【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬五
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
九州に決まっとろうが
福岡県山門郡、筑紫、糸島、大宰府、鐘崎、鹿児島県川内、出水、阿久根、宮崎県日向、延岡、高千穂、熊本県熊本、阿蘇、八代、球磨郡、人吉、佐賀県唐津、伊万里、長崎県松浦、佐世保、雲仙、島原、天草、潜木、塩田周辺を今すぐ発掘せよ!
邪馬台国畿内説の根拠は
邪馬台=大和=奈良(完)と言う
風潮に論理的に反論するスレです
九州中南部説、九州南部説、魏志倭人伝から邪馬台国の位置を推測する議論等々も大歓迎です!
*荒らしはスルーで
過剰なコピペは厳禁 ここからはよく知られている文面になる。
『南して投馬国にいたるに水行二十日』に関して、ここでは距離が示されていないため、「邪馬台国」の比定の後になる。
さてさて問題の『水行十日、陸行一月』だが・日本では、「まずは水行を十日、その後で陸行を一月」と読んでいるが、張氏は「これも間違い」と指摘している。
もしそのように読むならば、間に「又」のような字が入らなければいけないし、水行十日の後、どこに着くのか、
陸行一月はどこから始まるのかが書かれていなければならないと言っている。それがなければ、上記のようには読めないそうだ。
従って、正しい読み方は「水行するならば十日、陸行するならば一月」・・・「ならば」が正解だそうだ。当時の船は命がけなほど危険な乗り物だったため、
「末蘆国(佐世保)」についた後、好きな方を選べるように両方記載したと思われる。
現代でも、「電車なら〇〇駅から〇分、車なら〇〇インターから〇分」と記載するようなものだろう。この場合の「起点」は文献上、「末蘆国」以外に無いのは
上記の説明の通りだが、さらに追加すると、「水行」したり「陸行」したりできる地域でなければ「末蘆国」に
なり得ないのだから、「直線読み」や「畿内説」で当てはまるかどうか、考えてもらいたい。ここまでで、素直に理解された方は、この本の信憑性を理解してもらえると思う。
張氏は、1・語学的に絶対に無理が無いこと。
2・原文を絶対に修正しないこと。
3・国々の位置が陸上にあること。・・・という前提を絶対に守らなければいけないと言っている。これを見ただけで、幼い時から感じていた矛盾を払拭された感じがする。・・・続く!
参照 張 明澄著「誤読だらけの邪馬台国〜中国人が記紀と倭人伝を読めば・・ 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
この書き方では、水行十日陸行一月が並列という読み方はある。
一連の行程中の文であるなら、動詞の位置としては
南水行十日 至邪馬壹國 陸行一月 到女王之所都
となる。
しかしこれは、行程を直列した文ではなく
南至 投馬國 水行二十日
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
南に投馬國へ至るには水行20日、
邪馬台国へはさらに南へ水行10日と女王之所都へは陸行一月を要する。
という、
地理的説明の文章であり、投馬國と邪馬台国は 隣接する国である。
前文の里程を示せる町や都市名での行程を示している
到達点の 到伊都國や至不彌國 と 直列で繋げてはいけない。
さらに、この文には、
次有 ―列記21国― 此女王境界所盡
其南有 狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
自郡至女王國 萬二千餘里
が 続き、女王国が21国で構成する事、
水行30日と陸行一月が12000里であることが説明されている。 前スレまでのこのスレ的
邪馬台国有力地域
熊本平野、川内平野、阿蘇、高千穂、雲仙、
日向
阿蘇高千穂は水行陸行を足してるのが判明しましたので除外させていただきます
今ここ
↓
熊本平野、川内平野、雲仙、日向 >>90
渡海の場合は、始度一海で、今日は始めの一つの海を渡った、しかしあしたは、
又もう一つの海を渡り、あさっては更に又もう一つの海を渡る・・・、合計、三つの海を渡るのだ、という感じが良く出ている。
だが上陸後は、いずれのケースでも、始や又は使われていない。
逆に「水行十日又陸行一月」と書けば、水行十日、又は陸行一月、と読まれて今う危険さえ生ずる。
ちなみに、又の語源は、木の股(枝分かれ)からきているそうだ。 >>96
又
ピンインyòu
1副詞 動作・行為・状態などの繰り返しや連続を示す.◆(1)主語は同じ場合も異なる場合もある.(2)‘又’は既に行なわれた行為を表わし,‘再’はこれから行なわれる行為を表わす.⇒再 zài .
@(前後2つの節にそれぞれ同じ動詞を用いて重複する動作を示し)また,またしても.
https://cjjc.weblio.jp/content/amp/%E5%8F%88 チャンさんの根本的な間違いは、
2・原文を絶対に修正しないこと。
古文書には必ずといっていいほど誤謬や誇張が含まれており、他資料などと照合して修正を加えていくのが「正しい読み方」。
チャンさんは残念ながら宮崎や古田、安本あたりと同じく素人研究家に過ぎないから、史書の「正しい読み方」を理解していないんだね。 >>85
魏志倭人伝中でも、人は〜人で数えられてるんで、それはない。
一例を挙げると
卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人
卑弥呼が死に、直径百歩程の大きな塚を作り、徇葬者は百人余りの奴隷であった。 >>91
女王国は帯方郡から12000里の場所
倭そのものが女王国では意味が通じないよ
魏志倭人伝で女王国とは伊都国、奴国
女王が女王の影響力が及ぶ範囲で邪馬壹國のことだよ。 >>105
倭国=投馬國+邪馬壹國+倭種+侏儒國、裸國、黒齒國
狗奴國は倭王卑弥呼に従わず自称王がいるから倭國には含まれない。
・倭國(倭王卑彌呼の支配下)
・・・投馬國(朝鮮半島南岸地域)
・・・・・狗邪韓國
・・倭人(日本列島に住む)
・・・邪馬壹國(北部九州地域)・・・女王と書かれる場合もある。
・・・・・對馬國、一大國、末廬國(自女王國以北の地域)
・・・・・不彌國
・・・・女王國(卑彌呼を共立した中心国)
・・・・・伊都國、奴國
・・・・傍國(斯馬國〜烏奴國の20か国)
・・倭種(中国地方)
・・侏儒國、裸國 黒齒國(四国、関西地方)
・狗奴國(南九州の卑彌弓呼の支配下) >>96 の追加
渡海の場合は、始度一海で、今日は始めの一つの海(海峡)を渡った、しかしあしたは、
又もう一つの海(海峡)を渡り、あさっては更に又もう一つの海(海峡)を渡る・・・、合計、三つの海(海峡)を渡るのだ、という感じが良く出ている。
今の我々は、唐津から釜山まで一続きの海だとみてしまう。
しかし機械船のなかった古代の人たちにとっては、海水面を行くのは当然だが、
それよりも、潮の流れの脅威の方が1000倍も10000倍も関心事であった。
つまり一つの海峡を成功裏に横渡りできるかどうかが、最大の関心事であったであろう。
よし今日は無事一つの海峡を渡ったぞ。明日も同じようにもう一つの海峡を渡り切ろう、、、という繰り返しの心境だな。 >>107
99 名前:日本@名無史さん :2019/01/09(水) 19:14:05.96
>>96
又
ピンインyòu
1副詞 動作・行為・状態などの繰り返しや連続を示す.◆(1)主語は同じ場合も異なる場合もある.(2)‘又’は既に行なわれた行為を表わし,‘再’はこれから行なわれる行為を表わす.⇒再 zài .
@(前後2つの節にそれぞれ同じ動詞を用いて重複する動作を示し)また,またしても.
https://cjjc.weblio.jp/content/amp/%E5%8F%88 >>107
「役人のしきたり」ではそんなに気持ち入れないんじゃない?
陳寿がまとめるときにそんな情緒的なものだったら削除すると思うぞ。 >>100
>チャンさんの根本的な間違いは
到伊都國で行程が終わり、動詞の無い奴国 と 不彌国を 紹介して終わった。
これは、正しい。
なぜ、末蘆国に戻る? 根本的に誰が見てもおかしいだろ?
港町である末蘆国から、狗邪韓國を含む半島南岸倭人国名の投馬国に戻るのかね?
奴国や不彌国から、奴国を含む邪馬台国に行くの?
奴国が2回出てくるのは、
247年の行程と240年の印綬で参問した女王属21国が重複してるからだよ。
投馬国5万が邪馬台国と並ぶ、半島南岸倭人国だってのは
5ちゃんのチラ裏意外じゃ、禁句なんじゃないのかな?
三国志なんて、韓国で禁書にしとけよ。
焼いてブルで埋めりゃいいだろwww >>103
女王の影響力の範囲が邪馬台国だと、倭人伝はまったく意味不明になる。
卑弥呼に与えられた号は「倭王」。
女王の支配範囲が邪馬台国の域を大きく出ないなら、号は「邪馬台国王」になる。
滇王之や委奴国王と同じようにね。
しかし現実は「倭王」。非属勢力は存在するにしてもね。
妄想をいくら並べても、現実は変わらんよ。
伊都国のような例を除くと、官の置かれてる国邑は女王国に含まれる可能性が高い委ね。
女王勢力圏外だったら、官は誰が任じたんだよ?っていう。 陳寿自身が役人だからねえ
最近思うのだが、倭人伝を、文学博士や考古学者が読んでも大したことにはなりそうもない。
その基本は、まさに、ギンギンの役人思考でコリコリの役人の文章だからな。、
解読を頼むなら、むしろ霞が関のお役人の方がよかろう。
ということは、宮内庁のお役人ならまさにサイコーというわけだ。。
宮内庁のお役人は、とうの昔に倭人伝を読みといており、
ときどき 5ちゃんをのぞき込んでは、ニタニタ、ゲタゲタお笑いになっておられるのではなかろうか。
(そうだ、こいつらアホに、箸墓や西殿を散歩させてやれば、少しは、正気に戻るかもしれぬ・・・)
というようなお下品は、決してまおされないであろうが・・・・、 >>100
修正しだすと
あれも間違い、これも間違いとか
言って原文を大幅に塗り替えていく輩がいるから
張氏の基本姿勢は正しい 基本姿勢は正しくても読書範囲が限定されているのか
恥ずかしくて頭抱えてしまうようなものも盛られている >>112
邪馬壹國は女王卑弥呼の北部九州地域に於ける勢力圏
倭王の称号は北部九州地域だけに止まらず朝鮮半島南岸地域から四国、中国地方までのもの。 一つ...いや二つ言えるのは
南と東は間違えない
一月と一日を間違えない >>112
倭王は漢時100人いたw
魏では、女王属国21国の大夫は王を称し、
狗奴国以南、壱岐、対馬、狗邪韓國など、30国だのを知る。
半島南岸倭人系諸国、東渡海千里の倭本州や、奇譚の遠国、
絶在海中洲㠀之上周旋可五千餘里、以遠は女王に属さない。
この非統一国で、魏使の行程中には必ず任命される、多分、魏が給料払って雇ってる
魏使が記録しなきゃなんない官は 誰が任じたんだよ? >>116
南至邪馬壹國女王之所都 の骨格部は
南至女王之所都
邪馬壹國は倭國女王壹與の名に冠されている
壹與の直接統治範囲 >>117
南と東は間違えないけど一月と一日を間違える可能性は高いよ
当時は木簡や竹簡を使っていたんだから滲みで月と日は間違えやすい
南と東は形が違い過ぎて間違えようがない。 >>119
「南至邪馬壹國女王之所都」これは朝鮮側の投馬国に女王の都はない
九州側の邪馬壹國に女王の都が在るとの意味です。
>>118
>この非統一国で、魏使の行程中には必ず任命される、多分、魏が給料払って雇ってる
魏使が記録しなきゃなんない官は 誰が任じたんだよ?
いやだから、倭内の官は女王国によって任じられたんだよ。
つまり、原則的に官が置かれたところは「女王国内」。
名目的にはイコール倭だけど、現実には非属勢力もあるから、女王国は倭の範囲よりは狭い。
たぶん、官の置かれない狗邪韓国は倭人が居たとしても、女王国には含まれない。
別途王の居る狗奴国も女王国には含まれない。
出雲勢力・吉備勢力などについては、従属関係なのか同盟関係なのか、敵対関係なのか中立なのかわからないので不明。
対海国には「大官」が置かれているので、伊都国以上に特殊な関係かも。
独立国でありながら、国王が女王国の官も兼ねているとか。 >>119
普通に前から読めばいいさ
南至邪馬壹國女王之所都
南に進んで邪馬台国に至る。女王の都である。
変な色眼鏡で読むから、余計にややこしくなる。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>122
出雲や吉備は本州にあり倭種に比定されるだろ?
つまり、倭国では詳しくわかっていなかった。 九州に上陸してからの
起点が末廬国と言うは定説になりつつある
そこから水行10日陸行1月で行ける所が邪馬台国だ
そうなると絞られてくるし
今世紀中には答えが出ると思う >南と東は間違えないけど一月と一日を間違える可能性は高いよ
そんな可能性は高くない
間違える奴は見たことないし
3歳児でも間違えない
いないと断言出来るレベル >>129
>そんな可能性は高くない
根拠は?
>間違える奴は見たことないし
お前の経験なんか根拠にならねえよ >>114
張氏の読み方はどの邪馬台国研究家よりも秀逸だよなぁ、川内に発掘されていない弥生遺跡があると言われてるし、本当にそれが邪馬台国だと思うよ 南至邪馬壹國女王之所都 の骨格部は
南至女王之所都
女王之所都
=女王治所
=女王國
邪馬壹國は倭國女王壹與の名に冠されている
壹與の直接統治範囲
邪馬壹國は陳壽の命名でしょうか
いずれにしても卑弥呼とは無関係らしい >>131
俺も張氏の読み方に一目をおいてるが
佐世保を末廬国に比定したのは間違いだと思う
魏志倭人伝を誤読はしていないが読解もしていないのが張氏の読み方 >南と東は間違えないけど一月と一日を間違える可能性は高いよ
間違える可能性は高いが、だから間違えたとは言えない
それに、十日の次の一月だからねうちがあるのであって、そこが1日ではちゃんちゃらおかしい。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >魏志倭人伝中でも、人は〜人で数えられてるんで、それはない。
戸は家ではなく人
古代都市の人口は首都で七万人が妥当
戸を人の意味で使われてる資料もあるそうだから、けしてない事でははないですね >>133
だから末廬国は糸島だね
張氏の読み方を踏襲しながら
末廬国の比定を周辺遺跡を元に割り出す
と言う方法をとれば、かなり真理に近づくはずだ >>129
紙じゃなくて木や竹を削って書いてたんだぜ。
>>134
言ってる意味が分からんなw >>131
張氏の読み方なんて糞じゃんw
お前頭悪いなwww 邪馬台国は海から近かったんだよ。
そもそも日本には陸行一月かかる土地がない。 >>132
邪馬壹國は240年に印綬で王宮迄行軍した建中校尉梯儁の命名。
この時女王国の国勢として、列記21王国を参問し、総戸数7万戸と報告した。
和名の所属国21国に、漢字を当てたのも梯儁以外にない。
この一国、邪馬国に、女王の王宮、臺が有った。
これを、筑紫21王国連邦の総称、邪馬台国とした。
ちなみに、梯儁命名の
奴国の王は
奴王/(難)升米
都支王/(都市)牛利
巳百支王/(伊聲耆)掖邪狗
は 比定可能。 >>140
陸行一月だとどんなにゆっくりと進んでも九州から関西くらいまでは着くな
当時九州から関西までの道なんて存在してないだろうし
船で近くの海岸まで行って最後の1日くらいを歩いて目的地まで行くのが合理的だよな。 >>140
陸行一月が2千里で対馬海峡の三分の二。
九州上陸後、筑紫平野の南麓を越えない。
この南限に女王宮が有った。
という、報告が倭人伝。 >>140
佐賀から熊本は湿地帯でクリークが多かったようだから、一月かかってもおかしくないのではないかな?
クリークには橋はないから上流に回っては浅瀬を進まないといけないから。 >>133
佐世保にも松浦があるし
まんざら間違いでもないと思うが >>143、>>144
お前完全に頭逝かれてるぞw >>145
魏志倭人伝の記述によると末廬国は東松浦半島から糸島市西部
西の端が佐世保付近まで有ったか無かったは分からないな。 松浦(まつら)から、松浦ー釜山間の2/3にあたる二千里といえば、
どう見ても、筑肥山地を超えた熊本平野だな、
コリャどうしようもない事実、
東京帝国大学の白鳥庫吉博士も、すでに明治のころから指摘していたこと。 水行一日が千里で、陸行一月が2千里で
気が狂ってるなw >>140
>そもそも日本には陸行一月かかる土地がない。
「陸行一月」
陸行一月区間(旧土佐街道 別名土佐浜街道) 途中の河川は川船で渡河
投馬国(土佐国宿毛) ➡ 魏使一行 阿南市若杉山辰砂採掘現場視察 ➡ 女王国(阿波国鮎喰川下流域集落群)
距離約350km 歩行速度11.7km/日 だと、何度言えばw @阿波 >>145
佐世保を良しとしても
伊都国を塩田に比定してる
回りにそれらしい遺跡は無さそうだし
距離と方角だけで読んだらこうなりました
と言う例題的な比定地だと思うよ >>145
張氏の読み方?
佐世保は考古立証的には、
邪馬台国=女王属国ではないのではないかな?
女王属国は、西の唐津は微妙、
東の宗像、飯塚、田川は外。
南、日田、大牟田は微妙なのではないかな?
張氏の読み方は結局
意味不明の直列読みで逝っちゃってるでしょ?
投馬国は半島南岸倭人国
これを、言うと韓国ガァガァなだけ。
今日ビは、5ちゃんの中学生でも
BC200以前から青銅移入で存在した半島南岸倭国の存在を理解している。
張氏の読み方? じゃ 現代人には無理じゃないかな?
日本は、友好国、239年公孫氏滅亡や246韓王朝滅亡を見て
魏と結んだ九州邪馬台国を一大卒による統制下にして
高句麗戦で牛馬や鉄の国内生産を為し350年の百済、新羅の建国を支援した。 >>149
>水行一日が千里で、陸行一月が2千里で
水行一日は千里が、当時の中国の相場がそれだったのよ。
もっとも、陸行は道なき道を行くのだから、実際の日数はみちによりてんでばらばら、
倭人伝に、2千里を一月と書いてあるのだから、それもやむをえまい >>139
>>>131
>張氏の読み方なんて糞じゃんw
>お前頭悪いなwww
じゃあ、糞じゃない読み方は誰のやつ?
まさか、あなたのオリジナル? 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>153
塩田は音読みでイェンティェ
伊都はイィトゥ
さほど遠くも無いかと 末盧国からは、邪馬台国のいくつかの友好国を通て女王の都へ到る古道を示しているわけだ。。
古道を行かず、直接に卑弥呼の都へ行くだけなら、もっと便利な水行の道もあったであろう。が、それは別問題。 >>155
対馬海峡は千里×3回であっても水行十日だが?
里程と日程が同列で繋がらないということは理解できるかな? >>158
ほーほー
末廬国=佐世保松浦
伊都国=塩田
で、潜木は本当に奴国??w >>155
>水行一日は千里が、当時の中国の相場がそれだったのよ。
ソースは?
>倭人伝に、2千里を一月と書いてあるのだから、それもやむをえまい
何処に? >>154
アンタ、張氏の本読んだことなくて書いてるだろ >>161
>対馬海峡は千里×3回であっても水行十日だが?
水行10日の起点は帯方郡の港。
帯方郡から狗邪韓国まで7000里それに3海峡を3日で3千里、合計して1万里を水行10日の中国式勘定だよ。 >>164
佐世保は水銀の鉱山があったらしいんだよね。「其山有丹」には有利なんだけどなぁ。 >>159
末盧国は邪馬台国21王国の中に無い。
邪馬台国を構成する王の有る21国の中の
いずれかの国に所属する港町なのではないかな? >>165
それで残り2000里を陸にしたのかw
幾ら何でも2000里を1月は無理筋だなwww
アホwww >>167
「自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳」
ですから違います。 >>164
張氏の倭人伝解釈の間違いは明白だが?
君がアタシの倭人伝解釈の何を否定し何を聞きたいのか? 高校の漢文の教科書を一からやり直して
まずは漢文を読めるようにしろよ、痴呆老人共 >>172
張氏によると漢文で読むからダメみたいだぞ。
中国語で読まないと。 >>170
張さんは解釈とか読解に進む前に
まずは普通に読む事から始めましょう
と言うスタンスだろ >>168
ほう、なか察しが良いではないか。
此の松浦(まつら・唐津)から熊本市まで、中世九州路の駅家は20余有る、1日1駅として20日かかった計算だ。
倭人伝のも、けっこう適切な日数であろう。 >>161
対馬海峡は水行3日。
半島沿岸七千里で7日消費している。
帯方郡から九州の北岸まで一万里、日数なら10日。 >>177
>1日1駅として20日かかった計算だ。
1日に10駅分くらいは進んだんだよ。 古代の陸行は食料調達に雨宿り
野宿や宿泊先での滞在時間も含めて
1日平均5キロ程度進めば上々だろ
5×30=150キロ
ちょうど二千里だ 畿内説に限界を感じてお邪魔しに来ました
良スレですね、しばらくロムりますが、よろしくお願いします >>166
佐世保はマッチョ海人もいるし
21国の比定地が長崎、佐賀が多い 【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊佐早国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は長崎県長崎市(または長崎県西彼杵郡)または嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は高来郡(長崎県雲仙市)
7番 不呼国は須古(佐賀県杵島郡白石町)
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の広川か高良台、室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲
邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)→あわせて邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/lo1K3BJ.jpg 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 九州着いてから陸沿いに船で行くと熊本より佐賀の方が遠くなると思うんだけど
熊本→邪馬台国 佐賀→投馬国って無いかな?熊本まで10日だと宮崎まで20日で行けると思えないんだよね
素人考えなんだけど >>187
熊本は狗奴国で、男王卑弥弓呼素がいたんじゃないかな?
定説通りの吉野ケ里を邪馬台国と比定した場合、南に位置し、争っていた位置関係的にも無難でもある。
3世紀後半から4世紀にかけて、どうせ熊襲側が女王国を駆逐してるんだし、わざわざ負け組にならなくてもいいよ。 張氏の読み方を踏襲しながら
周辺遺跡を考慮して比定地を探すと
以下の地域が浮上する
雲仙、熊本平野、川内平野、延岡、日向 女王国の南に侏儒国がある。人の背丈は三、四尺(72p〜96p)で、女王国を去ること四千余里。また、裸国と黒歯国があり、また、その(女王国の)東南にある。船で一年行くと着く。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています