家代々の信仰を捨て、一種の天皇教ともいえる神道に宗旨を変えたのはいかにもこの人物らしい思い切りである。
鳥羽伏見の戦いにあたり、大阪城で指揮官の立場にあったにもかかわらずまさかの敵前逃亡。さっさと船で
江戸に帰ってきてしまった、そういう身代わりの早さを感じさせる。
肺炎で死んだのだが、なんで肺炎になったかというと、九男誠の男爵受爵をむやみに喜び、そのお礼を進上する
ため宮中に参内したのが原因。風邪を引いているのに、こちらから申し出た参内を中止することはできないと
無理をして急性肺炎になってしまった。天皇家に対し媚びへつらうこと尋常でなかった。
何だか落ち着きがなく、一生バタバタしてたような人物であった。

>何を根拠に徳川一門ではないとさっきから喚いているのか。

分かってないな〜。慶喜は上野寛永寺で謹慎し隠居した。徳川将軍家の当主の地位は田安家の家達が継いだ。
この徳川宗家は明治17年に公爵を受爵している。
隠居したからといって徳川家との縁が切れるわけではないが、慶喜はさらに大政奉還の功を以て受爵したのだ。
宗家はもう公爵なのだから、慶喜が爵位を受けるにはさらに別家を立てる必要がある。
そのために別家を立て、この家に爵位を頂戴したのだ。
そしてこの家の宗旨を神道とした。もはや祖先の祭祀は行わないとの意思表示でもある。
実質的に先祖との縁を切ったのだ。
普通はここまでやらない。慶喜という転変きわまりない男だからこういうことがやれたのだ。
娘を家達のところから女子学習院に通わせたなどというのは表面的なことだ。
こういう些末なことではなく、物事は構造的に捉えないといけない。
教育を受けていない人が知識を得ると逆に本質が見えなくなる。表面的な知識に固執し頑迷になる。
あなたはその典型。
>>60 >>61 なんか自演丸出しじゃないか。なんだか哀れだな、、