【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬六
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倭人伝の謎の中心はその行程と里程にあるけれど
いわゆる短里に近い里というのは、
240年印綬辺りの正始年間に短里復興が有ったなら
梯儁が使用した可能性はある。
陳寿がこれを使うことはないが、邪馬台国が九州の小国なのに
大倭王として印綬しちゃった皇帝の恥を表面化させないために、
倭人伝で、邪馬台国の位置を隠蔽するために使ったことは有り得る。
満二千里が地の果てなのでこれにしとけ、という説も良いが
韓方可4千里や対馬壱岐が千里は、里程基準に充分である。
5千里で周旋できる小国なのである。
で、道里の件、
計其道里 當在 會稽東治之東
この 其 だが、
自郡至女王國 萬二千餘里 の次の文脈である
倭人の刺青と会稽の話には、道里が出てくる道理が無い。
自郡至女王國 萬二千餘里 の位置が
計其道里 當在 會稽東治之東 である。
これは、鹿児島だがw 郡から12000里全部南下してしまえば、概ねで正解。
実際は、歴韓国の後で東行したので、3千里程度北になる。
陳寿も九州説である。(聖徳太子もw) >>735
「丹」の採れない九州に、女王国など在る訳がない。 以上。 @阿波 自郡至女王國 萬二千餘里
(中略)・・・・
計其道里 當在會稽 東治之東
なるほど
陳寿は、ここでも日数でなく、里数の萬二千餘里を「道里」としている。 宮崎先生の解釈がおもしろい
北部九州の行程は壱岐島から九州島を概観したものであると、
対岸が末盧國
その隣が伊都国(壱岐から東南、末盧から陸行五百里)
その隣が奴国(壱岐から東南、伊都から陸行百里)
その隣が不弥国(壱岐から東、奴から陸行百里)
末盧國→伊都国への方向問題も、末盧上陸問題も解決する いうなれば、壱岐島からの放射説か、
行きはよいよい、帰りは考えずwww うん、潮に流されてもいいんだから、阿波が大喜びそうなルートだな、 宮崎先生ならではの、
壹岐島からの放射視ということかな・・、正解かも。 対馬:有千餘戸
壱岐:有三千許家
この「家」と記述されている箇所が、宿泊して日誌を書いた場所だとも思える。
次に「家」と書かれるのは不彌国で、個人的には北九州の事だと思ってる。 >>744
>うん、潮に流されてもいいんだから
「潮に流されてもいい」んじゃなくて、「潮に、必ず、流される」んだよ。 勘違いしてはイカンぜよ ワハハハハ @阿波 倭人船で往復してるんだから、潮に流されようが何だろうが母港に帰る。
240年の梯儁は九州に母港は無いので博多湾に入ったはずである。
247年の張政は倭人船に便乗できて、500里歩かされ伊都で検閲、駐留させられている。
これは、金印やお土産山盛りの魏の軍船で行軍した梯儁には出来ない。
将校が軍船で来ているわけで、戦争になる準備は有る。
梯儁は、
南至 投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
238年に楽浪帯方の公孫氏奇襲の最新鋭帆船で、
来ているので、済州島からだと対馬にも寄らないかもしれない。
倭人船なんてものは、岸に着きさえすれば、沿岸を母港に帰るのである。
まあ九州から漢時史料で船行一年の小笠原から、伊豆に入れば北回りで沿海州
日本海ルートで対馬ルートか? 津軽海峡経由だろw すごいね。 倭人伝の謎 行程に日行。月行。というのが有る。
倭人は里程を知らず(ご都合主義だろw)日程? ならなおさら、
1時間でも24時間でも良い、一日行ってのは、絶対に存在しない。
あまり、前例がないので憶測なのだが、日行、月行は、
行軍日程で徴兵した戦士への日当計算の報告書の記録なのではないのかな?
これで、ほぼ倭人伝全解決。 かな?
チラ裏諸氏に、感謝!
売って良いんだよwww >>749
>流されても阿波にはたどり着かないなw
倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を倭国(阿波)内各地で実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。
また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。
「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。 @阿波 >>750
>倭人船で往復してるんだから、潮に流されようが何だろうが母港に帰る。
対馬海流に流されて、到着地と出航地は別!
大陸からの玄関口(福津市周辺 万津浦)
大陸への出航地(平戸市周辺) @阿波 >>745
俺は昔からその説だが賛同者が全然いなかった
ようやく日の目を見るようになったか >>750
>将校が軍船で来ているわけで、戦争になる準備は有る。
対馬海峡の渡海は倭人だけの技術だろうね。
魏志倭人伝に書かれていないことを妄想してもダメ。 >>755
>対馬海峡の渡海は倭人だけの技術だろうね。
その倭人は勿論、縄文時代から西日本各地へ進出していた「忌部はん」 たちだよ。 @阿波 >>755 倭人伝を正しく読むという事のヒント
奴国を含む21国が邪馬台国7万戸。
この参問国が周旋可5千里であって、範囲としては
糸島、福岡、筑紫平野であり、松浦、宗像以遠の国、
国になっていないだろうが、豊前、肥前は含まないと考える。
潮汐による海流が前後左右どっちだろうが、
帰国便は日本海沿岸に着けば沿岸を博多湾に向えばいい。
出発には潮待ちがある以上、博多湾内は無く糸島北岸である。
当然、呼子や平戸、宗像以東の汐待港は有るだろうが、
金印の伝統、邪馬台国の場合は博多湾が起点であり、壱岐へは糸島北岸が最寄。
常識で判断できること。
末盧=松浦、邪馬台=大和 という和名当て字での短絡には呆れる。
九州ローカルの和名に、音で漢字を当てたのは、
印綬に来た梯儁の参問と張政の倭人船同行時の聞き取りである。
国名である投馬国は馬韓の向こうという240年印綬に来た梯儁による表意文字
邪馬台国は漢字名にした参問の邪馬国に在った卑弥呼の臺をランドマークとした国名。
臺が曹操の楼閣を意味するので、正史として陳寿が字を改めた。 >>757
>奴国を含む21国が邪馬台国7万戸。
「丹」の採れない九州に、邪馬台国など有り得ない。 以上。 @阿波 丹が出るのは倭国であり、邪馬台国と阿波に交易が有ればそれでいい。
青銅、銅鐸は和製であるから、紀元前から出雲、吉備や瀬戸内海諸国も交易は有った。
漢鏡は九州国の交易品と思うが、これと丹を交換したのではないかな。
卑弥呼は皇帝に丹をおねだりしているので、阿波王でないことは間違いない。 丹は邪馬台国の山から出なきゃいけないわけだが、佐賀・長崎に跨がる九州西部鉱床や大分・宮崎に跨がる九州東部鉱床があるから「丹の採れない九州」って文言は四国チョンコの願望でしかない。 >丹が出るのは倭国であり、邪馬台国と阿波に交易が有ればそれでいい。
丹が出る倭国は、邪馬台国(阿波)。 いくらだだをこねても無駄。
>紀元前から出雲、吉備や瀬戸内海諸国も交易は有った。
縄文時代から、倭国(阿波)の海人族は、出雲、吉備や瀬戸内海諸国と交易していた。
>卑弥呼は皇帝に丹をおねだりしているので、阿波王でないことは間違いない。
有り余る「丹」が採れるのに、おねだりする訳がないわね。 わはははは @阿波 >>761
いくら駄々をこねても無駄。 縄文時代から「丹を」採掘していたのは、後にも先にも倭国(阿波)だけ。 ワハハハハ @阿波 その一節を以って否定するなら?猴も黒雉もいない日本列島は倭國じゃなくなるぞマヌケ >>761
>佐賀・長崎に跨がる九州西部鉱床や大分・宮崎に跨がる九州東部鉱床があるから
いまだに、そんな戯言を言わざるを得ない九州説、哀れなり。 @阿波 逆立ちしなきゃ勝ち目がない四国チョンコのトンスル妄想 北部九州は「橘」でも、アウトの宣告を受けてしまう。 もはや救いようがない。 哀れなり。 @阿波 阿波チョンコの主張だと倭国も邪馬台国もインドネシア一択になるな 出真珠青玉 其山有丹 其木有?杼橡樟?櫪投橿烏號楓香 其竹篠?桃支 有薑橘椒襄荷 不知以為滋味 有?猴黒雉
?猴は台湾以南、黒雉はスマトラ島の固有種
丹に執着するのは無意味 自説に適う記述は必要以上に取り上げ、不都合な記述は一切読まない。
阿波の姿勢はまさに朝鮮ヒトモドキの所業だな。 >>769
>?猴は台湾以南、黒雉はスマトラ島の固有種
台湾やスマトラ島で、卑弥呼時代に「丹」を採掘していたのかな? わはははは
で、北部九州で、「橘」が卑弥呼時代に自生していたのかな? ワハハハハ @阿波 >>771
そうやって逃げ回るくらいなら調子こいて書き込まなけりゃ良いのに馬鹿だねぇ・・・ 九州説は、いつも笑いもの。 哀れなり。 ワハハハハ @阿波 >>769
>?猴は台湾以南、黒雉はスマトラ島の固有種
台湾やスマトラ島で、卑弥呼時代に「丹」を採掘していたのかな? わはははは
で、北部九州で、「橘」が卑弥呼時代に自生していたのかな? ワハハハハ @阿波 そもそも魏書に出てくるのは「朱丹」と「鉛丹」と単独表記の「丹」の3つだけ
辰砂であるという明確な根拠がないんだからチョンコがいくらお里自慢してもファンタジーの域を出ない >>777
>辰砂であるという明確な根拠がないんだから
九州の古墳から出る赤色顔料はベンガラなんだってね。 わはははは @阿波 >>777
>辰砂であるという明確な根拠がないんだから
いまだに、そんな戯言を言わざるを得ない九州説、哀れなり。 @阿波 古代史関連スレには色んなチョンコが住み着いてるけど
共通点がいくつかある
・自説を自らが発見した新説であると主張する
・その親切に辿り着けなかった外車を小馬鹿にする
・普通号な事実は徹底的に無視
・破綻を指摘されても無視
・ナゾの高笑い 古代史関連スレには色んなチョンコが住み着いてるけど
共通点がいくつかある
・自説を自らが発見した新説であると主張する
・その新説に辿り着けなかった学者(学会)を小馬鹿にする
・自説に不都合な事実は徹底的に無視
・破綻を指摘されても無視
・ナゾの高笑い >>782
九州の古墳から出る赤色顔料はベンガラなんだってね。 わはははは @阿波 で、北部九州で、「橘」が卑弥呼時代に自生していたのかな?
そうやって逃げ回るくらいなら調子こいて書き込まなけりゃ良いのに馬鹿だねぇ・・・ ワハハハハ @阿波 >>786
>日本?猴
ニホンザル? 倭国(阿波)の畑を荒らし回ってるやつかね? @阿波 橘 wikipedia
日本に古くから野生していた日本固有のカンキツである。
本州の和歌山県、三重県、山口県、四国地方、九州地方の海岸に近い山地にまれに自生する。 「丹」も「橘」も「楠」も「?猴」も「黒雉」もみんな、温暖な倭国(阿波)の鉱物・動植物だな。 わはははは @阿波 >>792
もしかして、「えてこう」? わはははは @阿波 >>794
どう転んでも、やはり倭国(阿波)か。 @阿波 「丹」も「橘」も「楠」も「?猴」も「黒雉」もみんな、温暖な倭国(阿波)の鉱物・動植物だな。 わはははは @阿波 >>790
ああ、九州から海神が持ち運んで行ったのだな。 >>798
少なくとも、北部九州からじゃないからw @阿波 >>799
チョンコロのウリナラファンタジーにはもうウンザリ >>800
なんの根拠もないトンデモ九州説にはもうウンザリ わはははは @阿波 古代史関連スレには色んなチョンコが住み着いてるけど
共通点がいくつかある
・自説を自らが発見した新説であると主張する
・その新説に辿り着けなかった学者(学会)を小馬鹿にする
・自説に不都合な事実は徹底的に無視
・破綻を指摘されても無視
・ナゾの高笑い >>802
それはまさに奥山氏そのものだなw
もしや自己紹介か?w >>804
なんの根拠もないトンデモ九州説にはもうウンザリ わはははは @阿波 古代史関連スレには色んなチョンコが住み着いてるけど
共通点がいくつかある
・自説を自らが発見した新説であると主張する
・その新説に辿り着けなかった学者(学会)を小馬鹿にする
・自説に不都合な事実は徹底的に無視
・破綻を指摘されても無視
・ナゾの高笑い >>806
またニュー速+でボコられたらしいなw
考古学マニアが社会人に勝てるわけがないw 【九州人は先祖に多大な朝鮮人の血が混じっている】
九州人、特に福岡、佐賀、長崎は先祖に多大な朝鮮人の血が混じっている事が多く、現在でも近い身内に朝鮮人の血が混じっている人が多いそうです。
DNAを調べると日本古来のDNAとかけ離れていて、朝鮮系DNAに近いとのデータもあるようです。
そんなのが関係しているのか、九州では、特に福岡県などでは暴力団の抗争が絶えませんよね?
抗争といっても、テロ組織的な過剰で突撃的な抗争の仕方で日本中を震撼してますよね。
まさしく、これも朝鮮人の血筋も関係しているとネットでは騒がれていますね。
そのせいか九州男児と言えば「ウソつき」「男尊女卑」として有名ですが、これ朝鮮人と全く性質が一緒なんですよ。
やっぱり血は争えませんね。 〜最新の核DNA調査におけるニッポン人とチョンコ(別名:朝鮮ヒトモドキ)の差異はこれだけある♪〜
2018年、木村資生記念進化学セミナー 第1回「Human Evoluion I」
https://kimuraseminar.files.wordpress.com/2017/08/20170804_humanevol1_saitoun.pdf
発表者である国立遺伝学研究所の斎藤成也教授はNHKの取材に対してハッキリと弥生系渡来人の定義を「中国大陸からやってきた」断言してる
https://i.imgur.com/UJZubVQ.jpg
https://i.imgur.com/2YKTJN4.jpg
弥生人とは縄文人の父系と大陸系の母系である
2019年、国立科学博物館の篠田謙一教授の人骨DNA分析によって、朝鮮ヒトモドキ要素はゼロと判明
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20190303/movie/4040002195_20190303075459.html
朝鮮半島由来の渡来人は縄文人の出戻りと判明
https://i.imgur.com/3uWM5cK.jpg
従来のY遺伝子D系統におけるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
https://i.imgur.com/mLgiqTd.jpg
https://i.imgur.com/1Yl4qgn.jpg
https://i.imgur.com/fQ7qJ4s.jpg
Y遺伝子(父系)のD2はアイヌ88%、沖縄56%、日本本土42〜56%、チョン半島0%
従来のミトコンドリアDNAならびにY染色体DE、O2b1とO2b*によるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
https://i.imgur.com/YlzY3cM.jpg
チョンコはミトコンドリア(母系)においてニッポン人女性と牝ヒトモドキに差異はないとホルホルするが、アジア全体で大きな差はない
また有史以来、チョンコロ半島の国々は貢ぎ物として牝ヒトモドキを大量輸出していた実績があり、その伝統は近年の第五種補給品まで続いていた
なおM7aがニッポン人女性の特徴と言える
結論:ニッポン人にとってチョンコは距離的には近くても血統的には非常に遠い存在 >>808
順調に育ってるようだな、脳内ウジ虫がw
考えの合わないヤツは全てチョンw
人間の底辺で妄想にふける典型的ネトウヨって哀愁が漂ってるなw 〜最新の核DNA調査におけるニッポン人とチョンコ(別名:朝鮮ヒトモドキ)の差異はこれだけある♪〜
2018年、木村資生記念進化学セミナー 第1回「Human Evoluion I」
https://kimuraseminar.files.wordpress.com/2017/08/20170804_humanevol1_saitoun.pdf
発表者である国立遺伝学研究所の斎藤成也教授はNHKの取材に対してハッキリと弥生系渡来人の定義を「中国大陸からやってきた」断言してる
https://i.imgur.com/UJZubVQ.jpg
https://i.imgur.com/2YKTJN4.jpg
弥生人とは縄文人の父系と大陸系の母系である
2019年、国立科学博物館の篠田謙一教授の人骨DNA分析によって、朝鮮ヒトモドキ要素はゼロと判明
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20190303/movie/4040002195_20190303075459.html
朝鮮半島由来の渡来人は縄文人の出戻りと判明
https://i.imgur.com/3uWM5cK.jpg
従来のY遺伝子D系統におけるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
https://i.imgur.com/mLgiqTd.jpg
https://i.imgur.com/1Yl4qgn.jpg
https://i.imgur.com/fQ7qJ4s.jpg
Y遺伝子(父系)のD2はアイヌ88%、沖縄56%、日本本土42〜56%、チョン半島0%
従来のミトコンドリアDNAならびにY染色体DE、O2b1とO2b*によるニッポン人と朝鮮ヒトモドキの差異
https://i.imgur.com/YlzY3cM.jpg
チョンコはミトコンドリア(母系)においてニッポン人女性と牝ヒトモドキに差異はないとホルホルするが、アジア全体で大きな差はない
また有史以来、チョンコロ半島の国々は貢ぎ物として牝ヒトモドキを大量輸出していた実績があり、その伝統は近年の第五種補給品まで続いていた
なおM7aがニッポン人女性の特徴と言える
結論:ニッポン人にとってチョンコは距離的には近くても血統的には非常に遠い存在 「史記」や「三国志」って、いつ頃日本に伝わったんだろ?
やはり遣隋使や遣唐使の時代かな? >>812
旧唐書を読めば何となくわかるよ。
朝貢に訪れて文献をむさぼって、なかなか帰国しなかった使者がいる。
ヤマト政権はその頃になって初めて、魏志倭人伝などを目にしたのかもしれない。 >>812
600年の遣隋使時点では、これを読んでいます。
『日本は古の九州の小国、倭国ではない。』
これは、大和朝廷は女王卑弥呼の後継ではない事を意味します。
推古天皇時ではあるけれど、一応、聖徳太子であろうと言われています。
百済新羅建国が高句麗全盛の350年、500年に百済から最初の五経博士を献上させた。
代は過ぎるが、曽我氏、馬子邸に置き聖徳太子はこれを家庭教師として通い、
反発勢力に馬屋戸の王子と揶揄された。
仏教公伝は当然、中国語訳の経典が読めないと伝わったことにはならない。
史書も読める。
仏教公伝も、中国から直接ではなく、傀儡立国の百済王経由で入った。
これは、公孫氏、韓王朝滅亡から、四郡追討迄日本が北朝中原に敵対したため
中国は、日本に先進文化を与えなかったのである。
日本の400年から500年は、中華を仮想敵国としての富国強兵時代。
これが、日本の古墳時代である。
邪馬台国論争のせいで、全然真実に近づかないw 『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。
或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。
或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
(日本語訳)
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
(わかりやすくまとめ)
倭国の使者は異なる3つの説明をした。
A 倭国が日本に改名した。
B 日本と倭国は別の国である。
C 日本は東側の小国だったが倭国を併合した。
倭国の使者は不誠実だったので中国は倭国の使者の話を信用しなかった。
さて、日本国がした説明はどれでしょう?
おそらく、Aが日本国がした説明(嘘)。
真実は、倭国が日本国に改名したのではなく、日本国が倭国の別種であり、倭国を併合した。
倭国は古の倭奴国のこと、つまり九州北部の博多湾沿岸、筑紫のこと。 >>815
倭人伝を読めば卑弥呼は筑紫で間違いないんだが・・・
これ247年以降で、大和朝廷と統合して、
魏外交は断ち、富国強兵で、半島進出、四郡挟み撃ち追討、百済新羅建国。
で、400年は南朝で倭の五王お披露目です。
この大和朝廷は、倭の五王の奏上で良いけど
この間に、関東、関西、中部、中国、四国が統合したわけで、
どれが、主流かは、時代時代で判らない。
聖徳太子は遣隋使の弁で九州じゃない、だから魏志倭人伝の古の倭国ではない。
しかし、天智天武天皇は、700年記紀で九州回帰を計っている。
一応王家が血族であっても、こういう主流の交代ということは有る。
だから、大化の改新だろwww 纏向の箸墓は朝廷に加わった300年付近で
九州から迎えた台与の古墳でも全然問題ない。
しかし、考古学なら判るだろうが、
纏向の遷都ってのは、失敗してないか?
奈良と京都は古都ではある。 >>816
>倭人伝を読めば卑弥呼は筑紫で間違いないんだが・・・
「丹」の採れない筑紫に、卑弥呼が居る訳がない。 以上御終い。 @阿波 >>817
お前の主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるな。 「其山有丹」で、アカゲザル?とクロキジ?も、倭国(阿波)で生息していたことになるな。
「橘」や「楠」も温暖な倭国(阿波)で自生していたことになるな。 ワハハハハ @阿波 >>819
相変わらず精神勝利と妄想しか出来ない四国チョンコwww 古代史関連スレには色んなチョンコが住み着いてるけど
共通点がいくつかある
・自説を自らが発見した新説であると主張する
・その新説に辿り着けなかった学者(学会)を小馬鹿にする
・自説に不都合な事実は徹底的に無視
・破綻を指摘されても無視
・ナゾの高笑い >>821
「其山有丹」で、アカゲザル?とクロキジ?も、倭国(阿波)で生息していたことになるな。
「橘」や「楠」も温暖な倭国(阿波)で自生していたことになるな。 ワハハハハ @阿波 >>822
お前の主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるな。 「其山有丹」で、アカゲザル?とクロキジ?も、倭国(阿波)で生息していたことになるな。
「橘」や「楠」も温暖な倭国(阿波)で自生していたことになるな。 ワハハハハ @阿波 >>824
お前の主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるな。 お前の主張だと「丹」の採れない九州は倭国ですらなくなるな。 ワハハハハ @阿波 >>826
お前の主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるな。 ♪ i.\ .i.\ i.\ チャンカチョンコ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ チャンカチョンコ♪
〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ チャンカチョンコ♪
└i===|┘i===|┘.i===|┘ チャンカチョンコ♪
((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
♪ /.i /.i. /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーラ張ハッタ♪
〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ 目ーガ吊ッタ♪
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ホルホルホルホル
〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))
♪ i.\ .i.\ i.\ 北ノ無脳ニ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ 下ノ無能♪
〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ
└i===|┘i===|┘.i===|┘
((( 〉__〉 〉__〉 〉__〉
♪ /.i /.i. /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ オナージミンジョク ♪
〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ クーソ食ッテ
〈__〈 〈__〈 〈__〈 ))) チョンチョ〜ン ♪ 阿波踊りの元祖も、「天宇受売命」だな。 ワハハハハ @阿波 四国チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなるな。 四国チョンコは他の四国民に失礼
阿波チョンコと呼びなさい 「加茂宮ノ前遺跡」
徳島県阿南市加茂町大西、宮ノ前にある加茂宮ノ前遺跡は那賀川の右岸、標高約24〜26mの自然堤防に立地している。
発掘調査では、弥生〜古墳時代と鎌倉〜室町時代の集落跡を確認。
弥生時代中期後半〜古墳時代前期初頭(紀元1〜3世紀ごろ)の竪穴住居跡計100棟余りと、土坑、溝、柱穴を発見した。
弥生〜古墳時代の県内最大規模の集落とみられる。
住居跡や周辺の遺構からは、水銀朱の精製に関わる磨石(すりいし)や石杵、石臼などの石器500点余りと、祭祀に関わる水銀朱の原料となる辰砂約90点が見つかり、注目される。
住宅跡からは、サヌカイト製の石器とその残りかす、糸を紡ぐために使う土製紡錘車、鉄器、ガラス小玉が出土。
鍛冶炉(製鉄の炉)を備えていた。
一つの住居で辰砂の精製と鉄の加工、紡織、石器づくりをしていることから、さまざまな物を同時に作る工房としての性格があることが分かった。
加茂宮ノ前遺跡の南西約5qには、弥生〜古墳時代の辰砂採掘遺跡である若杉山遺跡がある。
那賀川の対岸には縄文〜鎌倉、室町時代の深瀬遺跡がある。若杉山、深瀬の両遺跡は時代が共通する上、辰砂が見られる点から、加茂宮ノ前遺跡との関連が注目される。
加茂宮ノ前遺跡では、水銀朱を作っていたほか、石器、鉄器の製作加工や紡織をするなど「生産のムラ」として大規模に展開していたといえる。(県埋蔵文化財センター専門研究員 田川憲) 近年、東阿波型土器が大和・河内地域の遺跡から相当量出土することをふまえ、大阪府茨木市の将軍山古墳や紫金山古墳、高槻市の闘鶏山古墳を始めとする摂津・北河内地域に点在する結晶片岩石積みの竪穴式石室について、
その用材石室構築技術が、阿波地域から提供されたとみる説が定着しつつある。
鳴門・板野古墳群について 「徳島県の歴史散歩(山川出版社)」から抜粋
鳴門市大麻町の山地の麓には、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて、前方後円墳を核とした首長墳が集中する。総称して鳴門・板野古墳群と呼んでいる。
主な古墳は、西山谷2号墳 池谷宝幢寺古墳(県史跡) 天河別神社古墳群(6基・県史跡) 萩原1号墓(消滅)・2号墓 大代古墳(県史跡) 板野の愛宕山古墳(県史跡)
発掘調査で埋葬施設が判明した西山谷2号墳、天河別神社1・2号墳、愛宕山古墳、大代古墳は、いずれも結晶片岩板石積みの竪穴式石室を構築しており、
鮎喰川産の土器を供献するなど、気延山古墳群との親縁性を示している。
西山谷2号墳は全国最古級の竪穴式石室で、石室外周に萩原1・2号墓に類似した一種の囲み壁をつくっている。 積石木槨から竪穴式石室の成立を考える上で興味深い。
鳴門板野古墳群には中国製の銅鏡の副葬がみられるのも特徴である。
「板野・鳴門古墳群」
http://ktmrj15.webcrow.jp/p36ts/tpx14042619maibun.htm ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています