【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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>>441
ここの趣旨に合わないんだから出ていってくれと頼んでるだけなんだが >>442
「魏志倭人伝を正しく読む「」だろ? 私もその趣旨なんだがw @阿波 >>443
> はい、次。じゃねーよ阿波さん・・・
> 誰も阿波さんと対話する気がないのは明白でしょう?
> むしろアンチ阿波が連投で罵るだけ
> 結果的に迷惑になってるのは気づいているよね?
> お願いだから自スレで自説の披露をしていてくれよ >>444
九州説が魏志倭人伝を正しく読んでいないから、ここへ来ているんだよ。 @阿波 >>433
タチハナは岬のことだろうという説がある。
アワキハラは集落の名前。
ここで植物の名前を挙げる必然性がない。 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹いて
様々なスレを逃げ回り、あらためて妄想を書きなぐる >>449
ほぼ正しいが、あちこちに貼りすぎだ。
自重しろ。 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹いて
様々なスレを逃げ回り、あらためて妄想を書きなぐる _人人人人人人人人人人人人人人人_
> チョンコロがいるぞ殺せ!! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
倭人
三 ( ´・ω)
三 ー(‐∪─→
三 / ̄ ̄ ̄ 》  ̄\
三三 | ナウマン象U ・ | 死にたくないニダ!!!
三 と| ι| | 三┏<;`Д´ >┛
三 /_∧∨ ̄ ̄/_∧U 三 ┛ ┓ ´ ヾ
゛ (⌒) ヽ
((、´゛))
|||||
マスター、このスレの奴らにはトンスルは一切やらないで!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ | ∠|
(゜\./,_ ┴./゜ノ(
\ \iii'/ /,!||!ヽ
/V,,ニ..,ニ、、 ノ( \
\ヽY~~/~y} `/~,/ ∧ ∧
| ,k.,.,!,.,.,r| ,! く / `ー一′丶
<ニニニ'ノ \/ : : :: :: :::::ヽ
. ▼ >、/⌒ヽ | : : :: :: :::::::::l
─‐⊥‐ッ'-‐y' / i_ ヽ、 : : :: :: :::::::/
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妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン、海人族スレでは摂津チョンコ
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹き、様々なスレを逃げ回る
そして突如として別キャラでネチネチと書き殴ることも少なくない
しばらくすると記憶喪失を発動させて懲りずに妄想を書きなぐるが、読解力に乏しく、
また思考に一貫性がないのでアルツハイマーの可能性が高 ┏━━┓ ┏━┓┏┓┏━━━┓
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┗┛ ┗━┛ ┗━━━━━━━┛┗┛┗┛┗┛ ┗━┛ ┗┛ ┗━━┛ ┗┛ 阿波チョンと畿内チョンが来ないと過疎化が止まらんな 奴国と伊都国をあわせた土地が女王国であろう。
邪馬台国は筑前全体。 >>462
ぎしわじんでんの漢文をちゃんと読めれば伊都國が女王国ではないと分かる。 >>463
そんなの常識だろ
一大率が伊都に設置されてると思ってるやつは原文を読めないニワカ古代史マニア バイアスかかりすぎの者同士が議論しても、有益な議論にならんわな。 ついに「陸行一月」の謎が解けたyo!
魏志倭人伝・二千字の核心は「倭国(女王之所都)=計其道里 當在会稽東冶之東(道里を計るに、まさに会稽東冶の東にあるべし)」の一文。
1.西晋司馬懿(秀吉)は明帝曹叡(信長)の後見人指名がなければ皇帝になれなかった(大恩人・明帝が特別厚遇した倭国王卑弥呼)→明帝曹叡の(自分を後見人に選んだ)聡明さを強調したい。
2.魏の帝都・洛陽から見て呉(孫権の帝都・建業)との戦いにおいて最高の牽制となる背後にあるためには、倭国「女王之所都」が
蘇州の「東治(シ・さんずい)」ではなく、そこから更に約580km南の福州の「東冶(ン・にすい)」の東の海上にある必要(読み手にそう思わせたい)。
3.しかし本当の位置も残さなければならない。
4.倭国の気候&風俗(服装、産物、動物、武器)は、南越(ベトナム)国境にある海南島の大陸側、?耳・朱崖に似ている。
そこで陳寿が行った忖度が、九州島(倭国)が海南島(?耳&朱崖)まで届く、中国大陸をすっぽり包み込む、南北に長大な「一つの山島」であるように思わせるテクニック。
まず、正解の【1.奴国ルート】と、喧伝したい「當在会稽冶之東」に合わせた【2.邪馬台国ルート(幻)】を設定。
「奴国」を2回使って「女王之所都」が「奴国だよ、奴国だよ」と正解の【1.奴国ルート】を暗示しつつ(ダチョウ倶楽部「押すなよ、押すなよ」←2回目の念押しがポイント)、
次に、九州島が南北に「陸行半月」であることを倭人から聞き「夷人不知里数、但計以日(7世紀隋書倭国伝)」、
それを南に2倍して東シナ海に浮かぶ幻の「陸行半月」九州島(南部)を付け足し、「陸行一月」として、【2.邪馬台国ルート(幻)】を創り、福州「東冶(ン・にすい)」の東に「女王之所都」を合わせた。
同時に倭国に行ったことがある中国知識人には「陸行一日(奴国)」の間違いとすぐに気が付くようにもした(「日」の両端の棒を下に延ばし日+Л→「月」)。
卑弥呼は、漢委奴国王以来の奴国王・帥升「其國本亦以男子為王 住七八十年」(上皇明仁)の男系女子(孫娘)で、先祖である歴代倭王(死者=鬼)の神託を聞くイタコとして(鬼道政治の実態)、北部九州30カ国から共立された巫女(愛子内親王)。
邪馬台国七万戸=奴国二万戸(福岡平野)+(南の狗奴国に狙われた)後背地・筑紫平野五万戸。 「有明海は干満差6-7mだ。」
奥行きが深く、水深の浅い湾では、干満差が大きくなるんだよ 有明海の干満の差で海岸線は4kmほど変化する。
しかし干潟は魚貝類の宝庫で海の畑みたいなもんだからね。 畿内説石野船長「南→東と読み替えて、不弥国から東に進み投馬国(出雲)を目指そう!次は女王卑弥呼の纏向だw全速前進!」
畿内説寺澤機関長「順風満帆!やはりこちらが正しかったですねw天も我々を祝福しているかのようですw九州説の警告なんて無視して良かったw」
畿内説橋本航海士「前方に氷山発見!!!!!!」
畿内説石野船長「エンジン逆回転!!全速後退!!」
畿内説寺澤機関長「なんで方角を読み替えたんだ!!!船長のくせに!!!このハゲェェェ〜ッ!!!」
畿内説橋本航海士「フル回転中の逆回転でギア全損!!!エンジン爆発四散!!!間に合いません!!!!!」
(フルスピード→ノーブレーキで氷山に乗り上げ衝突し、再び着水する畿内説タイタニック号)ガッツン!ドッカン!ザブン!
(船側&船底外板を船首から船尾まで横一直線に切り裂く音)ギギギギギギギ!!!
ザァアアアアアアア!!!(全隔壁に一気に浸水、瞬時に沈む畿内説タイタニック号)
畿内説石野寺澤橋本「ぎゃあああああああああああああああ!!」(大量の布留式土器と三角縁神獣鏡と共に海底に引き摺りこまれ、海の藻屑と化す畿内説タイタニック号)
https://www.youtube.com/watch?v=3i7rDgy-aOY
一方、九州説オリンピック号でゎ…
九州説A「畿内説タイタニック号から遭難信号SOS傍受!!」
九州説B「あれほど警告したのに、なんで東(大国主・大物主・饒速日3代の纏向宮殿→箸墓〜Ω王墓担当の物部氏)に向かったんだろう?直ちに救助に向かおう!」
九州説C「纏向の大型建物ABCDは2世紀末には遡れないのに!!!」
不弥国の東の海上に到着した九州説オリンピック号が見た光景は…
因幡の白兎同様、サメの餌食となった畿内説タイタニック号の乗客乗員の遺体の一部と思しき夥しい肉片&骨片が散乱…血で真っ赤に染まった波間に石野船長と寺澤機関長のものと思しきメッキ縁眼鏡がキラキラ&プカプカ浮かんでいる…
茫然自失の「九州」説ABC「だから船乗りの方角間違え(南→東)は帰港できなくなるからあり得ない、纏向は「本州」島の毛人王権ってあれほど言ったのに...orz」 >>468の図解(模式図)だyo(スマホ&タブレットのみんな、ズレ杉スマソ!)
洛陽┏━┓帯方郡 ┏┛〜〜〜〜〜
┃ ┗狗邪韓国┛〜〜〜〜〜〜〜東→✖畿内説TITANIC沈没地点(†乗客乗員>>471)
【魏】┃〜〜〜↓※南「水行十日」〜↗〜〜┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃〜〜▲対馬〜〜〜〜〜〜↗.〜〜〜┃「女王国東渡海千余里 複有国 皆倭種」 §琵琶湖
↓ ┃〜〜〜↓〜〜〜〜〜南「水行十日」┗━━━━━━━━━━━┓ 淀川矢↙ ↑木津川
┃〜〜〜▲壱岐〜〜〜┌→→→→→→┐関門海峡〜瀬戸内海▲┃河内湖+大和湖Ω箸墓
✖vs┃〜〜┏末盧━━━━↑━━━━━┓↓〜〜〜〜┏━━━┓〜┃紀伊半島
┃〜〜┃伊都国→不弥国▲▲▲▲▲┃↓〜〜〜〜┃侏儒国┃〜┗━━━┛
↑ ┃〜〜┃▲↘_陸行一「日」(正)▲▲▲▲↓国東半島┗━━━┛「在其南 人長三四尺(少彦名)
┃〜〜┃▲▲奴国【♀女王之所都】▲┃↓豊後水道〜〜〜〜〜〜去女王四千余里」@阿波
【呉】┃〜〜┃▲狗奴国▲▲▲▲▲投馬国┛┘宮崎平野=南「水行二十日」
建業┃〜〜┃↓「陸行半月」(正)▲▲┛〜〜〜〜〜〜〜〜
会稽┃〜〜┗━━九州島(正)━━┛〜↑実際の九州島〜
東治┃〜〜│〜東シナ海(正)〜│〜〜↓幻の九州島南部(陳寿の創作)
蘇州┃〜〜│△△▲△△△△△│←奄美大島(正)
┃〜〜│↓「陸行半月」(幻)│〜〜〜〜〜〜〜
福州┃〜〜│△▲△△△△△△│←沖縄那覇(正)
東冶┃〜〜│♀女王之所都(幻)│※『計其道里 當在会稽東「冶」之東』(魏<西晋のプロパガンダ)
┃〜〜│▲狗奴国(幻)△△│←台湾(正)
香港┃〜〜│△△△△△△△△┘〜「自女王國以北其戸数道里可得略載
澳門┃〜〜└△△△△△△△┘〜〜【其余旁国遠絶 不可得詳】」
┏▲海南島〜└九州島(幻)┘〜〜〜
┃↖儋耳・朱崖〜〜〜〜〜〜「所有無與儋耳朱崖同(服装・産物・動物・武器)倭地温暖冬夏食生菜」
┛←南越(ベトナム)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↘▲裸国フィリピン
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↘▲黒歯国インドネシア「複在其(幻の女王之所都)東南 船行一年」 704日本@名無史さん2019/07/01(月) 14:50:04
肥前と肥後って、間に筑後が挟まっているだろ?
本来は有明海沿岸が肥国、博多湾沿岸が筑紫だったが、筑紫磐井のころ筑後を切り取り、博多湾沿岸を筑前としたんだよ。 795日本@名無史さん2019/07/03(水) 10:31:21
???
佐賀川上に伊都国はないよ?
というか、国もない
遺跡もないし、川上国造なんていないだろ ?
船塚古墳も古墳時代中期だし、3世紀に国があったと見るのは無理だな 695日本@名無史さん2019/07/01(月) 07:22:07
倭国大乱の時代、九州に環濠集落が多くて畿内には少なく、その後になって畿内で増えてくる。
邪馬台国が畿内と考えにくい。
素人が聞いても、畿内説ってでかい神殿出たぞ!畿内が邪馬台国だ!って飛躍した考えにしか見えないんだよな。
記紀の舞台も九州からだし。神話も、天皇の歴史も。 >>475
>記紀の舞台も九州からだし。神話も、天皇の歴史も。
それを言うなら、倭国(阿波)だろ。 わははははは @阿波 筑後川中流の甘木朝倉浮羽あたりは、夜須本センセイの功績で、広く知られるようになった。
しかし同下流部の筑後平野・佐賀平野については、邪馬台国の会も関心薄く、
また吉野ヶ里以外は語る者少なく、実態解明が不十分だ。
此処は、初期は山間渓流を用いた稲作だが、のちに干満の差6-7mを利用した特殊高度なクリーク稲作が進んだ生産力の超高いところ。
唐津古道もあって末盧国にも至近。嵩島センセイにも足元佐賀に注目してもらいたいものだ。 >>743
>そこいら辺に吉野ヶ里用の津・港があったとされているので、その辺までは
>確実に海 >>479
当時の吉野ヶ里用の津・港が確認されたとは初めて聞いた。
たぶんそこは海でなく、現・千代田の渡瀬付近のことだろうな(河口から12-13q上流)。
古代〜中世に、筑後川が西に蛇行していた川幅の広いところで、有明海の満潮時には、筑後川の川水が逆流してくる水域だった。 >>468
>>472
卑弥呼の魏帝への朝貢理由は要するに狗奴国戦争における援軍要請だったわけで、南の狗奴国の位置が決まれば、自動的に北の邪馬台国の位置も決まることになる。
長年続く邪馬台国所在地論争の核心は、実は狗奴国の位置(比定)であることに留意されたい。
そこで主要3説(九州説・四国説・畿内説)における狗奴国を検討すると、以下のようになる。
−女王国「東渡海」千里「複有国」皆倭種(◎九州説…豊後水道、◎四国説…紀伊水道、?畿内説…鈴鹿山脈)
−其南有狗奴国(◎九州説…熊本もしくは薩摩、△四国説…南阿波、?畿内説…仲良し東海)
畿内説はいずれも当てはまらず、3世紀の四国に十四万戸(邪馬台国+狗奴国)は無理がある(下記参照)。つまり消去法によって、九州説が正しい。
狗奴国が熊本平野か鹿児島川内(せんだい)平野かだが、邪馬台国七万戸(35万石)を統治している女王卑弥呼をして、魏の明帝曹叡に援軍要請させるほど窮地に陥れる(狗奴)国の国力を考えると、
その人口は邪馬台国と同等(七万戸35万石)もしくはそれ以上の人口(八万戸40万石)と仮定。
面積から見て、狗奴国が川内(せんだい)平野でゎ3世紀の開墾能力では限界があると思われ、狗奴国は菊地(狗古智比狗の本拠)+熊本+八代の3平野を合わせた超大国と想定して、
北の邪馬台国は筑紫平野、卑弥呼王宮はその最高所&(天気が良ければ)福岡平野→糸島(伊都国)→壱岐島までズドーンと見渡せる甘木朝倉と確定。
卑弥呼の冢「大作冢径百余歩(尺)=0.25m×100歩=直径25m」は、3世紀中頃の築造で、筑紫平野を一望でき、同時期の殉葬者が少なくとも66人以上確認されている「有棺無槨」祇園山古墳(上方下円墳)を比定。
祇園山古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3 >>480
>たぶんそこは海でなく、現・千代田の渡瀬付近のことだろうな。
千代田町渡瀬の下流3qの諸富町には「諸富津という地名が残っており、奈良時代には肥前国の国府津として機能したと推定されている」と、
ウィキペディアにも書いてある
諸富津の場所は、吉野ヶ里から10キロくらい下流で、今の海岸線からは10キロ近く遡ったところにある なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
近年になるまで、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 549日本@名無史さん2019/07/03(水) 13:02:46
前からしている説明は、
黒い線が縄文海進のライン、(黄色い部分が弥生末の陸地で)
青いところまでが、弥生末期に海だったところだよ
https://i.imgur.com/XMjxUoa.jpg なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
近年になるまで、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 >>484
縄文海進ラインは、地球の歳差運動(地軸の傾き運動)による温暖化で、数千年前に海水位が上昇した時のものだね。
その時、低平地の多くは海水に飲み込まれた。
しかしその後の地軸の傾きの回復と気温低下で徐々に海水位は下がり、再び過去の陸地が現れてきた。それが黄色い部分。
この黄部分には、筑後川が数千年かけて運んだ土砂も積もっていた。 なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
近年になるまで、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 ただ地球の歳差運動は2万6000年周期だから、縄文海進から2万6000年後(現時点からは約2万年後)には、また黒い線まで海水がやってくる。
その時、佐賀市街地(三世紀の奴国)は海に沈むが、佐賀川上(伊都国)、東名遺跡、吉野ヶ里(不彌国)などは陸地のまま生き残れる。
古代人の深い洞察力と知恵に敬服、、。 >>481の続き
すると、もう一つの謎である継体の正体(呉の南の「越」王の分家=狗奴国・卑弥弓呼の子孫/八代淡海→「近江」)も判明。
古代史は以下↓のように一挙に解明できるのである!
漢委奴国王=1世紀(弥生後期)
帥升=2世紀(倭国大乱)
卑弥呼=3世紀(弥生終末)邪馬台国(卑弥弓呼、帯方郡張政の説諭で卑弥呼に服従)、伊都国王神武「更立男王国中不服」を派遣し、紀伊半島西部水銀鉱床で栄えていた大和纏向を征服させ、奥津城(王家の谷)として隠蔽&独占。
崇神朝=4世紀(前期古墳)伊都国系(台与死後「複立男王並受中国爵命」)…息子の垂仁、伊勢神宮を創建し紀伊半島東部も聖域化。紀伊半島の水銀鉱床完全独占。
応神朝=5世紀(中期古墳)邪馬台国系(仲哀を神功皇后が暗殺、「倭の五王」へ)…魏>晋>「宋>斉>梁」南朝へ朝貢再開。479年「武」上表「安東大将軍倭王」に任命される。
継体朝=6世紀(後期古墳)狗奴国系(武烈死後、倭王磐井を暗殺「百済本紀531年、日本の天皇・皇太子・皇子共に薨去」、筑紫君と矮小)…阿蘇邪靡堆へ遷都。
倭王阿毎多利思比孤「日出処天子」隋煬帝「日没処天子」に対等外交を宣言=(隋による高句麗征伐の鍵となる)新羅からの朝貢を機に「独立宣言」607年
欽明朝=7世紀(飛鳥時代)…仏教伝来による墓制(国家祭祀)変更のため、欽明皇子、蘇我稲目と共に奥津城(王家の谷)に下向。大和分家となり、飛鳥疎開宮造営。
推古厩戸…前方後円墳Ω担当の物部氏を滅ぼす。大和分家を乗っ取ろうとした大臣蘇我氏を九州本家の天智が誅殺し、大和へ東遷(大化の改新)。
天武朝=8世紀(奈良時代)記紀編纂→崇神朝・応神朝・継体朝の倭王権(九州王朝)内の抗争が、すべて大和で起こっていたように史実歪曲(唐大帝国との火種「日出処天子」九州本家の多利思比孤を抹消)。
畿内を記紀の歴史テーマパーク化(九州の地名を移植。阿蘇外輪山→三輪山、八代淡海→近江琵琶湖など)
桓武朝=9世紀(平安時代)
まとめると、
九州本家…卑弥呼台与(邪馬台国)→崇神朝(伊都国)→応神朝(邪馬台国)→継体朝(狗奴国/阿毎多利思比孤)→天智東遷(難波宮大津宮)→桓武(平安京)
大和分家…神武朝(伊都国)東征→崇神朝奥津城造営(紀伊半島の水銀鉱床目的)…欽明朝(推古摂政厩戸)→天武持統(飛鳥宮藤原京)→元明(平城京) なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
近年になるまで、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 >>751
767日本@名無史さん2019/07/03(水) 20:20:23
>有明海の干満差は大きいのか?
>何メートルなんだ?
有明海は干満差6-7mだ。
奥行きが深く、水深の浅い湾では、干満差が大きくなるんだよ 有明海の干満差6-7mで、海岸線は4kmほど変化する。
しかし干潟は魚貝類の宝庫で、海の畑みたいなもんだからね。 >>494
古代に、貴重な海産蛋白源を手づかみで大量に入手できたメリットは計り知れない。
だから、有明海の沿岸諸国は大いに栄えたんだろうね。
翰苑:山に憑き、海を負い、馬臺を鎮め、以て都を建てる・・ 699日本@名無史さん2019/07/01(月) 10:08:45
【肥国】
倭国は、筑紫を中心に肥国、豊国、そして海を渡った出雲、越などから構成される連合国家である。
古くは出雲がその盟主であったが、国譲り以降は、玄界灘博多湾勢力である天津神の筑紫国 が盟主となり、
対馬海峡の交易や中国との外交を一貫して独占していた。
筑紫王族は、天津神として、その他の九州や本州の王族である国津神とは区別された。
国津神には、豊国王家、肥国王家、出雲王家などが想定される。
阿蘇の東西にまたがり免田式土器に代表される九州のその他勢力が、狗奴国や熊襲や肥国であった。(ただし、年代や立場により呼称は変化する。) 筑紫が博多湾沿岸国家なら、肥国は有明海沿岸国家である。
もともと有明海沿岸はすべて肥国だったが、筑紫が筑後川流域を略取して有明海に進出すると、
肥国は、肥前(長崎県・佐賀県)と肥後(熊本県)に分離された。
卑弥呼が筑後山門の出身であり、筑紫を後ろ盾にして倭国女王になったからかもしれない。 肥国王家の別称は熊襲であり、本貫地は熊本が想定される。
肥前も肥後も、筑紫族とはやや縁が遠かったらしく、その王家は記紀にあまり名前を残していない。
伝説のヤマトタケルに殺された熊襲梟師(くまそたける)の墓は、肥前河上(現・佐賀川上)の大願寺にあるという。 この肥前河上の佐嘉川河畔にある「肥前一宮・河上神社(與止日女神社)」の祭神(與止日女)は、壹與に比定できる。
卑弥呼、壹與、熊襲梟師、田油津姫らはいずれも肥国王家の者であり、倭国王となる資格を持っていたが、
天皇家につながる筑紫日向の天孫族の伊都国王家との関係が良好でなかったため、記紀には卑弥呼の名が記載されなかったのかもしれない。
熊襲征伐、田油津姫征伐とは、筑紫の天孫族から見た倭国内の乱の呼称であったと考えることができる。 なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
近年になるまで、九州には温泉が無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 874日本@名無史さん2019/07/03(水) 23:08:10.92
伊都国は、伊万里川水系と松浦川水系の境目にある方が、便利ではないのかな、、、 内陸の伊都国(直方辺り)に一大率が置かれた理由を教えて進ぜよう。
大陸からの行きと帰りのルートは異なる。
伊都国(直方)は大陸との往路と復路の分岐点である。
だから、大陸出入りを監視出来る立地(内陸)の直方辺りに一大率(筑紫忌部)が置かれた。
伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば、「出入国管理局」。
その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。 @阿波 佐賀川上の佐嘉川西岸にある河上神社は肥前一宮。
昔、海が近かった頃は肥前の国府だったのだろう。
河上神社の祭神である淀姫は壹與のこと。 近くには熊襲梟師の墓もある。 河上神社のちょっと西の小城にオギ国府があり
7世紀ころに佐嘉川東岸の佐賀市大和町尼寺に
肥前国庁が移転した模様。
後に国分寺、国分尼寺もこの地に置かれた。 925日本@名無史さん2019/07/04(木) 17:18:46
有明海の沿岸がいくら広くても、
そこに水田は作れないし、海の幸で大人口を支えるのは無理
「筑紫平野が広いからきっと弥生時代から大穀倉地帯で7万戸は余裕」ってのが
デマだってこと >>505
>そこに水田は作れないし、海の幸で大人口を支えるのは無理
そだね。
弥生人にとって、「阿波」はまさに理想の土地。
温暖な気候・多数の大河の恵み・大河流域の土地の恵み・黒潮流れる大海の恵み・山深い森林の恵み・多種類の希少鉱物の恵み
県北部(邪馬台国)には、銅、泥質片岩、緑色片岩、翡翠、蛇紋岩、紅蓮石
県南部(狗奴国)には、辰砂が採れる。
阿波に人が集まり、独自文化が発祥・全国展開したのは、当然といえば当然。 @阿波 有明海の豊富な魚介の宝庫がうらやましいだろう
大和纒向では望むべくもない、、、 せいぜいカエル。
阿波では、粟メシか、四国ビエのメシ・・。 >>468の図解(模式図)だyo!【魏志倭人伝の倭国観】
← ┏━┓帯方郡 ┏┛〜〜〜〜〜
洛陽┃ ┗狗邪韓国┛(伽耶)〜〜〜東→✖畿内説TITANIC沈没地点(†乗客乗員>>471)
【魏】┃〜〜〜↓↓南「水行十日」〜↗〜〜┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃〜対馬▲↓〜〜〜〜〜〜↗〜〜〜┃「女王国東渡海千余里 複有国 皆倭種」 §琵琶湖
↓ ┃〜〜〜↓↓〜〜〜_+南「水行十日」┗━━━━━━━━━━━┓ 淀川↙ ↑木津川
┃〜壱岐▲↓〜〜〜〜┌→→→→→→┐関門海峡〜瀬戸内海▲┃河内湖+大和湖(Ω)箸墓
v✖s┃〜〜┏末盧━━━━↑━━━━━┓↓〜〜〜〜┏━━━┓〜┃紀伊半島
┃〜〜┃伊都国→不弥国▲▲▲▲▲┃↓〜〜〜〜┃侏儒国┃〜┗━━━┛
↑ ┃〜〜┃▲↘_陸行一「日」(正)▲▲▲▲↓国東半島┗━━━┛「在其南 人長三四尺(少彦名)
┃〜〜┃★奴国@【女王之所都】▲▲┃↓豊後水道〜〜〜〜〜去女王四千余里」@阿波
【呉】┃〜〜┃狗奴(球磨)国▲投馬(都万)国┛┘宮崎平野=南「水行二十日」
建業┃〜〜┃↓「陸行半月」(正)▲▲┛〜〜〜〜〜〜〜〜
会稽┃〜〜┗━━九州島(正)━━┛〜↑実際の九州島
東治┃〜〜│〜東シナ海(正).〜│〜〜↓幻の九州島南部(陳寿の創作)
蘇州┃〜〜│△△▲△△△△△│←奄美大島(正)
↓ ┃〜〜│↓「陸行半月」(幻)│〜〜〜〜〜〜〜
福州┃〜〜│△▲△△△△△△│←沖縄那覇(正)
東冶┃〜〜│☆奴国A(幻)△△│★『【女王之所都】計其道里 當在会稽東「冶」之東』(魏<西晋のプロパガンダ)
┃〜〜│▲狗奴国(幻)△△│←台湾(正)
香港┃〜〜│△△△△△△△△┘〜「自女王國以北其戸数道里可得略載
澳門┃〜〜└△△△△△△△┘〜〜〜其余旁国遠絶 不可得詳」
┏▲海南島〜└九州島(幻)┘〜〜〜〜〜〜〜〜〜
┃↖儋耳・朱崖〜〜〜〜〜〜「所有無與儋耳朱崖同(服装・産物・動物・武器)倭地温暖冬夏食生菜」
┛←南越(ベトナム)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↘▲裸国フィリピン〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜↘▲黒歯国インドネシア▲パプアニューギニア「複在其(☆奴国A)東南 船行一年」 >>481 ←卑弥呼「宮室楼観城柵厳設」の場所
>>490 ←真実を知りたい人限定 >>481
>狗奴国が熊本平野か鹿児島川内(せんだい)平野かだが、邪馬台国七万戸(35万石)を統治している女王卑弥呼をして、
>魏の明帝曹叡に援軍要請させるほど窮地に陥れる(狗奴)国の国力を考えると、
>その人口は邪馬台国と同等(七万戸35万石)もしくはそれ以上の人口(八万戸40万石)と仮定。
帯方郡は、張政ら2-3人と黄色い旗かなんかを送っただけ。
卑弥呼の遣いは大げさに言ってるが、なんかのおねだりだろう。
ま、この程度でいいんじゃないの、と軽〜くあしらわれてる。狗奴国なんて辺鄙の弱小国だったのさwww >>507
>有明海の豊富な魚介の宝庫がうらやましいだろう
ムツゴロウがうらやましい。 @阿波 >>508
ドラクエY〜幻の大地〜みたいw 九州島が南北でパラレルワールドになってるわけだね。
九州島(現実)→女王国東渡海千里複有国(本州)→又有侏儒国在其南(四国)
九州島(幻)→複有裸国(フィリピン)黒歯国(インドネシア・パプアニューギニア)在其東南船行一年
なるほど、阿波は侏儒国か… >>510
冊封国はの攻撃は宗主国への敵対と同じだから、卑弥呼としては援軍を期待しただろう。
しかし魏にはその余力はなかった。
卑弥呼はさぞがっかりしただろう。 >>513
金印以上の豪華沢山な下賜品を期待していたのに、
やってきたのは下っ端の中年男2-3人と、旗と、説教するお手紙だけ、おみやが少なくてがっかりしたそうな。 >>512
>なるほど、阿波は侏儒国か…
あれ? 倭人伝に「其山有丹」は侏儒国って書かれてたっけ??? ワハハハハは @阿波 有明海の干満差6-7mで、海岸線は4kmほど変化する。
この干潟はとても大切だ、魚貝類の宝庫で、海の畑みたいなもんだからね。 外海の黒潮なんかだと、北へ流れっぱなしになる。
でも有明海の潮は反時計回りにグルッとまわってもとに戻ってくれる
コイ、フナ、アユ、ウナギ、大ナマズなどなど、いまの時期は産卵のためにのっこんでくるから、まさに手づかみだった。 有明海の干満差6-7mで現れる干潟の幅4qはすごい。
海岸線の延長は佐賀平野〜筑後平野分だけでも30qはあるから、干潟の総面積は1万2千余ヘクタール。
大規模な水田開発のほかに、これだけの面積からの水産物を手にできたわけだから、
有明海沿岸に居を構えた佐賀川上の伊都国、佐賀市街地の奴国、神崎吉野ヶ里の不彌国などは、豊かさ溢れ、半端な国力ではなかったわけだ。 >>519
そういえば有明海の究極の珍味は「エツ」という超高級魚で、
この時期、海から筑後川へ産卵に上ってくる。
これを屋形船の上で食べるのが博多の金満家の証しだ。
もちろん、オレの口にはたびたび入ってくれるけどな。。 >>521
やっぱり、有明海は、ムツゴロウだろう。 奈良の湿地帯は、ドジョウってとこ? ワハハハハ @阿波 >>521
キャラと末尾符号の組み合わせが間違ってるぞ 299日本@名無史さん2019/07/04(木) 21:35:00
しかし九州説は、何で北部九州に執着するかね
南部あたりにしてればほんの少しはマシだったはず
北部にしたがために、魏志倭人伝そのものに矛盾する事になった 【倭国】
弥生時代前期末に玄界灘沿岸に倭国が成立して前漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸の狗邪韓国から九州北岸の倭奴国までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。
記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾にある能古島のことであるという説がある。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭は博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。
連合国家である倭国の盟主は海神の故郷である筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
その中で、大陸や半島との交易は一貫して筑紫が独占していた。
卑弥呼の時代には倭は九州内陸へ拡大していく。
九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
これに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。
2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された王位の証である八咫の鏡は、筑紫伊都国が王権の所在地すなわち倭国の王都であったことを示している。 323日本@名無史さん2019/07/04(木) 22:08:27
日本書紀や古事記を書いた人物は、その前に、魏志倭人伝を読んでいたと思う? 332日本@名無史さん2019/07/04(木) 22:31:51
卅九年、是年也太歲己未、魏志云、「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守ケ夏、遣吏將送詣京都也。」
四十年、魏志云、「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」
四十三年、魏志云、「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」
上の通り、魏志云、として直接引用してるんだから、読んでないはずないだろ かねて噂の魏志倭人伝に目を通したものの、
その取り扱いをめぐっては朝廷挙げての論争が有ったのであろう。
親魏倭王の金印紫綬は外交儀礼で良いが、帯方郡との密接な軍事交流は神話の国にふさわしくない。
そこでこれは高天原以前のこととして棚上げし、卑弥呼は、北部九州で活躍した神功皇后を120年繰り上げて当て馬に仕立てた。。。
で、実在の卑弥呼の都へ至る道里だが、これも神功皇后の活躍の舞台に合わせることにした。
これこそ、仲哀・神功皇后記に盛んに登場する北部九州古道であり
糸島地方の有力者が「伊蘇志」という名前を頂戴したことから、これが訛って伊ト〜伊斗〜怡土(伊都国)になったという、
いわば、お国訛りをダシにした「匂わせ工作」だったのではないか、、、。 3万年前の旅を探る航海実験、成功!
>3万年前、日本人の祖先がどのように海を越えてきたかを探る実験航海に挑んだ国立科学博物館のチームが
>9日、丸木舟で台湾から200キロ以上離れた沖縄県・与那国島に到着、実験は成功した。
>地図や磁石を持たず、星を頼りに方角を定めた航海だった。 邪 馬 台 国 へ よ う こ そ
■廣志逸文
廣志曰く、倭國東南陸行五百里、
到る伊都國(佐賀川上)、又南、至る邪馬嘉(臺)国(肥後山鹿)。 374日本@名無史さん2019/07/05(金) 06:32:35
今城塚に眠る大王の、肥後産ピンクの石棺はなぜ選ばれたのだろう、、、
Wiki
今城塚古墳(いましろづかこふん)は、大阪府高槻市郡家新町にある前方後円墳。
国の史跡に指定されている。
造営時の6世紀前半では最大級の古墳である。
宮内庁の治定は受けていないが第26代継体天皇の真の陵とする説が有力である。 >関西の古墳から出土する石棺には肥後産「阿蘇ピンク石」が多く使われています。
なぜわざわざ遠い九州から、重たい石を運んでくる必要があったのでしょうか?
「阿蘇ピンク石」を取り寄せた大王は、九州王朝の出身者、またはその子孫であった可能性が高いということです。
>つまり、神武東征により、天皇家の本拠地は関西に移されましたが、
その文化伝統や祭儀様式は、依然として九州のものが重宝されていたということではないでしょうか? 神秘的なパワーを持つ馬門石
>肥後産「阿蘇ピンク石」は、馬門石(まかどいし)とも呼ばれます。
今から遡ること8〜9万年前、阿蘇山の噴火によって流れ出た火砕流が固まって出来たピンク色の石です。
>これが、かの有名なパワーストーンなのです。
熊本県中央に位置する宇土(うと)市を産地とする馬門石ですが、
なぜにまた遠い奈良の地まで運ばれて行ったのでしょうか? 畿内地域の古墳の石材調査が進むにつれて、倭国(阿波)の結晶片岩を石室や葺石に用いた前期古墳の事例が増加してきた。
大阪府の「闘鶏山古墳」、「将軍山古墳」、「鍋塚古墳」、「牧野車塚古墳」、神戸市の「西求女塚古墳」などが典型例だ。
そして、そうした結晶片岩を使う事例が、畿内北部の淀川流域から瀬戸内北岸にかけての一帯に多い傾向もより明瞭になってきた。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/kouko/061018awaitano.htm 『阿波の青石(緑色結晶片岩)の石槨石材搬出状況』
・西求女塚古墳(兵庫)・五色塚古墳(兵庫)・紫金山古墳(大阪)・茨木将軍山古墳(大阪)
・弁天山C1号墳(大阪)・櫛山古墳(河内)・燈籠山古墳(河内)・松岳山古墳(奈良)・茶臼塚古墳(奈良)
・玉手山7・9号墳(奈良)・貝吹山古墳(奈良)・ホケノ山古墳(奈良)
北條芳隆「讃岐型前方後円墳の提唱」(1999大阪大学考古学研究所 記念論集)より >>935
すぐそこにあった海岸線が遠く離れていくのを実際に見たことがあるよ。
2〜3kmは遠のくね。
ああ懐かしい不知火海。 >>538
不知火海といえば、ムツゴロウ。 奈良盆地といえば、ドジョウが相場。 @阿波 奈良盆地といえば、カエルの本場。。。
おめでたい日には、カエルのタマゴを掛けたアツアツご飯。。。
ウー、気色ワルわる〜 不知火海といえば、
ハゼの一種のムツゴロウ、貝ではタイラギとかいう美味しんぼ、、、 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています