【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
南至る水行の起点は狗邪韓国とおもうな
ここで「始めて一海を渡る」とあり、沿岸を離れて大海に漕ぎ出すことを強調しているからね。
そして、風待ち汐待を入れて末盧国まで十日間。
ここから、末盧国上陸組は1月歩いて女王様のもとへ・・、船組は更に漕ぎ下ること10日間で投馬国へ・・。 海を「渡」ったのは韓半島から九州島まで
それ以降は海を「渡」ってないので九州島から出ていないのは明らかだね 帯方郡からの水行の話なら、当然九州までしかできてない。
目的地であり到達地だからw
その上で、
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
であって、南水行20日投馬国 可5万戸
これは、女王国以北であり、
東夷伝で女王国以北にある国は馬韓10万戸、弁辰韓5万戸しか存在しない。
倭人伝時に倭人国については女王国以北しか知らない。
と書いてあるのに、南が東でとんでもないあさってに遠絶しちゃうとか、アホですか? 魏志倭人伝を正しく読む の白眉は
至、到 有、可 など漢字の用法、
直列行程や並列と言った、文法解釈の違いの指摘にある。
ただ、憶測によって到からは行程が直列しないので、
到着港の末盧國が起点になるというゴリ押しは、いただけない。
文法解釈に長けていれば、其や此が何を指すかは、正しく判断すべきだ。
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
次有 ー列記21国ー 此 女王境界所盡 其南有 狗奴國
此 はこの中の一国を指すのではなく、21国で女王国が形成されているという意味。
これを読めないと、行程国の直列も糞も無くなる。
で、南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
この文脈は、
水行十日 なんとか国 陸行一月 邪馬壹國
でないとおかしい。
水行十日 陸行一月 は直列しないのである。
これを、水行十日 又は 陸行一月 とする説も有るが、違う。
水行十日で邪馬台国に入国し、女王之所都へは、さらに一月行を要する。
と、いう事である。
投馬国と邪馬台国は行程国とは概念の違う所属00国の国であり、
これが、戸数の有と可の違いでもある。 畿内説の某氏が「道里=里数+日数」論で頑張っているようだ。
「道里」はこれで良いのだ!、というのも一つの理屈ではあろう。
がしかし、そうなると原文において・・、
対海国〜〜邪馬壹国(女王之所都)の間の国々は、全て「戸数道里」が略載されていることになる。
このため、その次の「自女王国以北、其戸数道里可得略載」は、前出すべての国々の既述事項と重複する。
依って、この文は全くの死文と化すので、削除しても支障なく読める。
このような「道里=里数・日数」という解釈は、東夷伝・陳寿の文章としては不可解と言わざるを得ない。だがこれには、仕組まれた理由がある。
陳寿が定義する道里とは、文字通り、(道)の方角と(里)の数である。
だから投馬国と邪馬台国には、「戸数」と「道」は書いてあっても「里」は書かれておらず、文字づら上、女王国以北ではないことになる。
但し、邪馬台国(女王国)に関しては、後段中締めとして「自郡至女王国万二千余里」として全行程の里数が示され、
既知の不彌国までの里を差し引くと、残は1300里と判明するので、実質的に投馬国のみが女王国の南となるのである。
(前略6国)
南至投馬国、水行二十日、五万余戸。
南至邪馬壹国女王之所都、水行十日陸行一月、七万余戸。
(自女王国以北、其戸数道里可得略載) ←←← 畿内式読み下しでは、重複・削除となってしまう
其余旁国遠絕不可得詳。次有〜〜、、、 自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
については、
南至投馬国水行二十日〜自郡至女王國 萬二千餘里
までの一連の文章(240年遣建中校尉梯儁による印綬行軍)
に、陳寿が差し込んだ解説であるが
南下行程として道理で示されていない、其餘旁國が遠絶で不可得詳と言っている。
次有〜列記21国〜は、邪馬台国の構成国でありこの7万戸の内訳を詳説している。
南隣の狗奴国は知られているが、南国、東国、西国は名前すらも知らない。
だから、女王国以北は既に略載出来ている、と陳寿は説明した。
ちなみにこの21国の大夫として
奴国王/(難)升米
都支国王/(都市)牛利
巳百支国王/(伊聲耆)掖邪狗
が、使者として記録され、比定可能である。 奴国王なんていない。
その他も王はなく、卑弥呼の時代に王と呼べるのは邪馬台国の卑弥呼と狗奴国の卑弥弓呼だけである。 >>719
陳寿が定義する道里とか、勝手に想像してるだけでは? 魏志倭人伝を正しく読めば、邪馬台国は阿波以外にはない! 以上。 @阿波 狗奴国については、「女王の境界」の南にありと記されているので、
邪馬台国と隣接していたかどうかはともかく、一連の国々の更に南にあったことは間違いない。 狗奴国は邪馬台国の南。
狗奴国=徳島県南部の阿南市周辺。
邪馬台国=徳島県北部の吉野川下流域。 @阿波 もちろん投馬国が、女王国の北にあっても南にあっても九州説は成り立つ。
但し、九州島の歴史及び現地地理と照らし合わせた場合、投馬国は宮崎西都市都万に置くのが、最もおさまりが良い。
これは従来の読み方でなく、新たに >>719 のように読み解くことで、解決できるのではないか、、。 >もちろん投馬国が、女王国の北にあっても南にあっても九州説は成り立つ。
「丹」の採れない九州に、女王国など在る訳がない。 以上。 @阿波 マジここのやつら馬鹿だな。
九州でも近畿でもねーよ…。
頼むから間違った歴史を広げるなっていつも思う。 九州でも近畿でもねーよ…だったら、さてどこにすべーか。
やっぱり沖縄かな、、、? 半島南部説は、全く故無きことではなさそうだ。
卑弥呼の出自は馬韓であり、その宗女臺与も馬韓の宗家から輿入れしてきたのかもしれない・・。、
>>849日本@名無史さん2019/07/29(月) 20:19:30.88
>魏志
>馬韓 鬼神を祭る 卑弥国がある
>邪馬台国 鬼道により卑弥呼が統治する
これはなかなか関心深い記事だ。
帯方郡ー公孫康ー馬韓国ー邪馬台国(及び馬の付く国々)は、鬼道の人脈でながっていたのではないかな。 倭人伝の謎の中心はその行程と里程にあるけれど
いわゆる短里に近い里というのは、
240年印綬辺りの正始年間に短里復興が有ったなら
梯儁が使用した可能性はある。
陳寿がこれを使うことはないが、邪馬台国が九州の小国なのに
大倭王として印綬しちゃった皇帝の恥を表面化させないために、
倭人伝で、邪馬台国の位置を隠蔽するために使ったことは有り得る。
満二千里が地の果てなのでこれにしとけ、という説も良いが
韓方可4千里や対馬壱岐が千里は、里程基準に充分である。
5千里で周旋できる小国なのである。
で、道里の件、
計其道里 當在 會稽東治之東
この 其 だが、
自郡至女王國 萬二千餘里 の次の文脈である
倭人の刺青と会稽の話には、道里が出てくる道理が無い。
自郡至女王國 萬二千餘里 の位置が
計其道里 當在 會稽東治之東 である。
これは、鹿児島だがw 郡から12000里全部南下してしまえば、概ねで正解。
実際は、歴韓国の後で東行したので、3千里程度北になる。
陳寿も九州説である。(聖徳太子もw) >>735
「丹」の採れない九州に、女王国など在る訳がない。 以上。 @阿波 自郡至女王國 萬二千餘里
(中略)・・・・
計其道里 當在會稽 東治之東
なるほど
陳寿は、ここでも日数でなく、里数の萬二千餘里を「道里」としている。 宮崎先生の解釈がおもしろい
北部九州の行程は壱岐島から九州島を概観したものであると、
対岸が末盧國
その隣が伊都国(壱岐から東南、末盧から陸行五百里)
その隣が奴国(壱岐から東南、伊都から陸行百里)
その隣が不弥国(壱岐から東、奴から陸行百里)
末盧國→伊都国への方向問題も、末盧上陸問題も解決する いうなれば、壱岐島からの放射説か、
行きはよいよい、帰りは考えずwww うん、潮に流されてもいいんだから、阿波が大喜びそうなルートだな、 宮崎先生ならではの、
壹岐島からの放射視ということかな・・、正解かも。 対馬:有千餘戸
壱岐:有三千許家
この「家」と記述されている箇所が、宿泊して日誌を書いた場所だとも思える。
次に「家」と書かれるのは不彌国で、個人的には北九州の事だと思ってる。 >>744
>うん、潮に流されてもいいんだから
「潮に流されてもいい」んじゃなくて、「潮に、必ず、流される」んだよ。 勘違いしてはイカンぜよ ワハハハハ @阿波 倭人船で往復してるんだから、潮に流されようが何だろうが母港に帰る。
240年の梯儁は九州に母港は無いので博多湾に入ったはずである。
247年の張政は倭人船に便乗できて、500里歩かされ伊都で検閲、駐留させられている。
これは、金印やお土産山盛りの魏の軍船で行軍した梯儁には出来ない。
将校が軍船で来ているわけで、戦争になる準備は有る。
梯儁は、
南至 投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
238年に楽浪帯方の公孫氏奇襲の最新鋭帆船で、
来ているので、済州島からだと対馬にも寄らないかもしれない。
倭人船なんてものは、岸に着きさえすれば、沿岸を母港に帰るのである。
まあ九州から漢時史料で船行一年の小笠原から、伊豆に入れば北回りで沿海州
日本海ルートで対馬ルートか? 津軽海峡経由だろw すごいね。 倭人伝の謎 行程に日行。月行。というのが有る。
倭人は里程を知らず(ご都合主義だろw)日程? ならなおさら、
1時間でも24時間でも良い、一日行ってのは、絶対に存在しない。
あまり、前例がないので憶測なのだが、日行、月行は、
行軍日程で徴兵した戦士への日当計算の報告書の記録なのではないのかな?
これで、ほぼ倭人伝全解決。 かな?
チラ裏諸氏に、感謝!
売って良いんだよwww >>749
>流されても阿波にはたどり着かないなw
倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を倭国(阿波)内各地で実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。
また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。
「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。 @阿波 >>750
>倭人船で往復してるんだから、潮に流されようが何だろうが母港に帰る。
対馬海流に流されて、到着地と出航地は別!
大陸からの玄関口(福津市周辺 万津浦)
大陸への出航地(平戸市周辺) @阿波 >>745
俺は昔からその説だが賛同者が全然いなかった
ようやく日の目を見るようになったか >>750
>将校が軍船で来ているわけで、戦争になる準備は有る。
対馬海峡の渡海は倭人だけの技術だろうね。
魏志倭人伝に書かれていないことを妄想してもダメ。 >>755
>対馬海峡の渡海は倭人だけの技術だろうね。
その倭人は勿論、縄文時代から西日本各地へ進出していた「忌部はん」 たちだよ。 @阿波 >>755 倭人伝を正しく読むという事のヒント
奴国を含む21国が邪馬台国7万戸。
この参問国が周旋可5千里であって、範囲としては
糸島、福岡、筑紫平野であり、松浦、宗像以遠の国、
国になっていないだろうが、豊前、肥前は含まないと考える。
潮汐による海流が前後左右どっちだろうが、
帰国便は日本海沿岸に着けば沿岸を博多湾に向えばいい。
出発には潮待ちがある以上、博多湾内は無く糸島北岸である。
当然、呼子や平戸、宗像以東の汐待港は有るだろうが、
金印の伝統、邪馬台国の場合は博多湾が起点であり、壱岐へは糸島北岸が最寄。
常識で判断できること。
末盧=松浦、邪馬台=大和 という和名当て字での短絡には呆れる。
九州ローカルの和名に、音で漢字を当てたのは、
印綬に来た梯儁の参問と張政の倭人船同行時の聞き取りである。
国名である投馬国は馬韓の向こうという240年印綬に来た梯儁による表意文字
邪馬台国は漢字名にした参問の邪馬国に在った卑弥呼の臺をランドマークとした国名。
臺が曹操の楼閣を意味するので、正史として陳寿が字を改めた。 >>757
>奴国を含む21国が邪馬台国7万戸。
「丹」の採れない九州に、邪馬台国など有り得ない。 以上。 @阿波 丹が出るのは倭国であり、邪馬台国と阿波に交易が有ればそれでいい。
青銅、銅鐸は和製であるから、紀元前から出雲、吉備や瀬戸内海諸国も交易は有った。
漢鏡は九州国の交易品と思うが、これと丹を交換したのではないかな。
卑弥呼は皇帝に丹をおねだりしているので、阿波王でないことは間違いない。 丹は邪馬台国の山から出なきゃいけないわけだが、佐賀・長崎に跨がる九州西部鉱床や大分・宮崎に跨がる九州東部鉱床があるから「丹の採れない九州」って文言は四国チョンコの願望でしかない。 >丹が出るのは倭国であり、邪馬台国と阿波に交易が有ればそれでいい。
丹が出る倭国は、邪馬台国(阿波)。 いくらだだをこねても無駄。
>紀元前から出雲、吉備や瀬戸内海諸国も交易は有った。
縄文時代から、倭国(阿波)の海人族は、出雲、吉備や瀬戸内海諸国と交易していた。
>卑弥呼は皇帝に丹をおねだりしているので、阿波王でないことは間違いない。
有り余る「丹」が採れるのに、おねだりする訳がないわね。 わはははは @阿波 >>761
いくら駄々をこねても無駄。 縄文時代から「丹を」採掘していたのは、後にも先にも倭国(阿波)だけ。 ワハハハハ @阿波 その一節を以って否定するなら?猴も黒雉もいない日本列島は倭國じゃなくなるぞマヌケ >>761
>佐賀・長崎に跨がる九州西部鉱床や大分・宮崎に跨がる九州東部鉱床があるから
いまだに、そんな戯言を言わざるを得ない九州説、哀れなり。 @阿波 逆立ちしなきゃ勝ち目がない四国チョンコのトンスル妄想 北部九州は「橘」でも、アウトの宣告を受けてしまう。 もはや救いようがない。 哀れなり。 @阿波 阿波チョンコの主張だと倭国も邪馬台国もインドネシア一択になるな 出真珠青玉 其山有丹 其木有?杼橡樟?櫪投橿烏號楓香 其竹篠?桃支 有薑橘椒襄荷 不知以為滋味 有?猴黒雉
?猴は台湾以南、黒雉はスマトラ島の固有種
丹に執着するのは無意味 自説に適う記述は必要以上に取り上げ、不都合な記述は一切読まない。
阿波の姿勢はまさに朝鮮ヒトモドキの所業だな。 >>769
>?猴は台湾以南、黒雉はスマトラ島の固有種
台湾やスマトラ島で、卑弥呼時代に「丹」を採掘していたのかな? わはははは
で、北部九州で、「橘」が卑弥呼時代に自生していたのかな? ワハハハハ @阿波 >>771
そうやって逃げ回るくらいなら調子こいて書き込まなけりゃ良いのに馬鹿だねぇ・・・ 九州説は、いつも笑いもの。 哀れなり。 ワハハハハ @阿波 >>769
>?猴は台湾以南、黒雉はスマトラ島の固有種
台湾やスマトラ島で、卑弥呼時代に「丹」を採掘していたのかな? わはははは
で、北部九州で、「橘」が卑弥呼時代に自生していたのかな? ワハハハハ @阿波 そもそも魏書に出てくるのは「朱丹」と「鉛丹」と単独表記の「丹」の3つだけ
辰砂であるという明確な根拠がないんだからチョンコがいくらお里自慢してもファンタジーの域を出ない >>777
>辰砂であるという明確な根拠がないんだから
九州の古墳から出る赤色顔料はベンガラなんだってね。 わはははは @阿波 >>777
>辰砂であるという明確な根拠がないんだから
いまだに、そんな戯言を言わざるを得ない九州説、哀れなり。 @阿波 古代史関連スレには色んなチョンコが住み着いてるけど
共通点がいくつかある
・自説を自らが発見した新説であると主張する
・その親切に辿り着けなかった外車を小馬鹿にする
・普通号な事実は徹底的に無視
・破綻を指摘されても無視
・ナゾの高笑い 古代史関連スレには色んなチョンコが住み着いてるけど
共通点がいくつかある
・自説を自らが発見した新説であると主張する
・その新説に辿り着けなかった学者(学会)を小馬鹿にする
・自説に不都合な事実は徹底的に無視
・破綻を指摘されても無視
・ナゾの高笑い >>782
九州の古墳から出る赤色顔料はベンガラなんだってね。 わはははは @阿波 で、北部九州で、「橘」が卑弥呼時代に自生していたのかな?
そうやって逃げ回るくらいなら調子こいて書き込まなけりゃ良いのに馬鹿だねぇ・・・ ワハハハハ @阿波 >>786
>日本?猴
ニホンザル? 倭国(阿波)の畑を荒らし回ってるやつかね? @阿波 橘 wikipedia
日本に古くから野生していた日本固有のカンキツである。
本州の和歌山県、三重県、山口県、四国地方、九州地方の海岸に近い山地にまれに自生する。 「丹」も「橘」も「楠」も「?猴」も「黒雉」もみんな、温暖な倭国(阿波)の鉱物・動植物だな。 わはははは @阿波 >>792
もしかして、「えてこう」? わはははは @阿波 >>794
どう転んでも、やはり倭国(阿波)か。 @阿波 「丹」も「橘」も「楠」も「?猴」も「黒雉」もみんな、温暖な倭国(阿波)の鉱物・動植物だな。 わはははは @阿波 >>790
ああ、九州から海神が持ち運んで行ったのだな。 >>798
少なくとも、北部九州からじゃないからw @阿波 >>799
チョンコロのウリナラファンタジーにはもうウンザリ >>800
なんの根拠もないトンデモ九州説にはもうウンザリ わはははは @阿波 古代史関連スレには色んなチョンコが住み着いてるけど
共通点がいくつかある
・自説を自らが発見した新説であると主張する
・その新説に辿り着けなかった学者(学会)を小馬鹿にする
・自説に不都合な事実は徹底的に無視
・破綻を指摘されても無視
・ナゾの高笑い >>802
それはまさに奥山氏そのものだなw
もしや自己紹介か?w >>804
なんの根拠もないトンデモ九州説にはもうウンザリ わはははは @阿波 古代史関連スレには色んなチョンコが住み着いてるけど
共通点がいくつかある
・自説を自らが発見した新説であると主張する
・その新説に辿り着けなかった学者(学会)を小馬鹿にする
・自説に不都合な事実は徹底的に無視
・破綻を指摘されても無視
・ナゾの高笑い >>806
またニュー速+でボコられたらしいなw
考古学マニアが社会人に勝てるわけがないw 【九州人は先祖に多大な朝鮮人の血が混じっている】
九州人、特に福岡、佐賀、長崎は先祖に多大な朝鮮人の血が混じっている事が多く、現在でも近い身内に朝鮮人の血が混じっている人が多いそうです。
DNAを調べると日本古来のDNAとかけ離れていて、朝鮮系DNAに近いとのデータもあるようです。
そんなのが関係しているのか、九州では、特に福岡県などでは暴力団の抗争が絶えませんよね?
抗争といっても、テロ組織的な過剰で突撃的な抗争の仕方で日本中を震撼してますよね。
まさしく、これも朝鮮人の血筋も関係しているとネットでは騒がれていますね。
そのせいか九州男児と言えば「ウソつき」「男尊女卑」として有名ですが、これ朝鮮人と全く性質が一緒なんですよ。
やっぱり血は争えませんね。 〜最新の核DNA調査におけるニッポン人とチョンコ(別名:朝鮮ヒトモドキ)の差異はこれだけある♪〜
2018年、木村資生記念進化学セミナー 第1回「Human Evoluion I」
https://kimuraseminar.files.wordpress.com/2017/08/20170804_humanevol1_saitoun.pdf
発表者である国立遺伝学研究所の斎藤成也教授はNHKの取材に対してハッキリと弥生系渡来人の定義を「中国大陸からやってきた」断言してる
https://i.imgur.com/UJZubVQ.jpg
https://i.imgur.com/2YKTJN4.jpg
弥生人とは縄文人の父系と大陸系の母系である
2019年、国立科学博物館の篠田謙一教授の人骨DNA分析によって、朝鮮ヒトモドキ要素はゼロと判明
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20190303/movie/4040002195_20190303075459.html
朝鮮半島由来の渡来人は縄文人の出戻りと判明
https://i.imgur.com/3uWM5cK.jpg
従来のY遺伝子D系統におけるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
https://i.imgur.com/mLgiqTd.jpg
https://i.imgur.com/1Yl4qgn.jpg
https://i.imgur.com/fQ7qJ4s.jpg
Y遺伝子(父系)のD2はアイヌ88%、沖縄56%、日本本土42〜56%、チョン半島0%
従来のミトコンドリアDNAならびにY染色体DE、O2b1とO2b*によるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
https://i.imgur.com/YlzY3cM.jpg
チョンコはミトコンドリア(母系)においてニッポン人女性と牝ヒトモドキに差異はないとホルホルするが、アジア全体で大きな差はない
また有史以来、チョンコロ半島の国々は貢ぎ物として牝ヒトモドキを大量輸出していた実績があり、その伝統は近年の第五種補給品まで続いていた
なおM7aがニッポン人女性の特徴と言える
結論:ニッポン人にとってチョンコは距離的には近くても血統的には非常に遠い存在 >>808
順調に育ってるようだな、脳内ウジ虫がw
考えの合わないヤツは全てチョンw
人間の底辺で妄想にふける典型的ネトウヨって哀愁が漂ってるなw 〜最新の核DNA調査におけるニッポン人とチョンコ(別名:朝鮮ヒトモドキ)の差異はこれだけある♪〜
2018年、木村資生記念進化学セミナー 第1回「Human Evoluion I」
https://kimuraseminar.files.wordpress.com/2017/08/20170804_humanevol1_saitoun.pdf
発表者である国立遺伝学研究所の斎藤成也教授はNHKの取材に対してハッキリと弥生系渡来人の定義を「中国大陸からやってきた」断言してる
https://i.imgur.com/UJZubVQ.jpg
https://i.imgur.com/2YKTJN4.jpg
弥生人とは縄文人の父系と大陸系の母系である
2019年、国立科学博物館の篠田謙一教授の人骨DNA分析によって、朝鮮ヒトモドキ要素はゼロと判明
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20190303/movie/4040002195_20190303075459.html
朝鮮半島由来の渡来人は縄文人の出戻りと判明
https://i.imgur.com/3uWM5cK.jpg
従来のY遺伝子D系統におけるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
https://i.imgur.com/mLgiqTd.jpg
https://i.imgur.com/1Yl4qgn.jpg
https://i.imgur.com/fQ7qJ4s.jpg
Y遺伝子(父系)のD2はアイヌ88%、沖縄56%、日本本土42〜56%、チョン半島0%
従来のミトコンドリアDNAならびにY染色体DE、O2b1とO2b*によるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
https://i.imgur.com/YlzY3cM.jpg
チョンコはミトコンドリア(母系)においてニッポン人女性と牝ヒトモドキに差異はないとホルホルするが、アジア全体で大きな差はない
また有史以来、チョンコロ半島の国々は貢ぎ物として牝ヒトモドキを大量輸出していた実績があり、その伝統は近年の第五種補給品まで続いていた
なおM7aがニッポン人女性の特徴と言える
結論:ニッポン人にとってチョンコは距離的には近くても血統的には非常に遠い存在 「史記」や「三国志」って、いつ頃日本に伝わったんだろ?
やはり遣隋使や遣唐使の時代かな? >>812
旧唐書を読めば何となくわかるよ。
朝貢に訪れて文献をむさぼって、なかなか帰国しなかった使者がいる。
ヤマト政権はその頃になって初めて、魏志倭人伝などを目にしたのかもしれない。 >>812
600年の遣隋使時点では、これを読んでいます。
『日本は古の九州の小国、倭国ではない。』
これは、大和朝廷は女王卑弥呼の後継ではない事を意味します。
推古天皇時ではあるけれど、一応、聖徳太子であろうと言われています。
百済新羅建国が高句麗全盛の350年、500年に百済から最初の五経博士を献上させた。
代は過ぎるが、曽我氏、馬子邸に置き聖徳太子はこれを家庭教師として通い、
反発勢力に馬屋戸の王子と揶揄された。
仏教公伝は当然、中国語訳の経典が読めないと伝わったことにはならない。
史書も読める。
仏教公伝も、中国から直接ではなく、傀儡立国の百済王経由で入った。
これは、公孫氏、韓王朝滅亡から、四郡追討迄日本が北朝中原に敵対したため
中国は、日本に先進文化を与えなかったのである。
日本の400年から500年は、中華を仮想敵国としての富国強兵時代。
これが、日本の古墳時代である。
邪馬台国論争のせいで、全然真実に近づかないw 『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。
或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。
或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
(日本語訳)
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
(わかりやすくまとめ)
倭国の使者は異なる3つの説明をした。
A 倭国が日本に改名した。
B 日本と倭国は別の国である。
C 日本は東側の小国だったが倭国を併合した。
倭国の使者は不誠実だったので中国は倭国の使者の話を信用しなかった。
さて、日本国がした説明はどれでしょう?
おそらく、Aが日本国がした説明(嘘)。
真実は、倭国が日本国に改名したのではなく、日本国が倭国の別種であり、倭国を併合した。
倭国は古の倭奴国のこと、つまり九州北部の博多湾沿岸、筑紫のこと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています