>>213
一万五百里は帯方郡から伊都国までの距離でしかない。

帯方郡から狗邪韓国までが七千里
狗邪韓国から対海国までが千里
対海国から一大国までが千里
一大国から末盧国までが千里
末盧国から伊都国までが五百里

ここまでを加算すると一万五百里


魏志倭人伝には更に続きがある。

伊都国から奴国までが百里
奴国から不弥国までが百里
不弥国から投馬国までが水行二十日(距離未計測)
投馬国から邪馬台国までが水行十日、陸行一月(距離未計測)

伊都国から二百里と水行一月、陸行一月離れたところに邪馬台国がある。

遥か彼方だから万二千里と表現した。
大宛国、烏弋山離国、安息国、大月氏国、康居国でも使われている表現なので、実数でないと解釈するほうが自然で
日数を行程の言い換えだとか言うような、根拠のない言い訳を考えるより、まだ遥かに筋のまともな解釈。