魏志には、邪馬台国と魏の国交の全てが記されている。
238年から247年である。

倭人伝では、240年に九州の『偽倭王、卑弥呼」と同盟する訳だが、
この間の半島における重要なイベントとして
238年、魏は楽浪帯方を奇襲侵略し、239年公孫氏を滅ぼした。
246年、南部韓に侵攻し、馬韓の箕氏韓王朝を滅ぼした。

さて、
本州日本海諸国は、青銅、方形墳丘墓に見るように
紀元前から、半島東岸〜沿海州と交流が有った。
馬韓韓王朝や公孫氏との交流も篤かったと考えられるが
この間の魏によって、この関係も断たれている。

双方とも、遺民が日本に流れていると考えられるが、邪馬台国ではない。
これを原因として九州は日本海諸国と統合するが、
出雲、越、吉備、淡路、近江、阿波、紀伊、美濃、関東
などの統合も有ったと考えられるわけで、この時作られた首都が、纏向であろう。

卑弥呼の都は、190年から247年まで九州に在り、
これが邪馬台国である、という記録が倭人伝だが、
偽倭王を大倭王とした皇帝の恥を隠すため陳寿は若干文を濁している。

考古学以前に歴史は史書から読み取れる。