凡牟都和希王(ホムツワケ王)は応神天皇ではなかった
垂仁天皇の皇子、本牟都和気命(ホムツワケノミコト)だった

一般的には「凡牟都和希王」を「ホムタワケ王」とよんで、応神と結びつけている。
記紀に継体をホムタ王(応神)の5世孫とするからだ。
しかし「上宮記」逸文のほかの「都」という字を「ツ」とよびながら、
これだけを「ホムタワケ」とよむのはおかしいからである。