>>106
>文献資料(魏志倭人伝、記紀)では、当時の倭国は2人ペア統治。
魏志倭人伝からは、
倭国は元々男王が統治していたが、倭国乱の末に卑弥呼と男弟による統治体制ができ、再び男王が立ち、しかし国が乱れたので女王台(壱)与が立った(これも男弟のような存在が統治か)旨があるのみで、ここからはヒメヒコ制のようなものは断定できない

卑弥呼の死後の男王はどう考えてもヒメヒコ制なるものは見出だせない

そして当時の巨大古墳を見ても、西殿塚古墳にはヒメヒコ制の可能性を見出だせるが、桜井茶臼山古墳やメスリ山古墳からはそのような要素は見出だせない

女王を男王が助ける体制が存在した時期があったのも事実だろうが、ヒメヒコ制を断定するには証拠不十分