箸墓には(殉葬の代用品・埴輪の源流である)特殊器台が用いられていることから、殉葬がないことが明らかであり、
径百歩には到底収まらず、形状も複雑なことから長二百歩と記すはずである。
また、5世紀には金属製に取って代わられる直前、4世紀末の木製馬具が周濠の30年分の落葉層下から出土していることから、
どんなに早く見積もっても3世紀には遡れない。
よって卑弥呼の冢でないことが明白である。