荒神谷遺跡だけでも、そこにあった銅剣の総数はそれまでに全国で出土した銅剣の総数を超えていたことから、出雲に強大な権力があったことは間違いない。
その年代はおよそ弥生中期とのことなので、伊都国の成立よりも早くなる。
少数の銅矛(九州北部製)と銅鐸も整然と埋納されていた。
想像を働かせると、出雲の国譲りにおける武装解除で埋納した武器かもしれない。
四隅突出型墳は、その後に出雲を支配した出雲国造家(天津神の末裔)のものかもしれない。
あくまでも想像だけれどね。