一大率という地方監察部を置く必要があったのは。北九州域の女王に対する帰順度が相対的に低かったからだろう。
中でも奴国は北九州の盟主的地位にあり、女王にとっては脅威だったはず。

千戸余りの小邑に過ぎない伊都が郡使一時駐在所・一大率本部が置かれる要地となったのは、外様地域において数少ない親藩譜代と言える國だったから。

他の國も女王国の支配下にある事は明確なのに、伊都のみ「丗有王 皆統屬女王國」と歴代の王にまで言及があるのは、帰順してから長い=忠誠度が高いことを表現している。