なるほど、気の毒だな。君のような人もいるんだから
もう一つ低学歴者用のスレを立てるべきだと思う。

文久三年一月、江戸にいた坂本龍馬の手控え(メモ)が残っている。
「正月十八日、勝先生大広間にて、将軍職自退の義、大義論の由、
麟太郎先生より咄承地す・・・・・」

辞退 を自退 議論 を義論 承知 を承地 としている。
他のメモには 弐人不知(弐人扶持) などという宛字もある。
読みが同じなら字は何でもかまわないという感じである。

上の森山孝盛は、松平定信が字が読めたので周囲の役人が困ったという話を
書き残している。役人が文書を読み上げて報告しているときに、読みを間違えて
しまった。そのときに定信が「その文字はこう読むのだ」と文書を読みもしない
ままで教えたのだという。
「御老中様ハ字ヲオ読ミニナラレルノデドウニモナラヌ」と役人は愚痴った。
この話は定信が字が読めたというより、それまでの老中は字がまともに読め
なかったことを示唆している。老中といえば大名で、家柄で上り詰めてきた
人たちだった。子供のときの勉強も形だけだったのだろう。老中になっても
ほとんど字も読めぬまま目暗判を押しているだけだったようである。
松平定信のような学のある殿様は珍しかったのである。