信長の正室濃姫・まむしの娘の謎 2
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>>155
武功夜話では秀吉たちと卑猥な話をしてたね。信長が天下取り一歩手前まで行ったのは 生駒が信長に猿と小六を紹介したかららしいよ。
YouTubeに濃姫の墓発見っていうNHKの番組があってそれを見たら信長にピンチの時には生駒を頼りなさいって吉乃が言ってたわ。
猿と小六そして信長は生駒のおかげで大きくなれたんだと。 >>156
秀吉がいなくても天下はとれたよ。
生駒は害虫だよ、結局。 武功夜話いかにもタイトルだけでそれらしい本だな。原本は生駒の手元にあるの?
非公開なのかな? >>157
●信長におだけ惨殺の元凶秀吉紹介
●信長の生母は六角といわれているのに
生駒の親類の土田氏とねつ造する
●信忠の母は生駒と主張、書いてあるのは生駒文書のみと、生駒の墓に彫りやがった
●信長最愛の女性、これも書いてあるのは
久昌寺記や成功夜話のみ。
●生駒子孫は濃姫が正室であったかもしらないよ
などという嘘つきであつかましい一家だな。はなはだ呆れる 一応フォローしておくと武功夜話(前野家文書)は
前野長康の末裔を自称する吉田氏によって発表されたものであって
生駒家は直接的には関係無いぞ
生駒家や久昌寺に伝わる古文書を元に作られたという見方が一般的だけど >>160
末梢の人のサイトに書いてありますものね。生駒の古文書と秀吉関連の本をもとに作られたのが武功夜話だと。
それなのに武功ありきで語ってますが >>161
そうなんですね! 読んで秀吉さんと生駒さんほんと嫌いになりました。
共通点は信長を利用した大ウソつきで
ずるいねつ造家ですね。誠意のかけらもない。 >>148
佐藤の旧領を娘婿になったことで継いだ形といったほうが
妥当かもしれん
濃姫の実弟だからというより美濃の統治を盤石にするための布石と
岐阜城の守りへの備え的要素が大きい
その証拠に利治がいない時は利堯が城代となっていた >>152
美濃衆トップは武井と猪子だアホ
光秀はこの武井や猪子には頭上がらん
特に猪子は利三の件の時にかなり骨を折ってもらってる >>164
どこまでを美濃衆と捉えるかは線引きは
難しいとおもうよ。武井と猪子はマイナーだな。 >>164
利三の時に世話になるのと家臣団の中での地位は違うだろ。アホとかいきなりかきこむガラの悪いやつだな レスが進んでたから新説でも出たのかと思ったら違った・・・ 擁護するわけじゃないがアホと言いたくなる気持ちは
わからんでもない…
半生わからんな光秀と違って武井や猪子は道三や義龍由来の
家臣なのははっきりとわかっていることだし信長家臣団の中枢トップに
揺るぎなくいたのも確かだからね
だからこそ公家も軍団長も気を使いまくってよしみを通じようと
いろいろ頑張っていた >>168
でも1番石高多いの光秀じゃん。気を遣われるのと実力中枢ってちがくね? 武井→安土城留守居、信長から軍団長への命令伝達(個人判断で
命令伝達の時期調整なども信長通さずにおk)、外交調整他
猪子→織田軍全般の軍鑑、信忠軍直轄へ度々編入、軍団長間の調整他
そもそもこれだけでも光秀より上位
変な話、たとえば猪子の場合、光秀が何かやらかしたら捕縛や縄目などの
処罰決定(最終決定権は信長ないし信忠だが)ができる権限を持っていたが
これは光秀より上位の者にはできるが下位の者にはできないことだから
(やったら命令指揮系統がマジ乱れる)十分光秀より上位と言えると思われる この当時の有名人でも武田勝頼うんだ諏訪の方は名前も伝わっておらず…
お恋とか勝手に名付けられて大河ドラマでもそうよばれてるんだし
武田信玄の正妻なのにこれだ
濃姫の名前がわかってない。帰蝶は1620年代成立の土俗本ではそうあるから
まぁ有力だと思うけど、その本によれば信長の母も六角さまの娘という
当時の武家の妻子は、ソ連の機密事項みたいなあつかいだった可能性はある
戦に負けるところされるわけだし >>170
武井が安土城留守番なら斎藤信五は岐阜城留守番、それだけで秀吉光秀より上って理論になるぞ。 >>170
大企業のオーナーにありがちな私設秘書と
任せてる子会社のオーナーの差
みたいなんじゃないの?
私設秘書は忠実でなんでも報告するが
子会社オーナーは実力者。
秀吉や光秀と猪子武井では立ち位置がちがう。現代でいえば東証一部の
私設秘書がサラリーが1000万程度であるのに対し子会社オーナーや役員は
実力主義のもと5000万越えしている
ような話ではないの? 合理的な信長らしいし、大企業のオーナーならこの判断はまとも
。仲良しこよしだからサラリー一億あげるね、ってはなしではないとおもう。だから子会社の社長が結果を出していれば本社社長の信長だって私設秘書が何かを言っても簡単には首をきれないんでしょ。 >>174
私設秘書は社長との距離が近いから一見
立場が上にみえても結局はただの小遣いで
終わる場合も多い。現代社会でもいっしょ >>172
そもそも乱世において「後世のために書き残さなきゃ」って思う人が
どれだけいたのかって話じゃないかな
妻(女性)が軽視されてたとかそういう話ではないと思う
紙だって貴重だったんだし当時の人にとって常識だったことほど
残らないのはふつうのこと >>172
何か色々間違っている
・武田信玄の正室は京から迎えた左大臣三条公頼女、三条の方。諏訪御寮人は側室。
・諏訪御寮人は大河「武田信玄」では湖衣(こい)姫と呼ばれた。恋ではない。
大河「風林火山」では由布(ゆう)姫。
・織田家の場合は比較的女性の名が分かっている。
側室の鍋。妹の市、犬。娘の徳姫(五徳)、永姫、振姫。 >>176
家系図で男性は名前が記載されているのに
女性は「女」としか記されていないものが多い
妻(女性)が軽視されているのでなければ説明できない >>159
土田御前の父を土田政久とする説を取ったとしても土田政久=六角ではない
先祖をずっと遡れば近江六角氏末裔を称していたというに過ぎない
六角氏の分家の一つが山内を名乗り更に土田を名乗ったと言うが信ぴょう性はない
土田政久は尾張国海東郡土田を本拠地とする土豪
信長母土田御前は名門の近江守護・六角氏から嫁に来た!というのは詐称 >>179
一般的には佐々木六角氏後裔土田政久の息女とされているが、当時の一次史料による裏付けはなく、後年、土田氏縁者の生駒氏腹である信雄系統の史料から土田政久息女説が登場するようになる。そのため、当時の史料などにより複数の説がある。←だって >>179
『津島大橋記』『干城録』によれば、信秀正室・信長生母は小嶋信房息女とされており もあり。いずれにしろ生駒んとは関係なさそダネ >>181
ってか生駒ボロですぎ。秀吉みたいに権力者じゃなかったから公家買収して歴史ねつ造出来るわけじゃないからすぐボロでるね。せいぜい自作自演のような郷土史や墓石に刻むくらいだし。ネットも内時代てはないし、令和時代はそんな子供騙し通用しない。 >>180
>>116、>>117あたりで信秀正室は近江守護・六角高頼女!
織田家の正室になるには一国の大名の娘でなければならない!と言ってる人がいるから
六角高頼の娘は、公家の今出川家や、北近江の京極家(六角と同族で近江守護の座を争う)が嫁ぎ先なのに
土田御前は尾張守護代分家の織田信秀の継室なんて格落ちすぎる
織田信長は近江六角氏と戦い主城・観音寺城から追っ払ってるが
六角当主の娘だというなら生母を使ったやりとりが一切ない >>183
まあ信長母は濃姫以上になぞだね、たぶん生駒んと信雄が必死に隠しちゃったんじゃないの? >>184
土田御前は信長、信包、信雄に庇護されて暮らしていたことか確認できるし
没年も法名も墓も分かっている
実家が諸説あるのはそれほど身分ある家の出身ではなかったせい
実家は尾張の土豪だろう >>185
肖像画もないし、出身が曖昧というのは
ありえないよ。 >>187
大体さ、吉乃の死に涙して毎日墓を拝んだ信長by久昌寺 とか書いてあるけど信雄両親の愛情不足だったんじゃないの? 兄へのコンプレックスと。最後は秀吉とつるんですぐ下の信孝殺しちゃうんだから。ねつ造マの残酷やろうだ。 >>188
櫓に登って涙してたってヤツですよね。かなり長いこと疎遠だったみたいなのに。
兄は父に嫡男として手元で特別に教育され甘える間もなく妹が産まれ とっとと養子に出され
確かに愛情不足だったのかも。 >>189
信孝は天下布武を使ったり濃姫弟玄蕃と秀吉と戦ったりしていたから濃姫ももしかして信孝びいきだったとかなのかな? >織田家の正室になるには一国の大名の娘でなければならない
これは信秀が実力者で決して当時高くなかったこの織田家をどんどん周りを押さえて尾張の中で
上にいったから嫡子に大名の娘を貰うことができたのでは?信秀までは土豪の女性が妻でも
おかしくない。弟の信行にも奥さんいたようだけれど大名の娘じゃないでしょう? >>191
土豪の娘でもおかしくはないけど
ここでの疑問点は信長母が
生駒の親類であるという事がねつ造であると通説から定説になり始めている事なん
じゃないの? 織田信孝読んでたら信雄まじわるいよ。
→その後、坂氏の妹、娘、男子某などは、織田信雄により尽く処刑された[7]。坂氏は信孝生母。/ こそくなDNAだ、、信長に似てない 関係ない話しだけど大河ドラマや小説を史実だと思ってる人って多いんですね。
後は正室と側室の意味がわかってない人 武井や猪子ってどうみても私設秘書じゃねーだろwww
これ書いてる奴大丈夫か? 滝川一益の妻も行方不明
滝川家も近江六角の家臣で甲賀者で信長に仕えたけれど大いに重用されて
大名になり美濃の三人衆あたりの少大名が娘ほしいと言ったところ
「せめて大大名の正妻にすべきとねがっていたのに、そのような小者にやれるか」
といいはなち
「おおいに奇怪なり、こちらは源氏の名門、そちらこそ怪しい者ではないか」と襲撃されてます
すくなくとも滝川一益のむすめ滝川クリステル?は大大名でないと結婚できない
という格の違いはあったようで 信長関連の小説や武功夜話に騙されちゃってる人のサイトで吉乃を押す人って
側室から正室になったと言われる人が寵愛されているのにも関わらず信長存命中に
尼になってることは丸無視なんだよね。
生駒の娘が清洲で信雄を産んだしかわかってないぞって知り合いに言ったら武功夜話は史実で他のは偽ものだと。
勝手に作り上げられる恩着せがましい正室格の女。一番迷惑してるのは本人達よね。
どんなに素晴らしい小説でも吉乃が出てくると読む気失せるのよ >>195
大した石高ないじゃん。ちょっと信頼されてるから織田の中枢みたいな事言うアホがいるからじゃない? >>197
生駒&信雄の菩提寺や関連資料にしかそもそも吉乃ってでてこないし、濃姫関連資料が少ないといえ信長公記で信長結婚関連は濃姫しかいないし蒲生氏郷家臣の勢州軍記でも信忠が正室濃姫の養子になったってありますもんね >>197
三英傑の嫁がしょっぱい吉乃じゃあ夢も
華もない。 >>200
三傑の嫁って豊臣秀吉正室・北政所も、徳川家康正室・築山殿も
そこまでいいところの出ではないイメージ
若くて出世してない頃に娶っているからね >>199
勢州軍記を書いたのは蒲生家臣ではなく蒲生家臣の息子ね
蒲生家は寛永11年に嗣子なく断絶しており(氏郷の孫の代)
勢州軍記成立の頃には蒲生家はすでにない >>201
秀吉は実質淀にのりかえ、家康は名門今川関連のむすめ。 >>202
蒲生氏郷の家臣の話をその息子が
聞いて書いたんからいいんじゃない。いちいち無意味な揚げ足とらないでくれる? >>203
秀吉の場合は出世したら淀が実質正室だったというのならば
正室交代は思ったより簡単で斎藤家滅亡後の濃姫は何の後ろ盾もなくなり用なしだから
跡取りを産んだ別の女性が新たな正室になったという生駒正室説が通るよね >>205
全然違うでしょw
だいたい神戸政房の話もどこが出どころか分からず
信長娘が蒲生氏郷正室なのだから信長娘・冬姫への直接取材に決まってるじゃん!というけど
冬姫母の出自すら分からず
勢州軍記は直接冬姫に取材したものでなければ織田家奥に詳しい人が書いたものではない >>207
そんなこというなら吾妻鏡や太平記
信長公記すら
疑わしくなるでしょ?何を保護したいのか
わからんが往生際悪い。 >>203
築山殿は関口親永の娘
家康に嫁ぐに当たって今川義元養女となったでもないので今川関連とは言えない
築山殿の母は今川義元の妹とされ女系は今川だと言われていたが
井伊家の史料で築山殿の母は井伊家の娘で(直虎の祖父の妹)
義元の側室として差し出された後、義元が養妹として家臣に下げ渡したと記録され
大河「おんな城主直虎」ではこの説が採用された
これだと今川とは血縁関係すらない >>208
鎌倉幕府の公式史料である「吾妻鏡」と
後世に書かれた軍記ものの「信長公記」を同列に扱ってる時点で
阿呆としかいいようがないw >>210
鎌倉幕府だって滅亡しているわけだからね、
足利家が手を加えることもできる。 >>209
築山殿は名門だよ。すくなくとも吉乃より。
しかも君の好きな成功夜話なら吉乃くんは
輿にすらのれない卑しい身分だったそうじゃないか >>195
公家や有力大名からも一目おかれていた右筆トップや
軍鑑トップの重要性を知らないお坊ちゃんなんだろ
だったら光秀が武田や上杉、毛利らと公私ともに直にやりとりしたり
朝廷代理みたいな役目もった公家と一緒に九州に下向したりしたのかよ
って話なんだがそういうのも知らないんだろうよ
こいつの理論だと信長はこういう重要なことを下位にやらせていた
バカってことになるんだぜ >>211
だから何種類かの当時の違った信頼できる
筋と言われている資料から検証していくしか
ないんじゃないの? >>209
その井伊家の史料はどこまで信用できるの? >>212
輿に乗れないないなんてどんな家だ、、
絶対信長嫁はありえないね、そんなん
正室にしたら家臣から暴動がおきるよ。 そもそも生駒について分かっているのは清洲で信雄を産んだ、これだけ。
これで正室ではねぇ。
淀も吉乃と同じように小説などの設定が広まっただけだと。
信長って子供の母親の実家を養子に出したりする時に付けるのが多いのね。信雄には生駒がつけられてるけど 嫡男信忠には用なし嫁の弟や美濃衆。これはいかに?
子なしの用なし嫁の美濃、斎藤衆は織田重要ポストにいるけど生駒は存在感なしよ。能力主義だったとしても吉乃が正室だったとしたら嫁の実家の扱いが酷いよね。
吉乃を入れた小説を書く人も正室説を唱える人も信長生前に尼になってることは無視なのね。
道三の娘が正室であったことは事実で正室が変わったりしたのなら必ず記録は残るし息子である信雄系の資料でも側室なのだから。 >>213
まず下位の者が大名とやりとりとか普通にあり得んわな
まあ楠の自己判断話とかも知らないのだろうから許してやれ 江戸時代だかに作られた信雄が出したとされる織田の系図をデジタル図書で見たことあるけどそれにも正室は道三の女「娘」1人。
もし信雄母の生駒が正室もしくは継室になっていたとするならば残ると思う。信長の父信秀には書いてある。
でもなんで生駒は信長推しなんでしょうね。徳姫は徳川の子供を産んでるし信長よりも秀吉時代の方が生駒は少し活躍したのだから。不思議だ。
斎藤の血も現在までたどればすごいとこまで行くんですよね。 >>206
閨の話ならともかく実質正室ではないね、秀吉は存命中は輿の順序にしろ
戦に淀や竜子を帯同させるにしてもを北政所から指令を出させている。
どれほど淀が威張っていても位一つもっていないし、北政所は従一位だね。 >>212
濃姫も斎藤道三が死んだあとは濃姫同母弟が尾張に亡命して
信長の息子の親衛隊として城も与えられずに手勢扱い
かなり身分は悪く
信長重臣の羽柴秀吉、滝川一益、丹羽長秀のように大軍を預けられる立場にもなかった
信忠乳母で信長側室の慈徳院よりも立場悪くない?
慈徳院は滝川一益の近親で滝川家の援助で妙心寺に信忠の菩提寺を創建するくらい財力があった
濃姫は何もしていない >>221
秀吉だけおまえと同じ賎民出身だからじゃね? >>222
2000貫に14郷貰って待遇悪いとはいえないね >>224
うける、北マンだけ足軽むすめだけど
濃姫も築山殿=せな姫も姫だからね。
輿に乗れないやつとは違う >>222
現在価値で億になる2000貫近く信長から与えてもらって待遇が悪いって。
濃姫を咎めたいだけなんでしょうけど。 城も佐藤氏に婿入りって形だけど加治田城もらってなかったっけ >>206
信忠母は生駒ではないのが今の見解だね。江戸時代でも濃姫が正室と伝わっている。大名でもない身分の女が正室になっていたのならそれこそ残るって。
淀と生駒は違う。例えば淀を正室しても使い道は多々あれど生駒を正室にしたところで使い道は全くない。 浅井三姉妹は大名の娘(宮中参内できる官位あり)。大名の娘は大名に嫁ぐのが原則(両家の身を守るための政略結婚)。
濃姫(油売りの娘)や生駒(武器商人で娘)なんて成金土豪(無官位)の娘じゃねぇか! 一応濃姫は出は油売りの娘でも道三は大名になったわけだし小大名だった当時の織田とは良い感じよね。
生駒娘は知らんけど。
当時は政略がほぼでなぜ濃姫だけが政略結婚だから愛がないだの言われるのかな。 >>230
濃姫と生駒をいっしょにしちゃまずいでしょ?
濃姫は名門明智家と大名道三の娘で帰蝶姫なわけで輿にも乗れない怪しいイコマンとは違う
成金でも道三は国持ち、加藤清正が成金だから
生駒といっしょとは違うし。清正も大名。
まして濃姫の縁談は織田家の方が再三渋る
道三に持ちかけたと伝わってるけど >>226
築山殿は本名不詳
家康が今川を裏切り織田と手を結んだあとは
家康のいる岡崎城に入れず
築山にある西岸寺に軟禁されていたから築山殿なのに
濃姫も江戸時代末期成立の絵本太平記などに登場する呼び名ね >>227
秀吉や一益や勝家が信長から何万石もらってたか分かって書いてる? >>227
美濃一国所有の大名家の跡取り
信長が誰よりも大事にしているご正室様の実の弟君
少ないよね >>232
濃姫が大名家の娘だったのは道三が生きていた頃の話ね
そこまでは正室だったでしょ、問題はその後
濃姫は異母兄の義龍と対立する立場で後見を受けられず
濃姫の同母弟は尾張に逃げて信長の息子の手勢として仕官
大名家としての斎藤家そのものも永禄4年に滅亡したから 道三死後の方が濃姫の存在価値は上がったと思うけどね
道三の婿である自分こそが美濃の正統な後継者って主張できるし 「義父」である道三が乗っ取った稲葉山を、信長は「岐阜」と改めているw
流石信長、洒落が効いてるなw >>237
道三は美濃国譲り状を出したが何もしてやることなく死亡
信長は戦をして斎藤家から自力で美濃を切り取ったし畿内にまで進出した実力者
「美濃は濃姫さまのお陰で手に入った土地。
濃姫さまを大事にしないと美濃国衆は濃姫さまを擁して戦うぞ!」でも何でもない
そもそも斎藤道三自体が新興(美濃国・守護代斎藤家は古くからあるが血縁なし、道三が勝手に名乗る)
織田家は越前織田荘剣神社神官の流れで
室町時代初期から尾張守護代を勤め以来の家系図を所持しているが(信長は分家)
濃姫の場合、三代前の名前すら不詳というかなり卑しい血筋
道三の父の代にはじめて美濃へ流れ着いた新参者で美濃土着ですらない >>238
佐々木六角氏時代、安土山は留守番家老の目加田氏の邸宅があったため、目加田山と呼ばれていたのを「平安楽土」から改名したらしいyo!
でも案外、室町幕府滅亡後「事実上」将軍となった信長のことだから、天下人=天下(日本全土)を安堵(安土する者)人から付けたのかもw >>239
それでも正室だから大事にされてたんだね。 >>239
美濃国土岐源氏の一派である明智光秀は濃姫の従兄で、織田家臣では外様とは言え、
信長の右腕と言える異例の大出世をしたのは、将軍義昭や朝廷との交渉能力はもちろん、従妹の濃姫が信長正室だったおかげかも。
濃姫は信忠を養子にしたのも、美濃衆を見方に付けるべく光秀が動いた可能性がある。
その光秀の働きも忘れて信長は…orz >>242
濃姫が光秀の従妹ということは、濃姫の母は土岐源氏(明智家)の出身だったというこつ?
斎藤を名乗った道三も、土岐源氏との婚姻で地位の安定を図った結果、生まれたのが濃姫と
光秀と言えば、家康の腹心・南光坊天海が光秀本人または光秀落胤説があり、初対面の春日局(斎藤福…父・斎藤利三、母・稲葉一徹の娘)が「お久しゅうございます」と挨拶したとかw
日光東照宮には丸に三葉葵紋と並んでなぜか桔梗紋…そして同じく日光にある天海僧正菩提が明智平…濃姫(信長正室・安土殿)も明智の一族なら、当然家康が春日局同様、厚遇しただろうことが想像できる 武功夜話が最初から
これは歴史ももとにした歴史小説です
と売り出せばよかったのよね。そうしたら揉めることなかったのよ。
今日立ち読みした本に濃姫は資料は少ないが実在した人。生駒の方が信長の子供を産んだのは事実だが吉乃と言う女は存在すらしていないって書いてあって、ちょっと驚いた。
信長本=吉乃アゲアゲだから。
ネネにおんなどもが子供を産んでも正室は変わらないと自分で言ってるのだからそれが答えなんだよね。
別スレの戦国の女とか言うのも覗いたが濃姫が少しでも良く書かれるとおとがめちゃんと吉乃好きが来るのね。
一番の寵愛はお蘭で良いじゃない。お蘭も美濃だっけ 光秀なしで信長は天下を取れなった。
信長の天才的なアイディアやカリスマ性は、有職故実に詳しく足利将軍家や朝廷藤原摂関家近衛前久ともコネがある光秀の政権構想力や交渉術があってこそ実現できたのであって、濃姫を軸とする車の両輪となって上手くいっていた。
丹波攻めで八上城に人質として差し出した生母を磔刑にされた光秀を必死で慰めたのは濃姫だったことは間違いない。
甲斐の武田氏を滅ぼした祝賀の席で「我らも骨を折った甲斐wがござった」と洒落た光秀に、血相変えて「骨を折ったはこのワシじゃ!うぬらが何をした!」と怒鳴り、光秀の頭を掴んで欄干に打ち付けた信長。
この辺りから信長に対する殺意が湧いたのだろう。
続く四国征服に取り掛かる段階で、恭順の意を示してきた長曾我部氏への対応を巡って、その両輪が対立してしまった。
恭順してきた以上、領地を任せて次の標的である九州の諸大名に見本を見せるべきという光秀と、家臣団に人気のある三七・信孝にも領地を持たせてやりたい信長
本能寺の変が起こったのはまさに四国征伐の出陣の前夜6月2日。「時(土岐)は今、雨(天)が下し(知)る 五月かな」(下知=号令を掛ける)
濃姫は表にこそ出ないが、信長正室としてよく働いていたと思われる。 最近読んだ素人さんが書く信長と濃姫の小説に信忠は信濃の子供だけど当時の美濃、尾張の情勢の事を考えて出産後間もなく信頼のおける侍女に預けた。
だから信忠の母は資料には名前がない。となっててありうることだなぁと思った。 >>245
すっごくわかります、けど本能寺の変て
光秀がかわいそうだと信長が悪くなり、
信長に同情すれば光秀が悪くなる。
では織田家惨殺した秀吉、てぐすねひいた
細川藤孝、裏切った前田利家、等々。
井上慶雪 秀吉の陰謀とか読むと益々
信長も光秀も悪くない気がしてくる〜 >>243
そうだよ
帰蝶濃姫の母は、道三の正室・小見の方という、明智光継の娘で、光綱(光秀の父)の妹。
明智光継→兄・光綱(→孫・光秀)&妹・小見(→孫娘・帰蝶)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%83%E5%A7%AB
濃姫が本能寺の変後の史料に出てくる安土殿(他に相当する側室はない)とすると、その後も生き延び、
北政所高台院同様、豊臣・徳川政権下で織田家存続のために尽力した可能性が高い 帰蝶の出典は江戸時代に成立した『美濃国諸旧記』であるけれど
これは道三の一代説で一次資料と合致しない点が多く
吉法師の恋人だから吉乃とおなじくあやしいとかしか言いようがない
武功夜話のように昭和の創作でないだけ幾分真実を含んでるかもしれないが
その説を取るなら
『美濃国諸旧記』によれば、信長生母は六角高頼息女とされているぞい?
濃姫ヲタは「キャー帰蝶なのよ!かっこいい名前」
「キャー土田御前が六角の姫君なんて根拠薄弱で、ありえないの!」
と気分のままに放言するが、全く支離滅裂なことを考えて頂きたい 濃姫ヲタも吉乃ヲタもどっちもマムコ臭しかしてこない >>249
別にそんな風に騒いでないんじゃないの?
本能寺の変が本当の黒幕が疑問なように
一次資料に●結婚した●喧嘩した●信忠養子にし
にした、となり、続きを読む読者のような
気持ちで濃姫を見る、そうすると
他に最愛な女性がいた、となり、よく見ると
吉乃だか類だか、で誰やねん?と読み進める
と嘘っぱちばかりの吉乃話にあたるから
皆イライラするわけさ。 >>252
吉乃だか類だかの話が信憑性あれば
だれもどうこういわないよ。
読めば読むほど嘘つきイコマン賎民吉乃が
嫌いになるのさ。ショーンKなようなもんだね
吉乃くんは >>249
その吉法師の女だから吉乃を素敵ーって思って今だにブログに書いてる人がいるぞい。
吉乃は信長が唯一愛した女です。と来たら濃姫は政略だから愛はないとな。
そういう人は調べないんでしょうか?5ちゃんをみたら全てがわかるぞ(笑)下手な信長本よりも。 >>248
武家として「清盛21代」と桓武平氏を自称した信長が、(土岐)源氏の娘である濃姫を迎え入れ、自分の子供に源平両家の地を流してやりたいと考えたことは想像に難くない。
結局男子を産めなかった信長正室・濃姫が信忠(生母=武器成金で土豪生駒家の吉乃)を養子にして美濃衆の支援を図ったのは、濃姫の母がその名門明智家「源氏」出身だったためで、道三のおかげじゃないんだね。
本能寺の変で妙覚寺の信忠も討ち取ったのは、自分の従妹・濃姫のおかげで源氏ということにしてもらった信忠の生母(生駒吉乃)の身分の低さに対する鬱憤もあったのかも
「貴様など、所詮土豪の孫!こちとら応神天皇(八幡神)清和天皇に連なる(土岐)源氏の血筋なんじゃゴルァ!」ってw
どの国でも貴族、つまり王家、皇帝や天皇に連なる血筋であることは、とても大切! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています