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【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬五
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0001日本@名無史さん
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2019/01/08(火) 23:31:29.28
九州に決まっとろうが
福岡県山門郡、筑紫、糸島、大宰府、鐘崎、鹿児島県川内、出水、阿久根、宮崎県日向、延岡、高千穂、熊本県熊本、阿蘇、八代、球磨郡、人吉、佐賀県唐津、伊万里、長崎県松浦、佐世保、雲仙、島原、天草、潜木、塩田周辺を今すぐ発掘せよ!

邪馬台国畿内説の根拠は
邪馬台=大和=奈良(完)と言う
風潮に論理的に反論するスレです
九州中南部説、九州南部説、魏志倭人伝から邪馬台国の位置を推測する議論等々も大歓迎です!

*荒らしはスルーで
過剰なコピペは厳禁
0023日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 11:28:14.27
狗邪韓国から海を渡り始めると千余里で対海国に至る。その大官はヒコウといい、副官はヒドボリという。居する所は絶海の孤島で、およそ四百余里四方。

土地は、山が険しくて深い林が多く、道路は鳥や鹿の道のようである。千余戸の家がある。良田はなく海産物を食べて自活している。船に乗って南や北(九州や韓国)へ行き、商いして米を買い入れている。
0024日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 11:33:06.91
また南へ海を渡る事千余里。名はカン海という。一大国に至る。官は、またヒコウといい、副はヒドボリという。およそ三百里四方。竹、木、草むら、林が多い。

三千ばかりの人がいる。いくらかの田地がある。田を耕しても、やはり、住民を養うには足りないので、また(対海国と同じく)、南北に行き、商いして米を買い入れている。
0025日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 11:35:13.53
>>23
>千余戸の家がある

「千余人住んでいる」の可能性がある
0026日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 11:42:02.96
>>21
対となる原文もあるとわかりやすい。

倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國

倭人は帯方郡の東南、大海の中にいる。山島に依って国邑を作っている。昔は百余国あり、漢の時代には、朝見する者がいたが今は交流の可能な国は三十国である。
0027日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 11:44:24.77
>>22
取り敢えず、訳文は22のものを採用しとくんで、訳文に異論があっても、俺は知らん。

從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里

帯方郡から倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を通り過ぎ、南へ行ったり東へ行ったりして、倭の北岸の狗邪韓国に到着する。そこまでは七千余里だ。
0028日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 11:50:07.03
>>23
始度一海 千餘里 至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴

狗邪韓国から海を渡り始めると千余里で対海国に至る。その大官はヒコウといい、副官はヒドボリという。居する所は絶海の孤島で、およそ四百余里四方。

土地は、山が険しくて深い林が多く、道路は鳥や鹿の道のようである。千余戸の家がある。良田はなく海産物を食べて自活している。船に乗って南や北(九州や韓国)へ行き、商いして米を買い入れている。

>>25
魏志倭人伝は他の国も含めて、戸数の表記になってるので、ここだけ人、ここから戸のような読み替えは根拠が必要になる。
昨日燃えてた伊都国も有千餘戸とある。

一戸辺りの人数の計算は根拠資料になりそうなものが無いのでよくわからない。
0029日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 11:51:58.91
>>24
又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴

また南へ海を渡る事千余里。名はカン海という。一大国に至る。官は、またヒコウといい、副はヒドボリという。およそ三百里四方。竹、木、草むら、林が多い。

三千ばかりの人がいる。いくらかの田地がある。田を耕しても、やはり、住民を養うには足りないので、また(対海国と同じく)、南北に行き、商いして米を買い入れている。
0030日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 11:56:43.30
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0031日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 12:22:42.58
また海を渡る事、千余里。末盧国に至る。四千余人が住んでいる、山と海すれすれに沿って住居がある。

草木が盛んに茂り、行く時、前の人が草木に隠されて見えない。人々は魚やアワビを好んで捕り、水の深浅にかかわらず、皆、水に潜ってこれを取っている。
0032日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 12:33:11.72
>>31

よって、末盧国=福津・宗像辺り。  @阿波
0033日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 12:36:53.17
>>31
山と海すれすれに沿って住居がある。・・・魏使が着いた呼子や名護屋浦付近の風景。

草木が盛んに茂り、行く時、前の人が草木に隠されて見えない。・・・東松浦半島を通過中の風景。

人々は魚やアワビを好んで捕り、水の深浅にかかわらず、皆、水に潜ってこれを取っている。・・・二丈付近の海岸の風景。

末盧国から伊都国に行く途中で目にした風景ですね。
0034日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 12:39:18.32
倭の内で「女王国」の範囲に含まれないのが明確になってるのは、今のところ此女王境界所盡より遠方の諸国と、狗奴国。
狗邪韓国を倭に含めるなら、狗邪韓国も女王国には含まれない可能性が高い。
伊都国については、魏志記述時に王を廃して完全に女王国統治下に入っていれば女王国内だし、名目上の王が存在するなら形としては女王国外。

近代のような明確な国境線があるわけでもなし、詳細記載の他の国邑のどこからどこまでが女王国内か、というのは難しい。
全部女王国外とも言えるし、全部女王国内とも言える。

自女王國以北 其戸數道里可得略載

とあるが、「以」を「もって」と訓じることからもわかるように、女王国を以て北、とは女王国も含まれると解釈できるからだ。
A以上、A以下などと表現する場合、その範囲にはAが含まれる。

その場合は、「以北」の境界線は狗奴国と女王国の国境、ということになる。

ただ、(誤用に近いが)Aを含まないとする用例もなくもないから、以北が女王国を除いて北、であると言えなくもない。

「以」の字義を考えると、前者の方が可能性が高い。
0035日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 12:40:07.49
>>33
>魏使が着いた呼子や名護屋浦付近の風景。

「対馬海流」に流されて、「魏使が着いた呼子や名護屋浦付近」は有り得ない と、何度言えばw  @阿波
0036日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 12:43:37.79
)>>15
>「丗有王 皆統屬女王國」

前半と後半は別々の文章だろ。
伊都に(女)王がいて、皆統属していた。
0037日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 12:45:15.18
>>31
又渡一海 千餘里 至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺皆沉没取之

また海を渡る事、千余里。末盧国に至る。山と海すれすれに沿って四千戸余りの住居がある。

草木が盛んに茂り、行く時、前の人が草木に隠されて見えない。人々は魚やアワビを好んで捕り、水の深浅にかかわらず、皆、水に潜ってこれを取っている。

※人と戸が間違えてたので少し修正した。
0038日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 12:45:15.09
末盧国から東南に陸上を五百里行くと伊都国に到る。官はジシといい、副はエイボコ、ヘイキョコという。千余人いる。代々、王が有り、みな女王国に従属している。帯方郡からの使者が往来し、常に足を止める所である。
0039日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 12:47:01.94
>>36
まぁまぁ、  
文章がどうあれ、たびたび中国・半島と倭国(阿波)は往来して通交してるんだから、そんなこと、どうでもよろしいがな。  @阿波
0040日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 12:49:37.34
>>38
東南陸行 五百里 到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐

末盧国から東南に陸上を五百里行くと伊都国に到る。官はジシといい、副はエイボコ、ヘイキョコという。千余戸ある。代々、王が有り、みな女王国に従属している。帯方郡からの使者が往来し、常に足を止める所である。

※ここも人から戸に修正
その他の訳文は38ままなので、悪しからず。
0041日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 12:53:05.17
>>34
・自女王國以北 其戸數道里可得略載

>ただ、(誤用に近いが)Aを含まないとする用例もなくもないから、以北が女王国を除いて北、であると言えなくもない。
>「以」の字義を考えると、前者の方が可能性が高い。

そのような混乱を回避する対策として、陳寿は、
文頭に「自」を付して、女王国が含まれることを明示している。自郡至女王国の自も同様。
0042日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:04:01.31
末廬国から東南へ行くと奴国に至る。そこまでは百里である。官はシバコといい、副はヒドボリという。人口は二万余人。
0043日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:05:12.77
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0044日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:06:18.55
末廬国から東に行けば不弥国に至る。百里である。官はタボといい、副官はヒドボリという。人口は千余人。
0045日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:06:21.25
>>40
郡使往來常所駐

この訳は

帯方郡からの使者が往来し、常に足を止める所である。

これで良いんだろうか?

魏志倭人伝に記載されている限り、帯方郡使が倭国に赴いたのは240年と247年の2回だけ。
使者が常に足を止めるという割には使が来てない。
0046日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:09:10.72
末廬国から南へ行くと、投馬国に至る。水行二十日。官はビビといい、副はビビダリという。人口は、およそ五万余人。
0047日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:12:52.46
末廬国から南へ行くと、邪馬壱(やまい)国に至る。そこが女王の都である。水行十日、陸行一月。

官にイシバがある。次はビバショウといい、次はビバクワシといい、次はドカテイという。人口およそ七万人。
0048日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:18:17.80
>>46
起点が末廬国なら
投馬国の方が邪馬台国までの道のりより遠いのに先に書いてあるのが不自然

普通なら近い方を先に書くだろ?
と、言う事は
投馬国まで水行20日投馬国から水行10日が
文脈的には正しい読み方じゃね?
0049日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:18:44.27
>>36
>「丗有王皆統屬女王國」
>前半と後半は別々の文章だろ。
>伊都に(女)王がいて、皆統属していた。

相変わらず、イトクズ固有の改ざん解釈だな。

丗に王あり、(其の王たちは)皆、女王國に統屬す、。・・・となる。
0051日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:39:37.24
>>48
伊都国も奴国よりも遠いが先に書いてある所を見ると文脈的には問題ないかと
投馬国から水行10日と読むと九州の外に出てしまう
0052日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:41:52.90
>>48
先に書いてある伊都国は奴国よりも不弥国よりも遠いよ
0053日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:43:58.80
>>51
>>52
なら一番先に一番遠い投馬国から
書けばよいだろ?
起点が間違ってるんじゃね?
0054日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:48:17.61
>>53
いや、起点は末廬国で良いと思う
先に陸行で行ける所を書いて、水行で行ける所を後にしただけかと
0055日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 13:51:28.24
>>45
郡使が駐留したのはこの時一回だけだろ。

往来駐留するのは、丗有王皆統屬女王國 だよ。
だから、首都だってことになるんでしょ?

丗有王 じゃ、伊都は 世 じゃない訳で
だからなんだよ? って文章になっちゃうw
0056日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 14:04:50.00
>>55
240年と247年の2回ではないかい?

その後の文は意味がわからない。

原文を抜き出すと
丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐
なので、駐留は郡の使者の事を指している。
0058日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 14:07:50.59
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0059日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 14:17:27.94
魏志倭人伝を改竄して読むのは
このスレの趣旨じゃないので
伊都国と四国の人は
新しいスレを立てて下さい
0060日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 14:19:24.92
1・語学的に絶対に無理が無いこと。

2・原文を絶対に修正しないこと。

3・国々の位置が陸上にあること

前提を絶対に守らなければいけないスレです
0061日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 14:22:01.59
>>60
与那国島の海底遺跡は含めていいですか?
0062日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 14:23:32.92
馬韓54国、辰韓12国、弁辰韓12国の南に接する倭が 
帯方郡から、南至 投馬國 水行二十日を要し 狗邪韓國を含む 投馬国○○国で

そこから水行十日が 邪馬台国 女王の所都へ 陸行一月 を要する。
自郡至女王國 萬二千餘里 つまり、これが水行30日と陸行1月

次有 ―列記21国―、此の次有の21国が全部で、女王境界所盡
其南有 狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
と、書いてあります。

投馬国と邪馬台国は隣接する国であって、
247年の『到』伊都國 で終ってる行程の
都市間の里程を示した文章の都市、末蘆国や不彌国から、
直列行程で繋がるなんてことは、有り得ません。

到と至、動詞の用法の違いが存在し、国の概念と時系列も違います。
南至 投馬國 へ 行程が直列で繋がるという読みは、
>文献を全く理解出来ない、まるで小学生並みの解釈だ。
0063日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 14:31:53.21
倭人伝が2/3ほど進んだところに、次の文章が出てくる。
この文より前に書いてあるのは、まだ卑弥呼が邪馬台国のみの女王であった、共立前の古い時代のことである。

其国本亦以男子為王。住七八十年、倭国乱相攻伐歴年。乃共立一女子為王。名曰卑弥呼。事鬼道能惑衆。


その次には、以下の文が出てくる。
これ以後が、景初二年の朝貢時より後の出来事である。
倭人伝は時代区分に添って、順々に書かれているので、年代をごちゃまぜにしないよう、ご注進。

景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝献。太守劉夏、遣吏将送詣京都。
其年十二月、詔書報倭女王曰
0064日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 14:44:17.42
>>63 ???
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王
名日卑弥呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟佐治國
自為王以来少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人 給飲食傳辭出入居處宮室
樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛
(これは、女王国の歴史)

女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種
又有侏儒國在其南人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國 黒齒國在其東南船行一年可至
(これは中華の 女王国と東の倭、その他、倭全体の概念)

参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里
(そのうえで、参問倭地は九州北部2千里の周旋可五千餘里の小国21国連合だった)
これが、倭人伝の結語。

景初二年六月 以降は238年から247年で終った、魏と女王国との外交史。
0065日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 14:45:14.57
>>63
これも嘘デース
糸クズ糸クズ
0066日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 14:47:45.45
与那国があったか、どう読んで
与那国になったのか興味深いなw
0067日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 14:49:20.98
志賀島金印からも明らかなように、北九州域は漢代ですでに中華の冊封体制に組み込まれていた。
ゆえに、北九州には常的に郡使が来てたわけ。
郡使往來常所駐というのは、そういうこと。

魏帝が汝所在踰遠 乃遣使貢獻是汝之忠孝 我甚哀汝と賞賛したのは、卑弥呼使がそれより遥か遠くから来たから。
数百年前すでに冊封された北九州から朝貢に来たところで、特筆するわけがなかろう。

金印文と卑弥呼に与えられた称号を比較しても明らか。
印文は
「漢委奴國王」、つまり漢の支配下における委のうちの奴国の王、もしくは漢の支配下の委奴国王と、小ボス扱い。
もしも倭王扱いだったら、印文はシンプルに「倭王之印」となる。実際、滇王に贈られた印は「滇王之印」だ。
出雲や吉備の出土からもわかるように、中華は倭の範囲が九州を遥かに越えることを知っていたから、「倭王」とするわけにはいかなかった。

ところが、卑弥呼に与えられたのは
「親魏倭王」と、出雲や吉備など本州勢力も含めた上での倭王と、大ボス扱いの称号。

このとき、すでに北九州は女王国によって「官」の置かれる、地方政体となっていた。
0068日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 15:19:10.49
>>67
東夷伝序文
而公孫淵 仍父祖三世 有遼東
天子爲其絕域 委以海外之事 遂隔斷 東夷不得通

倭人伝 評曰
史漢著 朝鮮両越 東京撰 録西羌
魏世 匈奴遂衰 更有 烏丸鮮卑 爰及 東夷
使譯 時通 記述隨事 豈常也哉

このどこが、
中華の冊封体制に組み込まれていた。
に、なるんでしょう?

官を置いた?
246年、郡は韓王朝を滅ぼし、馬韓と辰韓には、臣智を置いた。
これは、官と呼べる。

しかし、弁韓には王が残り、南岸の倭域には屁のツッパリも及んでいない。
嘘はいかんね。
0069日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 16:25:37.77
>>64
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王
(以下三行略)
(これは、倭人が共立女王を建てたいきさつであるので、共立女王国(共立の「倭女王国」)の歴史)

女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種
又有侏儒國在其南人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國 黒齒國在其東南船行一年可至
(これは中華から見た共立倭女王国と、その東渡海の先の「倭種=倭人ではないが、それに類する一種属」の国々との位置関係の概念)
0070日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 16:42:40.99
>>34
女王国と「此女王境界所盡」や「不屬女王」「去女王四千餘里」の女王とは意味が違う
女王国とは伊都国、奴国のことであり、女王とは邪馬壹國のこと。
0071日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 16:46:20.17
郡使とあるのは、実は帯方郡成立前の公孫氏の使いも含むのでは?
あと、倭国内の官は魏が任じたものではなく、卑弥呼が任じたものだろ。
親魏倭王という大王扱いの金印を与えたのは、狗奴国との対立の中で卑弥呼に統治を任せるための箔付けだよ。
魏志倭人伝には、魏が卑弥呼に属さない地域がたくさんあることは認識されていたみたいだからね。
0073日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 16:54:18.73
>>70
なぜそうなるのかさっぱりわからない。
0074日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 16:57:08.53
女王や女王国と伊都国・奴国とは関係ない。

女王国とは、まずは女王の都があった邪馬壹國のこと。
卑弥呼が共立女王に選ばれてからは、倭30国から成る倭の連邦女王国(倭女王国)のこと。
なお「女王」とは、その時々に女王の影響力が及んでいた範囲(境界)を云う。、
0075日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 17:00:47.51
>>74
違いますよ
女王国とは郡から12000里の地点
即ち伊都国と奴国の中間地点
「女王」とは、女王の影響力が及んでいた範囲、邪馬壹國のこと。
0076日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 17:18:30.14
>>75
女王国とは郡から12000里の地点にあった。
この12000里の地点は、まさに邪馬台国の中にあった女王の都で、現在の高千穂町三田井神殿地区である。
なお卑弥呼の塚は、神殿地区の高千穂神社本殿背後のさほど大きくはないご神体山。
0077日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 17:21:17.79
女王国とは郡から12000里の地点
即ち伊都国と奴国の中間地点 ・・・死せる古田教祖の悪しき弟子たちのいつものセリフ
0078日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 17:23:33.40
>>76
>なお卑弥呼の塚は、神殿地区の高千穂神社本殿背後のさほど大きくはないご神体山。

倭国(阿波)のパクリかと思ったが、円墳じゃなくて、・・・単なる山かww  @阿波
0079日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 17:25:45.52
>>76>>77
陳寿は帯方郡から女王国まで12000里と書いてるんだから
里程を合計して12000里になる場所が女王国だよ
伊都国と奴国の中間地点・・・日向峠付近が女王国だよ。 
0080日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 17:42:16.75
>>56
丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐

丗有王 皆統屬女王 國郡使往來常所駐

これだと前後のバランスがとれる
0081日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 17:47:20.73
>>79
>伊都国と奴国の中間地点・・・日向峠付近が女王国だよ。←←←死せる古田を食いモノにする悪しき弟子たちのいつものセリフ
0082日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 17:48:15.46
>>46
>>44
>>42
うんうん
めちゃくちゃしっくり来るぞ
0083日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 17:52:13.84
>>48
日本的な読み方
0084日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 17:52:40.14
>>78
>倭国(阿波)のパクリかと思ったが、円墳じゃなくて、・・・単なる山かww  @阿波

卑弥呼の墓は円墳ではなく、塚(ちょう)であった。
それにふさわしいのは、そう大きくはないご神体山である。著名な神社に守られているならば、さらにサイコー。
0085日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 17:54:47.74
>>37
誤読だらけの邪馬台国によると
戸は人の意味だから間違いではない
0086日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 17:59:25.51
>>76
水行で三田井まで行けないから
高千穂は無いかな

水行10日 陸行1月は
水行でも陸行でも行ける所、畿内説もここを誤読してるんだよね
今では水行陸行足さないのは常識
0087日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 18:08:45.32
>>86
>水行10日 陸行1月は
>水行でも陸行でも行ける所、畿内説もここを誤読してるんだよね
>今では水行陸行足さないのは常識

水行陸行足さないのは明白な非常識。
役人のしきたりとして、水行でもOK、陸行でもOK、というような両道掛けたあいまいな記述は絶対しない。
既述されるのは、最も確実なただ一つの方法だけだ。
水行10日に陸行1月を足すのが大正解。
0088日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 18:41:39.94
>>87
はっきり言えるが違うな
0089日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 18:44:14.00
>>87
>水行10日に陸行1月を足すのが大正解。

間違いです

その場合は「又」と言う文字が入らないと
意味が伝わらないのです
0090日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 18:46:05.39
>>87
「役人のしきたり」でどうしてそうなるのか?
ここまでの記述では、「始」とか「又」とかできちんと直列つなぎだとわかるように書かれている。
足すのなら「水行十日又陸行一月」と書かれると思う。
0091日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 18:53:00.99
帝国とは、帝の権威の及ぶ範囲。
王国とは、王の権威の及ぶ範囲。
ハン国とは、ハンの権威の及ぶ範囲(オゴタイハン国とか)。

女王国とは、女王の権威の及ぶ範囲。
卑弥呼は「倭王」として封じられてるのだから、倭そのものが女王国。

これは、魏そのものが公式に認めていること。

但し、形式的にはそうでも>>71の指摘にもあるとおり、現実では倭内に非女王国勢力も在ったから、実情はイコールではない。
陳寿は実情に合わせて、倭内の女王勢力圏の意味で女王国という言葉を使っている。
0092日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 18:53:16.35
ここからはよく知られている文面になる。
『南して投馬国にいたるに水行二十日』に関して、ここでは距離が示されていないため、「邪馬台国」の比定の後になる。

さてさて問題の『水行十日、陸行一月』だが・日本では、「まずは水行を十日、その後で陸行を一月」と読んでいるが、張氏は「これも間違い」と指摘している。

もしそのように読むならば、間に「又」のような字が入らなければいけないし、水行十日の後、どこに着くのか、

陸行一月はどこから始まるのかが書かれていなければならないと言っている。それがなければ、上記のようには読めないそうだ。

従って、正しい読み方は「水行するならば十日、陸行するならば一月」・・・「ならば」が正解だそうだ。当時の船は命がけなほど危険な乗り物だったため、

「末蘆国(佐世保)」についた後、好きな方を選べるように両方記載したと思われる。

現代でも、「電車なら〇〇駅から〇分、車なら〇〇インターから〇分」と記載するようなものだろう。この場合の「起点」は文献上、「末蘆国」以外に無いのは

上記の説明の通りだが、さらに追加すると、「水行」したり「陸行」したりできる地域でなければ「末蘆国」に

なり得ないのだから、「直線読み」や「畿内説」で当てはまるかどうか、考えてもらいたい。ここまでで、素直に理解された方は、この本の信憑性を理解してもらえると思う。

張氏は、1・語学的に絶対に無理が無いこと。

2・原文を絶対に修正しないこと。

3・国々の位置が陸上にあること。・・・という前提を絶対に守らなければいけないと言っている。これを見ただけで、幼い時から感じていた矛盾を払拭された感じがする。・・・続く!

参照 張 明澄著「誤読だらけの邪馬台国〜中国人が記紀と倭人伝を読めば・・
0093日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 18:54:38.68
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
この書き方では、水行十日陸行一月が並列という読み方はある。

一連の行程中の文であるなら、動詞の位置としては
南水行十日 至邪馬壹國 陸行一月 到女王之所都
となる。

しかしこれは、行程を直列した文ではなく
南至 投馬國 水行二十日
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月

南に投馬國へ至るには水行20日、
邪馬台国へはさらに南へ水行10日と女王之所都へは陸行一月を要する。
という、
地理的説明の文章であり、投馬國と邪馬台国は 隣接する国である。

前文の里程を示せる町や都市名での行程を示している
到達点の 到伊都國や至不彌國 と 直列で繋げてはいけない。

さらに、この文には、
次有 ―列記21国― 此女王境界所盡
其南有 狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
自郡至女王國 萬二千餘里

が 続き、女王国が21国で構成する事、
水行30日と陸行一月が12000里であることが説明されている。
0094日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:01:52.72
>>93
何言ってるか全然わからない。
0095日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:06:45.13
前スレまでのこのスレ的
邪馬台国有力地域

熊本平野、川内平野、阿蘇、高千穂、雲仙、
日向

阿蘇高千穂は水行陸行を足してるのが判明しましたので除外させていただきます

今ここ

熊本平野、川内平野、雲仙、日向
0096日本@名無史さん
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2019/01/09(水) 19:08:55.59
>>90
渡海の場合は、始度一海で、今日は始めの一つの海を渡った、しかしあしたは、
又もう一つの海を渡り、あさっては更に又もう一つの海を渡る・・・、合計、三つの海を渡るのだ、という感じが良く出ている。

だが上陸後は、いずれのケースでも、始や又は使われていない。
逆に「水行十日又陸行一月」と書けば、水行十日、又は陸行一月、と読まれて今う危険さえ生ずる。
ちなみに、又の語源は、木の股(枝分かれ)からきているそうだ。
0097日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:11:43.63
>>96
それ、中国語じゃなくて日本語でしょ?
0098日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:13:41.28
>>95
大分絞られて来たな
俺は日向に一票
0099日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:14:05.96
>>96

ピンインyòu

1副詞 動作・行為・状態などの繰り返しや連続を示す.◆(1)主語は同じ場合も異なる場合もある.(2)‘又’は既に行なわれた行為を表わし,‘再’はこれから行なわれる行為を表わす.⇒再 zài .
@(前後2つの節にそれぞれ同じ動詞を用いて重複する動作を示し)また,またしても.
https://cjjc.weblio.jp/content/amp/%E5%8F%88
0100日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:15:44.27
チャンさんの根本的な間違いは、

2・原文を絶対に修正しないこと。

古文書には必ずといっていいほど誤謬や誇張が含まれており、他資料などと照合して修正を加えていくのが「正しい読み方」。
チャンさんは残念ながら宮崎や古田、安本あたりと同じく素人研究家に過ぎないから、史書の「正しい読み方」を理解していないんだね。
0101日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:19:51.78
>>85
魏志倭人伝中でも、人は〜人で数えられてるんで、それはない。

一例を挙げると
卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人

卑弥呼が死に、直径百歩程の大きな塚を作り、徇葬者は百人余りの奴隷であった。
0103日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:20:21.49
>>91
女王国は帯方郡から12000里の場所
倭そのものが女王国では意味が通じないよ
魏志倭人伝で女王国とは伊都国、奴国
女王が女王の影響力が及ぶ範囲で邪馬壹國のことだよ。
0104日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:21:09.80
>>95
定番中の定番の、吉野ケ里遺跡は?
0105日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:22:19.33
>>103
倭国=女王国+狗奴国
0106日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:29:04.52
>>105
倭国=投馬國+邪馬壹國+倭種+侏儒國、裸國、黒齒國
狗奴國は倭王卑弥呼に従わず自称王がいるから倭國には含まれない。

・倭國(倭王卑彌呼の支配下)
・・・投馬國(朝鮮半島南岸地域)
・・・・・狗邪韓國
・・倭人(日本列島に住む)
・・・邪馬壹國(北部九州地域)・・・女王と書かれる場合もある。
・・・・・對馬國、一大國、末廬國(自女王國以北の地域)
・・・・・不彌國
・・・・女王國(卑彌呼を共立した中心国)
・・・・・伊都國、奴國
・・・・傍國(斯馬國〜烏奴國の20か国)
・・倭種(中国地方)
・・侏儒國、裸國 黒齒國(四国、関西地方)
・狗奴國(南九州の卑彌弓呼の支配下)
0107日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:29:50.29
>>96 の追加
渡海の場合は、始度一海で、今日は始めの一つの海(海峡)を渡った、しかしあしたは、
又もう一つの海(海峡)を渡り、あさっては更に又もう一つの海(海峡)を渡る・・・、合計、三つの海(海峡)を渡るのだ、という感じが良く出ている。

今の我々は、唐津から釜山まで一続きの海だとみてしまう。
しかし機械船のなかった古代の人たちにとっては、海水面を行くのは当然だが、
それよりも、潮の流れの脅威の方が1000倍も10000倍も関心事であった。
つまり一つの海峡を成功裏に横渡りできるかどうかが、最大の関心事であったであろう。

よし今日は無事一つの海峡を渡ったぞ。明日も同じようにもう一つの海峡を渡り切ろう、、、という繰り返しの心境だな。
0108日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:29:59.19
>>106
違うと思うけどね
0109日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:31:11.87
>>107
99 名前:日本@名無史さん :2019/01/09(水) 19:14:05.96
>>96

ピンインyòu

1副詞 動作・行為・状態などの繰り返しや連続を示す.◆(1)主語は同じ場合も異なる場合もある.(2)‘又’は既に行なわれた行為を表わし,‘再’はこれから行なわれる行為を表わす.⇒再 zài .
@(前後2つの節にそれぞれ同じ動詞を用いて重複する動作を示し)また,またしても.
https://cjjc.weblio.jp/content/amp/%E5%8F%88
0110日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:35:28.36
>>107
「役人のしきたり」ではそんなに気持ち入れないんじゃない?
陳寿がまとめるときにそんな情緒的なものだったら削除すると思うぞ。
0111日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:37:31.78
>>100
>チャンさんの根本的な間違いは

到伊都國で行程が終わり、動詞の無い奴国 と 不彌国を 紹介して終わった。
これは、正しい。

なぜ、末蘆国に戻る? 根本的に誰が見てもおかしいだろ?
港町である末蘆国から、狗邪韓國を含む半島南岸倭人国名の投馬国に戻るのかね?
奴国や不彌国から、奴国を含む邪馬台国に行くの?

奴国が2回出てくるのは、
247年の行程と240年の印綬で参問した女王属21国が重複してるからだよ。

投馬国5万が邪馬台国と並ぶ、半島南岸倭人国だってのは
5ちゃんのチラ裏意外じゃ、禁句なんじゃないのかな?
三国志なんて、韓国で禁書にしとけよ。 
焼いてブルで埋めりゃいいだろwww
0112日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:47:17.49
>>103
女王の影響力の範囲が邪馬台国だと、倭人伝はまったく意味不明になる。
卑弥呼に与えられた号は「倭王」。

女王の支配範囲が邪馬台国の域を大きく出ないなら、号は「邪馬台国王」になる。
滇王之や委奴国王と同じようにね。

しかし現実は「倭王」。非属勢力は存在するにしてもね。
妄想をいくら並べても、現実は変わらんよ。
伊都国のような例を除くと、官の置かれてる国邑は女王国に含まれる可能性が高い委ね。
女王勢力圏外だったら、官は誰が任じたんだよ?っていう。
0113日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:51:35.05
陳寿自身が役人だからねえ
最近思うのだが、倭人伝を、文学博士や考古学者が読んでも大したことにはなりそうもない。
その基本は、まさに、ギンギンの役人思考でコリコリの役人の文章だからな。、
解読を頼むなら、むしろ霞が関のお役人の方がよかろう。
ということは、宮内庁のお役人ならまさにサイコーというわけだ。。

宮内庁のお役人は、とうの昔に倭人伝を読みといており、
ときどき 5ちゃんをのぞき込んでは、ニタニタ、ゲタゲタお笑いになっておられるのではなかろうか。
(そうだ、こいつらアホに、箸墓や西殿を散歩させてやれば、少しは、正気に戻るかもしれぬ・・・)
というようなお下品は、決してまおされないであろうが・・・・、
0114日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:51:43.82
>>100
修正しだすと
あれも間違い、これも間違いとか
言って原文を大幅に塗り替えていく輩がいるから
張氏の基本姿勢は正しい
0115日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:56:51.73
基本姿勢は正しくても読書範囲が限定されているのか
恥ずかしくて頭抱えてしまうようなものも盛られている
0116日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 19:58:30.23
>>112
邪馬壹國は女王卑弥呼の北部九州地域に於ける勢力圏
倭王の称号は北部九州地域だけに止まらず朝鮮半島南岸地域から四国、中国地方までのもの。
0117日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 20:00:01.50
一つ...いや二つ言えるのは

南と東は間違えない
一月と一日を間違えない
0118日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 20:02:45.19
>>112
倭王は漢時100人いたw 

魏では、女王属国21国の大夫は王を称し、
狗奴国以南、壱岐、対馬、狗邪韓國など、30国だのを知る。

半島南岸倭人系諸国、東渡海千里の倭本州や、奇譚の遠国、
絶在海中洲㠀之上周旋可五千餘里、以遠は女王に属さない。

この非統一国で、魏使の行程中には必ず任命される、多分、魏が給料払って雇ってる
魏使が記録しなきゃなんない官は 誰が任じたんだよ?
0119日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 20:06:57.97
>>116
南至邪馬壹國女王之所都 の骨格部は
南至女王之所都

邪馬壹國は倭國女王壹與の名に冠されている
壹與の直接統治範囲
0120日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 20:11:15.56
>>117
南と東は間違えないけど一月と一日を間違える可能性は高いよ
当時は木簡や竹簡を使っていたんだから滲みで月と日は間違えやすい
南と東は形が違い過ぎて間違えようがない。
0121日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/09(水) 20:13:58.25
>>119
「南至邪馬壹國女王之所都」これは朝鮮側の投馬国に女王の都はない
九州側の邪馬壹國に女王の都が在るとの意味です。
 
0122っト
垢版 |
2019/01/09(水) 20:18:51.01
>>118
>この非統一国で、魏使の行程中には必ず任命される、多分、魏が給料払って雇ってる
魏使が記録しなきゃなんない官は 誰が任じたんだよ?

いやだから、倭内の官は女王国によって任じられたんだよ。
つまり、原則的に官が置かれたところは「女王国内」。
名目的にはイコール倭だけど、現実には非属勢力もあるから、女王国は倭の範囲よりは狭い。

たぶん、官の置かれない狗邪韓国は倭人が居たとしても、女王国には含まれない。
別途王の居る狗奴国も女王国には含まれない。
出雲勢力・吉備勢力などについては、従属関係なのか同盟関係なのか、敵対関係なのか中立なのかわからないので不明。

対海国には「大官」が置かれているので、伊都国以上に特殊な関係かも。
独立国でありながら、国王が女王国の官も兼ねているとか。
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