邪馬台国畿内説 Part504
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567755289/
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 ザラコク氏が発表している意見の中にある、AMS法というのは、どのような法なのだろうか、、、 >>836
国立の学部に所属する、僕達の頭の良い孫に、教えて貰えば分かるのではないのかな。。。 破綻した邪馬台国畿内説を宣伝する朝鮮人が、空白の改行を多用するという論破された時の癖を丸出しにして、敗北宣言にしかならない嘘の悪口を言い放ったな。。。
835日本@名無史さん2019/09/11(水) 08:55:24.66
九州説が末期症状でつ
優れた考古学者が、邪馬台国畿内説は完全に破綻したと判定しました。。。
優れた考古学者が、邪馬台国畿内説は完全に破綻したと断定しました。。。 畿内説はまるで、
米軍向け娼婦を日本の従軍慰安婦に仕立て上げ、
高給取りだった日本人坑夫を強制徴用工に仕立て上げてきた
韓国にそっくりw 阿波には、なんでこんなに貴重な遺跡が多いんだろう? あとは推して知るべし。 @阿波 鏡ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。 圧倒的な倭国(阿波)の遺跡のまえで、よくやれるもんだわ。 虚しくならずに、馬鹿レスするところがある意味、不気味。 @阿波 >>685
>九州の土器編年は大陸渡来の遺物で絶対年代の幅を限定しながら編まれたものであり・・、
とはいえ、それは北部九州(福岡)の土器のこっちゃろ。
今注目は、肥後熊本・方保田東原出土のあふれるほどの庄内式だ。
これとの突き合せをすれば、畿内編年はひっくり返る。<
成程。 >>692
>鏡一つで邪馬台国が決まるなら
三角縁神獣鏡が国内最多で見つかっている畿内が邪馬台国で良くないか?<
邪馬台国も畿内も存在もしなかった嘘つき騙し文言であり、
鏡なら、
平原の21枚の「尚方作」方格規矩鏡の存在で筑紫に決まりであり、
大和は、九州倭国の「東征毛人五十五國」の将軍らや、
渡来して来た呉系楽浪鏡師らの関与で3世紀末以後、で決まり。 優れた考古学者が、邪馬台国畿内説は完全に破綻したと判定しました。。。
優れた考古学者が、邪馬台国畿内説は完全に破綻したと断定しました。。。 優れた医者が、奧山氏の脳が破損していると判定する。。。
という時と、
優れた医者が、奧山氏の脳が破損していると断定する。。。
という時とでは、
奧山氏の脳が破損しているかどうかの確率に違いがあるのだろうか、、、 「鏡」や「お墓」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。
圧倒的な倭国(阿波)の遺跡のまえで、よくやれるもんだわ。 虚しくならずに、馬鹿レスするところがある意味、不気味。 @阿波 >>715
>梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧に卑弥呼が魏に使いを出したとある<
魏志は、同時代の記録に拠った「同時代史書」であり、信頼性が非常に高く、
梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧は、「自己解釈に拠る前代史書の書き換え」が非常に多い半分×史書であり、
その「魏志記載の否定書き換え」派根拠にならない。
>景初三年の魏の年号の入った三角縁神獣鏡が見つかる <
明帝の詔書は景初二年12月であるので、明帝の下賜鏡ではなく、
渡来の呉系楽浪鏡師らの関与鏡。
>九州説の主張する魏志倭人伝の記述による行程論は
邪馬台国の位置が魏志倭人伝には会稽東治の東つまり沖縄や台湾と記されてるので根本的に意味をなさない<
不彌國で萬二千余里がほぼ終わっているから、女王國は九州島付近にしかならず、
「沖縄台湾」説のこの男が、×人間。
>よって邪馬台国は畿内 いささか淋しい話だが そういうことだ<
邪馬台国も畿内も存在もしなかった嘘つき騙し文言でらい、
大和は「南≠東」では×であり、
いささか淋しい話だが、そういう事だ。 >>717
大和説が落ち込んでいる大分の鉄鏡だけど
三角縁神獣鏡に関しても、負けている事は自覚があるようだ >>853
「鏡」や「お墓」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。
圧倒的な倭国(阿波)の遺跡のまえで、よくやれるもんだわ。
虚しくならずに、馬鹿レスするところがある意味、不気味。 @阿波 安部ちゃんもピットクルーの低脳ネトウヨに畿内説の宣伝を任せたのがマズかったかもな 鏡をどうやって割ったのかが気になる。
まさに儀式だよな。 どうやら「加茂宮ノ前遺跡」をみると、祭祀の起源も、倭国(阿波)のようだね。
まぁ、「忌部はん」 の職掌なんだから、当然といえば当然だね。 @阿波 優れた考古学者が、邪馬台国畿内説は完全に破綻したと判定しました。。。
優れた考古学者が、邪馬台国畿内説は完全に破綻したと断定しました。。。 優れた医者が、奧山氏の脳が破損していると判定する。。。
という時と、
優れた医者が、奧山氏の脳が破損していると断定する。。。
という時とでは、
奧山氏の脳が破損しているかどうかの確率に違いがあるのだろうか、、、
818日本@名無史さん2019/09/11(水) 08:41:00.02
>>722
>お前が「弥生時代の石が硯だ」と断定して紹介してるだろ。
最初のコメントからきちんと引用しているのにそれが通ると本気で考えてるのか?
「近畿でも滑瀬遺跡の砥石だと思われていた弥生時代の石が硯だと判定されているねw 」
これのどこが断定だ?
まさか「判定」と「断定」が同じだと考えているのか?
日本語読めますか? 「判定」と「断定」は、判断という言葉と関係性のある言葉なのではないのかな。。。 それにしても、奧山氏は、頭が悪いな。。。
3031 ◆UiepmfCeDJqf 2019/04/28(日) 07:02:37.09
>>290
解説
単純計算だが、例えば75%の確率の独立な根拠が3つ、すべて一致して同じ結論を指している場合、 結論はベイジアンの計算で確率96.4%の妥当性を得る。
つまり、学問的に7割〜8割信頼性の得られた状況証拠が3つ以上あって相互に因果関係がないと立証できるなら、その結論の信頼性は確率的に言って正しいと断定して構わないレベルに達し得る。
失われた過去の事実を推定する歴史学では「尤もらしさ75%」というようなかっちりした数値が得られるものではない。
しかしながら、多数の独立した根拠を整合性を保って説明できるなら、その結論の蓋然性は蓋然性を超えて、断定に耐えるほどの信頼性を獲得する。
つまり、確認可能な事実に基づく合意的推定「○○であろう」を複数積み重ねて、断定「○○である」が得られる。
この推定の合理性を否定する論証のできない状態を「合理的な疑いを挟めない」状態という。
それが歴史における帰納である。
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1556294803/303 >>719
>https://doi.org/10.11215/nihonkokogaku1994.6.8_87
「三角縁神獣鏡と卑弥呼の鏡」 西川 寿勝<
西川ももう一歩なんだなあ。
楽浪鏡の独自性まで判れば、
古田さんの「海東」鏡の論理や、中国の鏡専門の「王氏」の論を知っていれば、
呉系楽浪鏡師らが、
魏の公孫氏や楽浪帯方攻撃ニュースで戦乱から列島へ避難して来ていた、
という事まで判りそうであったのに。 奧山氏は、◆UiepmfCeDJqfから◆n7jxAxKCBhb6への名前の変更を実行したのだったな。。。 >>723
「南→東」などの嘘つきン騙しがバレた一般大和説者は、
そろそろ大和説にウンザリしてると見た。
ただ、上司や文部省の権力が怖いから、明確な反抗が出来ず、
匂わせる程度で逃げている、と見た。 >>722
>詐欺師の引用は、こう
>「弥生時代の石が硯だと判定されているね」
>ああ怖い怖い、気をつけよう、暗い夜道と畿内説
こいつ、根っからの詐欺師でかつ日本語がおかしいやつだなw
今手元に一次資料がないから確認できないが、報道時は
「硯である可能性が高い」
という文面だったと思う
「判定されているという伝聞紹介」の形式が「断定」に化けているあたりが
九州説の捏造体質、印象だけに頼るやり口を如実に示しているなww
文末の句点をつけたりつけなかったりのブレも大きいし、いろいろと
なりすましをやりすぎて自分の文体がないやつなんだろうな
九州説で今、無駄ながんばりをしているのはこいつだけだろ?
たぶん、呼子上陸バカで、伊都ccが伊都国で、吉井信号バカと同一人だろうけれど >>726
>本命は王権の証である八咫の鏡
九州説の人は「八咫の鏡」って書くよね
三種の神器で伊勢のご神体は「八咫鏡」なんだけどさ >>728
>周辺国にばらまいたものなんかとは、
>次元が違う品なんだよ。
>その人は、その近辺にいたんだ。
つまり、「中華皇帝が九州に居た」と、こう主張するんだね?
九州説はトンデモのレベルが違うなww 河童ではなく、他の作品?
さあ(はやく)殺してくれ・・・、
みたいな事を言っているでしょ
家(家系〜?)などの話、
犯罪、超時空設定のような事をしているとか、
知っているんだろう、明治時代のころに〜とか 本当に川俣町
大伴小手子という人物の像が立っていたり、
家の近所でしょ、むかーし住んでいたことがあると言っているし 伝だんわら古墳出土鏡を持ち上げる人がいるが、だんわら古墳からは
「発見者によれば、石棺からは鉄鏡と同時に鉄刀、轡が出土し」ているぞ?
まあ、これも「発見者談」だが
「轡」が出たら、卑弥呼の時代じゃないって言わないとダブスタだろ?
箸墓は本体じゃない周濠の底ではないところから出た鐙を楯にとって
馬具が出たら4世紀って九州説は言い張ってるんだからさ >>771
>日田出土とされてる鏡も骨董屋から出てきたもんなんやで
とりあえずは、小学校に飾っていたときの石灰が決め手で、
だんわら古墳出土のものと認定されているようだね
発見者⇒小学校⇒盗難⇒骨董市・再発見&認定 河童の作者・・・というか河童など?
家の話をしているような 奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。
ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。
それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。 @阿波
阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定) http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354 >>772
>その人本人が身近に持っているべき唯一無二的鏡の曹操の鏡を、
>同列に論じようというのが、
「曹操の鏡」とか「唯一無二」とか言っているあたりが物知らずww
宝飾鏡というカテゴリーがあって、王侯貴族の鏡という程度のもの
曹操ではなくても、中華皇帝ではなくても、財力があって地位の高い人なら
持てるレベルのものだよ >>773
>九州でも丹は採れるのに、なぜ採れないという話が流布されているの??
「3世紀(及びそれ以前)」には、九州で丹が採れないからだよ
今、鉱脈が知られていても、3世紀の人がその存在を知らなければ
其山有丹とは書かれない >>864
別にウンザリしてないよ
九州説にはウンザリだが 硯すら出土しない奈良盆地では、手紙による情報伝達よりも、馬で駆け付けた方が合理的だったのであろう。
つまり奈良盆地の古墳はほぼすべて4世紀以降のもの。
福岡出土の硯
サイズ:長さ15・3センチ、幅6・3センチ、厚さ0・9センチ
https://i.imgur.com/k2XPkk7.jpg >>797
>前方後円墳より、邪馬台国と関係あるんじゃねーの
何度これを貼れば分かるんだ?
https://i.imgur.com/pOB095u.jpg
畿内様式土器、前方後円墳(纏向型を含む)の分布により
畿内中心の秩序がまだらながらも汎日本列島的に存在していたのは確実
そして、奴国もその秩序に参加している
これは客観的な事実
そして、魏志倭人伝のいう邪馬台国を中心とした倭国の枠組みに
奴国も入っていると書かれている
これも客観的な事実
この「畿内中心の秩序」と「邪馬台国を中心とした倭国の枠組み」が
別のものだと考えるべき理由がない
そして、「邪馬台国を中心とした倭国の枠組み」として奴国に影響を与えた主体が
北部九州には存在しない
これも客観的な事実
これだけのことが、時代が合わず、出土状況もはっきりしない、「1枚限りの宝飾鉄鏡」で
ひっくり返せると思ってるところが愚か
卑弥呼がもらったのは「銅鏡」「百枚」だからね >>809
>単に畿内に国があったぐらいとしか思えんのは俺ぐらいかな????
その畿内にあった国が、そこから前方後円墳、祭祀用供献土器が
広域に伝えられたことと合わせて考えると、
当時の列島上の秩序の中心だったと
通常の思考能力のある人なら当然に判断するからだよ >>878
「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。
圧倒的な倭国(阿波)の遺跡のまえで、よくやれるもんだわ。
虚しくならずに、馬鹿レスするところがある意味、不気味。 @阿波 >>822
>素人はこれだから困る
それ、何かの反論になっているのか?
「何か言い返せばいい、最後に書いた人の勝ち」とか
そういう感性を日本人は持ち合わせていないんだが?ww 100枚もらったはずが300:枚出て来ちゃったらなんの証拠にもならんでしょ
いっぱい出たね!くらいしか言いようがない 畿内は資源も無けりゃ耕作地も少なかったので、土器を売り歩かなければ飯が食えなかったというのはよく分かった。 >>879
「前方後円墳」も「祭祀用供献土器(小型軽量丸底土器)」も、倭国(阿波)の専売特許品。 だと、何度言えばw @阿波 >>878
ま、正しい解釈・理解はこうだ。
この「畿内中心の秩序」と「邪馬台国を中心とした倭国の枠組み」が
「同じもの」だと考えるべき理由がない 実際は東北地方のほうに住んでいたんだろう、
何かのホンモノだと思われる家など >>852
景初三年に卑弥呼が魏に使いを出したとある梁書、日本書紀、翰苑、太平御覧は
魏志曰く、等魏志倭人伝を引用してそう記述した事を明記している
卑弥呼が使いを出した年が景初二年になっているのは
原本が失われた十二世紀の復刻本の魏志倭人伝から
それ以前の魏志倭人伝を引用した史書は卑弥呼が魏に使いを送った年を景初三年と記述
よって景初三年と記名のある三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏から下賜された鏡である事は確実で
その後年になる正始元年記銘のものも畿内にあり魏と畿内の継続的交流があった事の物的証拠
さらに卑弥呼が魏に使いを送った年度が景初二年なら
景初二年記銘の鏡が見つかる筈だけれど今まで発見がないから
卑弥呼が魏に使いを送った年は景初三年である蓋然性が高い >>882
>100枚もらったはずが300:枚出て来ちゃったらなんの証拠にもならんでしょ
>いっぱい出たね!くらいしか言いようがない
魏の皇帝から「到錄受、悉可以示汝國中人、使知國家哀汝。故鄭重賜汝好物也。」と
言って下賜されたものだから、皆に配るんだよ
そして、足りなかった分を踏み返しで倭国でさらにコピー鏡を大量生産している
厳しめに判断する人では、これまでに出土した数百枚の三角縁神獣鏡のうち
卑弥呼の鏡100枚に入るのは13枚と言っている人がいるよ
まあ、数次の遣使でその都度もらえば何百枚でもおかしくないって言う人もいるけれど
通常は三角縁神獣鏡の形式編年で初期のものだけが卑弥呼の鏡という判断だ >>737
列島での三つの黄金鏡は、三つとも九州で発見されているのに、
相変わらず「南→東」などの嘘吐き騙しを叫び続けている大和説者が、
哀れで可哀そうでたまらない。 >>887
「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。
圧倒的な倭国(阿波)の遺跡のまえで、よくやれるもんだわ。
虚しくならずに、馬鹿レスするところがある意味、不気味。 @阿波 『新撰姓氏録』
説明しなくても、わかる人にはわかる、
〜別などの話 >>885
>この「畿内中心の秩序」と「邪馬台国を中心とした倭国の枠組み」が
>「同じもの」だと考えるべき理由がない
別のものだとしようにも、2つの別の秩序・枠組みが入る領域が、
列島上に取れないんだよ、物理的にww
投馬国は女王国より以北の国ってのも、結局は同じ文脈になるのだけれど、
北部九州には、奴国二万戸、投馬国五万戸、邪馬台国七万戸を容れられるだけの
スペースがない
伊都国・奴国と邪馬台国を重ねる、二重帳簿詐欺は知っているけれど、
その詐欺だと、実は邪馬台国より投馬国の方が強大国になってしまうww
どうやっても、北部九州説は矛盾だらけで破綻してるんだよ >>889
黄金鏡なんてもんは魏志倭人伝に出て来ないぞ >>739
>九州説は考古学証拠が乏しすぎるあまりに
その辺の石ころとかでも邪馬台国の証拠と強弁する傾向がある<
大和説者は、大和の考古学的証拠が余りに乏し過ぎるあまりに、
仲間の柳田や久住らの発見した沢山の「硯」様の発掘物までもを、
否定抹殺しようとする傾向がある。 >>892
>単に事実を書いてるだけだよ
「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。 が事実だってこと? わははははは @阿波 ジンム以降〜何やらとか、
例えば秦氏(渡来人)など、実際はジンム以前でしょ >>752
>それなら三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡で邪馬台国は畿内で決定<
それなら、△は渡来の呉系楽浪鏡師らの関与した鏡で、
「邪馬台国」も「畿内」も存在もしなかった嘘吐き騙し文言であり、
「南≠東」などで大和説は×で決定。 渡来系・・・確実に邪馬台国以前の人物だしな、
そういう家の人々 『新撰姓氏録』
「漢」〜「高句麗」何やらなどw書いてあるでしょ 僕達が笑いリラックスするためにアプローチしている、このレベルの低い、5ちゃんねるのサクラのプロ固定が作製したスレッドとは全く異次元の、 たくさんの分野のレベルの高い学者達が集う、
魏志倭人伝時代の真実について、僕達か僕達の論敵のどちらの頭がカラフルになるかを賭けて、
お互いに、不敵な笑みを浮かべながら、 闘っている討論会では、
破綻した非科学的な唯物論や破綻した非科学的な要素還元主義を、お互いに掲げることなしに、正々堂々の討論を闘っているので、
魏志倭人伝に全く記録はされていない土器や時代の異なる前方後円墳ではなく、
鉄鏃や、人民の住居や、ベンガラや、方角や、距離や、夏の時代の考古学的に判明している会稽の位置や、魏志倭人伝時代の倭人の太い骨や、
萬二千里の事で奥山氏も頼みにしている淮南子を規定している一寸千里の法を材料にして、討論が進行し、
卑弥呼の城が日本の何処にあったかの討論から、卑弥呼の城が九州の何処にあったかの討論に、話題が移り変わってきたのだったな。。。 邪馬台国畿内説が前提にしていた、唯物論や要素還元主義が、他の多くの分野で破綻してしまい、
魏志倭人伝時代についての討論をするまでもなく、 邪馬台国畿内説も自動的に破綻してしまったので、
破綻した邪馬台国畿内説を宣伝する、朝鮮人の奥山氏は、、、
邪馬台国畿内説が破綻した唯物論や破綻した要素還元主義反論を前提にしていた、、、
という真実の指摘への反論を完全に諦め、スレッドに出現しても、意味がよくわからないことや嘘しか発表しなくなったことが、
このレベルの低いスレッドの、益々の低レベル化を進行させてしまっているのではないのかな。。 偶然なのかな河童という作品、
キュウリが何やらとか、なぜか家の話のような
頭に皿(子供の帽子?)のようなものがあり、緑色に・・・?
着ている着物でしょ
王母〜・・・・・このような名前の家なんだけど、
警官、軍人でもないし 頭の悪い者が実行してしまいがちな、多くの分野で破綻してしまった要素還元主義の、典型的な運用の例だな。。。
878日本@名無史さん2019/09/11(水) 12:40:10.22
>>797
>前方後円墳より、邪馬台国と関係あるんじゃねーの
何度これを貼れば分かるんだ?
https://i.imgur.com/pOB095u.jpg
畿内様式土器、前方後円墳(纏向型を含む)の分布により >>906
前方後円墳は、魏志倭人伝とは、そもそも時代が違う要素なのだったな。。。 老婆談によると、
馬に乗り・・・という話だしな、芝居や歌舞伎が〜とか
本当に、むかーしの中国の人だった?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜遠い親戚とかw >>900
私もひと頃はザラゴキのインチキをきちんと指摘していたんだが、
もうザラゴキはザラゴキだからと諦めている
Korean Fatigueと同じレベルで疲れる >>907
>前方後円墳は、魏志倭人伝とは、そもそも時代が違う要素なのだったな。。。
3世紀で「径百歩」の墓として想定できるのは、前方後円墳のでかいやつしか存在しない 完全に破綻してしまった邪馬台国畿内説を宣伝している韓国人が、疲労した可能性が高まってきたな。。 「径百歩」というのは、1里の1/3なので、千里と表現された対馬と壱岐の距離の、1/300だという可能性が、そうではない可能性よりも高いな。。。 なぜ知っているんだろう
『蓬莱』
日本で言うと浦島太郎の話とか >>910
周回遅れにいくら「インチキをきちんと指摘」しても、無駄 だと、何度言えばw
周回遅れで返答が帰って来るだけ だと、何度言えばw @阿波 呉系楽浪鏡師とは、呉の大王が、楽浪に送り込んだ鏡の職人の事なのだろうか、、、 12gのダイヤモンドの中に炭素原子は、何個含まれているのだろうか、、、 アボガドロとアボガドには、どのような関係性があるのだろうか。。。 当時結婚した嫁(嫁の親だったかな)も、
何々様と言われていたと言っていたし
・・・老婆談?正解なんじゃないの? >>684
卑弥呼の魏帝への朝貢目的は、蜀の牽制として西のインド・クシャーナ朝「親魏大月氏王」同様、呉の牽制として東の「親魏倭王」号を取得し、帯方郡が管理している「伽耶の鉄」の倭国における輸入独占権の確保(郡宛て書簡封泥用の金印「親魏倭王」)。
つまり狗奴国戦争における後方支援(後に援軍)要請だったわけで、南の狗奴国の位置が決まれば、自動的に北の邪馬台国の位置も決まることになる。
長年続く邪馬台国所在地論争の核心は、実は狗奴国の位置であることに留意されたい。
そこで主要3説(九州説・四国説・畿内説)における狗奴国を検討すると、以下のようになる。
−女王国「東渡海A」千里「複有国B」皆倭種(〇九州説…A関門海峡・B本州、〇四国説…A紀伊水道・B本州、✖畿内説…A鈴鹿山脈・B北海道)
−其南有狗奴國 不属女王(〇九州説…熊本もしくは薩摩、✖四国説…南阿波、✖畿内説…仲良し東海)
畿内説はいずれも当てはまらない上「複有国(東)」と「狗奴国(南⤴東)」が重複し混乱が生じる。
また、軍事力(鉄製武器)も通信手段(文字・駅伝制=早馬)もない3世紀の畿内にいて、遠隔の北部九州を安定支配するのは物理的に不可能。
3世紀の四国に十四万戸(邪馬台国+狗奴国)比定は無理がある(後述)。消去法によって、九州説が正しい。
次に、狗奴国が熊本平野か鹿児島川内(せんだい)平野かだが、邪馬台国七万戸を統治している女王卑弥呼をして、魏の明帝曹叡に援軍要請させるほど窮地に陥れる(狗奴)国の国力を考えると、
その人口は邪馬台国と同等(七万戸)もしくはそれ以上の人口(八万戸)と想定。
面積から見て、狗奴国が川内(せんだい)平野でゎ3世紀の開墾能力では限界があると思われ、狗奴国は菊地平野(狗古智比狗の本拠)+熊本平野+八代平野の3平野を合わせた超大国と考定して、
北の邪馬台国は、吉野ヶ里遺跡を始め弥生拠点集落の宝庫「筑後川の賜物」筑紫平野、卑弥呼王宮は扇状地の最高所・甘木朝倉と確定。
卑弥呼の冢「大作冢径百余歩(尺)=0.25m×100歩=直径25m」は、3世紀中頃の築造で、筑紫平野を一望でき、同時期の殉葬者が少なくとも66人以上確認されている「有棺無槨」祇園山古墳(リンク参照)を比定。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3 >>910
もう九州説は嘘でしか維持できないんだろう
畿内説の者ならふつう昭和の頃から知っている伝ダンワラ鏡と魏武御物の関係とか今頃持ち出してきて悦に入ってる姿も滑稽だが 呉系楽浪鏡師とは、呉の大王が、楽浪に送り込んだ鏡の職人の事なのだろうか、、、 >>924
君の書き込み、松傾基地外のオバさんのテンプレ書き込みくらい中身がなくなって来たけどいいのかそれで? 呉の大王は、なぜ、呉系楽浪鏡師という鏡の職人を楽浪に送り込んだのだろうか、、、 王母〜・・・、
中国人(中華)だろう、
と言っている人がいたり
氏、姓・・・そこにも書いてないでしょ? 百済の人と書いてあるだけで、
百済〜?という人物は他にいるし >>927
呉系楽浪鏡師という鏡の職人が、自分の意思で、楽浪に移動した可能性もあるのではないのかな。。。 印刷、印刷会社・・・、そういう話もしていたしなw
どういう事なんだろう、河童? あの写真(キュウリ、葱の華w)があるでしょ
その家から婿、嫁(印刷業の家に?)に行ったんだったかな〜、
そういう人、親戚もいるとか レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。