信長の正室濃姫・まむしの娘の謎 2
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>>681
築山殿もハッキリ名前の由来が分かっていないしありそうだね。彼女が住んでいた
屋敷の庭が見事だったとかいろいろな説がある。信長って側室には鍋とか杓文字とか
家来にはきんか頭とか禿げ鼠とかあだなつけるし女性には台所用品とかのあだ名付けたりするね。
側室は台所にチョット置いてあるもの位の認識だったのかな? >>686
常盤御前ね、子供の助命のために清盛に身を任せたとか言う、多分それなくても
義経は助かっていたと思うけれどね、嫡子の頼朝が助かっているんだから。信長が
濃姫の侍女に手を付けたという逸話はあるそうだね。各務野ではないんだね? >>683
戦国期になると順番とか関係なくなっているし
見栄やもっと男児に恵まれるようにとわざと大きい数字を
あてる場合もある(これの逆バージョンが末やとめ)から
別におかしいとは思わないけどな
曾我兄弟なんて兄ちゃんは十郎で弟は八郎だぞw
信忠のは多分道三が新九郎だからそこらから引っ張ってきたんじゃね
>>689
台所用品ではないが帰蝶→几帳だったりして…
部屋を仕切る→奥を仕切るみたいな感じで 斎藤道三は新九郎と名乗っていたし濃姫の養子が九郎を名乗るのはかなり気を使った名付けでしょ
新九郎義龍-勘太郎龍興親子を否定する意味で勘九郎を名乗らせたようにも見える 一番ひでえのは那須与一だよね
世間一般的には十一男だから余市というが、母親が卑しいから兄弟に入れない
余り物じゃん。。。
それが家督相続するんだからスゲーというか ジャップっていい加減だよな
鈴木一郎だって長男かと思ったら違うし 伊勢新九郎盛時、北条早雲という下剋上の英雄がいて
それにあやかったのが斎藤道三だろう
早雲は九男だったかもしれないが備中で三百貫の領主だったといい
九男じゃ土地相続できないだろう
鎌倉時代の判官九郎が世に名高く、室町時代は九郎ブームだったのかもしれない そもそも道三の父の代から義龍まで三代に渡って九郎を使ってる
生まれ順の名付けをする場合もあるけど名前が必ずしも兄弟の順序を表す訳じゃない
信長の息子なんて父の三郎に因んでか三介・三七郎・源三郎・三吉がいるんだぞ 信長はこいつと結婚させられて
殺される所だったんだぞ!
可哀想なのは信長だろ? >>692
ごめん間違えた、喜太郎龍興だ
勘九郎は濃姫の祖父の別名西村勘九郎から付けたのかな 信長「おまえは家にこもって文字ばかり書いてるから記帳な!」
濃姫「は・・・(ありえないし」
老女「上様より拝領いただいた★帰蝶★とはすばらしい名前でございます。祝着至極にぞんじます」
濃姫「そう言われると、いい名前のような気がしてきたわ!」 >>690
各務野は小説とかでの名前だと思ってた
濃姫侍女だったとされる女性で個人が特定できるのはえいだけじゃないの? >>700
そうでしたか!史実とフィクションがごっちゃになっていましたありがとう。 信長の4女えい姫は、前田家に嫁ぎ、生駒のむすめとされる
濃姫の侍女がえい
「うーんあやしいな、それは生駒の作り話ではないのかぁ?」
えいが信忠と永姫をうんだ?生駒の策略で捏造された? えいって妙向尼じゃないのか
濃姫のお付きである林家の娘の 妙高尼のつもりで書いた
あと自分は信雄と永姫が生駒腹なんじゃないかと思う
ただそうなると正覚院が誰?となるけど 妙向尼が信忠の母親なら、奇妙丸のなぞもとけるな
奇蝶と妙向のいち字を取ってる 奇と帰じゃかなり違うというか
帰蝶じゃなくて胡蝶だって説もあったべな 永姫の母親についてはほとんど記録がない。
加賀藩『本藩歴譜』では「1618年(元和4年)3月3日に越中守山で没する、母は生駒氏、春誉妙澄大姉」としているが、
この永姫の母親とされる春誉妙澄大姉については没年1618年(元和4年)以外の事は全く不明である。
すくなくとも生駒吉乃(没年1566年(永禄9年))とは無関係。
ほら生駒の捏造じゃん
信雄が金持ちの前田家と繋がりが欲しくて、生駒腹にしてあげよう、とねじこんで、前田もまぁ^^いいかという その生駒が尾張生駒なのか大名生駒なのかだな
なんでもかんでも尾張生駒や信雄を悪者にすることはなかろう
もしかしたら前田家で誤伝していた可能性もあるのだし 森家も濃姫と近しい関係だっただろうし
手紙とか残ってないのかな 妙向尼が信忠の母親なら30歳で妊娠という計算だが、どっちの種かわからんね
信長はもちろん身に覚えがあったろうが
濃姫が侍女に相談されて信長にごりおし「私が育てるからどっちでもいいでしょ」
「後継ぎは早急に必要でございます」と自分で養子にして奇妙丸としたとか・・ >>710
生駒ひいては信雄を叩ければそれでいいんだろ
信長アンチみたいにアンチスレ立ててそこでやればいいのなw >>712
安土を建てた事もあるけれどアッサリ岐阜城を信忠に譲ってるよね?なぜ本来の尾張
を長らく本城にしなかったのか?山城で防衛上は堅固だったろうけれど地の利は尾張の方に
あると思うけれどな。 織田の家督は信忠、天下は信長。その天下すら譲ってるぞ 尾張人は織田家に対する忠誠心はあるけど古い敵も多い
尾張をでて旧勢力は排除する
信長はあまりに独裁権力を強化しすぎて周囲をエリートで固め
世評がどんだけ悪くてもあまり気にしなかった
おやじさんの国尾張やよめさんの実家美濃ならそれでもいいが
安土城で完全に領主として地から浮いてしまった
あの足利尊氏親子でさえ京都で何回も攻防戦をやり、追い出されて
旧政治勢力に手を焼き切ってるから
田舎大名が京都に入らないのは賢明で己を知っていたと言えるが
あまりに京都に気安く接近しすぎたといえる 濃姫侍女がのちの妙向尼一人だけなわけない
侍女の中から側室になった女性がいるかもしれないが、侍女だった女性の中で個人が特定できるのは妙向尼だけって話だろう
妙向尼が信長側室だったとは誰も言ってない気がするけど違うのか? 永姫母が生駒かどうかはおいといて
春誉妙澄大姉が戒名なら前田家にある信長と夫婦セットの正覚院だったかは誰なんだ >>717
何レスか前に信忠の母だのなんだの書いているのがいるけどなw >>719
本気で書いてるのか、突っ込み待ちなのか、生駒ネタで自演したいのか
よくわからないレスがあるよなw 信長と濃姫がうまく行かなかった要因は食い物にあると思う
尾張は海に近く信長は小魚やチリメンジャコばかりくっていた
美濃は冬はボタン鍋、夏は鮎料理である
岐阜にはイノシシ肉や鶏肉、味噌を朴の葉に乗せて焼く料理もあるが
斎藤義龍がなにをくったのか知らないがとんでもない大男だったとされてるから
おなじ家で育った濃姫も大きかったに違いない
山梨や美濃のような内陸の人は、海沿いの人とは食い物が違えば体臭も違う
英国のジョージ国王はドイツから肖像画をもとに美人の花嫁をえらんだが
あまりのワキガ臭に気分が悪くなり、一晩寝るだけで追い払って二度と近寄らなかった 美濃と尾張が食いもんが違うのは事実でしょう
夫婦で食の好みが違えば同席して食事もできない
斎藤家と織田家のいくさが長く続いた時
濃尾平野で経済的に密接な関係もつ美濃人は交易収入が減って
尾張との戦いは厭戦気分になる
道三はこれを知って適当なところで手打ちして尾張と経済交流をはかったが
斎藤義龍・龍興はずっと敵対関係だったため困窮した商人の支持を失いほろびる
美濃を調略した秀吉も、もと針売りで商人と密接な関係がある なんで夫婦好みが違うと一緒に食事できないの?意味わからん。昔NHKで家康を
もてなした時の料理が出ていたけれど豪華で今の会席料理と大して変わらなかった。
山海の珍味という感じで。懐石のような簡素アッサリって感じじゃなくて。 「カツオのたたき」は、野蛮人の食事とみた一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、
土佐の人々は、表面だけ火であぶり、
「これは焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理
山内一豊は岩倉織田の家老のうまれだから尾張でもわりと内陸の方で
のちに近江の長浜城主になって京都にすんだ。生魚をくう習慣はない
家康は鯛の刺身が好きだったが
生魚を食べようと言っても内陸の人は気持ち悪くてくえない 川魚は生食が出来ないしな。そういう習慣は抜けないやね 安土饗応のマナカツオ、タイ、スズキのお刺身。
家康の好物が鯛だったこともあり、光秀は海の魚を用意したのですが、
このとき試食した信長の怒りを買い、叱責された
丹羽長秀が交代を申し付けられ、そのあと家康は京大阪見物でもと指示
信長の真意はべつで、紀伊国・鷺森に移った本願寺顕如を「みなごろしにせよ」と
丹羽長秀に命じ、そのあと光秀の謀反で本能寺で討たれた
本願寺顕如は手勢がほとんどなく死を覚悟したが
長秀ら軍勢は鷺森にむかうとちゅうで中止、秀吉に光秀は討たれた
顕如はあらためて秀吉と和平の交渉した
このへん謎が多いね うーん、信長が光秀に怒ったのは料理じゃなくて別の件でしょう
まあソースがあって提示して頂けるのであればありがたし
丹羽長秀も四国討伐の準備中だったかと、それも副将格でだし
本能寺の変についてもタイミングの問題だと思うな、討てるタイミングが出来てしまったから討たれたとも言える、下克上真っ只中の時代だし 天皇の仲裁で和睦した相手を和睦から年数たってもいないのに
露骨に殺せ命令だすほど信長も愚かじゃあるまいに… 本願寺にのこってる記録だから。
歴史家はあまりこれをふれない。宗教を刺激したくないと考えてるんだろう
天皇や公家や寺社の繋がりは深いし歴史もながい
経済力も並の大名を遥かに凌ぐ本願寺は管領細川に疑われ討伐されて
かつて、京から大阪に追いやられて講和した
織田との戦争もさほどではないが、本願寺顕如のみなごろしとなればべつ。
信長にしてみれば実弟をはじめとする武将が多数、本願寺に討ち取られてるから
当然の判断であるが
本願寺は畿内に大勢力持つほか、信玄の正室三条の実妹が、顕如の正室如春尼でもある
武田退治したあとにかねて懸案の本願寺門跡をかたずけてしまうというのも流れ
ただ、、内部のきしみをおこし信長の死につながってる
とうじの貴族は死後のたたり、仏罰を恐れていたから、坊主は天皇や公家に畏敬されていた
宣教師によれば濃姫は熱心な仏教徒で
明智光秀の主である濃姫が「信長を殺せ」と命令したとしても、宗教心がらみだとすればありうる話 当時やばかったのは高野山だから。高野山黒幕説でも立ててね 濃姫は大国美濃のおひめさま
信長より大金持ち、当時の女性は夫婦であっても財産はべつ。
濃姫の財産の管理、執事が明智光秀
それだけの大領を与えられた
もちろん光秀は戦争でも働くし家康がくれば接待もする
ふつーは同盟者の家康がくれば奥さんが接待するもんだが
濃姫はあまりに偉すぎて光秀がはたらいたと見る
そこで明智光秀を蹴倒し「土地はぜんぶとりあげる。遠国に2カ国あたえる」
これは美濃斎藤株式会社のお飾り社長だった、婿の信長が
いきなりオーナーの濃姫の土地やマンションをボッシュートして赤の他人に売り払う
事態でしょうか
さて貴女が濃姫だとして、婿のダンナがいきなり貴女の実家の土地を売ってしまったワハハ
どうおもうでしょう?殺すんじゃないですか? >>宣教師によれば濃姫は熱心な仏教徒で
これはどこかに書いてあるの??ルイスフロイトが安土に女王の部屋があるとは書いてあるが
女王本人については書いてないでしょう? この間から変な人いるな
フロイスといえば数年前に岐阜城跡から出てきた瓦が彼の記述と噛み合ったのは驚いた 女王の部屋があったのは安土じゃなくて岐阜の館じゃね? >>739
本能寺の変の後、安土城留守居役の蒲生賢秀が
信長の妻子を安土城から逃がした記述があるから
濃姫が岐阜城にいたなら信長とは別居
まあそこまで生きてたかも分からんが >>739
そうだよ
それで女王の間の記述と合致する出土品が発見されたんだったはず >>740
フロイスが岐阜城に行ったときにもう安土城があったの? >>742
安土には信長が最愛の女王・濃姫のために最大限の贅を尽くした
女王御殿はなかったんだ なんでもケチつける人がいるな。
奥御殿があるでしょうに。安土での信長と御台の部屋は隣同士だったと何かに書いてあったな。 安土城の天守閣は日本にまずない高層居住施設だった
織田信長は塔の上で生活したとされる
のちの日本のお城の天守閣は、人が住むようにできてない。飾りである
ほぼ日本最初に出現したのでまだ構造も役割も自由で
信長の命令にそのように作られたものの、エレベーターもない時代で
階段を上がったり水を持ってきたり、風呂にはいったり、便所とか
アレコレ考えると家来は大変だったろう
恐らく地震国で高層にすむのはむりがあり、この形式すたれたのだが
たぶんズシンとくる地震が一度でもあれば木造建築の八角堂は揺れまくるし
蒲生が退去するときに女中が火をつけてくれと頼んだのも嫌な建物だったからだろ
信長は変わり者で高層マンションに満足したとしても濃姫はどうだったかね。 >>744
その御台がいったい誰かという問題はあるね、濃姫だろうが。蒲生の記録によれば 他の戦国女性も名前やら何やらあやふやでも消去法で確定したりするよね
濃姫は何かと記録がないと言われがちだけど
御台や本妻という書き方なら結構記録があるように思う 他の戦国女性も名前やら何やらあやふやでも消去法で確定したりするよね
濃姫は何かと記録がないと言われがちだけど
御台や本妻という書き方なら結構記録があるように思う 他の戦国女性も名前やら何やらあやふやでも消去法で確定したりするよね
濃姫は何かと記録がないと言われがちだけど
御台や本妻という書き方なら結構記録があるように思う >>749
吉乃が亡くなってお鍋が本妻変わりだったとよく聞くけど
お鍋の可能性もある お鍋こと小倉の方(信長はこう呼んでいた)が本妻代わりだった
なんて史学の世界じゃ完全否定されていることけどな >>751
お鍋は御台所の扱いだった記録はたくさんあるけどな 大徳寺の信長葬儀にも信長妻としてお鍋が参加
大徳寺ゆかりの養華院もお鍋の可能性が高い
濃姫は大徳寺と接点なし 信長の葬儀の参列者に濃姫の名前がないんだよな
ということは… >>741
岐阜城の夫人も濃姫だったんかねえ
濃姫は愛する父道三と暮らした稲葉山城のままのほうが良かっただろうに
稲葉山城をぶっ潰して信長好みの金ピカ仕様に全部新造された上
岐阜城と改名までされて稲葉山城は闇に葬られた >>752
濃姫の本名がお鍋だったらどうするんだよw お鍋のそんな記録を見たことないわ。あったら完全否定などされないわな。
御台扱いだったのに織田から完全スルー >>757
わらわら湧いてきたね、吉乃は存在自体怪しいのに。 来年光秀大河だから、どっかの屋根裏から新資料出てくるだろうな 山科言経の日記では「前右府妾」だよね>お鍋
あと、いくら秀吉が簒奪者とはいえ元主君の正妻(的存在)を
自分の嫁付きの侍女にするなんてことはしないと思う お鍋が寵愛と言われたのって生駒同様3人
産んだのと寺への書状で云々なんだけど
側室の時の記録は一切ないのね。
御台と呼ばれた記録があるのなら信長の妻妾問題が
一気に解決してるはずなんだけど?
それなのにいまだに武功よりの吉乃ばかりなのは
なぜ? 信長御台所お鍋で検索したらどう?
そういう検索でたくさん調べた >>751
そもそも話で信長は小倉と呼んでいたのなぜ
鍋という名がまかり通っているんだろ? あっ、そう言う事ね。検索したよ。
資料でも出たのかなって思ったら個人の歴史考査
のブログ等か。信長妻妾関連の新しい資料が出たのかと思った。
鍋のエピは小説のなどの類いが俗説になったものだから。吉乃と同じよ。 >>765
秀吉等の書状関連じゃない。
小倉鍋、なへと書かれてあるから。 検索してきた。
10年以上前の濃姫スレを見てこっちにきたら
小倉氏が御台と呼ばれた記録があると読んで
信長関連の妻妾資料は武功以降長らく
出てないから一次でも二次でも地誌でも偽書でもあるなら読みたいと思ったじゃない。ワクワクしたのに。 御台所とか正室はよく出てくるけど濃姫かお鍋か、はっきりわからないんだよね フロイスの言う女王の部屋も濃姫かお鍋かはっきりわからない 小倉氏の連れ子の扱いが嫡子格ではないから
小倉氏が継室というのは苦しいんじゃね 信長の妻妾は昔から変わらないのね。
永遠ループ。
自分が信じる説が寵愛されていて吉乃=正室格 鍋=御台ならそれで良いと思うわ。
結局のところ信長の女に関する資料がどーんと出てこない限りわからない。 20年ぐらい前にはいたね、小倉氏寵愛説を
声高らかに言ってた人たちが
それでもいまだに武功よりの吉乃
まぁ、察しろって話だよね。 御台扱いならねねの侍女になる必要なかったと思うけど
主家の正室が元家臣の妻の侍女になるって普通あるの? >>774
安土城でお鍋が正室ってよく見る
濃姫は全く見ない >>774
主家の娘が妾の娘の侍女にされた例ならイギリス王室辺りにあるけれど
その後その思い上がった妾は死刑台行になったな。信長の奥は乱れがなかった
ので有名だから正室がしっかりと取り仕切っていたんだと思っている。
何で一部の人間がそこまで吉のや鍋に執着するのか分からないけれど冷徹な
独裁者にもそんなロマンチストな面もあったと思いたいのか、ただ妾やその一族が
しゃしゃり出ると碌なことにならないのは歴史的にもよくある。 信長の女関係は本当に堂々巡りだね。
信長に関してはお持ち帰りしたとされるあここ氏
本能寺の変の原因になったとされるつまき氏
偽書の生駒氏ぐらいしかないのよ。
小倉氏は側室時代の事は皆無。
小倉氏が信長の御台や正室であったのなら
ら使い道があると思うけど結局は1側室で頭の回転が速い人だったから侍女にしたたけだと思うけどね。
小倉氏の出自で当時の織田の御台などだったら
様々な資料にそれこそ出てくるよ。 御ツマキは側室じゃなくてただの侍女って見方が多いようだが 仕方ないよ。信長関連の本はいまだに吉乃とたまに鍋だもの。残された資料から見れとれるのは
信長が特定の側室を寵愛したと言う記録は全くない。
吉乃とされる生駒氏も小倉氏も他の側室と変わりない扱いだった事がわかる。 >>780
知ってる。…と言う説もあるよって話。
きちんと調べると鍋情報は俗説であることがわかるし側室以上ではないってわかるんだけどな。 信長を弔ったのはお鍋だからな
北の政所はずっとお鍋の面倒を見た お鍋は秀吉へのすり寄りがすごくて、ちょっと引く
信長死後に生きていくために仕方が無い事ではあるんだろうけど 俗説を史実と信じてる人もいるから。
位牌所の件もナへと言う人が設置したから
ナへ(な屋)だから お鍋だとなっているだけで結論は出ていない
とりあえず濃姫が不幸せで吉乃と鍋が正室なら良いらしいよ。 弟の利治に養子の信忠、閨閥関係で密接な池田、森と濃姫に近しい人は本能寺前後で皆いなくなっちゃってるからな
信長もまさか信雄の家系が残るとは思わなかっただろうよ 信長の正室 側室は資料が乏しくその関係性は憶測でしか語れない。
歴史家もここで語る素人も説を言い合ってるだけだもの。10年以上前から同じことばかり。 子供も産めない女は当時価値ないからな
しかも齋藤氏との政略結婚の意味も消えたわけだし
濃姫正室説を否定するのは自然じゃねーか >>788
信長がよほど濃姫を愛してたらフロイスの言う女王は濃姫だろうが
どうなんだろうな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています