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先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る5
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0001取り急ぎ建てたぞ
垢版 |
2019/03/20(水) 12:44:09.61
純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。

先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!

1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと

※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る

前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1337303208/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1542339706/
0772日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/05(木) 19:38:20.83
別に普通の先祖話に見えますけど?
これ以上どう書き込みしたら文句ないんでしょうか?
どう書いても、水呑百姓以外の書き込みは許してもらえなそうだけど。


他人の事が気になりすぎるのは心の病気の第一サインらしいですよ
少しネットを自分から離れてご自愛ください。
0773日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/05(木) 21:24:47.27
>>722 の諱について書いておこう。

武士の名前に諱というものがある。忌み名ともいう。
なんで「忌み」かというと、外で軽々しく使うのはタブーだったからである。
逆に言うと、他人がある人の諱を呼ぶということはきわめて無礼なことであった。
昔の人は名前と魂がくっついていると考えていたらしい。
だから安易に名前を他人に教えると、名前を呼ぶことによって魂を他人に操られると
考えた。女子が男に名前を問われて教えることは、体を許すと同然のことであった。

このように、人の名前というのは簡単に人に教えるものでもないし、人から呼ばれる
ようなことがあってはならない。だからこれは忌み名として使わずに置き、気軽に誰でも
呼ぶことのできる名前を用意した。
こうした仮につけた名前を仮名(けみょう)といった。
要するに、昔の人(奈良や平安の貴族にも諱はあった)には本名たる諱と通称である
仮名とがあった。
(仮名は奈良・平安時代の言葉であり、古すぎるので通称と呼ぶことにする。)。
0774日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/05(木) 21:25:30.04
石田三成は佐吉という通称であった。
加藤清正は虎之助。福島正則は市松。
通称は幼名であることが多いが、必ずしもイコールではない。
家での通称というものがあり、成人すると幼名から家で代々使われている通称に代わる。
しかし、外の世界では幼名で呼ばれ続けることが多かったのではないか。
商家などでは今も店の主となると代々の主人の名を名乗ることが多い。
武士や公家は、大人になると職名や身分で呼ばれることが多くなり、通称では呼ばれなくなる。
例えば石田三成は治部少輔。加藤清正は主計頭(かずえのかみ)、あるいは肥後侍従。
福島正則は左衛門大夫。大谷吉継は幼名桂松・通称紀之介で、身分は刑部少輔。
略して刑部(ぎょうぶ)と呼ばれていた。

明治になると太政官布告で「苗字実名ノミ相用候事」とされ、通称+諱ということは
公式に禁止された。
従来の武士たち(通称と諱の双方を名乗っていた人たち)はどうしたかというと、
戸籍に登録する際に、通称か諱のどちらかを選ぶしかなくなったのである。

例えば大隈重信、西郷隆盛は二人とも諱を選んだ。
通称を選んだ人もいる。板垣退助、江藤晋平、大村益次郎など。
福沢諭吉、山本権兵衛などもそうである。

今でも男子の名は諱系と通称系に分けることが出来る。
洋一郎とか孝輔とかは通称系、義重とか政宣とかは諱系である。
0775つづき
垢版 |
2019/09/05(木) 21:27:15.73
↑も つづき とすべきであった。忘れた

−−−−−−
このようにして、明治以降は「名字+諱」か「名字+通称」という名前が出てきた
のであるが、それ以前は名字を名乗る以上は通称も諱も付けたのである。
つまり、明治以前に「名字+通称のみ」とか「名字+諱のみ」いう名前はなかった。
江戸時代に、山本太郎だの田中昭博という名前の人はいなかったのである。
名字を名乗る以上、必ず諱はあり、そして諱は特別の場合以外名乗らないもので
あるから通称は必ず使ったのである。
坂本龍馬は直陰とか直柔という諱があるが、これは特に許されたというようなもの
ではない。名字(姓)を許された以上、当然に諱は付けるのである。
だから
>>722
>私の家は庄屋でありながら、諱も許されているが、
というのは嘘もいいところである。
名字を許されたなら諱をつけて当然であり、「諱も許されている」などというのは
無知そのものの発言である。
なお、伊能忠敬は佐原の商人であり町名主。
伊能という名字を許され帯刀した肖像画もある。
通称は二つあり、佐原にいた頃は三郎右衛門、江戸に出て天文学などを勉強
しはじめてからは勘解由と名乗った。忠敬は諱。
だから測量をしている時代の名は伊能勘解由忠敬。
0776つづき
垢版 |
2019/09/05(木) 21:27:46.66
夏目漱石の父親は牛込馬場下横町の町名主であった。
名を夏目小兵衛直克という。
漱石は五男で、長男:大助、次男:栄之助 (直則)、三男:和三郎 (直矩)、
四男:久吉 である。四男は幼逝したので元服名である諱は無い。
長男の諱は不明。おそらく父親と同じなのではないか。
漱石の諱は無い。漱石は慶応三年(1867)生まれなので、元服や諱を
付けるというような時代ではなくなっていた。

島崎藤村の父親は馬込宿の名主で本陣も務めた。名は島崎正樹重寛。

ついでに樺太探検をした間宮林蔵の諱は倫宗(ともむね)。
間宮林蔵は農家の出で名字はなかった。筑波郡上平柳村の生家の近くで小貝川
堰き止め工事があったときに幕府の役人に才能を認められ、治水工事の測量などを
する役人として採用された。
普請役雇という一代限りの低い身分であった。
それでもとりあえず幕臣となったので間宮という姓と倫宗という諱を名乗ったのである。
諱を自分で付けるときにはさぞかし悩んだのだろう。
結局、林蔵りんぞう→倫宗りんそう としたと思われる。

722は以前、自分の家は明治になっても諱を使っていた、などと書いていたが、
明治になってからは、上記のように通称と諱を並べることは許されないので、制度上
不可能であった。戦後の戸籍法によれば、例えば「誠一郎直正」とつけても受け付けて
貰えるので付けることは可能である。
ただし、通称+諱ということでなく、全体として一つの名前としてである。念のため。
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