倭人伝が2/3ほど進んだところに、次の文章が出てくる。
この文より前に書いてあるのは、まだ卑弥呼が邪馬台国のみの女王であった、共立前の古い時代のことである。

其国本亦以男子為王。住七八十年、倭国乱相攻伐歴年。乃共立一女子為王。名曰卑弥呼。事鬼道能惑衆。


その次には、以下の文が出てくる。
これ以後が、景初二年の朝貢時より後の出来事である。
倭人伝は時代区分に添って、順々に書かれているので、年代をごちゃまぜにしないよう、ご注進。

景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝献。太守劉夏、遣吏将送詣京都。
其年十二月、詔書報倭女王曰