前スレで書いたが、昔は間引きが当たり前で、産婆が出産直後の子を始末するということが
行われた。しかし明治になると簡単にはできなくなる。
ここに詳しく書かれている。
https://www.nurse.or.jp/nursing/josan/oyakudachi/kanren/sasshi/room/index03.html

「明治時代、近代国家として出発した新政府の富国強兵策や人口・衛生政策によって、
産婆の歴史も大きな転換点を迎えます。
明治元年には、明治政府が太政官布達で産婆規則を布告し、堕胎や売薬の取り扱いを禁止しました。
当時、庶民の暮らしは厳しく、堕胎(だたい)や間引き、捨て子、餓死者は後を絶ちませんでした。
産婆は妊産婦を幇助(ほうじょ)するために、ときに堕胎等を余儀なくされていたのです。
新政府は子どもを”生産力”と捉え、国や家の経済発展のために育児を奨励していくようになります。
明治7年に発布された医政によって、産婆の資格・役割などが規定され、医師と産婆の業務が
法的に区別されていきました。
産婆を教育する方針も示され、西洋医学に基づく本格的な産婆教育が展開されるようになって
いったのも明治時代でした。
明治34年には、産婆の資格が法制上明確にされ、専門職としての土台となる制度が確立されます。」

取上げ婆に金さえ払えば何でも出来たが、国家資格の助産婦さんはそうはいかない。
子堕ろしだの間引きだのが簡単に出来なくなったのは「富国強兵」という国家目的のためだった。
江戸時代末期には三千万人といわれた人口が昭和42年には一億人となる。
100年で三倍に増えたのである。
江戸時代には間引きで無理矢理子どもの数を抑えていたのである。
明治になると子どもの数を抑える手段がなくなり、出来た子は産む他なくなった。
(戦後は優生保護法という抜け道ができたが)。
戦前は子ども五人以上は当たり前、十人の家庭なども珍しくなかった。