邪馬台国畿内説 Part509
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1568868904/
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 >>468
ハチを雇用して、人気を高めれば良いのではないのかな。。。 炭素年代で計測できるのは、何かの崩壊量だけだったな。 邪馬台国畿内説の崩壊量は、邪馬台国畿内説の総数なのだったな。 僕達の同僚の予測では、ハチを雇用して、加賀温泉のビーバーを販売すれば、儲かる可能性が高いのだったな。。 なぜ、邪馬台国畿内説は、具体的な証拠を出さないのだろうか、、、 >>436
「南→東」などの嘘吐き騙しのように、
こんなふうに いつも何も中身がない
それが大和説 >>470
>桃の年代測定はむしろ2世紀だったろ。
そして4世紀まで纒向が存続しているのが確実だから、3世紀に纒向に大集落があるのが確定だww >>451
>徐州の銅は魏の鏡師も手に入れる事が出来る<
魏の鏡では陸路で倭の狗邪韓國まで行けるのであり、「浮由海東」する必要が殆どない。
>浮由海東だけでは呉から船に乗ったという事がわかるわけがない<
陸路は魏の支配地になるから、危険であり、
海岸沿い→山東半島海岸沿い→島伝い長串岬→楽浪、ほぼ海路で行ける。
>むしろ三角縁神獣鏡は魏の年号や師出徐州などの記銘から乗ったとするなら魏から<
三角縁や斜縁や神獣鏡自体が、(魏ではなく)呉系。
>そして三角縁神獣鏡は下賜鏡なので製作前に倭に至る事は鏡師も十分知っている<
△は下賜鏡ではない。
>楽浪から三角縁神獣鏡は見つかっていなけど もし見つかったとしても魏の洛陽鏡師が東に至って作ったもの <
www.ne.jp/asahi/isshun/original/mater10.html には、
三角縁二神二獣鏡、三角縁四神二獣鏡、三角縁半肉彫神獣鏡、三角縁獣文縁龍虎鏡などの△様の鏡がある。
三角縁二神二獣鏡は、列島の静岡県庚申塚古墳、兵庫県ヘボソ塚古墳出土の、
「吾作明竟」三角縁二神二獣鏡の、文様、銘文、鏡径はこの鏡とほぼ同じであるらしい。 >>454
>日本書記や太平御覧には魏書に曰くと魏志倭人伝を直接引用している事が記されている<
正確な引用をせず、自己解釈に拠る書き換えをやっている。
>そしてそれらの史書には卑弥呼が遣使を送ったのは景初三年 <
梁書、翰苑、書紀、太平御亂は半分偽書。
>これが景初二年になるのは原本が失われた12世紀以降の魏志倭人伝の復刻本から
それ以前の倭人伝に卑弥呼の遣使が景初二年は全く出てこない <
「〜本」とされた版本が全て「景初二年」であるから、
それらの底本写本も全て「景初二年」であり、
だから、写本群は全て「景初二年」であり、陳寿原本も「景初二年」。 >>357
>魏の時代には徐州は魏の支配下
残念でした
徐州刺史部で銅山があったのは徐州最南端の江都や儀徴のみで三国時代は呉の領土だ
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku365.htm
> 三国時代の、魏の領域になっている徐州に、銅を産出する地域は、ふくまれていたのか。西晋時代、東晋時代の徐州は、どの範囲をさすのか。
> すでに、1992年に、中国の考古学者、王仲殊氏は、参考文献を示し、かなりくわしく論じている。
中略
> 要するに、上にのべたように、三国時代には、彭城およびその付近では決して銅を産することはなかった。
> しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、いまの揚州市付近の江都、
> 儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている
> 〔呉王劉?は漢高祖劉邦の兄の子で、呉地方に封建され、王国内の予章郡で銅山を開発して、銅銭を鋳造した。
http://yamatai.cside.com/katudou/image3/365-17.gif
> 王仲殊氏の文章中にみえる「江都」「儀徴」などは、後漢の時代、「徐州剌史部」の監督する地域内にはいっていた。
> この江都、儀徴には、古く銅鉱があった。
> 三国時代には、「江都」「儀徴」などの地域は、呉の領域内にあった。 >>454
>なら公孫氏討伐後に魏の鏡師がやって来たとする方が
呉の鏡師が倭国で魏の銅を使って魏の年号の入った鏡を作ったとするよりは
はるかに整合的に説明できる <
魏の鏡師は、明帝の下賜の百枚の銅鏡を知っているから、
その後で来ても商売にならず、来ない。
呉系楽浪鏡師らは、魏の楽浪帯方攻撃の前に列島へ逃げたから、来ていた。
>そもそも呉の鏡師が危なくなったら呉に帰るのではないか <
魏の楽浪帯方攻撃路であるから、危ない。
>当時の倭は言葉も文化レベルも違うから生活が大変 <
当然、案内人がいる。
>さらに呉の鏡師が畿内で魏の年号の入った鏡を作ったとしても
それ自体が畿内と魏がお互い関わっていた事の証明 <
畿内なんて存在もしなかった嘘吐き騙し文言であるし、
そもそも魏の鏡師らは、明帝鏡が来ているから、来る必要がないし、来ない。
>呉系の鏡師が居ても居なくても畿内と魏が交流していた事は魏の記年鏡で明らか <
顔氏と赤烏さんは、出身国の年号を記銘したようであるが、
呉の△系の陳氏らは、呉の年号では商売にならない、として、
魏の年号に転向したらしい。 奴国と狗奴国は、倭国大乱分裂したけど元は一つの倭国だった、この事を理解できてない奴らってホントオモシロイ妄想を騙ってるよなw >>435
>卑弥呼の死は250年代前半くらいで、箸墓の築造開始は250年代後半くらい
問題ないな
もうあきらめたのだねw >>455
>三角縁神獣鏡は魏の年号が入っていて<
呉系の陳氏らは、卑弥呼への明帝鏡を知って、「魏年号」鏡に転向した。
>銅出徐州 師出洛陽と銘があり<
洛陽にいなかった証拠。
>洛陽で1面出土し魏晋の鏡と銅素材が一緒 <
0〜1枚では、列島の300枚以上の説明にならず、
材料銅成分が近かった、というだけ。
>もしこれが倭国内で作られたとするなら徐州の銅を持って魏から海を浮由して東に渡ってきた魏系の洛陽鏡師
呉系の楽浪鏡師ピンチ<
もしこれが倭国内で作られたとするなら、徐州の銅を持って、
呉から海を浮由して東に渡ってきた呉系の楽浪鏡師
呉系の楽浪鏡師ピンチ >>483
巻向建造は倭国大乱で分裂してた倭国が再併合した後
その再統合は、呉から承認されてた奴国に対して、狗奴国が帯方へ使者を送って魏からのお墨付きを得たことによって起こった >>478
魏志倭人伝に狗邪韓國に行くには
帯方から船で乍南乍東すると書いている
三角縁神獣鏡は魏からそのものが出ていて景初や正始の魏年号も記銘
魏の領土だった徐州の銅を用いて洛陽の鏡師が作った魏鏡
その証拠に三角縁神獣鏡は魏晋鏡と素材の銅の成分が同じ
呉の鏡とする根拠は全く存在しなく存在するのは魏鏡である証拠のみ
>>479
魏志倭人伝の引用文に景初三年とあるのが都合が悪いから偽書とはならない
わかる事実はそれぞれに独立して当時の魏志倭人伝を引用した
梁書、日本書記、翰苑、太平御亂は卑弥呼の遣使を景初三年と記しているという事
一方景初二年になるのは12世紀以降の魏志倭人伝
これはごく単純に12世紀以前の魏志倭人伝は卑弥呼の遣使は景初三年と記されていたという事を示す
そして卑弥呼の遣使が景初二年と書かれるようになったのは12世紀以降ということ >>462
はい、ウソツキ
https://i.imgur.com/qOswdpR.jpg
は、AMS法を使っているから、データ全体が、50〜100年位(平均75年)古くなった上に、
個々の種の計測値幅が(130年〜240年でピークが230年の)110年間位になってしまって、
230+75=305年で、4世紀になり、3世紀末=4世紀にぴったし。 >>486ってアホは妄想で生きてて、その妄想を他人に広めるために長文を書くってのの典型例だなw >>480
たまに徐州の銅産地が呉の領地と言い出す九州説がいるけれど
徐州は徐州の戦い以降全域が魏の領土
さらに三角縁神獣鏡にとっては記銘文の銅出徐州よりも
魏晋鏡と銀・アンチモンなどの銅の不純物が同じグループに属するという点がより重要
つまり仮に徐州の銅産地が呉の領土であったとしても
魏はその産地の銅を使って銅鏡を作り
三角縁神獣鏡もそれと同様のものという事
そうなると徐州の銅山が呉の領土だったとしても
三角縁神獣鏡は魏で作られたという事実に何の関わりも生じない >>489
△は呉の鏡だろーに
何ほざいてるんだ、オマエは ってゆーか徐州の州治があった今の徐州市は最初からずっと魏領だがね
今も銅山区という地名が残ってて銅山があったことが知られてる
徐州の銅といえば有名だったのさ >>490
いかなるときも根拠を言わない九州説
w >>488
反論できないと、ただ罵るだけになる
今夜もまた九州説が論破された証拠だ センスのある人間は箸墓が卑弥呼墓ではないことに気づいている。
石野さんや寺沢さんがすでに箸墓説を諦めてるだろ。
ここのアフォの>>1や春成、白石など箸墓説者は負け組www >>494
ほらね
いいhるだけになった負け組の九州説
惨めだなあ >>485
>巻向建造は倭国大乱で分裂してた倭国が再併合した後
2世紀前半から続く其の国の男王の都はどこ? >>488
ホレホレどこが妄想なのか指摘しないと世間に広まっていっちゃうヨォ〜 卑弥呼は有名だからデカイの創る必要ないだろ。台与の為だな。 >>495
俺は葛城説。
>>498の俺の質問への君の答を聞いて寝るとするかw >>496
元は近江
そこが青谷上寺地を打ち破った勢力によって脅かされて濃尾へ遷都
さらに倭国再統合によって大和に遷都
さざなみの近江、つぎのう山背(近江から見て霊仙の裏側、濃尾のこと)、あをによし奈良 >>501
何の根拠もなく脳内で小説を創ったんだねw >>502
九州説や万年畿内説ほど妄想は酷くないな
合理的推測の範囲内だろ >>481
ザラコクは魏から銅鏡が渡来した事を認めている
すなわちそれは魏志倭人伝を引用した梁書、日本書記、翰苑、太平御覧が
卑弥呼の遣使した年と記述されている景初三年の魏年号が入っている三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡
ほか青龍や正始などの魏の記年鏡も畿内で出土し畿内と魏の繋がりは明らかなもの
魏の記年鏡は豊富な発見があるが
九州説ザラコクが主張するような景初二年の記銘の入った鏡は
いまだに1面も発見がないという事は
卑弥呼の遣使は梁書、日本書記、翰苑、太平御覧にあるとおり
景初三年と結論づけられる
>>484
九州説のいう渡来鏡師が居たならそれは洛陽出身の魏系洛陽鏡師
九州説の弁を借りれば洛陽にいないから倭国で師出洛陽と鏡に記銘し自慢した
渡来の呉系楽浪鏡師説では師出洛陽の記銘の説明がつかず破綻 まずは自説を論破するための理屈を考えてみな
それに耐えられたものだけが本物の可能性がある
他の学問分野では普通の手法なんだけど、歴史学では何故か声闘(ソント)が蔓延ってるw >>490
残念だけど三角縁神獣鏡は景初や正始などの魏の年号の入っている事や
師出洛陽、洛陽の鏡師作という記銘や素材の銅に含まれる不純物が魏鏡と同じという事から
三角縁神獣鏡は魏鏡である事に間違いはないよ どこの池沼なんだと聞いているんだよ、
いい加減に精神病院に行け、何度言えばわかるんだ
テレビなどを観ていないの?
首を切られ(切断?不明)何やらという話などをしているでしょ、
そういう事件の話
頭に蛇が生えていて〜同じ話、
ヒミコのことだろう >>506
景初や正始以前の年号の入った△は無いの?
それ以前に作られた魏の鏡は骨董品としても日本には入って来なかったの?
それは何故? 場所は畿内、九州ではないんだけど、
そういう報道などがあるでしょ、それともヤラセ?嘘の事件、報道? 呉の年号を使ってたところへ魏の年号が新しく入ってきて、それによってナウでヤングな鏡職人が魏の年号入りの鏡を作り始めたってことかな? 漢文で書かれた日本書記の神功皇后紀には魏志の卑弥呼の記事が挿入されている。
これは神功皇后が卑弥呼ですよと中国側にアピールしてるわけ。
その神功皇后は干支を2運120年古くしているのは、息子の応神の干支で明白。
7世紀の朝廷が卑弥呼は誰なのか分っていた。
だから、
その人物を3世紀初頭に置くことを避けたのだ。
卑弥呼は記紀に登場する。
崇神(4世紀前半)から数十年前にトヨがいる。
その3世代前にヒミコもいる。
探そうとしないから見つからないのだ。
卑弥呼もトヨも住んだのは葛城だ。
墓は高天原にある。http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/114_23_2.jpg なぜか日本人の犯行ではない・・・みたいな話が出てきたりw
中国人(中華)の犯行とか? >>508
青龍三年鏡(235年)があるよ
畿内で出土の方格規矩鏡だけれど 劔、鏡〜・・・というのは三貴子の話なんだけど、
なぜ邪馬台国、ヒミコの話になっているの? >>514
方格規矩鏡は魏の鏡で確定してるだろ
話題そらしすんなよ
△で魏の古鏡が無いのは何故?
魏が倭流に目覚めて急に△を作り出したの? >>516
単に作られてなかったというだけの話
三角縁神獣鏡は倭への下賜品だから ドラクエというゲームでも同じでしょ、
邪馬台国というところがあって、ヒミコのようなキャラがいて、
主人公たちに退治される? >>519
全唐文という書にそれらしい記述がある
昔魏酬倭国止于銅鏡鉗文
昔、魏ハ倭国二酬(はなむけ)スルニ、銅鏡ノ鉗文ヲ止メ
(昔、魏は倭に銅鏡を下賜するに際しそれまでの決まりきった形式のものをやめ) 本当のアマテラス、スサノオ〜、
中国人なんだけど、なぜわからないんだろう
お前達の話なんて誰も信じないし、
なぜ中国人(漢民族?)が日本の先住民になるんだ? とある人物がいて、
臣下、配下?に刀(劔)や鏡などを渡している画などが出てくるはず
渡している、授けているのは中国人でしょ 『銅鏡から読み解く2〜4世紀の東アジア』
三角縁神獣鏡と関連鏡群の諸問題鏡がすべて教えてくれる
考古学において、銅鏡研究は、最も進んでいる分野の一つである。
漢〜三国期の中国製銅鏡は、弥生〜古墳時代の日本列島に多くもたらされた。
三角縁神獣鏡をはじめとして、列島においては政治的な意味をも帯びた器物として珍重されたと考えられており、その研究の進展は中国考古学のみならず、日本古代の政治社会史研究にも寄与してきた。
本書は文献史、美術史、技術史、宗教、政治…多角的な成果を盛り込み、銅鏡研究の第一線から、古代東アジアのすがたをあぶり出す。
21世紀初、待望の銅鏡の総合的研究書!!
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=9_14_37&products_id=101040 序文 銅鏡研究と日本考古学 實盛良彦
総論 東アジア世界と銅鏡 森下章司
T 中国の鏡
後漢・三国鏡の生産動向 上野祥史
後漢鏡の図像解釈―中国美術史上における儒教図像の意義 楢山満照
鋳造技術からみた後漢・三国時代の銅鏡 南健太郎
類書に映る鏡の記述―『藝文類聚』を例に 佐藤裕亮
U 倭でつくられた鏡
倭における鏡の製作 加藤一郎
倭独自の文様を持つ小型鏡の創出と展開 脇山佳奈
倭鏡に見る「王権のコントロール」 林正憲
V 三角縁神獣鏡と関連の鏡
三角縁神獣鏡生産の展開と製作背景 岩本崇
黒塚古墳三角縁神獣鏡の鋳上がりと切削研磨の程度からみる製造状況―二面同形二十号・三十二号鏡の調査から 三船温尚
画文帯神獣鏡の生産 村P陸
華北東部の銅鏡をめぐる諸問題 馬渕一輝
斜縁鏡群と三角縁神獣鏡 實盛良彦
W 銅鏡から歴史を読む
新見東呉尚方鏡試考 朱棒/藤井康隆(訳・解題)
二・三・四世紀の土器と鏡―土器の併行関係と出土鏡からみた暦年代を中心として 久住猛雄
日本列島における銅鏡の流通と政治権力―二〜四世紀を中心に 辻田淳一郎
跋文 銅鏡から読み解く二・三・四世紀の東アジア 實盛良彦 倭何やらなどの話があるでしょ(後の日本の皇族?)
ほとんどパクリ?というのも、むかーしから有名な話みたいだし 『三貴子』
ずっと中国(日本の中国地方ではない)に住んでいたんだよ、
それと倭人というのがいて・・・邪馬台国? 『かっぱっぱー』
うらしま・・・龍宮城、蓬莱というのも中国だしな・・・、
うらしまマリンは中国人なのかな 中華コンプレックスか何かなんだろう?
いい加減に精神病院に行けと言っているんだよ 老婆(旧姓、わたなべw)自身がそうだと言っているんだから、
そうだろう
老婆の家と結婚する前の話
家(この書き込みをしている)のほうが、何かの家の人だと言われたとか 『倭人 朝鮮人』だと言っているし、どういう事なんだろう 『伊達の桃太郎』
鬼退治・・・ほとんど合っているし、
中国視点(主人公w)の話でしょ >>451
呉の銅なんだが
『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、
いまの揚州市付近の江都、儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉濞が鋳銭したところと伝えられている
鏡は『銅出徐州』の銘文があっても、必ずしも鋳鏡の銅が徐州にでたと説明するには十分でないし、
また銅をとることのできない彭城およびその付近に銅がでたとは説明できない。」
(王仲殊著『三角縁神獣鏡』「学生社。1992年刊」)
この江都、儀徴には、古く銅鉱があった。
三国時代には、「江都」「儀徴」などの地域は、呉の領域内にあった。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku365.htm 日本の神話や伝説などがあるでしょ、
本当は中国の話だというと、怒ったりする人々がいるとか、右翼?
当時の右翼とかいうのも、ほとんど成り済ましだろう、何も知らない、知らなかったとか 黒塚古墳では棺内に画文帯神獣鏡を副葬し、
多くの三角縁神獣鏡を棺外に副葬するなど、その扱いが低い 「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。
圧倒的な倭国(阿波)の遺跡とは、雲泥の差。 @阿波 >>534
蛍光X線分析によって三角縁神獣鏡は魏晋の鏡と同じ銅が使われている事が判明
徐州は当時魏の領地だし
さらに呉の銅で作られていたとしても三角縁神獣鏡は魏鏡 >>477
>そして4世紀まで纒向が存続しているのが確実だから、3世紀に纒向に大集落があるのが確定だww
で、その「大集落」wには何棟あったの? >>435
>卑弥呼の死は250年代前半くらいで、箸墓の築造開始は250年代後半くらい
ダメじゃんw
畿内説は終わったな。
解散解散 卑弥呼が魏に遣使した景初三年や正始元年と魏の年号が入った画文帯神獣鏡や三角縁神獣鏡があるけれど 「鏡」や「お墓」や「土器」ごときに頼らざるを得ない、九州説や畿内説。
圧倒的な倭国(阿波)の遺跡とは、雲泥の差。 @阿波 >>544
圧倒的な阿波の遺跡(妄想)に頼らざるを得ない阿波 倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。
まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。 @阿波 >>463
いや
「南→東」などのように、
史料事実や史料実態の否定曲解の嘘つき騙しの・・・・アホ詐欺師の大和説者は、
ただの思考停止のヘイトスピーチだろう
大和説とはそういうもんだ >>1
始めまして。僕は考古学者です。
質問します。
貴方が、纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えてしまったのは、何故ですか。
そして、貴方が、その女性のその死亡時期は3世紀中葉だと考えてしまった理由は何ですか。 >>347
>皇位に就くかどうか分からない皇子にそんな大きな寿墓を用意するはずがないだろ?
適当なことを言うなよw
皇位に就くと分った皇子にあんな大きな寿墓を用意したのだ。
たとえば菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
応神の寵愛を受け時期大王確実だったが途中で仁徳に譲り自殺。
全国3位上石津ミサンザイはその菟道稚郎子でしか解けない。
死んでから完成に20年の大王墓を造るなんておまえはアホ。 1 ◆n7jxAxKCBhb6は、頭があまり良くないのではないのかな。 >>550
はい、正解です。。。貴方にもわかりましたか。。。。
1 ◆n7jxAxKCBhb6は、奥山氏という頭の悪い朝鮮半島出身の人物です。。。 >>465
>祭祀土坑に供献された、その年度に固定された炭素試料であることが確実な桃核で
計った年代が、2世紀後半から3世紀前半を指しているんだよ<
ダメだ。
AMS法は、それだけでもプラズマ化によって、50〜100年位古い計測値になってしまうし、
個々の桃核の計測値も110年位のばらつきが出ているし、
それらのばらつきも、全体としてそのピークが新しい方に偏る傾向があり、
それを考慮すると、大体300年頃だ。 古墳時代に皇太子という役職はないのだが、
分かりやすく言うと、大古墳は天皇墓ではなく「皇太子墓」。
ならば天皇の平均在位が応神390年を基点にけいさんすると11年弱、
皇太子時代が何年かあったとして、大古墳の完成期間を説明できる。
箸墓を、被葬者が死んでから慌てて作りましたなんて恥ずかしいから止めろ。
あれは260年〜280年あたりから造られ始め4世紀初頭あたりまで生きた人物、
それは纏向=磯城地域の崇神の前王イカガノシコオだ。
>>1よ、お前は畿内説の恥。 炭素年代法が、実際より古い計測値が出てしまう原因は、死体になってから発見されるまでの間に、原子が中性子を捕獲し続けることが原因なのだったな。。。 >>554
だから、古い死体ほどより古さの誤差が大きくなってしまうのだったね。。。 >>477
>桃の年代測定はむしろ2世紀だったろ。<
データ補正を入れると、300年頃だった。
>そして4世紀まで纒向が存続しているのが確実だから、
3世紀に纒向に大集落があるのが確定だww<
大集落なんて、どこにも見つからなかったし、
3世紀末の、卑弥呼も千人の婢も住む場所がない倉庫か簡易祭祀建築があった位だ。 >>555
そう、そう。。。
特にカニ星雲の誕生で発生したエネルギーが、地球に到達する前に死体になった物体には、大量の熱中性子線が浴びせられたので、C14崩壊量の誤差も大きいのだったな。。。 >>1
始めまして。僕は考古学者です。
質問します。
貴方が、纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えてしまったのは、何故ですか。
そして、貴方が、その女性のその死亡時期は3世紀中葉だと考えてしまった理由は何ですか。 あと〜事件などがあるでしょ?
そして捜索、捜査している人々、何でも良いんだけど、
そもそも、どこから給料などが出ているんだ?
ホンモノというか、本当に頭の良い人は知っているんだけど、
むかーしの日本の話、ほとんどの事は、数人の人間が決定していた
上の人間は日本人(民族?)ではないとか 例えば
誰々、何々さん、某氏、某家〜など、
この数人(家)で決定していた、国を経営?
乗っ取られたりしたのかな、
それとも騙り、成り済ましがいるとか 気づいているでしょ、
ほとんどが、そのような家(国を〜という家など)を先祖に持ってきたりするという手法
だからホンモノというか直系は他にいるの 昔の日本の話
つーちゃんではないんだけど、
同じことを言っている人がいたでしょ
たった、数人(家)によって決められていた >>480
>>魏の時代には徐州は魏の支配下<
>残念でした
徐州刺史部で銅山があったのは徐州最南端の江都や儀徴のみで三国時代は呉の領土だ・・・<
ふーん。 >>499
>卑弥呼は有名だからデカイの創る必要ないだろ。台与の為だな。
有名かどうかは関係ない
卑弥呼よりも大きな墓を作れる権力者がいないことが重要 「なのではないのかな。。。。氏」も言っていたでしょ?
何々人(日本人、民族ではない)の経営している・・・企業、
そこで?仕事をしているような書き込みとか 墓に入っとるのは卑弥呼かもしれんよ、でその祭祀で後継者が決まるんじゃないのかよ?死んじまったものを拝むのは墓じゃなくて神社だろ >>516
>△で魏の古鏡が無いのは何故?
>魏が倭流に目覚めて急に△を作り出したの?
お前バカだろ?
ヒント:面径
三角縁神獣鏡以前の鏡は、面径15センチ以下が普通
斜縁、三角縁というのは、大きな面径の鏡の強度を増すための工夫
斜縁神獣鏡は大陸でも普通に出ているし、三角縁神獣鏡と呼ばれている鏡群の
最も古いグループは三角縁ではなく斜縁
特別に面径の大きな鏡を作るために鏡縁を補強したのが斜縁であり三角縁
倭流に目覚めたのではなく、下賜品として見栄えがする大鏡を作るために
縁が分厚くなったんだよ >>548は最初キウスかと思ったんだけど、繰り返しコピペしているところを見ると連続句読点だな
連続句読点は、他人の長文をコピペしてスレ流しに使う習性がある
スレ立て直後によく貼られる、「アフォの>>1」で終わるコピペは
もともとは左側スロープ君のネタだが、最近貼ってるのはほぼ連続句読点 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています