どの道をたどっても、辰王にたどり着く。ただ、正統性の問題がいつもある。
魏書と魏略から辰王は世襲。
扶余隆の墓誌に「百済辰朝人」とあり、百済扶余家は辰王の流れを自認していた。
辰王の正統性はどのように引き継がれたかを辿ろう。
辰王は倭の五王になったので勿論倭の五王に辰王の正統性はある。
倭の五王の武で嫡流は絶えた。このとき日十王(昆支王系)と継体王が跡目を争った。
当時存在した日十王(昆支系)と継体王(辰王5世孫=応神5世孫)と武寧王の誰が最も辰王に近いか。
百済扶余家が辰王の本流なら武寧王>日十王であるから武寧王が辰王である。
しかし、継体王が5世孫でもっとも辰王に近いとすると継体王が辰王の本流となる。
継体王が大王位に就くと、継体王が辰王となってしまうので、
武寧王が日十王を大王位に押したのは自らが辰王の正統性を確実にするためだった?
継体王は大王位を失っても、王位を得れば真の辰王であることは揺るがないから時期の到来を待っていた?
日十王が大王となり辰王の正統性は文周王系の武寧王が自認できた。
後年、百済は崩壊したので、扶余勇(天智)が辰王を自称できたと見られる。
が、大友で絶え、傍系の翹岐系から天武が出て辰王の正統性を保持した。
しかしながら、天武は真の辰王でありたかって、継体が真の辰王であることを知っていた。
それで、書紀では継体王からつないだように書いたのではないか。如何?