辰国の「日本」!!
半島南部と倭国の古代史は辰国の南下の歴史である。
高句麗の圧迫で辰王は倭国河内に逃避した。
多くの王族貴族が倭国に渡り、各地に散らばり、土地の干拓を経済基盤とした。
結果、先住の山裾居住民を圧倒し、服従させ、より低地により巨大な墳墓を作った。
貴族は半島での身分が維持されて、倭国統一が短期間になされた。
馬韓にあった伯済は半島にとどまり百済となり、辰朝の後継を自任した。
倭の五王が南朝から百済都督を与えられなかった理由だ。
半島の百済辰朝は高句麗の圧迫を受け続け、南下を余儀なくされた。
その一部である昆支王は河内に渡り、倭の大王位を冒した。(このあたりが継体の時代)。
唐・新羅が百済辰朝を滅ぼした。白村江でほとんどの百済貴族が倭国に渡った。
300年の差はあったが、辰国は分裂しながら、倭国に流れ落ちた。

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の「辰王位」ページに詳しい。