邪馬台国九州論 2番目
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邪馬台国畿内説が完全に破綻し、邪馬台国九州説が邪馬台国九州論にレベルが一段上がったので、九州にあった邪馬台国がどうなってしまったのか、討論すれば良いな。
前回のスレッド
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1558169826/1 マッチョな弥生人は、丸木船を使ったのではないのかな。。。 >>3
野生号もなみはやも古墳時代の舟型模型をモデルに造船のプロたちが綿密に設計した船だぞ 魏志倭人伝時代のサバニは、どのような物だったのだろうか。。。 櫂という物体は、帆の代わりとしても使用できたのだったな。。。 魏志倭人伝時代のサバニは、櫂を、帆の代わりとしても使用し、外洋でも、最高時速20km出すこともできたのだったな。。。 弥生後期は古墳時代のような重い準構造船ではない
丸木舟のようなカヌーを多数隻出して
集団で渡海していたんだろう >>6
>渡海技術を持たない畿内の船だろ。
その舟型埴輪も、もちろん倭国(阿波)の海人族の舟だよ。 奈良盆地に舟はない。 @阿波 >>9
魏志倭人伝時代のサバニは、櫂を、帆の代わりとしても使用し、外洋でも、最高時速20km出すこともできたので、
季節が合えば、長崎県松浦市から帯方郡まで、10日で行けた可能性も高いのではないのかな。。。 >>6
無知無能
野生号は西都原出土の舟形埴輪だからな 弥生後期は古墳時代のような重い準構造船ではないので、
丸木舟のようなカヌーを多数隻出して
集団で渡海し、人民を捕獲し運搬できた可能性が、急激に高まってきたな。。。 >>9
東アジアの海洋型帆船は宋代の発明品だと何度言えば・・・ >>10
丸木舟のほうがはるかに浮力はないんだぞマヌケ >>12
3世紀の邪馬台国と15世紀の琉球國を混同するなw >>18
阿波説は逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 はい、次の方 どうぞ。 @阿波 >>8
魏志倭人伝時代のサバニの櫂の、羽状の部分は順風の時には、空中で風を受けるために使ったのだったな。。。 >4
キール云々は、主力に帆を使う帆船の場合の横滑り防止、ないし風とはやや違う方向へ舵を切って進むためのものだろ
また内水面の瀬戸内海でも潮の流れは航海の重要ファクターで、それをうまく利用したことは明らか。
それなのに、野生号・なみはや号の失敗を、古代人や埴輪の責任にしてもどうしようもないことさ >>21
3世紀の邪馬台国と15世紀の琉球國を混同するな無能www >>22
キールは吃水を稼ぐのが本来の機能
つまり潮流や海流を着ることが目的
キール登場以前は海面を滑ることしか出来なかった キールは吃水を稼ぐのが本来の機能
つまり潮流や海流を切ることが目的
キール登場以前は海面を滑ることしか出来なかった >>13
造船のプロと称する人間なら、船体だけはすぐ作れるだろう。
しかし当時の航海知識・航海術は簡単には再現できない。
造船プロの船体構造と航海プロの航海術、これをはっきり区別してかからなくてはならぬ。 やはり、、巨大な針葉樹で作製した丸木舟の大船団で、帯方郡から長崎県松浦市までは、10日で航海したのだな。。。 >>25
だから、九州説の根幹「行程」は崩壊している。
対馬海流に流されて「末蘆国が呼子や唐津や松浦」は有り得ない。 @阿波 >>26
そりゃそーだ
だから試してみたのが野生号となみはやの実証実験であり、近年の関野吉晴だったわけだ >>27
北風の吹く季節は、帯方郡から長崎県松浦市まで航海し、南風の吹く季節は、長崎県松浦市か帯方郡まで航海したのだな。。。 >>26
だから、九州説の根幹「行程」は崩壊している。
対馬海流に流されて「末蘆国が呼子や唐津や松浦」は有り得ない。 @阿波 失われた渡海技術を持っていたのが、博多の海神の国、倭国だったのだな。 >>34
根拠なし。 はい、次の方 どうぞ。 @阿波 >>26
なみはやの漕手は大阪市立大学ボート部の猛者たちだったけどな >>30
卑弥呼の外交官が、帯方郡に初めて到着したのは、旧暦の6月だったね。。。 キールというのは、スキーの裏面についている横滑り防止のミゾみたいな役目だろ。
但し船の場合は、ミゾが出っ張っていると思えばよい。
しかし、溝がないからといって、スキーが滑らないわけではない。
キールがないからといって船が進まないわけではない。
後世発明の帆船・動力船のキールにこだわり過ぎだよ。大陸とあれだけ頻繁に交流していたのだからね。 >>35
丹の採れないところに倭国はない。 @阿波 >>35
古代は潮流が今とは違ってた説
実は帆船を持ってた説(宗像大社の考察)
神功皇后の舵取りはオレっちに任せろ阿曇優秀説
色々あるが本当のことは永遠に分からない 邪馬台国畿内説を完全に論破されたので、討論を放棄したキナイコシが、この邪馬台国九州論のスレッドにゴキブリのように忍び込んで、悪口を言い放ったな。。。
33日本@名無史さん2019/05/29(水) 08:49:24.41
>>27
文盲は死んでしまえ〜〜〜〜〜w 数年間ボートを練習したからといって、
子供のころから鍛えたマッチョ古代人の漕ぎ手の能力の10分の1程度だろう。
野生号・なみはや壕の失敗はキールをつけなかったからだ・・、との言い訳に聞こえるぞ。
不満が残るなら、キールを付け直して、もう一度挑戦してみろ・・・ 弥生後期は古墳時代のような重い準構造船ではないので、
丸木舟のようなカヌーを多数隻出して
マッチョな倭人が集団で渡海し、人民を捕獲し運搬できたことが、学部の世界では、確定しました。。。 >>40
それは小型ヨットのフィンキールのことだな
一般にキールと言ったら竜骨のこと
竜骨のない船=構造船=底が平らな船
底の平らな船は海面を滑るしかない=海流に流されまくる&風に煽られまくる
だから準構造船といって横板を追加した船に荷を多く積み込んで吃水を稼ぎ、とにかく漕ぎまくるしかない
まさに命がけの航海
だから海人族の存在価値は異常に高かった
むしろ海人族こそがイニシアチブを握ってたと言っても過言ではないと思ってる >>43
俺は議論から逃げて自説のコピペを繰り返す馬鹿が嫌いなだけだ〜〜〜〜〜w >>45
頼むから死んでくれ〜〜〜〜
死んでくれないならちゃんと読め〜〜〜 >>45
丸木舟は漁業用
荷物なんて積めやしないぞ 邪馬台国畿内説を完全に論破されたキナイコシは、何を読めといっているのだろうか、、、
49日本@名無史さん2019/05/29(水) 09:06:09.43
>>45
頼むから死んでくれ〜〜〜〜
死んでくれないならちゃんと読め〜〜〜 >>45
バカ田大学のバカ学部の世界だろうか。。。 倭国王帥升という謎の王が、160人の奴隷を運搬した倭人の船は、どのような船なのだろうか。。。 キールにやたらと噛み付いてるのがキナイコシ。
海人族スレから追い出されたから他スレでハッスルしまくり。 準構造船といって横板を追加した船というのは、やはり、海人族というマッチョな弥生人が向きを予報できる海面の風を利用して、最高時速20km出すことが、可能だったのだな。。。 >>46
>むしろ海人族こそがイニシアチブを握ってたと言っても過言ではないと思ってる
TVみて、職業漕ぎ手の海神族の重要性を知った。
あのマッチョ漕ぎ手の分布から推定すると、
伊岐、伊万里、伊佐早、伊仙、伊良部・・・などなど、伊の付く地方と重なる。
海神伊族の活躍の海域だったのだろうか。 >>56
海面上の風を利用し、黒潮に逆らって九州から沖縄にまで移動できるマッチョな弥生人の化石が発見されたことを、NHKが発表していたね。。。 >>56
偶発的に追い風に乗れたら瞬間最高時速で20km/hあったかもね 邪馬台国畿内説を論破されたキナイコシは、僕達が発表した真実の58番のどの部分が、嘘だと考えたのだろうか。。。
60日本@名無史さん2019/05/29(水) 09:29:50.82
>>58
それは流石にウソだって即バレ やはり、マッチョな縄文人も、マッチョな弥生人も、どちらも海を知り尽くしていた倭人のことなのだな。。。 https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4187/
邪馬台国畿内説を論破されたキナイコシは、僕達が発表した真実の58番のどの部分が、嘘だと考えたのだろうか。。。
60日本@名無史さん2019/05/29(水) 09:29:50.82
>>58
それは流石にウソだって即バレ >>62
>博多には阿曇、住吉、宗像がおったんやで
それ、倭国(阿波)の海人族ね。 @阿波 >>57
>伊岐、伊万里、伊佐早、伊仙、伊良部・・・などなど、伊の付く地方と重なる。
伊や阿が付く地方は・・・・・ @阿波 博多に未練たらたら、
阿波も博多女につれなくされたのだろうな。。。 >>68
>博多に未練たらたら
丹の採れない所に興味はないよ。 ワハハハハ @阿波 >>69
阿波説は逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 はい、次の方 どうぞ。 @阿波 >>63-65
お前を嘘つきだと言ってるのではなくてNHKの番組構成がウソだと指摘しているのでは? >>63,64
俺はキナイコシじゃね〜〜〜
むしろ海人族スレでキナイコシ追い詰め追い出した側の一人だ〜〜〜 縄文人が本島から琉球まで行ってたというのはどうかなあ・・・
台湾から琉球、そして九州に上陸したというのなら当たり前だなと感じるが。
弥生時代の船は帆が小さくて役に立たなかったと言われているから、潮流まかせの航行が主体だったんじゃない?
昭和時代には東シナ海を渡ってきた難民が長崎県に流れ着いてたからね。
半島南部から流されたとしたら島根、鳥取、福井あたりに流れ着くんじゃないかな。 >>75
手漕ぎ船で、黒潮の横断は無理だね。 黒潮横断が可能になったのは、外洋帆船が発明されてから。
黒潮を横断する八丈島への島流しは、宇喜田秀家が最初という。 @阿波 木の板を継いだ部分の浸水を防ぐのが
難しい。
丸木舟で水中に沈む部分が
丸木部分だけなら制作は容易だが
木を継いだ部分まで沈む構造船や準構造船は
浸水を防ぐ木継ぎが発達しないと作れなかった。 だから、九州説の根幹「行程」は崩壊している。
対馬海流に流されて「末蘆国」が呼子や唐津や松浦は有り得ない。 @阿波 >>79
元寇は海が苦手なうえ貧相な船だったが、平戸に上陸してるよ。 >>80
平戸は出航地だよ。 日本を脱出するために集結していたところに台風がやって来た。 @阿波 阿波説は逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 はい、次の方 どうぞ。 @阿波 >>75
台湾から与那国島までさえも丸木舟で渡航は
成功したことないけど、6〜7月にやる実験は
どうなるんかな。 >>78
>木を継いだ部分まで沈む構造船や準構造船は
>浸水を防ぐ木継ぎが発達しないと作れなかった。
つまり、頑丈で、鋭利な鉄製大工道具類の発達に依ったということではないかな。
ということは、すでに鉄器技術を取得していた邪馬台国が先んじたということになる。 そういや何年か前、パラオ辺り?から沖縄まで南の島の伝統船で航海した人居なかったっけ? >>84
>ということは、すでに鉄器技術を取得していた邪馬台国が先んじたということになる。
だから、倭国(阿波)の海人族は、航海技術ばかりじゃなく、造船技術も兼ね備えていた と、何度言えばw @阿波 島国だからな
いかにユーラシア大陸の辺境の後進国とはいえ、造船技術はそれなりにあるだろう
じゃないと生活が成り立たない その通りだ。
対馬や壱岐の島民ですら、南北市櫂であったのに、そうそう流されてたまるかってんだ。 今さらだけどさ、甕棺墓ってどうやって作ったんだろう?
どこからか買ってきたのかな? >>88
>対馬や壱岐の島民ですら、南北市櫂であったのに
「南北市櫂」は、対馬と壱岐 それぞれの島内での話。
対馬や壱岐の島民がそうそう、半島や九州と命がけの行き交いなど出来る訳がない。
そんなことが出来るのは、国家プロジェクト以外、不可能。
いい大人がいつまでも夢想していてはいかんぜよ。 @阿波 >>90
一般的な解釈だとそんなに大変じゃなかったようだが。
天気の良い日は見えるぐらいの位置なんだろ?
「食海物自活 乗船南北市糴」
良田はなく海産物を食べて自活している。船に乗って南や北(九州や韓国)へ行き、商いして米を買い入れている。 >>91
>一般的な解釈だとそんなに大変じゃなかったようだが。
それはボンクラの発想。
>天気の良い日は見えるぐらいの位置なんだろ?
それがなにか? 鳴門海峡も対岸はよく見えるがw
>南や北(九州や韓国)へ行き、
そんなことは書いていない。 「南北市櫂」は、対馬と壱岐 それぞれの島内での話。
いい大人がいつまでも夢想していてはいかんぜよ。
>>92
自分のいる島で米が不作だったら隣の島も不作だろw
阿波じじいも老け込んだな。
あたまカチカチw >>93
>自分のいる島で米が不作だったら隣の島も不作だろw
米? どこから「米」が出てくるんだい? いい大人がいつまでも夢想していてはいかんぜよ。 >>93
>自分のいる島で米が不作だったら隣の島も不作だろw
隣の島? 「南北市櫂」は、対馬と壱岐 それぞれの島内での話。
いい大人がいつまでも夢想していてはいかんぜよ。
阿波説は逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 はい、次の方 どうぞ。 @阿波 阿波説は逆立ち・し・て・ も、どの説にも勝てない。
はい、現実↓
https://imgur.com/QNGlH9n >>92
>そんなことは書いていない。 「南北市櫂」は、対馬と壱岐 それぞれの島内での話。
島で作物が取らないから、対馬海峡を渡って交易していたという説明だよ。 そんなことよりスレタイの「2番目」ってなんやねん
ダサすぎんだろ
>>1は皆んなに三跪九叩頭で詫びろよw >>98
>島で作物が取らないから、
そんなことはどこにも書かれていない。
むしろ逆で、自活しているとある。 自活できる食料が島内にあるということ。
ちいさい島ながら、自活している島民に感心している記述である。
「南北市櫂」は、対馬と壱岐 それぞれの島内での話。
いい大人が自分に都合のいいように、自分勝手な解釈をするでない。 @阿波 阿波説は逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 はい、次の方 どうぞ。 @阿波 >>85
>>29に書かれた関野吉晴氏のことだと思うけど、彼は縄文人=南方ルートという持論に乗っ取って制作された
丸木舟+シングルスクエアセイル(単角帆)+Wアウトリガー(双浮子)のカヌー船
https://i.imgur.com/XgWsX29.jpg
あまりに遅くてフィリピンで独自解釈のシングルラテンセイル(単三角帆)に換装された
https://i.imgur.com/tEbkdye.jpg
少なくとも国内では平安末期まで帆船の記録も遺物も発見されてない
ちなみにアウトリガーカヌーはポリネシア諸語でアマ、ミクロネシア諸語でアンマと呼ばれるので柳田國男史観の人はワクワクする >>107
九州説はいじりネタを提供してくれるから、楽しいね。 @阿波 >>111
阿波説は逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 はい、次の方 どうぞ。 @阿波 >>112
内容的には一つの可能性の示唆程度だけどな >>115
行った可能性はあっても往復した可能性はないんだよなぁ 3世紀の鉄は半島で調達していた
<魏志韓伝より>
國出鐵韓?倭皆従取之 諸市買皆用鐵如中国用銭 又以供給二郡
「国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。」
3世紀の畿内に鉄が無いのは、
・自ら取りに行ってないから
・九州に分けてもらえなかったから
北部九州と畿内は疎縁だったという事だな。 疎遠というか瀬戸内も鉄の流入量が減少したりしてるので北九州は鉄の流通を渋ってた節がある
その後畿内が逆転してるから畿内有利に決着がついたのだろう >>119
>北九州は鉄の流通を渋ってた節がある
北九州の筑紫忌部は本国の倭国(阿波)に対し、鉄の流通に精を出していた。 @阿波 >>119
渋ってたんじゃなく、交流がなくなったんだろ 北九州の筑紫忌部は本国の倭国(阿波)に対し、鉄の流通に精を出していた。 @阿波 >>123
お前いっつも言いぱなしだけど
郷土自慢したいならせめて根拠の一つでも上げて見せたらどうなのさ >>124
阿波は四国の遺跡名や神社名を羅列することしか出来ないんだから触っても得られるものは何もないんだよ
だから古代史関連スレでは「阿波はスルー」が基本マナー >>126
そりゃそうだ
論点はそこじゃないけどな 倭国大乱の後成立した九州の邪馬台国政権、支配範囲は鉄が流通した地域
あれ?
じゃあ鉄の流通が逆転した時が邪馬台国→ヤマト王権への政権交代の時期じゃね? 逆転はしないよ。
古墳時代には畿内や東日本でも鉄が出るようになる(溶けないw)けれど、総量としては圧倒的に九州北部が卓越したまま。 そっか、まあそんな単純に短期間で逆転するなら
俺なんかに指摘されずとも本職学者さんが気付かないわけないわなw 畿内説によると、弥生時代の畿内の鉄は地質の問題で溶けてしまうが、古墳時代には地質が変わったのか、溶けずに出土するようになるw 学者はいつになったら邪馬台国時代の大和が後進地域だったと認めるのか。 >>124
>お前いっつも言いぱなしだけど
>郷土自慢したいならせめて根拠の一つでも上げて見せたらどうなのさ
初心者さん、はい、どうぞ。 北九州の筑紫忌部は本国の倭国(阿波)に対し、鉄の流通に精を出していた。 @阿波
「倭国(阿波)は鉄器王国」
倭国(阿波)では遺跡発掘が少ないにも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地7か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。
「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」 鳴門板野古墳群 西山谷2号墳
萩原1号墓の近隣地に所在する尾根を削り出して整形した、墳丘の長径20m、短径18m、高さ約2mの不整形の円墳である。
墳丘の中央部に長さ4.72m、幅 北端で1.05m、南端で0.83mの南北方向を主軸とする長大な竪穴式石室がある。
竪穴式石室は、南北6.5m、東西4.8mの墓壙全体が結晶片岩と呼ばれる阿波特有の青い石で覆うように造られている。
石室内には、粘土床があり、その上に朱を敷き詰めたU字形の刳抜式木棺を安置していたものと推定されている。
斜縁上方作銘獣帯鏡と呼ばれる中国製の青銅鏡1面をはじめ、鉄剣・鉄槍・鉄鏃・土器などが出土している。 「集落遺跡出土」の鉄鏃 古墳からの出土じゃないよ。
矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落
樋口遺跡 弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡 @阿波 矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落
鉄鏃
弥生時代になると、大陸から鉄器が持ち込まれ、弥生時代の中ごろには、日本でも作られるようになりました。この鉄鏃は弥生時代の
終わりごろのものです。大きいもので長さが約10cm、幅が約3cmあります。おそらく戦いの武器として使われたのでしょう。 「樋口遺跡発掘調査概要」
樋口遺跡は弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡であり、眉山南側の数少ない集落遺跡として注目される遺跡である。
3.出土遺物
今回の調査で出土した遺物としては、土師器(広口壺・二重口縁壺・小型丸底壺・小型丸底鉢・高杯)・須恵器・瓦器・青磁・管状上錘
・鉄鏃・鉄刀等の鉄製品とともに石棒・磨製石斧等の石製品などがあげられる。 蓮華谷古墳群(U)二号墳
当物件は、平成2年に四国縦貫自動車道建設に伴い発掘調査された板野郡板野町犬伏所在の蓮華谷古墳群(U)二号墳の出土品である。
調査により古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)の粘土槨を持つ円墳であることが判明し、本県の粘土槨の始原を考える上で重要な古墳である。
副葬品には銅鏡1、鉄製武器工具(鉄刀1、鉄剣1、鉄斧1、鉄鉇1)、装身具(翡翠勾玉1、碧玉管玉11)、土師器壺1があり、徳島県立埋蔵文化財総合センターで展示されている。
前期古墳の出土資料は全国的にみても数少なく、特に銅鏡は仿製鏡の古墳への副葬開始時期を考える上で重要な資料である。
蓮華谷古墳群(U)二号墳出土品
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/14121 大代古墳は全長約54mの前方後円墳
後円部南北径31m・東西径45m 前方部長23m、くびれ部幅18m、前方部前面幅21m、墳高は後円部6.7m、前方部3.3m
前方部、後円部とも2段築成 葺石はあるが、全体ではなく、裾部を列石状に区画している程度。
円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪、盾形埴輪の破片が出土(第1段テラス上や前方部墳頂に円筒埴輪列があり、後円部墳頂に形象埴輪が並んでいたと考えられている。)
後円部頂に南北方向に南北約7.4m、東西約4.5m残存深さ約80cmの墓壙の中に内法で長軸3.7m、北小口幅1.1m、南小口幅1.0mの竪穴式石室があり、その中に刳抜式石棺がある。
石棺内から、滑石製臼玉28・緑色凝灰岩製管玉1が出土した。
原位置から移動した遺物は、鏡片、装飾品(管玉・臼玉) 武器(鉄鏃・銅鏃・鉄剣片・鉄刀片・鉄鉾片)武具(短甲片) 農工具(鋤先・鉄鎌) 工具(鉄斧・刀子・ヤリガンナ・鉄鑿)など。
石棺の石材は、さぬき市津田町火山産の白色凝灰岩。4世紀末の築造と推定されている。さぬき市津田町「岩崎山4号墳」より少し新しい古墳とみられている。 鮎喰川下流域で最古の古墳と考えられるのは, 名東町節句山 1・ 2号墳であり, 1号墳は石蓋盤棺で鉄製品 (飽 ?)のみの出土の点などからして,
弥生時代の墳墓の可能性が指摘されている。 2号墳は箱式石棺に 竪穴式石室をしつらえた埋葬施設を有し,棺及び石室内部から舶載の四獣鏡や
勾玉,鉄剣,鉄刀子, 鉄斧 ,鉄鎌などが検出されており, 3世紀末ないしは4世紀前半に位置づけられるとされている。
いずれにしても,節句山 1・ 2号墳が古墳発生を考える上での重要な鍵を握っているように思われる。 「阿南・加茂宮ノ前遺跡」 平成30年7月6日 徳島新聞朝刊
「鉄器の製造拠点か」
「住居跡の半数 鍛冶炉や道具出土」
阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)の竪穴住居跡20軒が見つかり、このうち10軒では鉄器を製作した鍛冶炉や鉄器作りに用いた道具類などが出土した。
県教委と県埋蔵文化財センターが5日発表した。鉄器の製造工房としては国内最古級で、集落(ムラ)の半分が工房という特徴から、県南部に大規模な鉄器の生産拠点が形成されていたとみられる。
竪穴住居跡で最も大規模なものは直径が約7mあり、その内部に鍛冶炉が19か所あった。鍛冶炉は直径30〜40pで、鉄をやじりや小型ナイフなどの小さな鉄器に加工するためのものという。
住居跡からは鉄器に加え、鉄器の形状を整える台石、製品を仕上げる砥石などが出土した。石のやじりや糸を紡ぐ道具の紡錘車、古代の祭祀などに使われた赤色顔料・水銀朱を生産する石杵や石臼なども確認。
さらにガラス玉や管玉など、県内で数点しか出土していない稀少な装飾品も多数含まれ、出土品は計約50万点にも達する。
集落は、鉄器以外にもさまざまな物品を製作する工房として活用され、交易拠点としても繁栄していた可能性があるという。
県教委は2016年度から、加茂宮ノ前遺跡の発掘調査を実施。17年2月には出土品の分析などから、南西約5kmにある若杉山遺跡で採掘された原料を使い、水銀朱を製造した工房跡との調査結果を公表している。
同時期の鍛冶炉は九州や中国地方にもあり、県内では矢野遺跡、名東遺跡(以上徳島市)、光勝院寺内遺跡(鳴門市)の3か所で確認されているが、県南部では初めて。
県埋蔵文化財センターは「他の遺跡では鍛冶炉を備えた住居跡は1、2軒だが、半 県埋蔵文化財センターは「他の遺跡では鍛冶炉を備えた住居跡は1、2軒だが、半数もあるのは全国的にも特異だ」としている。 阿南市内原町 「国高山古墳」:県南部唯一の前方後円墳
四国山地から派生する津乃峰山の南麓の標高約48mに位置する。県南部で確認されている唯一の前方後円墳で、全長約50mの規模を有する。
1963年(昭和38年)と1982年(昭和57年)年に発掘調査が行われた。
墳丘には葺石と円筒埴輪が伴う。墳丘の中央に結晶片岩による竪穴式石槨が設置されていた。規模は長さ8m、最大幅1.2mと長大なもので、その大きさは県内でも最大である。
石槨内から銅鏡・石製刀子・土製勾玉・鉄槍・手斧・鉄鏃・大刀・短甲片などが出土している。 遺物などから、4世紀後半に築造されたと考えられる。
それまで古墳の作られていなかった地域に突如として現れることや、同時期に同じ規模の前方後円墳が各地に現れることなど、当時の社会状況を考える際に重要な遺跡である。
国高山古墳の副葬品:内行花文鏡、長方板皮綴短甲、鉄鏃(鳥舌鏃)、鉄剣、鉄槍、石製鞘入刀子、滑石製勾玉、鋤先、鉄製釣針ほか。
天河別神社4号墳
以前は前方後円墳といわれていたが、径20〜25mの円墳と訂正されている。
埋葬部もほとんど消滅していたが、礫敷きの粘土槨に割竹形木棺があると考えられている。
舶載斜縁二神二獣鏡片・鉄剣・鉄槍・鉄鏃が副葬されていた。 >>132
すげぇな畿内説!?
錆びるでもなく溶けちまうのか?! 「芝遺跡」http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/sibaiseki.ronnbunn.html
弥生時代後期中頃と推定される竪穴住居では、炉跡内から鉄切片・小破片が出土し、炉跡底面に焼土面が広がっていた。
そのため、本炉跡は鍛冶炉跡と推定され、U類(村上1998)にあたると考えられる。 >>147
>地質の問題で と書かれているので、弥生時代の畿内はマグマが煮えたぎってたんだろうな 内行花文鏡を持った一族が筑紫から瀬戸内を通じて西日本に移り住んだことがよくわかるね。
そしてその内行花文鏡を祭る一族の頂点にいたのが、超大型内行花文鏡を副葬された倭国女王だ。
古墳時代には畿内でも大型の内行花文鏡が製作されるが、なぜか平原遺跡の鏡よりわずかに小さな鏡までしか作られなかった。 >>147
そして殉葬者の骨も跡形もなく溶ける。
しかしちっさなカエルの骨は残るんだよ。
摩訶不思議な土壌「奈良ブレンド」w >>134,135,137-146,148-149
嬉々として14レスもムダ遣いしておいて
「筑紫が阿波に対して鉄の流通に精を出していた根拠」
は何一つ出せていない無能の阿波 >>152
奈良ブレンド土やばい
跡形もなく鉄を溶かして人骨も溶かすのにカエルの小骨は残るとは。。。 畿内説推進してるやつらは政治的ってみんな気づいてるよな
近代だけじゃなくて古代史にもポリティカルコレクトネスがあるんだよ 溶けた鉄は冷えると元の固体に戻るので、鉄を跡形もなくするためには、プラズマテレビを作製した化学の力が必要なのではないのかな、、 奥山氏が魏志倭人伝時代の巻向にあったという鉄を跡形もなくするためには、奈良盆地も跡形も無くなってしまうな、、、 畿内説推進してるやつらは商業的という可能性も、高いな、、、 >>158
俺とお前が知らなかっただけで畿内はマグマ露出地帯だったんじゃね >>162
カエルの骨は残さないといけないからマグマはちょっとアウトかな 酸化鉄は、遺蹟の一部を赤くするのでは、ないのかな、、、 大和三山が、マグマを吹きだし、奈良盆地をプラズマテレビにしたのではないのかな、、、 鉄と人骨だけを溶かす土壌だったのは弥生時代まで
古墳時代に何が起きたのかも解明せねば! >>166
それだとカエルちゃんの骨も溶けちゃうから却下だぞ 奈良盆地はカエルの小骨やサバの小骨を残す摩訶不思議なカルデラ火口だったのかw 奈良では海産物はハモすら手に入らなそう
貴族はそんな土地いやだったろうなあ いや逆説的だが、畿内の魚類や両生類が新種だった可能性もあるんじゃないか? 連中は奈良盆地は海水だったというファンタジーを持ってくるに500ウオン >>153
「筑紫が阿波に対して鉄の流通に精を出していた根拠」
>>134,135,137-146,148-149
北九州の筑紫忌部は本国の倭国(阿波)に対し、鉄の流通に精を出していた。 @阿波 >>174
筑紫が阿波に対して鉄の流通に精を出していた証拠は? 「筑紫が阿波に対して鉄の流通に精を出していた根拠」
>>134,135,137-146,148-149 >>179
阿波説は逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 はい、次の方 どうぞ。 @阿波 >>181
>巣に帰れ
阿波説に勝てないから? 目の上のたん瘤だから? ワハハハハは @阿波 >>182
しかしやっぱり阿波は無理あるぞ。
なんせ発掘活動自体が少ないからなw >>183
>なんせ発掘活動自体が少ないからなw
それにもかかわらず、他説を凌駕する、倭国(阿波)の圧倒的考古資料
阿波の国の概説
http://www.infokkkna.com/ironroad/2010htm/iron6/10iron04gaisetsu01.pdf
↑
他説を凌駕する、倭国(阿波)の圧倒的考古資料 @阿波 >>185
本来文化財を守るべき世界遺産登録が観光客誘致・箔付けに利用されるのと同じやね
ヒトとはかくも度し難い生き物よ >>185
>阿波はマジで町興しに邪馬台国使ってるからな
だけど、トンデモ説では、やっちゃいけないよ。 @阿波 豆知識
■魏志韓伝より
國出鐵韓?倭皆従取之 諸市買皆用鐵如中国用銭 又以供給二郡
「国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。」
3世紀の鉄は半島で鉄蹄(インゴット)を調達していた。
また、鉄は大変貴重で、中国の貨幣のように取引で使用されるほどだった。
この利権争いはそりゃ激しかったろうね。
なお、自国で製鉄出来るようになったのは6世紀以降とのこと。 >>190
>3世紀の鉄は半島で鉄蹄(インゴット)を調達していた。
倭国(阿波)では、「砂鉄」も調達していたよ。 何に使ったんだろうね。 @阿波 阿波説は逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 はい、次の方 どうぞ。 @阿波 >>192
反論を求めての「はい、次の方 どうぞ。」なの? >>147
錆びて朽ちて形を留めなくなることを溶けると表現した人がいるだけ @阿波氏は、誰かが怒らせしまったので、荒らし行為を実行している可能性があるが、荒らし行為で、九州論にとって何かが減らされるわけではないので、本当に討論したい者だけが討論してあげれば良いのではないのかな、、、 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹いて
様々なスレを逃げ回り、あらためて妄想を書きなぐる 古代史スレに湧くチョンコって全部キナイコシ奥山の別キャラだと思っていたんだが、
キナイコシ奥山以外にもチョンコが棲み着いているのか??? 郷土愛に燃えた郷土史家、自愛さ余って他憎さ100倍、、、 邪馬台国は北部九州。
出雲にちょっかいを出していたが、
狗奴国の神武に滅ぼされた。
(ヤマタノオロチ退治)
神武東征は4世紀の話で間違いない。 >>202
>神武東征は4世紀の話で間違いない。
根拠を示せ無能 倭国は筑紫九州のことなんだから、
出雲を倒したからといって、なんらの意味もないのではないだろうか。 >>203
横からだが
年代を確認できる文献はまったくない
この点に関しては「友引」=江戸時代の博打用語で「引き分け」=lose・lose >>163
兵庫県で産出する御影石=花崗岩は
玄武岩質マグマの地殻内での結晶分化作用により
形成された流紋岩質マグマ、あるいは「玄武岩」質マグマが周囲の
壁岩(一般に堆積岩等から成る)を溶融して形成された流紋岩質マグマが
地上へ出ることなくゆっくりと冷却されてできたもの。
玄武岩は苦鉄質火山岩の一種で但馬地方の玄武洞に因んで命名。
約160万年前の噴火によって噴出されたマグマが冷却され、玄武岩溶岩の厚い層が形成された。
酸化第二鉄(Fe2O3)、酸化第一鉄(FeO)を含んでいる。
九州バカには理解不可能だろうが。 >>207
真性バカにバカって言われても九州勢はなんとも思わないと思うぞ(笑) >>163にマジレスしてる時点で真正バカなんだから放置するのは当然。 さっき偶然みつけたんだけど、女王国と邪馬台国は別物という説。
要するに卑弥呼はレンタル女王ということ。 >>205
概ねそうなのだが、記紀には一時的に出雲の方が優勢だった時期があるように読める。
稲の取り込みが終わった頃に、各地の首長が大国主のもとに集まり祭り事をしていた。
そこへ、「本来はそうではないからアマテラスのもとに国を譲れ」と攻め込んで行ったわけだ。 >>214
淡路の五斗長垣内も倭国(阿波)の遺跡だから。 悪しからず。 @阿波 >>164
唐古鍵から勾玉が入った鳴石(褐鉄鉱)容器出土してる。
www.town.tawaramoto.nara.jp/material/images/group/34/03327085.jpg
鉄鉱石の褐鉄鉱というよりも鉄器を加工した時の鉄くずが土器用の土に混じって
錆びたもので作った感じ。 >>216
まぁ、いずれにせよ、大和忌部の痕跡なんだよ。 @阿波 >>216
みな知ってるよw
ショボすぎて畿内説ですらシカトしてるw 邪馬台国論争は永遠のジグソーパズル。
九州には冢(100人殉葬150m円墳)がないし、大和には王都(鉄・文字)がない。
つまり、双方の弱点を補える「九州(大和奥津城)説」が正しいのである!
卑弥呼の王宮(宮室楼観城柵厳設)は、伝統的な北部九州にないと大陸半島との貿易や外交など政治判断に支障が出るし、
奥津城(王家の谷=神仙郷)なら離れていても問題ない。むしろ人口密集地で土地不足の弥生銀座(大都会)北部九州から離れていた方が良い。
日本海ルート(片道2ヶ月・往復4ケ月)と違い、魏使には隠した地中海=瀬戸内海(神武東征)ルートなら日向→筑紫→豊後→安芸→吉備→大和と主要国王を訪問(視察)しながら年に1回墓参りに行ける。
台与が悲惨な殉葬を止めさせ、卑弥呼の冢を埋め立てるようにして自らの箸墓築造。次の崇神が倭迹迹日百襲姫も合葬したのである。
つまり箸墓は3人の女性が合葬されているのである(1段目・卑弥呼+4段目・台与+5段目・百襲姫)。 >>219
3女性の合葬=箸墓・後円部(直径160m)の断面図
………………………______
5段目……………/倭迹迹日百襲姫\←崇神が追加
4段目…………/____台与___\______________
3段目………/___________\_____________\
2段目……/_____________\_____________\
1段目_/5m盛土/卑弥呼150m\5m盛土\_____________\___
周濠…殉葬者奴婢100人 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 漢委奴国王=1世紀(弥生後期)
帥升=2世紀(倭国大乱)
卑弥呼=3世紀(弥生終末)邪馬台国(卑弥弓呼、帯方郡張政に降伏、卑弥呼に服従)、神武(投馬国)を派遣し大和征服、奥津城(王家の谷)化。
崇神朝=4世紀(前期古墳)狗奴国系(台与死後「男弟」子孫に入婿、阿蘇遷都)
応神朝=5世紀(中期古墳)邪馬台国系(仲哀を神功皇后が暗殺、筑紫遷都)
継体朝=6世紀(後期古墳)狗奴国系(武烈死後、倭王磐井を暗殺、筑紫君と史実歪曲→阿蘇遷都・倭王阿毎多利思比孤へ)
欽明朝=7世紀(飛鳥時代)(唐新羅連合軍の脅威現実味→欽明皇子、蘇我稲目と共に奥津城(王家の谷)大和東遷、飛鳥疎開宮造営)
天武朝=8世紀(奈良時代)記紀編纂→崇神朝・応神朝・継体朝の倭王権(九州王朝)内の抗争がすべて大和で起こっていたように史実歪曲。
桓武朝=9世紀(平安時代)
まとめると、
九州本家…卑弥呼台与(邪馬台国)→崇神朝(狗奴国)→応神朝(邪馬台国)→継体朝(狗奴国/阿毎多利思比孤)→天智(難波宮大津宮)→桓武(平安京)
大和分家…→神武朝(投馬国)派遣、饒速日征服、奥津城大和造営→→→→→→欽明朝(推古摂政厩戸)→天武持統(飛鳥宮藤原京)→元明(平城京) 滋賀・稲部遺跡
「魏志倭人伝」で、大陸と交易があったとされる「三十国」のうちの一つ
//mainichi.jp/articles/20161018/k00/00m/040/001000c >>202
>神武東征は4世紀の話で間違いない。
神武東征は応神東征の仮託 畿内説宣伝係がスレ立てをさぼってるようだが、解雇されたのかな? 5chのお利口なみなさんへ
満州先生のご本のアマゾンレビューが出ましたのでお知らせします。
(後半のみ抜粋。詳細はアマゾンをご覧ください。)
また本作は邪馬台国論争を解く上でも無視できない必読書である。
なぜなら古代の地理を正確に把握していなければ、
卑弥呼がどこにいたかを論じることはできないからである。
たとえば著者によれば、漢四郡が置かれたのは今の大凌河と遼河の間であり、
楽浪郡と帯方郡は遼河の西にあった。
また著者は前作に引き続き、卑弥呼がいた可能性のある地域について研究し、
新たに四つの候補地を挙げている。
旧唐書の倭国と日本についても、著者は大半の人が気付いていない重要な指摘を行っていて、
それを読めば、旧唐書の倭国とは馬韓であり、馬韓は満州にあったことが分り、
卑弥呼は馬韓の女王であったという浜名寛祐説が正しかったことが分るだろう。 九州説の言い分ってこういう事か?
@3世紀末頃まで北部九州が倭の女王国として中国と交流していた。
A女王は九州の邪馬台国に居住しており、政治そのものは弟が行っていた。
B他にも多数の政権が存在しており、狗奴国のように敵対する政権もいた。
C女王国は次第に東へと勢力を拡大し、やがて畿内に都を移した。
これら証明できる? >>229
ほとんど合ってなくてワロタ
妄想九州説? _人人人人人人人人人人人人人人人_
> チョンコロがいるぞ殺せ!! <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
倭人
三 ( ´・ω)
三 ー(‐∪─→
三 / ̄ ̄ ̄ 》  ̄\
三三 | ナウマン象U ・ | 死にたくないニダ!!!
三 と| ι| | 三┏<;`Д´ >┛
三 /_∧∨ ̄ ̄/_∧U 三 ┛ ┓ 畿内説は変な人がいるので九州説を支持します。
周りの人は関西人を除いて皆さん九州派です。 >>236
それはお前の環境であって、235が古代史専攻の学生だったら周りの人はみんな邪馬台国に興味津々だろ >>238
だから235が古代史専攻の学生だったら周りの人はみんな邪馬台国に興味津々なのが普通だろマヌケ そいつはそいつ限定では無く広い範囲でみんなが九州説だという意図で発言してるから 九州説内でご検討ください。
廣志曰く、倭國東南陸行五百里、到る伊都國、又南、至る邪馬嘉(臺)国。
↓にちゃんと書いてあるやんw
https://imgur.com/bmslFbs >>239
日本史の古代史の専攻って概ね6世紀から11世紀までが対象なんだが 一般人で邪馬台国なんて考えてる人いないだろうと思ってたら大間違い。
飲み屋で言い争いになるほどみんな知ってたwww
九州の佐賀と奈良の天理の話w 翰苑は大陸でも失われた逸書だけど
日本に邪馬台国について書かれた巻だけ残ってる
本来習字用の書だから字も汚い
まあそういうこと、あまり参考にはならない >>249
参考になるものを参考にできない畿内説www
神奈川だっけ?w >翰苑(かんえん)とは、唐の時代に張楚金によって書かれた類書。
後に雍公叡が注を付けた。<
それを倭人が複写して、お手本として平安時代まで使われてきたんだよな。 >>249
さすがチョンコロは自分に不都合になものは全て全否定
レーダー照射と同じ手口(笑) 翰苑の原文見つけた。
さぁみんなで解読しようぜ。
憑山負海鎮馬臺以建都
分職命官統女王而列部
卑弥娥惑翻叶群情
臺与幼歯方諧衆望
文身黥面猶太伯之苗
阿輩?弥自表天児之称
因禮義而標秩即智信以命官
邪届伊都傍連斯馬
中元之際紫綬之栄
景初之辰恭文錦之献 憑山負海鎮馬臺以建都
馬臺に都がある
分職命官統女王而列部
女王が統治する
卑弥娥惑翻叶群情
群衆は卑弥呼に劣情する
臺与幼歯方諧衆望
幼い臺与の歯形にみんな嫉妬せざるを得ない
文身黥面猶太伯之苗
入れ墨をしてる猶太伯(ユダヤ)の後衛
阿輩?弥自表天児之称
あはん?こいつら天の子供を自称しとるwww
飽きた
憑山負海鎮馬臺以建都
(其の國は)山に憑(=付)き、海を負い、(邪)馬臺を以て都が建つ。
分職命官統女王而列部
(其の國は)職を分(=割)って命じ、而(=然)るに〜部と女王が統べる。
卑弥娥惑翻叶群情
卑弥娥(=呼?)は惑わし翻(=うつし)とるが、群(衆)の(感)情に叶(=適)う。
臺与幼歯方諧衆望
臺与は幼歯(=齢)の方(状態=即位)であったが、(群)衆の望みを諧(=ととの)えた。
文身黥面猶太伯之苗
(倭人は)身に文(様)を、面(=つら)に黥(=いれずみ)があり、猶(=なお)、(呉の)太伯の苗(=子孫)。
阿輩雞弥自表天児之称
阿輩雞弥(=アヘケミ)は自らを之(=これ)天の児と称した。
因禮義而標秩即智信以命官
礼と義に因(よ)り、而(=然)るに智と信に即(=つ)け、秩(序)の標(=しるし)と以て官に命ずる。
邪届伊都傍連斯馬
(其の國は)伊都(國)に邪(=斜)めに届き、斯馬(國)が傍(=わき)に連なる。
中元之際紫綬之栄
中元(年間)に之(=これ=其の國)は紫綬の栄えに際する。
景初之辰恭文錦之献
景初(年間)の辰にに恭(=うやうや)しく文(=綾)錦を献(=たてまつ)る
´ ヾ
゛ (⌒) ヽ
((、´゛))
|||||
マスター、このスレの奴らにはトンスルは一切やらないで!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ | ∠|
(゜\./,_ ┴./゜ノ(
\ \iii'/ /,!||!ヽ
/V,,ニ..,ニ、、 ノ( \
\ヽY~~/~y} `/~,/ ∧ ∧
| ,k.,.,!,.,.,r| ,! く / `ー一′丶
<ニニニ'ノ \/ : : :: :: :::::ヽ
. ▼ >、/⌒ヽ | : : :: :: :::::::::l
─‐⊥‐ッ'-‐y' / i_ ヽ、 : : :: :: :::::::/
`⌒ー′ | |::| )゙ ..::::〃:ィ´
\ | |::| /" '' : : ::⌒ヽ
____ \=::|. i 、 : ::::|____
{'〜:;} \ | ..::| : :::|::::::|;;;|
{_.:;}.... \ : :::| : :::|::::::|;;;| >>257,258
内容的には後漢書や魏書、隋書を踏襲してるっぽいけど気になるところが三点
> 文身黥面猶太伯之苗
>
> (倭人は)身に文(様)を、面(=つら)に黥(=いれずみ)があり、猶(=なお)、(呉の)太伯の苗(=子孫)。
これは中国側が「呉の太伯の子孫」と認識していたということなのか、倭人がそう自称したのか?
> 阿輩雞弥自表天児之称
>
> 阿輩雞弥(=アヘケミ)は自らを之(=これ)天の児と称した。
これは隋書の「多利思北弧」のことだと思うけど「タリシヒコ」と「アヘケミ」の共通点が見つからない
他の史料では「アヘケミ」に相当する語が出てこない
> 邪届伊都傍連斯馬
>
> (其の國は)伊都(國)に邪(=斜)めに届き、斯馬(國)が傍(=わき)に連なる。
これが一番興味深いんだけど、魏書からは場所が想定できない「伊都國」と「斯馬國」の位置についての表記
邪めに届きだけでは上下左右が分からないけど、「伊都」が「邪馬台国」に隣接してることは分かる
そして傍に連なるだけでは上下左右が分からないけど、「斯馬」が「伊都」に隣接していて「邪馬台国」から見た時に同じ方向にあるってのは分かる
そうなると「伊都」が後の怡土郡であり、「斯馬」が後の志摩郡、一大率(筑紫率)のある奴国の南に「邪馬台国」という構図に見事に当てはまる
これで邪馬台国の場所は確定なんじゃない? 阿輩をアハと読ませて死国王朝だじょーって言ってくる輩も出てきそうw
呉音だとア・ヘ・ケ・ミ
漢音だとア・ハイ・ケイ・ビ
ただ、金印のことにも触れてるから阿毎多利思比孤のことではなく、帥升のことだと思う。
帥升も一般的には呉音でも漢音でも一致するスイ・ショウと理解されてるが、シュチショウやシュツショウ、ソチショウの可能性もある。 漢委倭国王は西暦57年
帥升は西暦107年
阿毎多利思北孤は西暦600年
個人的には後漢書の「使人自稱大夫」の丈夫が翰苑の太伯の事じゃないかと妄想 >>265
大和にはなかったから、神武東征のとき。 >>263
帥は役職名だから、名はショウで確定か? >>266
神武東征=為政者の遷都だけで現地の風習が無くなるわけないじゃない >>266
海人スレで言及されてたが、遣唐使の船の乗組員(海人族)は入れ墨してたと記録されてるよ >>270
おおお面白い
船乗りの間では500年存続してたんだねえ >>273
それは言葉遊びの範疇から出ない妄想だね 『日本書紀』巻十二 履中天皇五年春三月
河?飼部等從駕執轡。先是、飼部之黥皆未差。時、居嶋伊奘諾~、託?曰「不堪血臭矣。」因以、卜之、兆云「惡飼部等黥之氣。」故自是以後、頓絶以不黥飼部而止之。
5世紀には官職に就く者は入れ墨やめたっぽいね
でも遣唐使船の船員が入れ墨してたってことは9世紀くらいまで民間人は入れ墨してたんだろうね >>261
>邪めに届きだけでは上下左右が分からないけど、「伊都」が「邪馬台国」に隣接してることは分かる
>そして傍に連なるだけでは上下左右が分からないけど、「斯馬」が「伊都」に隣接していて「邪馬台国」から見た時に同じ方向にあるってのは分かる
>そうなると「伊都」が後の怡土郡であり、「斯馬」が後の志摩郡、一大率(筑紫率)のある奴国の南に「邪馬台国」という構図に見事に当てはまる
>これで邪馬台国の場所は確定なんじゃない?
何を今さら >>261
>これは中国側が「呉の太伯の子孫」と認識していたということなのか、倭人がそう自称したのか?
魏略:「自謂太伯之後」
>他の史料では「アヘケミ」に相当する語が出てこない
隋書:「開皇二十年,倭王姓阿?,字多利思比孤,號阿輩?彌,遣使詣闕。」 >>277
もう邪馬台国は大野か肄のどっちかで確定やろ >>282
洛陽の陽は日当たりの良い土地だし、洛陽の街自体も海抜150メートルだし
洛陽最古の建造物遺構は双龙山の上だから都が山頂にあることに違和感はなかったのかもよ >>261
>そうなると「伊都」が後の怡土郡であり、「斯馬」が後の志摩郡、一大率(筑紫率)のある奴国の南に「邪馬台国」という構図に見事に当てはまる
>これで邪馬台国の場所は確定なんじゃない?
やっぱり大宰府かな? >>281
それは大宰府の守りだから、邪馬台国は大宰府というのが認識だったのだろうね。 >>270
要するに、九州ではずっと刺青をしていたんだよ。
神武の妃となったイスケヨリヒメが、神武の使いの大久米に聞いている。
姫「あなたは勇者なのに、なぜ鳥のように目が裂けているの」(刺青のことらしい)
大久米「あなたのような方を誰よりも早く見つけるためですよ」
そんなわけで、姫は神武と契りを結びました。
九州から神武に付き従っていた大久米は刺青をしていたが、大和で生まれた姫は刺青を見たことがなかったとされている。 >>288
さらに南は肥後熊本だろ。
鞠智城に菊池彦がいたんだよ。 >>287
大野城と基肄城は大宰府政庁より古いんだぞ >>292
実は大宰府の前身が邪馬台国だったということだろ。 着想はまことに素晴らしい!!
ただ九州地図に落とすと各国配置に歪みと寸足らずが出てしまうんだよな、くやしいのう・・、 あれ?大野(大野城の古地名)は烏奴国で、基肄(古地名は肄だけかも?)が支惟国じゃなかったっけ? >>295
300年かかっても解明できない魏志倭人伝に記された往路からの解明は捨て
その他の記述から探る作戦だぞ
> 『翰苑』
> 「邪届伊都傍連斯馬」
> (其の國は)伊都(國)に邪(=斜)めに届き、斯馬(國)が傍(=わき)に連なる。
> これが一番興味深いんだけど、魏書からは場所が想定できない「伊都國」と「斯馬國」の位置についての表記
> 邪めに届きだけでは上下左右が分からないけど、「伊都」が「邪馬台国」に隣接してることは分かる
> そして傍に連なるだけでは上下左右が分からないけど、「斯馬」が「伊都」に隣接していて「邪馬台国」から見た時に同じ方向にあるってのは分かる
> そうなると「伊都」が後の怡土郡であり、「斯馬」が後の志摩郡
> 『魏志倭人伝』
> 「自女王國以北特置一大率檢察」
> 女王国より以北は、一大率(筑紫率=鴻臚館)を置き特に検察す 鴻臚館は接待の施設だから、伊都国の機能を移転してきたのだろう。
大率は役職であり、帥と率は音も意味も同じとされる。
つまり大率は大宰の帥のことだよ。 > 『翰苑』
> 「邪届伊都傍連斯馬」
邪(馬台国の人脈)は伊都(国)に届く(親密な血統であり)、傍ら(その血統人脈は)斯馬国にも連なる。 邪(=斜め)、傍(=脇、わき)、なんて書いてないな。 なるほど、
邪馬台国は「斜めに傾いた馬台国」だったというわけか。・・斜陽の馬台国ww >>301
大宰府政庁の資産的価値が高いから太宰府市教育委員会は7世紀以前の地層の発掘を認可しない方針 >>298
認識間違えしとるで。
一大率は六世紀前半から存在が確認できる筑紫率=筑紫宰=筑紫官家=那津官家のことで、そこから伊都国を常治しとったんや。
七世紀後半に筑紫率から行政機能を移転させたのが大宰府やで。 289年時点で、倭国と中国との交流は途絶えていた。
当時の邪馬台国および女王国30国の状況は?
<晋書 巻3 武帝紀>
太康10年(289年)
「是歲,東夷絕遠三十餘國, 西南夷二十餘國來獻。」
是の歳、東夷絶遠三十余国(女王国)、西南夷二十余国、来献せり。 >>302
製図六体も知らんで、よく邪馬台国スレにコメント残す気になったな。 >>312
率と帥が同じなので、伊都の大率が大宰の帥だとわかる。
所在地が移動しただけ。
伊都が持っていた内政と外交の機能のうち、内政は大宰府へ、外交は鴻臚館に移転したんだよ。
大率は伊都を治めるためというよりは、魏志倭人伝に伊都から北を治めたとあるので、対馬海峡とそこにおける交易を支配するためだったのだろう。 −古代東アジアでは、周辺国はみな、中国皇帝同盟に冊封され(金印紫綬)所属することで貿易・外交をスムーズにし、その先進文明を取り入れていたと考えられる。
−漢委奴国王(57)帥升(107)を輩出した奴国二万戸が倭国大乱で失脚した(王無)理由は、220年黄巾の乱で滅びた後漢と言う後ろ盾を失ったためと思われる。
ところで、
−弥生倭国では、北部九州を中心とした銅剣&銅矛(武器=戦闘)圏と、畿内東海を中心とした銅鐸(釣鐘=平和)圏があり、両者の中間・中国四国地方では、両者が併存した。
−邪馬台国は南の狗奴国と交戦中で、魏帝に冊封・援軍要請するほど激しく争っていたことを示し、それらは銅鐸(平和)圏ではなく、銅剣&銅矛(戦闘)圏にあったと思われる。
−3世紀北部九州の「武器」の出土量は、同時期の畿内の100倍以上。
−伊都国には王がおり、女王国以北、半島までの諸国を監視する一大率が置かれ、実質的な政治(外交貿易)を行っていたと思われる。
−その親世代である平原女王墓からは伊勢神宮の八咫鏡(天照大神の御神体)と同型同大の内向花紋鏡が出土している。
一方、
−纏向政権(≠ヤマト王権)は、銅鐸(平和)圏が(銅剣・銅矛圏と銅鐸圏が交わる)出雲・吉備・阿波の巨大古墳文化と統合し、築かれた政権といえる。
−畿内の鉄出土量が北部九州に並ぶのは、纏向遺跡が放棄される4世紀初頭以降である(纏向遺跡の終焉と共に畿内に鉄が普及し始める)。
これらをまとめると、
−邪馬台国は伊都国の南〜狗奴国の北である筑紫平野(北部九州)にあり、
−纏向王権は本州島の毛人勢力が集結して建てた邪馬台国とは別の地方王権。
→北部九州(邪馬台国)相手のビジネス〔出稼ぎ労働者の人材派遣を兼ね、食糧(瀬戸内海の旨い塩&畿内東海の米)&布留式土器販売〕で挙げた利益で巨大古墳を築いていた王権であり、
−邪馬台国が狗奴国を帯方郡張政の調停により併合した後、伊都国王が邪馬台国を乗っ取り、さらに瀬戸内海経由で纏向王権を征服し、ヤマト王権となったものと考えられる。 『晋書』裴秀伝 製図六体
分率:方眼を用いた製図
準望:その地(目的地)の東西南北を見極める
道里:準望ではなく、人の通る道での距離や方角
道里の高下:高は丘や山、下は平坦な平野
道里の方邪:方は東・西・南・北、邪は北東・南東・北西・南西
道里の迂直:迂は湾曲路、直は直線路 >>315
大宰府スレにも書かれていたが、伊都国には「有王」で、さらに長の「爾支」と副長の「泄謨觚・柄渠觚」がいるので邪馬台国から自治を認められた国
一大率は邪馬台国から那津官家に常駐し、伊都国を常治(監視)し、諸国も檢察しているから「刺史」の如くと記された
いわば王は県知事、長や副長は市長といった地方公務員で、一大率は国家公務員 >>313
要するに、4世紀以降中国と交流しているのは邪馬台国とは別の政権ということだな。 >>318
本拠地が伊都で、対馬や壱岐に出かけて検察をしたんだ。 >>319
ずっと倭だが、卑弥呼の後はしばらく途絶えて、久しぶりに壹與が使いをよこしたと。 >>321
台与の最後の朝貢が266年。
この後、縁が切れてる。
そしてその後は女王という文言は出てこない。 卑弥呼=教皇
邪馬台国=バチカン
奴国=ローマ
伊都国=リエーティかフロジノーネかラティーナかラクイラかヴィテルボ >>322
289年に再び女王国が使いを送ってきたとあるわけだろ。
前回は卑弥呼、今回は壹與が女王として。
中国から見ると、3世紀の倭はずっと女王国。
>>313
>太康10年(289年)
>是の歳、東夷絶遠三十余国(女王国)、西南夷二十余国、来献せり。 少なくとも邪馬台国と大和朝廷は関係なさそうやな
関係あれば魏に朝貢して金印もらったくらいの大女王なんだから、伝説くらい残っていそうなのに何もない つまり>261の「(其の國は)伊都(國)に邪(=斜)めに届き、斯馬(國)が傍(=わき)に連なる。」は正しい解釈ってことか 卑弥呼=天皇
大率=総理大臣、内務大臣、征夷大将軍
伊都国の官=都知事 >>320
強弁するなら>>318以上の説得力が欲しいところ。 >>318
>伊都国を常治(監視)し、
勝手に(監視)を追加して言い張っているだけで、説得力なんてないだろ。 >>329
伊都国には王がいるんだから伊都国王=都知事、伊都国の長や副長は都庁職員または区長だね
大率=国家公務員で伊都国王ならびに長、副長は地方公務員という>318とも符合する >>332
大率は伊都で治めるけれども、伊都を治めるとは書いてない。 >>331
そりゃ無能には理解不能だろうよ
邪を斜めと読むことも出来なければ、傍をわきとも読めないんだから 大率は、女王国以北を検察するのであり、伊都を検察するわけではない。 >>326
289年、東夷30国は絶縁(音信不通)だと書いてあるんだが? >>337
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。伊都国を常治す。國中に於ける刺史の如く有り。” >>339
常に伊都国に治す
女王国以北を検察すると伊都国を治すでは、内容が重複してしまう。
女王国以北を検察する大率は伊都に置かれていたという意味だよ。 魏書の巻九 諸夏侯曹傳の第九 夏侯玄
民が奢侈文弱になっており、賤民や下民も錦を着用している。 民より先に宮中や高官から改めさせよ。
仰ることはごもっともですが全員を「常治」することは不可能で、賢能でも現れない限り無理です。 >>339
素直に読めば
「女王国の北の諸国には一大率が置かれ伊都国が常治(他用法>>342)している」
だよね >>343
「女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。伊都国を常治す。國中に於ける刺史の如く有り。」
これ以上ないくらい素直な訓読文だと思うが? >>345
なんども言うが、それでは大率の権能が2度も説明されていることになる。
おそらく誤りだよ。 普通に考えたら、国家公務員の高級官僚が二万世帯強の奴国ではなく、一千世帯強の伊都国に居るわけがない。 >>347
糸クズの願望は不要
漢文に素直に読むべき 「自女王國以北 特置一大率檢察 常治伊都國 諸國畏憚之 於國中有如刺史」
これなら「伊都国を常治」
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
これだから「伊都国が常治」
じゃないの 伊都から出かけて地方(対馬海峡)を検察するから、「刺史の如し」なわけだよ。
伊都は留守がちにするから、伊都の管理はそのための官がちゃんといるわけだし。 つまるところ伊都国は邪馬台国政権にとってとにかく格別な国だったわけだ
まず女王・狗奴国王以外で唯一王が居る
そして官吏の中心地、千世帯程度であるにも関わらずだ
考えられる理由は「女王は伊都国出身」、もしくは縁が深いというのが自然だろう >>355
かってに奴国王消すな無能キナチョンwww >>356-357
何か言いたことあるならはっきり言ってもええんやで?
君は自由だ >>358
魏志倭人伝の時代には奴国王は存在しないんだが >>359
漢文学べよ低能とお前を戒めてやってるんだが日本語読解力ないんだな
そりゃ漢文をまともに読めるわけがないわ
邪を斜めと読むことも出来なければ、傍をわきとも読めないんだしな >>360
記述がない=存在しないってキチガイの発想やね >>362
100年前奴国が音頭とって朝貢してたのにその後別の政権が朝貢し始めた
その別の政権の記述で王の存在が記述されていない、
千戸の伊都国王はしっかり記されにも関わらず、奴国は2万戸の大国であるにも関わらずだ
奴国王は滅んだと受け取るのが普通の考え方だろう >>354
ワシントンD.C.は邪馬台国でしょ
伊都国はジョン・F・ケネディ空港(那の津)が開港する前からあったリバティー空港って感じだろうね >>365
そんな事言われても、一般的にはそう解釈されてるからなあ^^; >>364
ニューヨーク州=奴国でニュージャージー州=伊都国か
うまい例えだな >>366
ダルいから得意の三種の神技使うのやめろよ
> 朝鮮ヒトモドキ三種の神技
>
> 記憶喪失(論破されても半日で忘れる)
>
> 文盲病(前後の文脈や論の大局を読めない)
>
> チョンコロ目(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る) 結論としては
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
を最も素直に漢文を読み下せば
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。伊都国を常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
”常治”は同じ魏書の用例>>342にあるように”監視”や”監督”
那の大津には筑紫率(元・一大率)の遺構があり、今津湾には該当する遺跡が見当たらない
よって一大率は邪馬台国から派遣された国家公務員的立場で、ニューヨーク州に相当する奴国の現在の鴻臚館跡に勤務し、
伊都国は当時唯一の国際空港があったニュージャージー州に相当し、一大率が”監視”していた
ってことだな >>368
何か言いたことあるならはっきり言ってもええんやで? >>369
でもこの箇所って一般的には伊都国から公務員が出張ってるって解釈されてない? 261日本@名無史さん2019/06/04(火) 05:20:34.13>>277>>278>>286
> 邪届伊都傍連斯馬
>
> (其の國は)伊都(國)に邪(=斜)めに届き、斯馬(國)が傍(=わき)に連なる。
>これが一番興味深いんだけど、魏書からは場所が想定できない「伊都國」と「斯馬國」の位置についての表記
魏書からは場所が想定できない「伊都國」と「斯馬國」の位置だが、翰苑からなら解読できる・・・、
というのはチト言い過ぎ邪ないの? >>369
「以北」は北側という意味。
「諸國畏憚之」に続いて「常治伊都國」とあるため、伊都国は諸国の一つ。
一大率の所在地は女王国内になければならないので、伊都国には存在し得ないという結論で正しいと言える。 >>370
∩_∩
/ \ /\
| (^)=(^) | 人人人人人人人人人人
| ●_● | < 即死しろってことだよ >
/ // ///ヽ <言わせんな恥ずかしい>
| 〃 ------ ヾ | YYYYYYYYYYYYYY
\__二__ノ >>342
「漢家雖有刺史、奉六條而已、故刺史稱傳車、其吏言從事、居無「常治」、吏不成臣、其後轉更爲官司耳。」
→漢朝になると刺史は存在したが、ただ六箇条の項目について査察するだけであった。それゆえ、刺史の
ことを伝車と称し、その下役を従事とよんだのである。(刺史には)一定の府庁は存在せず、下役も下臣と
して仕えているわけではなかった。その後しだいに変化して常置の役職となったのである。 >>371
邪馬台国研究者の多くは倭人条ばかり、せいぜい東夷伝までしか読んでおらず
三国志はおろか魏書すら読んでいない者が多いということ >>372
え?何で? (其の國は)伊都(國)に邪(=斜)めに届き、斯馬(國)が傍(=わき)に連なる。と明確に書かれているんだから、解読すら不要だと思うが、、、 >>376
今度は常治を常置と読ませる作戦かw
往生際が悪い糸クズだな >>376
> 「以北」は北側という意味。
> 「諸國畏憚之」に続いて「常治伊都國」とあるため、伊都国は諸国の一つ。
> 一大率の所在地は女王国内になければならないので、伊都国には存在し得ないという結論で正しいと言える。 >>377
それってつまり
「俺はアマチュアだけど現在正しいとされてる解釈とは違った斬新な解釈法を発見した!
本物の学者・研究者は漢文さえ読めない!ろくに勉強してない!」
って言ってるんだよね? >>378
その三国配置に適合するケースは、九州内には多数あるからね。
故に、どれが正しいのかわからぬ。 >>373
翰苑は対句練習用の幼学書であるから記述の信憑性が低いと解釈するのは早計。
対句練習用であるからこそ赤点の書は破棄され、満点の書が保管されたと解釈するほうが自然と判断され国宝に認定された。 >>381
まぁ、それは邪馬台国自主研究者全員に言えること
極力妄想を挟まない姿勢はキナイコシや糸クズより遥かに評価できる >>385
まあファッショに口汚く罵る時点で説得力皆無なんですけどね
そういうの本人は永遠に気づかないから
このままずっと無駄な事を繰り返し続けると思うと見てて面白い >>387
まぁ、朝鮮ヒトモドキ三種の神技なんて姑息なマネさえしなければ人間として扱えるんだけど、
バカ犬と同じ反復調教が必要なヒトモドキが相手だと口汚く罵らないと躾にはならないからねぇ
朝鮮ヒトモドキ三種の神技
記憶喪失(論破されても半日で忘れる)
文盲病(前後の文脈や論の大局を読めない)
チョンコロ目(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る) >>374
「以」は、その起点を含むというのが定義だ。
だから伊都国は女王国に含まれる。 よし!まとめるぞ!
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
を最も素直に漢文を読み下せば
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。伊都国を常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
”常治”は同じ魏書の用例>>342にあるように”監視”や”監督”
那の大津には筑紫率(元・一大率)の遺構があり、今津湾には該当する遺跡が見当たらない
よって一大率は邪馬台国から派遣された国家公務員的立場で、ニューヨーク州に相当する奴国の現在の鴻臚館跡に勤務し、
伊都国は当時唯一の国際空港があったニュージャージー州に相当し、一大率が”監視”していた
「以北」は北側という意味。
「諸國畏憚之」に続いて「常治伊都國」とあるため、伊都国は諸国の一つ。
一大率の所在地は女王国内になければならないので、伊都国には存在し得ないという結論に達した 結論
大率は伊都に置かれた
伊都は女王国に含まれる
大率が支配するのは北方 >>389
起点は邪馬台国
伊都国は諸国の一つでFA >>390
俺は支持しないけども出来るだけ多くのみんながそれ支持してくれるといいね^^ >>391
そうやって現実を直視できなくなると直ぐに得意ワザ発動させる習性なんとかしたら?
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン、海人族スレでは摂津チョンコ
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹き、様々なスレを逃げ回る
そして突如として別キャラでネチネチと書き殴ることも少なくない
しばらくすると記憶喪失を発動させて懲りずに妄想を書きなぐるが、読解力に乏しく、
また思考に一貫性がないのでアルツハイマーの可能性が高い
朝鮮ヒトモドキ三種の神技
記憶喪失(論破されても半日で忘れる)
文盲病(前後の文脈や論の大局を読めない)
チョンコロ目(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る) >>393
うん、それじゃ今すぐ立ち去れよ
バイバ〜イ(^ω^)/~ そういやなんかこういう人最近ニュースで見たなあ・・ >>397
思い込みの激しいお前が岩崎隆一じゃなかったことに驚きを隠せない >>390
>那の大津には筑紫率(元・一大率)の遺構があり、今津湾には該当する遺跡が見当たらない
大率は奴国ではなく伊都国に置かれたと明記されているのに。
アホだろ。 >>390
>一大率の所在地は女王国内になければならないので、伊都国には存在し得ないという結論に達した
自分で書いていて意味を理解していないだろ。
伊都国は女王国に含まれるんだよ。 >>390
>常治”は同じ魏書の用例>>342にあるように”監視”や”監督”
自分で言うてるやん「監督」てw
監督してたのが伊都国ってことだよ 大率はワシントンD.C.にいて、東部諸州を検察したような感じだな。
ニューヨークは大きいけど政治には関与しないと。 常治は別に熟語ではないぞ。
伊都国で常に治める、の意味だ。 >>401
奴国の筑紫率から諸国の一つであり、唯一の国際港を持つ伊都国を監視、監督してたってことで決着済 > 特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
>
> また聞き止める度量もない
>
> そして追い詰められるとテキトーなホラを吹き、様々なスレを逃げ回る
>
> そして突如として別キャラでネチネチと書き殴ることも少なくない
>
> しばらくすると記憶喪失を発動させて懲りずに妄想を書きなぐるが、読解力に乏しく、
>
> また思考に一貫性がないのでアルツハイマーの可能性が高い
>
>
> 朝鮮ヒトモドキ三種の神技
>
> 記憶喪失(論破されても半日で忘れる)
>
> 文盲病(前後の文脈や論の大局を読めない)
>
> チョンコロ目(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る) >>409
決着済みってのは君の脳内では、だろ?
現実世界では真逆で決着済みだからぜひ君の説を世の中に広めてみたらどうだろう?
未来永劫無理だけど 伊都国は末盧国で上陸して陸行しないと。
港なんかない。 >>412
魏志倭人伝の時代に那津は開港してないぞ無能 >>352が聞いた時に即答してあげれば良かったのにw
> ん?糸クズもキナチョンの別キャラなんか? この場合の女王国は、郡から萬二千余里の邪馬台国のこと >>418
> 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
> を最も素直に漢文を読み下せば
> ”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。伊都国を常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
>
> ”常治”は同じ魏書の用例>>342にあるように”監視”や”監督”
>
> 那の大津には筑紫率(元・一大率)の遺構があり、今津湾には該当する遺跡が見当たらない
>
> よって一大率は邪馬台国から派遣された国家公務員的立場で、ニューヨーク州に相当する奴国の現在の鴻臚館跡に勤務し、
> 伊都国は当時唯一の国際空港があったニュージャージー州に相当し、一大率が”監視”していた
>
>
> 「以北」は北側という意味。
> 「諸國畏憚之」に続いて「常治伊都國」とあるため、伊都国は諸国の一つ。
> 一大率の所在地は女王国内になければならないので、伊都国には存在し得ないという結論に達した 自分に敵対するものを同一視するのは糖質の特徴の一つです‥ >>417
魏志倭人伝に奴国が記載されているのだから、それ以前から港として使われていただろう。 >>378
明らかかなあ?
それだと奴国が邪馬台国? >>423
それはそうかもしれない
まぁ同じ部類のキチガイだから同じように反復調教で躾けてやらないと >>423←こいつ畿内説のテンプラ係やんw
糖質という言葉は俺が教えたからなw >>426
伊都と斯馬をどこに比定するかに依るでしょ
音感から考えれば怡土郡と志摩郡が妥当だろうけど、根拠さえあれば異を唱えるのもアリでしょ >>432
>>248辺りから読み返したら良いよ無能 >>433
突然無能とか、失礼な人ですね
あなたのような方の言に耳を貸す気は一切出ないです >>432
>取り合えず奴国までの道程は定説が盤石でなあ
ま、せいぜいがとこマスコミ用の枕詞ですな 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
を最も素直に漢文を読み下せば
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。伊都国を常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
”常治”は同じ魏書の用例>>342にあるように”監視”や”監督”
那の大津には筑紫率(元・一大率)の遺構があり、今津湾には該当する遺跡が見当たらない
よって一大率は邪馬台国から派遣された国家公務員的立場で、ニューヨーク州に相当する奴国の現在の鴻臚館跡に勤務し、
伊都国は当時唯一の国際空港があったニュージャージー州に相当し、一大率が”監視”していた
「以北」は北側という意味。
「諸國畏憚之」に続いて「常治伊都國」とあるため、伊都国は諸国の一つ。
一大率の所在地は女王国内になければならないので、伊都国には存在し得ないという結論に達した >>436
ちょっとおっしゃる意味がわかりませんが 翰苑
「邪届伊都傍連斯馬」
(其の國は)伊都(國)に邪(=斜)めに届き、斯馬(國)が傍(=わき)に連なる。
これが一番興味深いんだけど、魏書からは場所が想定できない「伊都國」と「斯馬國」の位置についての表記
邪めに届きだけでは上下左右が分からないけど、「伊都」が「邪馬台国」に隣接してることは分かる
そして傍に連なるだけでは上下左右が分からないけど、「斯馬」が「伊都」に隣接していて「邪馬台国」から見た時に同じ方向にあるってのは分かる
そうなると「伊都」が後の怡土郡であり、「斯馬」が後の志摩郡、一大率(筑紫率)のある奴国の南に「邪馬台国」という構図に見事に当てはまる
読み下し文の全文は>>257-258 まあ筑紫平野のどこかってのはだいたいみんなわかってますし >>444
それね
邪馬台国の所在地=卑弥呼の墓の所在地とは限らないんだよね
卑弥呼は連合国の女王として緊急に奉戴された感じだろうから
邪馬台国出身じゃない可能性高いし墓も別にある可能性も高い >>323
> 卑弥呼=教皇
> 邪馬台国=バチカン
> 奴国=ローマ
> 伊都国=リエーティかフロジノーネかラティーナかラクイラかヴィテルボ
>>329
> 卑弥呼=天皇
> 大率=総理大臣、内務大臣、征夷大将軍
> 伊都国の官=都知事
>>332
> 伊都国には王がいるんだから伊都国王=都知事、伊都国の長や副長は都庁職員または区長だね
> 大率=国家公務員で伊都国王ならびに長、副長は地方公務員という>318とも符合する
>>364
> ワシントンD.C.は邪馬台国でしょ
> 伊都国はジョン・F・ケネディ空港(那の津)が開港する前からあったリバティー空港って感じだろうね
これらの例えが正しかったってことか >>439
>>342の原文を示してくれない?どこにもないんだけど >>445
まさかのカマチョンにキャラ変かましたんか?!
土蜘蛛は奴婢ニダよ〜
こんもり話をもっと
聞いてほしいニダァ〜!
..∧_,,∧
<;`Д⊂ヽ
( ノ ハア?やだよ!
ム_)_) もう論破済みやんけ
∩ ∧_∧
⊂⌒(∀` )
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒ ⌒ 「邪馬台国は北九州にあったが卑弥呼は畿内出身で陵墓は畿内にある」
ってのはどうだろう? >>453
カマチョンにキャラ変かましたんか?!
土蜘蛛は奴婢ニダよ〜
こんもり話をもっと
聞いてほしいニダァ〜!
..∧_,,∧
<;`Д⊂ヽ
( ノ ハア?やだよ!
ム_)_) もう論破済みやんけ
∩ ∧_∧
⊂⌒(∀` )
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒ ⌒
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1557178216/311 今日も結局誰も君の言葉に耳を貸してくれなかったね・・
明日も明後日も1年後も10年後もそうなんだろうね・・
哀しいね・・ >>455
また発狂するだけだからあんまりキナイコシを追い詰めるな >>453
それ、昔の俺の説。
卑弥呼の出身地が邪馬台国。
北部九州は卑弥呼が統治を引き受けた女王国。
卑弥呼の住まいは吉野ケ里。
邪馬台国の位置は誰もハッキリとは知らん。 あの旧石器の藤村を暴いた毎日新聞が、纒向の鹿の角をおだてているようだな
なにか、魂胆があるんじゃないの、、、 >>460
今は元毎日新聞の記者が畿内説やってるからな。 キナイチョンも伊都チョンも百済チョンみたいにネットで私小説書いたら良いんじゃないかな?
5ちゃんで妄想オナニーするから毎回イビり倒されるんであって、コメ不可設定したブログなんかで妄想オナニーすれば誰にも邪魔されないと思うけど? 今日、畿内説スレで古墳の形式における横穴式は
九州起源では無いなどという歴史捏造事件が発生した。
〜吉備考古学資料より引用〜
「横穴式石室は「九州型」と「畿内型」に大きく
分けられる。「九州型」は4世紀末頃から
福岡・佐賀県沿岸部を中心に前方後円墳の
埋葬施設として築造され、その後5世紀には
九州各地へ拡がっていく。
普及する過程で「肥後型(熊本県)」や
「地下式横穴(宮崎県)」などに変化し、
地域色がみられるようになる。
九州外へもわずかに拡散するが、肥後型石室の
構造をよく残しているのは岡山市の千足古墳である。
「畿内型」は5世紀終わり頃に出現するが
6世紀はじめに前方後円墳に採用されて、
その後各地へ普及していく。」 筑紫と肥国が微妙なパワーバランスを保ちながら九州を統治していたんだな。
その両方を支配できるのは筑紫平野か筑後平野だが、筑後平野は血生臭すぎる。
本命は大宰府? 『翰苑』
「邪届伊都傍連斯馬」
(其の國は)伊都(國)に邪(=斜)めに届き、斯馬(國)が傍(=わき)に連なる。
魏書からは場所が想定できない「伊都國」と「斯馬國」の位置について
邪めに届きだけでは上下左右が分からないが、「伊都」が「邪馬台国」に隣接
「斯馬」が「伊都」に隣接していて「邪馬台国」から見た時に同じ方向にある
よって「伊都」が後の怡土郡であり、「斯馬」が後の志摩郡、一大率(筑紫率)のある奴国の南に「邪馬台国」という構図に見事に当てはまる
読み下し文の全文は>>257-258
『魏志倭人伝』
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
”女王国の北側に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。伊都国を常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
”常治”は同じ魏書の用例>>342にあるように”監視”や”監督”
那大津には筑紫率(元・一大率)の遺構があり、今津湾には該当する遺跡が見当たらない
よって一大率は邪馬台国から派遣された国家公務員的立場で、ニューヨーク州に相当する奴国の現在の鴻臚館跡に勤務し、
伊都国は当時唯一の国際空港(リバティー空港)があったニュージャージー州に相当し、一大率が”監視”していた
「以北」は北側という意味。
「諸國畏憚之」に続いて「常治伊都國」とあるため、伊都国は諸国の一つ。
一大率の所在地は女王国内になければならないので、伊都国には存在し得ないという結論に達した >>464
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1497878546/672
> 「自女王國以北特置一大率檢察」
> 女王国より以北は、一大率を置き特に検察す
>
> 「宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛」
> 宮室、楼観、城柵が厳設され、常に人有りて兵を持ち守衛す
>
> 筑紫率(現鴻臚館跡・福岡城内)より南にあって、城柵が厳設された場所なんて大野城か基肄城しかない ┏━━┓ ┏━┓┏┓┏━━━┓
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┗┛ ┗━┛ ┗━━━━━━━┛┗┛┗┛┗┛ ┗━┛ ┗┛ ┗━━┛ ┗┛ 纏向遺跡の皆さんは半島式住居へ引っ越しましたw
〜2世紀 : 唐古鍵遺跡
〜4世紀半ば:纏向遺跡
4世紀末〜:↓奈良・高取
■最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
「建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、
最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と
考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。」
「同町では、朝鮮半島式の床暖房装置(オンドル)を
持つものを含めて約40棟見つかっている。」
「白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は、
建物の時期についてはさらに検討が必要としながらも、
(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが
営んだ重要な施設があったことは間違いないとみている。」
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html 一大率は九州倭国の一員でした。
■魏志韓伝より
國出鐵穢韓倭皆従取之 諸市買皆用鐵如中国用銭 又以供給二郡
「国には鉄が出て、韓、穢、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。」
3世紀頃、鉄は貴重なものでお金として使えるほどだった。
その時代の畿内の遺跡からは鉄が出土しない。
ということは、
・畿内からは採りに行ってない
・九州に分けてもらえなかった(一大率は畿内を無視?)
北部九州と畿内の関係は希薄だったという事。
それは纏向で出土した土器の産地からも分かる。
■纏向遺跡における土器の出身地別比率
伊勢・東海系:49%
北陸・山陰系:17%
河内系:10%
吉備系:7%
近江系:5%
関東系:5%
播磨系:3%
西部瀬戸内海系:3%
紀伊系:1% >>465
キナイコシは無理して例え話を作らなくていいよ。
別にそれで説得力が上がるわけない。 >>472
文盲かな?
キナイコシのアホはアンチ翰苑&伊都国マンセーだよ 誰かを貶めたからといって君の説が支持されるわけでもないのに・・
寧ろ逆に誰も君の言葉に耳を貸さなくなるのに・・ >>474
また発狂して暴れるだけだからそれ以上キナイコシをイビリ倒さんでやってくれ 邪馬台国が筑紫平野だとすれば墓はどこにあるんだろう >>476
カマチョンネタはやめてくれよ
土蜘蛛は奴婢ニダよ〜
こんもり話をもっと
聞いてほしいニダァ〜!
..∧_,,∧
<;`Д⊂ヽ
( ノ ハア?やだよ!
ム_)_) もう論破済みやんけ
∩ ∧_∧
⊂⌒(∀` )
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒ ⌒
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1557178216/311 しかし平原は小さい方墳で推定されてる時代も異なるからな >>479
うるせえよキナイコシ
ワンパターンな反論は聞き飽きた
お前の反論には根拠がない 465日本@名無史さん2019/06/04(火) 21:12:04.25
>『翰苑』
>「邪届伊都傍連斯馬」
>(其の國は)伊都(國)に邪(=斜)めに届き、斯馬(國)が傍(=わき)に連なる。
翰苑の注書きの部分には、下記の記述もある。
それには「伊都国に到る。また南、邪馬嘉国に至る」となっているので、
上の解釈の「(其の國は)伊都(國)に邪(=斜め)に届き、」と矛盾するのではないか。
>広志いわく、「倭国東南陸行五百里、伊都国に到る。また南、邪馬嘉国に至る。
>女(王)国より(自)以北は、その戸数、道里を略載できる。次ぎは斯馬国、次は已百支国、・・」 【平原遺跡の年代について】
・平原の管玉と同類のものは、日本からは出土せず、
韓国の江原道東海市松亭洞一号住居跡や慶尚南道金海郡良洞里三四号木椰墓から多量に出土していて、
時期は、共伴している土器や鉄器から三世紀前半から四世紀と考えられている
・耳璫も晋代(265 – 316年)前後に特徴的な特殊な形状のもので、
漢末から六朝初期に造られたと推測される浙江省杭州老和山搏室墓から出土したものと同型である。
結論
平原遺跡は3世紀中頃、卑弥呼の没年の前後に作られた王墓であり、
被葬者は女性であることから、卑弥呼の墓である可能性が高い。 少なくとも平原遺跡が倭国大乱より前だと考えている人はいないようだ。
明らかに他の後漢鏡より新しい鏡が出るからね。 「大きさ・規模」以外は平原以上にしっくりくる墳墓は無いんだよねえ 近隣の三雲南小路遺跡など、他の王墓も面積的には小さな方形周溝墓だよ。 まあ平原を見て「大作冢」とは言い難い
副葬品は豪華だが 卑弥呼の時代以降墳墓は次第に巨大化していく
本来小さかった偉大な女王の墳墓
偉大だったので大きかったに違いない、と
当時の人々の間でバイアスがかかったとも考えられる・・かも? 卑弥呼の時代以降墳墓は次第に巨大化していく
本来小さかった偉大な女王の墳墓
偉大だったので大きかったに違いない、と
当時の人々の間でバイアスがかかったとも考えられる・・かも? >>486
大きさ・規模も魏志倭人伝の記述に最も近いぞ 平原が最有力だと思うがなぁ
少なくともカマチョンの土蜘蛛こんもりに可能性はない 『径百余歩の大きい冢』
1里約76メートルの短里であれば、1里=300歩、100歩=25.3mとなり、百余歩=30m程度。
現存する平原遺跡1号墓は東西14m×南北10.5mだが、付帯する土坑墓や2つの鳥居までが築造時の冢と考えられ、
その範囲の径は約30m。
『三国志』の他の記述によって指摘されるように巨大墓=墳、
棺を入れるのに丁度良いサイズの墓=冢であることが判明している。
『周礼』などによれば古代中国における墳は概ね4丈(12m)の高さであり、平原遺跡1号墓が2〜3m。
一般的な冢が1m前後であることを考えれば、魏志倭人伝の記述通り「大いに塚を作る」と言える。
殉葬に関しても1965年と1998年の発掘調査によって平原遺跡1号墓に接する平原遺跡2号墓がそれに相当するとされる。
100人強を埋葬できたかという点については大いに疑問が残る部分ではあるが、殉葬墓であることは間違いない。
しかしながら伊都国には「世々王有り」とあり、女王が墓を作るのに適した土地ではないという指摘も払拭できず、
卑弥呼の故郷説など諸説あるが、全て妄想や郷土愛の粋を出ない。 なんたって、阿蘇・高千穂神社山稜ですよ。
径百余歩にピッタシ、本殿背後には密やかに小山(奥津城・塚)もある。
また、その頂上付近一帯に建てられたご本尊の高千穂神社群の歴史は別格。
鎌倉時代には源頼朝の代参もあった。平成時代には秋篠宮のご参拝とコウヤマキのお手植えもあった。 卑弥呼の故郷説は飛びぬけておかしな説でもないと思うんだけどね
戦乱の世を女が鬼道を用いて収めたわけだよ
それはつまり軍事力を背景とせず宗教的な権威であり連合政権的なものを形作ったわけよ
ならば女王が治めた中心国=邪馬台国と女王の故郷は同一じゃない可能性の方が高いのではないか >>504
相変わらずテキトーなウソこくのが好きだねぇ >>505
相変わらず出まかせウソこくのが好きだねぇ
方300里、方400里の記述をなんと心得る、、、 平原は「方10歩」、
余りにもみすぼらしくて、「倭王」に不敬な比定ではないかな。 神社は王宮だが、魏志倭人伝に従うなら、周りに環濠がある高床建物でなければならない。
そして神社は墓ではない。 >>507
距離に関しては実際よりもかなり長く書いてているわけだし、国の大きさや戸数もどうせそんなものだろう
立派な国が朝貢してきたことにしておかないといけないからね
そうすると塚の大きさも実際よりかなり大きく記載している可能性はあるけどな
牛馬がいないのにそんなにでかい墓作れるわけないわけで というか、ぶっちゃけた話をすれば
邪馬台国・北部九州説が平原を卑弥呼の墓にしたいのであって
邪馬台国・宇佐説は宇佐神宮の下にしたいだろうし
佐賀説や熊本説はまた別だろ 墓が平原なら、卑弥呼の出自が肥前だろうが王宮が筑後だろうが構わない。 大陸王朝に朝貢しといてそれから数百年
文字・記録が残ってないのが不思議だよな まともに魏志倭人伝が読み下せるなら平原遺跡1号墓は有力候補 基本的に俺らクソアマチュアなのに
断定的でプロ含めた他説を侮蔑的に貶すやつが多いのはなんでなんだろうな >>517
あるわけないじゃんw
>>518
巣に帰れw
>>519
それもっとアピール出来ないのかな? >>506
製図六体も知らん無能の分際で、よく邪馬台国スレにコメント残す気になったな(爆笑) >>520
福岡県も糸島市も平原遺跡で観光誘致する気はさらさらないようだから発掘調査再開はもうないだろうな >>521
『翰苑』
>A:「邪届伊都傍連斯馬」
>(其の國は)伊都(國)に邪(=斜)めに届き、斯馬(國)が傍(=わき)に連なる。
『翰苑』
>B:広志いわく、「倭国東南陸行五百里、伊都国に到る。また南、邪馬嘉国に至る。
翰苑の注書きには、Bの記述もある。
其のBは「伊都国に到る。また南、邪馬嘉国に至る」となっている.
これは上の製図六体によるA解釈の「(其の國は)伊都(國)に邪(=斜め)に届き、」とは、明らかに矛盾するのではないか。 >>514
8世紀初頭に焚書を行ったから、7世紀以前の書物はほとんどが失われてしまった。
7世紀の政権交代の影響だね。 >>525
なんで学校で教えないんだろうね
すごく重要なことなのに 都合が悪い真実なんだろ。
筑紫にあった倭国が唐に負けて滅んで、傀儡政権としての日本国が誕生しました。
都合が悪いので、それ以前の歴史書は燃やして、都合がいい部分だけ畿内の歴史につなげて日本書紀を書きました。
これよりも、「唐の制度を積極的に取り入れるために遣唐使を送りました」の方が当たり障りがないからね。 >>524
おっ、それいいなあ。今度から俺も使おうっと・・、
ぼく、ヒロシですー。 >>529
センスないのに笑いにチャレンジするなよ >>528
さすがにそれは違うでしょ
本当に傀儡政権だったら唐側に大量に資料残ってるはず
「倭と日本の関係について聞いたらあいつらなんか要領得んわー」なんて言われない >>531
確かに日本が唐の傀儡国家なら、倭が滅びて日本に変わった理由を
認識してるから、遣唐使に国号に関する質問するはずがない >>531
ほほう。
これは面白い反論。
一理あるな。 >>506-507
製図六体を学び直し、三国志を最初から学び直してから一人前の口を利け無能 製図六体は、魏志倭人伝時代の地図と関係があったのではないのかな、、、 製図六体の作者は、天体を観測して、緯度が同じの離れた地点同士の距離の測り方を知っていたのだろうか、、、 狗奴国が邪馬台国を滅ぼし、東征した。
という前提で旧唐書を読んでみる。
■倭國条
倭國者,古倭奴國也。
(倭国はいにしえの倭奴国也)
※倭奴国の頃は狗奴国も一員だったので
あえて倭奴国という古い国名を使って
説明している。
去京師一萬四千里,在新羅東南大海中。
(新羅の東南一万四千里=出雲・吉備?)
※東征進行中?
■日本条
日本國者,倭國之別種也。
(日本国は倭国の別種である)
※畿内政権は倭国とは別物だと言い切ってる
以下、日本使者の言い訳が続く
以其國在日邊,故以日本爲名。
(日出る国だから改名)
或曰:倭國自惡其名不雅,改爲日本。
(字が嫌いだから改名)
或云:日本舊小國,併倭國之地。
(日本は小国だったが倭を併合した)
其人入朝者,多自矜大,不以實對,故中國疑焉。
(日本人は不誠実なので中国はこれを信用しない) 寺沢氏というのはライダー(仮面)?とか、
そういうのが好きな人物のこと?それとも他の人物の話なのかな
『パープルレイン』という曲、
どう見ても仮面ライダーの一人でしょ 『ボーボボ』
>言ったな・・・革命だと
忍者漫画の画像が出てきたりwどういうことだと思う? 家の老婆談と同じような気がするんだけど、
何の話なんだろう
芝居や歌舞伎が〜とか、
そういう話 王子、王子〜と同じような話でしょ
『伊達の桃太郎』 紫色の(衣装をきている)というコンセプトとか、
北斗の拳にも出てきたりw
あと『何者にもなれない お前たち』 パープルレイン・・・、
本当は何かの刀(剣)を持っていたはず
あの、とある漫画でいうと、
銀〜というキャラと同じ感じでしょ? 川崎の重度統合失調症症患者「松傾」は夜明け前に首を吊れよ
前から何度も何度も何度も、
繰り返し繰り返し繰り返し
「死ね!」と命令されているだろう?
むしろ松傾へのレスは「首を吊って死ね」以外にないじゃないか
誰にも相手にされてない=存在する意味がないという事だ
なぜ素直に命令をを聞いて首を吊ることができないんだ??
いくら無能な統合失調症症患者とは言え、
日本語くらい読めるのだろう???
これだけ多くの者達に首を吊れ!と命令されているのだから
さっさとセルフ絞首刑を実行しろよ松傾
夜明け前に必ず実行しろ!
必ずだぞ!!! >>538
何かしら偽ってるのを感じたってことなんだよなあ
個人的には白村江の敗戦まで北九州が首都で
敗戦後に遷都して「あんたらと戦った倭と日本は別の国ですよ」
ってことにしたんじゃないかと思う >>546
素直に解釈していけば、普通はそういう結論に達するよな >>546
>北九州が首都で
そのが大間違い。 @阿波 >>547
唯一の根拠が
「ボクちゃん素直だから」って
ばかですか 素直に読めば小国の日本を倭國が併合して、その名も奪ったとしか読めないんだよなぁ 素直に読めばいくつか列挙された話の一つに過ぎないでしょ >>550
小国の日本=ヤマト王権
倭国=北九州王朝
ってこと? それだと神武が東征する必要が無いんだよね
ただ東のクニを併合して遷都した、って記述するだけでいいわけで 東征や東遷は、後世の講談士のおべんちゃら。
倭国の食い詰め一部勢力が、東へ出稼ぎに行って大成しただけのこと。 >>555
ほほう
倭國宗家ではなく倭國分家が神武の正体という考察か
それを裏付けるような史料とかある? >>553
倭国大乱で逃げ出したんだろう。
すでに東で親戚の饒速日が王国を建設して上手くやっていると塩土爺から聞いて東に向かったとあるからね。
王都であった筑紫の日向を捨てる理由としては、それくらいが一番可能性が高い。 >>556
神武の長兄は阿蘇に居を構えることができた。
しかし火の国に四男神武に居所はなかった。つまり昭和の塊世代の集団就職列車と似たような事情だったのさ・・。、 つまり分家が本家を乗っ取ったから歴史を隠蔽したってこと? つまり分家が本家を乗っ取ったから歴史を隠蔽したってこと? >>560
長男も途中まで一緒だったが、戦死した。 『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。
或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。
或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。
(日本語訳)
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。
あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。
(わかりやすくまとめ)
倭国の使者は異なる3つの説明をした。
A 倭国が日本に改名した。
B 日本と倭国は別の国である。
C 日本は東側の小国だったが倭国を併合した。
倭国の使者は不誠実だったので中国は倭国の使者の話を信用しなかった。
さて、日本国がした説明はどれでしょう?
おそらく、Aが日本国がした説明(嘘)。
真実は、倭国が日本国に改名したのではなく、日本国が倭国の別種であり、倭国を併合した。
倭国は古の倭奴国のこと、つまり九州北部の博多湾沿岸、筑紫のこと。 >>564
阿蘇神社へ帰り咲いた皇兄とは誰だったのだろう。。。 素直に読めば小国の日本を倭國が併合して、その名も奪ったとしか読めないんだよなぁ 阿蘇高千穂よりも、熊本城の天守の地下の方が卑弥呼が発掘される危険が低いので、安らかに眠れて良いのではないのかな、、、 阿蘇高千穂というのは、建日向日豊久士比泥別の中心街だった可能性もあるな。。。 建日向日豊久士比泥別は、豊国との境目を籤で決めた可能性もあるのではないのかな。。。 >>568
しかしなあ、それなら沖ノ島で国家的祭祀が長期にわたり行われた説明がつくよ。
宗像氏族は高天原から筑紫への天孫降臨の守護を司っていたし。 ちなみに旧事本紀では古事記における肥国をさらに肥国(速日別、後の肥前)と日向国(豊久士比泥別、後の肥後)に分けている。 僕達が、奥山氏の作製したスレッドで発表した意見が、複製され貼り付けられているな。。。
570 名前:日本@名無史さん 2019/06/06(木) 14:36:16.72
阿蘇高千穂よりも、熊本城の天守の地下の方が卑弥呼が発掘される危険が低いので、安らかに眠れて良いのではないのかな、、、
571 名前:日本@名無史さん 2019/06/06(木) 14:36:59.98
阿蘇高千穂というのは、建日向日豊久士比泥別の中心街だった可能性もあるな。。。
572 名前:日本@名無史さん 2019/06/06(木) 14:38:05.02
建日向日豊久士比泥別は日向も含むのだったな。。。
573 名前:日本@名無史さん 2019/06/06(木) 14:39:00.86
建日向日豊久士比泥別は、豊国との境目を籤で決めた可能性もあるのではないのかな。。。 このスレッドで人気の高い、白村江の合戦まで、倭国の中心が九州に存在していたという考えを、証明するためには、日本国が実行した文章の焼却行為と真実の改ざん行為を証明するだけではなく、
なぜ、日本国が文章の焼却行為や真実の改ざん行為を実行してまで、倭国が完全に滅亡した事件を、記録しなかったり隠したかという理由を解明しなければいけないのではないのかな。。。 日本国は倭国を併合したのだろうか、、、
それとも、倭国に発生した革命が日本国を誕生させたのだろうか。。。 >>557
旧唐書は編纂完了が945年だから
日本書紀の編纂完了の720年より
かなり遅いから同時代史料とは言いがたい
したがって、その記述をそのま信用ことはできない 旧唐書 原文より
■倭國条 〜631年
倭國者,古倭奴國也。
(倭国はいにしえの倭奴国也)
去京師一萬四千里,在新羅東南大海中。
(新羅の東南一万四千里) 2千里増
■日本条 701年〜
日本國者,倭國之別種也。
(日本国は倭国の別種である)
↓以下、日本使者の言い訳が続く
以其國在日邊,故以日本爲名。
(日出る国だから改名した)
或曰:倭國自惡其名不雅,改爲日本。
(字が嫌いだから改名した)
或云:日本舊小國,併倭國之地。
(小国だった日本国が倭国を併合した)
其人入朝者,多自矜大,不以實對,故中國疑焉。
(日本人は不誠実なので中国はこれを信用しない) 中国の皇帝に関することは、朝廷内で皇帝に侍る史官が、皇帝および国家の重大事を記録する「起居注」を蓄積し、
皇帝が崩御すると、代ごとに起居注をまとめた「実録」が編纂される
王朝が滅んだ際には次に正統を継いだ王朝が国家事業として、前王朝の皇帝ごとの実録を元に正史を編纂する
という流れになるので、外交関係の記事は信頼性は高い 素直に読めば小国の日本を倭國が併合して、その名も奪ったとしか読めないんだよなぁ >A 倭国が日本に改名した
これが史実だろう、国号が倭国から日本に変わったのは天皇号の成立と共に
早ければ推古朝から遅くても天武朝の間だよ 素直に読めば
「あいつらに聞いてもはぐらかしやがるww適当な連中だwwww」
としか読めないんだよなあ 日本側の建前では、建国の時から国号は日本で、君主号は天皇だから
倭と日本との関係を突っ込まれたら、それは返事が曖昧になるわな いや本来曖昧にはならないでしょ
ヤマト王権たる日本が九州地方を征服したんならそうはっきり言えばいい
ならばなぜ東征した、という事にしたのか しかも白村江の戦いの後で、だ
「あんたらと戦った九州の倭はうちらがぶっ倒しちゃいましたよwこれからよろしくね!」
で済むはずだ >>587
東征してきた狗奴国が邪馬台国時代の金印を持ってたから。
そして、この金印を持って倭国に成りすまして朝貢する必要があったから。 >>587
倭が九州だというのは中国にとって自明だったからでしょ。 飼い犬の写真を、孫が、引き伸ばしてくれるのではないのかな、、、 磯釣りは、僕達の娘婿が趣味にしている物事だが、魏志倭人伝とは、どのような関係性があるのだろうか、、、 磯釣りは、船で、釣り場に行くのではないのかな、、、 まあ、白村江の大敗北で
48000の兵が壊滅するくらいじゃなければ
九州倭国から畿内日本に政権が移る
理由が無いからな。
それもクーデターで、天武天皇が
隙をついてやらかすのがやっとで
後にはまた天智天皇系に戻るから、
九州が復興したら取り戻されたっぽい。 磯釣りは、やったことはないが、僕達は??み捕りが得意だったな、、、 ??み捕った魚は、すぐに、岸に投げれば、完全に捕獲できるのだったな、、、 源氏だったか平家だったか
敗北して九州で兵を集める話があるが
要は九州は人口が多くて飽和気味だから
余った人間が多くて兵を集めやすいわけだ。 素直に読めば小国の日本を倭國が併合して、その名も奪ったとしか読めないんだよなぁ プリンス、浦島太郎・・・(本当は〜みたいな話でしょ)、
同じ話をしているんだけど、なぜだと思う?
『伊達の桃太郎』
謎の刀(劔)を持っていたという話も同じ、
銀〜という親戚がいて ウラシマン(王子)、
むかーしの何かの家なんだろう・・・みたいな話とか
有名な話のかな ウラシマンというと、
カメがいるよ・・・・龍宮〜の話でしょ
むかーし住んでいたところがあるんだけど、
311 放射能になっていたり?
どこかに連絡でもあったのかな? なんとなくなんだけど、
家の父親の話なんじゃないの?
あの謎のアニメもそう、
キュウリの葉、葱の華・・・家の写真と同じだし
『ドリフターズ』
家と同じような名前の人物が出てくるでしょ、
龍宮〜みたいな設定の人物 川崎の重度統合失調症症患者「松傾チョンコ」は日の出前に首を吊れよ
何度も!何度も!何度も!
繰り返し!繰り返し!繰り返し
「即死しろ!」と命令されているだろう?
むしろ松傾チョンコへのレスは「首を吊って死ね!」以外にないじゃないか
誰にも相手にされてない=存在する意味がないという事だろう?
なぜ素直に命令をを聞いて首を吊ることができないんだ??
いくら無能な統合失調症症患者のヒトモドキとは言え、
日本語くらい読めるのだろう???
これだけ多くの者達に首を吊れ!と命令されているのだから
さっさとセルフ絞首刑を実行しろよ松傾チョンコ
日の出前に必ず実行しろ!
必ずだぞ!!! 家の父親なんだよな・・・、
暴力団やヤクザではないんだけど、
言葉遣いも・・・・・・・・・・だしな
老婆も、なんで、
こんなふうになったんだろうと言っていたしw >>606
川崎の重度統合失調症症患者「松傾チョンコ」は日の出前に首を吊れよ
何度も!何度も!何度も!
繰り返し!繰り返し!繰り返し
「即死しろ!」と命令されているだろう?
むしろ松傾チョンコへのレスは「首を吊って死ね!」以外にないじゃないか
誰にも相手にされてない=存在する意味がないという事だろう?
なぜ素直に命令をを聞いて首を吊ることができないんだ??
いくら無能な統合失調症症患者のヒトモドキとは言え、
日本語くらい読めるのだろう???
これだけ多くの者達に首を吊れ!と命令されているのだから
さっさとセルフ絞首刑を実行しろよ松傾チョンコ
日の出前に必ず実行しろ!
必ずだぞ!!! 小国の日本が倭国を併合したのか、
小国の日本を倭国が併合して名を奪ったのか
どっちなん? 旧唐書や新唐書を読み下すときに気になって仕方がないのは”何”読みをすべきかという点。
例えば「阿毎」
一般に日本の歴史研究では阿(ア)毎(マイ)→アマと解釈されるが、仮に大陸人が倭人の発音を音釈したと仮定すれば、
阿(ア)毎(メィ)→アメだとすることも出来る。
くだんの旧唐書にある小国日本が倭を併せたのか、新唐書にある倭が小国日本を併せた上に其の号を冒したのかを
語る上で見逃せないのが
「其王姓阿毎氏 自言初主號天御中主 至彦瀲 凡三十二世 皆以 尊 為號 居筑紫城」
”其の王 姓は「阿毎」氏、自ら言う 初めの主は天御中主を號し、彦瀲に至り、凡そ32世、皆な「尊」を以て號と為し、
筑紫城に居する。”
一般に日本の歴史研究では「彦瀲」はヒコナギサ→ヒコナギサ武??草葺不合と同一視されるが、なぜ姓が呉音で
名は訓読みなのだろうか?
「阿毎」を呉音で読むのなら「彦瀲」もゲンレンと読むべきではないのか? >>613
5chで文盲と無能はdisられるのが常
レスするならちゃんと勉強してからにしよう >>610
>なぜ姓が呉音で、名は訓読みなのだろうか?
これはなかなかの指摘。
というのは、そもそも性はファミリー(種族・氏族)を表し、名は個人を表す
つまり上の例でいえば、姓(種族)は呉音(呉系種族)であり、名は日本読み(その渡来の孫の某)であるということになる。 だからそこら辺は編集上の問題でしょ
新唐書・旧唐書、全て同じ資料を基に編纂されたわけじゃない
「阿毎」は呉音の資料、「彦瀲」は訓読みの資料を基に記述されただけ
てかこれって資料精査の基本じゃないの? 家の老婆も・・・、
あまり性格が良くなかったと言っているし、
よくわからないけど、偉そうな事ばかり言っていたとかw
『母親談』
老婆の性格に似ているんだろうと言ったこともある、
・・・・・・・・・・・・・・・おかしな話ばかり 芸能人(ミュージシャンなど)でもない・・・、
そういう設定、役を演じているというわけでもないしな。 とある漫画の登場人物
>意思疎通が可能となり
普通の会話ができないと言いたいんだろう、
「わかった」「そうだね」「」「」とか・・・、そうう会話ができない
家の父親と同じだしな、何か知っている人がいるのかなw 漫画やアニメのキャラター(仮名)と同じ
『一方通行』とか 意思疎通ができない・・・一方通行、
なんで詳しい人がいるんだろう
俺(私)が右と言えば右、左と言えば左・・・、
大統領?誰だったかな、そういうキャラ(性格)と同じだと言いたいのかな 老婆が言っている、銀〜?という親戚、
その銀〜と、家の父親と・・・、を合わせたようなキャラなのかな
そのような気がするんだけど >>616
せやろか?
「自言」と書いとんねんから唐王朝は天皇から書簡を受け取ってたんちゃうか?
「ハロー!皇帝!ワイが日本の王やで! ・・・初代は天御中主で彦瀲まで32代も続いとって代々尊を名乗って筑紫城に住んどったんやが、彦瀲の子、神武が立ってからは天皇を名乗り、大和州まで治めとるんやで。」
これを受け取った中華帝が使者に聞いたんよ「相分かったが、お前の王の姓は何と申す?」
使者「姓はアメやで」
中華帝「アメ?」
使者「せや、アメやで」
欧陽脩&曾公亮「アメとか言ってたらしいから阿毎氏って書いておきましょう」 >>625
面白いな。
天御中主、彦瀲、尊、筑紫城、神武、天皇、大和州は
日本側からの書簡に漢字で書かれていたから訓読み可能で、
阿毎氏は使者からの聞き取りだから呉読みになったという解釈か。 面白いってか、基本的な精査で余裕で解釈可能な範囲じゃ・・ 其王姓阿毎氏←聞き取った事実
自言〜以降←向こうが言う所に依ると >>626
> 阿毎氏は使者からの聞き取りだから呉読みになったという解釈か。
阿毎氏も、阿波の海人氏(海人族) だと、何度言えばw @阿波 上古音に詳しい人おらん?
阿毎がアマなのかアメなのかキチンと説明できる人求む 中古音だと阿毎は何て発音するんだろ?
呉語だと阿毎は何て発音するんだろ? >>635
テキトーにしか答えられんならレスすんなよ無能 >>625
>欧陽脩&曾公亮「アメとか言ってたらしいから阿毎氏って書いておきましょう」
アメだったら他の字を当てるだろ。
アマと名乗ったんだよ。 >>636
それも現代中国語の?音と注音なんだよなぁ・・・ >>628
>其王姓阿毎氏←聞き取った事実
>自言〜以降←向こうが言う所に依ると
ですよねー
ちゃんと明記されていることを、さも新発見のように言われても困るよね >>638
テキトーにしか答えられんならレスすんなよ無能
てめぇの願望なんど不要だ無能 天御中主から三十二世先の彦瀲まで筑紫城に住んでて、彦瀲の子の神武が東征した
倭国が小国の日本を平らげて日本という名も奪ったってことになるね で、アマなのかアメなのか根拠を持って解説できる賢者はおらんのか? >>642
東征した神武の末裔が九州も支配するようになったのなら、別種の小国(日本)が倭を併合したということになる。 そもそもが海の事ではなく海洋漁労民族(海人)のことなら、アマしかない。 上古音で「阿毎」は「アムェ」
これで天(アメ)≠海(ワタ)が確実に証明された感じだな >>652
ウソやろと思って調べたら日本書紀の本文には持統天皇の諡号である高天原廣野姫天皇しかないんだな
初めて知ったわ 別アマ津神で「天」を持つ神はアメ之御中主神とアメ之常立神の二柱
伊邪那岐と伊邪那美が立ったのはアメ之浮橋、かき混ぜたのはアメ之瓊矛、淤能碁呂島で建てたのはアメの御柱
神産みで生まれた「天」を持つ神はアメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、
アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、鳥之石楠船神はアメの鳥船だし、十拳剣もアメ之尾羽張
むしろ天をアマと例外的に読ませるのは天照大神と大倭豊秋津島の別名 天御虚空豊秋津根別くらいのもの >>656
天の御中主はアメだけど、残りはアマだろ。 上古音で「阿毎」は「アムェ」
これで天≠アメは証明されたな >>659-660
流石にそれは無理がある
無知無能やら厚顔無恥と罵られても擁護できないレベル アマが海人(アマ)と天(アメ)に分化したのだろう。 >>663
今まさにそれが否定されてんだぞ無能www もしかしてアメの浮橋とか読むのか?
普通はアマの浮橋なのだが、ググると両方出るな。 >>663
>アマが海人(アマ)と天(アメ)に分化したのだろう。
阿南の海人が四国山地に進出したからだよ。 @阿波 >>666
否定実例しか出てきてないやんけ
むしろ海(アマ)=天(アマ)の根拠は一つも上がった試しがないやろ(笑) >>646が示したhttps://www.zdic.net/zd/yy/sgy/%E6%AF%8Eで阿毎はアムェでありアマではないことが確定
>>656が示した日本書紀の記述で天をアマと読むほうが少数例であることが判明 しかしアメではないな。
アムならアマのほうが近い。
アムがアマ(海人)とアメ(天)に分化したという考え方もあるか。 >>671-672
流石にそれは無理があるぞ無能w
無知無能やら厚顔無恥と罵られて当然ってレベルwww 今朝もいつもの得意ワザが炸裂しとるな
朝鮮ヒトモドキ三種の神技
記憶喪失(論破されても半日で忘れる)
文盲病(前後の文脈や論の大局を読めない)
チョンコロ目(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る) >>646 にある毎の上古音は mw:s だろ
これはムェなのか?
廣韻では muAi とかいろいろあるみたいだし、
蒙古字韻は mue のようだが >>678
656を10回くらい音読したら良いよ。
そしたら自分がどんだけ朝鮮脳だか分かると思うよ。 上古音で「阿毎」は「アムェ」
これで天≠アメは証明された >>681
>これで天≠アメは証明された
で、それで邪馬台国はどこに決まったの? なにを一生懸命やってんの? @阿波 >>682
何言ってんの?奴国の那津に設置された一大率の南だよ? >>683
>奴国の那津に設置された一大率の南だよ?
何言ってんの? @阿波 >>685
お前までキナイコシのマネしなくて良いぞ 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョンおよびヅラチョン、海人族スレでは摂津チョンコ
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹き、様々なスレを逃げ回る
さらに突如として別キャラでネチネチと書き殴ることも少なくない
しばらくすると記憶喪失を発動させて懲りずに妄想を書きなぐるが、読解力に乏しく、
また思考に一貫性がないのでアルツハイマーの可能性が高い
朝鮮ヒトモドキ三種の神技
記憶喪失(論破されても半日で忘れる)
文盲病(前後の文脈や論の大局を読めない)
チョンコロ目(見たくないものは見えず、見たいものは捏造してでも見る) >>686
なに言ってるのか、だれにもわからんよ。 @阿波 >>689
>つ>687
どっちも、いい勝負だよ。 どっちもいい加減にしといたほうがいいよ。 トンデモ同士。 @阿波 >>691
>あらすな
じゃ、馬鹿論争を永遠に楽しみ給え。 @阿波 ??だろう
が断定の表現というご意見には驚かされますな
これでは意思の疎通が困難なのも頷ける なぜ、天の読み方が討論の議題になっているのだろうか、、、
そして、この文章からは、之という字が続く時の天はアメと読み、之という字が続かない時の天はアマと読むということがわかるな。。。
656日本@名無史さん2019/06/07(金) 10:31:25.19
別アマ津神で「天」を持つ神はアメ之御中主神とアメ之常立神の二柱
伊邪那岐と伊邪那美が立ったのはアメ之浮橋、かき混ぜたのはアメ之瓊矛、淤能碁呂島で建てたのはアメの御柱
神産みで生まれた「天」を持つ神はアメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、
アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、鳥之石楠船神はアメの鳥船だし、十拳剣もアメ之尾羽張
むしろ天をアマと例外的に読ませるのは天照大神と大倭豊秋津島の別名 天御虚空豊秋津根別くらいのもの 僕達が、奥山氏のスレッドで発表した意見が、またもや、質の悪いキナイコシに複製されて、このスレッドに貼り付けられているな。。。
591日本@名無史さん2019/06/06(木) 20:26:56.57
飼い犬の写真を、孫が、引き伸ばしてくれるのではないのかな、、、
592日本@名無史さん2019/06/06(木) 21:50:26.50
磯釣りは、僕達の娘婿が趣味にしている物事だが、魏志倭人伝とは、どのような関係性があるのだろうか、、、
593日本@名無史さん2019/06/06(木) 21:52:09.67
磯釣りは、船で、釣り場に行くのではないのかな、、、
594日本@名無史さん2019/06/06(木) 21:53:07.64
まあ、白村江の大敗北で
48000の兵が壊滅するくらいじゃなければ
九州倭国から畿内日本に政権が移る
理由が無いからな。
それもクーデターで、天武天皇が
隙をついてやらかすのがやっとで
後にはまた天智天皇系に戻るから、
九州が復興したら取り戻されたっぽい。
595日本@名無史さん2019/06/06(木) 21:53:15.44
磯釣りは、やったことはないが、僕達は�ン捕りが得意だったな、、、
596日本@名無史さん2019/06/06(木) 21:53:53.88
�ン捕った魚は、すぐに、岸に投げれば、完全に捕獲できるのだったな、、、 >>694
無能過ぎんだろwww
天津神なんて日本書紀にも古事記にも出てこない単語だぞwwwww 目次見ただけで面白いw
誤りと偽りの考古学・纒向
これは、第二の旧石器捏造事件だ!
安本美典 著
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=101015 日本書紀神代紀に登場するアメ神
別天津神
アメ之御中主神とアメ之常立神
神産み
アメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、アメの鳥船こと鳥之石楠船神
誓約
アメの忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
その他
アメの手力男神、アメの児屋命、アメの宇受売命、アメの若日子
場所
アメ之浮橋、アメの御柱、アメの安河、アメの真名井、アメの岩戸
物
アメ之瓊矛、アメ之尾羽張、
日本書紀神代紀に登場するアマ神
別天津神
なし
神産み
アマ照大神
誓約
アマ津日子根命
その他
なし
場所
高天原(古事記ならびに日本書紀の一書のみ)
物
なし >>700
>誓約
>アメの忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
>その他
>アメの手力男神、アメの児屋命、アメの宇受売命、アメの若日子
>場所
>アメ之浮橋、アメの御柱、アメの安河、アメの真名井、アメの岩戸
>物
>アメ之瓊矛、アメ之尾羽張、
この辺りはアマだと思う。 >>704
アマなんて読むのは無能のチョンコロだけでしょうね。 年寄りのような言葉でしょ
お前の言ってることは一方通行なんだよ、
家の老婆も言ったりしていたよ
そういう言葉を使っていたw お前の言ってることは一方通行なんだよ、
年寄りが使用したりするでしょ
戦前の生まれ? 数年前の、とあるスレw
このような事を言ってる人もいたでしょ
『デスラ〜』 川崎の重度統合失調症症患者「松傾チョンコ」は今日中に首を吊れよ
何度も!何度も!何度も!
繰り返し!繰り返し!繰り返し
「即死しろ!」と命令されているだろう?
むしろ松傾チョンコへのレスは「首を吊って死ね!」以外にないじゃないか
誰にも相手にされてない=存在する意味がないという事だろう?
なぜ素直に命令をを聞いて首を吊ることができないんだ??
いくら無能な統合失調症症患者のヒトモドキとは言え、
日本語くらい読めるのだろう???
これだけ多くの者達に首を吊れ!と命令されているのだから
さっさとセルフ絞首刑を実行しろよ松傾チョンコ
今日中に必ず実行しろ!
必ずだぞ!!! とある漫画に登場する人物
>意思疎通が可能となり
普通の会話などが?
出来ない(できなかった?いまも?)という意味でしょ、
本当に同じようなコンセプト
『一方通行 意味』 満州先生の新刊「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売中ですよ。
Amazonのみの発売なので、売り切れる前に君も買おう! 日本書紀神代紀に登場するアメ神
別天津神
アメ之御中主神とアメ之常立神
神産み
アメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、アメの鳥船こと鳥之石楠船神
誓約
アメの忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
その他
アメの手力男神、アメの児屋命、アメの宇受売命、アメの若日子
場所
アメ之浮橋、アメの御柱、アメの安河、アメの真名井、アメの岩戸
物
アメ之瓊矛、アメ之尾羽張、
日本書紀神代紀に登場するアマ神
別天津神
なし
神産み
アマ照大神
誓約
アマ津日子根命
その他
なし
場所
高天原(古事記ならびに日本書紀の一書のみ)
物
なし
これらを根拠とし、天の原音はアメであり、海ならびに海人を示すアメとの同一視はできないとの結論に至った アマ→アメって語尾変化する単語だっただけじゃね。
阿毎の上古音amwag(右のaはeを180度回転した奴)だけど、
アムァよりアブァって聞こえるんかな。アバはヘブライ語で
父でエホバと同じく神の名だね。
アマ・アメは元は雨の意味しかなく、渡来人が神と関連して
天を表す言葉として導入したとか。 雨の人では意味が通らない。
海人だから南方の海洋民族としての意味が通る。 日本書紀神代紀に登場するアメ神
別天津神
アメ之御中主神とアメ之常立神
神産み
アメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、アメの鳥船こと鳥之石楠船神
誓約
アメの忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
その他
アメの手力男神、アメの児屋命、アメの宇受売命、アメの若日子
場所
アメ之浮橋、アメの御柱、アメの安河、アメの真名井、アメの岩戸
物
アメ之瓊矛、アメ之尾羽張、
日本書紀神代紀に登場するアマ神
別天津神
なし
神産み
アマ照大神
誓約
アマ津日子根命
その他
なし
場所
高天原(古事記ならびに日本書紀の一書のみ)
物
なし
これらを根拠とし、天の原音はアメであり、海ならびに海人を示すアメとの同一視はできないとの結論に至った 個人的な願望などを排除すれば
>>716への学術的反論て不可能なんだよな そうか?
アマと呼ぶべきものをアメと呼ぶと言い張っているだけのようだが?
そもそも日本書紀がベースだと、後世の畿内訛りが出ているだけにしか見えない。
古事記だとアマが原型だと思う。 >>718
それこそお前の無能願望でしかないやんけ
日本書紀も古事記も初期において天は全てアメ
のちにアマに音変したと見るのが正常な脳みその持ち主 阿毎は阿毎、
海は海、
天は天、・・これが漢民族の漢字の世界。 アマとしか読まな事例がある以上、アマがオリジナル。
アメとしか読まない事例はあるか? アメとかアマとかは、八世紀の大和朝廷段階のお話だろうな、、。 >>723
音変てのは読みやすいから変化する。
アマ、アメ両方で読める単語が日本神話にあるということはアメがアマに音変した証拠でもあり、天の原発音がアメであることの証拠。 日本書紀神代紀に登場するアメ神
別天津神
アメ之御中主神とアメ之常立神
神産み
アメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、アメの鳥船こと鳥之石楠船神
誓約
アメの忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
その他
アメの手力男神、アメの児屋命、アメの宇受売命、アメの若日子
場所
アメ之浮橋、アメの御柱、アメの安河、アメの真名井、アメの岩戸
物
アメ之瓊矛、アメ之尾羽張、
日本書紀神代紀に登場するアマ神
別天津神
なし
神産み
アマ照大神
誓約
アマ津日子根命
その他
なし
場所
高天原(古事記ならびに日本書紀の一書のみ)
物
なし
これらを根拠とし、天の原音はアメであり、海ならびに海人を示すアメとの同一視はできないとの結論に至った >>725
前半と後半のつながりの論理性が不明。
高天原のように、アマとしか読めない語が存在する以上、アメは訛りに過ぎないのではないか。
>>700
>誓約
>アメの忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
>その他
>アメの手力男神、アメの児屋命、アメの宇受売命、アメの若日子
>場所
>アメ之浮橋、アメの御柱、アメの安河、アメの真名井、アメの岩戸
>物
>アメ之瓊矛、アメ之尾羽張、
この辺りはアマの方が一般的だと思う。
アマ之浮橋は知っているが、アメ之浮橋などと読む地方もあるのか? 朝鮮人の歴史が少しでも古くから始まっていることを宣伝したい者達の年代の操作に、日韓編年交差という得体の知れない形で同調した邪馬台国畿内説という、共産主義思想と同様に唯物史観を前提にした、詭弁に満ち溢れた仮説では、
魏志倭人伝時代の桜井市から伊都国に一大率を派遣し、九州を支配したという空想を、どのような詭弁で説明するのだろうか。。。 朝鮮人の歴史が少しでも古くから始まっていることを宣伝したい者達の年代の操作に、日韓編年交差という得体の知れない形で同調した邪馬台国畿内説という、共産主義思想と同様に唯物史観を前提にした、詭弁に満ち溢れた仮説では、
魏志倭人伝時代の桜井市から伊都国に一大率を派遣し、九州を支配したという空想を、どのような詭弁で説明するのだろうか。。。 朝鮮人の歴史が少しでも古くから始まっていることを宣伝したい者達の年代の操作に、日韓編年交差という得体の知れない形で同調した邪馬台国畿内説という、共産主義思想と同様に唯物史観を前提にした、詭弁に満ち溢れた仮説では、
魏志倭人伝時代の桜井市から伊都国に一大率を派遣し、九州を支配したという空想を、どのような詭弁で説明するのだろうか。。。 朝鮮人の歴史が少しでも古くから始まっていることを宣伝したい者達の年代の操作に、日韓編年交差という得体の知れない形で同調した邪馬台国畿内説という、共産主義思想と同様に唯物史観を前提にした、詭弁に満ち溢れた仮説では、
魏志倭人伝時代の桜井市から伊都国に一大率を派遣し、九州を支配したという空想を、どのような詭弁で説明するのだろうか。。。 朝鮮人の歴史が少しでも古くから始まっていることを宣伝したい者達の年代の操作に、日韓編年交差という得体の知れない形で同調した邪馬台国畿内説という、共産主義思想と同様に唯物史観を前提にした、詭弁に満ち溢れた仮説では、
魏志倭人伝時代の桜井市から伊都国に一大率を派遣し、九州を支配したという空想を、どのような詭弁で説明するのだろうか。。。 祭祀連合だから支配ー被支配構造じゃないんだって。プ。 >>727
アマ、アメ両方で読める単語が日本神話にあるということはアメがアマに音変した証拠でもあり、天の原発音がアメであることの証拠。
これで完全論破だよ 僕達が、破綻した邪馬台国畿内説を宣伝するスレッドで発表した意見が、またもや、質の悪いプロ固定に複製されて、このレベルの高いスレッドに貼り付けられているな。。。
732日本@名無史さん2019/06/08(土) 11:50:08.20
次回のスレッドが有ります、、、
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1546479826/l50
733日本@名無史さん2019/06/08(土) 11:57:39.04
朝鮮人の歴史が少しでも古くから始まっていることを宣伝したい者達の年代の操作に、日韓編年交差という得体の知れない形で同調した邪馬台国畿内説という、共産主義思想と同様に唯物史観を前提にした、詭弁に満ち溢れた仮説では、
魏志倭人伝時代の桜井市から伊都国に一大率を派遣し、九州を支配したという空想を、どのような詭弁で説明するのだろうか。。。 取り合えずアマアメ論争はひとまず休止しない?
スレが機能しなくなってきた やはり、プロ固定は、頭が悪すぎるので、頓珍漢な意見を発表したな、、
空気シャワーには、中性子が、含まれていることも、
地上の物体の原子核が、空気シャワーの中性子を捕獲したらどうなるかも、
邪馬台国畿内説を宣伝するプロ固定は、まるで知らないし、想像も出来ないのだな、、、
156日本@名無史さん2019/06/08(土) 16:14:10.47
>>150
>空気のシャワーで脳細胞を構成する炭素14を崩壊させられ
あまりにもバカすぎるから少し添削するかね
「空気のシャワー」
これ、宇宙線が大気上層に侵入して高層大気の原子と衝突して
生じる高エネルギーの粒子シャワー、二次宇宙線のことが言いたいんだろ?ww
空気のシャワー=エアシャワーは、クリーンルームの入り口なんかにあるやつだぞww
まあ、二次宇宙線のことを「空気シャワー」と表現することもあるけれど、
「空気のシャワー」とは言わない
>脳細胞を構成する炭素14
高エネルギーの粒子シャワーが衝突すると想定されているのは、14Nだ
14Nに高エネルギーの中性子が衝突して、以下の反応が起こる
14N + n(中性子) → 14C + p(陽子)
この反応で、質量数14の窒素が、原子番号が一つ小さい質量数14の炭素に変換される
脳細胞中にも14Cは存在するけれど、それは元から大気中にあったものが植物の光合成で
固定され食物連鎖で人の脳まで届いたもので、二次宇宙線によって生じるものではないし、
二次宇宙線の衝突は14Cを生成する方向の反応であり、14Cのベータ崩壊は14C原子核の
不安定さによって自発的に起こるものだ 北部九州から、祭祀連合の構成国であるための、独立した、75パーの確率の根拠である、カエルや桃や木製仮面や木製鶏は、発見されたのだろうか、、、 頭が悪すぎる意見なので、何度でも貼り付けて、笑えば良いな、、、
156日本@名無史さん2019/06/08(土) 16:14:10.47
>>150
>空気のシャワーで脳細胞を構成する炭素14を崩壊させられ
あまりにもバカすぎるから少し添削するかね
「空気のシャワー」
これ、宇宙線が大気上層に侵入して高層大気の原子と衝突して
生じる高エネルギーの粒子シャワー、二次宇宙線のことが言いたいんだろ?ww
空気のシャワー=エアシャワーは、クリーンルームの入り口なんかにあるやつだぞww
まあ、二次宇宙線のことを「空気シャワー」と表現することもあるけれど、
「空気のシャワー」とは言わない
>脳細胞を構成する炭素14
高エネルギーの粒子シャワーが衝突すると想定されているのは、14Nだ
14Nに高エネルギーの中性子が衝突して、以下の反応が起こる
14N + n(中性子) → 14C + p(陽子)
この反応で、質量数14の窒素が、原子番号が一つ小さい質量数14の炭素に変換される
脳細胞中にも14Cは存在するけれど、それは元から大気中にあったものが植物の光合成で
固定され食物連鎖で人の脳まで届いたもので、二次宇宙線によって生じるものではないし、
二次宇宙線の衝突は14Cを生成する方向の反応であり、14Cのベータ崩壊は14C原子核の
不安定さによって自発的に起こるものだ
ザラゴキといい連続句読点といい、よく分かっていないことを書きこんで自ら恥をかくというのは
どういう芸風なんだろう?
日本人の価値観ではよく分からないなww やはり、プロ固定は、頭が悪すぎるので、頓珍漢な意見を発表したな、、
空気シャワーには、中性子が、含まれていることも、
地上の物体の原子核が、空気シャワーの中性子を捕獲したらどうなるかも、
邪馬台国畿内説を宣伝するプロ固定は、まるで知らないし、想像も出来ないのだな、、、
156日本@名無史さん2019/06/08(土) 16:14:10.47
>>150
>空気のシャワーで脳細胞を構成する炭素14を崩壊させられ
あまりにもバカすぎるから少し添削するかね
「空気のシャワー」
これ、宇宙線が大気上層に侵入して高層大気の原子と衝突して
生じる高エネルギーの粒子シャワー、二次宇宙線のことが言いたいんだろ?ww
空気のシャワー=エアシャワーは、クリーンルームの入り口なんかにあるやつだぞww
まあ、二次宇宙線のことを「空気シャワー」と表現することもあるけれど、
「空気のシャワー」とは言わない
>脳細胞を構成する炭素14
高エネルギーの粒子シャワーが衝突すると想定されているのは、14Nだ
14Nに高エネルギーの中性子が衝突して、以下の反応が起こる
14N + n(中性子) → 14C + p(陽子)
この反応で、質量数14の窒素が、原子番号が一つ小さい質量数14の炭素に変換される
脳細胞中にも14Cは存在するけれど、それは元から大気中にあったものが植物の光合成で
固定され食物連鎖で人の脳まで届いたもので、二次宇宙線によって生じるものではないし、
二次宇宙線の衝突は14Cを生成する方向の反応であり、14Cのベータ崩壊は14C原子核の
不安定さによって自発的に起こるものだ 頭が悪すぎる意見なので、何度でも貼り付けて、笑えば良いな、、、
156日本@名無史さん2019/06/08(土) 16:14:10.47
>>150
>空気のシャワーで脳細胞を構成する炭素14を崩壊させられ
あまりにもバカすぎるから少し添削するかね
「空気のシャワー」
これ、宇宙線が大気上層に侵入して高層大気の原子と衝突して
生じる高エネルギーの粒子シャワー、二次宇宙線のことが言いたいんだろ?ww
空気のシャワー=エアシャワーは、クリーンルームの入り口なんかにあるやつだぞww
まあ、二次宇宙線のことを「空気シャワー」と表現することもあるけれど、
「空気のシャワー」とは言わない
>脳細胞を構成する炭素14
高エネルギーの粒子シャワーが衝突すると想定されているのは、14Nだ
14Nに高エネルギーの中性子が衝突して、以下の反応が起こる
14N + n(中性子) → 14C + p(陽子)
この反応で、質量数14の窒素が、原子番号が一つ小さい質量数14の炭素に変換される
脳細胞中にも14Cは存在するけれど、それは元から大気中にあったものが植物の光合成で
固定され食物連鎖で人の脳まで届いたもので、二次宇宙線によって生じるものではないし、
二次宇宙線の衝突は14Cを生成する方向の反応であり、14Cのベータ崩壊は14C原子核の
不安定さによって自発的に起こるものだ
ザラゴキといい連続句読点といい、よく分かっていないことを書きこんで自ら恥をかくというのは
どういう芸風なんだろう?
日本人の価値観ではよく分からないなww やはり、プロ固定は、頭が悪すぎるので、頓珍漢な意見を発表したな、、
空気シャワーには、中性子が、含まれていることも、
地上の物体の原子核が、空気シャワーの中性子を捕獲したらどうなるかも、
邪馬台国畿内説を宣伝するプロ固定は、まるで知らないし、想像も出来ないのだな、、、
156日本@名無史さん2019/06/08(土) 16:14:10.47
>>150
>空気のシャワーで脳細胞を構成する炭素14を崩壊させられ
あまりにもバカすぎるから少し添削するかね
「空気のシャワー」
これ、宇宙線が大気上層に侵入して高層大気の原子と衝突して
生じる高エネルギーの粒子シャワー、二次宇宙線のことが言いたいんだろ?ww
空気のシャワー=エアシャワーは、クリーンルームの入り口なんかにあるやつだぞww
まあ、二次宇宙線のことを「空気シャワー」と表現することもあるけれど、
「空気のシャワー」とは言わない
>脳細胞を構成する炭素14
高エネルギーの粒子シャワーが衝突すると想定されているのは、14Nだ
14Nに高エネルギーの中性子が衝突して、以下の反応が起こる
14N + n(中性子) → 14C + p(陽子)
この反応で、質量数14の窒素が、原子番号が一つ小さい質量数14の炭素に変換される
脳細胞中にも14Cは存在するけれど、それは元から大気中にあったものが植物の光合成で
固定され食物連鎖で人の脳まで届いたもので、二次宇宙線によって生じるものではないし、
二次宇宙線の衝突は14Cを生成する方向の反応であり、14Cのベータ崩壊は14C原子核の
不安定さによって自発的に起こるものだ 小学率は、中性子捕獲を、インターネットで調べている最中なのではないのかな、、、 城や柵で、防衛されていた、卑弥呼の宮は、どのような宮だったのだろうか、、、 天を何が何でもアマだったと言い張りたい馬鹿が発狂中、、、 朝鮮人は何で天をアマと読みたがるの?
アメじゃトンスルヒスト(テ)リーに繋げられないとか? >>727
アマ、アメ両方で読める単語が日本神話にあるということはアマがアメに音変した証拠だ。
そして天照、高天原のようにアマとしか読めない語があることが、天の原発音がアマであることの証拠。
これで完全論破だよ >>741
アマ(海人、海神)を否定したら、スレそのものが意味をなさなくなる。 >>752
誰がどう考えても逆だろ
しつこすぎる
>>739を10回音読して理解を深めろ >>753
海人族スレでやり込められたからって自説(妄想?)を主張するためだけにこっちに来るなよ >>755
いや、全然意味が通ってないだろ。
天照をアメテラスと読む人はいないだろ? 天の岩戸は何と読む?
アマだよな?
それを>>700はアメと言い張って根拠としているんだぜ? >>757
海人族スレで展開された話はアマテラス以前と以降で、アメの方が天の原語だって話でしょうよ。
その都合が悪くなると記憶喪失起こして誤魔化すクセ直さないと延々と無能だマヌケだチョンだって罵られ続けるよ。
誤りを認めることも歴史研究を前進させる鍵だと思うんだよ。
いつまでも思い込みの世界から出てこないんじゃ第三者と議論する5chに現れる理由もなくなるわけだしね。
記憶を呼び覚ます目的で>>726を読み返すことを強く勧める。 嘘八百を並べ立てて論破したとか言い張るキナイコシは許せない。アメなんてただの関西訛りだ。
それを起源であるかのように言いたてているだけ。 頭が悪すぎる意見なので、何度でも貼り付けて、笑えば良いな、、、
156日本@名無史さん2019/06/08(土) 16:14:10.47
>>150
>空気のシャワーで脳細胞を構成する炭素14を崩壊させられ
あまりにもバカすぎるから少し添削するかね
「空気のシャワー」
これ、宇宙線が大気上層に侵入して高層大気の原子と衝突して
生じる高エネルギーの粒子シャワー、二次宇宙線のことが言いたいんだろ?ww
空気のシャワー=エアシャワーは、クリーンルームの入り口なんかにあるやつだぞww
まあ、二次宇宙線のことを「空気シャワー」と表現することもあるけれど、
「空気のシャワー」とは言わない
>脳細胞を構成する炭素14
高エネルギーの粒子シャワーが衝突すると想定されているのは、14Nだ
14Nに高エネルギーの中性子が衝突して、以下の反応が起こる
14N + n(中性子) → 14C + p(陽子)
この反応で、質量数14の窒素が、原子番号が一つ小さい質量数14の炭素に変換される
脳細胞中にも14Cは存在するけれど、それは元から大気中にあったものが植物の光合成で
固定され食物連鎖で人の脳まで届いたもので、二次宇宙線によって生じるものではないし、
二次宇宙線の衝突は14Cを生成する方向の反応であり、14Cのベータ崩壊は14C原子核の
不安定さによって自発的に起こるものだ
ザラゴキといい連続句読点といい、よく分かっていないことを書きこんで自ら恥をかくというのは
どういう芸風なんだろう?
日本人の価値観ではよく分からないなww やはり、プロ固定は、頭が悪すぎるので、頓珍漢な意見を発表したな、、
空気シャワーには、中性子が、含まれていることも、
地上の物体の原子核が、空気シャワーの中性子を捕獲したらどうなるかも、
邪馬台国畿内説を宣伝するプロ固定は、まるで知らないし、想像も出来ないのだな、、、
156日本@名無史さん2019/06/08(土) 16:14:10.47
>>150
>空気のシャワーで脳細胞を構成する炭素14を崩壊させられ
あまりにもバカすぎるから少し添削するかね
「空気のシャワー」
これ、宇宙線が大気上層に侵入して高層大気の原子と衝突して
生じる高エネルギーの粒子シャワー、二次宇宙線のことが言いたいんだろ?ww
空気のシャワー=エアシャワーは、クリーンルームの入り口なんかにあるやつだぞww
まあ、二次宇宙線のことを「空気シャワー」と表現することもあるけれど、
「空気のシャワー」とは言わない
>脳細胞を構成する炭素14
高エネルギーの粒子シャワーが衝突すると想定されているのは、14Nだ
14Nに高エネルギーの中性子が衝突して、以下の反応が起こる
14N + n(中性子) → 14C + p(陽子)
この反応で、質量数14の窒素が、原子番号が一つ小さい質量数14の炭素に変換される
脳細胞中にも14Cは存在するけれど、それは元から大気中にあったものが植物の光合成で
固定され食物連鎖で人の脳まで届いたもので、二次宇宙線によって生じるものではないし、
二次宇宙線の衝突は14Cを生成する方向の反応であり、14Cのベータ崩壊は14C原子核の
不安定さによって自発的に起こるものだ 少なくとも>>700はそんなはなしではなく、ウソだらけ >>760
いやいや天=アマ=海人がキナイコシの主張だぞ
音感だけで同一視を主張するなら尼も天孫速なのかと正座させて小一時間は問い詰めたいレベルの駄説 朝鮮人の歴史が少しでも古くから始まっていることを宣伝したい者達の年代の操作に、日韓編年交差という得体の知れない形で同調した邪馬台国畿内説という、共産主義思想と同様に唯物史観を前提にした、詭弁に満ち溢れた仮説では、
魏志倭人伝時代の桜井市から同じ祭祀連合の内部の伊都国に一大率を派遣し、九州を検察し恐れさせたという空想を、どのような詭弁で、整合性を守りながら説明するのだろうか。。。 >>763
それを嘘だと思いたいのはお前の願望であって、記述内容は反論の余地のない事実だぞ カタンの第二回目の闘いにも、誘われてしまった。。。 >>764
なんでも畿内中心にしてしまうのがキナイコシ >>766
天の岩戸は何と読む?
アマだよな?
それを>>700はアメと言い張って根拠としているんだぜ? >>769
お前に足りないのは学習意欲と現実を直視する勇気
> 海人族スレで展開された話はアマテラス以前と以降で、アメの方が天の原語だって話でしょうよ。
> その都合が悪くなると記憶喪失起こして誤魔化すクセ直さないと延々と無能だマヌケだチョンだって罵られ続けるよ。
> 誤りを認めることも歴史研究を前進させる鍵だと思うんだよ。
> いつまでも思い込みの世界から出てこないんじゃ第三者と議論する5chに現れる理由もなくなるわけだしね。
> 記憶を呼び覚ます目的で>>726を読み返すことを強く勧める。 >>769
天岩戸はアメノイハトが正解だぞ無能www
ちなみ天石屋戸はアメノイハヤトな アマとアメ、漢字では「天」で同じだが、
アマと読む群とアメと読む群で多分語源が違うんだろう 「満州先生の新刊が出たらしいぜ」
「それを先に言えよ! 早く買わなきゃ売り切れちまうじゃないか!」
≪「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売≫ >>772
その可能性は否定しない。
その場合には、アマの起源は江南からやって来た海人との関係を考えざるを得ない。
それは6世紀などではなく、もっと前でなければならない。 ちゃうやろ
原始日本語で空など天上世界を表す語がアメであり、それが音変したのがアマ 毎
上古音はmuag(ムア)だが、上古音は推定幅が大きく確定性が低い。
中古音ならはっきりしており、muai(ムアイ)だ。
中世音もmuai(ムアイ)。
現代音はmai(マイ)とmei(メイ)。
(学研大漢和字典)
阿毎「アムア」 古事記の神代冒頭の神
天之御中主神(訓高下天、云阿麻) 梅は奈良時代に大陸から伝わり
名称は外来「め」に日本で接頭語の「う」がついたもの
つまり奈良時代の「毎」の音は「め」に近かった >>777
それ、天武の時代に成立したんじゃない? 以前書いたはず
家(『松傾』?)は工人とか、そういう家ではないし 他のスレの人のほうが詳しい
やはうえ(日本では?)〜が何やらと言っている人がいたり 人の家から、
何かを盗んだのがいるんだろう
こういうのも有名な話みたいだし 本当に・・・・・・・・・・お前はどこの出身なの?
家は、いまの福島県のほうだと言っているんだけどw
むかーし住んでいたところの話 老婆が言うには
当時、家にあった本や書なんかも、
誰かにあげたのかな〜・・・と言っているし
よくわからない本や書だと言っていた 日本書紀神代紀に登場する「アメ」音(登場順)
別天津神
アメ之御中主神とアメ之常立神
神産み
アメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、アメ鳥船こと鳥之石楠船神
誓約
アメ忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
その他
アメ手力男神、アメ児屋命、アメ宇受売命、アメ若日子
場所
アメ浮橋、アメ御柱、アメ安河、アメ真名井、アメ岩戸
物
アメ瓊矛、アメ尾羽張、
日本書紀神代紀に登場する「アマ」音(登場順)
別天津神
登場しない
神産み
アマ照大神
誓約
アマ津日子根命
その他
登場しない
場所
高アマ原(古事記ならびに日本書紀の一書のみ)
物
存在しない
上記によって明白なのはアマテラスが最古の「アマ」音であり、それ以前は例外なく「アメ」音であるという点
なお、毎の古音はmɯ:s=muɝであり、カタカナで音感表記すれば「ムェ」であり、阿毎=アムェ=アメであり断じてアマではない
以上を以て、天の原語はアメであると断定でき、アメはアマの音変によるものと結論付けられる。 よって天=海人はこじつけであると断言できる。 言いたいことはわかったから無駄にコピペするなよ
鬱陶しい アプデするならこうやって読みやすくしろよ
・日本書紀神代紀に登場する「アメ」音(登場順)
別天津神 アメ之御中主神とアメ之常立神
神産み アメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、アメ鳥船こと鳥之石楠船神
誓約 アメ忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
その他 アメ手力男神、アメ児屋命、アメ宇受売命、アメ若日子
場所 アメ浮橋、アメ御柱、アメ安河、アメ真名井、アメ岩戸
物 アメ瓊矛、アメ尾羽張、
・日本書紀神代紀に登場する「アマ」音(登場順)
別天津神 登場しない
神産み アマ照大神
誓約 アマ津日子根命
その他 登場しない
場所 高アマ原(古事記ならびに日本書紀の一書のみ)
物 存在しない >>795
どうせアプデするなら最後までちゃんとやれよポンコツマン なんでこの俺がそこまでやってやらなきゃいけねえんだよ
てかもうやめろこの話
スレ停滞半端ねえぞ >>797
反復調教しないとキナイコシが記憶喪失とか駆使して捏造史を語り出すからしゃーないんやで ついに「陸行一月」の謎が解けたyo!
1.西晋司馬懿は明帝曹叡の後見人指名がなければ皇帝になれなかった(大恩人・明帝が特別厚遇した倭国王卑弥呼)→明帝曹叡の聡明さを歴史に刻みたい強い動機。
2.魏の帝都・洛陽から見て呉との戦いにおいて最高の牽制となる背後にあるためには、倭国卑弥呼「女王之所都」が「会稽郡」の「東治」ではなく、更に南の「東冶」の東の海上にある必要(少なくとも魏志倭人伝の読者にそう思わせねばならない)。
3.しかし本当の位置も残さなければならない。
そこで陳寿が使った苦肉の策が、九州島=「東冶」の東に届く、南北が実際の2倍ある長大な「一つの島」であるように思わせるテクニック。
まず、帯方郡からの3放射読み(描き)で、1.(対馬松浦糸島)奴国ルート(正)、2.投馬国ルート(正)、3.邪馬台国ルート(幻)を設定。
ちなみに伊都国から東南100里奴国と東100里不弥国(港町宗像)は放射読み(描き)。
次に「奴国」を2回使って「女王之所都」が「奴国だよ、奴国だよ」と本当の位置を示唆しつつ(ダチョウ倶楽部「押すなよ、押すなよ」←2回目の念押しが重要w)、
九州島が南北に「陸行半月」であることを倭人から聞き「東夷(倭)人不知里数」、それを2倍して「陸行一月」として東シナ海に浮かぶ幻の九州島(南部)を創り、「東冶」の東の海上に「女王之所都」を持ってきた。
同時に倭国に行ったことがある中国知識人に「陸行一日(奴国)」の間違いとすぐに気が付くようにもした(「日」の両端の棒を延ばし「月」)。
ちなみに邪馬台国七万戸は北部九州全体の連合名、卑弥呼は加盟各国から「倭王之所都」奴国王に共立されたレンタル(飾り物)女王。現在のEU(欧州連合)とEU大統領(ポーランド元首相トゥスク)みたいなもの。 >>799の図解(模式図)だyo!
帯方郡
〜↓南水行十日(正)+「水行十日」=「南水行二十日」〜〜〜
対馬&壱岐〜〜〜┌→→→→→→┐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜┏末盧━━━━↑━━━━━┓↓関門海峡〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜┃伊都国→不弥国▲▲▲▲▲┃↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜┃▲_?陸行一「日」(正)▲▲▲▲↓国東半島〜〜〜〜〜〜〜〜
〜┃▲▲奴国(女王之所都)▲▲┃↓「女王国東渡海千里」豊後水道〜〜〜
〜┃▲狗奴国▲▲▲▲▲投馬国┃←宮崎平野〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜┃▲↓「陸行半月」(正)▲┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
会稽〜┗━━九州島(正)━━┛〜↑実際の九州島 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
東治〜〜〜東シナ海(正)〜〜〜〜↓幻の九州島南部(魏志倭人伝の創作)〜〜〜〜〜
〜〜〜│△△△△△△△△│〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜│↓「陸行半月」(幻)│〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜│△△△△△△△△│〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
東冶〜│女王之所都(幻)△│←「当在会稽東冶之東」(印象操作)〜〜〜
〜〜〜│狗奴国(幻)_△△/ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜\九州島(幻)_/〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 >>800
イラストアプリとか持ってないのか?
フリーソフトもたくさんあるからAAではなく地図画像で上手に編集してくれよ 卑弥呼の魏帝への朝貢理由は要するに狗奴国戦争における援軍要請だったわけで、南の狗奴国の位置が決まれば、自動的に北の邪馬台国の位置も決まることになる。
長年続く邪馬台国所在地論争の核心は、実は狗奴国の位置(比定)であることに留意されたい。
狗奴国が熊本平野か川内平野かだが、邪馬台国七万戸(35万石)を統治している女王卑弥呼をして、魏の明帝曹叡に援軍要請させるほど窮地に陥れる(狗奴)国の国力を考えると、
その人口は邪馬台国と同等(七万戸35万石)もしくはそれ以上の人口(八万戸40万石)と仮定。
面積から見て、狗奴国が川内平野でゎ3世紀の開墾能力では限界があると思われ、狗奴国は菊地+熊本+八代の3平野を合わせた超大国と想定して、
北の邪馬台国は筑紫平野、卑弥呼王宮はその最高所&(天気が良ければ)福岡平野→糸島(伊都国)→壱岐島までズドーンと見渡せる甘木朝倉と確定。 >>803の続き
すると、もう一つの謎である継体の正体(狗奴国王卑弥弓呼=「越」王家子孫/八代淡海→近江)も判明。古代史は以下のように一挙に解明できるのである!
漢委奴国王=1世紀(弥生後期)
帥升=2世紀(倭国大乱)
卑弥呼=3世紀(弥生終末)邪馬台国(卑弥弓呼、帯方郡張政に降伏、卑弥呼に服従)、宮崎の神武(投馬国)を派遣し、水銀朱(丹)豊富な大和纏向を征服させ、奥津城(王家の谷)として隠蔽&独占。
崇神朝=4世紀(前期古墳)狗奴国系(台与死後「男弟」子孫に入婿、阿蘇遷都)
応神朝=5世紀(中期古墳)邪馬台国系(仲哀を神功皇后が暗殺、筑紫遷都)
継体朝=6世紀(後期古墳)狗奴国系(武烈死後、倭王磐井を暗殺、筑紫君と史実歪曲→阿蘇遷都・倭王阿毎多利思比孤へ)
欽明朝=7世紀(飛鳥時代)(唐新羅連合軍の脅威現実味→欽明皇子、蘇我稲目と共に奥津城(王家の谷)大和東遷、飛鳥疎開宮造営)
天武朝=8世紀(奈良時代)記紀編纂→崇神朝・応神朝・継体朝の倭王権(九州王朝)内の抗争がすべて大和で起こっていたように史実歪曲。
桓武朝=9世紀(平安時代)
まとめると、
九州本家…卑弥呼台与(邪馬台国)→崇神朝(狗奴国)→応神朝(邪馬台国)→継体朝(狗奴国/阿毎多利思比孤)→天智(難波宮大津宮)→桓武(平安京)
大和分家…→神武派遣、饒速日征服、奥津城造営(水銀朱・丹独占が真の目的)→欽明朝(推古摂政厩戸)→天武持統(飛鳥宮藤原京)→元明(平城京) 狗奴国は熊本平野か人吉盆地じゃねえかなあ
出土品から考えるとそこが南限だと思う >>804
突然飛躍しすぎだしそこは他所でやろう? 狗奴国=球磨、熊本
狗古智卑狗=菊池彦
で何の問題もないだろ 熊本県のやつらが
自分ところに邪馬台国を持ってこようとするからおかしくなる 熊本県菊地(久々知)郡の英雄にして菊地氏の祖と目される、狗古智卑狗は「智」という正字を使ってるから、魏から見ても敵ながらあっぱれ!と思わせる智将だったんだろうね。 >>807
良いこと言う!熊本説が九州説の足を引っ張ってる。
熊本説の根拠である、隋書東夷倭国伝「倭王阿毎多利思比孤」の「邪靡堆=邪馬臺」記述が原因だね。
どちらも神体(神奈備)山を背にした台地という意味なんだろうけど、
魏志倭人伝(3世紀西晋朝)から400年後の随書(7世紀唐朝)が、
狗奴国併合前の邪馬台国・甘木朝倉の邪馬臺と、阿蘇山麓の邪靡堆とを混同してしまった結果だと思われ。 >>808
チの音に相当する文字が他になかっただけって可能性もあるんじゃないかな? >>809
それはヤマタイが麓という意味だという解釈?
阿蘇山の北の麓が邪馬臺で、南の麓が邪靡堆? >>808
なるへそ。魏から見れば、遠方から献上品と使者を寄越してきた可愛い卑弥呼(卑字w)を悩ます狗奴国の「官」に過ぎない菊池彦に正字w
狗古稚比狗 狗古痴比狗 狗古恥比狗 狗古薙比狗 狗古蜘比狗…
卑字の候補は山ほどあるのに、敢えて狗古智比狗w >>809
甘木朝倉は筑紫平野の付き当たり、熊本平野の付き当たりで神奈備(神体)山が阿蘇とすると多利思比孤之所都「邪靡堆」は阿蘇大津あたりかな? いや、智の字は「天智玉」からの伝統があって
もちろん陳寿はそれを知っている >>804
継体朝、、、後期古墳、、、阿蘇のピンク石棺、、、阿毎多利思比孤、、、女性推古&厩戸皇子、、、
古代史の闇か、、、 狗奴国が決まれば邪馬台国も決まる、・・というように一国だけを決めようとするのは気短かな思考脳。
例えば、先に無理やり邪馬台国の位置だけ決めて大失敗した悪例が虎次郎の畿内説。
さほど簡単に解決できたなら、300年論争などなかったのだ。
そうではない。
倭人伝の主要国である末盧国から〜伊都国〜(奴国)〜不彌国〜(投馬国〜)邪馬台国〜狗奴国までの七つの国が、
方角・距離から見ても同時に当てはまる「多国配置系」を考え、
西日本あるいは九州の地図に落として検証を繰り返しつつ決めていくほかない。 >>816
魏志倭人伝の道程から邪馬台国の位置を導き出すことは不可能やぞ。
考えても見ろ
日曜の朝っぱらから5ch覗くしか能のないワイらより数百倍賢い学者さんらが束になって掛かっても300年解けへんのや。
せやから翰苑から読み解こうという試みや一大率から読み解くアプローチが面白かったんやで。 >>792
日本書紀を参照している時点でダメ
古事記でアマの天之御中主がアメになっているから、アメの方が新しい訛りだとわかる。 >>771 転載だが、
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1558853954/751
■阿毎について 『隋書』の「阿毎字多利思北孤」ならびに『新唐書』の阿毎氏
毎の古音はmɯ:s=muɝであり、カタカナで音感表記すれば「ムェ」となるので、阿毎=アムェ=アメであると結論付けられる。 なお、現代音でもa-měi,すなわち「アメィ」となる。
また隋書には都斯麻國という表記があるため「マ」であれば「麻」を使っていたはずである。
※ https://www.zdic.net/zd/yy/sgy/%E6%AF%8E
■日本書紀神代紀に登場する「アメ」音(登場順)
・別天津神: アメ之御中主神とアメ之常立神
・神産み: アメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、アメ鳥船こと鳥之石楠船神
・誓約: アメ忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
・その他: アメ手力男神、アメ児屋命、アメ宇受売命、アメ若日子
・場所: アメ浮橋、アメ御柱、アメ安河、アメ真名井、アメ岩戸
・物: アメ瓊矛、アメ尾羽張、
■日本書紀神代紀に登場する「アマ」音(登場順)
・別天津神: 登場しない
・神産み: アマ照大神
・誓約: アマ津日子根命
・その他: 登場しない
・場所: 高アマ原(古事記ならびに日本書紀の一書のみ)
・物: 存在しない
日本書紀によって明白なのは、アマテラスが最古の「アマ」音であり、それ以前は例外なく「アメ」音である。
※http://www.seisaku.bz/shoki_index.html
■古事記におけるアマ
古事記で最初に表れる天は「天地開闢(=「アメ」ツチのヒラキ・ヒラケシ)」「天地(=「アメ」ツチ)初発之時」であり、後の脚注で「訓高下天云阿麻下効此(此れより下は天を阿麻(=アマ)と統一する)」としている。
古事記全編が和文表記であることも鑑みると、やはり天の原音は「アメ」であり、「アマ」は八世紀以降に音変された読音である確証である。
※http://www.seisaku.bz/kojiki_index.html
■結論
以上、中華史料ならびに日本史料を根拠として、「天」の原語は「アメ」であると断定でき、「アメ」は「アマ」の音変によるものと結論付けられる。
よって天=海人は恣意的なこじつけ、妄想であると断言できる。 お墓に朱が用いられるのは、遺体の防腐処置らしいね、、、
遠くから遺族が来ることを考えたのだな、、、 横穴になったのは遺体と対面しやすくするためらしい、、、 筑紫日向の意図は、初めの東遷は筑紫からであったが、2回目の東遷は西都原からだったからのようだね、、、 ウマシマジが鏡を持ち込んだが、、、
受け入れられず宇佐の豊玉姫を担ぎ出したらしい、、、月神信仰という、、、 息長氏も月神信仰らしいが何か関係があるのだろうか、、、 >>823
> 2回目の東遷は西都原からだった
何かそう断言できる根拠はあるかい? 初代武内宿禰はオオタラシヒコの双子の長子らしい、、、 双子は当時の風習もあって、祖父の彦フツ忍信命の養子になったという、、、 高倉下の子孫が武内宿禰というのは、2代目武内宿禰ということではないかな、、、 どうも仁徳紀と応神紀には重複記事が多いから、応神天皇は簒奪者だったのではないかな、、、 半島政略に現れる荒田別や巫別はどうして栃木にいるのだろうか、、、 >>818
ま、関西優越・纒向偉いで凝り固まった学者脳では、百万人懸かりでもどうにもならんな・・。
そのアタマを全白紙に戻して、倭人伝をゆっくり読み直すことだ、何かが見えてくるぞ。。、 なぜ君たちはクソアマチュアの分際で
己の説を断言して押しつけ他説を罵るのだい? >>820
日本書紀を参照している時点でダメ
古事記でアマの天之御中主がアメになっているから、アメの方が新しい訛りだとわかる。
だから日本書紀は根拠にならない。 毎
上古音はmuag(ムア)だが、上古音は推定幅が大きく確定性が低い。
中古音ならはっきりしており、muai(ムアイ)だ。
中世音もmuai(ムアイ)。
現代音はmai(マイ)とmei(メイ)。
(学研大漢和字典)
阿毎「アムア」 >>835
世間知らずの馬鹿がよく言うセリフだなぁ。。。 >>837
今のところアメの根拠は
@毎の古音mɯ:s=muɝ(ムェ)
Aマに相当する麻が使われていない
B日本書紀神代紀の神の名前
C古事記は和文表記で脚注がつけられる前はアマ
今朝も2スレに渡ってキナイコシが完封負けしててワロリン
>>820
>「天」の原語は「アメ」であると断定でき、
原語がアメなら 変化してアマになったというと思ったら
>「アメ」は「アマ」の音変によるものと結論付けられる。
真逆じゃん
日本語がおかしい ■阿毎について 『隋書』の「阿毎字多利思北孤」ならびに『新唐書』の阿毎氏
毎の古音はmɯ:s=muɝであり、カタカナで音感表記すれば「ムェ」となるので、阿毎=アムェ=アメであると結論付けられる。 なお、現代音でもa-měi,すなわち「アメィ」となる。
また隋書には都斯麻國という表記があるため「マ」であれば「麻」を使っていたはずである。
※ https://www.zdic.net/zd/yy/sgy/%E6%AF%8E
■日本書紀神代紀に登場する「アメ」音(登場順)
・別天津神: アメ之御中主神とアメ之常立神
・神産み: アメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、アメ鳥船こと鳥之石楠船神
・誓約: アメ忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
・その他: アメ手力男神、アメ児屋命、アメ宇受売命、アメ若日子
・場所: アメ浮橋、アメ御柱、アメ安河、アメ真名井、アメ岩戸
・物: アメ瓊矛、アメ尾羽張、
■日本書紀神代紀に登場する「アマ」音(登場順)
・別天津神: 登場しない
・神産み: アマ照大神
・誓約: アマ津日子根命
・その他: 登場しない
・場所: 高アマ原(古事記ならびに日本書紀の一書のみ)
・物: 存在しない
日本書紀によって明白なのは、アマテラスが最古の「アマ」音であり、それ以前は例外なく「アメ」音である。
※http://www.seisaku.bz/shoki_index.html
■古事記におけるアマ
古事記で最初に表れる天は「天地開闢(=「アメ」ツチのヒラキ・ヒラケシ)」「天地(=「アメ」ツチ)初発之時」であり、後の脚注で「訓高下天云阿麻下効此(此れより下は天を阿麻(=アマ)と統一する)」としている。
古事記全編が和文表記であることも鑑みると、やはり天の原音は「アメ」であり、「アマ」は八世紀以降に音変された読音である確証である。
※http://www.seisaku.bz/kojiki_index.html
■結論
以上、中華史料ならびに日本史料を根拠として、「天」の原語は「アメ」であると断定でき、「アマ」は「アメ」の音変によって8世紀以降の読音と結論付けられる。
よって天=海人は恣意的なこじつけ、妄想であると断言する。 >>847
タイトル入れ忘れとるで
あと、八世紀か8世紀か統一せな ■阿毎について 『隋書』の「阿毎字多利思北孤」ならびに『新唐書』「の阿毎氏」
毎の古音はmɯ:s=muɝであり、カタカナで音感表記すれば「ムェ」となる。 よって阿毎=アムェ=アメであると結論付けられる。 なお、現代音でもa-měi,すなわち「アメィ」となる。
また、『隋書』「俀國傳」には「都(ツ)斯(シ)麻(マ)國」という表記があるため「マ」であれば「麻」を使っていたはずである。
※ https://www.zdic.net/zd/yy/sgy/%E6%AF%8E
■日本書紀神代紀に登場する「アメ」音(登場順)
・別天津神: アメ之御中主神とアメ之常立神
・神産み: アメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、アメ鳥船こと鳥之石楠船神
・誓約: アメ忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
・その他: アメ手力男神、アメ児屋命、アメ宇受売命、アメ若日子
・場所: アメ浮橋、アメ御柱、アメ安河、アメ真名井、アメ岩戸
・物: アメ瓊矛、アメ尾羽張、
■日本書紀神代紀に登場する「アマ」音(登場順)
・別天津神: 登場しない
・神産み: アマ照大神
・誓約: アマ津日子根命
・その他: 登場しない
・場所: 高アマ原(古事記ならびに日本書紀の一書のみ)
・物: 存在しない
日本書紀によって明白なのは、アマテラスが最古の「アマ」音であり、それ以前は例外なく「アメ」音である。
※http://www.seisaku.bz/shoki_index.html
■古事記におけるアマ
古事記で最初に表れる天は「天地開闢(=「アメ」ツチのヒラキ・ヒラケシ)」「天地(=「アメ」ツチ)初発之時」であり、後の脚注で「訓高下天云阿麻下効此(此れより下は天を阿麻(=アマ)と統一する)」としている。
古事記全編が和文表記であることも鑑みると、やはり天の原音は「アメ」であり、「アマ」は八世紀以降に音変された読音である確証である。
※http://www.seisaku.bz/kojiki_index.html
■結論
以上、中華史料ならびに日本史料を根拠として、「天」の原語は「アメ」であると断定でき、「アマ」は「アメ」の音変によって八世紀以降の読音と結論付けられる。
よって天=海人は恣意的なこじつけ、妄想であると断言する。 天照、高天原のようにアマとしか読めない語があることが、天の原発音がアマであることの証拠。 >>852 名前:日本@名無史さん 2019/06/09(日) 10:23:19.63
>天照、高天原のようにアマとしか読めない語があることが
アマとしか読めないという認識は錯覚。
八世紀の脚注で(此れより下は天を阿麻(=アマ)と統一する)」の結果として、以後はアマとしか読まないだけ。
それ以前の習慣に戻ってアメと読んでも、それはそれで読めないわけではない。、 ■阿毎について 『隋書』の「阿毎字多利思北孤」ならびに『新唐書』「の阿毎氏」
毎の古音はmɯ:s=muɝであり、カタカナで音感表記すれば「ムェ」となる。 よって阿毎=アムェ=アメであると結論付けられる。 なお、現代音でもa-měi,すなわち「アメィ」となる。
また、『隋書』「俀國傳」には「都(ツ)斯(シ)麻(マ)國」という表記があるため「マ」であれば「麻」を使っていたはずである。
※ https://www.zdic.net/zd/yy/sgy/%E6%AF%8E
■『日本書紀』神代紀に登場する「アメ」音(登場順)
・別天津神: アメ之御中主神とアメ之常立神
・神産み: アメ之吹男神、アメ之吹男神、アメ之久比奢母智神、アメ之狭土神、アメ之狭霧神、アメ之闇戸神、アメ鳥船こと鳥之石楠船神
・誓約: アメ忍穂耳尊、アメ之菩卑能命
・その他: アメ手力男神、アメ児屋命、アメ宇受売命、アメ若日子
・場所: アメ浮橋、アメ御柱、アメ安河、アメ真名井、アメ岩戸
・物: アメ瓊矛、アメ尾羽張、
■『日本書紀』神代紀に登場する「アマ」音(登場順)
・別天津神: 登場しない
・神産み: アマ照大神
・誓約: アマ津日子根命
・その他: 登場しない
・場所: 高アマ原(古事記ならびに日本書紀の一書のみ)
・物: 存在しない
日本書紀によって明白なのは、アマテラスが最古の「アマ」音であり、それ以前は例外なく「アメ」音である。
※http://www.seisaku.bz/shoki_index.html
■『古事記』におけるアマ
『古事記』で最初に表れる天は「天地開闢(=「アメ」ツチの開(ヒラ)き闢(ヒラケ)し)」「天地初発之時(=「アメ」ツチの初(ハジ)めて発(アラ)はし[之]時(トキ))」であり、後の脚注で「訓高下天云阿麻 下効此(=高下なる天を訓(ヨ)み、阿麻(アマ)と云ふ 下に此れ効(ナラ)ふ)」としている。
古事記全編が和文表記であることも鑑みると、やはり天の原音は「アメ」であり、「アマ」は八世紀以降に音変された読音である根拠である。
※http://www.seisaku.bz/kojiki_index.html 『古典基礎語辞典』(大野晋氏)によれば、上代語では「あま」の方が「あめ」より多く、「あめ」は「天地」など新しく入ってきた外来語につけられたから、「あめ」の方が新しいと述べている。 >>857
まさか66年も前の資料を持ち出すとはwww >>857
またキナイコシがそれっぽいウソこき始めた >>858
1000年以上前の読みを論じるのだから、66年前の資料が使えないという理由はない。 >>856
> 古事記全編が和文表記であることも鑑みると、やはり天の原音は「アメ」であり、「アマ」は八世紀以降に音変された読音である根拠である。
新旧を取り違えて言い張っているのはキナイコシのパターンだぞ。 天照は紀元前の人物だから、アマのほうが古いのでは・・、
と単純アタマで考えてるんだろな。 >>860
そもそも大野はそんなウソをついていないからな なんかキナイコシがアメ主張してると思い違いをしている人が多いな >>854
>それ以前の習慣に戻ってアメと読んでも、それはそれで読めないわけではない。、
天照と高天原を読んでみてくれ。 >>865
キナイコシはウソ以外書いたことないやんけwww >>856
嘘を並べ立てて、まさにキナイコシだぞ。
日本書紀のどこに訓がある? >>867
古事記の柱脚統一化以前はアメ、それ以後ならアマ、
古事記に従わなければ、どちらでもよろしい。それだけのことだ。 >>871
どちらでもいいか?
天照と高天原を読んでみてくれ。 キナイコシの手元にある本は全て民明書房らしいぞ(笑) 神話が古い順に成立したなんて証左も無いのにこんな議論意味あるんか >>876
反論するならちゃんと反証しなきゃね
感情論や個人的願望は不要 自説に同意しない相手は口汚く罵倒するだけなんで
そもそも議論になってない >>878
まとめで論破済み
あとはキナイコシへの反復調教だからしゃーないのよ >>884
まとめに反証できるような具体的なことが書けへんからダラダラ短文の連投で誤魔化そうとしとるんやで ヤマトタケルが過労死したのは、兄の武内宿禰のせいらしい、、、なんという嫌な奴、、、 >>885
だから、高天原と天照を読んでみろって。 近江のイノシシが息長氏を象徴するというのは、
息長氏が豚を飼う風習を持ち込んだからなのか、、、 驚いたな、、、息長氏は三家一体なのか、、、
近江と伊都と宇佐で構成されていたとは、、、
伊都は特に朱鉱床の採掘をしていて丹生都姫を祀る丹生氏になったという、、、
伊勢に移り住んだのだな、、、 丹生津姫は天照大神の妹神とみられる向きもあるね、、、 仲哀天皇はヤマトタケルの遺言があったから大王になれたらしい、、、 しかし魏の時代には銅鉱山が呉に取られていたのに銅鏡を卑弥呼に下賜できるものだろうか、、、
鉄鏡が下賜品なのではないかな、、、 息長氏は多氏というのは、厳密ではないのではないかな、、、
たしかに、息長と名乗るまえは意宇氏だったから音通するのだが、、、 ヌナカワミミの登極で神八井耳一族は伊予に逃げたという、、、その流れから東国へ流れたという、、、
一方で阿蘇に戻ってきたのではないかな、、、 息長氏が弥生時代末期に導入した蚕は華北由来の三眠蚕だという、、、
北九州で出る絹は四眠蚕の絹だから、起源が違うということだな、、、 太陽神とは世界共通で男性神なのだが、、、
本邦だけアマテラスオオミカミとして女性なのは何故なのだろうか、、、 どうも太陽神を奉斎する巫女集団が、重要らしい、、、 >>887
文盲キチガイはこれ読み終えたら速攻で死んで
>日本書紀によって明白なのは、アマテラスが最古の「アマ」音であり、それ以前は例外なく「アメ」音である。 北方の扶余などツングース族が持つ
鉄やシャーマンと言った要素を息長氏が持つのは、そのものだからか、、、 イズモでは金属はカネだったから、出雲族と息長氏は別の原語を話す部族というわけだ、、、 出雲も山を遥拝するのは太陽崇拝で、インドの太陽神スーリヤ崇拝が元にあると言う、、、 スーリヤヴァルマン三世という人物は、インドネシアの人だったかな、、、 どうしてサルゴン二世は川に流されてしまったのだろうか、、、 しかも、赤子を川に流す神事がどうして日本の神社に存在するのだろうか、、、 本邦では宇佐八幡宮で託宣が存在したように、
託宣する神はデルフォイの巫女と本邦だけなのはどういうことだろうか、、、 そういえば、シャカの父
浄飯王はペルシャ王宮のマギだったそうだね、、、 マギというのはアッカド時代には占星術師をやっていたミトラ教の神官のことではなかったかな、、、 つまりシルクロードに隠された北方のステップを支配した遼河文明のツングース族が、世界史の要ということなのだね、、、 住宅地に墓は作らないのは古今共通するという、、、
つまり息長氏は奈良盆地は王家の谷だったという認識なのだね、、、
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Rock54: Caution(BBR-MD5:b73a9cd27f0065c395082e3925dacf01) 奥山氏が、悪質な荒らし行為を繰り返しているな、、、 遼河文明で龍が発生したあと、中国皇帝のシンボルに採用されるまで、一体何があったのだろうか、、、 最初の王朝とされる夏は買うという意味の言葉と音が同じそうだね、、、 夏は交易民族であるという説だが、、、
夏を起こしたのは東夷の百越の一派だという、、、
夏の遺跡は洛陽中心にあるのだが、現住地は長江下流域の淮河との間と見られるという、、、 言語学的にはオーストロネシア語族からウラルアルタイ語への変容が見られる
分子人類学的にはハプログループNOと見られる部族が南から遼河へ向かった流れが想定されているが、、、 夏王朝が倒れた後、後裔は夏后氏となり
匈奴も夏后氏のうちという、、、
匈奴はのちのフン族とみられ
フン、hun hurry メソポタミアにいうフルリ人
あるいはヘテ人ヒッタイト人につながっていると推測する人もいる、、、 また hurry はインドにあって高貴な人と呼ばれたアーリア人なのではないかと指摘する人もあれば、、、
アーリア人はアヤ人すなわち漢人そのものという人もいるという、、、 連続読点の使用者が、高度な意見を、たくさん、発表しているが、
ツングースとは、何者なのかを、僕達も研究しているのだったな、、 ツングースは、倭人によって、馬と一緒に捕獲され、箸墓古墳を作製するための労働力になったというのが、僕達の予想だったな。。。 シルクロードというのは、シンセサイザーという楽器を有名にした曲だったな、、、 蛇女の領土に迷い込んだ馬を、返して欲しいヘラクレスは、蛇女と交わったので、
3兄弟が、誕生したのだったな、、、 スーリヤ
や
アッシュール
には太陽を意味するsolの語幹がみられるな、、、
突厥王族のアシュクザイ
アシナ氏につながるかもしれない、、、
突厥文字は実際は北欧に分布したバイキングのルーン文字とみなす向きもある、、、
つまり遼河文明人の影響は
ユーラシアを古くからそして中世に至るまで痕跡が残るというわけだ、、、 倭人に朝鮮半島で捕獲されたツングースは、最初は奴隷だったが、奈良で馬を増やして訓練できたので、前方後円墳を作製した者達に、職員として雇用されたのではないのかな、、、 ツングースは、スキュタイと同じ者達では、ないのかな。。。 武内宿禰という、謎の者は、仲哀天皇急死事件の関係者だったな、、
そして、スキャンダラスなことが、あったというのが、僕達の予想だったな、、、 エリコの塔という、謎の塔があったのではないのかな、、、 933番の投稿や転載による卑劣な荒らし行為は、邪馬台国畿内説を宣伝する奥山氏や小学率の仕業だというのが、僕達の予想だな、、、
933 名前:日本@名無史さん 2019/06/09(日) 16:57:09.22
何で連続句読点は両方を荒らすのかな? >>933
今日はみんなの役に立ってるから荒らしではない 纒向で一番古い前方後円墳は、3世紀末だったのだが、
一番古い掘立柱は、何時、建てられたのだろうか、、、 一番古いカエルの骨は、何時、埋められたのだろうか、、 大物主神を、最初に、祭ったという大国主神とは、何者なのだろうか、、、 日本書紀では、大国主神は大物主神であり、ヤマタノオロチを退治した素戔嗚尊の息子なのだったな。。。 ヤマタノオロチを退治した素戔嗚尊が、僕達の予想通り、日本武尊なのであるなら、大物主神は、仲哀天皇ということになる可能性があるな、、、 仲哀天皇の祟りを恐れて、応神天皇は、三輪に祭った可能性があるな、、 つまり、崇神天皇は、応神天皇と同一人物だった可能性があるのだね、、、 一番古いカエルの骨は、何時、埋められたのだろうか、、 遼河文明は気候変動によって二度衰退しているという、、、 最初の衰退では、南下の流れで洞庭湖付近で三苗と衝突したという、、、
このとき龍が中原にもたらされたらしい、、、 次の気候変動は2世紀で、ちょうど黄巾の乱が起きた時期に部族のシャーマンが託宣したという、、、
故郷に帰る、、、? 次の気候変動は2世紀で、ちょうど黄巾の乱が起きた時期に部族のシャーマンが託宣したという、、、
故郷に帰る、、、? アカルヒメが姫島に来たように瀬戸内を通って播磨摂津へと、、、
それ以外に列島に留まっていた家もあり、、、 キュロス大王のもと栄えたペルシャから列島にやって来たと、、、 ツングース族は他の遊牧民たちと連帯していたようだな、、、 遼河文明という文明は、民族が入れ替わり、ツングースが最後だった可能性があるな、、、 斉の王族が徐族という、、、
徐とはユダヤ人のことだという、、、
儒教もユダヤ教のことだという、、、 遼河文明という文明は、ツングースが来る前は、毛人になった者達が主人公だった可能性があるな。。。 息長氏に率いられて彼らペルシャ人も日本にやって来たわけだ、、、 とある漫画でいうと、すぴーどわごん?
とあるゲームのスレがあるんだけど、
ワゴンセール、ワゴンセールと言っている人がいたり
何なんだろう『オプーナ aa』 お前に聞いているんだけど、
なぜ相手にされていないんだと思う? エリコの塔という、石積みの塔があったのではないのかな、、、 漫画に登場する人物(架空、仮名?)なんだけど
『すぴーどわごん財団』
日本の話なのかな、日本に置き換えたりすると・・・とか 『スピードワゴン財団』
画像を調べてみるとわかる、グーグル。 『松傾』というのは『伊達の桃太郎』
この家なんだけど、なぜだと思う? 芝居や歌舞伎〜という話、
広瀬川という川が流れていて・・・
『旧広瀬座』
この周辺の話とか 『天王宮 山王院 福島』
調べてみた?なぜだと思う、いまの福島県? 『姥清水』
紫の服を着ている人物の画なども出てくるでしょ、
なぜだと思う 953番の投稿や、レベルの低い奥山氏が作製したスレッドからの転載による卑劣な荒らし行為は、邪馬台国畿内説を宣伝する奥山氏や小学率の仕業だな、、、
953日本@名無史さん2019/06/09(日) 20:29:20.95
連続句読点と松傾キチは同一人物ではないの? 本当の話
老婆が言うには、家は、その周辺に住んでいたんだけどw
伊達郡、いまの福島県とか?
戦争などにも行っていないし、あと疎開したという話とか 子供の頃の写真があったでしょ、
白い制服を着ている子供w
家は軍人などではないと言っているし、
警官でもないとか
あとキュウリのような葉、
葱の華などが写っている 数年前のメーソン
漫画やアニメばかり観ているんだろう?
観ているからこんなことになった
みたいな事を言ってる人がいたでしょ
家の役?を演じている人物の・・・話?
家は神奈川県に住んでいるんだけど、
むかーし住んでいたというところも、いまの福島県 馬に乗り、謎の刀?を持っていたという家の話でしょ、
悪く言っているわけではないんだけど、家は関西の出身ではないし
あと詳しいことは、わからないけど、
寒いな〜・・・みたいなコンセプトのキャラがいるでしょ
『ボーボボ』 九州説のスレって言っても荒らし連中しかいないじゃんw >>947辺りから連投しているやつはいつもの連続句読点ではないな 連続句読点の真似をするとか、こいつも頭がおかしいのは確実だけれど このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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