502年は梁書によれば武(獲□□□鹵大王)
503年は人物画像鏡により日十大王
継体王は503年に大王交代を意柴沙加宮にて遭遇した。
継体王の宮は507年樟葉(淀川)、511年筒城宮(木津川)、518年弟国宮(桂川)。
継体王は日十大王にかわってから淀川水系の王となった。

これを単純に解釈すると、
書紀に書かれているように継体王が捜し求められたのは武に後裔がいなかった。
後継者を選出する過程があった。書紀と鏡から、継体王と日十王が有力な候補で、日十が大王に選ばれ、継体王は敗れた。
大王交代直後に武寧王から継体王に贈られた人物画像鏡の「長寿を念ずる」の意味は、敗者に倭国の安定を求めた行為。
継体王は河内を出て淀川水系の王になり、河内とはその後も争わなかった。
倭国は継体王と河内に分裂した。

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