昔の日本ではだいたいは土葬で、墓には木の卒塔婆を立てるだけだった。
金持ちは石の墓も作ったけど、それは土葬した場所の横に並べる形式。
地面に置くような形で、土台石を置くにしてもそんなに高くない。
この写真の墓は古い二つの墓をまとめたもので(同時に葬るのはありえないから)、
下はコンクリで土台を作ってあるし、カロート式だろうから、墓全体としてはたぶん戦後に
作られたものだろう。
後ろにコンクリ柱を支えに立ててセメンで固めてある。
その土台部分の上に乗せてある戒名が彫ってある墓石部分は古いのだろうが、江戸時代の
ものじゃない感じがするなー。
建立の日付は江戸時代のものになってるそうだが。
>>811 によると、この墓石に刻まれた日付は
>金糸屋善兵衛の石碑(延享二年・1745年)
延享二年というと、八代将軍吉宗の治世の最後の年。吉宗は元気だったが、身○者の家重を
早く将軍の座につけて自分が後見した方がいいと考えたんだな。だから51歳で隠居した。
この墓石は吉宗がちょうど50歳のときのものということになるが、そんなに古いかなw
江戸時代の墓石なんか、俺の経験では読むのは天保・弘化ぐらいが限界じゃないの。
それより100年も前の墓石の文字がこんなに明瞭ということがあるかね?