かねて噂の魏志倭人伝に目を通したものの、
その取り扱いをめぐっては朝廷挙げての論争が有ったのであろう。
親魏倭王の金印紫綬は外交儀礼で良いが、帯方郡との密接な軍事交流は神話の国にふさわしくない。
そこでこれは高天原以前のこととして棚上げし、卑弥呼は、北部九州で活躍した神功皇后を120年繰り上げて当て馬に仕立てた。。。

で、実在の卑弥呼の都へ至る道里だが、これも神功皇后の活躍の舞台に合わせることにした。
これこそ、仲哀・神功皇后記に盛んに登場する北部九州古道であり
糸島地方の有力者が「伊蘇志」という名前を頂戴したことから、これが訛って伊ト〜伊斗〜怡土(伊都国)になったという、
いわば、お国訛りをダシにした「匂わせ工作」だったのではないか、、、。