倭女王卑弥呼考 白鳥庫吉
>本居氏の説出でてより以後、本朝の學者は殆ど卑彌呼を熊襲の類と見做すに於いて一致し・・・、
>又近藤芳樹氏は倭女王の都邪馬臺を肥後の菊池郡山門郷なるべしと説かれたれば・・・
>(この説は)尤も余輩の意を得たるものなり。

(近藤芳樹)
幕末明治期の国学者。
周防国岩淵村(防府市)田中源吉の長男。早くから上方に遊学して村田春門,本居大平,山田以文に国学,律令を学んだ。
天保11(1940)年長州(萩)藩士近藤家を継いで藩の和学方となり,萩に居を構える。
藩主毛利敬親に重用され,元治1(1864)年には藩校明倫館の教官となった。
維新後しばらく山口県庁に勤めたが,明治8(1875)年宮内省に出仕して文学御用掛に任じられた。
明治天皇の東国行幸,北陸行幸に供奉して『陸路の記』『十符の菅薦』の供奉日記を著す。