笑い話がある。
松平定信が老中首座になったときに目付を勤めた森山孝盛という武士がいた。
この侍が出世前、大阪在番の番士だった頃、同僚が無学だったことを書き残している。
(番士だったのだから徒である。森山自身は旗本で徒頭だった。)
同僚で親友の江馬という武士が無学なので、暇なときに四書の素読を教えてやった。
教えてみて吃驚した。この江馬某は、素読は字を覚えるためのものだと思いこんでいた
というのである。子どものときに調子をつけた歌のようなもので漢字を覚えたので、
四書もその類と思ったらしいのである。
孔孟の哲理も、下級武士にとってはその程度のものであった。
ついでに。森山孝盛のウィキの項目は面白いぞ。