継体天皇のときに王朝交代が起こったって本当?
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もし先代の武烈天皇以前の天皇と継体天皇との間に血縁関係がまったくなければ、継体のときに王朝交代が起こっており、万世一系が否定されることになるけどその辺のところどうなの? >>871
ヤマト王権の朝鮮出兵の負担から不満を爆発させたのが
九州の有力豪族、筑紫君磐井の反乱なのかも知れない 実際に出兵していたのは筑紫だろうけど、それを主導していたのも筑紫かもね。
倭とはそもそも九州北部のこと。
継体は半島への出口である九州北部の足場を得て半島に進出するために筑紫に対して反乱を起こしたのだろう。 継体天皇が反乱を起こしたのではなく
反乱者は筑紫君磐井の方でしょう 記紀は天皇家の歴史書なので、真に受けてはいけない。 確かに記紀は勝者の歴史だから、磐井を反乱者と呼ぶのは適当ではないかもね
磐井は半島出兵に疲れた九州諸豪族を代表してヤマト王権と対峙したのであろう 倭国の中で争いがあって淘汰が起こり大和政権が勝利したと思うのは素人。
日本は中国のように世界の中心部でなく、端っこにあるから、大陸から流れてくるんだよ。
だから、もっと、国際的に見なければだめだよ。 未開な島国相手なら、
文明進んだ大国の奴なら簡単に天下取れるよね
天皇は大陸から来たと思う >>880
大陸の王が天下を取りにわざわざ島国に来ると思うかい?王族はもっとプライドが高い。
好んでくるのではなく、攻められて仕方なく逃げてくるんだよ。目を覚ませ。
https://sites.google.com/view/jhistory/ >>882
だから、大陸じゃパッとしない連中がこっちで猿山の大将やりたがったんでしょ 文明大陸人が唐や高句麗や倭の王に仕えたから中国周辺の国が文明化したんだよ。 海の彼方からやってきた天津神(海の神)とか綿津見の神、海人族などと呼ばれた支配者たち。
彼らの来訪はしばしば大陸の政変と同期している。 >>885
神の来訪と大陸の政変との具体的対応をお願いする。
対応するのが事実であるなら、神でないその後の王たちも海外の事情により来訪したと考えてもいいだろう。継体系を含め。 古墳や遺跡をいくら掘っても文字の痕跡が遡れないから仮に大陸から来たとしても殷王朝やそれ以前
大陸に政変があると言えるほどの文明は無かったんじゃない >>884
何言ってんだチョン
日本人がシナを文明化させたんじゃねーか 倭国には青銅器文明は鉄文明と同時期(紀元前2世紀ごろ)に入ってきたと考えられている。
大陸が青銅器時代の時に倭国に渡ったたいした王はいなかった。
倭国全体に影響を及ぼす政変との対応は紀元前2世紀以降に絞ってまず考えるべきだろう。 >>82
>400年は倭の五王。
>日本は、この空白間に銅鐸廃棄、古墳成立、新羅百済建国、馬の移入、鉄の国内化。
>なんで、空白だよwww
答えは簡単日本列島には歴史がないから
日本書紀は古代朝鮮半島(百済)の歴史書とみるべき 朝鮮半島に日本書紀、源氏物語、ひらがなをつくるような文明の進歩はないよ。ウンコかじって支那もどきしてただけ。 それだと完全にブーメランが刺さってしまうぞ
ひらがな・カタカナが漢字モドキだから 近代和製漢語を中国に輸出した日本とモドキ文明を一緒にしてはいけない。 『倭人 朝鮮人』
なんだけど、どこの池沼なんだ?
お前たちが言うには倭人=日本人、日本の天皇家? あと皇族〜何やら〜と言っている人がいるでしょ?
どういう意味なんだ 易姓革命や万世一系を象徴する天子に縁もない蛮族王国のうめき 継体天皇
古事記では没年齢が43歳(生年485年)
古事記では没年が527年
日本書紀では没年齢が82歳か85歳(生年450年)
日本書紀では没年が531年か534年
記紀の記述で生没年や没年齢が異なるのに天皇なのに
記紀の記述通りに継体を応神天皇五世孫だと言われても信じかねる >>905
そもそも応神天皇の正確な生没年が分かっていないんだが。 倭王、筑紫君磐井は金仇亥と見てまず間違いなかろう
継体もその次の欽明もすべて同一人物 応神天皇
古事記では生年265年没年394年没年齢130歳
日本書紀では生年200年没年310年没年齢111歳
古事記と日本書紀どちらも帝紀を元にしてるはずなのに
記述が異なるのは不思議な話しだわ 理由は自明
「帝紀」にはホムタなどという大王の記載などそもそも存在しないからだ
帝紀は欽明以降の大王の系譜を示したもの 継体の時にクーデターが起きたのは間違いないが
クーデター程度では「王朝交代」とは言わないよ 「王朝交代」っていうのは根本から政治システムや文化が変わることを言うんだよ
クーデターだと王が変わるだけで政治システムや文化が変わるわけではないので「王朝交代」ではない。
よって継体天皇の時にはクーデターはあったが王朝交代は起きていない 継体は遠いとはいえ前の王達と血縁なら、
王朝交代は大袈裟だね >>917
三国志で仮に劉備が天下を取ったとしても王朝交代にはなるんじゃないか? 取っていたら漢を名乗っただろうから、王朝交代にはならなかったのでは?
魏が成立してしまったので王朝交代だった。 よく引き合いに出されるヨーロッパでも、
ハプスブルク家は王朝交代が起こってない。 >>918
推挙されたのに大和入りに二十年も掛かったは何故か >>917
上宮記の記述も欽明天皇の時代に、父である継体を
応神天皇五世孫にするために造作した可能性もある >>924
それにしては、先の20年の話などはむしろおかしくて、創作するならそんな話は作らないと思う。 継体天皇はそれまでの大王の遠戚の可能性も否定はできないが、
大和に入るのに20年もかかったのは雄略天皇の死による大和政権
の弱体に乗じて地方で挙兵したことを意味すると考えていいと思う。
20年の間の大和は大王不在の時代じゃなくて実際に大王はいた。
大王不在になってしまうのは日本書紀が神功皇后を卑弥呼・台与の
時代に釣り上げたための実年代とのズレが6世紀初期まで残ってし
まったせいだ。 その20年間ヤマトでは別の天皇が政務してたと気付かないとダメだよ
南北朝だったわけだ そしてその別の王というのが日十大王だよね
日十大王の時代に、継体は奈良にいたんだよ ごめんわからん
日十大王の後を継いだ息子かもしれん
日十大王の時代に継体は奈良にいて百済のシマ王から鏡を貰ってるね
その後に継体は、奈良を追放されたのか、自分から地元に帰って挙兵したのか でもとにかく「長期間都を不在にする」というのはありえない
それは仲哀天皇も同じだな
都をほったらかしにして長期遠征に行くのは「大王」ではなく「将軍」の振る舞いだよ >>922
ハプスブルク家からハプスブルク=ロートリンゲン家に王朝交代してる 継体・安閑・宣化で交代したけど欽明で元に戻ってるんじゃ >>934
>それは仲哀天皇も同じだな
九州北部が王都だったからセーフ 仲哀は九州王と意見が合わず
(熊襲=南九州を攻めたい仲哀と新羅を攻めたい九州王および神功)
九州王に暗殺されてるじゃん まあ、そうなんだけれど、香椎宮にわざわざ迎えられていることから、仲哀も景行の孫として一定の立場はあったはず。
倭王とはかなり流動的な立場であったわけだ。
羽白熊鷲も筑紫の支配者だったし、田油津姫もいた。
武内宿禰、神功皇后もいて、群雄割拠だね。
最終的に敵を一掃できた武内宿禰と神功皇后が時代の応神朝を生み出すわけだ。 欽明になって突然蘇我氏がNo.2として登場したのも謎
継体を担いだとされる大伴金村が失脚したのも謎 金村なんだから金官加羅を拠点としてたんだろ
任那四県割譲→任那日本府崩壊で勢力を失った 欽明は宮が百済大井宮だから当然百済系
蘇我も百済系
蘇我が仕えた聖徳太子も百済系だな 倭の五王時代に倭は朝鮮半島を攻めて臣民にしたわけだ
じゃあ誰が「都督」をやってたの?という
現場を仕切ってる「マッカーサー」がいたわけだよ
大伴金村がそのマッカーサーってこと そして光背には聖徳太子とは違う命日の人物の名が書かれている、と。 >>943
欽明ではなくその息子の敏達天皇だな
敏達の宮が百済大井宮 そもそも九州王なんてありえんだろ。
交易するのにはいいが、首都としての立地はあまり良くない。
攻められやすいし、農業生産力も人口も本州に劣るしな。
九州出身の人物が大和入りして王になったのなら兎も角、九州北部から本州を維持は出来ないだろう。 >>949
制海権を握っていれば問題ないし、九州の食糧生産力は非常に高い。
そして記紀は九州の王が畿内に入って天皇になったと伝えている。 九州って奈良時代から近世に至るまで、畿内に勝てるとこなんて何一つあらへんかったやん
人口はもとより農業・工芸・建築・思想・宗教・文学・芸術、九州は畿内のレベルとは比較にもならんようなただの京都の属領で後進地域やで
上代も奈良時代も産業構造変わらへんし畿内と九州では圧倒的に畿内が強かったやろ
邪馬台国は畿内やろ
もし九州にあったらすぐに畿内に踏み潰されておしまいや 現代でも畿内の経済力は圧倒的
中国四国九州沖縄を全部足してやっと関西のGDPとおんなじくらい
もし東海地方にカウントされてる三重県を関西に入れたら畿内が圧勝や
北九州に国を建てたところで、すぐに畿内に制服されるのは火を見るよりも明らか 確かに北九州はクニを作るのに向かないな
難波の港からヤマトの海軍が一日二日で襲来してくる
地政学的に不可能だ
独立国つくるなら有明海沿岸じゃないと無理だな >>953
>上代も奈良時代も産業構造変わらへんし畿内と九州では圧倒的に畿内が強かったやろ
上代の奈良なんて沼が乾いた平原、京都は沼そのもの(小椋湖) >>957
>難波の港からヤマトの海軍が一日二日で襲来してくる
瀬戸内海を1日2日?
それは無理。 >>958
九州も神武がいたと言う高千穂なんて山しかないだろ
北九州は朝鮮の一部みたいなもんだったし 本当の高千穂は筑紫の日向、すなわち福岡県西部だよ。
弥生時代を通じて王墓が連綿と作られていた。
弥生文化の発祥の地、倭国創建の地。 >>943
元出雲王国の旧王家の次男坊の「彦太君」さまが、
件の旧王家の元王女と武内大田根(いわゆる武内宿祢)が結婚して成した子孫(武内臣○○)の蘇我本家の跡取り媛に入り婿して
蘇我本家を相続。蘇我オオド王と呼ばれた。
仁徳〜の平群王朝(倭の5王時代)もまた、武内臣大田根の子孫にあたり、重臣たちもオオド王とはいわば同族関係にあり、
平群王朝に大王に相応しい男子が絶えた(重臣らがみかぎった)事から
当代随一の名声と信望を誇り、辣腕を奮って蘇我本家を繁栄させていたオオド王に
大王就任を打診、懇願。
平群王朝の跡取り媛、手白香媛の入り婿となる事、同時に蘇我本家(蘇我振媛や御子たちほか)と離縁すると言うムチャぶりの条件に難色を示したオオド王ですが、
粘り強い説得に折れて大王就任を受諾なさります。
こうしてオオド大王/継体天皇が誕生(二度の養子縁組による)
後の蘇我本家はオオド大王の長男の子孫。
欽明天皇はオオド大王の三男。
案の定、正統性を争い揉めました。 継体というのは後継が直系でも血統でもないから、新しい思想の天皇だ。世界でもまれにみる名君。 >>964
つなぎという確信がなければああいう諡号は付けないんじゃないか? 大王の漢字の諡号には史料的意味などまったく無いと何度言っても理解できない白痴共
戦国武将を題材としたアニメキャラに
デビル信長だのモンキー秀吉だの適当な英語っぽい名前をつけてたら
それが実際の名前と思い込む幼稚園児級 あくまで命名した淡海三船の認識の話だぞ
アニメキャラにモンキー秀吉と名前を付けたのなら命名した人物はそういうイメージを持ってるって話だろ 少なくとも奈良時代には「彼はただのつなぎだったよ」という認識だったわけだ。 「少なくとも」じゃねーよ
日本書紀の創作ストーリーにお題をつけたのに等しいんだから
日本書紀が描かれた後つまり奈良時代になって初めてできたこと
そもそも漢字を単に発話音の表示としてではなく漢字の意味を気にするようになり
あてる漢字が確定していったのも奈良時代になってから
だから閣僚級の人物名にイモコという名前に「妹子」という漢字をあてて
なんの疑問も覚えなかったし古事記の筆者の漢字表記も決まっていない
記紀に記された大王の名前の読みを示す漢字表記もてんでバラバラなまんま レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。