先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る5
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る
前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1337303208/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1542339706/ >>684 養子でも良いじゃん。 別に父系家族に限ると言うわけでも無し。
どっちにしろ自分に血の繋がりがある直系でしょ。 父型をを辿るもよし、母方を辿るもよし。
どんな形であれ血が繋がってれば良いんじゃないの? 両方を辿り始めると大変なことになってしまうけどね。 自分も父型の戸籍は辿れる限り取り寄せたが、母型の戸籍はまだ取り寄せていない。 子が途絶えて、養子のみの家系が続いてる場合は微妙だけど。
ま、家門を受け継いだと言うことで良いんじゃないのかな。 他人が旧家なのがどうしても許せない人がいるな
水呑で苗字も明治までなかった層も多いから >>672
本多忠勝じゃなくて本多政重の家臣じゃないの
加賀前田家なら浅井や宇喜多の旧臣も多い。 >>688
それはお前さんの思い上がりだ。
水呑みなんてそもそも先祖に興味ないし、
大半の日本人が先祖なんていちいち心酔してなんかいない。
特に女なんか。
旧家が許せないのでなく、
その旧家の直系ですらないやつが、
先祖遡ればその旧家だとか、
そんなレベルで話すから虫酸が走ってるって話だろ
その旧家の身分受け継げるのは直系のみだ。
そんな血筋上の分家ならあくまでその分家の家柄
遡ぼっての血筋上の先祖って設定でいいなら、
あんたらと違い、余裕で室町国人領主まで遡れんだが? 長男でも次男でも血の濃さは同じだから直系傍系には大した意味はない
古くまで辿れるのが重要だな
明治まで辿れない人は論外としても ニセ系図を信じて先祖は鎌倉時代はどこそこに居て、とか書いてる馬鹿をからかってるだけてしょ。
系図を専門家に見せたら、作成年代がおかしいとか、先祖の生存してた時代が合わなくておかしいと指摘されて終了とかな。 >>693 僻み根性丸出しだな。 信じないならほっとけよ。
家系図なんかより信じられる書類なんていくらでもあるだろ。 そのクラスになると県の重要文化財として保管されてるけどな。
御教書って知ってるか? >>694
お前が信憑性皆無の事実指摘されて
現実つきつけられて発狂してるようにしかみえんがな >>692
血筋なんかになんの意味もない
傍流でもありなら無限ループだ
それこそ日本人みな兄弟になる
結局お前みたいになんの家柄もない人間が、
血筋というなんの価値もないものにアイデンティティーを見いだそうとする防衛規制が働いてるだけだわな >>696 だったらこんなスレで僻み根性丸出しで荒らすなよ。 他のスレを見てた方が幸せになれるよ。
ここは、血族先祖のスレ。 血筋を辿るスレだろうが。 何を言ってるのやら。
ID も出さないスレで信用するもしないもないだろ。 いちいち目くじら立ててどうするんだ。
お前うざいからコテハンつけろよ。 横から失礼。
先祖自慢とかしてるのは、上で姓氏辞典で自分の先祖を見つけたと言ったり
インチキ墓参りの話をしてる阿呆だろ
姓氏辞典か何かで「先祖」を見つけて、その家の菩提寺を探し当て(少しでも名を残した人
なら墓所は比較的容易に分かる)、わざわざ行ってみるわけだ。
そして裏山などに古い墓があると、「俺のご先祖様の墓だ」と感慨にふける。
古い石塔などを寄せ集めたような場所に行くと、「先祖祭りの場所」と勝手に想像する。
位牌堂を見れば「俺の明治以前の先祖様の遺骨を納めたお堂」と決めつける。
誇大妄想狂の一つに血統妄想というのがあるんだってさ。
例としては、赤軍に殺されたはずのロシア皇帝の娘アナスタシアと自称する女たち。
ロシア革命の後、何人も現れた。
誇大妄想とは
自分の地位・財産・能力などの現状を過大に評価したり、想像したものを事実であるかの
ように思い込んだりすること。
「想像したものを事実であるかのように思い込んだりすること」というのは、ここのコテハン馬鹿に
大いに当てはまる。
磐座や庚申塚の前で一族が集まって先祖祭りをする。そんな風景を頭に浮かべると、もう
確かにそれをやったような気持ちになり、事実であったかのように人にも話す。
実生活でも写真を見せながら誰彼かまわず話をしてるんだろうな。
不気味、かつ哀れだ。 >>694
それも偽物或いはそれをもらった人物の子孫だと詐称。
そんなところだろう。
後者の可能性の方が高い。
系図の8割は偽物と言われてるからな。 ヨーロッパ貴族は二重姓とかで婚姻関係で相続した家名と元の家名を名乗れるからいいよな。 名家旧家は普通に存在するだろ
知らないと言うことは貧民の出の名字なし雑民と言う事で
もう相手にしなくて良いよ。 名家旧家は普通に存在する
そういう名家旧家の人は、生まれながらに尊敬され、周囲に大切に扱われる。
だから鷹揚かつ上品に育つ。
かつ、先祖の名前をけがしてはいけないという自制が働くから謙虚で控えめ。
当然だが、すごい家柄だということは周りがすべて知っているのだから
自分から家が旧家だとか先祖がどうのこうのなどと自慢話をしたりしない。
もちろん先祖の調査などしない。
必要がないからだ。
本当の名家なら、先祖や家系のことなど既に分かりきっている。
姓氏辞典をネットで調べて、「おー、これだこれだ。先祖発見。これが俺の先祖」
などとやってるのは単に頭の逝ってる厨房がボケ老人。
たいがいは貧民の出の名字なし雑民と言う事で
もう相手にしなくて良いよ。 >>702
姓氏辞典をネットで調べて、「おー、これだこれだ。先祖発見。これが俺の先祖」
こんな人このスレにいる? >>700
マウントバッテン=ウィンザーとか?
でもこれは家名じゃないから違うか >>705
スレ見返したけどそんな書き込みなかったから訊いてるの
過去スレ? 姓氏辞典をネットで調べて、「おー、これだこれだ。先祖発見。これが俺の先祖」
なんて家系に嫉妬する奴いるかね
馬鹿な奴 >>702
君の妄想の中では家柄いい人はそんなイメージなんだね
君のその妄想は、経済的特権階層にはある意味近い。
ただ、家柄特権階層の民度とは結構 かけ離れている
君も家柄いい人たちのリアルすら知らないんだから、あまり知ったような口聞かない方がいいよ い、、、家柄特権階層(*≧ω≦)ノブッ、、、
子供だったんかい 阿呆らし >>771
人を茶化すことしかできない悔しい低学歴のひがみ根性の無知素養は、変えられないのだろうが、
君をみて改めて無知は罪なりと感じるね
いと哀れなり >713
生まれが卑しい奴が悔し紛れに学歴だってよ
これで高卒中卒B級私大卒の引きこもりのジジイだから笑ける
そんな所は名前が書ければ誰でも入れるでしょ?違うん。 他人の先祖に嫉妬するような人にだけはなりたくないのう
気色悪いわ 社会心理学でももう答えは出ている
身分的特権は、あらゆる角度の環境変化に相対的に脆弱性を帯びるため、普遍性の価値を持ち合わすに至る条件が個々に解離しているため、
非常にマウンティングに近い心理性が働きやすい。
経済的特権階層は、それとは逆に
環境や条件に適応した価値を持ち合わすに至る財閥が多いため、
変化への安定性が身分的性向より大きく、
身分的特権階層の真逆の精神性を証明されてる
偏差値70ごえの一流大卒の偏差値王たる私からすらば、
君みたいな低学歴のお爺さんの無知素養からくる僻みなど、とるに足らないのだよなんの家柄も持ち合わせない、いと哀れな御仁 かわいそう
子供のままのオツムなんだな
ママが茶の間で泣いてるだろうが >>715
私は室町期は旧地侍、
江戸期は代々庄屋
明治も戸長、そして村長、
の直系の23代続く家に生れた
君らよりまともな人間だよ、家柄も教養も。
哀れなり バレバレの嘘語り始めた笑笑
根拠ゼロで思い込んでるんだろうな
自分が23代続く名家の
偏差値70の高学歴と
口ではなんとでも言えます。
証拠がアップできないならば先祖スレの住民の資格無いから二度と書き込まないでくれな
ウザいしキチガイじみてて読むのも不快だから 証拠を君に提示する必要性が、
この2ちゃんねるにおいて、
どこにその成分と根拠があるのか?
誰もそんなことしていない。
市史にも書かれているし、
過去帳もそうだし、
墓の形は代々宝鏡印塔で藩主の童子の墓と同じ形や大きさ許されており、勿論院号許されている戒名もそうだし、
私の家は庄屋でありながら、諱も許されているが、
それは手代として地域の公共事業や政策を一手に藩から担っていたためそれらが容易に残っている。
戸長拝命も市史は勿論、初代県令からの拝命書もあり、
私の実家が戸長役場だった。
写真も残されているよ
その直系に生まれた。
別に君が信じようと信じまいと関係ない。 明治は私の家自体が役場だった。
君らには想像もできないだろうが。笑 家柄や家系とは全然関係ないけど
自分の曾祖父の勲一等叙勲ってどれくらいすごいの? >>721
身分的差異による嫉妬は醜いですなあ
足軽下級武士のそのまた傍流の子孫さん笑 ソース貼れないなら書き込むなよ嫉妬厨
見苦しすぎる
日本人ですらないなコイツ >>726
嫉妬狂いのレッテル針こそ日本人には思えないというブーメラン
この人をみれば分かるだろう。
身分的価値はこのような嫉妬と妬みからくるマウンティングと現実逃避という心理的防衛規制バイアス丸出しになり、
醜い闘争劇となる。
これがひとつの現実なんだよ社会心理学の言うがままの。 掲示板で他人の家柄に嫉妬して書き込みとか
やってることが哀れすぎw
仕事探せよ 自転車置き場の整理なら
あなたの年齢、家柄学歴でも採用される可能性あるから >>728
君はいつまで妄想で人をレッテル張っているのだ?
糖質に血統妄想という精神症状があるが、
君も旧家を目の当たりにするたびに、嫉妬と僻みで発狂するのも苦しかろうから、
一度受診をお勧めするよ
苦しかろう? 自分の出た大学を表現するのに偏差値で表現する奴はいませーん笑
妄想の中でしか生きられないかわいそうな人なんだろうな 今度は大学まで妄想レッテルという、
もはや哀れな御仁に、私はあなたを労りたい
なぜなら、私は寛容だから笑
あなたのような出自も学歴もいと哀れなりける御仁には、私の知識で救えるなら救ってあげたいね
お爺さん、地域包括支援センターっていう高齢者専門の相談センターが地域にあるから、
身の上を相談されてはいかがか?笑
その際自分の先祖やら出身高も相談されては?笑 皆もそうだろうけど、子供の頃見聞きした話をおぼろげに覚えてるが、歳を取ってくると正しい話を子供に伝える責任を感じて調べ始める。
昔見た本を探そうとしてもそれだけでも大変。似たような本は集めたが。
若い頃聞いてた家紋のカフスボタンやネクタイピンを買ったりしてたら、自分の子供も同じ事をしてるらしい。
偶々墓参りの時の写真を眺めてると、何だか家紋が微妙に違うことに気がついた。 それからその経緯を調べていく内に大凡話がわかってきた。
元々同じ紋が本名と俗称みたいに二つの系統で呼ばれてたらしく、言い伝えとしては俗称の流れの紋として伝えられてきてた。
同じ紋を使う別の氏族の話の中でも同じ様な話がいくつか出てくる。 今でもある〇〇氏族は同じ紋の事を〇〇本名紋、〇〇俗称紋とどちらとも言われている。
しかし本当の紋は本名の方の紋。墓には本名の紋が彫られてたと言う話。 今まで何度も見てきてるのに、写真でじっくり見るまで全く気がつかなかった。 また庄屋基地外が暴れてるのか。
こいつはしつこいね。 >>732
思い込みからの捏造
そこから詐称が始まる 誰の話も信じられないのなら何でこのスレにいるんだよ。
因みに俺は一度も庄屋だなどと言う発言をしたことはないけどな。
羨ましい話は皆同じ人間が喋ってると思ってるんだろ。 庄屋じゃねーって、妻の方はそれに近い大きな武家&大地主だったらしいが、家紋なんか知らないって言われて驚いた。
墓石の紋なんてそのつもりで見た事ないから全く覚えていないとか。
どこの家でも物心つく頃には、家紋を教えられると思ってたが違うんだな。 >>737
そういえば・・・水吞百姓の恨みは武士に行かずに庄屋に向くのかもな。
そのために庄屋を表立っては体制側に引き込んで苗字帯刀与えたりして武士ぽく
して、百姓の不満は庄屋へと・・・大英帝国のやり口みたいだな。 >>732
墓石に紋を刻んだりするのは明治以降だ。何にでも例外はあるから
江戸時代には絶対に無いとはいわないけれど。
本来「紋」というものは、晴れがましい場所や畏まるべき場所で自分や自分の
持ち物を他と区別するための目印であって、墓石なんぞに付けるものではない。
紋は公的な関係で必要なもので、私的なものの極致である墓だの墓石だのには
用いなかったのである。
なお武士でも、家紋を旗印にするなんていうのは国持ち大名クラスだったし、貴族は
牛車に家紋を付けることもあったが、やはりそんなことをするのは摂家など高位の
公卿であった。身分の低い公家がやれば笑われただろう。
紋は大名家なら10個以上あるのが普通だった。いろいろな由来でその家の紋と
なるので、状況に応じて使い分けていたのだ。
例えば桐紋は皇室の副紋なので普通は使えない。しかし、皇室から下賜されれば
別である。豊臣秀吉は自分に従う大名たちに皇室から桐紋を貰ってやった。
だから武家には桐紋を持っている家が多い。
実は秀吉は足利尊氏を真似したのである。
尊氏は自分に与力する武士たちに桐紋を与えた。当時の武士たちの最も喜ぶこと
の一つであった。桐紋を下賜されてもこういう紋は戦場の旗印などにはしない。
めったに使うものではなく、例えば将軍に目見えする際の式服に付けたりしたのである。 なお、同じ桐紋でも、尊氏の口利きでもらったものと秀吉の口利きのものとでは価値が
違った。細川家の桐紋は尊氏に貰ってもらったもので、他の大名の桐紋とは別格の
ものであった。
なお、こういう特別の紋ではなく、普通に使う紋を定紋(じょうもん)といった。
例えば細川家なら九曜の紋。
織田信長は資料が残っているだけでも七つの紋を使っていた。
https://r-ijin.com/nobunaga-kamon/
ここの五三の桐の解説はちょっとおかしいけど。
足利将軍家は丸に二引両紋で、この紋を持つ大名も多い。
足利氏は観応の擾乱で、兄も弟もこの紋を配りまくったためである。
武家ではスタンダードといっていい紋である。
信長はこの紋を当然足利義昭からもらったのである。
なお、非常に紋が多いといわれる伊達家の家紋
http://www2.harimaya.com/date/dt_kamon.html
>>732 はやたら墓の家紋にこだわってるけど、墓石に彫ってある家紋なんぞどうってこと
ないさ。墓石に家紋だなんてのは現代になってからの俗物趣味だろ。
庶民的でほほえましいじゃないか。
家紋の微妙な違いなんてのもどうってことない。職人が違えばちょっとは違ってくるさ。 >>740現代みたく長方形の墓石に紋を刻むことはないけど江戸期でも傘付角柱型墓の
傘部分に小さく紋は彫ってあるぞな。
||
〇
/ \線
| | ←この辺りに小さく家紋
−−−−−−−
/ 傘部分 \
| |
| |
| 角柱部分 | >>740
うちの場合、守護一族の一人から紋(その守護が使っている紋そのもの)を貰った。紋の名前も同じで名前も1字もらった。
それなのに口伝では似た別の紋の名前だと言い伝えられていて何故紋の名前が変わって行ったのかずっと不思議に思ってたのがやっと謎が解けてきたという話。
昔は法名を墓の前面に書いてたから前面に紋を入れるのはそぐわなかったんだろうね。
周りの水鉢や花立などには入っているのも見かける。
ただその場合、水鉢等を作って墓を整備した家臣の家紋を入れてるケースもある。
とは言え家紋は紋付、留袖、家具の飾り金具、軒瓦などにずっと使われてきた。
うちは別の土地に移ったし戦争で全て無くしたから昔の持ち物は無いが本家筋には残っているとは思う。
>>741 墓を作った店にもう一度念のため見てもらったら、あの紋は○○紋でしょうと言った。その紋が確かにもらった紋の名前。
口伝の紋とは明らかに違う。 紋の名前が違うのはどおってことないレベルではないよ。 最近は張り紋なんていうのが有るんだな。 貸衣装にシールみたいな自分の家紋を張るサービス。
張り紋だけ売っている所も在るし貸衣装屋で張り紋もサービスで付けている所もある。
無い紋でも写真なりを送れば作ってくれるところもある。
近くで見ればすぐ判りそうだが仕方ないな。 めったに着ない物を新調するのも大変だし。 >>742
江戸時代の墓かどうか分からないじゃないか。
墓石なんて地震でぶっ倒れる。倒れなくても傘の部分は落ちて割れる。
いずれにせよ、傘の部分は何度も作り替えるものなんじゃないか。
安政の大地震もあったし関東大震災もあった。
明治や大正の時代に墓を直して、その時に職人が「こちら様の紋を彫り込んで
おきました」というようなことだよ。
だいたい墓石に紋を彫ろうというのは発想として間違っている。
墓石はストゥーパを真似たものだ。
ストゥーパとは塔。仏舎利はストゥーパの下に埋めたのだ。(だから法隆寺の五重塔
などの下には舎利が埋まっている)。
ストゥーパは宗教の世界のものであって、個人の家の印なんかつけるようなものではない。
例えば仏師に仏像を作らせたとして、俺のうちの仏像なんだから仏像に俺んちの家紋を
彫ろうなんて考えるか?
仏像というのは個人の所有物という概念を超えたものなのだ。
それと同じで、ストゥーパに家紋を付けようなんて誰も思わなかったのだ。
少なくとも江戸時代までは誰でもそういうことが分かっていたのだ。 明治になって紋をやたらと付けるようになったのは、西洋の紋章の影響もあるだろうな。
それと三井とか三菱などの社章。学生は校章のついた制帽を被った。
国鉄の職員はピカピカの帽章をつけた帽子を被っている。
菊の御紋章もやたらと使われるようになった。
官幣大社だと社殿に菊の幔幕を張ったりしたし、入り口の大きな石塔に菊の紋を付け、
別格官幣大社などと仰々しく刻んで立てておいたりしたのだ。
靖国神社の門扉にも大きな菊の紋章が付いている。
軍の備品にも御紋章をつけた。巡洋艦以上軍艦の艦首、あるいは歩兵銃の一丁一丁にまで。
そういうのを見て、庶民も自分も紋を付けようなどと考えるようになったのだろう。 平安貴族が牛車に紋をつけたのは遠くからでも誰の牛車か分かるようにするためだ。
貴族というのは位階がすべてなので、相手が高位の公卿ならこちらが道をよけねば
ならない。間違えると高位の方の雑色や舎人が殴りかかってくる。
そういう事態を避けるために車紋という紋を付けたのだ。これが家紋のはじまり。
武士は戦場で名乗りを挙げて戦っているうちはよかったが、そういうことは行われなくなり、
敵味方入り乱れて戦うと誰がどこにいるのかも分からなくなったため旗に家紋を付ける
ようになった。
要するに両方とも目印として利用されたのであり、最初のうちは一つか二つの紋しか
使っていなかったのが用途に応じていくつもの家紋が使われるようになった。
武士の家紋で言えば、戦場とそうでない場所、畏まった場面とそうでない場面、
内々の場面、いろいろな場面ごとに使われる紋が違ったのである。
江戸期の大名が大切にしたのは、足利氏や足利幕府の守護大名からもらった紋。
伊達氏の竹に雀などもそうだ。
そういう家紋は戦場とか大名行列とか、表だって晴れがましいことをする機会にしか
使われない。内々で使う紋は日常の道具や身内での贈答などの機会に使われたりした。
毛利家では内々で使っていたのは沢瀉紋(おもだかもん)。
藩祖毛利元就の墓に詣でる家臣は裃に沢瀉の紋をつけた。
墓に詣でることができるというのは身内扱いということなので、毛利家内々で使う紋を
付けたのである。 なお、嫁入りの時に嫁入り道具には実家の紋を付けるものであり、嫁は一生実家の紋を
使うものであった。嫁入り道具に紋を付けるのは、不縁になったときに全部持って帰る
ためでもある。さらに、実家の紋を付けるといっても、嫁入りは慶事なのであるから
なるべく目出度い紋をということで鶴丸の紋を付けることが多かった。
女らしくて、かつ鶴で目出度く、さらに角が無いからである。
>>743
>周りの水鉢や花立などには入っているのも見かける。
明治以降、墓関係の石屋とかそういうのが何でも家紋を付けるようになっただけだろ。 家紋を軒瓦などに使ったのは表札の意味があった。昔は表札などなかったからだ。
時代劇で表札がかかっていたりするのは皆嘘である。しかし、表札の役割を果たしたのは
むしろ結果というべきであろうか。主たる目的は焼け跡での目印にするためであった。
家紋が軒瓦などに使われるようになったのは、昔は火事が多かったので、火事で焼け落ちても
すぐに元の家屋の位置が分かるようにするためである。武家屋敷などはみな隣接しているので、
一面焼けたらどこにどの家があったのか分からなくなってしまう。
これは大店が軒を連ねる商人町でも同じであった。
目印なので、築地塀などにも家紋の入った瓦を置いた。塀は境界を示すものだからである。
火事との関係は、瓦の模様が家紋でない場合は巴紋(三つ巴)だったことでも分かる。
巴紋は水を表す意匠だから防火のための呪いであった。そもそも瓦を葺くこと自体が防火の
ためであった。他に鴟尾(しび)という飾りなども防火のためである。
鴟尾は魚の尾をかたどったものであり、東大寺大仏殿の黄金の鴟尾が有名である。
あと墓の紋が口伝の紋とは明らかに違うなんて言ったって仕方ないだろ。あんたのご先祖さん
だか何だか知らないが、よく知らなかったか、どうでもいいと思っていたんだろ。
そういう人が普通だよ。上杉だの佐竹だの島津だのなら家紋にこだわる理由もあるが、庶民の
家紋なんかどうだっていいじゃないか。 長々とくだらん事を書き続ける癖はやめろ。
神紋、寺紋とか知らなさそうだな。 諏訪大社の梶の葉紋、浄土宗の月影杏葉紋など
幕末の安政年間(1854〜59)には30%の墓に紋が入ってたらしい。 土方歳三が建てた近藤勇の墓にも法名の上に近藤家の家紋が入ってる。
実家の女紋の風習は関西だけの風習だろ。 それでも自分で紋を使ってた事を認めてるじゃ無いか。 事ほど左様に紋は大事だったんだよ。
紋の名前が分からなければ、紋付、留袖とか作れないからな。 江戸時代に庶民も紋を使うことが流行り始めたが、流石に武家の有名な家紋を使うのは気がひけるので、通紋と呼ばれる当たり障りのない紋を使うようになった。
花、菱、蔦 などの通紋は、どこの家でも共通に使って良い紋として取り扱われるようになった。 今の貸衣装屋の紋はほとんどこの通紋が多い。
女紋が流行る土地では、紋を持っていなかった家では困るからこの通紋を使ったので女紋とも呼ばれる。 牛の方が力があるからだろ。 それに平安時代は道が悪かったからのんびりと歩く牛が最適だった。
牛車も平安時代に使われていたくらいでその後は殆ど使われなくなった。
後に道が整備されてきても日本の場合雨が多いからすぐにぬかるみになって、馬車だと身動きできなくなる。
坂道、山道も多いし車が滑るから実用的でなかった。
農耕馬を運搬用馬車として使ってたくらいだな。 馬車と言えば、馬車鉄道があるな。
レールが作れるようになると、明治15年に東京馬車鉄道が運行開始している。
この時のレールの幅が、馬車軌間で、京王線がこれだった。 地下鉄都営新宿線も乗り入れする為にこの軌間に合わせた。
脱線ごめん 脱線ついでに、先に馬車鉄道が開通したのは今の都電、旧市電これが馬車鉄道で始まった。
京王線は市電に乗り入れる為に、馬車軌間を採用したらしい。 結局乗り入れはできなかったが。
脱線復旧 ようやく本家の連絡先を見つけた。
最初は名前だけわかっていたが、連絡方法がわからなかった。 間接的に連絡できるのは知ってたが。
ネットで名前から自宅の住所、電話番号がわかった。 次にfacebook をやってるのも発見した。
住所がわかると、本家の家もGoogle Map の航空写真ですぐに出てきた。 その近くに今までどこにあるのかわからなかったものがあるのも発見できた。
ストリートビューでも見つけたかったものを発見した。
ある意味怖い。 >>748
女は男系の家紋じゃなく女系の「おんな紋」を使うことになってる地域だってあるし 最近、神(じん)さんに会った。
ご先祖は神主かなんかだろうか?
神話に連なる古代豪族の末裔ではないかと勝手に推測。 >>745
可能性を上げたらきりがない。江戸時代の「可能性」もあるわけだし
ただ笠付きの笠は江戸初中期の墓によくみられるが以降は少なくなってるように
みえる墓群は確かにあるな。笠付きが流行らないのか直すのが面倒で最初期のだけ
直して残りは捨ててるのかもしれんな。旧家になると墓の維持でも相当な出費だろうな >>759
先祖が紀州から移住した人なんだよ。紀州弁は語尾に「ね」をよく付けるの。「あのねぇ、わたしがねぇ、」と。
「ね」を申す人だからネ申トなり、神になった。 >>750
>神紋、寺紋とか知らなさそうだな。 諏訪大社の梶の葉紋、浄土宗の月影杏葉紋など
なんで神紋寺紋とか出てくるのか分からないが、徳川の葵の紋は賀茂神社の神紋から
来ている。三河の加茂郡に賀茂神社があり、松平家はそこの氏子だったんだそうだ。
賀茂神社の紋は二葉葵。葵といっても背の高い立ち葵(ひなた葵)ではない。
日陰の水辺に生える小さな植物である。平安時代の紋はこういう地味なものが多い。
有職文様素材集3(公家家紋)
www.kariginu.jp/sozai/sozai3.htm
ま、こういうのを見ると墓石なんかに彫り付けられるもんじゃないということが
分かると思うけどね。
ところで
近藤勇の墓がある天寧寺という寺は、新選組の屯所として使われていたと
いうのは知らなかった。
土方は近藤が流山で逮捕された後、新選組を率いて会津に向かった。
近藤はその後板橋で斬られる。
その4日後に土方率いる新選組は会津に入ったということだ。
新政府軍が会津若松に攻めてくるのは二ヶ月後だから、戦争が始まるまで
確かに暇な時間があったのだ。
しかし近藤には立派な実家があるし、盟友とはいえ他人の土方が墓を
立てたりするかね?
供養塔ぐらいなら分かるけど。 実際に土方が墓を立てたとしても、今の墓石がそれと考えていいのかな。
この墓は皮膜が禿げてるよね
https://loconavi.jp/spots/196568
何だかセメントっぽいな。幕末の墓石とは思えない。
明治大正、、、もっと新しいような感じもする。
新選組と言えば今でこそ知らない人もないが、大きな歴史の流れの中で見れば
泡沫のような集団に過ぎない。会津でも敗残の人の群にすぎなかった。
近藤の存在もしかり。さらには罪人として斬られたばかりだ。
それなのにこんな大きな墓石を立てるかね。
土方歳三の墓はライオンズクラブ建立という。
毎年「近藤勇追善供養墓前祭」を会津若松ライオンズクラブが主催して行って
いるというし、何だか真面目につきあえる話ではないような気がする。
もちろんこの墓石が江戸時代のもので、江戸時代の墓石に家紋が彫ってある
証拠になると考えるのは勝手だ。 >>759
第二次大戦中、エキセントリックな言動で知られた神重徳(かみしげのり)という
海軍軍人もいるよ。
こちらはジンさんではなくカミさん。鹿児島の人。
ヒトラーの心酔者で、パナマ運河攻撃作戦を提唱したり、海軍全軍特攻とかを
主張した人。狂信的なことばかり言っていて「神さん神がかり」と揶揄されていた。
戦艦大和の沖縄特攻はこの男がいなければなかった。サイパン島玉砕のとき
には、俺を大和の艦長にしろ、サイパンに突入すると軍部中枢に迫って
やまなかった。最近は戦争ゲームに登場して人気ものらしい。
加美という名字の人も多い。加美という地名は日本各地にある。
小さな字を入れたら相当あるだろう。宮城県には加美郡という郡に加美町という
町がある。どちらかというと大阪や岡山兵庫などの西日本に多い。
関東・東北の加美という土地は関西の人間が移住して拓いた土地なのかも。
加美は、もとは「上」で、カミの方にある土地ということだろう。ただ上だと何と
読んでいいのか分からないのでよい字を宛てたんじゃないか。 神と書いてコウさんという人もいる。コウさんには国府と書く人もいる。高さんもいる。
高師直なんて武将もいる。高の場合、ただコウとは読まずコウノとノを付ける。
だから河野、河埜なんていう名字とも関係するんだろうな。
高という姓は岡山県あたりに多く、河野も岡山や四国に多い。
俺が考えるに、カミさんというのは地名由来だろう。上、中、下。カミ、ナカ、シモだよ。
カミの方に住んでいたんだろ。ナカさんという人もいるし、シモさんという人もいる。
下さんて霊能者でいるよな。
神と書いてジンさんというのは神社関係。神はシンでなくてジンと濁るのが普通だった。
神社もそうだが、神官は昔はジンカンないしジンガンと読んだ。
神祇はジンギ、神祇官はジンギカン。神人はジニン。
神部と書いてジンベ、ジンブという名字があるが、律令制の時代の神祇官(じんぎかん)の部民。
神祇官に属する奴(やっこ)で雑民である。
ジンベやジンブでは何か変なので、ジンだけにしたのがジンさんの由来じゃないかな。
神をゴウと読んで神戸ゴウドというのもある。ジンコとも読む。カンベとも読む。
古代から中世までいた、大きな神社の隷属民である戸口のことだ。 >>759
その神さんはこの中のどれかかもしれないな
@出雲大社から出た諏訪神家の子孫。
A三輪氏と起源をともにする。三輪氏族の子孫が神氏を呼称。神の鎮座地などが由来。
B後世には中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)の神氏もみられる。 よくもこれだけ無関係な事をダラダラと書けるもんだ、ここまで来ると完全に病気だな。 病院に行った方が良いぞ。
自己顕示欲が強く出る病気に、自己愛性パーソナリティ障害 と言うのがある。
自分は人より優れていると思うから、人が自分より偉いのも許せない。劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる。
完全に当てはまりそうだな。 村の庄屋だの神主に嫉妬するってすごいな
きっとリアル世界ではものすごく恵まれた方なんだろうね >>762-765 この長文を垂れ流す妬み爺さんは、毎朝5〜6時に書き込んでるんだよな。
明日の朝はコテハンつけて、連投はやめてほしいな。 3行でまとめる訓練をしようね。 ボケ防止に良いよ。 別に普通の先祖話に見えますけど?
これ以上どう書き込みしたら文句ないんでしょうか?
どう書いても、水呑百姓以外の書き込みは許してもらえなそうだけど。
他人の事が気になりすぎるのは心の病気の第一サインらしいですよ
少しネットを自分から離れてご自愛ください。 >>722 の諱について書いておこう。
武士の名前に諱というものがある。忌み名ともいう。
なんで「忌み」かというと、外で軽々しく使うのはタブーだったからである。
逆に言うと、他人がある人の諱を呼ぶということはきわめて無礼なことであった。
昔の人は名前と魂がくっついていると考えていたらしい。
だから安易に名前を他人に教えると、名前を呼ぶことによって魂を他人に操られると
考えた。女子が男に名前を問われて教えることは、体を許すと同然のことであった。
このように、人の名前というのは簡単に人に教えるものでもないし、人から呼ばれる
ようなことがあってはならない。だからこれは忌み名として使わずに置き、気軽に誰でも
呼ぶことのできる名前を用意した。
こうした仮につけた名前を仮名(けみょう)といった。
要するに、昔の人(奈良や平安の貴族にも諱はあった)には本名たる諱と通称である
仮名とがあった。
(仮名は奈良・平安時代の言葉であり、古すぎるので通称と呼ぶことにする。)。 石田三成は佐吉という通称であった。
加藤清正は虎之助。福島正則は市松。
通称は幼名であることが多いが、必ずしもイコールではない。
家での通称というものがあり、成人すると幼名から家で代々使われている通称に代わる。
しかし、外の世界では幼名で呼ばれ続けることが多かったのではないか。
商家などでは今も店の主となると代々の主人の名を名乗ることが多い。
武士や公家は、大人になると職名や身分で呼ばれることが多くなり、通称では呼ばれなくなる。
例えば石田三成は治部少輔。加藤清正は主計頭(かずえのかみ)、あるいは肥後侍従。
福島正則は左衛門大夫。大谷吉継は幼名桂松・通称紀之介で、身分は刑部少輔。
略して刑部(ぎょうぶ)と呼ばれていた。
明治になると太政官布告で「苗字実名ノミ相用候事」とされ、通称+諱ということは
公式に禁止された。
従来の武士たち(通称と諱の双方を名乗っていた人たち)はどうしたかというと、
戸籍に登録する際に、通称か諱のどちらかを選ぶしかなくなったのである。
例えば大隈重信、西郷隆盛は二人とも諱を選んだ。
通称を選んだ人もいる。板垣退助、江藤晋平、大村益次郎など。
福沢諭吉、山本権兵衛などもそうである。
今でも男子の名は諱系と通称系に分けることが出来る。
洋一郎とか孝輔とかは通称系、義重とか政宣とかは諱系である。 ↑も つづき とすべきであった。忘れた
−−−−−−
このようにして、明治以降は「名字+諱」か「名字+通称」という名前が出てきた
のであるが、それ以前は名字を名乗る以上は通称も諱も付けたのである。
つまり、明治以前に「名字+通称のみ」とか「名字+諱のみ」いう名前はなかった。
江戸時代に、山本太郎だの田中昭博という名前の人はいなかったのである。
名字を名乗る以上、必ず諱はあり、そして諱は特別の場合以外名乗らないもので
あるから通称は必ず使ったのである。
坂本龍馬は直陰とか直柔という諱があるが、これは特に許されたというようなもの
ではない。名字(姓)を許された以上、当然に諱は付けるのである。
だから
>>722 の
>私の家は庄屋でありながら、諱も許されているが、
というのは嘘もいいところである。
名字を許されたなら諱をつけて当然であり、「諱も許されている」などというのは
無知そのものの発言である。
なお、伊能忠敬は佐原の商人であり町名主。
伊能という名字を許され帯刀した肖像画もある。
通称は二つあり、佐原にいた頃は三郎右衛門、江戸に出て天文学などを勉強
しはじめてからは勘解由と名乗った。忠敬は諱。
だから測量をしている時代の名は伊能勘解由忠敬。 夏目漱石の父親は牛込馬場下横町の町名主であった。
名を夏目小兵衛直克という。
漱石は五男で、長男:大助、次男:栄之助 (直則)、三男:和三郎 (直矩)、
四男:久吉 である。四男は幼逝したので元服名である諱は無い。
長男の諱は不明。おそらく父親と同じなのではないか。
漱石の諱は無い。漱石は慶応三年(1867)生まれなので、元服や諱を
付けるというような時代ではなくなっていた。
島崎藤村の父親は馬込宿の名主で本陣も務めた。名は島崎正樹重寛。
ついでに樺太探検をした間宮林蔵の諱は倫宗(ともむね)。
間宮林蔵は農家の出で名字はなかった。筑波郡上平柳村の生家の近くで小貝川
堰き止め工事があったときに幕府の役人に才能を認められ、治水工事の測量などを
する役人として採用された。
普請役雇という一代限りの低い身分であった。
それでもとりあえず幕臣となったので間宮という姓と倫宗という諱を名乗ったのである。
諱を自分で付けるときにはさぞかし悩んだのだろう。
結局、林蔵りんぞう→倫宗りんそう としたと思われる。
722は以前、自分の家は明治になっても諱を使っていた、などと書いていたが、
明治になってからは、上記のように通称と諱を並べることは許されないので、制度上
不可能であった。戦後の戸籍法によれば、例えば「誠一郎直正」とつけても受け付けて
貰えるので付けることは可能である。
ただし、通称+諱ということでなく、全体として一つの名前としてである。念のため。 >>772-776 だから、そんな自分が知ってる事の講釈なんて必要ないんだよ。 誰か教えてくれと言ったか?
自意識過剰なんだよ。 自分がどこかで探してきた知識をここでお披露目してたら、それだけでスレが埋まるだろうが、ここは歴史の勉強場では無いし、老人のダベリ場でも無い。
何かエピソードが出てきて、それの解釈とかなら良いが、まるで関係ないことを長々と持ち出すな >>772-776 知りもしない糞知識を知ったかぶりで喋るな。
妬みジジイ。
諱は本名だから正式に使われてたよ。むしろ字名は表面には出ない。 お前のググってきた知識は断片的で実際とかけ離れてる。
また、いつの時代の話かと言うのも混同してる。
頼むからコテをつけてくれ。 これだけ人に迷惑をかけてるんだから、コテくらい付けろよ。 先祖って結局誰でもつながってるんだよ。
同じ民族ならばな。 アメリカに「ブルー・ハイウェイ」という旅行記がある。
オンボロ車で車中泊を重ねながらアメリカを半周ほどした紀行文。
たいへんな評判を呼び、この本のスタイルで文章を書く人が増えた。
おそらく村上春樹なんて人もこの本を熱読したはずである。
影響がプンプン臭ってくるほどだから。
著者は白人とネイティブインディアンとの混血。
妻との離婚騒動で気が滅入り、職場を放り投げて旅に出た。
ブルーハイウェイというのはアメリカの俗語でハイウェイでない一般道路のこと。
アメリカの道路地図では、ハイウェイは赤で一般道は青で表示されるところから来ている。
大学で報道写真を学んだという。ところどころに挿入されている白黒写真がとてもよい。
俺はリアルタイムでこの本に嵌った世代ではない。ジャズ雑誌のエッセイで知ったのだ。
ペイパーバックの古本を持って歩いていたことがある。
著者が、自分の先祖が畑を所有していたという谷にやってきたときの文章は特によい。
先祖の男は、はるばるヨーロッパからやってきて、日当たりの悪い谷底に畑を拓いた。
周囲は斜面で木ばかり生えている。ジャガイモぐらいしか穫れない土地だ。
ただやたらに空だけが青い。
細かい描写の中に、なんでこんなところにしか畑を持てなかったのだろうという、著者の
気持ちが伝わってくる。
先祖の墓のあるところは、今は水が溜まっている。
澄み切った池のような状態。水に手を入れようとしたら滑って転んだ。
そのまま池に入って泳ぎ、泳いでいるときに水を飲んでしまった。
先祖の墓が沈んでいる池の水だ。
俺はこの場面がとくに好きだった。
その後一時先祖探しにはまったのも、どこかにこの本の影響があったのかも知れない。 >>781 それ言っちゃおしまい。 その中で実際に血が繋がってる先祖を連続してどこまでたどれるかがこのスレだろ。
戸籍調べは誰にでもできるから、明治初期までは辿れるだろう。 運が悪いと戸籍の書き直しの時に途中で戸籍がなくなってる地方があるかもしれないけど。
うちの地方は、しっかり書き直されて残っていた。 過去帳を調べると言っても、最後に法事をして長い間ご無沙汰していると頼みにくいよね。
それでも快く引き受けてもらえるものなんだろうか。
それも商売の一環と思ってもらえるんなら頼みやすいけど。
昔から苗字を持ってる家だと、家単位でまとめられてて調べやすいが、苗字がない場合は膨大な中から見つけ出さないといけないから結構大変らしい。
最近はなかなか個人には見せてくれなくなってきてるらしい。 住職が調べてくれる。 その方が金になるからかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています