先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る5
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純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る
前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1337303208/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1542339706/ このクソ長い文章の連続は何なんだ!読む奴いるのか? 慶喜の父の斉昭が廃仏毀釈に積極的で、神道への親和性が高い人だったから、慶喜もそうしたのかなと思う。
そもそも水戸徳川家の墓所は神道色が強め。 > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 先祖を知ってると言っても、一から百まで先祖の名前を知ってる子孫もいれば、戦国時代の戦火などの理由で消失して戦国時代からの先祖の名前しか分からない子孫もいる。
先祖は辿れば扇状に広がるが、日本人の中で、先祖の名前を一から百まで知ってる人は、そうそういないだろう。
ましてや男系の血筋に限った場合、先祖の名前を一から百まで知ってる子孫はどれ程いるのだろうか? 幸いにもワイの場合は、男系の血筋に限る先祖の名前を一から百まで知ってる。
今数えてみたらワイは清和天皇から37世だった。男系の血筋で先祖を数えた場合だ。
清和天皇から神武天皇まで、男系の血筋で辿ると、何世あるんだろう?
また、神武天皇から国常立尊(天之御中主神)までは、何世あるんだろう? 清和天皇から神武天皇までの男系の辿り方は皇統譜見ればすぐに分かるからいいとして、
問題は神武天皇から国常立尊までの男系の辿り方なんだよな。
神武天皇、ウガヤフキアエズ、山幸彦、ニニギ、アメノオシホミミ、と続いて、
アメノオシホミミの父親はどっち?という議論があると思う
俺は、アメノオシホミミの父親はスサノオだと思う
本朝皇胤紹運録には、アメノオシホミミの父はスサノオとある
スサノオの父親がイザナギ
神武天皇からイザナギまでは分かった
次にイザナギから国常立尊までの男系を辿ろう! その前に、藤原氏と天皇家の繋がりを説明しよう。
天皇家と藤原氏は男系の先祖を辿ると天之御中主神で繋がっている。
尊卑分脈の藤原氏系図では、藤原氏の先祖を辿ると、最終的には天之御中主神まで辿れる。
尊卑分脈の藤原氏系図の天之御中主神の所に、国常立尊の別名と但し書きが書いてある。
本朝皇胤紹運録の天皇家の系図では、天皇家は国常立尊まで辿れる。
これによって、天皇家と藤原氏は国常立尊(天御中主神)で先祖が繋がる。 これまでは、尊卑分脈や本朝皇胤紹運録を根拠に説明した。
では、イザナギから国常立尊までの男系の辿り方はどうすればいいのだろう?
本朝皇胤紹運録の天皇家の系図には、イザナギから国常立尊まで、2系統の系譜を記載しているのはご存知だろうか?
国常立尊、国狭槌尊、豊雲野神、埿土煮尊、大戸之道尊、面足尊、伊奘諾尊、
という系図の他に、
国常立尊、天鏡尊、天萬尊、沫蕩尊、伊奘諾尊、とある。
実は、国常立尊から伊奘諾尊までの父子関係を記してるのは、日本書紀に書かれてある、
国常立尊
天鏡尊(あまのかがみのみこと)
国常立尊の子。
天万尊(あめよろずのみこと)
天鏡尊の子。
沫蕩尊(あわなぎのみこと)
天万尊の子。
伊弉諾尊
沫蕩尊の子。
の部分くらいしか無いのだ!
国常立尊、国狭槌尊、豊雲野神、埿土煮尊、大戸之道尊、面足尊、伊奘諾尊、の系図は、実は父子関係、親子関係を述べているところを探しても見つからない。
唯一、国常立尊、天鏡尊、天萬尊、沫蕩尊、伊奘諾尊、の親子関係、父子関係しか見当たらなかった。 国常立尊─天鏡尊─天萬尊─沫蕩尊─伊弉諾尊─素戔男尊─正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊─瓊瓊杵尊─彦火火出見尊─彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊─神武天皇
つまり、これが国常立尊から神武天皇までの男系の血筋の系図である。 もう一つ、おさえておきたいのが、実は
今と神代の時代の昔って夫婦制度が同じだったんだよな。って事に気づくはず。
神代の時代も、今の時代も、一夫多妻ではなくら一夫一妻だったんだよな。 古事記には神世七代は性別を記してないが、正史の方である日本書紀では神世七代は性別が
記してあって一夫一妻だ。
ちなみに日本書紀は陰陽で説明してるから、俺は陰陽も勉強した。 >>75
アスペルガーってのは長文が嫌いらしい。
パッと見て分からないと不安感に襲われるらしい。
アスペルガーの人は映画も好き嫌いが激しい。
登場人物が善人だか悪人だか分からないミステリーみたいのはすごく嫌う。
登場人物が好き同士なのに悪口を言い合うみたいなラブロマンスも受け付けない。
女は男のことを嫌いだと言ったのに何故キスをしているのか理解できない。
それと、気持ちが不安定なので常に自演する。
ここにはアスペルガーの典型的症例の人がいるようだ。
>>78
水戸家の墓は儒教一色だ。葬儀も儒式。
「神道色が強め」なんてどこから出てくる? なんの動きもないところ見ると長文連投馬鹿は逃亡したのか? 源蔵人くん。ここは先祖探しのエピソードを語るスレだぞ
関係ないことは話さないように。 >>91
源蔵人は、荒らしやぞw
たまに、このスレに現れるw
無視しておくのが、得策w >>75 >>76
内容的に反論しなきゃ駄目だろ
出来ないなら引っ込んでな 負け犬爺イ (藁 藁 藁 江戸時代の通婚圏の研究をした学者がいるんだが、貧しい村は通婚圏が狭く、
豊かな村は通婚圏が広いんだそうだ。
早い話、貧しい村だと嫁さんは隣村とか近場からしか来ない。
豊かな村だと遠いところからも嫁が来る。これは婿取りにしても同じ。
さらに貧しい村だと隣村からすら来ない。自村内での嫁取り・婿取りばかりになる。
こうなるとイトコ・ハトコ婚なんか有りまくり。
欧米ではイトコ婚は認めらず、日本ではイトコ同士でも結婚できるというと驚かれるという。
日本でイトコ婚が認められるのは、貧しい山中の村などでは近親婚にならざるを
得なかったという社会的背景もあるのかも知れない。
自村内で血族結婚に踏み切った村などを除き、普通の村では通婚圏はほぼ三里内という。
三里というと12キロ。朝出て日帰りができる距離である。
近交弱勢といって、血が近くなると様々な悪影響が現れる。乳幼児の死亡率なんかも高く
なるらしい。明治初期の日本人が非常に小さかったのは江戸期に近親婚が多かったせいだ
という人もいる。
その後あちこちの出身者が混じり合って結婚したことが日本人の背が伸びた一因だそうだ。
一種の雑種強勢というか。 >>96
欧米っていうけど、欧州では認められてるし、叔父姪、叔母甥での結婚が認められてる国もある。
むしろ米国が少数派だよ 欧米ではイトコ婚は認められず、、、、なんて書いたからまた突っ込みを入れてくる池沼がいるな。
「一般に欧米では否定的」と訂正しておこう。昔に遡ると、ヨーロッパでは王族の婚姻にイトコ婚なんか
けっこうあったしな。アメリカでは州によって違い、法的に禁止していない州もある。
あー、めんどくさいわ。
ともかく昔の日本ではイトコ同士の結婚は奇異なものでも何でもなかった。 すでに遅かりし。
>>97 みたいな馬鹿は必ず現れる(爆 え?むしろ本当は許されてるものを許されていないのが多数派見たいに書いてる方が頭おかしいだろ。 ここで嫌がられる庄屋の家系だが・・・成り上がり系の家と婚姻すると、その伝を辿って次から次へと我が親戚と婚姻を重ねようとする傾向があるよ。だから、一度親戚になると次から次へと親戚が増えるが同じ系統の家 ここで嫌がられる庄屋の家系だが・・・成り上がり系の家と婚姻すると、その伝を辿って次から次へと我が親戚と婚姻を重ねようとする傾向があるよ。だから、一度親戚になると次から次へと親戚が増えるが同じ系統の家 >>101
また出た犬猫w
血が近い同士の結婚は望ましくないというのは人類が昔から気づいていたこと。
しかしヨーロッパの王族同士とか古代日本の天皇家とか、血の希少性や純血性の価値が
優先された場合もある。庶民でも子孫を絶やさないため、或いは家の便宜のため容認されて
きた歴史があるということだ。
イトコ同士程度なら弊害が顕著には見られないということも立法の理由にはなる。
しかし、血族結婚は本当は望ましくない、本当はやめた方がいいというのは間違いないことだよ。
これは普遍的な真理だ。
>え?むしろ本当は許されてるものを許されていないのが多数派見たいに書いてる方が頭おかしいだろ。
お前は頭がおかしい。 >>96
逆、大地主の庄屋あたりが一族外へ財産流出防ぐためイトコ婚。 >>102
庄屋=農民なんだから、それで十分だろ
成り上がりがどうのこうのと言える家系じゃ無いよ 庄屋なんて >>106
嫁取り婿取りすると何で財産流出するんだボケw
そもそも金持ちがイトコ婚なんて沁みったれた事するわけないだろ
世の中にいい女はいくらでもいるのに、何でわざわざ親戚の娘と結婚するんだよ。
そもそも、血族結婚を何代も続けたらどういうことになるんだ?
お前の家みたいに池沼だの片輪続出になってしまうわ。
名主・庄屋階級は、今日でいう社会事業を広く手がけている例が多い。
庄内の本間家の防風林づくりとか有名。
藩にも幾たびも献金してその窮状を救っている。
伊能忠敬は佐倉の商人で名主であったが、五十歳で隠居して基礎的な学問の修得から
始め、全国を測量して日本地図を作り上げた。最初の蝦夷地測量の費用は全額負担。
その後、幕府御用となったがそれでも費用の大部分を負担した。
各地の堤防への松や桜の植栽は地元の名主階級の負担で行われたものが多い。
作家・有吉佐和子の母方の実家は紀州の大庄屋で、先祖は溜め池造りに励んだという。
お前が考えるようなこととはレベルが違うのだ。
財産流出が怖くて血族結婚なんて、どこまでケチな発想してんだ。
少しは恥を知れ鼻糞 >>107
君には近親婚どころか結婚しないで側室たちと遊び暮らした殿様を紹介しよう。
紀州徳川家第六代藩主徳川宗直。
藩主でありながら生涯正室を持たず、側室を11人もかかえて16人の子を作った。
妻なんぞ面倒くさい、いらない、と言って気に入りの女たちに取り巻かれて暮らした。
出来た子どもは享楽の結果に過ぎないが、それを有効に利用した。
息女はみんないいところに嫁いだぞ。
伊達家や細川家、池田家、丹羽家、常陸府中松平家、高松松平家など
身分の高い人たちはだな、みんな少しでも有力な係累を作って勢力を伸ばそうと
努力していたのだ。財産が流出するから嫁取り婿取りは身内でやろうなんて
考えるかよ。馬鹿としか言いようがない。 >110
>少しでも有力な係累を作って勢力を伸ばそう
時代、藩主レベル同士の子息や子女の婚姻はありふれてるけど
係累を作ったとしても勢力というか具体的な成果はないですよ
江戸幕府は将軍家直属の大目附を配置し
幕政維持の最重要事項でもあり全国の藩を監察組織であり
全国の藩主同士の繋がりは監視が非情に厳格だったから
譜代大名や親藩に至るまで係累を作っても何の意味も持たなかったんですけど >>110
>少しでも有力な係累を作って勢力を伸ばそう
江戸時代、藩主レベル同士の子息や子女の婚姻はありふれてるけど
係累を作ったとしても勢力というか具体的な成果はないですよ
江戸幕府は将軍家直属の大目附を配置し
幕政維持の最重要事項で全国の藩を監察組織であり
全国の藩主同士の繋がりは監視が非情に厳格だったから
譜代大名や親藩に至るまで係累を作っても何の意味も持たなかったんですけど 何でお前は二回ずつ書き込むんだ。スレ資源を無駄にすんなチンカスが うちの父方の先祖親戚は近親婚ばっかりで家系図がとんでもなくややこしいわw 近親婚の代名詞といえばハプスブルク家。
しかし近親婚の影響で断絶したのはエスパーニャ・アブスブルゴ家で1700年にカルロス2世の崩御によって断絶。
スペイン継承戦争が勃発し、最終的にブルボン家のアンジュー公フィリップ(フェリペ5世)がスペイン王に即位、幾度かの革命と王政復古を経て今に至る。
一方、オーストリアの近親婚はスペインよりマシだったが、カール6世が男子に恵まれずマリア・テレジアが後継者となり、ハプスブルク家を相続するがオーストリア継承戦争が勃発。
最終的にマリア・テレジアのハプスブルク家相続と夫フランツ・シュテファンの皇帝即位が認められ、彼女の子孫がハプスブルク家として現代まで続いている。 近衛尚嗣-基熙-家熙のラインなんてもろに近親婚だし 池田小学事件 宅間
>>宅間の家系・家族とその環境
宅間の先祖は旧薩摩藩の下級武士で[8]、宅間の家系では事件発生前まで代々誇りにしていた。 >>112
有力な係累を作って勢力を伸ばそうと言ったって、お前が言うような、親戚に
なった大名と組んで勢威を張ろうというようなことではない。
戦国時代じゃないんだから。そんなことしたら返って存立が危うくなるわ。
馬鹿なこと言うんじゃない
創設以来幕府の大名統制は婚姻政策を中心としていた。
外様大名には譜代の大名家から養子や室を入れる。徳川一門からも、そして
将軍家からも入れる。そういう政策が採られている中で、御三家の一員が
16人も子を作り、いくつもの有力大名に押し込むことに成功したとあれば
これは功績だろうが。高得点を取ったということだよ。
それに嫁入りや養子になると気の利いた家臣が付いて行く。
これは行った先の大名家の家臣になるのであり、送り出した側からいうと
リストラにもなり、また勢力拡張でもあるのだ。
送り出された家臣は先方では今までより良い地位に就けるのは間違いない。
他社に自社社員を送り込んで系列下する現代の企業の手法に似ていると
言えなくもない。
>>115
ヨーロッパの王族は人間というより人形のような扱いだった。
結婚して初夜の床には立会人が付き、結合すると大声で告知された。
カーテンで覆われたベッドの周りや次の間では、貴族たちが拍手した。
居間も寝室も召使いや家臣で満ち、プライバシーは全く無かった。
食事の様子も公開されていた。
排泄も人の目に晒される場所であった。トイレというものはなかった。
出産も公開であった。
マリーアントワネットの公開出産の様子
https://blog.goo.ne.jp/asumirio63/e/0ab1d3c4f7832fbd136cda67b6a62d2e >>116
俺は>>104 で
「しかしヨーロッパの王族同士とか古代日本の天皇家とか、血の希少性や
純血性の価値が 優先された場合もある」と書いてやっただろ。
天皇家と藤原家は皇族の血を保有しあって伝えてきた。
血族結婚が多くなったのは当然だ。
しかし、貴顕の血と庶民の話を一緒にするな。
エタや非人、サンカなどには血族結婚が多かった。この話は後でするかも。 ブラジルにある日系人コミュニティ弓場(ゆば)農場
日本人・日系人だけで運営されている農園で、ほぼ共同生活。
クリスチャンばかりのように見える。
https://tabicoffret.com/article/34586/index.html
ここから弓場農場のサイトに飛ぶと良い。読む価値あり。
ピアノ、バイオリン等は当たり前にひく。女の子たちはバレエに打ち込む。
取材のカメラの前をバレエのレッスンをしている女の子たちが横切るという
場面も見た。
日本人と日系人以外受け入れない決まりという。
10年ほど前テレビで見たが、20台後半のここの娘が白人の男を連れてきた。
フィアンセだという。連れてきてしまえば何とかなると思ったらしい。
だが白人は駄目だ。日本人みたいにキビキビしていない。
いつも笑顔だがタラタラマイペース。彼女といつもベタベタ。
結局二人で姿を消した。
だが日本人だけでやっていくのは難しいという。
長老たちが、あと10年後に現状のままなら、血族結婚に踏み切らざるを得ないと
語っていた。深刻な表情だった。
中年の夫婦の旦那は、農大生だったときにブラジルの農業見学に来てここに立ち寄り、
そのときに今の婦人から「好きです」と言われ、ここの人になった。
周囲はブラジル人ばかり。そういう出会いしかなかった。
しかし、このあたりを見ると状況は好転しているのではないかと思う。
http://sekaishinbun.net/2017/10/19/201710-spt-yuba-brazil/
これは一種のお見合い大作戦である。ネットのお陰で未来が開けたか。 「天平2年1月13日、帥(かみ)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(つど)ひて、宴会を申(の)ぶ。」
天平2年1月13日、太宰府の帥老(そちろう。大伴旅人のこと)の邸宅に集まって、
「梅花の宴」を開いた。
「時に初春の令月、気淑く風和(な)ぐ。」
時は、初春のよき月夜(十三夜)で、空気は澄んで風は穏やかである。
「梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後の香を薫らす。」
梅は女性が鏡の前で白粉の蓋を開けたように花開き、梅の香りは、通り過ぎた
女性の匂い袋の残り香のように漂っている。 図書館にある書籍とか全部電子化して、先祖の名前で検索できるようにならないかな 池田小学事件 宅間
>>宅間の家系・家族とその環境
宅間の先祖は旧薩摩藩の下級武士で[8]、宅間の家系では事件発生前まで代々誇りにしていた 大量殺人犯のハプログループを調べたら武家由来ばかりになりそうだね >>127
江戸の下級武士は戦国の出自がヤバイからな ここで嫌がられる旧庄屋の家系だが家系にまつわるその手の話は旧庄屋家にも多い。
八墓村のごとく、あの家の先祖は旧城主だったので多くの人を殺しているので短命の家系だとか。
呪われた家系だとかetc
田舎の噂話だからどこまで本当かは不明だけどね。 >>130
庄屋ですらない一般百姓ですが…
発言しちゃいけないのか? 普通に書くのならOK
彼は自分の先祖こそ最高で、他者を否定し武士を馬鹿にするような最低の人格
だから叩かれているんだよ 嫉妬して批判してるだけだろうな。
ちなみにうちは庄屋だよ。
武士は底辺だよ、今で言う肉体労働者みたいなもん。
普通の百姓と同じレベルだと思っていい、血統もカス。
将軍家や大名家なら少しはマシだが、それでも公家と比べるとやはり駄目だね。 うちの曾祖父、最近知ったんだけど1880年代に10歳で養子に入って今の姓になったんだわ。
で、養父が岡山県出身なのに家族も連れず(妻はすでに故人)単身で和歌山県の田舎に転籍してきてるの。年齢は当時35歳くらい。
スゴく不自然で、何があったのかスゴく気になるんだけどこう言った事情に推測つく人いない?
個人的には借金や犯罪なんかで村八分と言うあまり考えたくない事情が思い付くんだが・・・
都市部なら出稼ぎや仕事求めての引っ越しが自然だが、岡山から和歌山、しかも田舎。不自然すぎる。
明治半ばころ、岡山と和歌山に何か繋がりってあった? 庄屋に嫉妬なんてしないよ
百姓の顔役ってだけだし、底辺じゃん 先祖が山伏だったのは知ってたけど、忍者でもあったっていう話を聞いて調べたら兵法とか剣術なんかをやっていた事が判った
藩校で使われていた教科書の兵法や軍学に関するところに先祖の名前が載っていたんだけど、
よく分からないのは、坊さんなのに名字と名前が書いてあった事
自分の今の名字と一緒
坊さんに名字はないっていう認識だったので。
父方祖母の先祖は名主だったらしいけど
名字が水野でそれなりに由緒があるみたいな話。
本当の事は分からないけど
いつか調べてみたい。
今は半信半疑。盛ってる可能性もあるし 少なくとも >>126 から 上の >>138 まで10以上の書き込み。書いてる奴は一人だよな
必死こいてるよなw 何を書いても庄屋が底辺なのは変わらないよ
高貴な血筋?
笑わせるな どこの馬の骨とも解らないのが庄屋だよ >>140
高貴だよ
少なくとも士族よりは上
武士はただの力だけしか取り柄のない乱暴者だろ
平気で人殺しするし
皇族>華族≧庄屋>>>>>士族>平民>エタヒニン >>140
もう一つ言うが
俺の家系に人殺しは1人もいない。 >>134
スレタイぴったりの話してるのに見事なスルーで同じような庄屋の話ばかり。大丈夫かこのスレ >>144
じゃあお前が話し広げろよ
それとも何かエピソードあるなら喋れや >>145
だから>>134は具体的な話してるがな >>146
じゃあ134に答えてやれよ
人にばかり頼むな >>134 元岡山県人から一言コメント
真面目な話、一口に「岡山県」といっても「和歌山県」と同様に結構広いです。古くは備前、備中、美作
の3国に分かれていて、それぞれに郡部があります。
例えば備前国ですと、邑久郡、赤坂郡、上道郡、御津郡、津高郡、児島郡、和気郡、それに磐梨郡が
存在しており、各郡部で多少の言葉や文化が違いますので、それぞれの歴史史料をあたってみなけ
れば分からない事の方が多いです。
…、と書いたら「身も蓋もない」話になりますね。個人的に一番考えやすいというか、ありきたりの話で
すけど、ミカンの収穫時期の一部が岡山県南部の米作農家では農閑期に入りますので、「出稼ぎ」で
縁があった可能性もゼロではありません。
ネットリテラシーというモノがありますので、詳細に書けとまではいいませんが、岡山県のどのエリアか
ら、和歌山県のどのエリアへ御先祖様が移住したかをもう少し詳しくしていただかないと、調べようが
ありません。それを元に国立国会図書館などで該当郡部の郡史をあたってみるのも一つの方法では
ないかと思います。どうぞ御検討下さい。 天領地域だと長男が庄屋で次男が武士として出仕ってこともあるからな。
大坂の陣も大体このパターンだろ。長男に死なれると困るわけだろ >>148
出稼ぎのまま養子まで取って永住ってのも何か特殊そうですね。
岡山の浅口郡から和歌山の有田市です。共通点は、両住所ともかなり海に近い。頃は1880年代末です。 >>150
>>148 です。とりあえず、有田市図書館に「有田郡誌」が所蔵されています。禁帯出本ですので、市立
図書館へ行って閲覧しなければなりませんが、明治中期頃の様子をうかがう資料になると思います。
図書館では該当するページをコピーさせてもらうこともできますから、時代背景を知るための手元資料
として入手しておくことをお勧めします。
次に、近所の古老の方とか御親戚筋に尋ねてみるなど、明治期における御家の職業変遷に関する
家伝(言い伝え)を再確認してみると参考になると思います。この点では「屋号」がヒントになることも
多いです。例えば、拙宅の屋号は「○○○店」ですので、今はやっていませんが、昔は商店を営んで
いたことが分かります。
また、有田といえばミカンの大産地として有名です。そこで、「紀州有田みかんの起源と発達史」という
論文をネットで検索・参照すれば、1880年代に有田周辺で何が起きていたかを知ることができます。
これも参考文献に値すると思います。
それから、和歌山からだと結構距離があるのでなかなか難しいでしょうが、岡山県浅口市立図書館に、
「浅口郡誌」が所蔵されています。こちらも禁帯出本ですので、岡山県への出張調査になりますけれど、
御先祖様のルーツを調べるために有用な資料になり得ると思います。
あと、有効と考えられる手として「戸籍調査」があります。自分が子孫であることを証明可能な公文書、
つまり有田市役所で交付してくれる戸籍謄本の写しと除籍簿の写しを岡山県浅口市役所へ持参し、
「家系図を作りたいので、御先祖様の除籍簿を閲覧させて欲しい」と頼めば、当時の戸籍情報を入手
することができます。これは、結構強力な資料になると思います。
以上のように、事実関係を一つ一つ積み重ねて確認し、次のステップへと情報収集の範囲を広げて
いけば、有田市と岡山県浅口郡の接点が出てくるかも知れません。時間と労力が必要ですが、根気
よく調査することが大切です。頑張って下さい。
中身の割に長文かつ駄文で申し訳ない。ここまで読んでくれてありがとう。 横レス
「浅口郡誌」でググると、国会図書館に所蔵があるのを見る余地もある
取り扱ってる古本屋で買うって手もあるけど、今ググって出てきたのは16200円、安くはない。
交通費往復分+宿代とどっちが安いか判断しかねる程度の値段とは思うが。 何を一人でやってんだ馬鹿が
庄屋馬鹿ってのは厨房か?
とくに
>>154 の「横レス」は余計だったw ひとりにみえてるのか
かなり重症の感じだな。いつか寛解する日は来るんだろうか >>154
>>153 です。フォローありがとう。国立国会図書館デジタルコレクションで確認するのを完璧に忘れてたわ。(笑) 私は全くの第三者で横レス失礼します。
国立国会図書館デジタルコレクションを教えていただいてよかったです。
これからも書き込んでいろいろ教えて下さい。
ありがとう。ほんとうにありがとう。
>>155
妄想を治せ。心の汚い馬鹿者め >>158
御参考になるかどうか分かりませんが、国立国会図書館デジタルコレクション以外では、
下記のデータベースもありますので、日本史を勉強するには便利な世の中になってます。
必要に応じて参照してみて下さい。(URLは2019年5月1日現在のもの)
1.宮内庁書陵部所蔵資料目録・画像公開システム
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/
2.国立公文書館デジタルアーカイブ
https://www.digital.archives.go.jp/
3.谷本玲大のページ・倉庫(大日本地名辞書や大日本年表などを収蔵)
http://tanimoto.to/lumber/
4.古文自動翻訳研究センター(ソフト開発中・現行バージョンは3.1)
http://honnyaku.okunohosomichi.net/
5.木簡・くずし字解読システム(奈良文化財研究所・東京大学史料編纂所)
https://mojizo.nabunken.go.jp/
6.日本図書館協会図書館リンク集
https://www.jla.or.jp/link/tabid/95/Default.aspx >>142
庄屋は下層階級
百姓のまとめ役に過ぎない
武士より遙かに下の身分
自覚しろ >>159
一連の書き込みとは関係の無い全くの第三者である私に対してこのようなご厚意を
頂戴しまして有り難うございます。
ますます貴兄のファンになってしまいそうです。
全く関係の無い、通りすがりの第三者ではありますが、これからも貴兄の書き込みから
学ばせていただきたいと思っております。
ありがとう。本当にありがとうございました。 >>161
>>159 です。たいへん御丁寧なレスをありがとうございます。昔から「袖すりあうも他生の縁」と
言われているとおり、この掲示板では、「先祖探し」という同じ方向を向いて勉強してるお仲間
ですから、彼我関係なくお互いに知識を交換し、助け合うのは当然のことだと考えております。
私も諸般の事情で「先祖探し」を継続進行しておりまして、そのプロセスに関係した物事を紹介
すれば、いつか誰かの役に立つかなと考え、気の向くままに駄文を書き散らしている次第です。
身に余る評価を頂戴し、恐縮に存じます。それでは、またどこかで御一緒させて下さい。 自作自演か?
庄屋をバカにしてる底辺がいるようだが…
庄屋が一番尊敬される立場だぞ 庄屋は底辺
田舎に行くと先祖は庄屋って奴が一杯いるけど誰も尊敬なんてしてないよ
「あの家、昔は庄屋だったんだって」
「ふーん、百姓か」
でお終い >>163 >>164
客観的証拠や言葉の定義、それに時代設定を含む議論の前提条件もなしに、庄屋と呼ばれる存在の
社会的地位を、現代の価値観で語っても、説得力を含め全然意味が無いのは明々白々なんだが…。
不毛で下らん言い合いをする前に、事実に基づく歴史学的論考をするなど、やるべき事が多々ある
はずだが、そこらあたりの学問的価値観を互いに認めたくないのかな。双方ともに、ただの「構って
ちゃん心理」の持ち主ならば心底呆れるし、幼稚園生なみの喧嘩もどきなら、放置するしかないね。 馬鹿w どっちも自演だよ
それ以外も、ここんとこずっと自演 >>165
お前が庄屋は尊敬されてるって書いたから、そんな事無いよと示しただけ
庄屋は尊敬なんてされてない
それが事実 庄屋が裕福であったことは全国的に間違いではないだろうね。
地方の庄屋は余り知らないけど。 地方でも神社の氏子代表は庄屋が多いのでは?
庄屋の屋敷は文化財指定されてるのが多いね。 金があったから当然と言えば当然。
金があったのでは、商人、網元なども入るな。 庄屋は名家と言われるが、武士はただの成り上がり者で偉くない かなり裕福な暮らしをしてた庄屋は多い。 うちの先祖の庄屋は藤原氏を名乗ってた。
庄屋出身の関白や太政大臣などもいるんじゃないかな >>171
>庄屋出身の関白や太政大臣などもいるんじゃないかな
庄屋の脳内庭園はいつも花盛りで満開だね。さすがに笑ったわ。 庄屋は日本国の中で実質的には最高の地位にあると思う。
道で庄屋に会ったら天皇が土下座したとか聞いたことがある。l >>169
普通に今話題の駿河銀行の創業者は庄屋だがな。 失敬。スルガ銀行の現会長兼創業者、岡野家は名主と書かれてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています