよ?

君の脳内には、いるようだね。  @阿波
0337日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 16:52:21.88
>>334
いや、その出発地は筑紫の日向、つまり伊都だよ。
0338日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 17:01:46.39
>>337
>いや、その出発地は筑紫の日向、つまり伊都だよ。

で、いったいどこへ行きたいの?  湿地帯がお好み?  硬直脳!  @阿波
0340日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 17:36:40.03
>>331
72kmだと何度言えば
0341日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 17:37:50.85
>>328
長崎だな
だから雲仙
0342日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 17:40:28.46
漢委奴国王は伊都国王か?
0343日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 17:46:56.98
邪馬台国=高千穂 三田井って言ってた
元公務員のおじさんいますか?
あなたの歴史的知識と含蓄を効かした深い
読みはいつもながら感心いたしますが

水行10日 陸行1月は
どう読んでますか?
0344日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 17:49:17.96
>>239
それは、興味あります。
真実に近い研究者、誰? ソースを・・・

彌奴國 和語の み=彌 は海の可能性が高いと思ってます。
不彌国は、単に海。 247年の張政は、伊都に『到』り
到達点 伊都の軍事拠点 一大卒 に駐留させられた。 

檄告諭の任務が有った、難升米の 奴国は
南東100里に有る と聞き 升米は呼びつけ告諭、
東100里の、不彌国から、うみに返された。
0345日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 17:51:41.86
>>342
奴国だと思う
0346日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 17:54:58.43
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 

次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 

次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡
0348日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 17:57:52.14
>>346
今ここ

女王国(雲仙)以北

雲仙→ 斯馬國しば島原市しまば→巳百支國いぼき 阿母崎町いぼさき→伊邪國いや諫早市いさはや→都支國とき時津町ときつ→ 彌奴國みなこく長崎港ながさきみなと→ 好古都國こうこつ→高来町こうこ
0349日本@名無史さん
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2018/12/28(金) 18:10:59.68
>>345
奴国王が倭国の大王とみなされてた?
0350日本@名無史さん
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2018/12/28(金) 18:22:02.69
>>342
委 い国 と 奴 な(と)国 が 併合 してても良いと思うよ。
247年の 伊都 は 2万戸の 奴国 の中にあったと思う。
国名じゃない。 三国志で、女王国と言う、個人故人依存の国名は日本か?

247年の印綬の時に 参問した、21国で、表意文字では無くても、奴や彌?
ちょっと和語国の勢力が見えてるし 妄想は広がる。
0351日本@名無史さん
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2018/12/28(金) 18:37:29.00
>>348
邪はザなのではないだろうか。
イザナミ 伊邪那美
諌早から思いついた。
0352日本@名無史さん
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2018/12/28(金) 18:38:31.54
>>349
年代としては伊都国に王墓が作られていた時代だ。
0353日本@名無史さん
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2018/12/28(金) 18:42:26.74
>>349
57年の時点では
0354日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 18:43:32.98
>>352
俺の比定では三雲は奴国だ
0355日本@名無史さん
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2018/12/28(金) 18:49:10.62
>>347
勝本から糸島泉川と何度言えば
その地図だと80kmぐらいあるぞ
0356日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 18:49:55.76
>>340

糸島の地名に川の名前使うやつもめずらしい
壱岐から糸島の加布里(泉川河口)まで直線で約50km
0357日本@名無史さん
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2018/12/28(金) 18:53:32.51
>>349
57年 金印時=漢では、委奴国王 だから、金印印綬が 
日本列島王を意味する、倭王である理由はない。
って言うか、魏の使譯2回以前は、ほぼ知らない国の ことなのに倭って何? 

金印なら考古的に出所で九州北部だろ?
倭は日本海の東南に有るんだよ。
倭人伝で  >使譯 時通 記述隨事 豈常也哉
九州の女王国が倭の 一=九洲島 の周旋可五千餘里なのは知った・・・
それが、倭人伝だろ?

太平洋のどこまでか? は知らんだろ?
0359日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 18:59:14.77
>>356
これは失礼
壱岐勝本から加布里まで約72kmあるだろう
仮に直線50kmにせよダイレクトでまっすぐ
航行できるわけないし、古代は同じ場所にピタリと舟から下船できるわけでもない
対馬海流に流される事を考えると+20は許容範囲だ
0360日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 19:04:54.69
末廬国=糸島の比定はかなり秀逸だと思う
距離は計測地点10〜20k変動するし
距離での反論は不十分だよね
0361日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 19:05:47.45
>>359
>対馬海流に流される事を考えると+20は許容範囲だ

対馬海流に流されて、加布里には辿り着けない と、何度言えばw  @阿波
0362日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 19:12:09.29
流されると言っても
加布里が目的地なわけだから
そこを狙って海人も努力してたどり着くだろう
古代人を舐めてはいけない
0363日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 19:21:53.52
>>362
で、ここから南に水行というのはどっちへ?
0364日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 19:39:06.98
>>362
>そこを狙って海人も努力してたどり着くだろう


そこを狙って着ければ、だれも苦労はない。

対馬海流を舐めてはいけない。  @阿波
0365日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 19:39:35.58
>>357
>って言うか、魏の使譯2回以前は、ほぼ知らない国の ことなのに倭って何? 

倭は古来から漢に朝貢していたとある。
金印も漢と倭の交流を裏付ける。
そして後漢書には、倭の北限は狗邪韓国、南限は倭奴国とある。
本州は中国の視野に入っていない。
0366日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 19:47:20.79
>>357
後漢書

倭は韓の東南大海の中に在り、...
使訳漢に通づる者、三十許国なり。

漢代に既に倭と呼ばれてて、
倭の三十許国の代表が漢委奴国王。
0367日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 19:49:39.17
>>366
後漢書の方が三国志より新しいのではなかったか?
0368日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 19:50:35.53
>>367
編集したのが新しいだけ。
0369日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 19:51:45.55
>>367
漢に通づる者と書いてるだろ?
0370日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 19:56:26.30
>>369
しかし後知恵が入っている可能性はあるだろう。後漢書に「倭」とあるから漢の時代にそうだったかの証拠とまでは言い切れない。
0371日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 20:07:59.41
>>359

直線距離じゃないと7千里で半島南岸には届かない
0372日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 20:20:49.08
半島西岸を南下四千里、半島南岸を東行三千里
0373日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 20:22:14.44
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0374日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 20:23:06.10
末廬国=糸島泉川河口 奴国=糸島市三雲
伊都国=大宰府

末廬国が倭国の玄関口で
奴国が中心部 伊都国が政を司る場所

邪馬台国が皇居
0375日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 20:23:25.59
実際の地形は全羅南道は西南に突き出ているから
直線距離でも半島南岸の3/4までは届かない
0376日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 21:08:39.30
>>375
釜山ではない。 と言うことが判ればそれでいい。
倭人伝の九州国は西岸から京畿湾を目指した。

BC200年以前から青銅を輸入した倭人の日本海ルートは、
山陰、宗像、沖ノ島も含め、釜山側に拠点があったはず。

邪馬台国は、考古立証的にも
筑紫であって、出雲吉備阿波の勢力とは
銅鐸時代に見るように、全く別に並立してる。
0377日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 21:18:18.37
>>376

距離、方角で比定しないということだな
0378日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 21:24:03.69
最短なところを渡ったに決まっている。
しかも壱岐と対馬を通過したことが確定している。
0379日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 21:35:39.84
>>365
それは57年の時点でだろ
半島情勢が乱れて狗邪韓国にいた倭人が
大量に倭国に押し寄せ、倭国も乱れ
それを祈祷能力で治めたのが卑弥呼だ

倭国の経済と政治の中枢は奴国と伊都国が握っていたが、それだけでは治まりが効かなくなって超能力者の卑弥呼婆さんを担いだ

だから王は伊都国にいるが
ラスボス(特別相談役、もしくは会長)山奥にいたんだよ
0380日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 21:37:24.02
>>376
>邪馬台国は、考古立証的にも
>筑紫であって、出雲吉備阿波の勢力とは

筑紫も出雲も吉備もみんな「忌部はん」  と、何度言えばw  @阿波
0381日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 21:39:55.23
>>379
>だから王は伊都国にいるが

その王は筑紫の「忌部はん」  と、何度言えばw  @阿波
0382日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 21:42:50.47
>>379
卑弥呼は国会のような所には居なかっただろうな、雄叫びをあげながら山奥で一日中祈祷してるイメージ
0383日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 22:20:28.99
阿蘇の火柱の神様が、大いにお怒りになっておられます。
各国の官は、直ちに貢物を差し出すよう・・・・・、・・・・・、・・・・・、、
0384日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 22:29:09.30
>>382
>卑弥呼は国会のような所には居なかっただろうな、雄叫びをあげながら山奥で一日中祈祷してるイメージ

民草は鮎喰川下流域の集落群で暮らし、卑弥呼は鮎喰川上流域の神山町の奥の院「上一宮大粟神社」で
「雄叫びをあげながら山奥で一日中祈祷してる」  @阿波
0386日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 23:21:40.45
つまり政治の先が見えなくなった時は伊都国のパシリが邪馬台まで赴いて...

伊都国のパシリ

「卑弥呼様、卑弥弓呼がなかなか言う事を聞きません」

卑弥呼

「キィエエーーーイ!不吉じゃ倭国が乱れる!」

伊都国のパシリ

「もう乱れてますが...」

こんな感じかな
0387日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 23:22:59.84
雲仙の炎に包まれて
キエエーイ
0388日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/28(金) 23:39:55.58
今で言うところの
卑弥呼はフィクサー的な立ち位置?
0389日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 00:26:16.69
卑弥呼と卑弥弓呼は肥国の家督をめぐるお家騒動を繰り広げていたんだよ。
0390日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 00:33:54.56
卑弥弓呼と対立関係にあるのは伊都國王から倭國王に化けた難升米だろ
難升米は天孫族の太陽神で父が降臨して倭國大乱で倭國王を追放した
その流れのはじきだされたのが卑弥弓呼
0391日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 00:34:00.90
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0392日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 01:44:51.03
ぜんぶ妄想やんけ・・・
0393日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 02:04:32.26
>>346
女王国以北で距離と方角が書いてない
と言う事は陸行で行ける短い距離にある可能性が高い

女王国を阿蘇に比定すると初っ端から大苦戦
それらしい地名が無い
0394日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 07:04:35.35
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)または時津町
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)または長崎市
6番 好古都国は?高来町
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)→あわせて邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg
0395日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 07:05:22.23
概ね反時計回りに見える。
0396日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 08:18:10.39
>>394
17番が変わったようだが、玖珠の方が適する。
16番〜21番は良いのでないのか。

・16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡 ←ここはただの砦、都は広川か高良台。
・17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
・18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
・19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
・20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
・21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)
0397日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 08:22:01.35
5番が地理的にやけに飛んでいるなあとは思っていたんだ。
0398日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 08:50:26.07
ここは、西の方じゃないの。
・1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)←佐賀県鹿島
・2番 己百支国は伊万里(佐賀県) ←?(佐世保)
・3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)←伊佐早(諫早)

4番からは北九州市方面から南下、或は南九州方面から北上な?
0399日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 09:12:57.83
倭人に聞き取り調査しただけだから、この国順が正しいか分からんね。
0400日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 09:18:56.69
志摩郡は地名として重要だから、動かないでしょ。
全体としては西の方に反時計回りだし。
0401日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 09:28:59.18
・4番 都支国は築城(行橋市、及び遠賀川以東?)
0402日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 09:37:55.76
>>401
飛びすぎですね。
0403日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 09:38:20.56
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊佐早国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は肥前国西彼杵郡(長崎県長崎市)または嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は高来郡(長崎県雲仙市)
7番 不呼国は須古(佐賀県杵島郡白石町)
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の広川か高良台、室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)→あわせて邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg
0404日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 11:04:45.55
>>348
>今ここ

女王国(雲仙)以北

雲仙→ 斯馬國しば島原市しまば→巳百支國いぼき 阿母崎町いぼさき→伊邪國いや諫早市いさはや→都支國とき時津町ときつ→ 彌奴國みなこく長崎港ながさきみなと→ 好古都國こうこつ→高来町こうこ

+不呼國ふこ→古河町

これやっぱり雲仙じゃね?
ほぼ半時計回りで符号する地名が多い気がするんだけど
0405日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 11:08:59.12
>>404

>好古都國こうこつ→高来町こうこ

好古都、古い都だから高来のようなローカルなエリアでなく「ハカタ」とか大きな町じゃないかな
0406日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 11:17:56.10
・4番 都支国は早岐→築城?
・5番 彌奴国は肥前国西彼杵郡→中津・宇佐?
・6番 好古都国は高来郡→別府・大分 ?
・7番 不呼国は須古→竹田市 ?
0407日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 11:21:27.83
魏志倭人伝を正しく読まないスレ
0409日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 12:55:52.28
「女王国より以北、その戸数、道里は略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。次に斯馬国有り。次に巳百支国有り。次に伊邪国有り。次都支国有り。次に弥奴国有り。次に好古都国有り。

次に不呼国有り。次に姐奴国有り。次に対蘇国有り。次に蘇奴国有り。次に呼邑国有り。次に華奴蘇奴国有り。次に鬼国有り。次に為吾国有り。次に鬼奴国有り。

次に邪馬国有り。次に躬臣国有り。次に巴利国有り。次に支惟国有り。次に烏奴国有り。次に奴國有り。ここは女王の境界尽きる所。」
0410日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 13:03:17.80
「奴」がつくと
港があるところ?
0411日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 13:21:12.30
(補正)
・4番 都支国は→築上町?
・5番 彌奴国は→中津市の三保?
・6番 好古都国は→大分市の古国府 ?

・16番 邪馬国は、八女(福岡県八女市の八女福島城跡?)
0412日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 14:29:44.75
主な主要都市は末廬国、伊都国、奴国と続いたが

「女王国以北は」からは
ローカルなエリアのみの国々

と言う気がしてならない
0413日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 14:39:58.47
>女王国より以北、その戸数、道里は略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず

女王国より北の界隈にある国々への道のりは
分かりますが(近いので)略させて戴きます、その他の遠くにある国々の詳細は分かりません

まずは近くにあるクニから説明いたします

1シバコク...

こんな感じ?
0414日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 14:47:55.43
女王国より北というのは、事実上は通過してきた対馬海峡のことだね(この時点で畿内は吹き飛んでいるw)。
その他の傍国を西の方に比定するのは当然のようだ。
南は狗奴国、東は海らしいし。
実際には狗奴国と女王国の間にも傍国があるようだけど、郡使にはそんな詳細は分からなかったと。
0416日本@名無史さん
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2018/12/29(土) 15:22:16.75
>>409
一番最後の奴国は
末廬国から百里の奴国?
0417日本@名無史さん
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2018/12/29(土) 15:34:49.73
>>413
>女王国より北の界隈にある国々への道のりは
>分かりますが(近いので)略させて戴きます、その他の遠くにある国々の詳細は分かりません

(これまでに述べた国々のうち)、自女王国より北にある国については、
其の戸数と方角と道のりを、簡単に記載しました。←(過去形で読む)
その他の国々については、遠くにあるので、詳細は分かりません。←(現在形で読む)
0418日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 15:39:25.67
>>416
合計して、30国になるように読まなくてはだが、なるかな・・、なるかな・・、
0419日本@名無史さん
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2018/12/29(土) 16:07:20.67
>>417
違わんか?
0420日本@名無史さん
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2018/12/29(土) 16:12:41.62
女王国より以北→斯馬国→


斯馬国〜に掛かってるんじゃないの?
詳細を省きますが地名だけ言います
と言う事じゃね?
0421日本@名無史さん
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2018/12/29(土) 16:31:07.23
>>420

確かに、ここまで紹介した女王国以北の国々は〜
だと 次に〜が唐突すぎるなw
0422日本@名無史さん
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2018/12/29(土) 16:31:17.10
>>413
>まずは近くにあるクニから説明いたします

遠絶の国々は、国名だけはわかるが、それ以外は、近くにあるかも、遠くにあるかも含めて一切わからない、といっているので、説明もできないわけだ、、、、
(ホントはわかっていたのだが、紙数の関係もあり、カットしましたということ)
で、次有り斯馬国〜〜〜〜、として、国名だけ挙げてお茶を濁した。
0423日本@名無史さん
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2018/12/29(土) 16:52:31.37
ここまで紹介した女王国以北の国々は距離と方角がわかりましたが
それらよりも遠くにある国に関しては
距離と方角は分かりかねますので省略させて戴きます

次に斯馬国〜

かなぁ
0424日本@名無史さん
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2018/12/29(土) 17:03:18.52
どちらにせよ
女王国の以北にあると言う
解釈でOK?
0425日本@名無史さん
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2018/12/29(土) 17:11:18.05
原文

自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 

次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 

次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡
0426日本@名無史さん
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2018/12/29(土) 17:30:38.59
倭人伝は、晉の時代に活躍した陳寿が、
一時代前の魏代や後漢の時代の記録を繰りながら書いたので、
基本的に過去形で読むようになってる。(なので、現在形で読むと誤読しやすい)
0427日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 17:39:09.62
>>424
女王国以北は対馬とか壱岐のこと。
傍国はそれ以外の方角にある。
ただし南は狗奴国、東は海の向こうに別の倭地。
0428日本@名無史さん
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2018/12/29(土) 19:07:54.38
新・佐賀川上の伊都国比定地(再掲)
佐賀市大和町川上・大願寺地区の環土壕遺構(環土塁遺構)。
(目印として最西端に灌漑用ため池有り)

遺構は東西約1q、幅約250mで、現状は道路に囲まれています。
その中央に、約125m四方の小径で区切られた区画が二つ、タテ(北・南)に並んでいます。
これが大願寺廃寺跡遺跡です(この廃寺から出たと思しき梵鐘は、歴博に所蔵されています。椅寺/イ寺の銘あり)
此の廃寺付近に、平安時代の肥前国庁の前身の初代オギ国府があったと思われます。
なお、この中央区画の左右には、同様のやや幅の狭い区画がそれぞれ数区画づつ続いています。
まさに都市計画的な区割りであり、周辺部を合わせて戸数1000戸の古代官衙だったように見受けられます。
https://www.google.co.jp/maps/@33.3148515,130.2513347,804m/data=!3m1!1e3
0429日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 19:16:21.99
巳百支國
支が入るのは島じゃね?

百支=百の島 九十九島
0430日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/29(土) 19:19:13.30
>>428 (追記)
リンク先のグーグル画面が表示されない場合は、アドレスをコピーして、
一般の検索画面のアドレス蘭に張り付けて検索してください。
0431日本@名無史さん
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2018/12/30(日) 06:58:11.85
【肥国】

倭国は筑紫を中心に、肥国、豊国、海を渡り出雲、越などから構成される連合国家である。
古くは出雲がその盟主であったが、国譲り以降は博多湾玄界灘勢力である天津神が支配する筑紫(天津国) が盟主となり、対馬海峡の交易と中国との外交は一貫して筑紫(天津国)が独占していた。
筑紫の王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。
国津神には豊国王家、肥国王家、出雲王家などが想定される。
免田式土器に代表される阿蘇の東西にまたがる倭人の勢力が、狗奴国や熊襲、肥国であり、年代や立場により呼称が変化する。

筑紫が博多湾沿岸国家なら、肥国は有明海沿岸国家である。
もともとは有明海沿岸はすべて肥国だったが、筑紫が筑後川流域を吸収して有明海に進出すると、肥国は肥前(佐賀県)と肥後(熊本県)に分割される。
おそらくその過程には、本来は肥国の中心の一つであったであろう筑後山門の出身の卑弥呼が筑紫も含めた倭国女王になったことが関係しているだろう。

卑弥呼は倭国王を継承するために都である伊都に行き、倭国全体を統治した。
特に敵対的だった伊都より北の天津国は一大卒を任命して監視した。
卑弥呼は死後に倭国の都である伊都の平原遺跡に葬られた。

肥国王家の別称が熊襲であり、本貫地は熊本が想定される。
肥前も肥後も筑紫とはやや縁が遠く、その王家は記紀にあまり名前を残していない。
ヤマトタケルに殺された熊襲梟師(くまそたける)の墓は肥前河上にあるという。
ここにある肥前国一宮の河上神社(與止日女神社)の祭神は、壹與に比定できる淀姫である。
卑弥呼、壹與、熊襲梟師、田油津姫らはいずれも肥国王家であり、倭国王となる資格を持っていたが、最終的に天皇家につながる筑紫日向の天孫族である伊都国王家との関係は良好ではなかったため、記紀には卑弥呼の名が記載されていないのかもしれない。
熊襲征伐、田油津姫征伐は、筑紫倭国の内乱を天孫族から見た呼称であったと考えることができる。
0432日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 07:09:52.11
>>425
廣志曰倭國東南陸行五百里到伊都國又南至邪馬嘉國百女国以北
其戸數道里可得略載次斯馬國次巴百支國次伊邪國安倭西南海行
一日有伊邪分國無布帛以革爲衣盖伊耶國也

だし。倭→イ妾だけど。これを考慮すると次有〜国の羅列って
いろいろ考察する必要ありそう。
0433日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 10:55:01.45
>>427
狗奴国と投馬国、侏儒国、裸国、黒歯国意外は
女王国以北だろ
0434日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 11:15:21.81
>>404
最初の雲仙と決めてしまうと
雲仙中心でしか比定出来ないだろ
半時計回りと言う奴もどうかな
阿蘇とか福岡南部に比定したい奴は
半時計回りになるし、九州東部に比定したい奴は時計回りになる
0435日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 11:21:49.67
>>429
都支國 
これも島だが郡の間違いの可能性があるらしい

郡支国=五島列島
0436日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 11:24:46.00
支惟國きい=基肄きい
0437日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 11:58:28.38
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0438日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 12:06:01.65
>支惟國きい=基肄きい

前後も含めて考えると、これは良さそうだけどね。
0439日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 16:13:05.70
邪馬国=耶馬渓
烏奴國=鳥栖 

比較的確実そうな所
0440日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 16:18:00.20
何を根拠に反時計回りなの?
0441日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 16:26:12.06
>>440
邪馬台国北九州説論者が根強くいるから
斯馬国を福岡県志摩郡に比定すれば反時計回りになる
0442日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 19:39:06.76
>>439
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
0444日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/30(日) 22:50:41.25
カラスは鳥だけどな
0446日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 00:29:28.35
邪馬台国北部九州は無い
0447日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 08:28:48.86
邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國を都として邪馬壹國を統治していた。
邪馬壹國とは26か国の国邑で構成されており
その26か国の国邑とは對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)
これに狗邪韓國、侏儒國、裸國、黒齒國の4か国を加え今使譯所通三十國。
0449日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 09:04:19.59
>>447
その26カ国を
見渡せる場所に卑弥呼はいた
そこが魏志倭人伝に書かれてる邪馬台国

阿蘇か雲仙だと思う
やっぱ雲仙かな
0450日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 12:30:57.23
正しく読むなら、240年当時の女王国は21国です。

>自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
この一文は、240年の印綬行軍情報に加えられた、陳寿による補足説明だが、

自女王國以北 の意味する所は、南至 投馬國 南至 邪馬壹國 女王之所都の旅に関して
其戸數道里可得略載 であって、魏使の行程が基本的に南行だったということ、
其餘旁國遠絶 不可得詳 は、水行30日と九州上陸後一月=2千里の行軍、
その行程外の他の東国や西国、狗奴国以南のことは知らない、と書いてある。

そして、次有以下、列記21国で、此女王境界所盡 女王属国全て で、
其南有 狗奴國は、
女王国南限を越え、女王に属さない、と書いてあります。
0451九州王
垢版 |
2018/12/31(月) 12:31:39.46
>>449
我が家からは阿蘇も雲仙も見えるなw
0452日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 12:39:10.94
>>450
最近は水行、陸行
足さない説が有力になって来てますよ
0453日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 12:44:41.24
>>449
見渡せるなんて、どこにも書いてないんじゃね?
0454日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 12:52:51.28
補足すると
南至 投馬國 南至 邪馬壹國 女王之所都
以前の地名が都市間の里程を示しているのに対し
投馬国5万と邪馬台国7万は隣接する国の概念である。

馬韓を越えた投馬国、渡海後の邪馬台国どちらも倭種。
邪馬台国21国の筆法は、
韓伝、馬韓54国、辰韓12国、弁辰12国と並ぶ、邪馬台国21国となっている。

投馬国はBC200年以前から、青銅を移入している日本海諸国系で
魏が滅ぼした、239公孫氏や246韓王朝の友好国、または植民地で
中原中華国家、漢及び魏は、朝貢に来ないこれを無視する傾向にあったようだ。
0455日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 13:02:08.72
>>454
違うと思う。
出雲は日本海側で交易は本来しやすかったが、筑紫に制海権を取られていて朝貢できなかった。
しかし筑紫は出雲も合わせて倭国として代表していたはず。
問題は投馬国で、これは地理的に朝貢できない位置、すなわち宮崎県にあり、筑紫の邪馬台国に匹敵する大国だったのだろう。
だから郡使はその存在のみを日数とともに記録した。
0456日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 13:16:27.34
>>454-455

妄想は達者に語れるんだがねぇ・・・・  @阿波
0457日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 13:27:20.83
>>455
違うと思う。?以前に
BC200年以前の青銅器と言うのが、本州銅鐸文化の広がりであって
日本海ルートであることの必然性を考慮すべきです。

青銅をBC200以前から宮崎から持ってきた?
それどころか、247年以前の九州は銅鐸文化を共有してない、
外国状態だったのではないかな?

239年公孫氏と246年韓王朝の滅亡で、九州卑弥呼の238年からの独自外交が、
筑紫州如刺史、一大卒によって管理支配されるようになったと見るのが順当。
>王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯
247年 張政の時点で、一大率は、王や遣使の文書や賜遺之物 を検閲している。

これ以降、倭は魏との友好は薄く、馬の移入や鉄生産の富国強兵、
高句麗戦を展開、四郡撤退から百済新羅建国支援に向かったのが、歴史の実態。
主として九州に限られた、交易品が本州古墳とともに広がる。
0458日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 20:58:18.35
>>457
247年は卑弥呼が死んだ年でもあるし、男王が立って収まらず内ゲバでやり合った血生臭い年でもある。
壱与が立って収まっとはあるが、一度朝貢したきりでそれ以降の記録がない。

238年に初めて卑弥呼が魏に朝貢した時、内ゲバが収まったはいいが、南の狗奴国とドンパチやってる最中。
それから10年持たずに朝貢が止まってる事から、北九州の女王国は、熊本県巨摩郡を本拠地とする熊襲に滅ぼされたんだろう。

情勢から思うに、邪馬台国が魏に朝貢したのは、戦が劣勢であり魏の権威に頼る為だったんだろう。
が、魏の権威(親魏倭王)も大して役に立たず、結局滅ぼされてしまったが為に、歴史の闇に埋もれたんだろう。
0459日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 21:28:48.96
卑弥呼と卑弥弓呼が同族なら、一方が他方を滅ぼしたのではなく、壹與の共立で家督争いが収まって統一されたということでしょう。
0460日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 21:55:08.63
卑弥弓呼素って狗奴国の男王だからなぁ

238年時点で既に敵対してたわけだし、一方は北の連合国の女王で、他方は南の男王
倭人って意味では同族っちゃ同族かもしれないが血族ではないだろう。
0461日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 22:00:49.22
名前が似ているし、卑弥呼も天孫族に名前がないということは、豊国か肥国から共立された可能性がある。
0463日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 23:15:07.16
>>458
>邪馬台国が魏に朝貢したのは、戦が劣勢であり魏の権威に頼る為だったんだろう。

そんなマヌケな三国志の戦国王は居ない。
245〜6年の、帯方太守が戦死、韓王朝滅亡の戦に、
卑弥呼は 魏の黄幢の下、檄に応えることなく出陣しなかった。

三国志時代の戦国王は、高句麗でもなんでも、辺境の勝者は味方に付ける。
高句麗は313年四郡を駆逐したが350年代に楽浪候、幽州刺史として中華貴族となる。
死んで滅びる、女王国の卑弥呼にお墨付きなんて自殺行為だ。
日本は三国志諸国同様卑弥呼一代の女王国なんてもんでは無く大和朝廷が成立する。

銅鐸時代に本州からは外国同様だった九州女王国は魏の三国志戦に参加することなく
日本として、313年四郡駆逐、350年代、百済新羅の建国を後援している。
日本はと言えば、高句麗と戦うことで、馬の移入や鉄の国内生産に成功している。
0464日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 00:06:09.37
日本ではなく倭と書くべきだね。
0465日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 08:52:38.34
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0466日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 09:24:47.98
>>463
> 卑弥呼は 魏の黄幢の下、檄に応えることなく出陣しなかった。

邪馬台国が倭国内で争ってて、帯方郡まで援軍を出せるような状況ではなかっただけだろう。
大陸の国と違い、朝鮮半島まで船で三千里かかるのに、そうホイホイ行けるわけもない。
兵員を送るだけの大型の船がそう多くあったわけでもないだろう。
あったとすれば、そんな出土品が出てなきゃおかしい。

また、邪馬台国と大和朝廷にはなんの関連もない。
これだけは邪馬台国がどこであったとしても言える。

理由は魏志倭人伝では、伊都国では文書や贈り物のチェックがされるとの記述がある。
つまり、邪馬台国には文字があったと書かれてるわけだ。

文字があった国が、後の政権に続いているとすれば、邪馬台国や卑弥呼が記紀に書かれているはずだが
記紀には、神功皇后の時代に「倭の女王が魏に朝貢した。と魏書に書いてある。」と書いてあるだけ。
ここだけ文体も違い、神功皇后とは時代も合わないことから、疑問を呈している程度のさらっとした記述だ。

自分たちの出自を畿内ではなく、日向国の高千穂です。と書いてる記紀なんだから
邪馬台国が北九州であったからと言って、関連があるならわざわざそれを隠匿する必要もない。

俺は、邪馬台国北九州説支持者だが、邪馬台国に文字があった点から、畿内説での後の政権との関連性の低さから
邪馬台国畿内説には無理がありすぎると考えてる。

魏志倭人伝にしろ、記紀にしろ、陰謀史観で偏見の目で見なければ、それなりのストーリーは見えてくるものだ。
0467日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 11:07:52.55
>>466
文字は有ったが、中国語だ。
和語を表現できたのは万葉からか?

倭人伝には、九州平定と反中華、半島進出の歴史があり、
富国強兵の400年以降、倭の五王には天皇が中国語名を使った事実が見えている。

まあ、これが伏せられてる理由には
白村江の敗戦処理で、南朝との半島利権交渉を伏せたと
いう意味が大きいが・・・

記紀がこれらを恣意的に隠蔽しているのは事実だし
二十代も前の名の無い天皇に諡号を当てて歴史にする
なんてのは、話半分以下にしかならないのは当たり前。

大和朝廷にも、それなりのストーリーでw
0468日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 11:39:20.14
>>467
中国語で書かれた魏志倭人伝を云々するスレなのに、万葉仮名は関係なくね?
0469日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 11:52:35.82
記紀には天皇家の起源が筑紫の日向、すなわち伊都を含む福岡県の博多湾沿岸であったことが記されている。
考古学的にも、博多湾沿岸は弥生文化の発祥の地であり、三種の神器を祭る倭国の建国の地である。
倭国女王である卑弥呼がいたのも博多湾沿岸に他ならない。
0471日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 12:06:33.49
■ 祓詞

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 
つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに

禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等
みそぎはらへたまひしときに なりませるはらへどのおほかみたち

諸々の禍事・罪・穢 有らむをば
もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば

祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと
はらへたまひきよめたまへと まをすことをきこしめせと

恐み恐みも白す
かしこみかしこみもまをす
0472日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 12:14:47.17
>>464 倭 と言う名称より
日本列島、日本海、 日本と言う名称は、歴史を遡っても不偏的名詞だが

倭は 漢から唐以前までの、日本民族、倭人、倭種 を意味する古代中国語で
統一国家が有った訳でもなく、国名では無かった。
女真、扶余などといった使われ方の中国語だろう?

半島は、秦遺民や箕氏や衛氏などが流入した地、その南岸が倭種の国であった事
倭 には、日本人が弥生人と言っている、意味不明の民族の臭いがするw
0473日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 14:15:02.39
それは気のせい。
魏志倭人伝は、単なる民族としての倭種と、卑弥呼が統べる倭国を分けている。
邪馬台国とか女王国とか、言い換えが多くて定義が煩雑だけれども、逆に言えば細かく分けて考えている。
倭王を冊封しているのだから、大陸側で明確に倭国という国号を意識している。
同じ魏志でも、もっと野蛮国では民族名だけの表記は他にある。

あと、日本という表記は新唐書までしか遡れないので、普遍的な表記ではない。
扶余は民族名だが、王国の名、王族の姓でもあり、より明確な固有名詞だ。
0474日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 15:47:58.80
>>473
さて、気のせいじゃないな?
新年早々全面的な開戦だよ。

倭人伝を正しく読むと?
九州だし、半島南岸に倭人国も在った。

解決してるのに、なぜ張先生は事実を曲げた?
九州東遷説は記紀迎合の極致だが、歴史じゃない記紀の話は要らなくないか?

さて、倭人伝を正しく読む、と言う、
当たり前の話をしようか?

倭人伝本文 に 疑問が有るなら何でも応えてあげるよ。
0475日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 16:20:52.36
>>473
君なら判るかも知らんが?

卑弥呼を倭王と間違えて冊封した歴史が倭人伝。
張政が見たのは、九州の北部周5千里の小国だった。
女王国付属の 王の文書や朝貢品 が 一大率の 検閲受けてたのを、魏使が見た。

卑弥呼は245年の三国志戦国王の魏の黄幢に参戦しなかったし
倭軍は三国志と無関係で、四郡撤退以降高句麗と敵対してる、半島覇者である。

倭人伝は、正しく読んだ方が良い。
0476日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 16:37:18.65
313年に韓四郡が撤退した。
歴史だろ?
なぜか? 高句麗が追討した?
韓という場所の国、名無しに主体性は無いのか?
倭人が半島で何をやってたかは、三国氏倭人伝が記録している。
卑弥呼って弥生人みたい、なんだけど、本州に弥生人渡来できるのかな?
0477日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 16:49:00.05
>>475
>倭軍は三国志と無関係で、四郡撤退以降高句麗と敵対してる、半島覇者である。

倭国が九州だったからこそできたこと。
後漢書では、倭国の北限は狗邪韓国、南限は倭奴国となっている。
中国から見た倭とは博多湾沿岸を含む対馬海峡の国であり、本州は視野に入っていない。
0478日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 19:41:02.82
>>455
投馬は殺馬の略字じゃないかな
領土は宮城県南部と鹿児島県の7割以上はあると思う
0479日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 20:28:55.55
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0480日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 09:18:38.67
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0481日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 10:23:05.90
>>477
邪馬台国九州説で見た場合、九州全域が倭国で、本州や四国は「倭種」=倭人が住んでるが詳細はわからない。ではないか?

魏志倭人伝の内容から、どちらも倭人の住む土地であることまでは理解してたはずだよ。

魏に朝貢してきた卑弥呼の連合国(女王国)を倭国の代表と認めて「親魏倭王」に封したのよ。
ただし、倭国内も女王国で一つに纏っているわけでなく、倭国の南北で覇権争いをしてることも知ってた。

倭国=九州全域
女王国=卑弥呼を頂点に置いた30か国の連合体
邪馬台国=卑弥呼の住む国

倭種=倭国と同じ人種が住んでいるが、どうなっているのかわからない本州、四国

以前倭国(九州全域)には100程の国があり、大陸との行き来があったが、魏の時代には30国程度とも書いてあるが
倭国(九州全域)の3割が女王国の勢力で、7割は反女王国
女王国は熊襲を始めとした、反女王国勢力に滅ぼされたんだよ。
0482日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 11:11:30.82
記紀の国生みで女神の名は四国だけ
四国が女王国であることを匂わせてる
0484日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 11:46:48.27
倭奴国は旧倭国
邪馬台国は新政府だから奴国より南にある
0485日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 11:47:43.35
>>483
四国説は破綻済み
0486日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 12:12:40.46
>以前倭国(九州全域)には100程の国があり、大陸との行き来があったが、
・・・「倭国には100余の国が」ではなくて、「倭人あり、その倭人らは、もとは(旧)百余国にわかれて住んでいた」という意味である。

>魏の時代には30国程度とも書いてあるが
・・・今、30国と書かれているので、国・国合併で30国に統合されたという意味ではないか。
0487日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 12:13:35.60
>>485
>四国説は破綻済み

どうやったら破綻するの?  @阿波
0488日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 13:05:33.89
>>481

倭国=九州北部
女王国=卑弥呼を頂点に置いた福岡県と長崎県の30か国の連合体
邪馬台国=卑弥呼の福岡県西部
狗奴国=熊本県
投馬国=宮崎県
倭種=倭国と同じ人種が住んでいるが、どうなっているのかわからない本州、四国

だと思うよ。
あくまでも倭の王都は福岡であり、福岡県を取ったものが倭王となる仕組み。
後世だと京都を取った者が天下人だよね。
0489日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 13:10:58.34
>>488
>倭国=九州北部

九州北部は「其山有丹」で即刻アウト と、何度言えばw  @阿波
0490日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 14:33:12.19
>其国本亦以男子為王。住七八十年、倭国乱相攻伐歴年。乃共立一女子為王。名曰卑弥呼。事鬼道能惑衆。
>年已長大無夫婿、有男弟佐治国。自為王以来、少有見者。以婢千人自侍。唯有男子一人、給飲食伝辞出入居処。
>宮室楼観、城柵厳設、常有人持兵守衛。

上の文章が出てくる前と後ろでは、時代と状況が大きく異なる。
これ以前の文は、卑弥呼がまだ邪馬台国のみの女王時代のことで、邪馬台国は女王国とも呼ばれた。
そしてそのころの卑弥呼は、ヒミコという名ではなかった。。
これ以後の文は、共立後の倭30国の女王になってからのことで、此処から倭女王・卑弥呼となる。。
0491日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 14:54:26.16
四国は方角が違うし
スレ違いだし、問題外ですよね
0492日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 14:55:59.94
>>488
では、九州全体はどう認識されてたんだろ?

卑弥呼が朝貢するより以前、倭国には100余の国があったとは魏志倭人伝に書いてある通り。
北九州だけで100の国というのは、いささか手狭すぎやしないか?
また倭国大乱も結局北九州だけでゴチャゴチャしてたと言う事?

親魏倭王である卑弥呼が治める所も、倭王の地だから倭国であることには変わりないが
魏から見ての倭国という「土地」は、九州全域だったのではないかな?
0493日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:00:00.76
狗奴国=熊本県
投馬国=宮崎県

こう言う書き方は著しく信憑性を低下させる、九州南部とか西部とか宮崎南部と鹿児島東部とか、抽象的でも良いからエリアをイメージさせてほしい

古代に都道府県は無い

狗奴国=熊本県
投馬国=宮崎県

とかされると
んな分けねーだろ、と突っ込みたくなる 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
0494日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:13:32.78
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0495日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:17:40.40
歴史書とは、時間(時代)の流れを書きとどめたものだ。
上流から下流へと、川の流れを描写する如く、、時が移っていく。
倭人伝2000余字の中でヒミコも、少女時代から、女王、老婆を経て、その死へと、年をかさねていったのだよ。
0496日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:19:34.35
>>495
正解。ほかのスレにも書いたんだけど、
老婆=家の嫁だから詳しいんだよ

母親もそうなる、本当の皇后
0497日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:21:00.27
老婆の前の代の話、何々様なんて言われていたよ。
と言っていたり、なぜだと思う


ひみこ様ではない
0498日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:22:08.45
老婆〜『松傾』の嫁という話
0499日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:23:11.02
>>491
>四国は方角が違うし

倭人伝の示す通り行けば、倭国(阿波)。  @阿波
0500日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:30:50.00
頭が悪いんだろう

『松傾』の家の嫁・・・皇后でしょ
0501日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:45:59.55
>>493
私の考え方はむしろ逆で、北部と書くからぼんやりしてしまう。
九州の県は昔の地理的境界を反映した律令時代の区分を反映していることが多い。
筑前とか肥前とか書けばいいのかもしれないが、日向で混乱を生じる可能性がある。
でもまあせっかくなのでやってみよう。

倭国=九州北部
女王国=卑弥呼を頂点に置いた筑紫と肥前の30か国の連合体
邪馬台国=卑弥呼直轄の筑前
狗奴国=肥後
投馬国=日向
倭種=倭国と同じ人種が住んでいるが、どうなっているのかわからない本州、四国
0502日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:49:58.55
底辺というのがいるでしょ、いたでしょ?
いまはマトモになったのかもしれないけど、
どこで習った?教わったことなんだ?

と聞いているんだ
0503日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:53:57.01
このスレだったw


なぜ文字の読み書きが出来たりするんだ?
魏志倭人伝?を読むことが出来たり
0504日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:54:02.10
注目すべき点は肥国が肥前は邪馬台国、肥後は狗奴国に分かれていることです。
本来ならば、有明海を中心とした肥国という1つの経済圏、生活圏であったはずです。
これが南北に分割されている理由があったはずで、それが肥国の家督争いだったのではないか。
0505日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 15:54:32.13
>女王国=卑弥呼を頂点に置いた筑紫と肥前の30か国の連合体
・・・この部分は、一世紀に漢から、倭委奴国王が金印をもらった時代の状況じゃないかな。
   倭国大乱を経て三世紀の倭30国へと、其地の政治地図は大きく変わった....
0506日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 16:04:05.37
肥国が筑紫に介入しただけで、30カ国はそれほどかわらないのではないか。
0507日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 16:06:55.56
後漢書の奴国は倭国の最南端とか言うのは誤読だと思う
0508日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 16:28:59.89
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0509日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 16:35:48.80
>>505
57年頃の倭国は九州北部と狗邪韓国しかなかったが卑弥呼の時代はかなり領土を広げて
邪馬台国、狗奴国、投馬国の三國志状態だったんだと思う
0510日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 17:10:56.87
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊佐早国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は長崎県長崎市(または長崎県西彼杵郡)または嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は高来郡(長崎県雲仙市)
7番 不呼国は須古(佐賀県杵島郡白石町)
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の広川か高良台、室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)→あわせて邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/lo1K3BJ.jpg
0511日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 17:12:42.91
↑地図を更新しました。
0512日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 17:30:04.22
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国。

漢時有朝見者。

今使訳所通三十国。

旧昔は100余国だったが、一世紀の漢時に朝見者有りで、その後三世紀の今(魏)の時代は30国、という流れ。
0513日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 17:44:09.88
主要国は福岡平野限定では、小邪馬台国説で終わり。
0514日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 17:45:57.72
>>513
それが現実でしょう。
3世紀に西日本を統一した大国を想定することは難しい。
0515日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 18:11:48.63
西日本新聞とか、西日本ナントカ銀行っていうけど、
西日本って、九州のこと?
0516日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 18:32:25.26
今年一年も、飽きもせず同じネタの堂々巡りをするんだろうな、畿内と九州のトンデモ説は。  @阿波
0517日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 18:36:14.08
倭人伝は、
3世紀に西日本を統一した大国があったとは言っていない。
「倭の30国によって、卑弥呼が共立された」となっている。
倭国大乱に嫌気がさした男たちが、女の魔力に頼ることにしたのだろう。
男同士は強烈なナワバリ意識で対立抗争を繰り返すが、相手が女となると、ナワバリの外から来たよそ者でも鼻の下を長くして受け入れる。
今のイギリスもドイツもそうだ。
北朝鮮も、女を使者にしてトランプに取り入った。いつの世も、似たり寄ったりさ。
0518日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 18:41:04.82
>>517
それ、西日本一帯の出来事と想像していない?  @阿波
0519日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 18:47:34.22
考古学的には、3世紀当時のクニは郡程度の大きさ
吉野ヶ里にしても環濠内の人口が1500、周辺部合わせても5000に満たない
0520日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 19:16:33.50
福岡県と長崎県と佐賀県でちゃんと30カ国が比定できるし、実際にこれらの国を巡ろうとするとかなり大変だろう。
群使も遠くて行かなかったのだろう。
0521日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 19:27:55.25
>>510
全部あってるとは思わないが斯馬国を島原に比定すると時計回りになり魏志倭人伝の記述と見事に一致する
0522日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 19:38:53.72
吉野ヶ里は不彌国だろう
方角里数よし、周辺合わせて5000人の千余戸で適切な数字だ。問題は邪馬台国の7萬戸だなあ。
0523日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 19:49:00.64
吉野ヶ里の70倍の規模の邪馬台国はどこだったのか。そしてなぜそのような大国が出来上がったのか。

そこには、交通網の拡大、交通方法の革新、通信手段の革命があったと考えざるを得ない。。
やはり鉄の普及かな。
鉄斧・鉈の導入で、中小の河川や谷筋に木橋・竹橋が架かり、
漢字の導入で、命令・指令の伝達速度・伝送距離が伸びたのではないかと思う。
0524日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 20:00:30.22
>>517
卑弥呼は霊能力があったからそれに頼ったのだろう、本当に天地をコントロール出来る程の能力はあった訳ないにせよ

今でも瀬戸内寂聴の講話をありがたがる人がいるぐらいだから、古代人にとってはカリスマだったんだろう
0525日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 20:03:34.40
>>509
その後の大和の動きを見ると
大和政権のルーツは投馬国じゃね?
0526日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 20:37:43.43
海幸と山幸の争いの後、海幸は海の向こうへ去った。
海幸のその後の伝承は日向国つまり宮崎にある。
一方の山幸は福岡にある筑紫の日向の高祖宮の祭神だ。
山幸の孫である神武がどちらの「日向」から出発したのか?
そしてこの2つの日向は邪馬台国と投馬国に対応している。
0527日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 21:25:41.75
>>526
それって粟国と長国の話なんじゃね。

投馬(ヅマ)国って対馬(ツマ)を中心とする半島南端から
福岡平野の領域の連合国で5万戸。

邪馬壱(ヤマイト)国は筑紫平野から熊本平野の領域の
連合国。倭国の中枢の伊キ国が邪馬国に移転してできた
国で当初は狗奴(クノ)国の領域も含んで7万戸。

2つ合わせて倭国。倭国は福岡東部、大分東部、宮崎、
鹿児島とかは含まない。

卑弥呼の墓は諸事情により平原になった。

次有〜国の21カ国は卑弥呼の時代のものじゃない。
0528日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 21:56:22.72
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0529日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 22:12:49.71
>>527
こりゃひどい。
部分的にあっているような気もするから、なおたちが悪い。
0530日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 09:41:44.01
>>525
投馬国が日向なら
その可能性もあるが
根拠がツマ神社だけ
0531日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 10:49:19.50
薩摩も投馬国の比定地
九州説は比定地だらけの無限ループ
0532日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 11:13:20.79
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0533日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 11:25:12.46
倭人伝・遠絶傍国5番の彌奴国(推定地):
大分県中津市を中心とする、古代三毛郡(みけのこおり)と思う。
其の主邑は、旧三保村。
現在、広大なお寺2か寺と、神社、旧家などが並ぶ地区。

北京や洛陽は、東西南北・碁盤の目状に建設された漢風の計画都市だが、
この三保邑は、四方八方から道が集まり、これを小径がつなぐので、
航空では、同心円状(クモの巣状)の古代都市遺構に見える。
古代都市は、長い年月をかけて同心円状に発達したものが多い。アテネ、ローマ、パリ、ロンドン。皆そうだ。
0534日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 11:31:05.38
>>533
>古代都市は、長い年月をかけて同心円状に発達したものが多い。アテネ、ローマ、パリ、ロンドン。皆そうだ。

同心円状に広がる前方後円墳文明圏の中心にある国
それが阿波

同心円状に広がる軽量薄型土器(東阿波型式)文明圏の中心にある国
それが阿波

同心円状に広がる石器(泥質片岩製の石棒・青色片岩製の柱状片刃石斧)文明圏の中心にある国
それが阿波

同心円状に広がる水銀朱文明圏の中心にある国
それが阿波

同心円状に広がる銅鐸文明圏の中心にある国
それが阿波
0536日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 11:43:18.78
吉野ヶ里が小国の王都とするなら
それらを支える周囲の人口は、
王都の人口の最低10倍、多ければ
40倍くらい必要になる。

生産人口に対する非生産人口の比だね。

戦国時代の戦の動員数や
江戸時代に幕府が命じる工事などの
各藩への動員数の目安は
石数≒人口の2.5%程度。
0537日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 11:52:02.80
魏志倭人伝にある「橘」。 これ一つでも、北部九州・畿内が脱落しているのが分かる。  @阿波
0538日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 12:38:25.09
北部九州は古都で
邪馬台国は雲仙だと思う、距離も方角もピッタリなのとその他の比定地も長崎と佐賀県が多い
半時計回りではなくて時計周りだ
魏の使者は末廬国から水行西回りで雲仙まで行き

雲仙からの帰り道は陸行で島原、諫早経由で邪馬台国支配下の国々を確認しながら
奴国まで行き、末廬国から水行で帰宅した
0539日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 12:48:18.46
>>538
>邪馬台国は雲仙だと思う、距離も方角もピッタリなのとその他の比定地も長崎と佐賀県が多い

魏志倭人伝にある「橘」。 これ一つでも、北部九州・畿内が脱落しているのが分かる。  @阿波
0540日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 13:22:31.61
四国で採れるものは
九州でも採れる
四国説は完全破綻済みだしスレ違い
0541日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 13:26:02.00
九州北部説は
距離がどうしても合わない
0542日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 13:40:20.45
>>530
消去法
大和と邪馬台国の文化が違う可能性がある
全く別の文化を持って邪馬台国に匹敵するのは投馬国
0543日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 14:10:40.06
>>540
>四国で採れるものは
>九州でも採れる

南四国で採れる「橘」は
北部九州では採れない。  @阿波
0544日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 14:23:35.06
四国説の願望だね
すれ違いですよ
0545日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 14:25:44.50
日本に古くから野生していた日本固有
のカンキツである。本州の和歌山県、
三重県、山口県、四国地方、九州地方
の海岸に近い山地にまれに自生する。
近縁種にはコウライタチバナ(C. nipponokoreana)
があり、萩市と韓国の済州島にのみ
自生する(萩市に自生しているものは
絶滅危惧IA類に指定され、国の天然記念物となっている)。

静岡県沼津市戸田地区に、国内北限の
自生地が存在する。
0546日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 14:54:30.09
>>545

よって、南四国で採れる「橘」は
北部九州では採れない。  @阿波
0547日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 15:22:47.73
橘(たちばな)

「ミカン科の常緑小高木。日本原産唯一の柑橘類とされ,四国・九州・沖縄などに自生。初夏に芳香のある白色の五弁花を開く。

九州でも採れると何度言えば
0548日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 15:25:33.75
橘が四国さんの言うように北部採れないとしたら九州南部、中南部説が再燃するな
0549日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 15:26:53.94
>>548
どっちにしろ四国は無いなw
0550日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 15:29:13.99
>>547
>九州でも採れると何度言えば

北部九州では、採れない と、何度言えばw  

ついでに、「丹」も採れない と、何度言えばw  @阿波
0551日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 15:31:10.32
>>542
投馬国の情報が無さすぎるし
邪馬台国時代には他にも大陸系とか半島系の倭人勢力があったと思う
難民が押し寄せた時期と重なるし
0552日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 15:37:36.52
>>549
>どっちにしろ四国は無いなw

「橘」」も「丹」もどっちも倭国(阿波)には有るんですけどw   @阿波
0553日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 15:40:31.74
雲仙に大人口はなかろう。
せめて筑後平野とか熊本平野でなくちゃ。
0554日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 15:41:41.71
柑橘類は九州の名産品じゃないか。
阿波の馬鹿さ加減には呆れるよ。
0555日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 15:42:52.06
>>554

北部九州では、採れない と、何度言えばw   @阿波  
0556日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 15:45:35.23
>>554
>柑橘類は九州の名産品じゃないか。

品種改良された現代の柑橘類を言う
九州の馬鹿さ加減には呆れるよ。   @阿波
0557日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 15:55:54.14
いつの間にか、倭風土記のスレになったようだ
0558日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 16:03:27.43
>>557
>いつの間にか、倭風土記のスレになったようだ

魏志倭人伝は倭国(阿波)の風土記のようなもの。  @阿波
0559日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 16:55:03.31
邪馬台国には鵲(カササギ)はいない
佐賀のマスコットはカササギ
九州北部消えた
0560日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 17:10:29.63
>>553
島原市と南島原市合わせて8万人いるし
雲仙も合わせれば15万人近く住んでる
0561日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 17:20:07.20
>>553
熊本平野はありかな
福岡は伊都国を糸島に比定しても大宰府に比定しても、魏志倭人伝では起点から500里離れた伊都国方面には行かずにずっと(2000里)南へ行くと書いてある
どう考えても北部九州は無い
0562日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 17:45:51.81
>>560
昔と今は違うだろ。
弥生時代だと食糧生産地が隣接している必要がある。
0563日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 17:50:47.35
上陸したら、
東南へ行って、東へチョコッといって、それからあとは南だそうな。東南〜南南東へ進路を取れ
0564日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 17:53:49.52
東へチョコっとは日向峠だろうね。
その後は太宰府方面かな?
0565日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 17:54:01.25
>>563
了解しました。

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)

↓【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

↓【東南】100里

奴国(二万戸)(田川辺り)

↓【東】100里

不弥国(千戸)(築上町辺り)

↓【南】 豊後水道 水行20日

投馬国(五万戸)(土佐宿毛辺り)

↓【南】水行10日(太平洋ルート)又は陸行1月(旧土佐街道) 途中、阿南の若杉山辰砂採掘現場視察

女王・卑弥呼のおわす 【邪馬台国 阿波】 到着(七万戸)

↓【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)

女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。   @阿波
0566日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 17:57:51.88
>>562
海あり山あり
海の流通も激しい所
食いもんは豊富だ
0567日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 18:01:30.61
>>561
やはり阿久根か?
0568日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 18:08:52.19
海のものは豊富だろうけれど、弥生時代の人口増加を支えたのは、水稲稲作の人口支持力に他ならないわけで、広大な平地が必要だと思う。
まあ、九州北部は該当地域が多くて絞り切れないわけだが、平地が少ないところはどうかと思うわけよ。
0569日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 18:17:43.00
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0570日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 19:15:01.68
>>568
稲作地域は熊本平野で
流通と人口密集地が島原半島だったのかも
米は買い入れれば済むわけだし
0571日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 19:17:41.97
>>567
阿久根だと末廬国に佐世保を比定しなければならなくなる、伊都国はほぼ福岡で固まりつつあるから佐世保は消える
0575日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 20:09:25.28
棚田の水利を確保する技術ができるのはもっと後だろうね。
0576日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 20:28:12.61
地元の海は濁ってる
九州が羨ましい
0578日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/03(木) 23:50:34.73
このきれいな海を見て、魏の使いはもっと南国のイメージを抱いたのかもしれないね。
0579日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 06:03:19.01
>>578
>このきれいな海を見て、魏の使いはもっと南国のイメージを抱いたのかもしれないね。

いや実際に、黒潮が流れ、「橘」が自生する温暖な倭国(阿波)を見たんだよ。  @阿波
0580日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 10:02:40.95
>>577
どう見ても末廬国
0581日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 10:46:59.68
産地云々だと、日本では青玉(サファイア)は採れないので、邪馬台国は日本になかった事になる。
0582日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 11:08:53.50
>>581
奈良県の二上山ではルビー、サファイアが採れるよ。
勿論商業ベースに乗せれるような量ではないけどね。

邪馬台国がどこにあったかは横に置いとくけど、奈良盆地の周辺は火山性の山が多くあり、鉱物資源には恵まれた土地なのよ。

溶岩の質的な問題としてだけど、奈良県と香川県ではサファイアは産出するけど
九州北部の佐賀や熊本県、大分とは溶岩の質が違うので、九州では青玉は採れない。

旧石器時代の2大石器材料がサヌカイトと黒曜石だけど
九州で採れるのは黒曜石
香川県や奈良で採れるのはサヌカイト
0583日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 11:14:34.16
青玉は九州で採れる青雲母のことだよ
弥生時代等の遺跡から青雲母の装飾品が出土している。
0584日本歴史ガクはアホサヨク
垢版 |
2019/01/04(金) 11:16:25.83
【「邪馬台国について」。皆様ご存じと思いますが、江戸時代新井白石がすでに、『魏志倭人伝』は当時の支那人が日本人から古事記の話を聴いて作成したものではないかと推察しています。】

魏志倭人伝は、晋の時代西暦297年に陳寿が書いたものなのであり得ません。中国歴代王朝の正史は書いた時点での王朝が正統であることを証明するためにその前の王朝の正統性を示すことを目的として書かれます。
正統な王朝から易姓革命で生まれた王朝なので正統であるという論法です。外国に関する記述も前の王朝に臣従していたのだから現王朝にも臣従すべきということが背景にあります。倭人伝での見下した書き方もそこに根源があります。
また、三国時代には中原の人口が激減し約400万人といわれています。これは当時の大和朝廷の勢力圏内とほぼ同じです。この強大な東海の君主国に対して中原の覇者の方が上として記述せざるを得なかったので、辻褄合わせのためあのような表現となったのでしょう。
また神功皇后の朝鮮半島での軍威は三国時代から晋の時代の中原の覇者にとっては屈辱的なものであったはずです。したがって、それをごまかすために書かれたパロディーが邪馬台国でしょう。
(當田晋也)
0585日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 11:24:24.15
>>582
宝石の産地で言うなら糸魚川が邪馬台国だな
ここは翡翠以外でも歩いてるだけで宝石がとれる未だにそうなんだから弥生時代は物凄かったはずだ
0586日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 11:27:33.36
翡翠と考えられていた弥生時代の装飾品の多くがよく調べたら青雲母だったんだよな。
0587日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 11:43:52.18
>>585
それは翡翠であって青玉ではない。
0588日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 11:59:26.91
>>583
古代の中国で青玉と言えばサファイアの事だよ。
勝手解釈を加えるのは良くない。
0591日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 12:36:32.59
>>588
それ、本当なの?
翡翠のことだと思っていたが
0592日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 12:52:31.11
>>590
それ伊都国だろ
0593日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 12:58:07.17
>>584
邪馬台国探しが面倒くさくなったら
そんな事言い出すんだよ

魏志倭人伝はけして倭国を見下している訳ではなく見たまま聞いたまま書かれた嘘偽りの無いドキュメント
0594日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 13:49:12.16
>>593
全くその通りだ。
見下していたのなら、「親魏倭王(親愛なるヒミコさま)」なんて金印くれてやったぜー、などと書くはずも無し。
0596日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 14:54:56.19
>>591
普通は青玉といえばサファイアだよ。
翡翠の事を「玉」とは呼んでも「青玉」とは呼ばない。

そもそも中国で翡翠と呼ばれるものと、日本の翡翠は材質も違う別の石だったりする。

中国のは軟玉(ネフライト)と言われるもので、日本のは硬玉(「ジェダイト)と呼ばれるもの。
※そもそもジェダイトは日本では糸魚川流域でしか取れない。
中国の役人が日本の翡翠(ジェダイト)を見て、青玉と呼ぶこと自体があり得ない。
0597日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 15:17:57.29
そもそも日本で言うヒスイは薄い緑色で、中国の濃い緑色の石とは一目で別の石と分かる。
0598日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 15:20:09.51
弥生時代に糸魚川と九州の交流もあったんだな
0599日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 15:28:00.19
>>598
邪馬台国で翡翠が使われてるのはイヨの時代らしい
0600日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 15:55:57.65
九州で青玉は採れないし、中国の役人が糸魚川のジェダイトをヒスイと誤認する事はない。
0601日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 16:06:51.37
日本海沿岸交流は弥生時代の初めからあっただろ。
狭義の倭国は対馬海峡だが、広義の倭は日本海沿岸だろう。
筑紫より前に出雲が倭を代表していたというのも、そこが倭の地理的中心になり得たからだ。
糸魚川も十分に倭の一部。
0602日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 16:07:27.94
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。

筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓         近江→尾張→纏向

宇佐→安芸・伊予→阿波・吉備→淡路島→摂津・河内

【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入

1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入

2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→3世紀初に畿内から庄内式土器が博多湾へ流入

3世紀末に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入

支配は西から東へ拡大し、土器などの産物は王都である筑紫へ
0603日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 16:10:16.28
>>601
九州説をとると、倭国の範囲は本州には及ばなくなるし、倭種について、倭国ではよくわかっていない。
どちらも魏志倭人伝の記述の通り。
0604日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 16:36:04.72
倭国に属さない倭人が本州にも散らばってただけ
0605日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 16:46:01.37
そして日本海では筑紫を中心に盛んな交易は行われており、日本海側の産物は魏の使いも目にすることができた。
0606日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 17:03:50.64
>>588
青玉がサファイアなのは現代の中国語だよ
勝手な解釈を加えてるのはお前
0607日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 17:20:53.98
>>601
縄文時代からだぞ
0609日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 18:21:31.04
日本海側は対馬海流に流された人々が
そのまま住み着いて集落を形成していたから
倭国じゃなくても元は倭人
0610日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 18:47:51.53
さらっとデマを流してるけど
紀元前でも既に対馬海峡に流されても定期便で帰ってこれたからね

流されて集落じゃなくて
自発的に集落開拓
0611日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 18:48:33.28
>>535のつづき
倭人伝・遠絶の彌奴国の4重大環壕(環土壕、環土塁遺構の推定地):
 中津市三保地区の環壕推定地には、中心部に3里×3里ほどの現状田畑の区域があり、
此処が4重の大環濠の中心域になっていたように見える。
この中心域の周辺には、現状は長久寺、妙相寺+菅原神社、若宮神社神域(社そのものは昭和の質素なもの)がある。
長久寺は2里×3里、妙相寺は2里×2里で、前述の佐賀川上・伊都国推定地の大願寺遺構の基本区画とほぼ同じである。、
不思議なことにこれら社寺の正門は、いずれも環壕中心部の1点を向いているように見える。

なお、これら社寺群の外側には、
古代の環壕の形が小径として残ったと思われる同心円状の道が、或絶え、或は連なって4重に取り巻いている。
最外壕は径30余里、おそらく当時は、古木・大樹に覆われた中津の森の大古都として、
倭人・倭種にその名が轟いていたのではないか。
記紀にも云うとおり、下界に降ってまず訪ねるべきは、豊葦原中つ国の森の大古都だったのであろう。
(幸い、大規模破壊からは免れているようなので、完璧な遺構保存と、樹木群の保護復活を望みたい)
0612日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 20:05:20.44
>>610
さらっとデマ流してるけど
帰って来れないとか
どこにも書いてないぞ
0613日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 20:25:52.59
>>606
玉がヒスイ
青玉がサファイアなのは昔からだよ
0614日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 20:28:12.90
「主観的で一方的」=キナイコシ反論動画にあぜん―防衛省
0615日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 21:10:18.27
>>613
なんかソースがあるのか?
0616日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 21:15:19.64
ソースがないと何も飲み込めないキナイコシ
0617日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 21:16:37.26
関東人は醤油が必需品、関西人はソースが必需品。
0618日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 21:28:36.77
>>604
倭人にも色々ある越中で発見された縄文時代の人骨は縄文人と倭人の混血
0619日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 21:32:26.48
>>618
それは6000年前の縄文時代前期のものだね

国立科学博物館人類研究部が人骨の細胞の中にあるミトコンドリアDNA(遺伝子情報)を分析したところ、

小竹縄文人はロシアのバイカル湖周辺や北海道縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に見られる南方系の2系統が混在することがわかった。

縄文時代中期以降の系統と遺伝的なつながりを確認することもできた。一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多い型は見られなかった。人骨のさらなる研究により、

縄文人がどこから来たのか、ルーツ解明が期待される。
0621日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/04(金) 23:09:57.93
>>620
お前がイノシシ顔だ
0624日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 08:26:03.35
魏志倭人伝の青玉は青雲母のことでしょうね。
0625日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 08:26:49.36
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0626日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 08:55:17.95
>>619
>小竹縄文人はロシアのバイカル湖周辺や北海道縄文人に多い北方系と、東南アジアから中国南部に見られる南方系の2系統が混在することがわかった。

この一族はどこへ行ったの?
0627日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 10:03:15.91
中国の南方系ってどこなんだ?
0628日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 11:25:22.65
>>627
モン族、ミャオ族
0629日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 13:34:11.42
>>628
ミャオ族は百越だろ
6000年前だよ
0631倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/05(土) 14:09:54.66
倭人在帶方東南大海之中 依山?為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國

「倭人は帯方東南、大海の中に在り。山島に依り国邑を為す。旧百余国。
 漢の時、朝見する者有り。今、使訳通ずる所、三十国。」

質問@ 「今使譯所通三十國」で、「今」とはいつのこtですか?
     魏の時代ですか、それとも陳寿が三国志を完成させた晋の時代ですか?

質問A 「今使譯所通三十國」で、この30国の言葉は違っていたんですか?

質問B 「今使譯所通三十國」で、この30国には狗奴国は含まれますか?

よろしくお願いします
0633日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 14:30:21.52
質問@三国志魏書に書かれているから「今」は魏の時代
質問A質問の意味が分からない
質問B魏の柵封国と敵対しているから狗奴国は含まれない
0634倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/05(土) 14:34:06.62
質問Aは、現在ある各県の方言をベースに考えて
それ以上違っていたのか、ほとんど違いがなかったのかということです
0635日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 14:39:27.99
>>631
@は、魏の時代で卑弥呼の朝貢の後だろうな

Aは、一国の大きさがどれくらいかによる
もし今の郡程度の大きさならそれほど違いはなかっただろう

Bは、狗奴国は魏に使いを送らず、含まれていないと見るのが妥当だろう
0636日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 14:45:22.95
それと>使譯所通とあっても
魏まで使いを出した国は邪馬台国くらいで
残りは伊都国に常駐してる郡使に詣でただけじゃないか
0638日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 14:57:24.43
30国は女王卑弥呼の配下
魏から任命された倭王に従ってる国々。
0639日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 15:01:51.68
態々岩元学説を持ち出すまでもなく
「使譯所通」は執筆者側からの視点だろ
0641日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 15:06:04.04
>質問A 侏儒國や裸國、黒齒國は遠いから多少は違っていたかも。
0642日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 15:26:48.17
後の時代の万葉集などをみれば方言はあるが理解できないことはなかったろう
それと朝鮮半島南部とも言葉が通じた可能性がある
0643倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/05(土) 16:41:03.99
みなさんありがとうございました 次の質問ですが

從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里

「郡より倭に至るは、海岸に循いて水行し、韓国を歴て、乍南乍東、その北岸、狗邪韓国に到る。七千余里。」

質問@ 「至」と「到」に意味上の違いはありますか?

質問A 「到其北岸狗邪韓國」で、「其北岸」とは倭国の北の対岸という意味ですか?
0644日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 16:52:50.55
質問@「至」は何でも使える「到」は目的地に至る。
質問A 倭の北岸に狗邪韓國が在る、狗邪韓國も倭の一部。
0645日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 17:13:46.90
質問@「至」はA地点からB地点までを直線的に表した場合。
「到」は、途中に「乍南乍東」のような大きく方向転換する地点があることを示す。

質問Aそもそも「倭人あり帯方東南大海の中」であるから、狗邪韓國も倭の一部という解釈は、倭人伝の大前提に反する。。
「其北岸」とは、其(倭地)の北の(対馬海峡を渡った)対岸という意味である。、
0646日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 17:16:16.14
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0647日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 19:17:00.34
俺は倭国の最南端が伊都国と言うのが引っ掛かる
0648日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 19:20:04.14
馬山から対馬西岸に至るメインルート上にある
統営あたりのことを表現するなら
「倭人在帶方東南大海之中」という表現はきわめて適切
0649日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 21:02:50.83
邪馬台国はさらに南だと何度言えば...
0650日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 22:10:01.53
「倭人 在帶方東南大海之中」であって、倭国と言う国は存在しない。
従って、「到其北岸狗邪韓國」は、対馬を経た女王国の北岸と言うこと。

女王国は 福岡筑紫平野の21国
斯馬國 巳百支國 伊邪國 都支國 彌奴國 好古都國 不呼國
姐奴國 對蘇國 蘇奴國 呼邑國 華奴蘇奴國 鬼國 為吾國
鬼奴國 邪馬國 躬臣國 巴利國 支惟國 烏奴國 奴國
であり、 
240年印綬の際 女王之所都 を訪れ
国勢を参問した梯儁が、女王属21国の和名に、この漢字名を当てた。 
そのうえで、女王属21国計7万戸の総称国名として便宜上 邪馬壹國 と命名した。

邪馬台国 投馬国 狗奴国 の概念は、馬韓、辰韓のような概念の国、
韓伝に記された54国名と同じで、21国は領主国、對海國 一大國 は島、
247年に見られる、末盧國 伊都國 不彌國はいずれかの領主国に含まれる都市、港町
狗邪韓國 は 半島南岸領である。

今使譯所通三十國 は一様な概念の30国では無い。
女王国と言う呼称は、238年から247年に、魏が2回の使譯を通じてみた
所詮、女王卑弥呼一代限りの国かもしれない、という感覚で記録された国の呼称。
0651倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/05(土) 23:15:32.47
みなさんありがとうございました

始度一海 千餘里 至對海國

「始めて一海を度る。千余里。対海国に至る。」

質問@ 「渡海」と「水行」はどう違うのですか?

質問A 「對海國」(百衲本)は「對馬國」の誤記ですか?
0652日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/05(土) 23:20:31.47
質問@ 「渡海」と「水行」はどう違うのですか?

水行は沿岸航行、渡海は読んで字のごとく

質問A 「對海國」(百衲本)は「對馬國」の誤記ですか?

もともと当て字なのでどちらでもいいのでしょう
0653日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 01:24:18.13
魏志倭人伝に「其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香」とあり、「樟」つまりクスノキが生えているとある
現代では栽培により本州にも生えているクスノキだが、自生の北限地は福岡県北西部の立花山である
つまり邪馬台国は本州ではない

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163881
> 天然紀念物調査報告(植物之部)第八輯 六六頁 参照
> 樟 Cinnamomum Camphora Nees. et Ebrm. ハ立花山麓ヨリ山腹ニ亘リ大ナル純林ヲ成シ巨樹多シ、樟原始林トシテ代表的ナルノミナラズ
> 同樹林ノ北限地帶トシテ最モ著シキモノナリ
> 立花山々麓から山腹に亘るクスノキの純林でその原始林として代表的であるばかりでなく、自生北限に属するものとして最も価値の高いものである。

https://kotobank.jp/word/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%B1%B1-93499
> ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
> 立花山 たちばなやま
> 福岡県北西部,新宮町,久山 (ひさやま) 町,福岡市東区の境にある山。標高 367m。山体は花崗岩と古生層から成る。
> 南東斜面の久山町にかけて広がるクスノキの原始林は自生北限地として知られ,特別天然記念物に指定されている。
0655日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 07:46:24.84
>>653
>自生の北限地は福岡県北西部の立花山である
>つまり邪馬台国は本州ではない

つまり、北部九州も可能性が低いということ。 
何がどう転んでもやはり、倭国(阿波)。     @阿波
0656日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 08:16:45.67
>>654
そういうのを長々と書くのはブログかチラシの裏にでもどうぞ。
0657日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 09:07:31.87
なるほど、楠はそういう性質だったのか。
かって見たことのない大木の森は、帯方郡の役人には驚きだったろうなあ。
0658日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 09:15:05.15
楠は大木になり、樹脂が多くて虫に強い。

福岡が北限の楠は、本州の方に人手で
植えられて行ったのだろうね。
0659日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 09:29:07.24
>>657
>かって見たことのない大木の森は、帯方郡の役人には驚きだったろうなあ。

「橘」もね。

何がどう転んでもやはり、倭国(阿波)。     @阿波
0660日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 09:39:27.70
「魏志倭人伝」は倭国(阿波)のガイドブック。  @阿波
0661日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 09:40:16.52
>>650
何が根拠で断定してるの?
何となく、自分はそう思うっていう意味ならそう書いてくれないと。
0662日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 10:02:02.94
>>652 名前:日本@名無史さん 2019/01/05(土) 23:20:31.47
>質問@ 「渡海」と「水行」はどう違うのですか?

>水行は沿岸航行、渡海は読んで字のごとく

そういうことだろう。あえて付け加えれば、出向するとき、目的地の島陰が見えない場合に海(大海)を渡ると書いたのだろうな。
ちなみに海上距離が36qを超えると(高い島山は別として)対岸は見えないから、
それ以上の距離がある場合を、渡海と表現したことになる。
0663日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 10:02:47.42
>>661
自分だって勝手な解釈を振り回すだろう?
0664日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 10:08:28.13
>>643
>みなさんありがとうございました 次の質問ですが

>從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里

>「郡より倭に至るは、海岸に循いて水行し、韓国を歴て、乍南乍東、その北岸、狗邪韓国に到る。七千余里。」

>質問@ 「至」と「到」に意味上の違いはありますか?

>質問A 「到其北岸狗邪韓國」で、「其北岸」とは倭国の北の対岸という意味ですか?

回答@
同文または同区で混用されている場合にはある。したがって魏志倭人伝においては「ある」。
至→till または until
到→ reach または arrive at

回答A
倭の北端という意味。「岸」という字は、「山」「厂」「干」に組み合わせでありうる、山と高利用して守る(干)ところで、辺境または涯を意味する。
0665日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 10:10:48.62
>>663
だから、それがわかるように書くか、根拠をつけてくれと言ってる。
0666日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 10:37:20.82
だからそういうのは論文やブログ、チラシの裏にでもどうぞ。
0667日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 10:42:47.75
博多の立花山がクスノキの北限ということは、
福津市にその自然林はなかったということになるか・・・。

ただ、彌奴国推定地とした豊の中津国三毛郡(みけのこおり)の国衙には、クスノキの森が広がっていたとみてよかろう。
クスノキは防虫剤の樟脳も取れる薬用樹だ。数百年にわたる三毛・彌奴国の弥生人の生活を支えてきた貴重品だったに違いない。
0668日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 11:07:14.76
この彌奴国推定地とした豊の中津国三毛郡(みけのこおり)の国衙遺構は、
同心円状の4重の土壕、土塁、或は木柵群で取り囲まれていたように見受けられる。
空撮MAPで途切れているように見える部分も、
拡大写真では、小径・田のあぜ道・集落の裏路のような形で、ぐるり周回している。
その総延長は100qレベルで、発掘調査すれば、木杭の列痕が延々出土するのではないか。
弥生時代数百年の長きをかけて発展完成したであろうこの麗しき国衙の総面積は、おそらく1000ヘクタールにのぼる・・・。
0669日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 11:12:02.36
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0670日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 11:38:35.93
邪馬台国だけが朝貢していたから
邪馬台国は中国の傘下の国だったと見て
間違い無いんじゃなかろうか?
後の大和朝廷とは別の勢力だったからこそ
見つからないんじゃね?
0671日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 11:51:14.00
>>665
倭人伝を根拠に 断定しているわけだが?

それがわかるように書く 為には
どの解釈部分が判らないか?
どの解釈部分に意義があるか?
または、解釈の対論を示すか?

であれば、この ちら裏でレス も可能
あるいは 同意や理解不能 というのも あるのですが
単に、根拠示せ! なら、

倭人伝を正しく読む、スレ的には、
理解不能なら、判るまで原文読めば? 
しかない。 

と断定したい、と思う、気がするかもしれないwww
0672日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 11:56:19.56
>>670 名前:日本@名無史さん 2019/01/06(日) 11:38:35.93
>邪馬台国だけが朝貢していたから
>邪馬台国は中国の傘下の国だったと見て

おいおい、そりゃ違うんじゃないの、
倭30国の共立女王として、魏王朝にお祝いの贈り物をした。
だから答礼として「親魏倭王(親愛なる倭30国の王)」の金印紫綬をもらったわけだ。
0673日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 12:00:14.59
>>671
>倭人伝を正しく読む、スレ的には、


倭人伝を正しく読めば

「魏志倭人伝」は倭国(阿波)のガイドブック と、何度言えばw  @阿波
0674日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 12:12:26.13
彌奴国推定地とした豊の中津国三毛郡(みけのこおり)の国衙だが、
景行天皇・仲哀天皇・神功皇后らの物語は、この中ツ国三毛郡大国衙を根拠地にしていた王たちの物語だったのではないか。
邪馬台国勢力が三世紀後半〜四世紀前半に東へ向かったために生じたあるじなき倭国の再編成に彼らが乗り出し、
そして次の応神天皇の技術力・財力と知力を以て、後の倭の五王につながる時代の幕開けになったように思える。
0675日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 12:14:34.98
>>674

妄想は立派に語れるんだがねぇ・・・・  @阿波
0676日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 12:23:53.01
魏志倭人伝に書いてる事を忠実に鵜呑みにすると、弥生時代の80〜100歳の老人の人骨が多く出てこないと、比定できない。
0677倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/06(日) 12:34:40.61
みなさんありがとうございました 次の質問ですが

至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶? 方可四百餘里 
土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴

「対海国に至る。その大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。居する所は絶島、
方四百余里ばかり。土地は山険しく深林お多し。道路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。
良田無く、海物を食し自活す。乗船、南北に市糴す。」

質問@ 「其大官日卑狗 副日卑奴母離」この官は一大國と同じですが、
      邪馬台国(女王国)から派遣された官人なのですか?

質問A 「有千餘戸」ここでの「戸」の概念は?
0678倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/06(日) 12:40:11.16
もうひとつありました

質問B 倭人伝に出てくる戸数は実際に魏使あるいは郡使が調査したものですか
      それとも倭人からの申告でしょうか?
0679日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 12:52:01.73
>>675
なあ、@阿波よ。
同じ妄想なら、豊葦原中つ国の1000余ヘクタールの美麗すぎる大国衙とか、お正月らしく雄大な阿波物語を語ってみよ。
もしかしてホントだったのかも(だったらいいなあ)・・、とギャラリーは思ってくれるだろう。
0681日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 13:03:43.63
>>672
釜山と北九州しかなかった国が魏と対等だったと?
0683日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 13:25:12.39
>>680
なかなか立派で貴重な遺跡群ではないか。
ただ、壺の砂鉄の加工をするのは良いが、工房から火事を出していかんな。記事元に伝えておくが良かろう。

>「村から国へ」 鉄器加工を始めた 弥生の大集落  矢野遺跡 概 説
> 北部九州とほぼ時期を同じく鉄器加工を開始 また 終末期には壷に入れた砂鉄を火事工房内に持っていた
0684日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 14:18:29.33
>>682
てんが北九州に移動してきたのかな?
0685日本@名無史さん
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2019/01/06(日) 14:25:28.82
>>679
>もしかしてホントだったのかも(だったらいいなあ)・・、とギャラリーは思ってくれるだろう。

「もしかしてホントだったのかも」とギャラリーは思ってくれたことであろう!  @阿波
0686日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 14:37:57.63
>>677
200年の日本に 官 なんて有るわけ無いでしょw
剣や弓を持った兵や生口という概念はあるんで、領主が治めていたはず。

村長程度の 領主=大夫と、格差序列の有る、家長制が 戸の概念。
参考は
有屋室 父母兄弟卧息 異處
名之為持衰 若行者吉善 共顧其生口財物
其會同 坐起父子男女無別 人性嗜酒 見大人所敬 但搏手以當跪拝
其人寿考 或百年 或八九十年
其俗 国大人 皆四五婦 下戸或 二三婦 婦人不淫不妬忌
不盗竊少諍訟 其犯法 軽者没其妻子 重者没其門戸及宗族
尊卑各有差序足相臣服 収租賦有邸閣
これだけ? から、察するに、

大人4〜5婦、下戸 2〜3婦、で
家族で住んで、奴隷が有って税金が有るから、戸数は、納税者の数だろう。
人口的に多すぎるようなんで、一戸としての、分家も有るはず。

外国人旅行者が調査なんて何年かけても、できっこないから、
魏使が有力そうな 通訳案内人=官 を金品で雇って参問した。

他にあるかね? ←憶測じゃなくて断言しろってかwww
0687日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 14:58:44.67
魏志倭人伝の内容を矮小化して倭国の文化を卑下してどうするんだよ。
0688日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 15:02:34.98
倭国の文化を卑下するのが目的なんでしょw

この小賢しい感じはキナイコシwww
0689日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 15:10:53.70
官以前の問題として納税者なんていないだろ
私有田なんてないしリーダーを中心とした集団耕作だったはず
0690日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 15:13:04.15
魏志倭人伝に租税を徴収したとあるが
0692日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 15:51:43.89
>>691
それ、何か意味ある?
0693日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 16:33:24.44
納税ゼロの貧しき者だらけは、
畿内奈良盆地の倭種のクニのお話だったんじゃないの
0694日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 16:59:51.11
土地や農地、ヒトの私有化は弥生化の基本だけど、税じゃなきゃ
集落ごとで領主が全取りとか、王が全取り、ってのは無理じゃないかな?
>収租賦有邸閣
通貨性高い米に関してはすべて税の為の奴隷労働生産って場合はあるかも?
でもそれじゃ愚民化の収奪社会だし、律令とかでも普通に社会化したんじゃないの?
家族<氏族<領主、が有って、兵の私有、軍事的法治から、地域王でしょ?
0695日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 17:20:57.63
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0696日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 17:42:44.32
>>686
>200年の日本に 官 なんて有るわけ無いでしょw
剣や弓を持った兵や生口という概念はあるんで、領主が治めていたはず。

一大国の元の王が官になったんだろうな
卑弥呼が倭王になったので各国邑の王は官へ降格した。
0697日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 17:45:49.20
>>686
>外国人旅行者が調査なんて何年かけても、できっこないから、
>魏使が有力そうな 通訳案内人=官 を金品で雇って参問した。

有と書かれてる戸数は郡使が実際にざってと数えたもので
可と書かれてる戸数は推測を含む数字ですよ。
0698倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/06(日) 18:06:52.05
又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 
方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴

「又、南、一海を渡る。千余里。名は瀚海と曰う。一大国に至る。官は亦た卑狗と曰い、
副は卑奴母離と曰う。方三百里ばかり。竹木叢林多し。三千ばかりの家有り。
やや田地有り。田を耕すも、なお食するに足らず。亦、南北に市糴す。」

質問@ 「瀚海」は倭人がつけた名前ですか?それとも中国や韓の命名ですか?

質問A 「一大國」は「一支國」の誤記ですか?

質問B 「有三千許家」 この「家」は「戸」とどう違いますか?
0699倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/06(日) 18:14:44.74
もう一つ

質問C 「方可三百里」の「方」とは周囲の長さですか? 縦+横ですか?
それとも1辺の長さですか?
0701日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 18:43:04.70
>>697
ヘリコプターででも見なきゃ ざっとも数えらんないでしょw
有と可の違いは、教えてくれてありがとう。

可○○戸 は
240年の参問で、邪馬台国21国の総数が7万戸
投馬国は国勢不明だけど領主国の集合体の国?で5万戸
国勢だから、逆に戸籍的調査なのでは?

247年の行程中の、里程が示せる、
寄港寄宿の都市や集落では 有○○戸ですね。
官の申告で丸投げ、かも?

それと、不彌國 一大國 が 戸でなく家 なのは、
戸籍的調査でなく、使譯が見た感じなのかもしれない。

漢字の使い方は、始度一海とか南渡一海、渡一海みたいな
熟語の成熟していない古代の方が、逆に厳密かもしれない。
0702日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 19:01:53.71
>>698
3 かぶったな^^w

「瀚海」表意文字だから中国語だよ。 
漢時、公孫氏が半独立以前に、何らかの報告を残してるんじゃないかな?

>「一大國」は「一支國」の誤記? 
対馬 同様、表意文字だけど、壱岐 が 一大 は、漢字の間違いっぽい。

最初から表意文字地名の場合は 和音で イキ だったかは、
卵か鶏かでw 判らないから、どっちでも良いかもw
0703日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 19:02:02.26
>>684
57年の倭国と同規模だね
0704日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 19:05:30.48
>>696
>卑弥呼が倭王になったので各国邑の王は官へ降格した。

同意
0705日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 19:25:42.35
>>704
240年 郡から 女王の所都は、1万2千里
247年 郡から 女王国の首都は伊都、1万500里
卑弥呼を所属21国の王が共立して首長国代表になったのは190年位かな?

王が官へ降格って何? 女王共立国 所属21国の王でしょ?
247年の伊都は 丗有王皆 統屬女王國 郡使 往來 常所駐
女王属国の王や使者が往来、駐する首都。

倭人伝の官は、狗奴国や半島や島の不属女王国にも居るけど
日本へ初探検の魏使は、この官をいったい誰の官僚だと・・・ 
0706日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 19:43:34.39
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0707日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 20:00:43.57
魏からしてみれば、王と呼べるのは魏が冊封した卑弥呼だけ。
ただし王を自称する狗奴国の王についてはそのまま記録した。
もともと倭では皆が王を自称していたとあるので、魏志倭人伝の官は元の王たちでしょう。
だから任命された官僚というのとは少し違う。
0708日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 20:05:33.80
>>682
ワ族ってなんだよ
続きがめっちゃ気になるんだが...
0709日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 20:09:28.08
238年に初めて魏に朝貢してるわけだが、その前は倭国大乱の時代だ。

男王が立って、7、80年統治してた時代があって、国邑が争い合ってた時代だったわけだから
卑弥呼は即位した直後から魏の後ろ盾を得て権威付けを必要としていたはず。
卑弥呼の即位年は早くても230年代はじめてから、下手したら238年に即位して即朝貢した可能性の方が高い。

そもそも倭国大乱が完全に収まっていたわけではなく、南の狗奴国との争いはまだ続いていたわけだしね。

魏から見て、倭国の王(代表者)は親魏倭王である卑弥呼の事ではあるが
倭国内で争ってることも承知してるので、卑弥呼に従わない王がいる事も理解してたんでしょう。

国邑合わせて30の代表が卑弥呼。
他に伊都国にも王はいたと書かれてるし、それぞれの国の規模的に、邪馬台国と伊都国が国の規模で、他は邑の規模だったのではないかな?
0710日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 20:22:28.04
>>708
長江流域の「倭族」
倭・倭人を日本列島に限定しないで広範囲にわたる地域を包括する民族概念として「倭族」がある。

鳥越憲三郎の説[4]では倭族とは「稲作を伴って日本列島に渡来した倭人、つまり弥生人と祖先を同じくし、また同系の文化を共有する人たちを総称した用語」である

鳥越は『論衡』から『旧唐書』にいたる史書における倭人の記述を読解し、長江(揚子江)上流域の四川・雲南・貴州の各省にかけて、複数の倭人の王国があったと指摘した。

その諸王国は例えば『史記』にある国名でいえば以下の諸国である。滇(てん)、夜郎(貴州省赫章県に比定され、現在はイ族ミャオ族ペー族回族などが居住)、

昆明、且蘭(しょらん)、徙(し)、キョウ都(現在の揚州市カン江区に比定)、蜀、巴(重慶市)など[4][6][4]。鳥越は倭族の起源地を雲南省の湖テン池(滇池)に比定し、水稲の人工栽培に成功したとし、

倭族の一部が日本列島に移住し、また他の倭族と分岐していったとした分岐したと比定される民族には、イ族、ハニ族 (古代での和夷に比定。またタイではアカ族)、タイ族、ワ族[8]、ミャオ族、カレン族、ラワ族などがある。

これらの民族間では高床式建物、貫頭衣、注連縄などの風俗が共通するとしている
0711日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 20:22:42.04
>>705
「女王国」と「女王」の使い分けを錯誤してるな。
0712日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 20:37:27.23
>>710
日本人の先祖は首狩り族だったのかよ
0713日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 20:47:34.59
>>709
>他に伊都国にも王はいたと書かれてるし、

伊都国の王が卑弥呼ですよ
魏から柵封された伊都国の倭王の卑弥呼と王を自称している狗奴国の王の卑彌弓呼
魏代にはこの2人が倭の王でこれ以外に王はいない。
0714日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 20:47:55.43
>>710
鳥越憲三郎は考古学者じゃないし、中国大陸から渡来定着したと謳っている
考古学者など一人もいない。


だいたい中国の倭族の一部が日本列島に移住した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と龍信仰と亀卜と、
渡来時に伝わった中国系言語の単語は?
0715倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/06(日) 21:13:25.79
又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 
方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴

「又、南、一海を渡る。千余里。名は瀚海と曰う。一大国に至る。官は亦た卑狗と曰い、
副は卑奴母離と曰う。方三百里ばかり。竹木叢林多し。三千ばかりの家有り。
やや田地有り。田を耕すも、なお食するに足らず。亦、南北に市糴す。」

質問@ 「瀚海」は倭人がつけた名前ですか?それとも中国や韓の命名ですか?

質問A 「一大國」は「一支國」の誤記ですか?

質問B 「有三千許家」 この「家」は「戸」とどう違いますか?

質問C 「方可三百里」の「方」とは周囲の長さですか? 縦+横ですか?
      それとも1辺の長さですか?

よろしくお願いします
0716日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 21:14:40.33
[卑奴母離]は[奴母離]の裨官だから[奴國]にも配置されている
[奴母離]は[壹大率]のその機能を表現する謂い
壹大率は壹都[yi-tu]を治所として壹那[yi-na]を仕切る倭州率衆王で
使節の長として銀印青綬をゲット
次使のいまひとりの倭州率衆王もこのとき同時に銀印青綬をゲット
次使の倭州率衆王は五萬戸を率いる酋長であろうことは否定しにくい
0717日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 21:15:00.58
>>709

いろいろと間違えていますね。
王についてはすでに上で指摘されている通りで、伊都(邪馬台国)の倭王卑弥呼と狗奴国の王(多分、倭王を自称していた)だけです。
倭国大乱は桓帝・霊帝(146年 - 189年)の間であり、190年頃には卑弥呼が共立されたと考えられています。
ちなみに三国史記には173年に卑弥呼の使いが新羅を訪問したとあります。
0718日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 21:16:55.96
>>716
「ヒナモリ」は日本語だぞこら。
勝手に分解するなよ。
その他も一行残らずデタラメだな。
0719日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 21:27:13.43
[卑奴母離]は[裨㚢牟利]と綴るとその内容が理解しやすい
[牟利]は[鉾利]のことで[mo-ri]ないし[mou-ri]と発声され
王権に関連する威信具としても各地に下げ渡されている
0720日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 21:39:09.17
そもそも五萬戸を従える國というのは
漢代の[縣國之制]の[國]のレベルの行政区としての[國]ではなくして
サイズ的にいうと[郡]レベルのサイズの[國]である
[郡]の長官が銀印青綬をゲットするのと同様に
2名の倭州率衆王も[郡]の長官と同列の扱いを受けていることを
よく理解すべきだ
0721倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/06(日) 21:39:33.65
又渡一海 千餘里 至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 
草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺皆?没取之

「又、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。四千余戸有り。
山海に浜して居す。草木茂盛し、行くに前人を見ず。魚鰒を捕るを好み、
水、深浅無く、皆、沈没してこれを取る。」

質問@ 倭語を漢字表記する場合、一字一音になってる例が多いのですが
     「末盧」は違う気がします これはなぜですか?

質問A 「末盧」はどこに比定されますか?
0724日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 21:43:43.53
>>718
命名と言うか音だけの、和名に 漢字を当てたものです。

卑奴は当て字したのが、倭人船上という場面の状況で張政と判りますから、
奴国の奴は共用で、奴国の役人と言う名乗りで、母離が名なのではないかな?

247年の旅には、張政が駐留を強いられた伊都一大率以外、帰国まで随行してます。
0725日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 21:45:26.77
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0726日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 21:49:45.53
>>720
括弧とか漢字の使い方が独特すぎて読みにくいのですが、なんとかなりませんか?
0727日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 21:55:17.10
倭語はもともとのが漢字表記だろ
[東方人]というタイトルで
[倭人]の一派のローカルな漢字使用例のレポートも
添付されているわけだし
正始八年(247)以降に半島情勢が安定化した後に
「遂周觀諸國 采其法俗小大區別各有名號可得詳紀」だから
諸國周觀の結果としてのレポートとして読むべきところを
魏使のレポートのぱくりだとかとかあほうな妄想をしている
0728日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 21:59:08.91
>>721
半島系や北方系だと案外曖昧じゃないかな?

奴王/(難)升米
都支王/(都市)牛利 
巳百支王/(伊聲耆)掖邪狗

末盧? マッロ? 
に 何の字 を当てるかは
張政、梯儁、帯方郡の役人、でも違う。
0729日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 22:01:06.97
>>715
質問@ 中国ぽいな?
質問A 「一大國」は「一支國」の誤記でしょうね。
質問B おれも教えて欲しいw
質問C 縦+横ですね。郡使の測量隊が島の海岸を北から南まで歩いて測ったんでしょうね。その間に船は島の沿岸を北側の港から南側の港に廻航。

>>721
質問@ 「末盧」は「松浦」でしょう。
質問A 東松浦半島から糸島市西部。(西の端は不明)
0730日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 22:04:48.08
末盧や伊都は昔から大陸に知られた地名なんだろう
だから伊都は卑字が使われていない
0731日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 22:08:46.71
>>721
そうかw 「末盧」はどこに比定?

糸島半島北岸か北西だが、
この名前は、和名じゃ無いかもしれない。
表意?

張政は、王船の母港とは思えない糞藪で下船した。
無駄に500里歩かされた可能性が高い。
推して知るべし。
0732日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 22:23:43.36
>>730
国名
邪馬台国 投馬国 狗奴国

邪馬台国属21国
斯馬國 巳百支國 伊邪國 都支國 彌奴國 好古都國 不呼國
姐奴國 對蘇國 蘇奴國 呼邑國 華奴蘇奴國 鬼國 為吾國
鬼奴國 邪馬國 躬臣國 巴利國 支惟國 烏奴國 奴國

都市または島、港
狗邪韓國 對海國 一大國 末盧國 伊都國 不彌國

魏時で 張政または梯儁の命名以外で 大陸に知られた可能性のある地名は
(委)奴国 對海國 一大國 投馬国 狗邪の(韓)位でしょ? 
0733日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 22:29:09.32
むしろ沿岸の港を持つ国のほうが知られていたんじゃないか
0734倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/06(日) 22:39:40.87
東南陸行 五百里 到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 
有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐

「東南陸行。五百里。伊都国に到る。官は爾支といい、副は泄謨觚、柄渠觚という。
千余戸有り。世、王有り。皆、女王国に統属す。郡使往来し常に駐する所。」

ここはたいへんに問題のある部分だと思いますが

質問@ 「伊都国」は現在の糸島でしょうか?

質問A 「丗有王」は代々王がいたという意味ですか?

質問B 「有千餘戸」は、魏略逸文では「戸万余置」となっていますが
      どちらが正しいのですか?

質問C 「皆統屬女王國」での「統属」とはどのような意味合いですか?

質問D 「郡使往来し常に駐する所」帯方郡使はいつ頃まで常駐していたのですか?

よろしくおねがいします
0735日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 22:47:10.10
>>733
魏=中華は、日本の事を、何も知らないんだよ。

東夷伝序文、倭人伝評、は、二回の使譯が
魏において初めて東夷の倭を紹介した事を評価している。

日本は、BC200年以前から青銅を輸入している。 魏が滅ぼした
239年滅亡の公孫氏や、246年滅亡の韓王朝とは、友好国に決まってんでしょ。

日本は、魏と邪馬台国外交を終わらせた、247年以降、
高句麗戦で、新羅、百済の建国に協力し、313年四郡追討、
馬の移入や、鉄の国内生産と言った富国強兵に成功している。

卑弥呼は九州の小国の女囚に過ぎない、ってよ。
昔からwww
0736日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 22:57:28.74
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0737日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 23:05:00.56
>>734
質問D 郡使は240年と247年の2回しか来てないよ。

糸島北岸から南東500里が伊都なら、早良付近でしょ?

常に往来し駐するのは、女王国に統属する21国の世有王やその使いでしょ。
247年の郡使の張政は伊都の一大卒で、足止め検閲 されてはいた。

>王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯
は、邪馬台国には既に 如刺史 によって、国家主権が無い事を意味する。

残念だね。ありがとね。おやすみ。
0738日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 23:20:00.06
>>737
梯儁は魏使だな 張政も郡から来たが身分は魏使
それ以外に>郡使往來常所駐とある
0739日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 23:39:05.65
>>734
質問@ 現在の糸島市東部。
質問A 「魏の世に王がいた」の意味。
質問B 魏略逸文の「戸万余置」は奴国も含まれている。
質問C 伊都国に倭の国々が全て従っていたの意味。
質問D 公孫氏時代から魏の梯儁、張政まで。
0740日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 23:43:43.59
>>717
魏志倭人伝に書かれている通りに読めば、伊都国と邪馬台国にそれぞれ王がいた事になる。

邪馬台国についての記述
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸

伊都国についての記述
東南陸行 五百里 到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐

「南至邪馬壹國 女王之所都」は、普通に読めば、邪馬台国は女王の都としか読みようがない。
0741日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 23:56:53.37
>>740
「南至邪馬壹國 女王之所都」は邪馬壹國の中に女王の都が在るとの意味
「丗有王」で伊都国に魏の世に王がいたとあるから
女王の都である伊都国が邪馬壹國の中に在るってことになる。
0742日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 23:59:52.11
>>735
「日本国」が歴史に登場するのは7世紀を待たなくてはいけない。
それまでは全て倭として登場して、卑弥呼の称号は親魏倭王だ。
新羅や百済の相手をしたのも、百済から仏教を輸入したのも、隋に「日出処の云々」国書を送ったのも、倭だ。
0743日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 00:27:55.27
>>741

>邪馬壹國の中に女王の都が在るとの意味
南至はどこへ消えた?

伊都国の王は「皆統屬女王國」でもあり、伊都国の王が卑弥呼であるなら
王である卑弥呼が、女王国に従属してましたとなり、意味が通らなくなる。

そもそも伊都国にも邪馬台国にも、官と副官の記述があり、それぞれ個別の国邑である事は自明
女王国の総称が邪馬台国であるなんてことはない。
0744倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/07(月) 07:37:17.99
東南陸行 五百里 到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 
有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐

「東南陸行。五百里。伊都国に到る。官は爾支といい、副は泄謨觚、柄渠觚という。
千余戸有り。世、王有り。皆、女王国に統属す。郡使往来し常に駐する所。」

ここはたいへんに問題のある部分だと思いますが

質問@ 「伊都国」は現在の糸島でしょうか?

質問A 「丗有王」は代々王がいたという意味ですか?

質問B 「有千餘戸」は、魏略逸文では「戸万余置」となっていますが
      どちらが正しいのですか?

質問C 「皆統屬女王國」での「統属」とはどのような意味合いですか?

質問D 「郡使往来し常に駐する所」帯方郡使はいつ頃まで常駐していたのですか?

よろしくお願いします
0745日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 08:09:06.37
伊都国は大宰府
邪馬台国は末廬国からずっと南
伊都国からも南
0746日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 08:18:44.81
てん、越、呉が倭国のルーツだとしたら
倭国は漢民族以外の大陸民族の最終集合場所
0747日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 08:22:21.92
>>743
>伊都国の王は「皆統屬女王國」でもあり、伊都国の王が卑弥呼であるなら
>王である卑弥呼が、女王国に従属してましたとなり、意味が通らなくなる。

ここの皆は倭の国々を指し、倭の国々は女王国に従属してましたとなり
卑弥呼が倭の国々を従えていたの意味
魏略では同じ所が「其国王皆属女王也」と書かれており皆は倭の国の王達である
魏志倭人伝でも同じで皆は倭の国々を指しているのである
であるから「丗有王」は単に魏の世に王がいたの意味。

>そもそも伊都国にも邪馬台国にも、官と副官の記述があり、それぞれ個別の国邑である事は自明
>女王国の総称が邪馬台国であるなんてことはない。

現代で言えば伊都国の官は地方公務員、邪馬台国の官は国家公務員。
0748日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 08:26:36.03
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0749日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 08:47:18.39
伊都にいた大率の仕事の内容は内務大臣で、百済における大率も内務大臣だけどね。
地方官ではないよ。
0750日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 08:54:08.78
>>749
伊都国に一大率はいないよ、一大率がいたのは女王国以北の諸国です。
0751日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 08:57:18.26
>>747

>現代で言えば伊都国の官は地方公務員、邪馬台国の官は国家公務員。

それは単なる勝手解釈では?

邪馬台国が別の土地にある国邑である事は、魏志倭人伝に書かれてる通り。
0754日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 09:40:27.28
どうしてもすべて北部九州に収めたい人がいるから、北部九州になるようにしか読まない
歴史の含蓄にうるさい人ほど誤読癖が強くなる傾向
0755日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 10:14:11.41
>>754
読みたくない、自分の信じる説に沿わない文面を無かったことにしたり、独自の解釈をさも公然の話のように語るからねぇ
0756日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 10:36:52.09
>>755
>読みたくない、自分の信じる説に沿わない文面を無かったことにしたり、独自の解釈をさも公然の話のように語るからねぇ

その文面や解釈とは、たとえば「其山有丹」や「橘」や「楠」のことだね。  @阿波
0757日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 11:10:39.41
そもそも伊都国は海に面した湊町であり、ヒトモノが行き交ったり、大率が居たりする要所ではあるが
その規模は1000戸程度の比較的小さな邑に過ぎない。

奴国が2万戸、投馬国で5万戸、邪馬台国は7万戸と、伊都国とは比べ物にならない規模の大きな国がある。

これで伊都国に卑弥呼がいて、女王国の首都だったと言うのは、流石に度が過ぎる妄想と言わざるを得ない。
0758日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 11:10:53.56
>>754
どう考えても北部より南だ
伊都国に卑弥呼はいない
魏志倭人伝での伊都国は読んで字の如く
末廬から500里東南の場所にあると言うだけで
そこがゴールでは無い
0759日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 11:12:31.66
>>757
海に面した港町は奴国
伊都国は内陸部
0760日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 11:17:37.89
>>759
魏志倭人伝には津があると書いてある。
0761日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 11:29:30.57
倭人伝の文面からは、
伊都国に津があったのか、伊都国から津のある場所へ出向いたのか、はっきりしない。
今のところ、どちらとも読めるが、妥当なところだろう。
0762日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 11:54:36.11
中国語は英語の語順に似ているので、英語的な読み下しが適する。
それを、無理やり日本語の語順で読む人がいて、ごちゃごちゃな解釈になっているように思える。

もう一つ、倭人伝は歴史書なので、基本的に、全て過去形で読まなくてはならない。
なのに、時折、現在形を織り交ぜ、得意満面で陳解釈を加えようとする人がいるように感じるな
0763日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 12:50:25.12
「菜の花や 月は東に 日は西に」

月は東・・に 日は西・・に、昭和人間には、懐かしい一節だが、
最近は、この「・・に」という古めかしい使い方をしなくなったようだ。
しかし、皆統属女王国、の部分は、この古めかしい使い方であって、女王国・・に、統属すると読む。
0764日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 13:02:39.82
「京の五条の橋の上、大の男の弁慶は・・・」

これも昭和人間には、懐かしい一節だが、
この「・・の、・・の、・・の」という古めかしい言い方も、
最近の若者は、とんと使わなくなり、さっぱり馴染みがないようだ。
しかし、邪馬台国女王之所都の部分も、この古めかしい言い方の一例であり、邪馬台の国の女王の都、と読む。
0765倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/07(月) 13:08:25.16
東南至奴国 百里 官日?馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸

「東南、奴国に至る。百里。官は?馬觚と曰い、副は卑奴母離と曰う。二万余戸有り。」

質問@ 「奴国」は今の博多近辺でいいのでしょうか?

質問A 伊都国が「有千餘戸」、奴国が「有二萬餘戸」なのに、
      伊都国にだけ王がいたのはなぜですか?

よろしくお願いします
0766日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 13:22:26.50
>>761
末廬国から東南500里に進めば内陸しかない
川はあるけどな
0767日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 13:50:36.54
>>760
魏志倭人伝に書かれてる津は呼子か名護屋浦だよ。
>>763
皆統属女王国・・・これ魏略と比較すれば「倭の国々が全部、女王国に統属していた」って意味で伊都国の王が女王国に統属していたって意味じゃないのは明白なんだよな。
世有王・・・魏の世に伊都国に倭王が居た。
>>765
質問@ 「奴国」は今の福岡市とその周辺ですよ。
質問A 伊都国が女王卑弥呼の居たところ都だから。奴国は奴(民衆)の国。
>>766
末廬国から東南500里は糸島市東部
実際には略東だが、道順がになみ南に進んで東に進んだので勘違いした
糸島市東部から呼子や名護屋浦方面は見えないから間違いに気づかなかった。
0768日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 14:25:46.55
>実際には略東だが、道順がになみ南に進んで東に進んだので勘違いした
>糸島市東部から呼子や名護屋浦方面は見えないから間違いに気づかなかった。

21世紀の自分の読み違えを、三世紀の中国人のせいにして逃げようというのだな、こざかしすぎる・・
0769日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 14:28:16.82
>>767
奴は港
0770日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 14:36:01.96
>魏志倭人伝に書かれてる津は呼子か名護屋浦だ

末廬国の事を言ってるの?
このスレ的には末廬国=唐津市は破綻してるかな

末廬国は糸島臭でいっぱいだ
加布里で距離も立地も合う、奴国は三雲、伊都国は大宰府
0772日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 16:22:22.72
魏志倭人伝を正しく読むと魏志倭人伝に書かれてる津は呼子か名護屋浦だよ。
0773日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 16:24:57.62
>>768
魏使の立場になって考えるてるだけです
現場に行かずに地図を見て考えてるだけではだめだよ。
0775日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 16:44:46.79
>>767
魏略自体が散逸して原本が無い状態なんだが、信憑性に難があるぞ
0776日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 18:12:38.49
倭人伝を正しく読むと、水行(沿岸航行)と渡海はきっちり分けてある。
つまり、水行二十日、水行十日などの起点が帯方郡や狗邪韓國ではありえない。
また、同じ文中で「倭人在帯方東南大海之中」「自郡至女王國 萬二千餘里 」と、帯方郡基点の場合は文意が明確になるよう省略せずきちんと記載してある事からも明らか。

邪馬台国以前に記載される国邑の比定地は諸説あるものの、概ね北部九州が定説。

邪馬台国は北部九州のどこかから、水行二十日(投馬国)+十日以上の距離になる。
0777日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 18:23:13.54
>>776
>邪馬台国は北部九州のどこかから、水行二十日(投馬国)+十日以上の距離になる。

だから、そこが倭国(阿波) と、何度言えばw  @阿波
0778日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 18:48:58.54
陸行一月の記載がある以上、四国ではあり得ない。
水行30日+陸行一月だとすると、四国の範囲は軽くオーバーする。
最狭部数百メートルの関門ならいざしらず、陸行のみでは四国にたどり着けず、水行「または」陸行の解釈もあり得ない。
0779日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 18:49:37.50
>>772
あり得ないかな
0780日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 18:54:52.31
魏志倭人伝を正しく読んだら佐世保松浦かな
0781日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 18:55:20.54
>>778
>陸行一月の記載がある以上、四国ではあり得ない。

投馬国(五万戸)(土佐宿毛辺り)

↓【南】水行10日(太平洋ルート)又は、陸行1月(旧土佐街道) 途中、阿南の若杉山辰砂採掘現場視察

女王・卑弥呼のおわす 【邪馬台国 阿波】 到着(七万戸)

↓【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)

女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。

当時の畿内は文化後進国の倭種なり。
0782日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 19:14:43.50
>>780
距離を正しく読んだらな
でも塩田や潜木にはそれらしい遺跡がないから
それらしい遺跡とそれらしい風景も考慮しなければならない
0783日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 19:19:11.59
近代以前の徒歩での一日の踏破距離は30km程度だと言われる。
未整備悪路を考慮してその半分だとしても1日15km。一月なら450km。
土佐街道では距離が合わない。
0784日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 19:21:30.56
倭人
倭種

毛人
0785日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 19:33:52.00
>>783
>未整備悪路を考慮してその半分だとしても1日15km。一月なら450km。
>土佐街道では距離が合わない。

「陸行一月」
陸行一月区間(旧土佐街道 別名土佐浜街道)  河川は川船で渡船

投馬国(土佐国宿毛) ➡ 魏使一行 阿南市若杉山辰砂採掘現場視察 ➡ 女王国(阿波国鮎喰川下流域集落群)

距離約350km 歩行速度11.7km/日   @阿波
0786日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 19:36:29.32
魏志倭人伝を正しく読めば
魏使一行 阿南市若杉山辰砂採掘現場視察
と解釈できる記述は存在しないことがわかる。
0787日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 19:41:41.91
>>786
>魏使一行 阿南市若杉山辰砂採掘現場視察
>と解釈できる記述は存在しないことがわかる。

そだね。  陳寿さんの補足です。  @阿波
0788日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:00:46.66
魏志倭人伝を正しく読めば、辻褄が合わなさ過ぎて「魏志倭人伝は正しくない」という事が解る。
0789日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:02:52.07
>>761
隣の国邑からわざわざ移動するのを、どちらでも取れる、不確定とかやりだしたら、何でもありになる詭弁だよ。
0790日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:15:51.62
>>788
陳寿は頭がおかしかった説には同意し兼ねるねw
辻褄が合わないのは読み方がおかしからだよ。
0791日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:16:54.55
>>788
いや、アバウトな部分もあるが
当時としてはかなりの高精度
0792日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:21:01.26
どうしても北部九州や近畿にしたい人達がいるから魏志倭人伝がねじ曲げられる
0793日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:26:56.12
そも、大陸本土なら距離方位を測る方法もあろうが、倭国内でどうやって測量したのか。
せいぜい、日の出日没の方向でざっくり方位、一日歩いた距離でざっくり距離、という程度だろ。
直線距離なのか実踏距離なのかも定かではなく良路と悪路では要する時間も違う、太陽を頼っても晴天日ばかりとは限らず、時刻が確定できなければ朝夕以外の方位も当てにならん。
0794日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:31:20.79
歩数を数えてればだいたいの距離は分かるし
方角も正確な方角は分からなくともだいたいの方角はわかる
距離が測れないのは朝鮮海峡の海上部分だけ。
0795日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:34:36.57
>>783
人が住んでたんだから道はあったでしょ
徒歩での一日の踏破距離は25〜40km
何時間歩いたで距離は変わるけど古今東西略同じ。
0796日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:38:14.31
古代中国の測量技術を解説した書籍は沢山ある。
知識なき者は去りなさい。
0797日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:40:03.42
まさかと思うが、張政が倭人伝程度の知識で伊都までたどり着いたなんて思ってないよな?w
0798日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:45:52.98
歩数で計ったとすると実踏距離ということになるが、であるならば魏使がどのルートを通ったか確定できなければ、里程記載からの比定は意味を成さない。
A路とB路では倍も距離が違う、なんてことは現代でもよくあること。

仮にコンパス持ってて現在方位が正確にわかるとしても、地図かルート図(および現在位置を把握できる基準点)がないと、視認範囲にない二点の位置関係を測定するのは困難。
0799日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:49:11.34
>>797
ばかなの。まさにそのまさかが一番合理的だろ。
返使なんだからさ。当然倭人のナビゲーターついてるよ。暗黒大陸探検してんじゃないんだから。
0800日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:49:16.07
>>798
まぁまぁ、  
里数がどうあれ、たびたび中国・半島と倭国(阿波)は往来して通交してるんだから、そんなこと、どうでもよろしいがな。  @阿波
0801日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:50:04.84
陸路なら歩数で実測できるけど
海路はかなりアバウトだろうね。
単位は一緒だろうけど、正確性については別々に議論するべき。
0802日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:52:35.44
>>801
まぁまぁ、  
里数がどうあれ、たびたび中国・半島と倭国(阿波)は往来して通交してるんだから、そんなこと、どうでもよろしいがな。  @阿波
0803日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 20:52:38.51
>>799
>返使なんだからさ。当然倭人のナビゲーターついてるよ。
でしょ。
連れてくれていったのは、倭人のナビゲーター。

つまり倭人伝のはあくまでもだいたいの距離と方角。
しかも弥生時代のね。

だから北部九州までのだいたいの距離と方角を示しているだけの話であって、
畿内説みたいに現代地図とにらめっこして粗探しするのは見当違いだよね。
0805日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:08:52.70
>>795
荷物を持って山道、砂利道を25kmも歩けるか?
0806日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:12:56.93
>>810
そうだと思う
あくまで陸路の距離だろうから、直線距離とは随分違うだろうね
0807日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:14:40.17
>>795
すげえwまだこんな奴いたんだwww

むかーし昔

畿内説のコテハンが

高地性集落が四国一ヵ月横断街道の宿場町とか言ってたぞwww
0808日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:14:42.57
伊都には郡使が駐してたんだから、わりと頻繁に往来あったんだろうね。
長期滞在の漢人も居ただろう。
伊都周辺の国邑の記載は、邪馬台国への返使が道々記録した、ということではなく、そういった土地勘ある漢人たちの継ぎ接ぎ情報だろう。

ところが、投馬国に至るにあたり、突如「船だったら20日ぐらいね!」と、ざっくり表記になる。
隋書にあるように夷人不知里數但計以日、つまり日数表記は漢人の習慣ではなく「倭人の距離」。
倭人からの伝聞情報か、魏使は倭人の船に乗っけてもらったので測定不可能だったのか。

伊都国周辺の国邑郡にはある程度の信頼性があるとしても、そこから投馬国、邪馬台国については
●めっちゃ遠い
●邪馬台国は投馬国より遠い
●航行が必要な場所にある

この三点しかわからない。
0809日本@名無史さん
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2019/01/07(月) 21:15:25.24
>>805
明け方6時から歩いたとして
正午までに10キロは歩けるだろ
夕方6時までに10キロ、合わせて20キロ
途中休憩、昼飯時間も考慮して2キロ一時間計算だね
0810日本@名無史さん
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2019/01/07(月) 21:16:01.17
>>805
荷物は倭人が運ぶし、道も平坦なルートを通ったんだよ
旧日本軍なんかは完全装備で山道を1日25qが普通だかね
強行軍だと1日40km
0811日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:19:53.75
里程も百里単位でざっくりしとるがな。
日程にしがみつく畿内説だが、方角は間違えようも無いのであった。
0812日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:20:34.44
陸行一月は
「一般人の足で」と言う意味だと思う
0813日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:22:06.76
陸行一月は
陸行一日のまちがいだと思う
0814日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:22:29.12
>>806
誰に言ってるの?
0815日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:24:27.08
>>813
ほー
水行10日で陸行一日に該当する場所は?
0817日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:26:33.48
>>815
伊都
0818日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:27:54.11
>>813
ありえないだろ
まさか起点が帯方郡からとか言い出すの?
0819日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:29:14.77
>>815
伊都国

帯方郡から水行10日が一万里、九州北岸に上陸。
そこから1日で三雲に到着。
0820日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:29:49.56
>>817
伊都だったら
東南に500里行った場所に女王がいる
と書いてあるはずだろ
0821日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:30:18.83
>>815
>>817
狗邪韓國〜末廬國が水行10日
末廬國〜伊都國、奴國が陸行一日
ですね。
0822日本@名無史さん
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2019/01/07(月) 21:31:35.74
>>818
ありえないだろ
まさか弥生時代に陸行一月できる街道があったとか言い出すの?

最も早く稲作開始して地域王すらいた末蘆國がですら藪道
伊都ですら貴人とすれちがうのに道端に平伏
0823日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:38:46.42
末盧国から)東南に陸上を五百里行くと伊都国に到着する。官はジシといい、副はエイボコ、ヘイキョコという。千余戸が有る。代々、王が有り、みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。


末廬国から)南、邪馬壱(ヤバヰ)国に至る。女王の都である。水行十日、陸行ひと月。官にイシバがある。次はビバショウといい、次はビバクワシといい、次はドカテイという。およそ七万余戸。

伊都国は代々王がいた場所
邪馬台国は女王の所在地
官の名前も違うから明らかに別の地域
0824日本@名無史さん
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2019/01/07(月) 21:39:59.38
>>822
テンプレ読んだ?
0825日本@名無史さん
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2019/01/07(月) 21:42:09.36
>>821
>>822

起点は末廬国からです
0826日本@名無史さん
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2019/01/07(月) 21:48:58.35
>>823
>伊都国は代々王がいた場所

三国志魏書で世有は魏の世のことで
世有を代々と訳してした場合も世有王は「魏の世に代々王がいた」との意味になる
邪馬台国は女王の所在地で伊都国は代々王がいた場所
つまり、伊都国は邪馬台国の中に在る女王の居る国邑。
0827日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 21:51:59.31
どうしても伊都国に卑弥呼がいたことにしたいやつがいるが
さすがに無理筋だろう
0828日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 22:01:52.82
魏志倭人伝には伊都国に卑弥呼が居たと明記されてるんだがなw
0830日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 22:25:19.29
>>828
どこに?
0831日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 22:30:59.47
[自女王國以北]の[伊都國]や[不彌國]は
水辺の砂丘上などに位置する渡来人の巣
0833日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 23:03:27.76
>>826
代々王がいた
は日本語ですよ
過去形です

つまり、魏志倭人伝の時代には
王がいない
0834日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 23:05:15.71
>>829
この板では多数派なんだけどな。
0835日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 23:08:29.68
>千余戸が有る。代々、王が有り、みな女王国に従属している。
>末廬国から)南、邪馬壱(ヤバヰ)国に至る。女王の都である。水行十日、陸行ひと月。

現代的に言えば京都はすぐそこだけど
首都の東京は遠いよ
0836日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 23:09:04.87
>>834
それは無いな
0837日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 23:11:19.21
俺も伊都国説だよw
最近はだいぶ伊都国説増えたwww
0838日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 23:15:16.19
>>837
自演かよ
0839日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/07(月) 23:19:15.06
>>833
三国志魏書の内容ですから全て過去の出来事です
魏書は魏の世に付いて記した書物であり代々王がいたのも魏の世のことです。
0840日本@名無史さん
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2019/01/07(月) 23:23:15.86
このスレ的には
雲仙か阿蘇、それか阿久根のイメージだがな
伊都って言われるとゲンナリする...
0842九州王
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2019/01/07(月) 23:54:00.23
>>840
熊本市民ですけど伊都国説
伊都国説は自分以外にも2〜3人はいるみたいです。
0844日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 00:11:49.26
>>842
伊都国ってさ千戸しかない、周りの国と比べても貧相な規模しかないのよ?
それで卑弥呼が住んでた!王都伊都国!って、恥ずかしくないの?
普通に遺跡の規模から吉野ヶ里に比定でいいじゃん。
0845日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 00:22:00.57
>>842
古い九州説だと
そうなるだろうな
0846日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 00:28:38.14
九州説は真面目な歴史研究者に限って誤読する
伊都以外だと歴史的な説明や蘊蓄を発揮出来ないから、伊都じゃないとダメなんだよ
0848日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 02:45:18.59
現代人よりもはるかに漢籍に通じていた近世近代の碩学たちが
全く触れもしていない読み方をしている時点でかなりおかしなことであるのに
それに気がつかなくなっているほど伊都説論者は学問的思考から逸脱している
0849日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 03:07:52.21
魏志倭人伝を正しく読むと、邪馬台国は魏から見てメチャクチャ遠いことがわかる。

魏帝が汝所在踰遠 乃遣使貢獻是汝之忠孝と褒め称えるぐらいだ。

駐在所があったのか、出入国管理局の意味か、常的に郡使が往来し駐する伊都国近辺ではこのような表現にはならない。
北九州地域はすでに漢時代に冊封が完了している、いわば中華の縄張り区域。
邪馬台国の遣使は(魏から見て)、さらに遠方から来たことは明白。

また、大陸から反対側の端っこの、女王国傍らの国々は遠すぎて詳細書けないよ!と筆を掘り投げてしまうぐらいさらに遠いことから、女王国勢力圏は魏人感覚では「でかっ!広っ!」ということもわかる。
チンケな北九州には収まらない。

北九州に在ったのは女王国の玄関口に過ぎず、女王の都す邪馬台国ではない。
萬二千餘里は邪馬台国への距離ではなく、女王国(の玄関口)への距離であることを留意。
0850倭人伝について質問します
垢版 |
2019/01/08(火) 04:57:15.62
東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家
「東行、不弥国に至る。百里。官は多摸と曰い、副は卑奴母離と曰う。千余家有り。」

質問@ 「不彌國」は現在のどこにあたりますか?

質問A 「東行至不彌國 百里」とありますが、現在の北を上にした地図では
      奴国のすぐ右横にあるということでいいでしょうか?

よろしくお願いします
0851日本@名無史さん
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2019/01/08(火) 06:48:05.96
>>850
>質問@ 「不彌國」は現在のどこにあたりますか?

不弥国(千戸)(福岡県築上町辺り)


>質問A 奴国のすぐ右横にあるということでいいでしょうか?

奴国(二万戸)(田川市辺り)  @阿波
0852日本@名無史さん
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2019/01/08(火) 07:05:47.15
>>844
同じことを繰り返し鸚鵡みたいに叫んでも説得力がない。
0853日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 07:21:24.55
>>852
新説、珍説を披露すればいいってもんじゃないよ?

たった千戸の伊都国が他と比べて規模の小さな泡沫邑であることは揺るがない。
二万、五万、七万の規模の国が周りにあるのに寝言は寝て言えばいいよ。
0854日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 07:31:17.52
>>852-853

九州説同志の内ゲバ?  @阿波
0855日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 07:31:18.26
>>849
>北九州地域はすでに漢時代に冊封が完了している、いわば中華の縄張り区域。
>邪馬台国の遣使は(魏から見て)、さらに遠方から来たことは明白。

言っていることがおかしい。
卑弥呼も冊封された倭王なんだよ。
それは漢の時代とかわらない。
魏の使いが九州北部を訪れたことで、邪馬台国より先にも倭人があちこちに住んでいることが魏にも認識されるようになって来たのが魏志倭人伝の世界観なんだ。
0856日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 07:41:21.10
>>853
首都機能だけが伊都国に集中していたということだよ。
外国の公使が滞在し、卑弥呼への献上品を管理し、周辺国邑を検察していた。
内政と外交のすべてが伊都に集中していた。

伊都を泡沫などと呼ぶのは、伊都的な歪曲だよ。
これだから畿内説は信頼されない。
0857日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 07:42:06.82
伊都的な→意図的な
0859日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:04:07.64
>>858
魏志倭人伝に書いてある。
0860日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:04:51.13
伊都国にあったのは首都機能ではなく出入国管理機能と九州方面軍事総督機能。
国境線の最前線に首都を置くのは、防衛上の理由からデメリットが大きすぎる。
北部九州から水行20日、水行10日陸行1月離れたところに女王の都するところありと明記されている以上、邪馬台国はそれだけの彼方に求めざるを得ない。
0861日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:21:47.87
九州北部からではなく、帯方郡からの日程だよ。
一万二千里を日程で説明しているだけ。
1日の行程を約千里として、水行10日が九州北岸までの一万里に対応している。
0863日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:23:11.98
>>860
>北部九州から水行20日、水行10日陸行1月離れたところに女王の都するところありと明記されている以上、邪馬台国はそれだけの彼方に求めざるを得ない。

だから、北部九州から水行20日、水行10日陸行1月離れたところは、四国の倭国(阿波) だと、何度言えばw  @阿波
0864日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:24:11.16
>>860
>伊都国にあったのは首都機能ではなく出入国管理機能と九州方面軍事総督機能。

魏志倭人伝に基づかない妄想は意味がない。
入国というなら、狗邪韓国ですでに倭国に入国しているし。

>国境線の最前線に首都を置くのは、防衛上の理由からデメリットが大きすぎる。

それはあなたの勝手な判断。
対馬海峡の渡海技術を倭人しか持っていないなら、問題はない。
0865日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:26:36.26
>>862

確かに遠方だ。
邪馬台国は帯方郡から一万二千里、すなわち水行10日の遠方だ。
九州北部は帯方郡から遠いなあ。
0866日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:29:02.27
列島を代表して中国と交流するなら九州北部は最適の土地だ。
畿内も出雲も筑紫抜きに大陸と交渉はできない。
中国から見た倭国およびその王都である邪馬台国は筑紫だろう。
0867日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:30:20.98
>>856
伊都国は大率が置かれたり、女王国と外の世界との玄関口であったのは間違いないが、さてそこでもう少し考えよう。
普通、国境の関所に首都を置くか?

玄関口は所詮玄関であって、居間、居室はまた別にあるものだよな?

九州説の中の異端が伊都国説なんだぜ?
0868日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:34:59.85
国境は狗邪韓国。
0869日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:36:52.68
日程記載が帯方郡からという珍妄は初手から破綻している。
投馬国は「南へ」水行20日だが、帯方郡の南に倭地はない。
冒頭に「倭は帯方郡の東南」とある。陳寿は8方位以上で地理を認識している。

帯方起点妄想を採用するなら、投馬国、邪馬台国は奄美や沖縄を比定地とするのが筋だろう。
そういう説も、あるにはある。
0870日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:41:11.83
投馬国が邪馬台国よりさらに南だから8方位に当てはめると概ね南になるんだろう。
0871日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 08:54:44.04
>>868
それ朝鮮半島側の南の端であって、九州上陸の関は別に必要だろう。
0872日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:00:11.43
>>867
一大率が置かれたのは女王国以北で伊都国ではない。
玄関口は狗邪韓国で伊都国は女王国の中心地です
朝鮮半島南岸地域も女王国の勢力圏。
>>869
里程の最後の不彌國は内陸でありそこから水行は不可能
12000里も越えている
距離と日数、空間と時間は別の概念であり連続しての説明に用いれれることはない。
0873日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:01:43.85
>>871
韓の南の端は倭と陸で接しているんだよ。
0875日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:04:04.18
>>872
>一大率が置かれたのは女王国以北で伊都国ではない。

大率は伊都に置かれて以北を検察した。
対馬海峡を支配していたのは実質的に伊都。
これなら防衛上も伊都が王都で問題ない。
0876日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:04:50.32
>>874
魏志倭人伝と後漢書をちゃんと読めよ。
畿内なんて中国の視野に入っていない。
0878日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:06:23.43
>>850
質問@ 那珂川町、春日市付近
質問A 奴国は2万戸であり広い面積を持っていたと考えられる、不彌國の西から北側の沿岸地域は奴国でしょうね。奴国〜不彌國の100里は奴国の一部を横切って通過しただけですね。
0879日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:09:58.33
>>875
>大率は伊都に置かれて以北を検察した。

「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之」
一大率は女王国以北に置かれたと書かれてるんだよ。
0880日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:12:40.22
投馬国の記述が邪馬台国の前にある以上、投馬国の方がより帯方に近いのは明白。
投馬国の方がさらに南の遠方にあるなら、記述順が逆になる。

帯方からの放射読みを採用するとしても
南至邪馬壹國 女王之所都
であって、「東南」ではない。
また、帯方の南方には陸行1月を要する陸地もない。

そもそも水行(沿岸航行)と渡海を区別する陳寿の文章作法では、帯方からの日程を示すなら
渡一海十日 陸行一月
のような形でないと整合性がとれない。
0882日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:15:09.25
卑弥呼がいるのは伊都国という結論ありきで
なんでもこじつけでそれにもっていってるだけだな
0883日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:16:52.62
死んだ伊作は九州北部説を畿内説以上に憎んでいたが、わかる気がするな
0884日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:20:26.37
陸行1月に該当する土地は日本にはない。
1日の誤りだろう。
0885日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:20:30.27
>>880
投馬国は狗邪韓国を中心とした朝鮮半島南岸地域
帯方郡の南にあり、郡から水行20日
投馬国の中心狗邪韓国へは7000里。
>>882
伊都国に倭女王卑弥呼が居たとすると、魏志倭人伝の内容を全て矛盾無く説明できるんだよ。
0886日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:28:41.50
投馬国が朝鮮半島にあるとしたら、記述順は少なくとも壱岐対馬より前でないと矛盾する。
朝鮮半島にある投馬国への日程を水行20日とするなら、沿岸航行ではなく渡海である邪馬台国は渡海十日という表現でなければ矛盾する。

伊都国に倭女王卑弥呼が居たとすると、魏志倭人伝の内容が矛盾だらけになるんだよ。
0887日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:47:08.19
イトクズは、
一世紀の海峡国家群と、三世紀の倭30国体制を、ごちゃまぜにして戦ってるのではないかな
0888日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:57:24.96
>>872
伊都国は関所的なチェック機構と監察はあっても、政の中心は卑弥呼のいる邪馬台国

伊都国は千戸という規模の小ささから、統治機構の中心たり得んよ。
周りに20倍や50倍、70倍の規模の国があるのだから、覆しようがないだろ。
0889日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 09:58:51.53
共立倭30国体制は狭い範囲の海峡国家であった・・、
と強硬に主張する裏には、大きなわけがあるのだろうな。
そのちっぽけな海峡国家群は、
その後、仲哀天皇・神功皇后軍の進攻によって、ことごとく葬り去られ、
あとには何も残らなかった・・、ということにしたいのだろう。形を変えた陰湿畿内説というわけだ。
0890日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 10:02:24.56
>>889
邪馬台国の東遷説とかいうファンタジー脳ですか?
0891日本@名無史さん
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2019/01/08(火) 10:04:22.12
>>866
>畿内も出雲も筑紫抜きに大陸と交渉はできない。

まぁまぁ、  
畿内や出雲がどうあれ、たびたび中国・半島と倭国(阿波)は往来して通交してるんだから、そんなこと、どうでもよろしいがな。  @阿波
0892日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 10:05:49.90
>>884
>陸行1月に該当する土地は日本にはない。

「陸行一月」
陸行一月区間(旧土佐街道 別名土佐浜街道)  河川は川船で渡船

投馬国(土佐国宿毛) ➡ 魏使一行 阿南市若杉山辰砂採掘現場視察 ➡ 女王国(阿波国鮎喰川下流域集落群)

距離約350km 歩行速度11.7km/日   @阿波
0893日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 10:22:06.41
>>890
伊都国説論者は畿内だけではなく、出雲や吉備といった、倭種側の勢力をなかったことにしたがり
実在する吉野ケ里の大規模環濠集落すら見えない程、視野狭窄に陥っている。
福岡が佐賀ごときの下に立つなんて許せない!という輩なので、伊都国でなけば、阿蘇まで飛びたがる。
佐賀に対するプライドが根底にあるんだろう。
0894日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 10:29:38.36
>>893

トンデモ九州(各地)説の内紛ですか?  @阿波
0895日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 10:36:13.84
842九州王2019/01/07(月) 23:54:00.23>>844>>845
>>840
>熊本市民ですけど伊都国説
>伊都国説は自分以外にも2〜3人はいるみたいです。

>>890
まあ、上のコピペを見ろや。(たぶんコテハンを消し忘れたのだろうがw)
九州王のやることは、もう少し手が込んでいる。
熊本県民に成りすまして、伊都クズ・海峡国家論を唱える者は少なくないが、実は九州王が其の頭目だとバレたわけだ。
それは、いざとなれば熊本の狗奴国が東遷した、という腹なのだろう。
そうすれば最悪でも、中国王朝とは何の関係もなかった狗奴国勢力が大和に国を建て、のちの大和朝廷に到ったといえるからだ。、
0896日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 10:37:58.39
>>885
投馬国を邪馬台国より南の宮崎だとしても、伊都を中心とした邪馬台国体制と、その外にある投馬国、狗奴国、さらに本州の倭地を想定できるよ。
0897日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 10:41:53.92
>>893
>伊都国説論者は畿内だけではなく、出雲や吉備といった、倭種側の勢力をなかったことにしたがり

本州は倭種だよ。
ちゃんと存在を認めているよ。

>>895
>それは、いざとなれば熊本の狗奴国が東遷した、という腹なのだろう。

言わないよ。
東征したのは伊都の先代の王たち、つまり天孫族だよ。
熊本の熊襲は4世紀にヤマトタケルが倒しちゃうだろ。
熊襲タケルの墓は佐賀にあるんだってね。
彼も中国から見たら倭王だったのだろう。
0898日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 10:59:42.79
>>897
おまい、九州王のコテハンを入れ忘れたのか?
0899日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 11:00:50.70
>>897
やっぱり東遷説なんだよな
そんな証拠一切ないのに
0900日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 11:08:57.46
>>898
別人です。
0901日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 11:09:54.35
>>899
筑紫の内行花文鏡文化、三種の神器の文化が畿内に導入されています。
0902日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 11:11:03.78
>>897
糸島伊都国の先代の王たちが東遷して大和を建てたのなら、
その正統なる後継者の仲哀天皇・神功皇后軍によって、糸島伊都国ののちの王たちは、けちらされたわけだ。
当時の糸島伊都国は、あわれ賊軍に成り下がっていたことになるな。
まさに伊都クズww
0903日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 11:11:25.41
伊都国は現在で言えば税関と魏の大使館があった場所だろ
0904日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 11:12:28.61
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0905日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 11:14:33.22
>>902
伊都の王は仲哀を出迎えてますよ。
0906日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 11:33:22.87
>>900
なんだ、九州王のパシリか。

>>905
船に、全面降伏の白旗掲げてな。だから、その後に「国王」の栄誉を伝えるものはない、、、
0907日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 11:35:58.79
>>906
事実をねじ曲げるなよ。
掲げたのは白旗ではなく、王家を示す(八咫の鏡を含まない)三種の神器であり、神威を示したものだろ。
0908日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 12:15:24.45
>>903
大使館はわからんけど、通関は伊都国だとあるな。
要するに関所。
関所が首都だ王都だ、東遷だとのたまうのが伊都国信者

たった千戸の小国で何ができたんだって。

そもそも畿内ヤマト王権は、日向国の東遷とわざわざ書いてある。
同じく外来勢力である、伊都ならそう書けばいいだけ。
誰も困らん
0909九州王
垢版 |
2019/01/08(火) 12:40:00.33
>>896
宮崎だけで5万戸は無理ですよ、鹿児島とかも入れないと
宮崎、鹿児島を投馬国とすると狗奴国の入る余地が無くなる。
0910日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 12:43:54.77
>>907
その王家が、なんで県主なのか。
縣主とは、各地に入植地を営んだ渡来人の族長のことなんだが。
0911日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 12:57:07.93
本当に、そういう話になってくる

なぜ渡来人〜神なのか?とか、
日本の神話でも有名な神がいるでしょ?


有名な神は渡来系?みたいな事を言ってる人がいたり
0912九州王
垢版 |
2019/01/08(火) 13:01:01.74
>>886
>投馬国が朝鮮半島にあるとしたら、記述順は少なくとも壱岐対馬より前でないと矛盾する。

狗邪韓国が壱岐対馬より前に記載されてるからいいんだよ。

>朝鮮半島にある投馬国への日程を水行20日とするなら、沿岸航行ではなく渡海である邪馬台国は渡海十日という表現でなければ矛盾する。

渡海も水行の一種だよ
水行十日の中には壱岐対馬外周の沿岸航行も含まれてるしね。
0913日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 15:49:25.77
渡海は水行に含有される概念ではない。
岸に沿って移動することを「行く」、ある岸から対岸に移動することを「渡る」と表現しているのである。
途中経過は実はあまり問題ではない。橋梁などの陸路や、空路を使っても「対岸に着いた時点で」渡の完了が成立する。
島嶼に沿おうが沿うまいが、対岸への移動そのものを「渡」という。

事実、同じ海上移動であっても里程表記に於いては(対岸という概念を目指していない)朝鮮半島の沿岸航行部分は「行」と記され、朝鮮半島岸から島・九州に航行する部分は「渡」と、明確に区別されている。
水行十日が渡海を意味しないことは、自明である。


同じ行程を里程表記と日数表記で二重表現したという妄想自体が噴飯ものだが、であるならば渡海を水行と言い換える意味がない。
0914日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 16:00:41.89
そも、日数換算によって距離を表現するのは倭人の習慣であって、漢人向けの文書で日数表記する意味がない。

行程の途中で日数表記になっているのは、ごく単純に「倭人の操船する倭船で移動したから」に過ぎない。
帯方から九州上陸までは魏船であるから、指南魚のようなものも搭載していたかも知れず、既知の船足からだいたいの距離を想像することも可能であろう。
倭人の操船する倭船ではどちらもかなわず、倭人に従い日数表記する他なかったのである。
0915日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 16:20:14.97
>>913
断言してるけど自分の思い込みだけでちゃんとした根拠が全然ないよ。
0916日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 16:32:50.66
南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸

「南、投馬国に至る。水行二十日。官は弥弥と曰い、副は弥弥那利と曰う。五万余戸ばかり。」

質問@ 「南至投馬國」これは不弥国を出発したのですか?

質問A 「水行二十日」はどのくらいの距離ですか?

質問B 「水行」を河川航行とする説をどう思いますか?

質問C 「投馬國」はどこですか?

よろしくお願いします
0918日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 16:50:17.87
>>916
質問@ 魏志倭人伝の記述に従えば不弥国は内陸ですから水行は不可能、帯方郡からですね。
質問A 「水行二十日」は7000里、1日に350里(28km)
質問B 「水行」は海を航海する意味です。当時は河川は整備されておらず河川航行とか不可能、また二十日も航行する河川なんて日本には無い。
(御笠川と筑後川は分水嶺で繋がっておらず、江戸時代に物流の為に運河を造ろうとしたが水量が足らずに失敗に終わっている)
質問C 「投馬國」は朝鮮半島南岸地域。
0919日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 17:16:24.16
>>916
質問@ 「南至投馬國」これは不弥国を出発したのですか?

240年の地理説明、投馬国は表意文字の国で、馬韓を通過した後の半島南岸国です。
247年の行程として終わった『到』伊都国の隣りの町、不彌国は起点になりません。

邪馬台国は所属21国、投馬国も、それと同等の国です。
里程で示された都市間の行程と
隣合った国の地理の話を直列でつなげるというのは
小学生以下の読解力です。

それを理解すれば、起点は自帯方郡で、以下の質問も解決してます。
0920日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 17:32:13.02
>>913
>事実、同じ海上移動であっても里程表記に於いては(対岸という概念を目指していない)朝鮮半島の沿岸航行部分は「行」と記され、朝鮮半島岸から島・九州に航行する部分は「渡」と、明確に区別されている。
>水行十日が渡海を意味しないことは、自明である。

別に深い意味があって「渡」を使ったのではないでしょ、「水行」でもよかったけど分かり安く「渡」を使っただけ。
思い込みだけで断言してるな。

>>914
>そも、日数換算によって距離を表現するのは倭人の習慣であって、漢人向けの文書で日数表記する意味がない。

漢人向けの文書で日数表記して何の問題があるの?
距離と時間で丁寧に説明してるだけでしょ。
0921日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 17:37:14.70
「南至投馬國」これを行程中の国とするための文法は
到伊都國=× 
至伊都國 東行 至不彌國 南水行20日 至投馬國 です。

原文の
南至 投馬國 水行二十日
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
の場合は、水行陸行が、行程中の動詞になっていません。

そのうえで、水行二十日+水行十日陸行一月が
女王の所都で邪馬台国と言う仮称
列記21国で 此女王境界所盡 21国で構成されており
其南有 狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
自郡至(南限の)女王國 萬二千餘里
と言ってます。
0922日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 18:12:54.20
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0923日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 18:31:47.97
従郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓国 七千余里

おいおい。
海岸水行だけで、帯方郡から倭に至るらしいぜ。
0924日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 18:34:18.04
>>922
京大のキッドちゃんw

広鼻ブラックの土器厨なんだから、
ここは、質問ちゃんみたいに
楽浪土器の日本搬入の歴史とか、話題とズレない話をしないか?

縄文弥生も面白かったけど、ネタ切れなの?

もしかすると無限大の5ちゃん相手じゃ古代史考古学は制限有って、
アタシみたいな、中学生より勉強不足って、思われてんだよ。

アラシは、キナイコシスレのモロモロでやれよ。
真実が、邪魔かな?
0925日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 18:48:08.04
>>923
倭人伝の誤記、誤認の一つだが
対馬の長辺は千里近い。

半島南岸(多分巨済島)から、千里×3渡海で、九州だが、
この対馬沿岸の千里は循海岸水行ではなく
対馬は方可4百里(多分概念図上の点から点)で、
壱岐に向かうから、西岸からしか見てない。
0926日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 18:52:11.47
釜山から壱岐なら対馬は沿岸航行するよね。
0927日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 19:09:28.04
>>923
えっ?
どういう意味の書き込み?
0928日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 19:14:35.73
女王国と邪馬台国を混同してる馬鹿がいるな。
女王国は、卑弥呼の勢力圏の意味。邪馬台国は卑弥呼の所在地。
倭は女王国よりさらに広い概念。

女王国は、九州に食い込む形で、対極は其餘旁國遠絶と言われるくらい遠くまで在る、広大な地域。
邪馬台国はそのどこかにある。

魏志倭人伝を正しく読めば、邪馬台国まで万二千余里などという記載は無いことがわかる。
邪馬台国までの距離を示したいのなら、正確にそのように書く。
万二千余里は九州に食い込んだ女王国の一部までの距離。

九州内の女王国領土の資料はないが、神武東征に何らかの史実が含まれるとしたら、日向あたりかも知れぬ。
0929日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 19:21:47.37
>>923
狗邪韓国は半島南岸に位置する倭国最北端の国
0930日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 19:23:59.84
>>928
女王国とは伊都国と奴国のことで
邪馬台国とは北部九州地域に在り
對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)の国邑で構成された国のこと
卑弥呼は伊都国に居た。
0932日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 19:48:57.96
卑弥呼が伊都国にいたとするには曲解に曲解を重ねなくてはならんな
0933日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 19:50:37.33
女王国を伊都国と奴国のこととして魏志倭人伝を読むと理解しやすいよ。
0936日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 19:59:17.72
三国志は数代に渡る中華戦国の歴史であって
女王国などと言う世襲ですらない、個人依存の呼称の国が
古代日本である、と思える アホがカス。

筑紫の21国でしかなかったと書いてある。
南至 投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸

自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
此女王境界所盡

其南有 狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
自郡至女王國 萬二千餘里

参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里
0937日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:00:49.66
>>933
丗有王 皆統屬女王國・・・伊都国には魏の世に王がいました、倭の国々は全て女王国(伊都国と奴国)に統屬していました。

自女王國以北・・・女王国(伊都国と奴国)以北。

自郡至女王國 萬二千餘里・・・帯方郡から女王国(伊都国と奴国)までは12000里。

女王國東渡海千餘里・・・女王国(伊都国と奴国)の東へ1000里海を渡る。
0940日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:08:04.86
倭人伝をどう読んでも、邪馬台国は北部九州の沿岸から遠い場所としか解釈できない
0941日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:10:10.68
>>940
君は頭がおかしいよw
0942日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:13:51.75
頭おかしい人に頭おかしいっていわれたら、まともだってことだよな
0943日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:15:52.15
魏から見た固有名詞の意味や認識

倭国・・・九州全体を指す。卑弥呼を親魏倭王に封し、倭国の窓口とした。
倭種・・・本州、四国を指すが、倭国も内実を把握できていない。
女王国・・・卑弥呼を代表に据えた九州北部の連合体。約30の国邑の仮称
邪馬台国・・・卑弥呼の都。約七万戸と規模の大きな国。
伊都国・・・大率が常駐し、監察や通関業務を行う関所。千戸程度。
狗奴国・・・女王国の南にある女王国と敵対する勢力。男王がいる。

卑弥呼・・・呪術師のババア
0944日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:15:54.80
>>937
247年の行程中で伊都国を説明している文脈だよ?
なんで『世には王が居る』と言う説明の、一文が入る? 
陳寿は馬鹿って、論か?

247年の伊都は、女王属国の王や使が常に往来し駐留する
首都機能の有る都と、言っている。

これは、240年の邪馬台国 女王の所都
其南有 狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
自郡至女王國 萬二千餘里
ではなく、

247年の都市間の里程で示された伊都
帯方郡から 1万5百里の 張政が留められた一大率の首都。

首都が二つある理由が、時系列じゃないのかな?
0946日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:24:11.08
>>943
>女王国・・・卑弥呼を代表に据えた九州北部の連合体。約30の国邑の仮称

昔はそうも考えたが、伊都国と奴国が女王国とした方が意味が通じる
邪馬台国を卑弥呼を代表に据えた九州北部の連合体。約30の国邑の仮称とした方が正解だな。
0947日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:36:57.85
>>944
首都機能があるなんて一言も書いてないよ?

大率が常駐して各地を監察したり、使節の贈り物の検品や、文書を女王に送ったりの窓口業務をしてたと書いてあるだけ。
交通の要所であった事は間違いないけど、政は何もしてるとは書いてない。
もし伊都国に卑弥呼がいて首都であったなら、普通にそう書くだろうし、邪馬台国を女王之所都なんて書くわけがない。
0948日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:38:00.08
>>946
じゃあなんでわざわざ魏志倭人伝にそれぞれ別に書いてあるん?
辻褄が合ってないよ?
0949日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:42:14.80
>>946
女王国=邪馬台国は、
次有を21回連ねた21国で構成する、
7万戸、って書いてある。

240年、奴国はこの構成国で、
247年の張政の行程にも出てくる。
奴国が重複する理由だ。

奴国王は大夫難升米であり、247年の張政が
其八年 太守王頎到官
倭女王卑弥呼 與狗奴國男王卑弥弓呼 素不和 遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状
遣塞曹掾史張政等 因齎詔書黄幢拝假難升米 為檄告喩之
で、倭人船に便乗して、査察に来た目的である。

一大卒が張政の旅を許さず、難升米を伊都に呼びつけた
これで、張政の旅は、伊都で終わり『到』なのである。

末蘆国に戻って、直列読みとか、アタシみたいな、中学生がみても
大学生が小学生に落第的な読解力であるw
0950日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:46:14.56
>>949
21国で7万戸だとするじゃん?

奴国の2万と投馬国の5万でもう7万だぞ?
残り19国は人が住んでないのか?
0951日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:46:31.56
>>948
北部九州が支配下にないと困る畿内説が言うとるじゃん。
倭国は西日本広域で、その西端が北部九州だって。

実際は、倭国は北部九州広域で、その都が伊都名だけ。
0952日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:47:02.75
投馬国の5万は半島南部
0953日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:51:23.27
>>928
>万二千余里は九州に食い込んだ女王国の一部までの距離。

女王国はあくまでも一地域の呼称なので、それだと畿内は離れすぎている。
一方、卑弥呼が倭王であるから、その支配地域は狗邪韓国から始まる。
どちらにしろ畿内説は成り立たない。

>九州内の女王国領土の資料はないが、神武東征に何らかの史実が含まれるとしたら、日向あたりかも知れぬ。

神武東征は筑紫を出発したとある。
日向国は後の景行天皇の命名。
0954日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:52:08.16
>>952
放射で読もうと、連続で読もうと、南に水行20日の時点でムリ
0955日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:53:29.11
邪馬壹国70,000戸の内訳は下記の計算で算出されている

1,000戸(對馬国)+3,000家(一支国)+4,000戸(末盧国)+1,000戸(伊都国)20,000戸(奴国)+1,000家(不彌国)+20×2,000戸(斯馬国-烏奴国の20国分)

斯馬国〜-烏奴国の20国の戸数は記の計算で算出されている
(1,000戸+3,000家+4,000戸+1,000戸+1,000家)÷5国=2,000戸/国
奴国を除く対馬国、一支国、末盧国、伊都国、不弥国の5カ国の戸数から1国邑当たりの平均値2,000戸を求め、斯馬国-烏奴国の戸数もこれと同じ戸数として計算

投馬国は卑弥呼の支配下ではなく、半島でもなく、計算外の宮崎県だ。
0956日本@名無史さん
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2019/01/08(火) 20:53:39.77
>>953
日本書紀の時点で、日向国の高千穂を発って、筑紫平野に入り、海を渡ったとある。
0957日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:54:21.96
後漢書における邪馬台国までの里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(の王都、邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界(国境)である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
また、帯方郡から投馬国(宮崎都万)までは水行20日

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif
0958日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:54:36.93
この頭の悪さはキナイコシ
0959日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:54:52.06
>>956
筑紫の日向、
すなわち伊都国が正解。
0960日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:55:47.62
【筑紫の日向】

福岡県の高祖山の最高峰は高地山、別名をクシフル山とも言う。
古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とあり、福岡県のクシフル山とするべきだろう。
考古学的にも、三種の神器を伴う弥生墳墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の高祖山なら、福岡平野と糸島平野の間にあり朝鮮半島に向かう博多湾に面している。

最初の王墓として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、須玖岡本遺跡(紀元前1〜1世紀)があり、
高祖山をはさんだ西側の糸島平野に三雲南小路遺跡(1世紀頃の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
これらの遺跡からは、皇位の象徴とされる三種の神器と同じ剣、鏡、玉があわせて出土する。
倭国王権の起源は稲作伝来と弥生文化発祥の地である博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
漢により冊封された王権の象徴としては他にガラス璧があり、福岡県の須玖岡本遺跡、三雲遺跡、峯遺跡、宮崎県の玉の山遺跡からのみ出土している。

伊都国の三雲南小路遺跡には王と王妃があわせて葬られており、ニニギと木花開耶姫といわれる。
その拝殿である細石神社は江戸時代まで「漢倭奴国王」の金印を保管していたと伝えられている。
伊都国の平原遺跡からは円周が八咫(あた)となる超大型内行花文鏡が出土していて、ニニギがアマテラスから受け取った倭国の王権の象徴である八咫の鏡と考えられる。

高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城があり、峰々に楼閣があった。
その中に高祖神社がある。これが記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の日向にあった伊都国が倭国の王都であり、高祖山の高千穂宮が倭王である天孫降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国女王卑弥呼の王城である。
0961日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:56:43.63
今日は、畿内説の無茶読み大会です。
0962日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:56:50.37
>>955
無理筋にもほどがあるわw
0963日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:57:44.69
数年前は日向は宮崎だろというツッコミが基本だったが、
畿内説者が大量に敗走して
もはや日向といえば伊都糸島になってしまったな。。。
0964日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 20:58:08.04
>>950
投馬国 は半島南岸倭人国で 5万戸
邪馬台国 は福岡筑紫平野で21国 7万戸

対馬壱岐も女王国には属していない。
なら、筑紫王卑弥呼は倭王であるわけが無い。

倭人伝、ちゃんと読んでないだろ?
0965日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:00:06.88
>>964
お前の読んだ倭人伝と、俺の読んだ魏志倭人伝は全然別の話なのかもしれないな。
0966日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:04:15.22
>>965
俺の読んだ魏志倭人伝てだは、半島南部は狗邪韓国ってあった。
0967日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:09:33.13
倭人伝をマメに読んでては畿内説は務まりません。
0968日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:10:01.12
>>966
ん?日本人?
なんで半島南岸にこだわるの??
0969日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:15:10.25
>>965
倭人伝の卑弥呼は
190年から247年迄、九州筑紫に君臨した女王国の王。
数代に渡る戦国の三国志で中国人が、日本を女王国と呼称するかよ? 
そんなのは歴史じゃなく、その時の倭人伝。

邪馬台国と言う命名は、
印綬で女王宮まで水行30日陸行1月(=万二千里)で行軍して
女王属国21国(和名を漢字化) 7万戸と言う国勢を参問した梯儁の仕事
見りゃわかる真実ってのは、考古学でも、ついてくるぞwww
0970日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:15:58.56
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0971日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:16:21.86
魏志倭人伝の記述の構成

・倭國(倭王卑彌呼の支配下)
・・・投馬國(朝鮮半島南岸地域)
・・・・・狗邪韓國
・・倭人(日本列島に住む)
・・・邪馬壹國(北部九州地域)
・・・・・對馬國、一大國、末廬國(自女王國以北の地域)
・・・・女王國(卑彌呼を共立した中心国)
・・・・・伊都國、奴國
・・・・傍國(斯馬國〜烏奴國の20か国)
・・倭種(中国地方)
・・侏儒國、裸國 黒齒國(四国、関西地方)
・狗奴國(南九州の卑彌弓呼の支配下)
0972日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:17:07.05
>見りゃわかる真実ってのは、考古学でも、ついてくるぞwww

鉄器の分布で明らか。
0973日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:19:43.84
不彌國が抜けていたので追加

魏志倭人伝の記述の構成

・倭國(倭王卑彌呼の支配下)
・・・投馬國(朝鮮半島南岸地域)
・・・・・狗邪韓國
・・倭人(日本列島に住む)
・・・邪馬壹國(北部九州地域)
・・・・・對馬國、一大國、末廬國(自女王國以北の地域)
・・・・・不彌國
・・・・女王國(卑彌呼を共立した中心国)
・・・・・伊都國、奴國
・・・・傍國(斯馬國〜烏奴國の20か国)
・・倭種(中国地方)
・・侏儒國、裸國 黒齒國(四国、関西地方)
・狗奴國(南九州の卑彌弓呼の支配下)
0974日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:20:55.38
>>964
>対馬壱岐も女王国には属していない。
>なら、筑紫王卑弥呼は倭王であるわけが無い。

何が言いたいのか意味不明です。
0975日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:23:39.57
しょうがない
キナイコシ自身が何を言いたいのかわかってないんだから
0976日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:26:33.95
>>971
倭人伝に倭国の定義はない。

倭人、倭種の地に統一国は無い。
その中に、238年から247年の間、
魏と交流が有った、女王国と言う九州の北部周5千里の国が有った。
それが、倭人伝。
次の情報は、倭の五王400年である。
0978日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:30:07.61
倭国を訓読みしてるだけっしょ。
邪馬台国=倭国だよ。

なんでかって?

倭国に数年も滞在した張政さんが、
倭国(わこく)じゃなくて、
本来の呼び名の邪馬台国(やまとこく)って書いてくれたからだよ。

陳寿は採用したけど、
やっぱり公式文書では倭国のほうが続いただけ。
0979日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:32:29.57
>>976
北部周5千里の国は邪馬壹國で、その首都圏が女王国です。
倭国は倭王卑彌呼の支配下の地域。
0981日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:37:16.23
いいかみんなw
倭人伝って言うのは、247年で終ってるんだよ。

壹與 遣倭大夫率善中郎將掖邪拘等二十人 送政等還因詣臺
獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雑錦二十匹

なんで、返礼、や帰国の報告が無いの?
中国皇帝は、朝貢に数倍する返礼が仕事だろ?

247年 査察報告
使大倭監之 自女王國以北 特置 一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯

魏と邪馬台国の国交が終わる理由は有る。
読めてるの?
0982日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:41:36.27
魏とやり取りするより
畿内に攻め込んでカツアゲするようが実入りが多いことに気づいたんだろ。

<北部九州邪馬台国
0984日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 21:48:26.86
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0987日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 22:03:49.07
>>986

伊都クズでーーーすw

狗邪韓国は、もっちろん倭人領!

投馬国5万戸は、もっちろん半島南岸を占める倭人領!


さあさあ、常駐即レスしてるキナイコシさんの反応は???
0988日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 22:25:21.36
狗邪韓国を卑弥呼が王を務める倭の領土ではないと主張するキナイコシこそどこの人間かわからんよ。
伊都国からが卑弥呼の支配下だということにしたいらしい。
0989日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 22:31:55.07
古代史を研究しているはずなのにかの国の研究者はすぐに現代史をからめてくるそうだ

誰かさんたちと思考パターンが同じで笑える
0990日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 22:36:22.66
嫌韓ってある意味同族嫌悪だからな
同じ土俵に立ったら相手の思う壺だっての
0991日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 22:40:50.47
>>990
連投してたのが、30分以上沈黙しての、
開き直っての論点ずらしはいいからさ

>>987
に返事してよ?

キナイコシさんw
0993日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/08(火) 23:23:47.86
ここだから煽りあいですむが、
学会場でギャーギャー騒がれたらどうよ?

領土がからんじゃってるから
あっちも引くに引けない
そりゃそうだ
0994日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 04:31:23.13
畿内、北九州は破綻
四国、本州は問題外
0995日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 07:35:46.41
あほか。
邪馬台国は卑弥呼の所在地、それ以上でも以下でもない。
女王国とイコールなわけがないだろ。
日本国の首相官邸は東京都にあります、というような意味。
東京に官邸があっても、それが日本とイコールではないだろうが。

広大な女王国と、支配下・影響下にあった、戸数詳細を明示された国邑群があったんだよ。

だからこそ、それぞれの国に女王国に任命された「官」がいるわけ。
それぞれが独立政体だったら、その「官」は誰に任命されたわけ?

狗奴国のように女王国勢力圏外には「王」が居るがね。

そのような勢力圏外のクニもひっくるめて、大きく「倭」がある。
倭国連合の認識と違う可能性があるが、魏国としてはその大きな倭の王として卑弥呼を認めたということ。
狗奴国紛争とかそのへんはあくまで倭の国内問題だから、倭王の方で処理してよ!というのが魏のスタンスでもあったわけだし。
0996日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 08:13:58.01
>>995
魏志倭人伝の記述の構成

・倭國(倭王卑彌呼の支配下)
・・・投馬國(朝鮮半島南岸地域)
・・・・・狗邪韓國
・・倭人(日本列島に住む)
・・・邪馬壹國(北部九州地域)
・・・・・對馬國、一大國、末廬國(自女王國以北の地域)
・・・・・不彌國
・・・・女王國(卑彌呼を共立した中心国)
・・・・・伊都國、奴國
・・・・傍國(斯馬國〜烏奴國の20か国)
・・倭種(中国地方)
・・侏儒國、裸國 黒齒國(四国、関西地方)
・狗奴國(南九州の卑彌弓呼の支配下)

認識が逆、邪馬壹國の首都圏が女王國です。
0997日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 08:19:45.76
>>996
卑弥呼時代は、「邪馬台国」=「女王国」

台与時代になって、【(「邪馬台国」=「女王国」) + 「狗奴国」】=倭(国)

そして、卑弥呼時代以降の倭(国)は、県外(淡路・讃岐・吉備等)を包含しながら順次拡大していく。  @阿波
0998日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 09:01:05.61
>>997
邪馬台国は247年以降、
一大卒の支配下に入って魏との交流は終わり衰退していってる。
これはすなわち、九州北部であり
これ以降、半島進出を仕切ったのは、瀬戸内海勢力。

これら卑弥呼以降の新興勢力は、倭人伝に描かれた
参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里
とは別の、女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種 である。
0999日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 09:16:24.24
「参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里」は奴国から不彌國、傍國20か国を経て奴国までのことですよ、有明海沿岸の北部九州地域一周。
1000日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 09:17:11.88
卑弥呼の都は伊都国で決まりました
これでお終い。
10011001
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