畿内説の某氏が「道里=里数+日数」論で頑張っているようだ。
「道里」はこれで良いのだ!、というのも一つの理屈ではあろう。

がしかし、そうなると原文において・・、
対海国〜〜邪馬壹国(女王之所都)の間の国々は、全て「戸数道里」が略載されていることになる。
このため、その次の「自女王国以北、其戸数道里可得略載」は、前出すべての国々の既述事項と重複する。
依って、この文は全くの死文と化すので、削除しても支障なく読める。
このような「道里=里数・日数」という解釈は、東夷伝・陳寿の文章としては不可解と言わざるを得ない。だがこれには、仕組まれた理由がある。

陳寿が定義する道里とは、文字通り、(道)の方角と(里)の数である。
だから投馬国と邪馬台国には、「戸数」と「道」は書いてあっても「里」は書かれておらず、文字づら上、女王国以北ではないことになる。
但し、邪馬台国(女王国)に関しては、後段中締めとして「自郡至女王国万二千余里」として全行程の里数が示され、
既知の不彌国までの里を差し引くと、残は1300里と判明するので、実質的に投馬国のみが女王国の南となるのである。

(前略6国)
南至投馬国、水行二十日、五万余戸。
南至邪馬壹国女王之所都、水行十日陸行一月、七万余戸。
(自女王国以北、其戸数道里可得略載) ←←← 畿内式読み下しでは、重複・削除となってしまう
其余旁国遠絕不可得詳。次有〜〜、、、