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漢委奴国王印 いわゆる金印part3

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0001東京
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2019/05/06(月) 17:37:27.05
有意義なスレですのでpart3をたてました。
0187日本@名無史さん
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2019/08/02(金) 20:00:13.48
中国の考古学者は漢からではなく 漢に委ねる奴国王 と解釈している。
1954年発掘の銅印に 漢帰義羌長 がある。 これは漢の字があの金印
と全く同形で、同時期の後漢の印だ。 これは 漢に帰義する羌族の長
となる。 金印は何故帰義ではないのか、二文字では印面が混雑するので
同じような意味になる一文字の委とした という解釈。
0188日本@名無史さん
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2019/08/02(金) 21:21:26.54
>中国の考古学者は漢からではなく 漢に委ねる奴国王 と解釈している。

具体的に誰?
0189日本@名無史さん
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2019/08/03(土) 11:17:10.81
>>187
このほうが納得できる。帰義、委など漢字の違いで格の違いを表すとか何かで読んだ
0190日本@名無史さん
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2019/08/03(土) 12:12:59.62
>>187
国の名前は奴国だと?
0192日本@名無史さん
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2019/08/03(土) 22:23:04.01
だから東夷のなかで従順なのが倭だろ
0194日本@名無史さん
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2019/08/03(土) 22:35:02.31
『続漢書』百官志によれば、蛮夷には、
「国王」「率衆王」「帰義侯」「邑君」といった規模等により称号が与えられた。
0195日本@名無史さん
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2019/08/03(土) 22:43:25.23
四夷國王、率衆王、歸義侯、邑君、邑長、皆有丞、比郡・縣。
(『続漢書』百官志五)
0196日本@名無史さん
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2019/08/04(日) 09:00:57.07
贈答品だし倭だと小さいという意味になるから委ねるという好字にした
0197日本@名無史さん
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2019/08/05(月) 15:27:51.56
ゆだねるくらいの意味はあったと思うけど
用法として国王に使うかどうかわからんが
0199日本@名無史さん
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2019/08/16(金) 14:15:25.06
どっちだよ。
0200日本@名無史さん
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2019/08/16(金) 14:54:18.76
>>199
文盲かよw
0201日本@名無史さん
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2019/08/16(金) 16:42:48.98
舛添だっけ?ペキンからハンコをもらって帰ってきた都知事は。

あれは朝貢外交の印(しるし)だ。
0202日本@名無史さん
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2019/08/16(金) 16:50:28.29
伊都高祖宮の近くには先代の男王の祖である三雲南小路遺跡とその宗廟であり漢委奴国王印(金印、倭王の国璽)を管理していた細石神社がある。
そして倭国大乱より後の年代の女王墓と考えられている平原遺跡がある。
伊都国(糸島市)こそ、漢代から魏代まで継続して倭国の王都であった。
そもそも、弥生時代を特徴する稲作文化は玄界灘沿岸に上陸し、博多湾を中心に銅鏡銅矛文化が弥生時代をリードしてきた。
後漢書でも倭とは狗邪韓国を北限、倭奴国を南限とする対馬海峡国家であり、そこを支配するのが伊都に置かれた大率である。
魏の使いが滞在して外交の舞台でもあった伊都国こそ、倭の王都、卑弥呼の王城がある邪馬台国である。
そして三雲南小路遺跡が邇邇芸と木花咲耶姫の墓であるならば、伊都国は記紀における神代の倭の王都、筑紫の日向でもある。
三雲南小路遺跡や平原遺跡から日の出の方角にそびえる高祖山(クシフル山)にある高祖宮、怡土城は、高千穂宮の実体だろう。
0203日本@名無史さん
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2019/08/16(金) 18:36:39.52
こっちが本スレ
0206日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 02:13:27.11
ともかく朝貢の証しを大事にしてちゃアカン
0207日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 02:42:39.42
当時のアジアは中華王朝を中心に存在しとったんやから、必要以上に卑下せんでもええんやで
0208日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 08:29:53.34
実際に細石神社の遺跡は弥生時代では平原遺跡と双璧となる王墓だからな。
後漢との繋がり、後世の王権につながる三種の神器など。
0209日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 08:31:09.55
>>205
破綻というよりは証拠不十分なだけ。
0210日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 08:43:30.95
>>208
三雲南小路遺跡と細石神社に因果関係があるのは間違いないが、そこに金印をつなげようとするのは糸クズの願望でしかないって話だろ
0211日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 09:35:17.46
>三雲南小路遺跡と細石神社に因果関係がある
いや、これすら妄想
0212日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 12:43:53.58
>>210
三雲南小路の年代は金印を貰った年代にほぼ一致する。
その被葬者が金印の持ち主であった可能性はある。
0213日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 12:56:02.04
妄想の上に妄想を積み重ねても妄想であることは変わらない
0214日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 13:14:22.94
>>212
ねぇよ無能
0215日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 13:19:06.40
>>212
三雲南小路遺跡は年代測定されてないのだから金印と同年代だというのは糸クズの願望でしかない。
0216日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 13:52:36.39
後漢鏡の編年でわかるだろ。
0217日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 13:55:24.53
>>216
ねぇよ無能
0218日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 13:56:56.58
考古学者の編年を無視するのかね?
0220日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 13:59:02.28
>>216
後漢鏡が出土してるのは井原鑓溝遺跡だろ無能
0221日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 13:59:18.39
>>219
推定だろ無能
0222日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 14:00:11.35
三雲南小路遺跡と出土品の年代測定は実施されたことはない。
それが客観的事実。
0223日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 14:04:01.04
結論から言うと
三雲南小路遺跡は年代測定されてないのだから金印と同年代だというのは糸クズの願望でしかない
0224日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 14:20:32.70
考古学の編年は無視ですか?
0225日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 14:23:06.85
>>224
結論から言うと
三雲南小路遺跡は年代測定されてないのだから金印と同年代だというのは糸クズの願望でしかない
0226日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/17(土) 21:31:27.37
古文書を読んでたら、「長崎古今集覧付録名勝図絵」という文政年間発行の文書の中に金印の図絵が載っているらしい。
長崎の神崎神社に金印が宝物とされていたらしいが、天明年間に行方不明になったそうだ(なんと神社の地区一体は黒田藩
の警備地区だったとか)
つまり、黒田藩謀略説成立かも
0227日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/17(土) 21:40:24.55
伝説としては、訳の分からんものが残っているようだ

長崎県の神崎神社に神功皇后が三韓討伐で手に入れた金印を長崎に持ち帰った」伝説があり、
その長崎の金印が江戸時代に突如紛失した後に志賀島で発見されたので江戸時代に長崎から福岡に移された

http://blog.livedoor.jp/jingu2675/archives/1047527493.html
0228日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 22:04:22.54
「神崎社珍宝形状図説明書」 「長崎古今集覧付録名勝図絵」中のものか不明

「黄金蛇紐漢ノ倭奴國王ノ印一顆
 此金印神功皇后三韓時に持帰らせ給う所當社の珍宝として世々傅へ来りしに何のころにまがひ失せけん・・・
按ずるに此印の文字・・・滋賀島土中瓦石の下より出せしといふ金印と少しも異なることなし・・・・・・」
0229日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/17(土) 22:14:56.18
まあ一緒に神功皇后の「懐懐石一塊」も珍宝となっているところがあれなんだが。。。
0230日本@名無史さん
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2019/08/17(土) 22:27:33.76
うわあ、由来は激しく怪しいなあ。
しかし逆にそれ以前の何かを隠そうとした意図も伺える。
場所は長崎の入り口の要所と見た。
ただ、倭国の中ではあるけれども、非常に中心から離れているのが気になる。
0232日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/18(日) 00:17:50.02
細石神社は伝世の事実を隠そうとしたとされているからね。
文献など見つからなくて当然。
しかし伊都は倭国の王と出会ったのであれば、そこに金印があっても不思議ではない。
神崎神社であれば、そこが倭国にとってどのような場所であったのかを考察する必要がある。
0233日本@名無史さん
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2019/08/18(日) 01:44:56.28
糸クズスレ見て来いよ
細石神社は古田の希望的観測であり、糸クズの願望でしかない"ネタ"だって即座に分かるから
0234日本@名無史さん
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2019/08/18(日) 04:34:47.66
>>233
ほんそれ
0237日本@名無史さん
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2019/08/18(日) 09:13:33.90
見つけた

上部左ページにあるのが、長崎名勝図絵にある黄金印の図絵だ
https://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/66427625.html

「由緒は古い神社であるが、永年荒廃していたのを、正保4年(1647)長崎の内田治郎助宗貞という者が、
旧記を調べ旧址を尋ねて、船魂猿田彦大神、住吉大明神を祀る小祠をここに建てた。・・・」
0238日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/18(日) 12:31:26.05
インチキ臭さが細石神社ネタ並みやんけ
0239日本@名無史さん
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2019/08/18(日) 12:47:41.87
まあ、歴史学に対して真面目に興味持っていたら
こういう縁起・伝承の後付け・改変なんて
珍しくないことくらい知っているだろう
だから、神社の縁起では〜とか土地の伝承が〜とか
主張すると鼻で笑われることになる

細石神社は記載史料がない時点で
歴史学以前の噴飯ものだけどね
0240日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/18(日) 13:00:51.38
金印が見つかってから、実はうちに前からあって。。。とかいうパターンぽいね
0241日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/18(日) 13:02:42.97
長崎のは亀井のサルマネしただけだろうな
0242日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/18(日) 13:05:50.03
細石神社に金印が保管されてたってネタは自説の信憑性を高めるために「地元民への聞き込み」というナゾ行動までした古田や、それを盲信しようと必死な糸クズが悪いんであって、細石神社自体に罪はない。
0243日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/19(月) 13:53:42.42
江戸時代は出版業界盛んで、各地名所旧跡観光案内は人気ジャンルだった。
中身は洒落本と同じネタ本で、歴史考古学の文献てもんじゃない。
長崎はもちろん学者文化人に人気の場所で、その頃金印の発見は学者文化人には
ビッグニュースだった。 で 長崎と志賀島はちょと離れとるけど、金印は古代九州のこと
なんでネタ書き出版した。 うそ書いても誰も問題にしないネタ本だから
0244日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/19(月) 14:12:30.12
結局、志賀島を拠点に持っていた安曇が倭王だったってことだろ
0245日本@名無史さん
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2019/08/19(月) 15:25:41.63
>>244
それだとアメ姓を自称した倭王と矛盾してしまう。
やはり通説通り安曇は初期段階の海人王で次第に主権を住吉に取って替わられ、全国に散り散りになった悲劇の海人族と見るべき。
0246日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/19(月) 15:38:55.09
どうせ全員海人族。
その中で最も優勢だった者が倭王。
倭人はそれぞれに皆が王を自称していたんだっけ?
0247日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/19(月) 15:41:48.50
志賀島にいたのだから、倭王とは綿津見、大山祇兄弟のことであろう。これは兄弟相続の典型でもある。
天孫降臨に際してニニギは大山祇の娘を娶るが、先代の王家からの女系相続とも取れる。
0249日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/19(月) 23:59:07.62
志賀島にあること自体が不思議なんよね
わざと持ち込まれたのか持ち出す途中に落としたのか
0250日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/20(火) 00:44:35.70
通説では支石墓のようなものの下に箱に入っていたんだ。
0251日本@名無史さん
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2019/08/20(火) 01:24:28.73
>>249
不思議でも何でもないだろ
0252日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/20(火) 09:50:38.34
>>248
どこが強引に感じるのでしょうか?
筑紫において天孫は外から来た婿であり、一貫して筑紫にいるのは志賀島の一族の方なんですよ。
しかもその後も同じ一族から婚姻しています。
記紀は男系社会になってから書かれているのですが、実は志賀島の綿津見王家(豊国王家)は日向三代と並行して女系相続をしているのです。
0254日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/20(火) 11:43:56.96
既存の史書の内容をまとめただけですよ?
0256日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/20(火) 11:51:25.39
贋作にここまで熱狂するとは・・世界じゅうの笑いものw
0257日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/20(火) 11:53:08.55
>>255
具体的にどこがおかしいか指摘してください。
0258日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/20(火) 12:07:14.96
>>257
馬鹿か?根拠が一切ない妄想だろマヌケ
さては・・・

               , -――- 、
              /       ヽ
              | ノ  ー    |   
              |(・) (・)   |
 お前チョンだろ?  |  (      |
              ヽ O    人
               >ー-― ´   ̄ ̄\
  ⊂ニニ ̄ ̄ ̄ヽ  /              |
     くメ) _ノ  |  |  |        |   |
       (/  |  | /  |        |   |
          |  |/  /|        |   |
          |  ト  / |        |   |
          ヽ__/ |        |   |
0260日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/20(火) 12:29:04.79
全国の海神社の総本社が現存しとるやんけ
0261日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/20(火) 14:11:04.32
志賀島の古墳から三種の神器のセットが出てきたりしないのかな、ということだろ。
0265日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 13:31:44.64
博物館があった時代じゃないからね。
それ以外のどこに置く?
0267日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 15:20:51.12
それでは使うときに使えない。
大事に保管するなら、弥生時代だと高床式の建物に安置して、目印に鳥居を立てたりするだろうね。
今日では神社と呼ぶのだろうけど。
0269日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 16:20:45.17
普通に考えれば王都か大規模集落内に置くほうが実用的だと思うけど
この時代の印は祭祀儀礼用というより外交用途のためで印を祀るようなことをするんかね
0270日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 17:21:30.42
>>269
大事に保管することを祀ると呼んだのではないかな。
実質的に同じことだから。
0271日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 17:24:17.43
志賀島にあったのであれば、そこが王都であった時期があった、志賀島の海人族が倭王であった証拠。
伊都にあったなら、細石神社が祀る三雲の甕棺墓(三種の神器入り)の主が倭王だったということ。
長崎にあったなら、長崎の海人族が倭王だったということ。
0272日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 19:03:54.33
志賀島は110年〜倭国大乱時に追い込まれた、倭王の墓が有った。
ではないのかな?

107年以降238年迄は、日中外交が無い。
双方大乱である。

卑弥呼就任の190年、奇しくも公孫氏遼東王就任が189年だが、
公孫氏以降は中華ではなく公孫氏対卑弥呼の中原朝貢遮断での四郡外交である。

トンデモの 卑弥呼=公孫氏説は、検討価値はある。
0273日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 19:16:48.95
倭国乱の前、7,80年は男王がいたのだから、それだと志賀島に卑弥呼がいなくてはならなくなる。
卑弥呼を公孫氏にしたいのなら、順番として、公孫氏が実権を握る<その影響で九州でも公孫氏系の権力者を立てる、の順番になるはずであり、同時期という時点で逆に消える話。しかも公孫氏がそこまで影響力を持っているなら間の馬韓も公孫氏で塗りつぶされないとおかしい。
0274日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 19:44:38.54
公孫氏と強い関係があり、それが魏志倭人伝には記載されなかっただけという可能性は高い。
ただイコールはないな。
それなら魏は邪馬台国も冷遇したはずたからだ。
卑弥呼はあくまでもうまく立ち回っただけ。
0275日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 19:56:54.64
公孫氏はあきらめろw
一瞬の打ち上げ花火で前後になーんの利権もないぞwww
0276日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 21:55:59.52
国王印は引き継ぐものだから墓には入れない  戦争の時はどこかに隠す
奴国が負ける 隠した奴が死ぬとどこに隠したか分からなくなる
0277日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 22:44:15.06
奴国が負けたなどと言う歴史はない。
ただ、天孫降臨が後漢の頃の話なら、志賀島の王家の娘と高天原の王家の若者の婚姻があったのだろう。
0279日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/21(水) 23:16:21.19
奴国王が墓に入る前に戦争が起きて隠したんだろ
金は腐食しないから
石の上にも三年、石の下には千七百年あたためられて良かったじゃないか
0281日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/22(木) 07:29:56.98
>>279
奴国にはそんな戦争は記録にない。
0282日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/22(木) 08:56:53.08
まず本物という前提で考えると
倭国大乱の時期に奴国の王都から金印と共に逃げたけど志賀島でやられた
その際に”神社”に隠したか地面に埋めたかってのが無難そう
0283日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/22(木) 09:27:53.16
倭国大乱でも奴国は戦場にはなっていなかったようだ。
主戦場は筑後平野だろう。
0284日本@名無史さん
垢版 |
2019/08/22(木) 10:29:03.18
神社に置いたら隠したことにならんだろ  その頃は卑弥呼など王の住居が神の祭壇で
お告げ聞いたんだ 独立した神社建築は無かった
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