https://sites.google.com/view/jhistory の「辰王は続く」のページに記しておいた

倭の五王は百済都督を自称したが、百済王は秦韓・新羅都督を自称したとは書かれていないので、求めはいないだろう。
百済は馬韓の伯済が大きくなったのであるから、支配者が変わったと主張するには論理が必要。
辰王は辰国を失っても存在する世襲王で象徴的な意味がある。
支配実体のない権威だがそれを名乗ることは周辺諸国にたいし威力があると考えられる。
神聖ローマ皇帝のように。神聖ローマ帝国は国の名前は変わったが神聖ローマ皇帝という名前は180X年まで続いている。
歴史は支配者の権威を高めるのに役立つ。
「辰朝百済」を解釈できるなら「百済辰朝人」も解釈できるだろう。
>だいいち百済建国史にその王統に関して辰国辰王朝なるものを連想させるような記述があるか?
百済の歴史書は書紀のコピーではないのか。墓誌に辰朝人と書いてあるから逃げられない。
>日本が倭国を併せたとされるのだってそれが事実なら血統は関係ないからな
>併合したというのなら前王統もまた継承される。
>例えばロシアは東ローマとモンゴルの継承国を称したが、
>モンゴルに支配されてる間に混血したのにすぎない
なにがいいたいか意味不明。