たしかに、初老の人間が、これからあなたに年金を差し上げましょう。月に500万円です、
とか言われたら喜ぶだろう。さらに、この年金はあなた一代ではなく、子々孫々に支払われます、
なんて言われたら喜ぶどころの騒ぎではないだろう。
慶喜にはそういうことが起きたのである。
その喜びと感謝の表し方が神道への宗旨替えであった。
一方、宗家への態度は全く変わった。日記に家達のことを書くのでも、以前は「殿様」として
いたのが、「千駄ヶ谷」などと住まいの場所で言うようになった。

九男の誠に男爵が授位されたときもひとかたならぬ喜びようであった。
だから何としてもお礼に参上したく、無理をして肺炎になったのである。

慶喜に関して言えば、慶喜の心の動きまで分からないと、真に歴史を理解したとはいえない。
浅はかな知識で突っ込みをやり、やばくなると自演したり、相手を暇だと罵倒したり。
それじゃ悲しすぎるだろ。相手をしてもらえたんだから感謝しなくちゃ。
慶喜みたいな変節漢になってしまうよ。