大足彦(景行天皇)が海路で九州に入るとき、筑紫の魁帥である神夏磯媛の出迎えを受け、かわりに朝敵である土蜘蛛を討伐することを求められた。
このとき、神夏磯媛は賢木に八握剣、八咫鏡、八尺瓊を掛けて神威を示している。
これは皇位を象徴する三種の神器そのものである。
日本書紀は神夏磯媛と大足彦のどちらの立場が上であったかぼかしてあるのであるが、
神夏磯媛が筑紫を支配して三種の神器を保有していたのであるから、神夏磯媛こそが当時の筑紫倭国の女王であり、アマテラスやニニギ、卑弥呼の後継者であったと考えられる。
その尊号には筑紫の支配者を意味する帥(そち)の字が使われている。
神夏磯媛は朝廷にまつろわぬ者として、
菟狭(うさ、豊前国宇佐郡、大分県宇佐市)の川上の鼻垂(はなたり)、
御木(みけ、豊前国三毛郡、大分県中津市)の川上の耳垂(みみたり)、
高羽(たかは、豊前国田河郡、福岡県田川市)の川上の麻剥(あさはぎ)、
緑野(みどりの、福岡県北九州市紫川)の川上の土折猪折(つちおりいおり)
を挙げて討伐するように求めるが、いずれも卑弥呼時代の倭国連合の範囲内にほぼ収まる。
耳垂の名は、魏志倭人伝において投馬国の官と副官である彌彌(みみ)と彌彌那利(みみたり)とも同じである。
大足彦より前とされる神武東征の折にはすでに菟狭の川上には後の宇佐国造家の祖である菟狭津彦と菟狭津媛がいたことになっている。
すなわちこの戦いは異国や異民族との戦いではなく、倭国内部の権力闘争であり、筑紫の女王である神夏磯媛にしてみれば分家(ワケ)である大足彦忍代別の兵力を借りて国内にいる政敵を倒したことになり、
神夏磯媛が言う朝廷は大足彦ではなく自らの倭国王権を指していたことになる。