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天皇制のルーツは結局何なのか
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0001日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/02(水) 20:22:05.01
整理が必要
0002日本@名無史さん
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2019/10/03(木) 16:40:23.14
日本のことが気になって気になって
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0003日本@名無史さん
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2019/10/05(土) 22:08:21.03
支那の中原を制した皇帝は、例外無く、専制君主だった。
皇帝の面前では皆、奴隷みたいなところがあった。
また皇帝は直属配下の軍事組織を有した。

日本の場合はですね、豪族(貴族)の力が強いんですよ。
大王なんて、たかが大和(やまと)国一国の王に過ぎない。
貴族は大王(天皇)を天上人でもあるがごとく讃え奉りつつも実権は貴族が採るという政体を組んでいった。
それが天皇制というのかどうかは私にはわかりませんが。
天皇もそのような政体を承認していたようなところがあり、安定と繁栄の基礎を築いていった。
貴族は武官を低位に置きたがった。でしゃばってもらっても困るから。

皇帝の首さえも掻き切ってしまいかねない激しい支那の動乱に比して、
日本にも内乱あれど、危機的な反乱は一度も無かった。
漢系諸族では無い異族の征服皇朝を仰ぎ続けた支那に比して、
日本は外敵の武装侵攻が極めて少ない極東の島国だった。
0004日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/05(土) 22:33:45.43
うーん、最初の神武や欠史八代は物部氏の配下だったのではないだろうか。
だから当然のことながら事績もない。
真の実力者は饒速日だったのだろう。
0005日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/06(日) 00:23:33.16
日本のことが気になって気になって
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0006日本@名無史さん
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2019/10/06(日) 04:16:50.06
完成した神話が先にあって、そこから天皇が
湧いて出てきたということはさすがにありえない
まあ、先祖の故郷が九州にあったのは事実なんじゃない?
0007日本@名無史さん
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2019/10/06(日) 08:03:55.60
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0010日本@名無史さん
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2019/10/06(日) 10:49:29.61
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0011日本@名無史さん
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2019/10/06(日) 22:00:53.18
天皇、貴族、武家の権威は律令で定めた身分制がルーツだろ
0012日本@名無史さん
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2019/10/07(月) 01:23:08.57
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0013日本@名無史さん
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2019/10/08(火) 00:12:27.77
万葉集を読んですぐ見て取れるのは

(1) やたらいろんな相手とセックスしたがること
(2) 女が「セックスしてぇ」とおおっぴらに公言している歌がやたらに多いこと
(3) (1)(2)の歌はそのほとんどが当時の最上級層の人間のそれなのに
  それを万葉集という公の文書に採録することになんの躊躇も無いこと

 上記から記紀・万葉集の時代まで日本は女系相続主義が
濃厚な社会だった可能性が高い

 種がどっから来ようとも一族の女から生まれた子供はその一族に属するという
社会ルールが確立していれば(1)(2)(3)は不思議なことではない

 逆に種が誰かが問題になる社会=男系相続主義では
(1)(2)(3)は明らかに異常な事態
0014日本@名無史さん
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2019/10/08(火) 08:46:55.80
日本のことが気になって気になって
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0015日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/16(水) 00:56:13.71
そもそも「男系血統」という仕組みそのものが
中華帝国猿まね律令体制の一端だった

欽明の子供の敏達は妹の推古と夫婦となっている

男系血統という発想からすれば兄妹婚であり紛れもなく近親相姦

だが当時は生まれた腹が別であれば種はどうあれ他人だった
0016日本@名無史さん
垢版 |
2019/10/25(金) 00:29:00.38
大日本帝国下で神聖にして侵すべからずとされた昭和天皇は
彼をただの人間と見抜いた一部の国民からからかわれていた

右田裕規『天皇制と進化論』より

一九二〇年代から四〇年代に思想警察・検事が作成した不敬事件の
記録からいくつか引く。

被疑者は(略)医科大学予科教授にして、生物学研究に従事せる者なるが、
昭和三年七月三十一日(略)半紙二つ切五十枚に「天皇も人間」と墨書し
(略)自宅付近道路に約百枚(略)其他に約二十枚を夫々撒布し、天皇に
対し不敬の意思を表示したるものなり。

〔一九四二年:引用者注〕十二月五日(略)〔被疑者は焼き鳥屋で他の客に
向かい:引用者注〕天皇陛下やて俺らやて同じ人間や細胞や血液に於いても
同じである(略)と不敬の言辞を弄す。

〔一九四二年:引用者注〕被疑者は(略)高等女学校教諭として(略)生物学
の授業中「生物の進化に就て」と題し(略)我が国は万世一系天壌無窮の皇室
を戴いて居ると言ふが天皇も一ヶの人間である(略)として天皇の尊厳を冒涜
し(略)。


小説家・評論家の大岡昇平(1909〜88)は「生殖と進化論について学びながら、
近眼鏡をかけた天皇を「現人神」と信じるには、よほど屈折した思考の習慣が
いる」と言った。
0019日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/01(月) 15:08:04.13
徳仁と秋篠は顔が違い過ぎる。
秋篠が天皇だったら皇室ファンになったかもしれないが 現実は違うんでわりとどーでもいい
0020日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/02(火) 20:19:50.15
天皇制のルーツは縄文時代のシャーマンだろう。
縄文の墓穴の底に勾玉が置かれているものがある。
この勾玉を持つ者が祭祀を司るシステムは、現代にまで続いている。
大真面目にそういうことなんだよ。
0021日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/02(火) 20:25:35.98
天皇は渡来人の一派だろ
どう見ても、太古から日本に居ない。
大陸から鉄器とか持ち込んで、古代日本を占領した
0022日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/02(火) 20:57:22.86
>>21
勾玉は縄文早期末からみられるそうだ。
今でも、勾玉を抜いた鏡、剣の「二種の神器」だけでは天皇の印としては成立しないだろうな。
天皇が何をする存在であるのかが分かる。勾玉はパワーだから。
0024日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/02(火) 22:01:02.39
神武東征とか見ても、明らかに、大陸ぶっちゃけ半島ルートで上陸してる。
神武が居なくても、似たような奴が居て東征したのは間違いない。
0025日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/02(火) 23:21:34.40
>>23
なんで朝鮮半島の宝を振りかざさなんだの?
0026日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/02(火) 23:23:40.60
>>24
半島から鹿児島へ行って、そこから奈良へ行くて、遠回りじゃん。
0027日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 00:53:47.16
日本のことが気になって気になって
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0029日本@名無史さん
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2020/06/03(水) 01:06:12.89
>>28
朝鮮半島の国に勾玉のような宝あった?
0030日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 01:22:47.57
現地人を懐柔するためだろ。
渡来人だって、その地に合わす。
元の皇帝だって中国化した。
天孫降臨の伝承こそ、大陸から流れ着いた証拠の記事。
時期的にも、おそらく弥生後期から古墳時代前期に来たから、渡来人の多い時期とピッタリ符号する。
むしろ、大陸から来てないなら、天孫降臨は何の意味なんよ?
0031日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 01:49:44.33
>天皇制のルーツは結局何なのか

魏志倭人伝に書かれた女王国を覆い隠すために神武東征という武勇伝をクローズアップした。
つまり神武の時代が女王国。

卑弥呼(Bei mei hu)とは簡単。
比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后である。

I崇神(310年頃 318年没)
H開化
     G孝元
          F孝霊   
トヨ津          E孝安 D孝昭
トヨ津       (250年頃) C懿徳 
ヒメ(踏鞴五十鈴)后        B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后       A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) @神武
0032日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 01:57:28.13
卑弥呼について生涯独身であったと解釈する人が多い。

古今東西、女王で独身を強要された人はいない。
結果的に生涯独身であった女王は16世紀後半のエリザベス1世か。

だいたい恋愛、結婚、出産という普通の女性の欲求を抑圧されている時点で女王ではない。

したがって卑弥呼にも夫や子供がいたと考える方が理にかなう。
魏志倭人伝の夫婿なしの記述は「年すでに長大」の時点での記述である。

その卑弥呼の夫が7世紀に初代天皇とされた。
0033日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 02:10:42.87
               , -――- 、
              /       ヽ
              | ノ  ー    |   
              |(・) (・)   |
 お前チョンだろ?  |  (      |
              ヽ O    人
               >ー-― ´   ̄ ̄\
  ⊂ニニ ̄ ̄ ̄ヽ  /              |
     くメ) _ノ  |  |  |        |   |
       (/  |  | /  |        |   |
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          |  ト  / |        |   |
          ヽ__/ |        |   |
0034日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 04:03:51.79
魏の文帝がお作りになられた貴族制は偉大である。漢人習俗と世襲貴族制を導入した倭国は古来の女系相続を修正し万世一系の男系直系世襲を理想とする王朝に変わった。
0035日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 04:11:25.35
卑弥呼の歴史は、神格化されて天皇家の歴史になった。
0036日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 04:58:08.00
>>30
しかしやっぱ、先進地半島のお宝を示さんことには、倭人も恐れ多いと思わんやろし。
半島から来て勾玉を戴いたのなら、それは同化、帰化というもんやな。
同化、帰化して名前も倭人名に変えて天皇になったのなら、別に問題ないな。
0037日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 05:13:21.06
>>30
大陸から流れ着いたて、流民のなれの果てかよ。
それに、大陸の降臨話はどれも村の近くやしね。
村びとがその気配で近寄って来て、なんやこれとびっくりして養のうてくれた。
一方、日本の天孫降臨はその点、人里離れた高い山の雷でも落ちそうなてっぺんに降りてきて、だれも降りてきたのをみてない。
ほんで、自分で山降りて人里まで出てきて、「国あるか」と村人に問うんやから、そら大陸の降臨話とはぜんぜん違うやろ。
0038日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 07:25:44.21
倭王が現地人を畏怖させた宝といえば、鏡だよ。
勾玉だけでは古来の巫女と変わらない。
鏡は漢から倭王として冊封を受けた証であり、それに逆らうということははるか大陸にいる皇帝への反逆になる。
しかも平原遺跡の三種の神器を見るに、玉が勾玉ではなく菅玉であり、要するに玉は巫女の装飾品に成り下がった。
0039日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 07:32:46.64
>>37

天孫降臨の舞台は筑紫の日向の高千穂だが、その3代前のイザナギが筑紫の日向の小戸で禊をしている。
このときに住吉の神や志賀島の海神が生まれている。
つまり天孫はなぜか出戻り王家なんだ。
そして記紀神話の舞台は人里離れた高山ではく、当時の最大の人口密集地である奴国だ。
出迎えた猿田彦は早良区にいた先代勢力だろうね。
記紀神話は福岡県が舞台なんだ。
0040日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 14:08:20.03
福岡とか北九州とか、最も半島と関係が深いじゃん。
新羅と手を結んでヤマトに反乱を起こした磐井とか。
その付近から、天皇の祖先が発生してる訳だしなあ。
皇祖が陸奥から来たとか言う伝承なら、日本先住民だろうけどなあ。
0041日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 14:11:41.65
今だつたら仲が悪いけど、古代では日本西部と半島の南って、同一民族みたいなもんだろ。
風習、言語もほぼ同じで通訳いらなかった説もあるみたいだしな。
古代史を学んだら、むしろ天皇の祖先が最初から日本に居たって言う方がトンデモ説だろう。
0042日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 14:24:04.88
>>38
平原の頃には勾玉のほかにも管玉が副葬されるようになった。
管玉も玉であって、その玉を副葬しているのは変わらん。
ただ、縄文のように墓穴の底に玉を入れることはほとんどなくなり、棺の中に入れるように変わった。
勾玉と管玉を交互に一環してネックレスにしているケースもあって、勾玉と管玉の差はないようにもみえるが、しかしやはり勾玉と管玉は区別されていた。
管玉は一段パワーが落ちると見られたようだ。
ということは、平原は格落ちということになってくるな。

鏡は大陸発祥の宝であって、半島独自のものではないな。
鏡や剣にしても、それだけではシャーマンの呪符としてはパワー落ちということになる。
勾玉があってこそだよ。
0043日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 14:34:14.96
>>34
しかし、推古や持統、その他の女性天皇が次期男系天皇が成長するまでの中継ぎ役だったとしても、
その女性天皇で政権が十分機能したのだから、女シャーマンの素地はちやんと残っているということだな。
勾玉をベースにした三種の神器を継承したら、皇女たちはごく当たり前に天皇になることができたわけだから、
天皇の条件としては、必ずしも男でなけりゃというわけでもない。
0044日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 14:36:34.25
>>40>>41
自死倭人伝を紐解けば、当時の日本列島がいかに先進的で半島が発展途上だったか克明に描かれている。
半島人や在日の方々は烈火の如く怒り狂って認めたがらないだろうが、そう記録されているのだから仕方がない。
農耕技術を手に入れた北部九州土着の縄文人が半島を植民地化していたのだろう。
新羅王の正当性は倭人の血統であることなわけだし。
0045日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 14:48:19.47
>>41
天皇の条件は三種の神器の継承だからなあ。
三種の神器は列島倭人のオリジナルだし。
半島倭人はこの三種の神器を造りださなかったのとちゃう?
0046日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 14:53:52.35
>>44
X 自死倭人伝
○魏志倭人伝
0047日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 15:05:14.59
>>44
済州島に九州縄文人が住みはじめたのは1万年前だし、蔚山や金海などの南岸地方には7600年前から同じ九州縄文人が住んでいたのをみると、
そのころから半島南部と九州は対馬海峡の島々を挟んで環対馬海峡文化圏を作っていたというのが正解だろうな。
この半島縄文人がO2、C2系種族の南下で圧迫されはじめたのが4000年前以降だから、半島南部は元々九州縄文人のテリトリーだったのよ。
そして、それが次第に食い取られていって、継体のときにはもう最後の砦も食い取られたということになるな。
だから、ソウルあたりまでは、元々は九州系縄文弥生人のものだったといってもいいんじゃないの。
0048日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 15:17:56.86
>>47
7500年前に半島南部に登場する隆起文土器は九州系じゃなくて済州島系

そのときの九州はすでに隆起文土器の次の段階の土器時代
0049日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 15:19:04.18
>>47
まあ、第一、6000年前頃まで朝鮮半島には南部以外は人が住んでいなかったんだからな。
その後、4000年前頃になってO2、C2系が北から入り込んできたわけだから、
かれらが半島縄文人の領土を食い取ったというのは歴史事実なのよ。
返してほしいもんだよ。
0050日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 15:22:06.67
半島倭人といっても狗邪韓国だけだろ?
0051日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 15:25:01.68
>>48
その済州島の土器は九州の貝殻面とそっくりの面と一緒に出ているから、済州島の住民は九州縄文人が渡ったものであるのは明らか。
こうした半島南岸地方の状況をみると、6000年前のソウルの遺跡で出た櫛目文土器は半島縄文人が遼河に到達し、そこから持ち帰ったものである可能性がある。
ソウルあたりまで半島縄文人の領土だった可能性が高いな。
0052日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 15:28:25.18
天皇家の由来が弥生時代の渡来人なら、縄文人は関係ないことになる。
0053日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 15:32:03.51
>>52
いわゆる渡来人にも多種あるわけだから、出戻り縄文人なのかもしれないね。
海外留学から凱旋帰国してリーダーとなるってサクセスストーリーを個人ではなく部族でおこなったみたいな感じかもよ。
0054日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 15:32:22.55
>>50
狗邪韓国は、O2、C2系に半島が食い取られて最後に残っていた縄文弥生人の領域だよ。
このころには、鉄の産出で国際都市みたいになっていたけどな。
その狗邪韓国の東半分は新羅に食い取られ、西半分は百済にせびり取られたし。
0055日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 15:42:32.32
>>52
天皇制のかなりはっきりした節目は崇神の時であり、
この時期の大和の政権は九州鹿児島の阿多を宗家とする海人系の連合体だった。
この大和に集まった海人系の勢力は縄文草創期から続く阿多族の分家たちなので、この崇神の時の勢力から縄文時代を分離してしまうことができないの。
崇神の政権が宗教的威信財として創出した鍬形石は、九州阿多族が作り出したゴホウラ貝腕輪を真似たもので、九州阿多族の復活の象徴とされたもの。
なので、天皇制のスタートと縄文時代は切り離せないのよ。
0056日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 15:46:21.91
>>53
半島縄文人と九州縄文人は壱岐、対馬を介して頻繁に行き来していたのだろうから、気軽く出戻ったのじゃないの。
0057日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 15:48:06.46
>>53
弥生人は半島人じゃなくて沿海州人なんだから、出戻りもクソもねえじゃん

王様というものを持ち込んだのは弥生人なんだから、弥生人が西日本中に拡散して
各地に王様が林立して、その覇者であるキングオブキングが宮崎の神武天皇だったと
いうだけの話だろ 
0058日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 16:04:56.91
>>39
いやいや、福岡に日神、月神、風神がいないだろう。
筒男や綿津見は、元々いた阿多の海から福岡に現れたのよ。
もとから福岡にいたわけじゃあ〜りません。
それに、天孫は雷鳴り響く草木も生えん高山の高千穂のてっぺんに降りたのだから、人里ともいえる日向峠なわけないし。
日本の聖典ともいえる神譜紀を朝鮮神話で解釈してはなりません。
ちなみに、猿田彦はエジプトのトート神を中国神話集かなにかから採ったものだから、単なるお話でしかないしね。
0059日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 16:08:06.09
>>40
高祖が来たのは薩摩の阿多からって書いてあるし。
0060日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 16:19:47.36
>>57
話がぐじゃぐじゃじゃないか。
神武は薩摩の阿多だろが。
0061日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 16:22:36.43
まあ、天皇制の根幹にあるのは勾玉だよ。
0062日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 16:36:10.37
>>58
>筒男や綿津見は、元々いた阿多の海から福岡に現れたのよ。
>もとから福岡にいたわけじゃあ〜りません。

根拠なし。

>ちなみに、猿田彦はエジプトのトート神を中国神話集かなにかから採ったものだから、単なるお話でしかないしね。

都合が悪い部分だけ実在を否定?
チェリーピックの典型だな。
天孫が実在で、それを出迎えた猿田彦はお話って、なんだよそれ。
0063日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 16:36:55.32
>>60

神武がいたのは筑紫の日向の高千穂宮。
魏志倭人伝で言うところの伊都、倭国の王都。
0064日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 16:38:22.94
>>61
>まあ、天皇制の根幹にあるのは勾玉だよ。

鏡だよ。
三種の神器の中でも皇祖であるアマテラスの分け御霊として伊勢神宮を建ててまで祭っている。
0065日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 16:39:34.76
>>58
>いやいや、福岡に日神、月神、風神がいないだろう。

筑紫の日向の小戸(福岡市西区小戸)で天照、月読、素戔嗚が生まれている。
0066日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 16:44:57.63
仏教密教の神仏として日本の民に崇められる不動明王や観音様
阿弥陀如来に大日如来、はてはお地蔵様に弁財天 大黒天の神々
南方インドの神々を日本人は一般人から霊能者まで熱心に崇めてるんだよな
0067日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:16:00.93
サルタの話なのかな、
とあるゲームに出てくるキャラの話、水の底に封印された。

鎖で縛られ・・・とかwなぜかアンドロメダ。
0068日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:18:30.57
たしか古代の中国の〜神話みたいな話(説明)。
なのに・・・・・・・・なぜかアンドロメダ。

大陸のほうから伝わってきたのかな?
0069日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:23:24.40
>>65
後付けだよな。
0070日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:25:10.82
>>64
後付けだな。
縄文時代に鏡があるわけないし。
0071日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:27:55.91
>>63
伊都国〜!!!!
なんで、わざわざ伊都から鹿児島回って豊後水道、小倉と舟で行くのよ。
伊都から宗像、小倉へ行けば近いのに。
0072日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:35:32.79
『禹』
この時代の話?wikiなどを読んでみて。
0073日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:37:03.54
>>62
物語には尾ひれが大切。
なので、エジプト神話を挿入しただけ。
そもそも猿が道先案内するわけないじゃん。
猿で道先案内するのはエジプトのトート神だけ。
そこから持って来た単なるお話よ。

天孫は元から薩摩阿多族なんだし、天の高天原から人里離れた高峻高千穂峰のてっぺんに降り立つというのは神話にすぎん。
しかも、この降臨する神話は随分新しい。
伊弉諾の神話には高峻の山のてっぺんに降り立つというような荒唐無稽な出来事は出てこんよ。
0074日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:40:14.76
>>66
大黒さんに至るまで皆、日本土着の神さんの化身だから、それでいいのよ。
0075日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:43:23.09
南方インド神の崇高な力を知り古代中国大陸の民によって漢字名に付け替えられる

南方インド神のアチャラナータは漢字名で不動明王と付け替え崇める
南方インド神のアヴァローキテーシュヴァラは漢字名で観音菩薩と付け替え崇める
南方インド神のアミターバは漢字名で阿弥陀様と付け替え崇める
南方インド神のマハーヴァイローチャナは漢字名で大日如来と付け替え崇める
南方インド神のクシティガルバは漢字名でお地蔵様と付け替え崇める
南方インド神のバイシャジヤグルは漢字名で薬師如来と付け替え崇める
南方インド神サラスヴァティーは漢字名で弁才天と付け替え七福神と崇める
南方インド神マハーカーラは漢字名で大黒天様と付け替え七福神と崇める
0076日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:44:03.00
>>64
日神は天皇の祖先とされているものの、日神それ自体は天皇ではないからね。
天皇制と日神はまた別。
天皇制は勾玉だね。
0078日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:48:48.66
1の回答は
「農民と武士の身分差の始まり」を考えてもいい

徳川が禁止するまで、武士が農民を強姦するのも切り捨てるのも自由だった
奴隷として売買するのも、食肉として中国に売ることもやった
そこまでの身分差の原因は?
0079日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:51:39.27
なぜか『ドンバ』という漫画、画像などを調べてみた?
0080日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:52:17.99
>>64
記紀ともに勾玉、鏡、剣の順で書かれているし、鏡は伊勢、剣は熱田にある。
剣は熱田のものが本体で、皇居にあるのはその剣神の依り代。
なので、天皇が肌身離さず持っているのは勾玉だけ。
これをみても、天皇と勾玉は一心同体であることが分かる。
0081日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:55:20.68
>>78
そんなこと、どこかに書いてあるの?
聞いたことないわ。
捕虜は身代金目的で捕まえて来たらしいけどな。
0082日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:58:40.71
>>77
気にすんな。
皆、日本土着の神さんの化身なんやから。
0083日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 17:59:17.11
小椋佳『きみは それ以上』という曲のような気もするし、

どういうことなんだろう。
0084日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 18:02:43.73
>>82
古代から密教お得意の詭弁法でワロタw
0085日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 18:03:02.07
>>75
さすがに、えべっさんはないな。
0086日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 18:11:09.33
七福神で土着日本の神は漁業を生業としてきた恵比寿だけだよ
南方インドの神々に溶け込めるうように唯一の海洋系神
0087日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 18:22:59.71
>>82
歴史学的には認められないよ。
何でも日本の神がいけるなら
古代ローマだって、多神教の時代では
世界各地の神をローマの神にしてたから、日本の神だってローマ人の神になってしまう。
0088日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 18:27:07.62
>>70

だから、その縄文だというのがおかしいんだよ!
0089日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 18:27:27.78
古代日本密教には本地垂迹説と言ってイイ加減な思考法があってだなw
0090日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 18:27:48.18
>>71
>伊都から宗像、小倉へ行けば近いのに。

正解
それが本当のルート
0091日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 18:29:42.67
>>73
>天孫は元から薩摩阿多族なんだし、天の高天原から人里離れた高峻高千穂峰のてっぺんに降り立つというのは神話にすぎん。

1行の中で破綻する主張w
苦し紛れに神話だと逃げるしか能のない三流
0092日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 18:30:58.44
>>76

日の神の象徴が内行花文鏡、伊都平原の八咫の鏡だろ。
0093日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 18:37:26.80
     ___
    /     \     ________
   /   ∧ ∧ \  /
  |     ・ ・   | < こんにちは天国党です
  |     )●(  |  \________
  \     ー   ノ
    \____/

天皇から国民を守ろう!
  天皇家をぶっ潰せ!
天皇のもろチョン顔にスクランブルをかけろ!
天皇に虐殺され続けた縄文人1300年の恨みを晴らそう!
よろしくお願いしたいと思います
0094日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 20:39:43.72
>>87
だって、解脱とか悟りとかはよく分からないし。
その仏教の神さん(解脱に関連する修行段階)を日本の神さんと重ねることで理解しやすくなる。
それが日本での仏教理解の姿だったのだし、それでいいのよ。
0096日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 21:01:34.80
>>88
鏡が来る前にすでに天皇制の原型があるんだからね。
勾玉は縄文早期末からあるし。
0097日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 21:09:42.34
>>91
そもそも天孫降臨のアイデアは半島からもたらされたのではないし。
天孫降臨のアイデアは近江。
近江の三上山に日の光の神、天之御影の神が降り立ち、その神が山の麓まで降りてくる祭事を天孫降臨のアイデアとして取り入れたもの。
取り入れるように指示したのが藤原不比等。
不比等は近江にいたから、その祭事を知っていたの。
天孫降臨は半島の神話とはなんの関係もないよ。
0098日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 21:11:12.75
>>93
天皇が目の前通ったら、旗振るくせに。
0099日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/03(水) 21:15:54.61
>>89
それでいいの。
だれも文句いわない。
インデアン、嘘言わない。
0100日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 06:56:23.42
>>63
郷土愛に狂う糸クズを筆頭に、思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。
無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」

伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”

伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”

一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。

【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。

また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。

以上。
0101日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 07:31:18.06
>>98
振ったとしても、北の住民だって、将軍さまが通ったら旗振るしな。
0102日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 13:08:00.64
>>96
>鏡が来る前にすでに天皇制の原型があるんだからね。

何を根拠にそんな迷いごとを言うのかな?
0103日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 13:10:42.94
>>97
>近江の三上山に日の光の神、天之御影の神が降り立ち、その神が山の麓まで降りてくる祭事を天孫降臨のアイデアとして取り入れたもの。
>取り入れるように指示したのが藤原不比等。

アホか。
伊都の高祖山や、纒向の三輪山だって日の出る方に神奈備がそびえる配置であり、不比等よりはるかに前から西日本全域にそのような信仰様式があったんだよ。
地域により磐座信仰や巨木信仰が混じったりするけどね。
0104日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 13:20:30.33
>>100
異論なしだわ
0105日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 15:52:39.56
>>101
北は日本の天皇制を真似したのよ。
天皇制発祥国は自由に旗振れるが、
真似した北は演出になる。
この違いは大きいな。
0106日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 15:56:30.27
>>102
人を埋葬した墓穴の底に勾玉が一つ置いてあるのが縄文時代。
鏡は弥生になってから来た。
現在、天皇が肌身離さず持っているのが勾玉。
記紀でも記述の順番が、勾玉、鏡、剣。
勾玉が天皇制の根幹であることが分かる。
その勾玉は、縄文時代から特定の者の墓の底に置かれていた。
0107日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 16:06:17.88
>>103
弥生、古墳の時代に神といえば皆、地主神。
空から降りてくる神などはいなかった。
しかし、唯一空から降りてくる神が見られるのは、弥生後期の三上山の祭りだけ。
この山頂に降りた神が麓まで迎えられて祀られるパターンは、日本書紀の天孫降臨の神話と同じ。
天孫降臨神話はこの三上山の祭りをパクったものであるのは明らか。
一方、高祖山や三輪山に限らず、どこの山にも朝日は当たる。
しかし、その山へ日の光の神が降りてくるという神話はどこにもみあたらないの。
まちがえちゃ〜いけないね。
0108日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 16:12:22.31
玉迎え鳥=時鳥

何か意味があるはず
0109日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 16:27:42.64
>>105
北の国でも同じこと言ってるよ。
我が国では、国民が自らの意思で旗振ってますってな。
0110日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 17:40:13.53
>>107
>弥生、古墳の時代に神といえば皆、地主神。

妄想はいらない。
0111日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 20:01:15.93
>>108
玉迎鳥→魂迎鳥→蜀の望帝の魂が化した鳥。
古代蜀の故事。
奈良の知識人が学識の深いところを示して胸張った。
勾玉とは無関係か。
0112日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 20:05:27.00
>>109
当局が言うことは、だいたい大本営発表。
日本の大本営発表はかなりましな方。
針が左に振れるほどに大本営発表が信用しがたくなる。
0113日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 20:08:07.66
>>110
動く神が登場するのは5世紀から。
それまでは神は所在地を動かない。
その場の神=地主神。
0114日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 20:14:12.57
>>89
いいかげんなのではなく、それが本質なの。
0115日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 20:19:59.43
>皇室は縄文系Y-DNAだった事が、オクスフォード大学・遺伝学研究チームの分析で確定。

N253487 Sumeramikoto (Emperor of Japan) D-CTS8093
https://www.familytreedna.com/public/japan/default.aspx?section=ycolorized

https://wiki3.jp/famousdna/page/23
伏見宮家
伏見宮家のY染色体遺伝子は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)。
これは、伏見宮家の男系子孫1名から得られた解析の結果に基づく。

東山天皇
人皇第113代・東山天皇(Emperor Higashiyama, 1675-1710)のY染色体遺伝子は、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)(注3)。
これは、東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔粘膜の解析による(注7)(注8)。

南朝・後村上天皇
南朝・後村上天皇(Emperor Gomurakami, 1328-1368)の男系子孫のY染色体を調査した結果、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であることが判明した(注1)(注2)。

近衞文麿
内閣総理大臣を務めた、近衞文麿(Fumimaro Konoe, 1891-1945)のY染色体は、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)。

2019年6月19日改訂のISOGGより D1a2(旧D1b1'2)に変更。
「縄文系」のD1a2(旧D1b)、(チベットD1a1)

オクスフォード大学の遺伝学研究チームのクリス・テイラースミス(Chris Tyler-Smith)及び、
カラー・レッド(Color Red)は、日本人男性のY染色体の一塩基多型(SNPs)および
縦列反復数(STRs)を解析した結果、天皇家のハプロタイプは(D-CTS8093)に属する
系統であると結論づけました。
0116日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 20:34:41.27
>>113
こうした神々がいる弥生・古墳時代の神世界で、
山頂に降りてきた日の光の神(天之御影神)が迎えに来た在地の者らによって麓まで迎えられ、
そして一定の期日のあと再び空に帰って行くというこの神の神性はまったく異質なもの。
これが近江三上山に降臨する神の異質なところなの。
この神の山頂への降臨と麓に迎えられる神事を近江にいたことがある藤原不比等がパクって、
編纂責任者として日本書紀の天孫由来神話として採用したのよ。
で、不比等はそのパクリのみかえりに、その山の麓にある山頂遥拝所に御上神社を建立させた。
そういうわけなのよ。
朝鮮半島の亀旨峰なんて、関係な〜いからね。
0117日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 20:53:18.29
>>115
なんだ?このトンデモサイトは?
神武天皇の遺伝子とか書いてるけど
神武は実在は否定されているし
継体の遺伝子については、実在だろうが、遺骸は発見されてないし、継体の古墳として茶臼山古墳が写っているけど、本当は今城塚古墳だし。
聖徳太子も遺伝子とかどうやってとったんだ?遺体見つかってないぞ。
アホか?
0118日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 20:54:22.87
>>115
この記事はフェイク臭いそうだな。
元になる記事は削除されていて、その元記事を確認できんそうだ。
0119日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 21:04:53.93
.

(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の竈(=火へんに土)と釜と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html

.
0120日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 21:09:35.88
.



7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

同じく中国には7000年前からある竈も釜もそれまで知らなかった。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


.
0121日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 22:01:43.72
>>116
お前の妄想はいらない。
0122日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 22:02:48.17
>>116
古事記はどうなるんだよ。
基本的に同じストーリーなんだろ。
0123日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 22:44:00.32
>>122
古事記は重要な箇所で別ストーリーにしてしまっている書物。
日本書紀が書いているテーマとは別の書物。
0124日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 22:47:59.15
>>121
この妄想が真実なのよ。
キミが信じている真実が妄想なの。
0125日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 22:49:45.25
延喜式の内容も大分記紀と違う
祝詞は歴史の言霊かもな
0126日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/04(木) 23:18:38.17
>>123
古事記はおとぎ話だよなぁ。
頭の悪い民衆に言い聞かせる感じ。
当然、史実ではない。
狂信的なネトウヨでも、イザナギとかが島を作ったとか信じてないだろ。
と信じたい。
0127日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 02:15:54.92
神話だからな
0128日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 02:18:40.19
>>126
イザナギとイザナミの国生み神話は、記紀では淡路島が最初なんだから大和の政権の国土意識が反映されているのは自明のこと。
しかし、どうも、東アジアや東南アジアなどの海洋世界でみられる洪水で世界の人間が全て死んで、
ただ2人生き残った兄妹が子供をもうけて人間の始祖となったとする「洪水神話」と、
イザナギ・イザナミによる国生みはよく似ているとされる。
「洪水神話」のうち、台湾のアミ族のものがイザナギ・イザナミの神話と近似するようだ。
とすると、イザナギ・イザナミの神話は、元々は南九州あたりにあった説話ではないかと疑われる。
そのようにイザナギ・イザナミが南九州の神であったと考えると、そのイザナギが日向のアワギハラで禊をして日神、月神、風神を生むという筋書きも道理ということになってくる。
国生み神話は大和の政権がこねくったものであるのは当然であるが、
その話の土台となっているイザナギ・イザナミの神話は実際には南九州の部族の神話であったということは、案外可能性のある話だよ。
ちょっと調べてみる価値はあるな。
0129日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 02:48:58.58
神話の祖形は南九州かもだが、
伊邪那岐・伊邪那彌は、自女王国以北の国々の頭文字をとったのだそうだ。、(伊都国、邪馬台国、那(奴)国、岐(一支)国、美(不彌)国
0130日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 03:34:59.81
>>129
それ思いついたご仁は、天才だな。
0131日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 07:01:09.17
すると神話編纂の八世紀の時点で、
博多奴国は那の津国と理解されていたか、或は、大和朝廷の役人の手元にあった倭人伝には「那国」とあったのかもしれない。
また同様に、不彌国は「美彌国・みねこく」であったのかもしれない。
0132日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 13:01:48.39
>>124
せめて根拠を示してよ。
そうでないと話も進まない。
0133日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 13:05:45.99
【倭国】

弥生時代前期末に玄界灘沿岸に倭が成立して前漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王が冊封された。後漢書では、倭は朝鮮半島南岸の狗邪韓国から九州北岸の倭奴国までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭の形成の原動力であったと考えることができる。

記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾の能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭が博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。
0134日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 13:59:41.77
>>132
すでに言ってあるように、弥生・古墳前期までで神が空から降りてくるという神話は、この近江の三上山の天之御影神に関するものしかないの。
日本書紀の天孫降臨は日本の神としては極めて異例の神であり、神が降臨するというこのパターンがみられるのは現実には唯一近江の天之御影神の神話だけ。
このことから、日本書紀の編纂者が近江の三上山の神話を採取して天孫降臨の話として用いたのは明らか。
これは妄想ではなく、論理の通った真実なのよ。
0135日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 14:46:37.01
>> 吉武高木遺跡では、弥生時代,前期末(紀元前400年〜)頃より「三種の神器」を
>> イメージさせる鏡・玉・剣を持った 王 が現れる。

吉武高木遺跡 | 文化財情報検索 | 福岡市の文化財
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/files/CulturalPropertyImage432imageja.jpg
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/432
1984年度調査で弥生時代前期末〜中期初頭の金海式甕棺墓・木棺墓等11基より
銅剣、銅戈、銅矛の武器(11口)、多鈕細文鏡(1面)、玉類多数(464点)が出土した

吉武高木遺跡は弥生時代前期の遺跡で,「三種の神器」をイメージさせる鏡・玉・剣を副葬した
「最古の王墓」(3号木棺墓)など,数々の重要な発見がありました。遺跡群内には同様に
多数の副葬品を有する前期末〜中期後半(紀元前400年〜(歴博)放射性炭素年代測定による)
の甕棺を主体とした墓地(吉武大石遺跡)、

中期後半〜後期の墳丘墓(吉武樋渡遺跡)がある。またこれらの墓地の周辺には
同時期の集落が広がり、吉武高木遺跡の東50mからは12×9.6mの身舎に回廊をめぐらした
掘立柱建物も発見され、「高殿」の可能性が指摘されている。
0136日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 15:16:39.43
奈良地方の弥生遺跡からは銅剣や銅鏡て古墳時代になるまで出土しないよな
銅鐸は多くでるけど、
北部九州からは弥生中期には銅剣銅鏡勾玉など溢れるくらい出土するんだよ
0137日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 15:27:38.80
>>128
ウィキの「洪水型兄妹始祖神話」によると、イザナギ・イザナミの国生み、神生み、青草生み神話は洪水型始祖神話の一つであり、台湾のアミ族の神話とよく似ているとしている。
つまり、日本書紀のイザナギ・イザナミ神話は、部族の始祖、起源、元祖神話である洪水型兄妹始祖神話がベースになっていて、その神話は台湾のアミ族のそれともよく似ているというわけ。
そこでその部族神話とは、1万2000年前に南九州に上陸した南方系種族の後裔である薩摩阿多族の神話だったのではないかと考えた。
イザナギ・イザナミ神話とよく似た始祖神話を持つ台湾のアミ族は、フィリピンのタガログ族などとも同系の種族であるので、タガログ語からイザナギ・イザナミの神名に迫ってみると、驚くべき類似が現われた。
(起源、元祖)をタガログ語の語彙に探すと、

isang nagmulan(イサン ナグ ムラン)=起源、ソース
   isang nammulan(イサン ナムムラン)=起源、ソース

となり、isan(イサン)=一つの、英語のa。nag、nam(ナグ、ナム)=接辞。mulan(ムラン)=起源の構成である。
というわけで、上の二つの言葉からmulan(ムラン=起源)を取り除くと、
isang nag(イサン ナグ)、isang nam(イサン ナム)の発音となり、イザナギ・イザナミの発音と極めてよく似た発音となる。
1万2000年前に南九州に上陸した南方系種族はこのタガログ語と同系の言葉を話していたと考えられるので、
イザナギ・イザナミの部族始祖神話はこの南方系種族である薩摩阿多族のものであったとする傍証になるかも知れない。
mulan(ムラン=起源)の語彙が落ちたことについては、この語彙を発音する先住縄文語としてはフレーズが長く、
一息では発音しにくいためにある段階で切り捨てられたと考えるのがよいのではないか。
つまり、イザナギ・イザナミとは「(我らの)始祖」の意味であった言葉だということになるのだ。
0138日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 15:33:50.68
「三種の神器」をシンボルとする王統が北部九州から出現し
環濠集落群を統一し倭国内の小国家として纏まっていった
0139日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 15:39:20.94
>皇室は縄文系Y-DNAだった事が、オクスフォード大学・遺伝学研究チームの分析で確定。

N253487 Sumeramikoto (Emperor of Japan) D-CTS8093
https://www.familytreedna.com/public/japan/default.aspx?section=ycolorized

https://wiki3.jp/famousdna/page/23
伏見宮家
伏見宮家のY染色体遺伝子は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)。
これは、伏見宮家の男系子孫1名から得られた解析の結果に基づく。

東山天皇
人皇第113代・東山天皇(Emperor Higashiyama, 1675-1710)のY染色体遺伝子は、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)(注3)。
これは、東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔粘膜の解析による(注7)(注8)。

南朝・後村上天皇
南朝・後村上天皇(Emperor Gomurakami, 1328-1368)の男系子孫のY染色体を調査した結果、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であることが判明した(注1)(注2)。

近衞文麿
内閣総理大臣を務めた、近衞文麿(Fumimaro Konoe, 1891-1945)のY染色体は、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)。

2019年6月19日改訂のISOGGより D1a2(旧D1b1'2)に変更。
「縄文系」のD1a2(旧D1b)、(チベットD1a1)

オクスフォード大学の遺伝学研究チームのクリス・テイラースミス(Chris Tyler-Smith)及び、
カラー・レッド(Color Red)は、日本人男性のY染色体の一塩基多型(SNPs)および
縦列反復数(STRs)を解析した結果、天皇家のハプロタイプは(D-CTS8093)に属する
系統であると結論づけました。
0140日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 16:00:48.45
>>136
出雲大社の境外摂社の命主社にある真名井遺跡は弥生時代の遺跡で、翡翠勾玉と銅戈が一緒に出た。
墳墓に副葬されたものを除くと、勾玉と青銅器が一緒に出た国内唯一の例だそうだ。
勾玉と青銅器をセットとする観念が東へ広がっていることを示しているな。
0141日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 16:08:49.31
>>138
国内最古の水田跡が出た菜畑では、水田のすぐ側の斜面から滑り落ちた土砂の中から勾玉が出ている。
祭祀目的で埋納されたとみられている。
縄文時代晩期には、勾玉は水稲の豊作を祈る祭祀に用いられていたことが分かっている。
この祭器としての勾玉の上に同じく祭器として乗っかったのが鏡、銅剣であり、祭器としての三種の神器のうち最も古いのが勾玉だな。
0142日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 16:17:16.09
>>139
必死になってそう宣伝しなければならないほど
ソースが脆弱なものしかないということやろうな
0143日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 17:26:24.39
>>134
>すでに言ってあるように、弥生・古墳前期までで神が空から降りてくるという神話は、この近江の三上山の天之御影神に関するものしかないの。

その神話はどこ文献に載っている?
それは記紀より古いのか?
0144日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 17:27:10.83
>>134
>これは妄想ではなく、論理の通った真実なのよ。

根拠を提示せず言い張るだけなら、泡と大差ないぞ。
0145日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 17:28:51.47
>>138

おしい。


「三種の神器」をシンボルとする王統が北部九州から出現し
環濠集落群を統一し倭国として纏まっていった
0146日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 17:33:59.54
漢の皇帝からもたらされた鏡が追加されることで、冊封を受けた倭王の威信財としての三種の神器が完成した。
0147日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 19:13:25.21
>>143
根拠は、考古事実による推定と神社由緒だ。
考古事実の方の時代は、弥生後期。

泡は泡忌部の回し者。一緒にするな。
0148日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 19:24:01.84
>>146
☓ 威信財
〇 祭器
0149日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 21:15:38.90
.



中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!


.
0150日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 21:23:36.03
と言うことは、朝鮮半島とその北部のシベリアとか、から弥生人は来た?ってこと?
0151日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 21:44:36.34
弥生人が最初に遺した土器から見ると弥生人の故郷は沿海州南部
0152日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 21:47:07.60
今のウラジオストックの近く?
スゴイなイメージだと朝鮮半島、中国からだと思ってたわ。
0154日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 22:58:33.52
>>153
倭国大シャーマンのルーツじゃね。
0156日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 23:18:41.39
天皇が大陸から渡って来たって言うと、ムキーってなる奴居るけど
自然に人間が発生したと思っているのか?
そんなわけ無いだろ。
0157日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/05(金) 23:40:10.46
>>152
半島はもともとほとんど人がいなかったから
0158日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 01:04:50.54
>>154
そう、大和は関係なし。
大和の天皇は崇神から。
0159日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 03:00:58.45
>>157
NHKの最近のラジオ番組で日本人はどこから来たのか?
みたいのやってたけど、半島と陸続きの時代に最初に渡ってきたみたいにやってたぞ。
大学教授みたいのが講師やって。
0160日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 03:06:55.99
>>159
あっちの人の民族願望でしかない
0161日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 03:37:04.26
そうかもしれないけど、確率的には一番高そうだけどなあ。
半島と北九州って天気の良い日には対岸が見えるとか言うしなあ。
渡るのは比較的には簡単だと思うが。
0162日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 04:03:52.42
>>161
見えねぇよw
               , -――- 、
              /       ヽ
              | ノ  ー    |   
              |(・) (・)   |
 お前チョンだろ?  |  (      |
              ヽ O    人
               >ー-― ´   ̄ ̄\
  ⊂ニニ ̄ ̄ ̄ヽ  /              |
     くメ) _ノ  |  |  |        |   |
       (/  |  | /  |        |   |
          |  |/  /|        |   |
          |  ト  / |        |   |
          ヽ__/ |        |   |
0163日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 09:59:07.93
>>159
それは縄文人だろ。
弥生時代に稲作を持ち込んだ弥生人は船でやって来た。
0164日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 10:12:00.40
>>163
弥生人は稲作を持ち込んでないんだっての

子孫の時代になってから半島から稲作をパクっただけ
0165日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 11:03:03.98
最新の調査では、日本から半島に伝わった説があるみたいだが。
0166日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 11:08:04.29
そもそも弥生人は農耕化した縄文時の呼称であって渡来人とは別種。
0167日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 11:09:24.40
>>165
ない

そう提唱している考古学者が一人もいない

5chの我田引水チンコロのデマなだけ
0168日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 11:12:51.75
>>166
日本最古の農耕遺構であり稲作遺構である菜畑遺跡は渡来系土器遺構
0169日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 11:23:33.82
>>168
ウソ乙
0170日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 11:35:34.44
>>167
ないと思い込みたいのはお前らヒトモドキの末裔たちの民族願望でしかない。

現時点までの炭素年代測定で判明しているのは
菜畑遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前900年」頃
板付遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前600年」頃
ソングンリ遺跡の「住居跡」ならびに「炭化米」は「紀元前500年」頃
という客観的事実だけです

ソングンリに水田遺構は発見されておらず、朝鮮半島最古の水田遺構は20Km南にあるマジョンリ遺跡の「紀元前300年」です

朝鮮ヒトモドキどもはオクキョン遺跡はさらに古いなどと言い出しましたが、炭素年代測定を意図的に行わず隣国からの共同研究を頑なに拒んだ上に理由もなく埋め戻すという隠蔽工作を行いました
韓国では玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為として、すでに歴史学の恥部となっています

しかもソングンリ型住居は現在では日本の竪穴式住居の劣化コピーであることが判明し、証拠として北緯36度線より北にあるにもかかわらず炉の形跡がない、一柱支から三柱支への移行遺構が存在しないなど多数に及びます

これら客観的な科学検証に基づけば3千年前には水稲や竪穴式住居を完成させた縄文人が朝鮮半島に入植し、朝鮮ヒトモドキどもを指導し支配下に置いていたことが明確です

支配していた根拠として挙げられるのは日本人特有と言えるY染色体O2b1で朝鮮半島では北緯36度線以北には存在していません
寒さに弱かった縄文人は北緯36度線以北は朝鮮ヒトモドキに開拓させていたという傍証であり、住居跡に炉がないことの理由と結論付けられます
0171日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 11:36:16.13
>>169
我田引水を狙うチンコロことサギー華南ニグロ形質ブタ広鼻ゴリラ乙

どこがどうウソなのか言ってみろよw

言えない確率100%wwww
0172日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 11:39:31.97
>>170
そうサギブいてる頭のおかしな考古学者を出してみろよサギー華南ブタ広鼻黒人形質ロピテクス

出せないね

単なるおまえ一人の願望だからwwww
0173日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 13:42:24.26
いずれにしても、天皇の条件の核心に勾玉がある。
初代天皇といえる大和の崇神の贈り名は、たくさんの玉を見につけたお方というものだ。
天皇は勾玉を保持していることが必須の存在なのだ。
そしてその勾玉は縄文時代早期末から造られ始め、特定の人物の墓穴の底にはその勾玉が一つ置かれた。
現在の天皇が保持している勾玉は、その縄文の伝統の上にあるものなのだ。
0174日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 13:55:39.58
神武天皇が饒速日に示した神宝は天羽羽矢だった。
神武天皇は三種の神器を持ち合わせていなかった。
0175日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 14:18:12.25
九州は鏡、剣、勾玉の順に価値づけることが好みのようだが、
大和の政権がまとめた日本書紀や古事記は勾玉、鏡、剣の順の価値づけとなっている。
九州の古代史好きはある意味、外来の祭器にかぶれた価値観を持つようにみえる。
大和の日本書紀の価値観が縄文以来の伝統と言えるだろう。
0176日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 14:22:36.60
>>174
羽羽矢は同族の印として見せたのであって、大シャーマンの証としてではなかったな。
神武は三種の神器を持って旅立ったのとちゃう?
0177日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 14:50:33.23
>>175
ウィキの「三種の神器」を見ても、日本書紀、古事記ともに勾玉、鏡、剣の順の価値づけとなっているのに、そのウィキの筆者自身が鏡、剣、勾玉の価値づけで書いている。
これ、どうも怪しい。
鏡を最も価値のある祭器とするのは、伊勢神宮系の価値観なのではないか。
そして、その価値観の前提には天照大神を置いているということなのだろう。
しかし、この天照大神を価値の最上段に置くのは天孫降臨神話の設定以降の価値観であって、それ以前のイザナギ・イザナミ神話設定の段階の価値観ではないと言える。
しかも、神武紀においては、生駒山の戦いまでは神武の守り神は日神であるが、熊野回りの途中から日神は天照大神に置き換わっている。
どう考えても、「天照大神→鏡」の価値観は政治的に創出された政治思想であるので、鏡を最上段の価値とする考え方は政治的なバイアスのかかった考え方だといえそうだ。
ということは、九州古代史好きによる鏡信仰は、特定の政治思想を宣伝させられているに過ぎないということになってくるな。
0178日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 15:03:37.48
>>175
>九州の古代史好きはある意味、外来の祭器にかぶれた価値観を持つようにみえる。

倭王は中華皇帝に冊封されるという枠組みを無視してはいけない。
記紀はあえて無視しているが、鏡が舶来品である事実と向き合わなくてはいけない。
それがガラリと変わるのは、国産の八咫鏡を実現した平原遺跡の卑弥呼からなわけだけど。
0179日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 15:04:34.14
>>176

もともと神武はシャーマンとしての性格は持ち合わせていなかったのだろう。
四人兄弟で唯一生き残って大和にたどり着いたというだけだし。
0180日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 15:07:19.46
>>177
>しかし、この天照大神を価値の最上段に置くのは天孫降臨神話の設定以降の価値観であって、それ以前のイザナギ・イザナミ神話設定の段階の価値観ではないと言える。

これは一理ある。
ただしその「特定の政治思想」とやらが少なくとも崇神以来の我が国の国是なんだよ。
それを「特定の政治思想」として否定してきたのが戦後の日本史だけれども、千年以上にわたりそれが我が国の基本方針であった歴史的事実を否定してはいけない。
0181日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 15:42:57.23
>>178
平原の鏡信仰は、明らかに外来思想にかぶれた結果だな。
0182日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 15:50:16.12
でも初の国産鏡でもある。
宝飾品はほとんどが中国経由で、一部はペルシアかもしれない。
0183日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 15:58:58.99
>>179
兄らが海に飛び込んで死んで海神を鎮めようとしたり、波穂を踏んで常世へ行くという死の旅立ちを行ったりするのはシャーマンの霊力を発揮しているもので、
跡取りである末子の神武も兄らと同じシャーマンであったと考えるのがよいと思う。
また、奈良に入ってその土地の神聖な粘土を採取して皿を作ることによって、奈良の地権を奪い取ろうとするのも、シャーマンの仕事であるようにみえる。
ただ、日本書紀では征服王という中国の歴史観を敷衍しているので、シャーマン性は極力抑えて書かれているようにみえる。
0184日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 16:06:44.85
【元F1】井上隆智穂氏がブルーインパルス飛行に異議 「ブルーインパルス飛ばす代わりに燃料代を、医療従事者に差し上げろ」★2
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1591086022/

↓2日後のスレ(今日)

イタリア空軍曲技飛行隊 イタリア全土を巡る応援ツアーが首都ローマで完結…人々を癒やし、励ますためにイタリア国防省が企画
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1591403441/
0185日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 16:18:07.54
>>180
天照大神を天皇の始祖とみなす考え方はずっと新しい時代に成立したもので、欽明天皇の皇后の石姫皇女あたりから続く先の天皇の皇女が皇后となる流れの中で生まれたものだろう。
つまり、天皇の天皇たる資格は先の天皇の血を引いた皇女を皇后とすることによって保障されるというのがその考え方の核心であり、そもそもが継体が手白香皇女を皇后にすることで天皇の資格を得たことに始まる考え方だ。
そうした皇女の神聖性を神格化したのが天照大神という神像であり、これは神権政治思想のパターンの一つと言える。
崇神の時代はまだシャーマンだろうな。
0186日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 16:21:18.07
>>182
外来思想にかぶれたというのは言い過ぎかも知れんが、
やはり勾玉が最上位の価値を持っていたのではないか。
0187日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 18:04:30.51
>>183
>兄らが海に飛び込んで死んで海神を鎮めようとしたり、波穂を踏んで常世へ行くという死の旅立ちを行ったりするのはシャーマンの霊力を発揮しているもので、

実はただ嵐で落ちただけじゃない?
飛び込んでも助からないことは当時だってわかっていただろ?

>また、奈良に入ってその土地の神聖な粘土を採取して皿を作ることによって、奈良の地権を奪い取ろうとするのも、シャーマンの仕事であるようにみえる。

土器を作るのは弥生時代の生活の基本だよ。
変な思想を持ち込む必要はない。
0188日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 18:07:31.19
>>185
>天照大神を天皇の始祖とみなす考え方はずっと新しい時代に成立したもので、欽明天皇の皇后の石姫皇女あたりから続く先の天皇の皇女が皇后となる流れの中で生まれたものだろう。

根拠のない妄想ですね。
0189日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 20:20:55.49
>>187
こういう荒海の神の怒りを鎮めるのはシャーマンの役目。
このケースでは、兄シャーマン2人が命を海神に与えることで海神の満足を得て、その結果、海が静まった。
まあ、人柱ならぬシャーマン柱だね。
普通のキミらとは命の価値が違うのよ。

この物語は8世紀の延長上にあるからね。
石包丁で稲穂摘んでいた実際の弥生時代ではないの。
8世紀の価値観で考えんとな。
0190日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 20:34:38.17
>>188
伊勢神宮の天照大神は、元は男神だった可能性が高いといわれている。
伊勢神宮の遷宮が始まるのは持統天皇のときだから、そもそも天照大神が伊勢に祀られるようになった5世紀頃は男神だったはず。
それがやがて女神となるのだから、その時代はそうとう新しいはずだよ。
0191日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/06(土) 21:19:52.11
.
最古水田菜畑に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の中国とは
全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国には存在しない耕作用農具が伝わっている。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜(スキ)、鋤、犂 《すべて石刃》


クワは当時の中国には存在しない耕作用農具。

エブリは田を均す耕作用農具で、これも当時の中国には存在しない。

鋤は地面を引っ掻いて除草する除草用の耕作用農具で日本には伝わっていない。

スキが日本に伝わるのは菜畑遺跡から200年以上あとの弥生前期頃で、
やはり全て木製であり、犂は牛耕用の耕作用農具で日本に伝わるのは5C頃で鉄刃。

伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
.
0192日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 11:53:34.19
>>190
そもそも倭王である天照大神が女性であった可能性は低い。
だか、それは皇祖であるかどうかとは別の話。
むしろ男系を重視する天孫族だからこそ、天照大神は男性の祖先神なのだ。
0193日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 13:49:01.18
>>192
天照大神が女性神とされたについては何らかの政治的背景があったことが考えられるので、天照大神女性神は後世に作り上げられた政治的思想であるとみるのが妥当。
なので、その天照大神が自分の分身とせよと言った鏡を三種の神器の中の最も価値あるものとする現在の観念は、天照大神を祀る伊勢神宮系の価値観念であり、
本来は記紀に書かれているごとく、三種の神器の表記順の通り勾玉が最も価値あるものであったとするのがよい。
0194日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 14:43:09.84
>>193
>なので、その天照大神が自分の分身とせよと言った鏡を三種の神器の中の最も価値あるものとする現在の観念は、

天照大神が男性であった可能性については否定しないが、それを根拠に天照大神についての全てを後世の作り話とすることには反対だ。
0195日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 14:53:03.99
アマテラスは蜻蛉日記によると川辺に住む【河伯】らしい
河伯は黄河の龍神で【白い亀】或いは【白い龍】の姿をしていた
その河伯が味方したのが【殷】

殷の王族は【太陽】の末裔を自称し鬼神を崇拝していた
殷では女性は巫女として政治に参加し、戦争の最前線で活躍するなどその地位は非常に高かった
卜占もしていたらしい

殷の滅亡後殷人は日本列島に渡来し神になったのだろうか?
殷はY染色体ハプロタイプQ系統だったと言われている
日本にもQ系統は約1%くらいいる
日本列島での太陽神の起源は殷にあるかもしれない

一説に、【河伯】が日本に伝わり【河童】になったともされ、「かはく」が「かっぱ」の語源ともいう。
これは、古代に【雨乞い儀礼】の一環として、道教呪術儀礼が大和朝廷に伝来し、在地の川神信仰と習合したものと考えられ、日本の6世紀末から7世紀にかけての遺跡からも河伯に奉げられたとみられる【牛の頭骨】が出土している。

河伯は河童
河伯に捧げられたのは牛の頭
河伯と河童と牛頭天王は何か関係あるのかもしれない
0196日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 14:55:40.92
斎宮歴史博物館のホームページに面白い話が載っている。
神鳳寺縁起帳によれば、
天照大御神は蛇で、夜な夜な斎王の元に通っているらしい
その度に鱗を一つ落としていくんだとか
その鱗を櫃に収めているのだが、櫃が鱗で一杯になるとこの世の終わりが訪れるのだとか

この話は蛇で有名な三輪の神さんに通じる
当時の庶民の歴史認識が垣間見れて、面白い

三輪 能

思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。

三輪の神さんと伊勢の神さんは一体分身
0197日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 15:03:17.17
三輪山は古いが伊勢は新しいのに、同体とはこれいかに。
0198日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 15:25:07.61
天孫降臨の話とぴったしの場所が宮下文書に書かれた描写とそっくりで驚く。
宮下文書なんてトンデモ本だと小馬鹿にしてたけど

最近発掘された吉武高木遺跡と大型高床建物、日向、笠沙の御崎などとの
位置関係が見事に一致してて驚くよ、今の福岡市地図じゃ分らん。

800年前、鎌倉時代の福岡市周辺の様子(今は全て市内に成ってる。住吉神社あり)
https://y-ta.net/wordpress/wp-content/uploads/2013/07/106.jpg
0199日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 16:00:25.91
どこがどう一致するのか、説明してくれ。
0200日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 16:06:24.49
>>195



縄文弥生を通して日本には中国大陸から渡来定着した事が証明できる生活痕遺構が
一切ない

O-M134とO1b2のルートは完全に間違い

残念だな中国人詐欺師


.
0201日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 18:08:24.78
>>198
この地図からすると、住吉神社と美野島のある湾でイザナギが禊をして日神などの神を生んだことになるが、
そうすると、この湾に注ぐ那珂川がイザナギが最初に禊をした川だということになる。
イザナギが現われた場所が日向の小戸の橘のあわぎ原なので、この那珂川周辺があわぎ原になる。
ここまではいいとして、では小戸はこのあわぎ原をカバーする広域のエリアでなければならないし、あわぎ原の周辺は橘でなければならない。
しかし、小戸の名のある土地は住吉神社のあるところから約10キロ西の今津湾のある福岡市西区あたりになるので、これはどういうことになるのか。
弥生時代から那珂川あたりが中心地であったのは明らかであり、今津湾あたりはむしろ周辺の位置づけとなる。
その周辺の地名が、かつての全域の呼称だったとは考えにくい。
小戸は後付けの地名ではないか。
0202日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 18:16:42.88
最後の1行で論理が飛躍していて残念だ。
住吉神社は小戸から後世に移転したと聞いている。
その岬の西側が小戸、東側の博多を含むエリアが大戸というそうだ。
0203日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 19:56:01.37
先日、志賀島(しかのしま)にある志賀海(シカウミ)神社のことを調べていて
ハッとしました。志賀海神社の神域に「御笠山」「衣笠山」という記述があるのです。
志賀島の中に「大戸(オオド)」「小戸(オド)という地名もあったようです。

志賀島(シカノシマ)というのは博多湾を覆うように突き出た、「海の中道」と
呼ばれる半島の先端にある島で、現在は道路1本で海の中道と繋がっています。

「漢委奴国王」の金印が出土した場所としても有名です。
0204日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 19:58:25.43
古事記によれば、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、先に亡くなった妻の
伊邪那美命(イザナミノミコト)に会いに黄泉(よみ)の国に行きます。
しかし、妻のあまりにも変わり果てた姿に恐れをなし、急いで逃げ帰って
「竺紫の日向の橘の小戸の檍原(アワキハラ)」の海に浸かって
禊祓い(みそぎはらい)をします。

そのとき生まれたのが住吉三神の元とされる綿津見(ワタツミ)三神であり、
アマテラスやスサノオらの神々です。

筑紫の日向=福岡市又は糸島市説をとる方の多くはこの「小戸」を福岡市西区の「小戸」と
考えています。そこにある「小戸大神宮」の由緒書にもそう書かれています。
0205日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:00:11.00
しかし、この「小戸」が西区の小戸ではなく、志賀島の「小戸」だとすると、
海人(アマ)族・安曇(あずみ)氏発祥の地とされる志賀海神社がここにある理由が
解るように思えます。

そして、「御笠山」「衣笠山」の名が示すように、この地が「笠」という地名を持っていたのなら、
ニニギが「笠沙の御前を真来通りて」と感慨を込めて言った意味が解ります。
海の中道こそ笠沙の御前(ミサキ)、ニニギの祖先の神たちが生まれた地ではないでしょうか。
0206日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:03:12.26
http://www.yoshimura-ao.co.jp/wp-content/uploads/2016/05/d0899c96031f5d50960be6df2a49b54c.jpg
海の中道は上の写真のようにほとんど平坦です。
「住吉神社 古地図」のように当時はもっと海面が高い位置にあったと考えられており、
それでは海の中道半島は沈んでしまうのではないか、
とも考えました。そこで「flood map」というサイトで海面を3mほど上昇させてみたのですが、
かろうじて半島としての形を留めます。

半島付け根あたりには志賀海神社と同じく綿津見三神を祀る「綿津見神社」や「志式神社」
もあります。笠沙の岬が海の中道かどうかは確信が持てませんが、
イザナギが禊ぎをしたのはこちらの小戸ではないかと考えています。
0207日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:05:43.35
3 吉武高木遺跡

先ほど私は飯盛山がクシフルタケだと述べました。

その大きな理由は、その山すそにある吉武高木遺跡をはじめとする周辺遺跡群が
ニニギ達の遺跡だと考えているからです。

吉武高木遺跡は東側が開けていますので、朝になるとたちまち朝日が差し込み、
西側は小高い山地ですが夕日にも照らされます。
「朝日の直刺す国、夕日の日照る国」です。
0208日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:08:53.42
その宮下文書には「ニニギの長男、火照須尊(ホテルスノミコト)が高天原(タカマガハラ)の
金山の陵より父母(つまりニニギとその妻 木花之佐久夜毘賣(コノハナノサクヤヒメ))の
二柱の御霊・剣・鏡を筑紫の山裾の長井宮に遷し、
その後、霊・剣・鏡を可愛の山陵に埋葬した。」との記録があります。

発掘された高殿が宮下文書の「長井宮」だとすれば、金山陵より高殿へ遷し、
その後その西にある早良王墓に埋葬された、と遺跡と記録がみごとに一致します。

早良王墓、正式には吉武高木遺跡3号木棺墓と言いますが、
遺跡状況からその木棺は現在の棺おけの妻側の板が脚状に長かったと推測されています。
遺骨は無く、勾玉や管玉、剣などの武器、鏡が整然と並べられた状態で発掘されました。

この遺跡にはこの王墓以外に3基の木棺墓と34基の甕棺(かめかん)墓が出土しています。
0209日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:11:37.66
この王墓の木棺の側面の板は脚状に長く、現在の棺おけと比較してみても
重い遺体を収めるには不合理です。

この木棺は棺ではなく、もともとはニニギの遺品を入れて神殿(長井宮)に祀られていた
祭壇で、これをそのまま埋葬したのではないかと考えています。

宮下文書にはニニギは筑紫を平定した後、高天原に帰り、
そこで死去し埋葬されたと記録されています。

では高天原(タカマガハラ)とはどこにあったのでしょうか。
0210日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:16:16.10
筑紫の日向
天孫降臨の地は「日向」とある。従来は「日向=宮崎県」と解釈して、天孫降臨の地
は宮崎県であるとしてきた。しかし『古事記』や『日本書紀』「一書第一」には「筑紫の
日向」とある。「筑紫の中の日向」という意味であろう。「日向」は筑紫の中にある。
天孫降臨した「筑紫の日向」について『古事記』は次のように記す。

〇「天孫降臨」した「筑紫の日向」の地とは
a.韓国に向かい
b.笠沙の御前に真来通り
c.朝日の直刺す国
d.夕日の日照る国
0211日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:19:32.79
(a)は「韓国に向かい」とある。韓国に向かって開いている土地であろう。
やはり「筑紫」である。宮崎県は「韓国に向かっている」とはいえない。
むしろ韓国に背を向けている。

次に(c)は「朝日の直刺す国」とある。朝日が出ると直ちに射すという意味であろう。
東側には朝日をさえぎる高い山がなく、平地が広がっている土地をいうのであろう。
「筑紫」の中では「福岡平野」しかない。
「久士布流多気(くしふる岳)」や「高千穂峯」に天降るとある。近くに山があるのであろう。

「筑紫」の中で(a),(c)の条件を満たすところは福岡市の西側である。
地図を見ると福岡市西区に室見川が流れており、その支流に「日向川」がある。
「飯盛山」の麓を流れる川である。そこから前原市へ向かうところに峠があり、
「日向峠」という。福岡平野の西側には今もこのように「日向」という地名がある。
ここが「筑紫の日向」ではないだろうか。「筑紫の日向」の推定地は福岡市西区の
飯盛山付近であろう。「飯盛山」が「久士布流多気(くしふる岳)」や「高千穂峯」であろう。
0212日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:27:03.68
火照須尊は高天原の金山の陵より吾父母即ち天孫二柱の御霊・剣・鏡を
日向の可愛の山裾の長井宮に遷し祀り奉りき。後、霊・剣・鏡を
その宮の西の可愛の山陵(ここが吉武高木遺跡と思われる)に葬りぬ。 『宮下文書』

火照須尊(ほてるすのみこと)とは『古事記』の火照命であり、海佐知毘古(海幸彦)
である。邇邇藝命と木花之佐久夜毘賣(このはなのさくやひめ)との間に生まれた子である。
0213日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:30:12.28
>>202
愛宕浜を境に西に小戸、東に博多と区域が分かれているが、その東の博多を大戸と呼んでいたとすると、
この戸は門のことであり、小水門(こみなと)、大水門(おおみなと)ということだろう。
この小戸(小門)に元々は住吉神社があったということであれば、イザナギの禊の地は小戸だったということになる。
そうすると、この今津湾がイザナギの禊の舞台であるかとなるものの、小戸の橘のあわぎ原とはごく狭い一地区の呼称ということになってしまう。
筑紫という広域の呼称から日向というかなり広い地方の呼称に絞られ、その後一気に今津湾の一角の小戸地区へと狭まるのは、どうも肯けない。
筑紫(九州)→日向(鹿児島)→薩摩西部(小戸)→橘(吹上浜地域)→あわぎ原(阿多地区)のようなスケールでいいのではないか。
0214日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:30:26.62
邇邇藝命は韓国の「高天原」に埋葬されていたとされるが。

『日本書紀』は次のように記す。
天津彦彦火瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)崩ず。因りて筑紫の日向の可愛の山陵に葬す。

『紀』『日本書紀』は「邇邇藝命」を「筑紫の日向の可愛の山陵に葬す」と記す。
邇邇藝命が埋葬された場所は異なるが、『宮下文書』も後に「日向の可愛の山陵」に
埋葬したとしている。その場所は一致している。

重要な点は、高天原の金山から邇邇藝命と木花之佐久夜毘賣の二柱の御霊・剣・鏡を
日向の可愛の山裾の「長井宮」に遷し祀り、のちに「長井宮の西」の可愛の山陵に
葬したと書いていることである。

「長井宮」は東にあり、「陵(墓)」は西にある。大型建物跡と吉武高木遺跡の位置関係
にピッタリである。
『宮下文書』には「御霊・剣・鏡」を埋葬したとある。これは「三種の神器」であろう。
「御霊」は「勾玉」であることが判明する。
0215日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:35:21.50
歴史学者も、考古学者も「勾玉」は「何を現しているのか」不明であった。
それが『宮下文書』により判明する。
吉武高木遺跡の3号木棺墓から出土した「勾玉・細形銅剣・多鈕細文鏡」が
「邇邇藝命と木花之佐久夜毘賣」の「御霊・剣・鏡」であろう。

「長井宮」と「3号木棺墓」
3号木棺墓には遺体は埋葬されていなかったのではないだろうか。
『宮下文書』に書かれているように、三種の神器のみが埋葬されていたのではないだろうか。
3号木棺墓の実測図がある。

『宮下文書』に、火照須尊が父母(邇邇藝命と木花之佐久夜毘賣)の「御霊・剣・鏡」を
「長井宮」に祀り、のちに「日向の可愛の山陵に埋葬した」という記述は遺跡と完全に一致する。

これほど「記録」と「発掘」が一致した例は無い。天孫降臨の地は『古事記』から推定した。
その場所から『宮下文書』に書かれた「神殿(長井宮)」と「墓」が出土している。
『古事記』も『宮下文書』も史実を正確に伝えているからである。
0216日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:44:28.17
>>203
志賀島の志賀(しか)と日本書紀仲哀・神功紀にみえる博多の勢力である鹿(しか)は明らかに同じだと考えられる。
鹿(しか)は人物として描かれているが、志賀の勢力ということだろう。
この志賀島の陸繋島に大戸、小戸の地名があったということであれば、やはりいずれも大水門(おおみなと)、小水門(こみなと)ということだと考えられる。
玄界灘は交易船の行きかう幹線航路で、その中心の湊が博多湾だったようなので、その航路の沿岸に大小の水門(みなと)があっても不思議でない。
なので、イザナギが現われた小戸がどの小戸であったか定めがたいと言わざるを得ないのが実際ではないか。
0217日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:47:26.97
>>この、吉武高木遺跡こそ、宮下文書にある高殿が「長井宮」で
>>「日向の可愛の山陵」が例の甕棺墓群である。

>> 吉武高木遺跡では、弥生時代,前期末(紀元前400年〜)頃より「三種の神器」を
>> イメージさせる鏡・玉・剣を持った 王 が現れる。

吉武高木遺跡 | 文化財情報検索 | 福岡市の文化財
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/files/CulturalPropertyImage432imageja.jpg
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/432
1984年度調査で弥生時代前期末〜中期初頭の金海式甕棺墓・木棺墓等11基より
銅剣、銅戈、銅矛の武器(11口)、多鈕細文鏡(1面)、玉類多数(464点)が出土した

吉武高木遺跡は弥生時代前期の遺跡で,「三種の神器」をイメージさせる鏡・玉・剣を副葬した
「最古の王墓」(3号木棺墓)など,数々の重要な発見がありました。遺跡群内には同様に
多数の副葬品を有する前期末〜中期後半(紀元前400年〜(歴博)放射性炭素年代測定による)
の甕棺を主体とした墓地(吉武大石遺跡)、

中期後半〜後期の墳丘墓(吉武樋渡遺跡)がある。またこれらの墓地の周辺には
同時期の集落が広がり、吉武高木遺跡の東50mからは12×9.6mの身舎に回廊をめぐらした
掘立柱建物も発見され、「高殿」の可能性が指摘されている。
0218日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:54:12.20
>>213 
宮崎や鹿児島の件は後世にこじつけられた物だと思う
結構、昔から神話ブームが有ったようで地元領主が権威付けに創作したんだろう。

>>216
人間の白骨もシカバネと云うから志賀島は古代から墓地だったのかも。
0219日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 20:59:25.92
宮崎の高千穂やクシフル岳もこじ付けで、韓国岳命名してるのも
「韓国に向かい」と書かれた神話に合わせたのだろう。
0220日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 21:04:10.41
志賀島から出土した「漢の委奴国王」の金印も一番納得のいく場所から
出土してるように思う。 古代の墓地だったから。
0221日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 21:09:12.01
.



最古水田菜畑に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。


◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕

◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット


鼎は穀物を煮炊きする三足と直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。

鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。

甑と釜と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!


.
0222日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 21:10:25.08
>>205
ただ、日本書紀の記述と比べてみると、「真来通りて」の語句が意味不明なんですよね。
0223日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 21:21:30.81
「真来通りて」は
古事記の記述に「この地は笠沙の岬に真っ直ぐ通じて」とあるから
この古図の半島、岬を真っ直ぐ行って砂州の須崎が笠沙の岬なんだろな。

800年前、鎌倉時代の福岡市周辺の様子(今は全て市内に成ってる。住吉神社あり)
https://y-ta.net/wordpress/wp-content/uploads/2013/07/106.jpg
0224日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 21:30:13.80
>>207
吉武高木遺跡の王墓と目されている墓では、勾玉は胸に、鏡と剣は両脇に置かれているようにみえる。
一般的には鏡、剣、勾玉の順に記述されるものの、この高木遺跡からみると弥生時代には被葬者にとって勾玉が最も価値ある祭具であり、鏡、剣は勾玉より価値が下がる祭具だったように見えるね。
0225日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 21:35:35.97
吉武高木遺跡の高殿から飯盛山を眺めると、きれいな三角形の山で
神聖なものを感じたんだろ、ちょうど富士山を眺めるような

そして、すそ野の丘陵が甕棺墓群のある「日向の可愛の山陵」なんだと思う。

吉武高木遺跡(吉武遺跡群:福岡市西区大字吉武
https://livedoor.blogimg.jp/ncc74210/imgs/5/f/5fa6d432.jpg
https://noko-island.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/05/03/sany1542.jpg
0226日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 21:41:36.73
>>224 
漢の鏡の影響で卑弥呼時代にはすっかり鏡が威儀物として最重要になったのかも。
0227日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 21:49:20.70
「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」は志賀島の事だと思うな。
0228日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 21:56:46.81
筑紫=筑紫島=九州
日向=日に向かう南=南九州、古代の日向は南九州全域を示す
小戸=宮崎市小戸町
橘=南九州〜四国南部に自生する植物
阿波岐原=四国の阿波に続く海路の起点、宮崎市阿波岐原町
0229日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 22:03:09.00
ニニギのミコトが
「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
と言ってる、「韓国に向ひ」の地は博多湾沿岸しかあり得ない。

鹿児島にある韓国岳は後付けのモニュメント。
0230日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 22:05:51.56
>>223
(真っすぐに通り)の意味であれば、真に通り(ただにとおり)でよく、
真木の(木)は不要になります。
しかし、木の字が入っているのですから、その木の字を入れた「真木(まき)」の語彙は意味不明なのです。
そこで、日本書紀の記述を見ますと、この(真木)は「覓ぎ(まぎ)」と書かれています。「覓ぎ」は探すという意味です。
日本書紀のこの部分はまったく意味の通じる文章です。一方、古事記のこの部分は文脈上、真木(まぎ)は意味がまったく通じません。
古事記のこの部分は、日本書紀のこの部分の記述を故意に書き換えているというのが真実でしょう。
その古事記の意味不明な記述をそのまま信じてはいけないと思いますね。
0231日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 22:08:27.27
>>229
>鹿児島にある韓国岳は後付けのモニュメント。
根拠は?
0232日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 22:09:21.23
>>230
訂正

真木の木は誤りで、真来が正しい記述です。
本文内容はそのままとします。
0233日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 22:19:55.14
>>220
(しかばね)は遺体、むくろのことだそうだから、志賀は(しかばね)の略というのは可能性はあるね。
0234日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 22:27:11.46
>>219
古事記の韓国(からくに)は日本書紀では「空国」と書かれており、空国の空をカラッポのカラと呼んでカラクニとし、このカラに韓(カラ)の字を当てたものだね。
古事記は、この部分を故意に書き換えているように見える。
0235日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/07(日) 23:07:54.30
>>228
瀬戸内通れば?
0236日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 02:35:00.34
>>234
古事記は捏造箇所が多いな

古事記と日本書紀を比較すれば分かるけど
古事記は平安時代に書かれた偽書の可能性が高い
日本書紀の豪族の系譜は奈良時代の有力者だが、古事記の豪族の系譜は日本書紀にプラスして平安時代の有力者が追加されているし
古事記の初出は平安時代に太安万侶の子孫を称する者が出してきたものだし
そもそも太安万侶の墓の発見は太安万侶の実在が証明されただけで、太安万侶が古事記を編纂したことは証明されてないし
古事記の文字も平安時代に奈良時代の書物を参考にしたら書けるから根拠にならないし
古事記の本文も日本書紀の一書を繋ぎ合わせて物語にしただけだし
古事記の存在そのものが信憑性が薄い
0237日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 02:39:07.27
空国は空にある国、つまりニニギの故郷の高天原のことを指している
0238日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 02:42:53.59
>>237
高天原が膂宍なのかよ(笑)
無知無能の朝鮮式妄想はイラネ〜
0239日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 02:47:05.09
「韓国岳」は古くは「虚国岳」とも書き、日本書記の「空国(からくに、膂宍の空国のこと)〜」から「虚国〜」へと変化し、最終的に「韓国〜」となった。[出典:角川日本地名大辞典(1986年刊)]
0240日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 09:10:58.97
>>213
>筑紫という広域の呼称から日向というかなり広い地方の呼称に絞られ、その後一気に今津湾の一角の小戸地区へと狭まるのは、どうも肯けない。
>筑紫(九州)→日向(鹿児島)→薩摩西部(小戸)→橘(吹上浜地域)→あわぎ原(阿多地区)のようなスケールでいいのではないか。

筑紫を九州とするからおかしくなる。
筑紫(福岡県西部)→日向(福岡市西部)→小戸(福岡市西区小戸)→橘(吹上浜地域)のようなスケールでいいのではないか。
0241日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 09:12:48.93
>>205
>そして、「御笠山」「衣笠山」の名が示すように、この地が「笠」という地名を持っていたのなら、
>海の中道こそ笠沙の御前(ミサキ)、ニニギの祖先の神たちが生まれた地ではないでしょうか。

博多湾の入り口を塞ぐように横たわる志賀島が笠沙の岬だろう。
すると海の中道は天の橋立になる。
0242日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 09:49:31.96
>>239

笠沙の岬から高千穂への途中に空国があったので、そこは博多だろう。
人はたくさんいた。
しかし魏志倭人伝では権力者がいなかった。
当時の感覚では、権力者しか目に入らなかったのだろう。
すでに博多湾の陸海を統べていた猿田彦は天孫の配下となっており、敵対勢力がいないという意味の空国だろう。
0243日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 14:41:44.74
>>239
日本書紀の「空国」は、日本古典体系の日本書紀では(むなくに)と読んでいる。
虚しい(むなしい)の(むな)だというわけだ。
なので、韓国岳を古くは「虚国岳」と書いたというのも頷ける。
虚国も空国も産物などが貧弱な土地という意味であるから、空の字をカラッポのカラと読んでもおかしくはない。
ただ、そのカラの発音に韓の字を当てると文意が変わってしまう。
古事記は明らかに朝鮮半島の韓に向かっている土地の意味で韓と書いているのだから、大した捏造だと言ってもいいようにみえる。
0244日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 14:58:38.88
>>240
筑紫を九州北部の呼称とするのは5、6世紀のことだとされる。
日本書紀が編纂される7世紀末頃には筑紫は九州全体の呼称となっていたようだ。
なので、日本書紀に書かれている筑紫は編纂当時の一般通念でもって書かれているとするのがよい。
そして、その日本書紀を読む者も、筑紫は九州のことだと考えて読むわけであるから、その筑紫は実は九州北部のことであるとするならば、日本書紀はそのような注記をしているはず。
しかし、そのような注記はないのだから、筑紫は九州のこととして読まれたということになる。
日本書紀の筑紫を福岡県西部とするのは、無理があるようにみえる。
0245日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 16:04:12.11
不思議なのは、天皇陵が誰の埋葬地なのか?分からない点です。
周囲の住民はなんで分からないのですか?
たかが1500年くらいの前だったら、もっと正確に分かると思うのですが。
中国とか殷の都って、言い伝えられていて発掘したら、本当だったとかあるじゃないですか。
0246日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 17:31:22.04
>>244
>筑紫を九州北部の呼称とするのは5、6世紀のことだとされる。
>日本書紀が編纂される7世紀末頃には筑紫は九州全体の呼称となっていたようだ。

このことから、筑紫とは本来は福岡県のことであると考えられる。
ていうか、今日でもそうであり、変わりはない。
筑紫を九州全体と解するのは、畿内の古い田舎者。
0247日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 19:27:28.23
>>246
ところが残念、北部九州にチクシの名を付けたのは大和の政権。
その時期は5世紀だろう。沖ノ島国家祭祀が始まったころだ。
それがだんだんと九州全体を指す名前となったのが7世紀頃ではないか。
日本書紀の筑紫はその九州全体を指す名前だったの。
0248日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 19:33:18.10
>>245
古墳時代前期から中期にかけて、政権は文字で事跡を記録する方法をまだ確立していなかったからですよ〜。
だから分からなくなった。
文字記録が行われるようになるのは、官僚制度が整ってきてきてから。
それでも古墳の被葬者を記録しない前例を重んじた結果、古墳の被葬者がよく分からいままになったということだろうね。
0249日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 20:06:28.24
>>248
付近の住民とか居てたと思うのですが
あと、それですと記紀も、相当信憑性に欠けると思いますが。
自分も記紀はファンタジー小説、聖書みたいなもんだと思ってます。
0250日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 21:03:39.99
.



今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません


.
0251日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 21:18:24.73
お前たちも無知だな、地方の名も無き古墳からでも
金象嵌の鉄刀などが出土してて10例ほどある、

天皇クラスの大古墳などは当然あるだろうけど、科学的発掘調査などはできない、
祭祀を行う子孫がいるんだから当たり前で遺跡ではないんだよ。
大事な先祖の墓地なんだから掘り返す訳にはいかない。

中国などのように子孫のいない遺跡なら、好きなように発掘できる。
0252日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 21:37:04.90
でも盗掘で土器の欠けらくらいしか残ってないだろな
鉄刀などはスクラップで売られてるだろうし
0253日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 21:50:02.53
>>249
その付近の住民というのが、こせく最近の観念なんですね。
例えば大和ですが、古墳がたくさんありますね、この広大なエリアには古墳と祭祀施設があるだけのいわば墓域でした。
住民というのはいなかったのですね。墓守がぽつぽつといたくらいです。
また、河内の古市百舌鳥古墳群も大和と同じで広大な墓域でした。墓守がぽつぽつといましたが、ほとんど無人地帯だったわけです。
0254日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 21:52:56.66
>>253
訂正

1行目の「こせく」は「ごく」の誤りです。
0255日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/08(月) 23:36:34.36
>>253
墓守は何の墓か?知らなかったんですかね?
自分の守ってる墓が誰の墓か?分からないなんてあるんでしょうか?
あと、その墓守は平安時代以降にも居たのですか?
少なくとも近世は、古墳の墓守なんて居ないでしょう。
0256日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 00:43:27.66
福岡右翼が暴れすぎだろw
0257日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 01:22:51.62
>>250
現時点までの炭素年代測定で判明しているのは
菜畑遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前900年」頃
板付遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前600年」頃
ソングンリ遺跡の「住居跡」ならびに「炭化米」は「紀元前500年」頃
という客観的事実だけです。

ソングンリ遺跡から水田遺構は見つかっておらず、朝鮮半島最古の水田遺構は20Km南にあるマジョンリ遺跡の「紀元前300年」頃です。

朝鮮ヒトモドキどもはオクキョン遺跡はさらに古いなどと言い出しましたが、炭素年代測定から逃げ回った上に、
日本、中国、ロシアからの共同研究を頑なに拒んだ末に、理由もなく埋め戻すという隠蔽工作しました。
本国では玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為としてすでに歴史学の恥部となっています。

オクキョンを事更に重要視する日本唯一の研究者である藤尾慎一郎のご尊顔
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/06/04/20190604ddm001010003000p/8.jpg
0258日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 13:49:40.20
.



◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!


.
0259日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 14:11:50.22
>>255
この墓守も常駐していたかどうかはっきりしないそうですよ。
多くの古墳が盗掘されているのも、墓守が常駐していなかったからだとする意見もあるようです。
藤ノ木古墳が未盗掘だったのは、墓守がいて常駐していたからだろうとされていますね。
0260日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 14:15:38.95
まあ、天皇制のルーツと勾玉は切っても切れない関係にあったということだろうな。
実際に、今も天皇が身近に置いているのは勾玉だけだしね。
で、その勾玉は縄文時代からあり、特定の人物の墓穴の底に一つ置かれているということだから、
その特定の人物はシャーマンだったと理解されているのは道理といえる。
0261日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 14:38:19.45
>>260
天皇制というのは、国家の祭祀と国家の政治を分担して機能させるシステムだよね。
魏志倭人伝などにも祭祀を行う者と政治を行うものが分担機能している様子が書かれている。
これは、縄文時代のシャーマンと部族の運営者が別々にいたことの反映だろうと解釈されている。
この考えが正しいとすれば、日本の天皇制ははるか縄文時代から連綿と続いてきているとして間違いないのではないか。
このような分担システムは世界のどこにでもみられ、宗教と世俗統治政権が別々に分担されているのと同じだ。
ただ、世界では宗教が政治に介入することが多く、双方のせめぎ合いが激しかったのと、日本では早くから双方不介入の分離システムが出来上がっていたのとの違いではないか。
まあ、日本でも祭祀を行う側が政治に介入したこともあるが、だいたいはそれがうまく機能せず、元の不介入制に戻るのが常だったようだが。
0262日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 14:40:54.31
>>259
その墓守は給料は誰からもらってたんですかね?
少なくとも武家政権の時は、天皇なんて金は持ってなかったでしょうし。
0263日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 17:01:14.41
>>262
おおかたが常駐していなかったとしたら、よそに田畑をもらってそれで生活していたのではないのでしょうか。
0264日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 17:47:15.18
>>261
>これは、縄文時代のシャーマンと部族の運営者が別々にいたことの反映だろうと解釈されている。

古いものはなんでも縄文と呼ぶ単純◯◯。
しかもその根拠は妄想、思い込みしかない。
ナンセンス
0265日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 18:28:42.39
>>264
弥生より古いのは縄文しかないんだよ。
縄文一択。
それ以外にもあるというのは妄想ちゃん。
0266日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 19:23:55.40
弥生の範囲で収まるものを、なんの根拠もなく縄文と言い張るなということ。
0267日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 20:05:04.79
>>266
縄文時代まで弥生を押し込んでくる弥生オタク。
0268日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 21:49:15.26
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。

明治時代に設定された宮内庁による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。

鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。

鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。

稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。

さらに言うなら、古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域だった。

つまり、神武東征によって稲作と弥生土器などの弥生文化が普及したことになる。
0269日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 21:56:46.21
.



◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!


.
0270日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/09(火) 22:02:16.22
>>268
アホ?
神武の存在自体が捏造だと言うことは歴史学会では常識。
全ての歴史教科書から消し去られている存在。
0271日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 00:16:14.04
で、教科書推奨が邪馬台国大和説?
わはははは。
あほォォォォォ!!!!
0272日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 00:18:44.68
まあ、古墳時代が始まるまでは、九州縄文語が日本の標準語だったのは確かだよな。
0273日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 01:38:23.15
>>268
理系学と違い文系学・・・それも歴史学にどんだけ価値があるのか
特に日本はオワットルレベルだし残念ながら
0274日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 01:39:17.95
アンカ間違えました
>>270
理系学と違い文系学・・・それも歴史学にどんだけ価値があるのか
特に日本はオワットルレベルだし残念ながら
0275日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 03:12:36.91
>>270
>神武の存在自体が捏造だと言うことは歴史学会では常識。
どこの歴史学会で?
どうせ皇室を否定したい極左集団でしょ。

7世紀の壬申の乱の大海人皇子の挙兵報告の待ち合わせ場所が神武陵である。
これは、今でいえば渋谷ハチ公前のように、神武陵は当時誰でも知っていた場所ということになる。
君が言うように、神武の存在自体が捏造だと言うのならば、
壬申の乱の前に、架空の神武天皇という人物を創作し、それを世間に広め、
ご丁寧に神武の墓まで造っていたということになる。

誰が何の目的でそんな面倒くさいことをしたのか答えてもらおうか。

俺は>>268ではないが、アホはお前なのだ。

答えろ、アホ。
0276日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 08:21:48.40
>>275
津田左右吉くらい知ってる?
現在の歴史学会の主流になっている
神武は居ない
だいたい寿命が150歳近いやつの何処が実在なんだよ
ギリシャ神話のゼウスも実在なのか?
0277日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 08:24:12.27
>>276
>津田左右吉くらい知ってる?

こいつが癌だった。
0278日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 08:31:30.42
トロイは発掘された。

天皇を一代十数年で数え直すと、神武は200年頃になるんだよね。
すると魏志倭人伝にある卑弥呼の前の男王達の時代70〜80年が日向三代となり、伊都に三種の神器を副葬された王墓が作られた時代に近くなる。
神武らが筑紫を出た後に倭国大乱を経て筑紫で共立されたのが卑弥呼ということになる。
0279日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 09:47:41.72
魏志倭人伝によって、240年の筑紫は独立国だったことは間違いない。
これは、土器、墓制、青銅器文化の違いでも説明は可能。

では、本州はどうか? 記紀をベースに考察するのは愚行だが、
他は万世一系の神話創作によって、廃棄されたので参考程度で・・・

四道将軍は、東海関東、北陸、丹後、吉備であるから
これが、まとまったのが240年までの畿内王権。
日本海ルートの財力で関東の軍事を集結し、瀬戸内海ルートを開いた。
おそらく出雲、畿内、近江、淡路、阿波がこの四道将軍集結時までの譜代。

奈良の万世一系王権が、地方の征服、平定に向ったのではなく、
313年以降の半島進出への過程として軍事的に終結したと考えるべきである。
これは、奈良大阪よりも、BC200年以降の青銅器輸入などを通じて
日本海ルートなどの地方王権が先行的に発展していることが根拠。

245年に、筑紫は魏の黄幢により韓制圧戦へ参加の檄を受けた。
しかしこの時、筑紫は本州勢力に参加を決め、対魏での防衛に加わった。
三国志覇王となる魏の 公孫氏討伐、韓制圧の東夷進出に対して
日本は富国強兵に向い三国志の戦史には加わっていない。
 
これによって、247年魏と女王国の交流は終わり、
陳寿はこの事実は皇帝の戦史としては書けなかった。
謎の倭人国を曖昧さを含めて書きとどめた、のである。

313年以降半島進出は本格化、牛馬の移入や鉄の国産化を果たす。
350年、楽浪候、幽州刺史である高句麗を押し返し、百済新羅を建国した。
0280日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 13:23:44.00
>>275
大海皇子挙兵報告の待ち合わせ場所が神武陵だったというのは、
日本書紀かどこかに書いてあるのでしょうか。
教えてちょ。
0281日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 13:41:57.53
.



日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。


.
0282日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 13:45:49.60
>>279
では、本州はどうか?

その答えは、魏略に明らかだ。
魏略の冒頭に書かれているのは次の文章。

 倭在帯方東南大海中依山島為国度海千里復有国皆倭種

北部九州にあった倭国についてまず書き、それに続けて倭国から船で千里行ったところにも別の国があると本州大和あたりにある国のことを書いている。
魏略が参考にした資料は、この別の国を極めて注目していたことが分かる。
なぜ注目していたのかということだが、その国が日の出の勢いで勢力を増していたからだろう。
同盟を結ぶ倭国に脅威となるのではないかと心配していた気配がうかがえる。
0283日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 13:52:47.69
>>268
プラントオパールが出たという鹿児島県の遺跡は、何と言う遺跡ですか。
教えてちょ。
0284日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 14:34:23.33
>>276

いいから>>275に答えるように。
津田史学はね、太安万侶まで非実在としてたんだ。
ところが太安万侶の墓誌発見で大恥かいたんだよw

>>280

日本書紀。
0285日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 14:47:50.89
>>284
あほ?
じゃあ、神武天皇が実在した説を唱えてる歴史学者は誰なんだ?
トンデモネトウヨ学者じゃなくて、キチンと権威のある学者で頼むよ?
俺の知る限りでは、歴史学会で神武天皇が実在と主張してる学者は一人も知らないが?
ゼウスも中国神話の女カも実在なんだな?
周りから馬鹿にされてるぞ。
0286日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 14:49:03.32
触らぬバカネトウヨに祟りなし。
で相手にされてないだけなのを
支持されてると勘違いしてるだけだぞ?
0287日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 15:07:31.04
>>284
ありがとう。
日本書紀の天武紀だろうと思うのですが、
その天武紀のどのあたりでしょうか。原文をみてみましたがよく分かりません。
実際には何と書いてありますか。
0288日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 16:02:30.09
戦前の皇国史観を否定するあまり、真実の追求までできなくなったのだね。
0289日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 18:17:38.66
>>285
>神武天皇が実在した説を唱えてる歴史学者は誰なんだ?
偉い先生が言ってるから確かなのだろう、なんてコンプ丸出しの態度は止めろ。
実在説は安本美典なんてそうだね。
古田武彦もね。
あと江戸時代の国学者もみんなそう。

だいたい神武が想像上の人物なら127歳なんて子供にも笑われる年齢にならないだろ。
普通に50歳くらいで死ぬ人物を創作した方がリアリティがある。
帝紀・旧事に書かれてる系譜をいじくる事は出来ない、しかしそのままの時代を書くこともできないというジレンマが古代天皇が100歳超えてしまう要因だ。

記紀編纂の最大の目的は中華への臣従朝貢の史実を打ち消す事だ。
特に倭国王帥升の謁見要請=土下座という屈辱の史実を隠した。
だから時代を大きくずらしたゆえ、神武127歳なんてなったのさ。

>>287
壬申の乱に神武陵の記事が出てたはず。
0290日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 18:19:12.26
>>287
日本書紀天武紀に書いてあるね。

 於神日本磐余彦天皇之陵奉馬及種々兵器

ありがとう。
0291日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 18:32:09.01
先是、軍金綱井之時、高市郡大領高市縣主許梅、儵忽口閉而不能言也。三日之後、方着~以言「吾者高市社所居、名事代主~。又身狹社所居、名生靈~者也。」乃顯之曰「於~日本磐余彥天皇之陵、奉馬及種々兵器。」
0292日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 18:46:46.04
>>278
>天皇を一代十数年で数え直すと、神武は200年頃になるんだよね。

その通り。
    事代主
     ┣━━━━━━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)后━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
    建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃           ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴后(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津媛━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主            孝昭
     ┃             ┃
    阿田賀田須       天足彦国押人命
                  ┃
                和邇日子押人命

卑弥呼の「歳すでに長大 夫婿なし」という記述は、
夫である神武に先立たれたヒメ(蹈鞴五十鈴)后の姿だ。

邪馬台国は葛城だ。
0293日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 18:49:02.14
『広志』『魏略』などは魏志、隋書の参考文献として引用。
『魏志倭人伝』には「倭国の女王」「女王国」と成ってるが引用元では「女国」


 魏略では「自帯方至女國万二千余里 其俗男子皆黥而文
広志には「百女国以北其戸数道里可得略
又、南して邪馬嘉国に至る。百女国より以北、其の戸数道里
0294日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 18:50:19.93
葛城に百余歩の古墳はない
0295日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 18:50:33.19
「自帯方至女國萬二千餘里」(『御覧』原文)
『御覧』での「万二千余里」も「帯方−女国」間である。 「女王国」ではなく「女国」なのである。

文中の邪馬嘉国の嘉は臺と酷似しており嘉は臺の誤字で邪馬台国が
定説だと考えられているが・・・、南には江田船山古墳がある山鹿市などがある。
手前の女国とは八女があり八女津姫、田油津媛(たぶらつひめ)などが山門郡に居た。
0296日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 18:51:13.30
伊都国の、南の萬二千餘里にある国は、

魏志や隋書にある邪馬台国の女王国ではなく
引用元の文献では「女国」と書かれてるのを、みな女王国として書き加えてる。
広志などは、百女国と邪馬嘉国と書かれてる。 これ如何に?
0297日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 18:51:41.16
伊都国の、南の萬二千餘里にある「女国」は

共立され倭王と成った邪馬台国の卑弥呼とは、全く別の話なんだよ。
魏志や隋書の著者、後の写本者、日本の歴史学者などが勘違いしてる。
0298日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 18:59:03.17
>>285
>実在説は安本美典なんてそうだね。
古田武彦もね。

そもそも、その名前を挙げている人物は
歴史学を専攻してないし、歴史学者でも無くて、趣味の延長のアマチュア歴史小説家ってところでもう終わってる。
ここは素人の意見を述べる場所じゃないぞ。
0299日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 19:07:42.06
>>294
>葛城に百余歩の古墳はない


墳なんて書いてない、棺を容るるに足る塚だ。

http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/114_0.png
そして周りに奴婢=土蜘蛛の埋まった塚がある。

高天原以外に卑弥呼の墓はない。
0300日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 19:11:53.68
>>298
>歴史学を専攻してないし、歴史学者でも無くて、趣味の延長のアマチュア歴史小説家ってところでもう終わってる。
ここは素人の意見を述べる場所じゃないぞ。

何を偉そうに言ってるんだ。
権威におもねる情けない態度は止めろ。
壬申の乱の時、神武陵は実在した。
神武が架空の人物なら、なんでわざわざ架空の人物の墓まで創作してたのだ?
誰が何の目的で架空の人物の墓を創ったのかその理由を言ってもらおうか。
偉い先生の話などどうでもいいのだ。
君個人の考えを述べよ。
0301日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 19:18:30.61
神武天皇は実在しなかった説としては、一書などの別伝がまったくないことがあるんだよね。
日本書紀では神代などには一書として別伝が複数掲載されていて、
文字記録が残される時代になってからそれらの複数の伝承が記録化されていたことを推測させる。
つまり、口承の神話が複数あったと考えることが可能というわけ。
ところが、神武天皇紀については、これらの口承の存在を思わせる一書の類がひとつも記載されていない。
真っさらなたった一つの物語だけが書かれており、文字記録がなされる前に口承による複数の神武伝承があったとは考えにくい状態となっている。
これが神武紀創作説の根拠の一つだね。
0302日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 19:31:37.31
>>301
>神武天皇紀については、これらの口承の存在を思わせる一書の類がひとつも記載されていない。

その通り、机上でサラサラと神武東征を創作したのだろうね。
なぜそんなことをしたのか。
神武の時代が女王国だったからさ。
7世紀の朝廷は、魏志倭人伝に書かれた女王国を神武東征という武勇伝で覆い隠し、
その時代をBC660年に持っていった。
だから後続の天皇がことごとく100歳を超えてしまった

これらすべて卑弥呼の時代の約100年前の倭国王帥升ことスサノオの土下座朝貢を隠すためさ。
0303日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 19:41:27.10
>>292

年代はともかくとして、神武と卑弥呼が関係するという根拠が全くない。
0305日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 19:45:37.20
>>301
>真っさらなたった一つの物語だけが書かれており、文字記録がなされる前に口承による複数の神武伝承があったとは考えにくい状態となっている。

日本書紀の編者が神武についてはサラサラと筆が進んでしまったのは確かなようだが、古事記という異説が存在している。
記紀の編纂前に複数の史書または口伝があったのは間違いないようだ。
なお、記紀の編纂より遥かに前の乙巳の変の時にすでに国記などの歴史書があったことも記録されている。
0306日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 20:02:31.52
>>303
>年代はともかくとして、神武と卑弥呼が関係するという根拠が全くない。

崇神が4世紀前半、ならばトヨはその数十年前にいることになる。
それは中平銘鉄刀の和邇氏の祖・孝昭天皇のお母さんのトヨ津媛以外にいない。
この時代の最高位のトヨは彼女しかいない。
その3世代前に卑弥呼(Bei mei hu)比桃@(Bi mie hou)比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后がいる。
父は事代主神、兄は鴨王(おおきみ)。
これ以上ない王族の血筋だ。
0307日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 20:06:55.27
>>301
もう一つの神武天皇創作説は、ヤマトという国名が奈良盆地の土地に当てられたのは後漢書が書かれた以降のことだと思われること。
後漢書は5世紀中頃に書かれたとみられているので、この後漢書が奈良盆地の政権に伝えられて、
その後漢書東夷伝にある記述が奈良盆地をヤマトと呼び習わす元となったと考えられ、
神日本磐余彦のヤマトの呼称が成立するのは5世紀中頃以降のことだとなり、それ以前に神日本磐余彦の贈り名は成立し得ないということになってくるもの。
従って、神武天皇が成立するのは5世紀中頃以降のことだと考えることが可能になってくる。
0308日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 20:21:35.10
>>305
古事記は日本書紀が掲載している別伝の中の一つを本文として記述しており、
日本書紀編纂室が集めた資料を基に書いているようだ。
その日本書紀編纂室が書いた神武紀には別伝など口伝の存在を示すものが何一つないのであるから、
古事記の神武紀は日本書紀神武紀の本文をベースとして部分的に書き換えたものだということになる。
神武紀の元資料となる複数の記録があったことは証明されない。
0309日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 21:28:08.92
.



日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。


.
0310日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 21:32:06.68
1 神武天皇
(神武天皇) じんむ 神日本磐余彦天皇
狹野(異称)始馭天下之天皇 彦火火出見 若御毛沼

2 綏靖天皇
(綏靖天皇) すいぜい 神渟名川耳天皇

3 安寧天皇 あんねい 磯城津彦玉手看天皇
0311日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 21:34:20.37
4 懿徳天皇
(懿コ天皇) いとく 大日本彦耜友天皇

5 孝昭天皇 こうしょう
(かうせう) 観松彦香殖稲天皇

6 孝安天皇 こうあん
(かうあん) 日本足彦国押人天皇
0312日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 21:36:05.97
7 孝霊天皇
(孝靈天皇) こうれい
(かうれい) 大日本根子彦太瓊天皇

8 孝元天皇 こうげん
(かうげん) 大日本根子彦国牽天皇

9 開化天皇 かいか
(かいくゎ) 稚日本根子彦大日日天皇
0313日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 21:37:46.75
10 崇神天皇
(崇神天皇) すじん 御間城入彦五十瓊殖天皇
(異称)御肇國天皇

11 垂仁天皇 すいにん 活目入彦五十狭茅天皇

12 景行天皇 けいこう
(けいかう) 大足彦忍代別天皇
0314日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 21:46:56.38
 天孫降臨伝説

 昔、昔、その大昔、まだ天地がはじめてできたころ、 高天原に天之御中主神
(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神 (タカミムスビノカミ)、
次に神産巣日神(カミムスビノカミ)がおられました。それから七代の末に
伊弉諾命(イザナギノミコト)、伊弉冉命(イザナミノミコト)の二柱の神様が

 出ておいでになりました。この二柱の神様が大八州(今の日本の国土)を
おつくりになり、山川草木その他もろもろのものを司る神々をお産みになり、
最後は天照大神(アマテラスオオミカミ)、月読命(ツキヨミノミコト)、
素戔男命(スサノオノミコト)の三柱の神様をお産みになりました。
0315日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 21:47:57.53
 この天照大神(アマテラスオオミカミ)は女神であり、徳の高い神様でした。
天照大神(アマテラスオオミカミ)は、高天原を治め、月読命(ツキヨミノミコト)は夜の食国を、
素戔男命(スサノオノミコト)は海原を治めるようにと、それぞれ分担されました。
0316日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 21:49:42.60
 素戔男命 (スサノオノミコト)は大変勇ましい神様でした。ある時、高天原を治めている
天照大神(アマテラスオオミカミ)に大変な乱暴をされたので、
天照大神(アマテラスオオミカミ)はとうとうがまんできずに立腹されて、
天の岩戸に閉じこもってしまわれました。

ところが、高天原は暗黒になってしまい、色々な災いが起こりました。
そこで、八百萬の神々は、どうしてももう一度、天照大神(アマテラスオオミカミ)に
出てもらわなければいけないと、いろいろ相談をされました。

そして、天の岩屋の前でにぎやかな神集いをされ、天照大神(アマテラスオオミカミ)は
再び高天原を治めるようになりました。高天原は、もとどおり明るい平和な所になりました。
0317日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/10(水) 21:51:42.03
 平和になった高天原の天照大神(アマテラスオオミカミ)は、
御孫の瓊瓊杵尊(二ニギノミコト)が成長されたので、
豊葦原の中つ国におつかわしになることになりました。
豊葦原の中つ国が、日本の古い名だと言われています。

 瓊瓊杵尊(二ニギノミコト)は、天児屋命(アメノコヤネノミコト)、
天太玉命(アメノフトダマノミコト)やその他多くの神々と共に高天原から豊葦原の
中つ国に降りてこられました。
そしてお降りになったので高千穂だというのです。これが天孫降臨の神話です。
0318日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 01:40:17.25
>>299
@近くに縄文遺跡があるから更に古いとする根拠がなく、反証から逃げ回るなよガイジ
 はい、カマチョンコの敗走w

A蜘蛛窟の東側(通称こんもり)が塚である根拠がない上に、キチガイのうわ言でしかないと自覚しろゴミ
 はい、カマチョンコの敗北ww

A-2そもそも土蜘蛛の住居跡と卑弥呼の墓に何ら因果関係はないし、池沼の妄想に過ぎないと知れクズ
 はい、カマチョンコの惨敗www

B土蜘蛛塚が奴婢の殉葬地である根拠がないし、土蜘蛛塚自体は全国に数多く存在するぞカス
 はい、カマチョンコの完敗wwww

B-2そもそも帰順しない者を指す「土蜘蛛」と身分制度で奴隷を指す「奴婢」は同一ではないのは考古学の常識だマヌケ
 はい、カマチョンコの大敗wwwww

C蜘蛛窟東のこんもりと土蜘蛛塚は直線距離で3kmの距離があり無関係の遺跡だウンコ野郎
 はい、カマチョンコの劣敗wwwwww

D卑弥呼(Bei mei hu)を比桃@(Bi mie hou)や比売后(Bi; mai hou)とこじつける根拠がない上に、糖質の呻きでしかないぞ池沼
 はい、カマチョンコの負けwwwwwww

E鴨の語源がカミである根拠もないし、高鴨神社がそんなマヌケなこと言うわないだろ嘘つきキチガイ
 はい、カマチョンコの自滅wwwwwwww

F高天彦神社の境内にある磐座は土蜘蛛塚ではなく白雲岳の中腹にあった御神体で、 高天彦神社の創建時に麓に遷座した物だと高鴨神社の鈴鹿宮司TEL:0745-66-0609(高天彦神社の所管社)が証言している事だ
 はい、生きてる価値なしカマチョンコwwwwwwwww
0319日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 08:38:52.28
卑弥呼と奈良大和は縁者だろな
縁者には必ず、三種の神器と関わりがある
0320日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 08:54:58.51
どちらか一方が真似して、模造した可能性も無くないか?
0321日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 10:09:49.25
記紀を根拠に時間軸をずらすことに意味は無いが
神武からの話は崇神からの話と重複説、は時間軸ベースでなら成り立たなくもない。
でも、万世一系の歴史の神武起源神話は、歴史として崩壊するだろ?

歴史では、倭人伝によって240年の筑紫は統一日本王朝成立以前。
で、統一日本大和朝廷には、筑紫が係わっている。つまり記紀のこれ以前はファンタジ−。

その上で、313年以前には日本による三韓征伐のような半島進出は無い。
南岸の移民、青銅輸入基地としての倭人国は存在した。
日本海ルート国はBC200程度から青銅輸入がある。 
九州は漢鏡から楽浪郡との交易が有り、
本州の交易は、釜山周辺に松菊里辺りから運んだ青銅を輸入、程度でも良い。

次に確実な歴史として、百済の朝貢直後、七支刀と阿直岐の来日370年〜が有る。
日本での漢字文化は始まった。 高句麗と半島利権戦争が有り、牛馬の移入に成功した。
記紀が、歴史上の事実を書けるのは、これ以降である。

しかし、418年漢名を名乗った、倭の五王の歴史を記紀は知らない。
神功皇后以前はファンタジーだが、応神以降は嘘を書いたのか?
倭王5代で80〜100年である。これを裏付けるものに、稲荷山鉄剣がある。
472年雄略天皇に仕えたヲワケから直系7代が王統の武人頭でありこれに関与したはず。
472年のこのヲワケは奈良から埼玉を往来する、王族の武官だった。

統一王朝は有ったわけだが、万世一系には疑問が生じる。
512年任那4県割譲〜527年筑紫の君、磐井の乱。 である。
半島統治を巡って、日本国内で百済派と新羅派が存在した。
そして大和の世は、物部系から曽我系の王統に変わった。

記紀成立の目的、白村江後の対馬国境の成立と
万世一系の創作や、書きたくない歴史の理由は見えている。
ルーツは、あたりまえだがw 万世一統が創世記から続くのではなく
250年以前の豪族に九州豪族が混ざってできた王統ってこと。
0322日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 10:44:07.22
>>321
蘇我を曽我って書くけど、間違いじゃないのか?
あまり見ない表記なんだが。
0323日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 12:53:00.01
.


◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&;ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&;aq=-1&oq=&ei=UTF-8


.
0324日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 14:04:40.33
まあ、いずれにせよ、天皇制のルーツと縄文早期末に現れた勾玉が密接に関連していることは歴史事実。
鏡や剣が祭器となるのはその後の弥生中期からだろう。
そして、現在、天皇が常に身近に置いているのが勾玉であることからすれば、天皇の祭祀権の中核にこの勾玉があることは疑えないことである。
三種の神器の中の鏡を最も価値ある祭器とする考えは天照大神を祀る伊勢神宮系の価値観であり、日本書紀や古事記はその三種の神器について表記する際には勾玉を筆頭に置き、
これに鏡、剣と続けていることからしても、天皇の祭祀で勾玉の価値が最も大きかったことを示している。
このような勾玉と鏡の価値観の転換は、神道が天照大神を祀る伊勢神宮を頂点として編成された結果生じたことではないのだろうか。
つまり、大祭祀者としての天皇の祭祀力の源泉は勾玉にあり、一方、全国の神祇を編成統括する政治システムとしては伊勢神宮が祀る天照大神の分身である鏡が最高の価値を持つということなのであろう。
0325日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 15:15:03.60
>>307
後漢書倭伝の冒頭では「其大倭王居邪馬臺国(その大倭王は邪馬臺国に居す)」と明記している。
この大倭王は宋に朝貢した讃を指しており、邪馬臺国は3世紀の魏志倭人伝に記されている邪馬壹(臺)国のことである。
後漢書では、大倭王讃は邪馬臺国に都を置き、讃はそこに住んでいると言っているもの。
この後漢書の記述に接した奈良の知識人は「宋に朝貢した大倭王讃は奈良の地に住んでいるのであるから、その奈良の地が邪馬臺国ということだ」と読み取り、
奈良の地を邪馬臺国とみなすことにしたと考えることができる。
そして、その邪馬臺国(ヤマドイ国、あるいはヤマダイ国)を奈良弁でヤマトと発音し、
大倭王から王の字を取り除いた大倭をその邪馬臺国(ヤマト国)に当てたのが大倭(ヤマト)の由来なのだ。
この大倭(ヤマト)の字は、のちに大和(ヤマト)と書き換えられることになる。
このように、大倭とヤマトの語彙が一つの文章の中に記述されているのはこの後漢書倭伝以外になく、
奈良盆地が大倭(ヤマト)と呼ばれるようになったのは後漢書倭伝に基づくものであったとするのが妥当である。
つまり、大倭(ヤマト)の呼称が現われたのは後漢書が成立した5世紀中頃以降のことである可能性が高いということなのだ。
そして、この考えに基づくと、神武天皇の神日本磐余彦(かむやまといわれびこ)の贈り名が成立するのは5世紀中頃以降であることになるのである。
0326日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 15:54:48.18
魏志倭人伝や隋書が3世紀ころの歴史を扱ってるが
最終的に完成したのが6^7世紀と云われ、現在残ってるのは11世紀改訂本らしい、

その頃には倭人の都がヤマトと言うらしい、が情報として脳裏にあり
倭国同盟の南限山鹿あたりを大宰府天満宮「翰苑」に書かれてる
邪馬嘉国ヤマガ国を誤字と思い常識が邪魔をし邪馬臺国と訂正したんだろ。
0327日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:10:31.00
>>326
翰苑が採録した「廣志曰…」の中の「邪馬嘉国」の部分は、魏略の「女王之南又有狗奴国」と重なる。
この邪馬嘉国は「狗奴国とは山鹿地方のことだ」と採録者が解釈して、勝手に邪馬嘉国と書き換えたのではないか。
なので、この邪馬嘉国は邪馬臺国の書き誤りではなく、狗奴国(山鹿地方)のことだと思うね。
0328日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:42:12.34
>>307
もんなんだか無茶苦茶だな。
大和の名前が後で成立したことと、神武の実在は別の話だ。
そもそも神武の諡が大和彦ではなく磐余彦なので、神武の当時に大和の地名がなかったことはわかる。
接頭語の神倭は筑紫倭国の出身という程度のことだろう。
どこにも神武の実在を否定する要素などないではないか。
0329日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:44:22.60
>>308
>古事記は日本書紀が掲載している別伝の中の一つを本文として記述しており、

神武記に別伝がないと書いていたではないか。
その他にも古事記は日本書紀にない話が各所にあり、日本書紀に先行する史書が複数あったことは確実だ。
日本書紀の編者が手を加えた部分はあるだろうが、全体としては記紀が創作だという考えは否定される。
0330日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:46:35.66
>>319
>卑弥呼と奈良大和は縁者だろな
>縁者には必ず、三種の神器と関わりがある

三種の神器はそもそも筑紫の固有の文化だったが、それが近畿にも伝播しただけ。
しかも三種の神器のうち鏡が置かれた伊勢も剣が置かれた熱田も奈良大和ではない。
君は何を訳のわからないことを言っているんだ?
0331日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:51:57.65
>>321
>で、統一日本大和朝廷には、筑紫が係わっている。つまり記紀のこれ以前はファンタジ−。

そもそも記紀もよく読めば一系ではない。
皇統は記紀以降も一系ではない。
万世一系は明治以降の妄想。

>万世一系の創作や、書きたくない歴史の理由は見えている。

それでも、記紀が書きたくなくて無視しているものはあり、神武らがいなくなってからの筑紫の歴史がそれだ。
そこに年代的に卑弥呼が当てはまる。
しかもその時代の九州は女性首長ばかりの国であることが記紀や風土記かはうかがえる。
それが邪馬台国であると考えるのは無理がないこと。
0332日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:54:03.38
>>330
その鏡を天照大神に結び付けたのが伊勢だということ。
三種の神器がセットとして取り扱われるようになるのは九州かもしれないが、
それはまだ、天皇とは無関係。
0333日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:54:04.94
>>324
>まあ、いずれにせよ、天皇制のルーツと縄文早期末に現れた勾玉が密接に関連していることは歴史事実。

根拠がない思い込み。
すくなくとも弥生時代以降は鏡の方が重要。
玉は菅玉に置き換わったりしているから、勾玉はあまり重要視されなくなっている。
0334日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:54:16.07
>>327  「女王之南又有狗奴国」これは魏志の編者が勘違いした文章

魏略では「自帯方至女國万二千余里 其俗男子皆黥而文となってて「女国」
広志には「百女国以北其戸数道里可得略 も「女国」となってて

恐らく、女酋長と言うか沖縄のノロの様な気がするノロも百人くらいで儀式をする
また北九州の盟主・伊都国王の被葬者も、女王(平原遺跡)だったらしい。

つまり、このように北九州各地では、女性(巫女)がまつりごとを行う慣習が
強く残っていたものと思われる。

速津媛(はやつひめ)   大分県速見郡(別府市・杵築市)付近
八女津媛(やめつひめ)  福岡県八女郡矢部村
久津媛(ひさつひめ)   大分県日田市付近
五馬媛(いまつひめ)   大分県日田市五馬高原
神夏磯媛(かむなつそひめ)福岡県北九州市
田油津媛(たぶらつひめ) 福岡県山門郡
0335日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:55:10.67
>>324
>これに鏡、剣と続けていることからしても、天皇の祭祀で勾玉の価値が最も大きかったことを示している。

年代できに玉が古いからだが、より新しく重要な神器は鏡だ。
0336日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:55:48.77
>>327
沖縄で唯一、長女が祝女(ノロ)世襲の村 守り続ける祈り | 沖縄 ...

沖縄県今帰仁(なきじん)村今泊区の今帰仁城跡近くに住む仲尾次ヨシ子さん(84)は、
県内で唯一、直系の長女がノロ(祝女)を継承する世襲制度が残っている
今帰仁ノロ殿内で、3代目代理ノロとして祭祀(さいし)をつかさどってきた。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bc/Izaiho1.JPG/300px-Izaiho1.JPG
https://stat.ameba.jp/user_images/20200126/14/7iroryu/9a/0f/j/o0700049614702432052.jpg?caw=800
0337日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:56:33.66
>>325
>この大倭王は宋に朝貢した讃を指しており、邪馬臺国は3世紀の魏志倭人伝に記されている邪馬壹(臺)国のことである。
>後漢書では、大倭王讃は邪馬臺国に都を置き、讃はそこに住んでいると言っているもの。

そしてその国は楽浪帯方から一万二千里の九州北部であることも書かれている。
0338日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:58:05.34
そして沖縄ノロにとって一番大事な呪具が勾玉。 原点は勾玉だと思う

>沖縄ってね知る人ぞ知る、勾玉文化圏なの、案外本土の人も知らないが、
>現代の沖縄にも代々のノロ(女性の司祭)が居て「勾玉」を家宝とし身に着けます、
>島根県松江市に「出雲玉作資料館」があり、平安時代まで「勾玉」が作られていたようです。

斎場御嶽の金の勾玉☆沖縄考古学ニュース in 県立博物館
14世紀〜16世紀に斎場御嶽から出土した『金の勾玉』
http://bunka.nii.ac.jp/heritage/43967/_123700/43967_123700837319644656218_300.jpg

今帰仁村歴史文化センター
普通、ノロの勾玉はノロ家が継承していて、家宝として保管しているので、
一般の人が見ることはできません。
http://www.nakijinjo.com/img/ca10_03.jpg
八重山博物館で見た「勾玉」
「ビーロースク遺跡出土 13〜15世紀」とあり、神話時代からざっと千年後の遺跡から発見。
現代の沖縄にもノロ(女性の司祭)が「勾玉」を身に着けることもあります。
0339日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 17:58:46.09
>>332
>それはまだ、天皇とは無関係。

無関係な訳ないだろ。
そして景行記では筑紫の梟師が八咫の鏡を含む三種の神器を保有していたという衝撃的な話が書かれている。
0340日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:00:50.04
>>338
>そして沖縄ノロにとって一番大事な呪具が勾玉。 原点は勾玉だと思う

それは知らなかったが、一番古いということと一番重要であることは同じではない。
0341日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:02:45.60
>>334
>つまり、このように北九州各地では、女性(巫女)がまつりごとを行う慣習が
>強く残っていたものと思われる。

景行天皇の時代は卑弥呼の時代とおそらく半世紀ほどしか違わない。
景行天皇らが見た九州北部の女性首長の国々を統べていたのが卑弥呼だったのだろう。
0342日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:10:35.29
>>329
>古事記は日本書紀が掲載している別伝の中の一つを本文としており、

これは神代の記述について言っているもの。
神代のような別伝や文中注記が神武紀には一切ないという不思議について首を傾げているのだね。
神武紀が創作かも知れないというのは、そのことを根拠にしているもの。
ただ、神武紀のストーリーのネタになった事跡はあったのではないかとは考えているよ。
そのネタとは、南九州の阿多族の大祭祀者であった崇神が大和へやってきたときの海路がそれだと推測している。
そして、神武が饒速日と大和の主権を交代したエピソードは、おそらく開化天皇とされている人物と崇神とされている大祭祀者とが主権の引き継ぎの儀式を行ったことを翻案したものだろう。
0343日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:10:35.71
>沖縄ではノロの中のノロを聞得大君(きこえおおきみ)といって琉球王でも従ってたらしい
>沖縄で女性大君オオキミとは因縁が有りそうだけど、古代は九州西部文化圏で
>沖縄には九州と同じ御嶽信仰でほとんどが〜〜岳、与那覇岳、那覇岳のように

沖縄では、各地方で王(按司)が現れ、部落国家を形成していました。
そこにはそれぞれノロ(巫女)がおり、彼女らはクニの繁栄や五穀豊穣、航海の安全を祈祷し、

王を守る精神的支柱として存在していたようです。
ノロはその後、聞得大君(きこえおおきみ)を頂点とした神女の組織に整備され、
琉球王国の統一に大いに関わったとされています。
0344日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:14:19.97
後漢書
倭 在 韓 東南大海中 依 山㠀 為居 凡 百餘國 自 武帝 滅 朝鮮
使驛 通 於 漢者 三十許國 國皆 稱 王 丗丗 傳統 其 大倭王 居 邪馬臺國(案 今 名 邪摩惟 音 之訛 也)

後漢書の言う大倭王は女王卑弥呼であって、魏時の使驛によって 通じた
(女王国に属する)三十余国の大夫は皆、代々王を称する伝統があった。
その、大倭王(女王)は、居 邪馬臺國 と書いてある。
記紀をひくまでも無く、200年〜250年の日本は、魏志の言う女王国では有り得ない。
皇帝の名誉を汚さぬ配慮で、女王一代の倭の小国と見切って、扱っているのである。

240年に金印を届けた使譯、建中校尉梯儁は、所属21国7万戸を参問し漢字にしたが
その中のひとつ、次有邪馬國の卑弥呼の臺を見て、邪馬臺を大倭国の仮称とした。

400年の奈良と関係ある? 文言は、(案 今 名 邪摩惟 音 之訛 也)だが、
倭の五王413年〜500年当時の都は 河内に下っている。
魏の東夷侵攻で239年公孫氏滅亡、246年韓王朝滅亡。
で、日本は、九州統合から、富国強兵政策、半島進出へと移行する。
この過程で、防衛上、奈良の山都へ首都を築いた、それが纏向。

奈良、大和が本当の都になるのは600年遣隋使裴世清を招いた
斑鳩宮と法隆寺の完成辺りからではないのかな?
記紀ベースは歴史の話も何だが、
ちなみに、隋書の 昔の倭は日本ではないと言ったのは
五経博士を家庭教師とし魏志後漢書を読んだ、いわゆる聖徳太子である。 
聖徳太子は邪馬台国九州説であるwww

この時期は、隋唐成立での東夷再進出の懸念もあるし、実際に
500年以降弱体化した百済利権政策の縮小から、663年の百済復興白村江戦は起きた。
0345日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:21:40.55
>>337
一万二千里は魏略と魏志倭人伝でも既に書かれていることであり、後漢書では讃の時代にはすでに帯方郡が廃止されていたため、楽浪郡から一万二千里と書いただけ。
単に、すでにある史書の記述を踏襲しただけ。
後漢書の倭の大王の都とは、大和を指していることは間違いない。
3世紀の北部九州の卑弥呼がいた山門は指していない。
魏略や倭人伝の地理的記述と、後漢書の地理的記述はまったく異なっている。
0346日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:22:11.93
だから、後漢書や魏志倭人伝や隋書が3世紀ころの歴史を扱ってるが
最終的に完成したのが6^7世紀と云われ、現在残ってるのは11世紀改訂本らしい、

その頃には倭人の都が「ヤマト」と言うらしい、が情報として脳裏にあり

倭国同盟の南限山鹿あたりを大宰府天満宮「翰苑」に書かれてる
邪馬嘉国ヤマガ国を誤字と思い常識が邪魔をし「女王卑弥呼の邪馬臺国と訂正したんだろ。

太宰府
張楚金『翰苑』  660年以前に成立。平安時代初期(9世紀)頃に転記。
郭義恭『廣志』  3世紀末〜4世紀末、晋朝期ごろに書かれた史書。
魚豢『魏略』  魏略は、魏志より早く成立。西暦280年^297年頃までに成立。
李ム [日+方] (りほう)『太平御覧』  983年に完成
0347日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:26:51.13
>>342
>そのネタとは、南九州の阿多族の大祭祀者であった崇神が大和へやってきたときの海路がそれだと推測している。

妄想乙
異伝である古事記を読んでもそのようなことはうかがえない。
君はどこかの教室の回し者か?
何か読んでかぶれたのか?
0348日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:29:02.84
>>345 だから魏略には「女国」としか書いてない。引用した魏志、後漢書が女王国と書き直してる。

魏略では「自帯方至女國万二千余里 其俗男子皆黥而文  「女国」
広志には「百女国以北其戸数道里可得略   でも「女国」

又、南して邪馬嘉国ヤマガに至る。(八.百)女国より以北、其の戸数道里
0349日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:30:25.32
>>345
>一万二千里は魏略と魏志倭人伝でも既に書かれていることであり、後漢書では讃の時代にはすでに帯方郡が廃止されていたため、楽浪郡から一万二千里と書いただけ。

逆だ逆!
後漢の頃にはまだ帯方郡がなくて、楽浪郡だったから、帯方と書かずに楽浪と書いたんだよ。

>後漢書の倭の大王の都とは、大和を指していることは間違いない。

後漢書は倭国とは狗邪韓国から倭奴国まだの間であり、それと周辺を含めて大倭だった。
邪馬台国は楽浪帯方から一万二千里のところであり、九州北部と書かれている。
0350日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:33:33.58
>>339
景行紀と仲哀紀では、北部九州の勢力が三種の神器を取り付けた榊を舳先に飾って進んでくる情景を描いている。
記紀編纂の当時でもそのような儀礼が生きていたのだろう。
しかし、記紀では大和の天皇の儀礼の場にそのような三種の神器を取り付けた榊は登場しないのではないか。
九州の三種の神器を取り付けた榊の儀礼様式と大和の三種の神器を用いた祭事の儀礼様式は、この点で少し異なっていた可能性があるかも知れない。
0351日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:35:37.75
そもそも大和に海がないから船もなく、船の舳先に榊を掛けられないw
0352日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:37:00.35
>>335
しかしながら、記紀では勾玉が筆頭に記述されているそうだ。
0353日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:39:36.33
自帯方至女國万二千余里さきにある国は南して「邪馬嘉国ヤマガ山鹿」に至ると
書いてるのを、後漢書や魏志倭人伝では邪馬台国と勘違いしてるんだよ。

万二千余里の「女国」は南端にある「邪馬嘉国ヤマガ山鹿」国で
その南には狗奴国があり敵対してると書いてある。
0354日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:49:18.52
>>334
奈良時代になって、種子島などの地理状況を調査するために派遣された覓国使が薩摩を通過する際に、地元の有力者が巫女を先頭に立ててその覓国使を脅迫したことがあったようだ。
先頭に立った巫女はそうした呪術的な役割をするものであったことが推測される。
神官の補助的な役割を担うようになった奈良時代の大和などの巫女と比べ、九州や沖縄などでは巫女は祭祀的、呪術的な存在として活躍していたこともうかがえる。
0355日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 18:53:15.18
魏志以降の後漢書、宋や隋唐書は、
なんで、陳寿の女王国の正体隠蔽工作臭い、万二千里を
(案 今 名 邪摩惟 音 之訛 也)みたいな形ででも
対比可能な当時の里程に直さないのかな?
暴かないのが、皇帝の権威の尊重なのかな?
0356日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:06:44.40
>>355
>卑弥呼女王国の事は理解できなかったんだろ、しかし奈良大倭のことは同じと
>北史倭国伝に説明してる。奈良ヤマトは魏志で言う邪馬臺者と。

倭國在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海中依山島而居。
居於邪摩堆、則魏志所謂邪馬臺者也。

倭国は百済と新羅の東南に在り、水陸三千里、大海の中において山島に依って居る。
邪摩堆(大和)に居す、則ち魏志で謂う所の邪馬臺者である。
0357日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:11:04.14
>>355
隋の時代だって倭と言えば九州北部だったからだよ。
0358日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:11:36.42
>>328
奈良には元々からのヤマトという呼称はなく、あとから創出した国名。
その創出時期は、5世紀中頃以降とみられる。
なので、彦火火出見(神武天皇)という実名に対して死後に贈られる贈り名である「神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)」という日本(やまと)の呼称が入った贈り名は、
すくなくとも5世紀以降のもとと考えるのが妥当。
とすると、紀元前とされる神武天皇が生きた時代とは矛盾することになってくる。
このことは、欠史八代の天皇の贈り名にも当てはまることであり、
それらの天皇が実在したとすることと矛盾することである。
0359日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:12:29.33
>>356
>邪摩堆(大和)に居す、則ち魏志で謂う所の邪馬臺者である。

()の中は根拠がない妄想なんだよ。
この時代のヤマトは九州北部のこと。
記紀の頃にヤマトは畿内大和のことと言い換えてしまった。
0360日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:17:01.83
>>358

彦火火出見は日向王家2代目から使われている筑紫の倭王の名前だ。
神武は磐余彦が実名で、奈良盆地の中の磐余だけの領主だったのだろう。
古事記では神倭伊波礼毘古命としている。
こちらの方が古い形であり、倭(ヤマト)とつくのは筑紫倭国の出自であることを示したものだろう。
0361日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:19:05.18
>>358
>とすると、紀元前とされる神武天皇が生きた時代とは矛盾することになってくる。
>それらの天皇が実在したとすることと矛盾することである。

神武天皇の実年代は200年頃だろう。
呼称に疑義はあっても、実在を否定する根拠にはならない。
欠史八代は、単に奈良盆地の片隅の小領主の家系だったから、具体的な事績が乏しいのだよ。
0362日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:25:15.24
>>351
何人かで担いでいけば問題ない。
榊は神の依り代として用いられており、実際に上賀茂神社などでは「みあれ神事」の際に人が担いで運んでいる。
しかし、この榊に三種の神器を掛けるという北部九州のような儀礼様式はなかったのではないのだろうか。
0363日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:28:30.23
三種の神器の隠喩

勾玉=誕生=祖霊=縄文
銅鏡=太陽=生死=古墳へ〜
銅剣=戦争=国家=
では、物語を始めようか・・・
記紀ですけどwww

アタシ達、中学生に日本の古代史を返してください。
大化の改新と、明治維新と、文化大革命だけは、許せんね。

香港、台湾、チベット、ウイグル、雲南、満州に独立を!
あれ?
0364日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:35:08.24
>>359
北史倭国伝は7世紀659年に書かれ正史として公認されたもので
日本書記などにも小野妹子が案内役で通って来たルートまで書かれてる。

だから、陰謀論の入る余地はないよ
川から港の名前まで記録してるから。
0365日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:40:41.74
>>361
贈り名は死後から埋葬されるまでの間に贈られるもので、何百年もたってから贈られるものではないとすると、
その人物が200年頃に生きた大王であるとすることは疑わしくなる。
ただ、ずっとあとに創作された人物であるならば、なるほどねと理解できることではある。
0366日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:45:54.30
>>363
邪馬台国は大和ではないと大声で主張してください。
邪馬台国大和説だけは許せません、と。
0367日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:50:47.35
>>365
漢風諡号は何百年も経ってから付けられたものだよ。
逆に和風諡号は生前の名を知る手がかりだ。
それが創作であるかどうかとどう繋がるのか全く意味不明。
変な宗教の人と話しているみたいで気持ち悪い。
0368日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 19:59:35.34
>>360
いや〜、それないだろう。
筑紫倭国が存続したのは2世紀末〜3世紀後半までだし。
磐余彦が大和に来たのは、いつのことなんよ。
0369日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 20:04:16.49
記紀ではなく、歴史の話をしましょう。

中国三国志で、魏の皇帝は倭国の将軍、奴国の升米に黄幢、
檄によって245年の帯方郡の韓制圧戦に参戦を求めた。

魏の将軍、難升米はこれに応えず、246年、帯方太守戦死。
倭 女王卑弥呼 與狗奴國 男王卑弥弓呼 素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状

この報告で帯方郡は、247年
遣 塞曹掾史張政等 因 齎詔書 黄幢 拝假 難升米 為檄告喩之
倭人船の帰国便で、張政を査察に送った。

その報告が
使大倭監之 自女王國以北 特置 一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
王遣使 詣京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使倭國 皆臨津 捜露 傳送文書 賜遺之物 詣女王 不得差錯
である。

女王国は魏の同盟国では有り得ない、大倭の管理下の小国だった。 
247年、中国三国志の倭人伝はこれで終る。 印綬は何だったのか?
卑弥呼は190年位に即位。 247年没。
この間、畿内の王朝には女王なんて居ない。

倭人伝は、倭王卑弥呼の国の国勢は
帯方の南、満2千里が南限の女王を立てた国で
所属、次有列記21国の領主は皆王を称し、可7万戸。
周旋しても5千里の小国だった。
って、書いてあります。
漢字で言うと、後の筑紫です。

つまり、240年以前には、
筑紫を含む日本の朝廷は有りません。
これが、中学生でも判る、歴史の真実。
0370日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 20:09:57.47
卑弥呼時代には北九州、瀬戸内周辺と奈良盆地は邪馬台国の同盟国だよ
南九州やら出雲国などは敵対国としてただろうけど。
0371日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 20:10:18.19
>>367
いやいや、その贈り名にヤマトという語彙が用いられていることを言っているのよね。
ヤマトの国名は5世紀以降の奈良盆地につけられた名前。
それより相当前の人物につけられていた贈り名を廃止して、新たに別の5世紀以降にできた言葉を盛り込んだ贈り名をつけるなどということはあり得ないのよね。
0372日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 20:16:54.90
邪馬台国の同盟国会議は有ったろうね、そこが高天が原だけど
だから、都としては極初期で移動しながら仮の小屋程度
出発点は筑後朝倉の天の安川の河原で会議したんだろ。
0373日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 20:32:23.47
魏志倭人伝の、「國國有市交易有無使大倭監之」
「国々に市があり、交易を行っている。これを大倭が監督している。」

邪馬台国畿内説ではこの「大倭」を「大和(ヤマト王権)」だとする説をよく見かける。

確かに、現代でも暴力が伴うもので可なりの軍事力がないと収まらない
集落単位の窃盗団や暴力団など恐喝まがいのヤカラも居るだろうから
色白な官吏の兄ちゃんじゃ話に成らん。
0374日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 20:50:38.10
>>368
磐余彦は200年頃の人物なんだよ。
天皇の代を15年くらいで計算して遡ると概ねそれくらい。
0375日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 20:52:05.42
>>370
奈良盆地は考古学的には東海地方の影響下だよ。
瀬戸内海とは隔絶していた。
0376日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 20:53:53.76
>>371
廃止なんてしていないだろ?
和風諡号と漢風諡号は両方とも使われている。
ヤマトの国名は古くから九州北部を意味していたから、九州北部出身の神武やその末裔が名乗ることに何の不思議もない。
0377日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 20:55:22.39
>>372
>邪馬台国の同盟国会議は有ったろうね、そこが高天が原だけど

沖ノ島だろ?

>だから、都としては極初期で移動しながら仮の小屋程度

弥生時代だけど、吉野ヶ里を見ればわかるようにそこそこの大きさの建物はあったはず。
あれより小さいはずがない。
0378日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 20:56:40.24
>>373
>色白な官吏の兄ちゃんじゃ話に成らん。

倭(筑紫)の帥こと大率だろ。
帥と率は同音同義だからな。
0379日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 21:13:35.09
.


◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&;ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&;aq=-1&oq=&ei=UTF-8


.
0380日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 23:47:47.25
>>376
九州の山門の現地発音はヤマドだった。
この発音を音写したのが倭人伝の邪馬臺(ヤマドイ、あるいはヤマダー)なの。
だから、ちゃんとドイと濁っているわけ。
この邪馬臺(ヤマドイ)を後漢書から取り出して、その漢音である(ヤマダイ=邪馬臺)を奈良弁でヤマタイ→ヤマトと発音して奈良盆地の呼称にしたのが5世紀以降のこと。
九州から人が東遷して奈良の地元の人が使っていた昔からの地名を取り上げ、代わりに山門の地名にしたのであれば九州で普通名詞であったヤマドと発音したはず。
しかし、実際の地名は清音のヤマトであり、九州人の発音ではないことは明らか。
東遷はないね。ヤマトは5、6世紀に奈良で生まれた言葉だよ。
0381日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/11(木) 23:58:59.66
>>374
神武が磐余に来たのが200年頃とすれば、その時代の奈良はちょうど小張吉備、北陸、近江など各地から人が集まって石塚古墳が造られる頃に当たり、
一方、九州では卑弥呼が王位についてから十数年がたっている頃。
この時期に九州から相当な人数が移住したとは考えにくいし、そのような考古学上の出土物もみあたらない。
0382日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 00:08:40.35
神武が磐余に来たのは400年頃だと思うよ
0383日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 01:20:00.21
>>382
神武が磐余に来たのが400年頃とすると、その時代は応神天皇の頃に当たってくる。
まあ、応神が政権を取ったことと神武の東征が重なるという説は昔からあるようだ。
しかも、応神政権の守り神の筒男神はずっと南九州にいた神で、それが神功皇后を助けに博多へやって来る話になっているのは、
応神が実際は南九州の大祭祀者だったからだとすれば整合性があるということになる。
また、応神政権が政権の祭祀所とした場所が磐余のすぐそばの畝傍山であってみれば、なぜ神武が畝傍山のすぐそばに宮を置くことになるのかその理由が分かるということになる。
まあ、神武は、クーデターまがいに成立した応神政権が正統な政権であることを証明するための神話であるとする考えは相当に信憑性があるのではないか。
神武磐余到神武磐余到着紀元400年説は面白いかもね。
0384日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 08:29:12.37
応神は九州生まれ九州育ち。
0386日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 08:40:05.63
>>380
現代の濁音は上古には清音や半濁音だから、問題ない。
0387日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 08:42:42.74
>>385
仲哀の崩御から応神の生誕まで十月十日以上。
仲哀崩御の夜、神功皇后と住吉の神の間に密事ありという。
そして日本書紀は生まれが遅れた理由として、半島出征の間は石を抱いて出産を遅らせたという非科学的な言い訳を紹介している。
0388日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 08:56:48.01
神功が半島に出兵してない説もあるしな。
応神の異常な誕生から目を逸らす為とか。
0389日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 10:09:21.49
>>384
応神が九州生まれなのは事実だが
九州育ちなのか?
すぐに大和の地に入ってきたのでは?
本当に幼い頃は九州から動かせなかっただろうが。
0390日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 10:21:43.07
>>386
それは漢字のあてはめ方からあり得ない話だぞ
0391日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 11:31:24.16
>>373
國國 有 市 交易 有無 使 大倭 監之

律令制以前の諸国の国々の商売を統括管理する 大倭なんてものは無い。
諸国の領主から、税または朝貢品、兵等を出させるのである。

女王国の21国では国々は、国王が治めていて市を出し近隣国との交易が在った。
邪馬台国は、筑紫21国が女王卑弥呼を共立した、女王国であって大倭なんて組織は無い。
この文脈の(使)の主語って何? 
出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香
其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味 有獮猴黒雉
其俗 擧事行來 有所 云為輒 灼骨而卜以 占吉凶 先告所卜其辭 如令龜法 視火坼占兆
其會同 坐起父子男女無別 人性嗜酒 見大人所敬 但搏手以當跪拝
其人寿考 或百年 或八九十年
其俗 国大人 皆四五婦 下戸或 二三婦 婦人不淫不妬忌
不盗竊少諍訟 其犯法 軽者没其妻子 重者没其門戸及宗族
尊卑各有差序足相臣服 収租賦有邸閣 國國有市交易有無
其の が指示するのは 倭国では、だが、
倭国では大倭を(使)ってこれ(市)を監督するのか? 大和の意味が不明になる。

使は、郡使の帳政であって
使 大倭 監之 自女王國 以北 特置 一大率 檢察諸國 畏憚之 常治 伊都國 於國中有 如刺史
王遣使 詣京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使倭國 皆臨津 捜露 傳送文書 賜遺之物 詣女王 不得差錯
247年に来日し、卑弥呼の墓を見て、女王国の現状査察の報告が、これ。
0392日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 12:03:24.68
>>361
>神武天皇の実年代は200年頃だろう。
>呼称に疑義はあっても、実在を否定する根拠にはならない。

賛成。

>欠史八代は、単に奈良盆地の片隅の小領主の家系だったから、具体的な事績が乏しいのだよ。

欠史八代のうち、6代孝安以前、初代神武までお妃さんがいない。
后=奥さんはいるが妃はいない。
大王(おおきみ)なら複数の妃を持っているはず。
実際、7代孝霊以降は複数の妃がいる。
なぜなのか。
6代孝安以前、初代神武までが女王国だったからだ。
0393日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 12:13:34.41
神武のモデルに近い人物はいるだろうけど
それは歴史的に実在したとは言わない。
五代前の祖先が、大名だったって主張したとして、実際に大名じゃなかったら、少なくともその祖先は居ないことになる。
そりゃ五代前の祖先はいるだろうけど。
0394日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 12:37:11.65
.

(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の竈(=火へんに土)と釜と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html

.
0395日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 12:44:19.08
.



7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

同じく中国には7000年前からある竈も釜もそれまで知らなかった。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


.
0396日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 12:45:32.22
>神武天皇の実年代は200年頃
200年〜250年は、卑弥呼が女王なんだが、この九州から東征するのはいかがなものか?
313年までは半島に晋の楽浪帯方は有り、239年公孫氏滅亡、246年韓制圧が有る。
日本から卑弥呼は侵攻していない。 神功皇后は無理筋。

さらに350年以降には、幽州刺史の高句麗を押し返し、百済新羅が建国する。
この間で、高句麗馬を移入し御牧での生産が始まっている。
甲斐、武蔵は既に統一内に在った。

百済朝貢の370年辺りで、七支刀、阿直岐、続いて応仁の来日。
ここらが、記紀の言う応神〜仁徳ではないかな?

この文字などの中華文献知識を得て、日本は倭の五王時代となった。
413年から502年は、倭王5代、兄弟継承を2回含む。
応神の子仁徳以降で、5代倭王武は、472年稲荷山鉄剣により雄略天皇で良さそう。

これ500年以降は任那四県割譲、磐井の乱で百済衰退、日本の後援は弱く新羅台頭。
記紀がこの歴史を消しているのは、南朝との同盟を、隋唐に晒すのを憚ったからw
稲荷山鉄剣の直系7代は300年以前迄遡れそうに思う。

この400〜500年は、物部系王朝、500〜大化の改新は蘇我系王朝。
別に、記紀が消したり作ってる物語は、歴史に組み込まなくても
考古学だけでも充分、歴史は動いている。
在り得ない万世一系の系図に拘泥しない方が良くないか?
0397日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 13:23:17.34
>>396
高句麗に大敗したことが大和の体制の変革のきっかけだったのだろう。
輜重のための牛馬飼育を始め、沖ノ島祭祀を始めるなど顕著な動きがみられる。
そして、沖ノ島祭祀を始めると宗像氏が活発な勢力拡張を進め、対馬海峡の勢力を一本化して半島への軍事展開をしやすくするようなことも起こる。
こうした新たな動きを起こしたのが応神のもとにまとまった各勢力による政権で、難波政権といわれている。
問題は、その応神がどんな背景を持つ人物だったのかということであり、誕生にまつわる始祖神話ではどうも大和の血筋を引く者ではなさそうだということだ。
しかもこの人物は九州の神と濃厚なつながりがあるようであり、また久米といった南九州系の氏族の名が政権の周辺にみえたり、孫の世話をする者が同じく南九州系の隼人であったりと、どうも南九州につながって行く背景がみえる。
0398日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 14:20:43.13
>>392
その女王卑弥呼の生存中に、当時列島最大の墳丘墓が纏向に2、3基もつくられているのはミステリーじゃあるまいか。
女王のほかに別の王が2、3人いたということか。
0399名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2020/06/12(金) 15:29:40.10
>>398
卑弥呼が敵(ヤマト?)から自分の安全を図るために、
魏から倭王に任じられたともいえる
魏から倭王に任じられたとなれば、敵もおいそれと手を出しにくくなるからだ

そして当時の人々は漢字がほぼ読めず、魏の詔書を書き写して各国に配っても
意味がわからないだろうから、鏡を代わりに配って誇示した
0400日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 15:54:13.62
>>399
卑弥呼が魏に朝貢したのは、やはり伽耶の鉄がらみだろうね。
100年ほど前にも帥升という背景のよく分からない者が楽浪郡を訪ねて朝貢したいと申し出て断られているが、
この帥升も半島の鉄がらみだったのだろう。
ただ、卑弥呼の場合は魏側の積極的な招請があったのではないか。
魏の皇帝の詔書では、皇帝が好意で贈る鏡を国の民に示せと書いてあるから、まあ、魏との友好を誇示しろということだよね。
そして、卑弥呼の倭国はなんか背後の東方の奈良で怪しい動きがあるのを知っていて、それを牽制するために魏に朝貢したというのはあったかも知れん。
実際に、倭国が魏の軍隊の指揮下に入ることを示す皇帝の旗が卑弥呼のもとに送られるその直前に、狗奴国が卑弥呼の邪馬台国に攻め込んでいるからね。
狗奴国としては、倭国が魏の軍隊の指揮下に入ることを阻もうとする目的があったのかもしれん。
そのことは、奈良の勢力にしても同じだったのではないか。
0401日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 17:21:38.14
>>393
>神武のモデルに近い人物はいるだろうけど
>それは歴史的に実在したとは言わない。

神武陵墓は壬申の乱の時点で実在した。
神武非実在説者はなぜ7世紀に架空の人物の墓まで造っていたのかの説明ができないだろう。
0402日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 17:24:09.12
>>397
>応神がどんな背景を持つ人物だったのかということであり、誕生にまつわる始祖神話ではどうも大和の血筋を引く者ではなさそうだということだ。

350年までの話であれば、大和の血筋を引く者 という発想がおかしい。
250年に筑紫が、本州系の豪族に加わり纏向に新首都を建設した。
九州が参加するまでの、この間、王統は定まっていないし、
豪族は氏姓が無く出身地を名乗ったはず。500年でも筑紫の君とか。
万世一系を創作した記紀は、これを記すことが出来ていない。

応神の話は、倭の五王、雄略 に繋がる物部系大王の話だが
物部系は後に百済豪族へも進出していることから、安曇などと同様、日本海海神族出身だろう。

出雲丹後越の青銅器利権の日本海ルートに
吉備淡路阿波近江濃尾東海関東の豪族が摂津河内で初期軍事統一して、政都纏向を作った。
250年以降に、筑紫が加わり出兵準備が出来、313年以降半島進出が本格化した。

百済新羅建国は350年、南朝への傀儡朝貢は372年である。
この間、日本は高句麗戦は百済新羅を後方から支援し牛馬移入を進めた。
404年の敗戦後413年から504年南朝で高句麗との交戦権と百済新羅利権の交渉を始めた。
これが阿直岐王仁によって中華王朝の知識を得て、漢名を名乗った実在の五人の王だが、
この準備を進めたのが、記紀の諡号で言うと応神から仁徳朝。

500年継体はこの海神族物部系大王の歴史を消すための王だが、
出自は丹後だか結局日本海ルートのその辺って話? 直系じゃないかな?
ここまでは、というか 推古天皇も即位してなさそうなので蘇我系王朝もだけど
記紀の嘘によって一系の世襲王朝にはなっていないという印象を受ける。
天皇制の起源は、記紀神話からの諡号で後付けです。
一応、日出処の天子 で、この構想はできてたはずだけど。

大伴や物部の氏姓も、氏姓を与えることで
400年辺りから、王統と分離したんじゃないかな?
472年の稲荷山鉄剣のヲワケは氏姓の無い、8代続いた王統傍流?落しだね? の武人頭、スクネ。
0403日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 17:27:01.37
>>398
>その女王卑弥呼の生存中に、当時列島最大の墳丘墓が纏向に2、3基もつくられているのはミステリーじゃあるまいか。
>女王のほかに別の王が2、3人いたということか。

横レスだが纏向古墳群は王墓ではない。
崇神の行灯山以降は王墓だが纏向石塚から箸墓、西殿塚まで王墓ではない。
被葬者の眠る位置の考察は重要な要素。
纏向古墳群は山稜に造られておらず平地に造られている。
大和の山稜に本当の王の墓があった。
それが高天原(御所市高天)だ。
0404日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 17:29:45.27
横レスではなかった、俺へのレスだった、ごめんなさい。
0405日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 17:37:52.32
纒向の古墳が卑弥呼の一族の古墳って聞いた事あるけど?
間違いなの?
一般論かと思ってたわ。
0406日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 18:10:59.69
>>399
魏王はまだ三国志戦乱の戦国王だよ。
占領直後の帯方郡に挨拶に来た卑弥呼の使者難升米を、太守が上洛させた。
魏、むしろ司馬氏だが、は、蜀と呉との決戦を控え、隣国との軍事同盟が欲しかった。
これ孔明の死の直後で、公孫氏が呉と内通したための東夷戦争中なんだよ?

其六年 詔賜 倭難升米 黄幢 付郡 假授
其八年 太守 王頎 到官
倭 女王 卑弥呼 與狗奴國 男王 卑弥弓呼 素不和 遣倭 載斯烏越等 詣郡 説 相攻撃状
遣 塞曹掾史張政等 因 齎詔書 黄幢 拝假 難升米 為 檄告喩之

245〜6年、帯方郡は韓の制圧戦を始めた。
詔賜 倭難升米 黄幢 は、魏の正規軍の旗印のもと韓制圧戦に参戦せよ。
ってことだし、
檄 も同様に、三国志戦争に魏軍として戦え、というお誘い。

戦国武将は他国の小競り合いなんか関係ない。
他国の戦争なんか出兵しないし、勝った方を味方に付けなければ、滅びるのは自分。

三国志の覇者魏晋は、313年高句麗により楽浪帯方を追われる。
衰弱した晋は、350年高句麗を楽浪候、幽州刺史として中華貴族に迎える。
これと戦争を始めたのが、日本の後援を受けた馬韓辰韓だが、百済新羅の建国が成る。

中国は南北朝になったから、
日本は侵攻驚異の無い南朝と半島での軍事権や利権の交渉をした。
後に、南朝は無くなって、隋唐なので、
白村江海戦後の記紀はこれを書かなかった。

というか、万世一系の王朝じゃ無かったから他人事で
物部の大王が半島で何して国内権力握ったかは、
ちゃんと記録してないんじゃないかな?
これが、倭の五王時代。
0407日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 18:24:31.25
>>389
>応神が九州生まれなのは事実だが
>九州育ちなのか?

両親も九州に宮があった。
そして宗廟も九州。
0408日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 18:27:04.40
>>393
>そりゃ五代前の祖先はいるだろうけど。

そしてその人物が九州の王家の生まれで畿内に引っ越してきた人物なんだよ。
大王ではなかったかも知れないが、首長層ではあったろう。
そして磐余彦の諡号は当時の呼称そのものだろうね。
0409日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 18:30:05.47
>>396
>200年〜250年は、卑弥呼が女王なんだが、この九州から東征するのはいかがなものか?

そこで倭国大乱ですよ。
王家が揃って逃げ出して、それを収拾するための卑弥呼共立。

>日本から卑弥呼は侵攻していない。神功皇后は無理筋。

神功皇后の実年代は4世紀後半だから、矛盾しない。

>別に、記紀が消したり作ってる物語は、歴史に組み込まなくても

一代15年程度にすれば、無理なく神武まで収まってしまう。
0410日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 18:31:50.98
>>397

なんで応神が南九州なんだよ。
筑紫の生まれで宇佐に宗廟があるんだぞ。
0411日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 18:32:49.24
>>398

倭種だろ。
大陸とは交流していない無名の首長。
纒向は大陸からの産物が全くこれっぽっちもない。
0412日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 18:35:08.04
>>405
>纒向の古墳が卑弥呼の一族の古墳って聞いた事あるけど?
>間違いなの?

全く根拠がないからね。
0413日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 19:04:28.75
>>401
ゴッドハンド乙
神武の墓、いつできたんだ? 

古事記、日本書記完成記念、
元祖、神武陵完成記念式典、見たいし・・・

BC600じゃ、墓って無いよね。 知らんけど?
AD600~記紀以降かな? これで、神武実在の実年解決か?
お釈迦さまの仏舎利でたりしてなw

古墳時代の前方後円墳は250年以降でしょ?
これ確か、日本海ルートの方墳と九州の円墳併せて大型化したんじゃない?

最初の大型古墳は、247年に張政が見た、卑弥呼の径100歩でしょ?
1年で作ったフェイクだけど・・・ 

なんで、滅びる始皇帝の墓とか合理化薄葬令の中華無視する?
王権の継承に財力を継承させない方向性でしょ?
万世一系じゃないから、こういう大型古墳の無駄が有るんだよ。

7〜800年辺りで全部盗掘してると思うぞw
平安京の財力と、武家社会の貴族統治の秘密
0414日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 19:26:32.70
>>413
帝紀をまとめたときに神武がつくられ、それに合わせて墓も造営されたのかもな〜。
明治でも神武の橿原宮の所在地が分からんということで、新たに橿原神宮を造るくらいだから、
聖徳太子の時代に造ったとしてもおかしくないな。
0415日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 19:31:05.13
>>409
>神功皇后の実年代は4世紀後半だから、矛盾しない。

応神〜仁徳の半島進出と被っちゃうだけなんですが?

370の七支刀や漢字の阿直岐王仁来日、百済新羅は征伐じゃなくて
漢四郡以降の南韓を高句麗や魏晋の侵攻から防衛する政策が有って、
牛馬の移入や鉄の国内生産化が、成立したんでしょ?

天皇の歴史書で時系列をずらすためには、他の天皇は消える?
まあ天皇制は記紀以降で、それ以前の王統は国内10系くらいの豪族の混成だろ?
歴史ってのは、事実じゃ、いかんのか? 

日本列島は2万年前からでも、同民族の一統だよ?
人種のガラパゴスだからね。

日本には、古代に外国という概念が無かったわけで
バテレンみたいな移民を 日本人と差別しなくなったのは、
日韓併合からだなw
0416日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 19:41:31.68
>>1
天皇は日本最古の在日つまり渡来人

半島から松菊里型農業文化を携え玄界灘を渡って縄文土人を征服して倭国(九州)に君臨した
板付遺跡や菜畑遺跡などの最古の弥生遺跡では支配階級が松菊里型住居に住み被支配階級が縄文系文化人だったと判明している

板付遺跡や菜畑遺跡の背後には筑紫のクシフルタケがある
つまり韓半島の文明人が縄文土人を征服したのが天孫光琳
原始人の縄文土人から見たら最先端文明を携えた渡来人は神そのものに見えただろう
これが神の末裔といわれる天孫族の由来だ
0417日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 20:15:28.17
>>415
>天皇の歴史書で時系列をずらすためには、他の天皇は消える?

無理に消さなくていいんだよw
異常に長命の天皇の代を現実的な十数年にすると、神武が倭国大乱の頃で全て収まるの。
0418日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 20:17:20.76
>>415
>まあ天皇制は記紀以降で、それ以前の王統は国内10系くらいの豪族の混成だろ?

それらのうち、記紀で消された九州の傍系の一つに卑弥呼がいたということでよろ
0419日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 20:56:36.02
>>410
日本書紀読んでからあわてて造ったのだろう。
0420日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 20:58:41.82
>>408
なんで日本(ヤマト)なんてのが付いてるのよ。
0421日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 21:03:51.22
>>403
平地に造られたのは、前方後円型墳丘墓の由来が尾張の前方後方型墳丘墓だったから当然。
西殿塚から丘陵に造られるようになるのは、吉備やなどの影響だろう。
吉備は元から山の上に造ってたからね。
0422日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 21:16:07.47
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(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の竈(=火へんに土)と釜と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html

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0423日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 21:22:05.06
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7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

同じく中国には7000年前からある竈も釜もそれまで知らなかった。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


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0424日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 21:22:44.01
>>418
だから、240年まで筑紫は外交上も独立国だった。
4〜500年の倭の五王は、物部系の大王の施政。
5〜600年? 大化の改新までは蘇我系の王朝。

継体は、現皇室の一系だが、
一系とは言えない、それ以前の海神族系の物部や
仏教導入で法皇制を試みた、蘇我王朝も現皇室の起源だろ?

安曇は、邪馬台国21国のうちのどれかだし、
筑紫の君は、奴国王、難升米が始祖かもな?

こういう派生は源平や各地の領主が、
各地で記紀神として、有難く神社で祀ってる。

記紀神話の成立で、皇室は各地の武将の祖になった。
記紀の時系列が嘘なだけで日本人の祖先は神話じゃなくて
ガラパゴス列島の縄文人なんで事実は変わらん。
0425日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 23:10:06.86
>>420
筑紫の倭(ヤマト)の出身だから。
古事記では倭、その後の日本書紀から日本と書かれるようになった。
0426日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/12(金) 23:20:51.81
>>425
筑紫のヤマトてどこ?
0427日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/13(土) 00:04:19.46
筑紫の倭国=扶余族が倭人を支配してる九州国家

これは新羅や唐に征服されて滅んだ。
筑紫都督が設置されて一時的に九州は新羅の支配下になる

日本国=奈良百済国
百済が滅亡した後に新しいナラ(国)として作られたもの
これが日本国の直接的起源
0428日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/13(土) 00:06:19.33
>>427=423

ウリが日本を作った

だから日本の全てはウリのもの

賠償ガー
0429日本@名無史さん
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2020/06/13(土) 03:59:28.76
>>427 自スレに帰って罵り続けられてなさいよ。
〜「無能ヒトモドキ視点からの古代(誇大)史妄想(https://sites.google.com/view/jhistory/)」は聞き飽きた♪〜
 
14スレに渡って答えられない以下の12の詰問にさっさと答えろ無能ヒトモドキ!
 
@ 百済で育った倭國の皇族がいると思い込んだ日本書紀の記述を提示

A 百済大井宮ならびに百済宮が朝鮮半島にあったと信じる根拠の明示

B 倭國と百済が対等な同盟国だったと錯覚している根拠の提示

C 人質が客人であったと妄想している根拠の明示

D 成立から滅亡まで一貫して倭國の朝貢国であった地域から倭人達が影響を受けなければならない理由の提示

E 任那に離反された、明け渡したとの空想に至った根拠の明示

F 仁徳天皇が百済人だとする根拠の提示

G 証拠がないから天皇は倭人ではないという支離滅裂思考に至った根拠の明示

H 中大兄皇子が自ら「剣」を持って切りつけたと主張する日本書紀の記述を提示

I 扶余勇が倭國に渡ったという根拠と、天智天皇だという根拠の明示

J 扶余隆が辰王朝出身だと錯覚した理由の提示

K 斉明天皇が純血の百済チョンコだと錯覚した原因の明示

根拠のない推論は妄言&ファンタジー以外の何物でもない

根 拠 の な い 推 論 は 妄 言 & フ ァ ン タ ジ ー 以 外 の 何 物 で も な い
0430日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/13(土) 08:14:27.88
>>426
筑紫全体または博多湾沿岸
0431日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/13(土) 08:15:35.17
>>427

新羅王家は筑紫の住吉王家の分家だろ。
0432日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/13(土) 15:11:23.27
4世紀末までに中国の道教系では三種の神器が成立していて、鏡、剣、玉がそれだったという説が見られる。(「第14章 ニ種の神器と三種の神器」と入力して検索し、一番上のサイトを開く)
これが日本にもたらされて、玉が勾玉に置き換えられて祭器として用いられたとしている。
そいうわけで、それ以前に日本で鏡、剣、勾玉が副葬されていることがあるのは、単にそれらが霊器として扱われただけであり、三種の神器と観念化されたものではないというのである。
男面白い説であるが、仮に三種の神器として玉を勾玉に置き換えたとしても、日本ではその勾玉は特定の人物の持つ霊器であると観念されてきたことに変わりはない。
また、その神器である鏡が天照大神の分身として観念され、それが伊勢神宮系で全国の神祇をまとめるための政治思想として祀られるようになったことと、中国の宗教団体が観念した神器としての鏡とはまた別の考え方であるのも事実。
つまり、日本では三種をセットとした神器の観念を移入したものの、元々の観念を換骨奪胎して日本式の三種の神器が成立したとするのがよいのではないか。
0433日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/13(土) 15:30:29.64
>>432
中国製の観念である鏡、剣、玉の三種の神器の玉を日本古来の勾玉に置き換えることで、その三種の神器の観念を日本化したということもできる。
その結果、三種の神器の価値の順位が勾玉、鏡、剣と日本式に並び変わった。
記紀が記す三種の神器の価値の順位がそのようにな順になっているということは、日本式の神器として換骨奪胎が行われたということになるな。
0435日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/13(土) 21:31:05.58
.



中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!


.
0436日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/13(土) 22:26:16.35
>>434
奈良時代に成立した律令では天皇の地位の規定がなく、律令を超えた存在とされるものの、律令には天皇の命令やその命令の手続きについての規定があるので、
律令は天皇を制度的に制約しているとする考えがみられるそうだ。
このことは、天皇の存在が律令制度の前提となっていることを示しており、この点からして天皇には成文化されない慣習法的制度があって、
その天皇の慣習法的制度をもって天皇制と呼ぶことは可能なのではないか。
0437日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 01:27:48.14
天皇のルーツ=韓民族の扶余
0439日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 08:01:59.07
嘘吐きは朝鮮人の得意技
0440日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 08:38:33.02
部族制を束ねる大王と鬼道を束ねる女王を中国皇帝と道教の神仙を参考に書き換えたのが天皇。
0441日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 13:14:32.95
>>437
正解
0442日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 13:25:38.72
天皇が縄文か?何だか知らんけど
桓武天皇の母親が百済から来たとか、書物にも書いてあるから
韓国南部との繋がりは古代から古いとは思う。
0443日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 13:44:02.89
>>441
                       韓猿でも                 (  (
                ,,.r'' ゛~~` ''ッ,,  プヨ勇が天智だなんて       )   )
              、 ゛  ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, ヾ.   ホラ吹かねーぞ   ,.、   / /
               ミ   ミ゛,へ.__, ,_ノヽ i.     恥ずかしい .| |l   l ,´
             ミ    ミ, ( ・) {・フ 〉 ミ.          _-、i::| |ニニii '
         、,,,,ツi:     ミ,`~´ ヽ~〈  .ミ        /,‐ヽヽ`、||
       、シ``   i:      ,ゞ  'n.inヽ. .ミ          ( .〉〉/
      シ  //      ミ`    l.l ヽ"、         /  ノ
     ミ/ シ           彡 ,=こ二=.{ ミ,,      ,r'´ ,,、'゛
     ミi. /  /       ' ! w、`~^' vwv '、   ミ      〃 .ミ
    .ミ /     i:  /      `^^     \ ."   〃  ミ
   .ミ.:/ / / i:      v    !  ,,   \ 、 〃  ミ
   :i;     .i:   w      !!   ミ!:   ミ \\( ⌒ヽ
   :i;  /   i:      !!       .ミ キ    , ⌒`、_  )  )
   :il     .i:    !    w!    ミ .:i.   (_ (  _,ノ  ) ,
  :il   !  i:           ! ,〃゛  キ    ゞ、 __,  ノ ,
  .:il !   /~~````` " '''' = ‐- 、ミ  _,,,,_ミ,  il `  ー ´
  :il   ´ ―  ̄ - ,,. -‐‐-、、 ヽ. ヾ、  ゞ、 `  〃
  ゝ、wx.mn.!!++ナ'~      ヾ~ヽ、 ヽ、 ,, ~^^}´
     彡   〃  〃     }} /〉.〉〉〉i''"   〃
      彡、     {{     〃,__!////l |    〃
        X,,    》.   ≪.__`‐'.' '´,Uwwvw'、...,,,___
         ^^^^ !wニこ)こ)二)`) (_,,,..- 、...二⊃_).)
0444日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 13:56:12.46
>>443
10000ペリカ、さしあげ決定〜!!!
0445日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 14:04:26.62
>>442
そんな事が書いてある日本の史書は一つもないぞ
朝鮮民族願望はよそのスレでやってくれ
0447日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 14:16:46.58
>>446
出雲朝廷の話だろう、土師氏とか。
0448日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 14:19:59.45
>>437
天皇の系譜につながりのあることがよほど嬉しいらしいな。
しかし、今の韓国じゃ、天皇の系譜につながりあると分かれば、親日罪に架けられて拷問打ち首だよな。
あまり、胸張らんほうがいいんじゃないの?
0449日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 14:20:14.20
『龍宮 釣り竿』
謎の芸能関係、土師流〜という画像も出てくるし。



『王母 龍宮』
実際は、ほとんど、この家の話。
0450日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 14:26:08.75
まあ、どちらにしろ、天皇が勾玉を最大の価値として祭祀を行っていることからすると、天皇制のルーツは縄文にまでさかのぼることになる。
これは、実に悠久の歴史じゃないか。
世界のどこにもないだろう、このような存在は。
めでたい話だよな。
0451日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 14:31:43.10
>>447
すまんけど、天皇と半島の関わりは全く無いと思う?
神功皇后の母親も半島出身だぞ。
神功の実在性はもとかく書いてあるということは、それだけ皇族系に半島が多いとは思うけどな
0452日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 14:38:04.96
.
最古水田菜畑に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の中国とは
全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国には存在しない耕作用農具が伝わっている。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜(スキ)、鋤、犂 《すべて石刃》


クワは当時の中国には存在しない耕作用農具。

エブリは田を均す耕作用農具で、これも当時の中国には存在しない。

鋤は地面を引っ掻いて除草する除草用の耕作用農具で日本には伝わっていない。

スキが日本に伝わるのは菜畑遺跡から200年以上あとの弥生前期頃で、
やはり全て木製であり、犂は牛耕用の耕作用農具で日本に伝わるのは5C頃で鉄刃。

伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
.
0453日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 14:42:17.19
ちなみに、もれ(仮)の知っている高野さんw
老婆談によると、茨城県(常陸?)のほうの人じゃなかった?と言っているし、
埼玉だったかな。
0454日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 14:50:50.12
それにしても、おかしな話ばかり。

家が・・・傾いた松の木(謎の松の木が立てられている写真)、
このような名前、龍宮何やらみたいな事が書いてある家。
0455日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 14:54:19.18
ほんとーに傾いた松の木の家の話w

子供の頃の写真があって
何かの制服を着ているんだけど、軍人(?)でもないしな・・・とか。
0456日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 15:35:06.27
>>451
神功皇后を生んだ母親がアメノヒボコ系の多遅摩毛理の孫という設定だから、帰化系の土着氏族の血筋ということになるよな。
このような帰化系氏族は、平安時代の新撰姓氏録では掲載氏族のうち半数を占めているよ。
帰化系土着氏族は少なくないということだな。
高野新笠の血筋もそうした帰化系氏族だろう。
別段、問題ない。
0457日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 15:39:58.55
>>440
列島に中国が登場する前から勾玉を持ったシャーマンがいたのに、それ何の話だよ。
0458日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 16:07:11.08
>>446
そんな事が書いてある日本の史書は一つもないぞ
朝鮮民族願望はよそのスレでやってくれ
0459日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 16:09:24.30
>>451
そんな事が書いてある日本の史書は一つもないぞ
朝鮮民族願望はよそのスレでやってくれ
0461日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 16:13:34.65
>>449>>453-455
川崎の重度統合失調症症患者「松傾ヒトモドキ」は日暮れ前に首を吊れよ

何度も!何度も!何度も!
繰り返し!繰り返し!繰り返し
「即死しろ!」と命令されているだろう?

むしろ松傾ヒトモドキへのレスは「首を吊って死ね!」以外にないじゃないか

誰にも相手にされてない=存在する意味がないという事だろう?
なぜ素直に命令をを聞いて首を吊ることができないんだ??

いくら無能な統合失調症症患者の朝鮮ヒトモドキとは言え、
日本語くらい読めるのだろう???

これだけ多くの者達に首を吊れ!と命令されているのだから
さっさとセルフ絞首刑を実行しろよ松傾ヒトモドキ

日暮れ前に必ず実行しろ!
必ずだぞ!!!
0462日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 17:33:32.13
古墳時代の男王(大王)と女王(斎王)が天皇の前身。天武朝から男系王重視に書き換えた。
0463日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 18:00:22.54
いずれにしろ、縄文以来の悠久の天皇系譜に帰化系土着氏族の後裔がぽつぽつとつらなっているからと喜んでいる者たちがいるが、
その者らは縄文の価値観なくしては意味がないことを知らなければならない。
その上で天皇の系譜につらなっていることを喜ぶのであればよしとすべきだろう。
そういうわけだから、天皇が常に身近に置いている勾玉の意味をまず考えてみなさい。
そうすれば、天皇がこの列島で尊ばれているそもそもの意味を少しは知ることができるだろう。
0464日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 18:08:55.10
韓国では百済、新羅、高句麗を同じ韓民族だと教育しているが、生物学的には違う人種なんだよな。
0465日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 18:10:38.94
訂正

韓国では百済、新羅、高句麗を自分たちと同じ韓民族だと教育しているが、生物学的には違う人種なんだよな。
新羅では倭人の血統であることが王族の証だったし、百済も倭の朝貢国として比較的近い人種だったと考えられている。
0466日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 18:29:45.66
天孫降臨とか高天原は韓半島以外にあり得ないだろ
0467日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 18:57:59.46
化外の地ヘル朝鮮w
0468日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 19:34:17.55
>>464
古代と現代とでは、そんなに違うのか?
それだったら、現代の日本も古代と比較して蝦夷とか隼人とかアイヌ、琉球とか同化が進んでるから、遺伝的には、変わって来てるだろう。
0469日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 19:35:27.30
天皇家は明らかに新羅や百済の家系
0470日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 19:44:53.14
>>413
>ゴッドハンド乙
>神武の墓、いつできたんだ?

神武はAD200年ごろだろうね。

>古墳時代の前方後円墳は250年以降でしょ?
>これ確か、日本海ルートの方墳と九州の円墳併せて大型化したんじゃない?

全然違うね、前方後円墳は東瀬戸内がルーツ。
あと神武墓は前方後円墳ではない。

>最初の大型古墳は、247年に張政が見た、卑弥呼の径100歩でしょ?
>1年で作ったフェイクだけど・・・ 
>なんで、滅びる始皇帝の墓とか合理化薄葬令の中華無視する?
>王権の継承に財力を継承させない方向性でしょ?
>万世一系じゃないから、こういう大型古墳の無駄が有るんだよ。
>7〜800年辺りで全部盗掘してると思うぞw
>平安京の財力と、武家社会の貴族統治の秘密

話が散漫で何を言いたいのか分からない。
もう少し落ち着いてから書き込んでくれ。
0471日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 19:50:34.30
>>421
>平地に造られたのは、前方後円型墳丘墓の由来が尾張の前方後方型墳丘墓だったから当然。

前方後円型墳丘墓の由来は尾張の前方後方型墳丘墓ではない、東瀬戸内の円形突起付周溝墓。
あとその地域の始祖に敬意を表して始祖墓が山稜に造られるのは考古学的定説。
したがって平地にある纏向古墳群は王墓ではない。
0472日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:05:47.94
.
最古水田菜畑に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の中国とは
全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国には存在しない耕作用農具が伝わっている。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜(スキ)、鋤、犂 《すべて石刃》


クワは当時の中国には存在しない耕作用農具。

エブリは田を均す耕作用農具で、これも当時の中国には存在しない。

鋤は地面を引っ掻いて除草する除草用の耕作用農具で日本には伝わっていない。

スキが日本に伝わるのは菜畑遺跡から200年以上あとの弥生前期頃で、
やはり全て木製であり、犂は牛耕用の耕作用農具で日本に伝わるのは5C頃で鉄刃。

伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
.
0473日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:14:44.01
>>471
前方後円墳の瀬戸内突起付き円墳起源説に、皆だまされてるんだよ。
卑弥呼の政権は吉備から来た説唱えた寺沢某が仕掛け人。
前方後円型墳丘墓の祖型が大和にないもんだから、必死にさがしたのが有年原の突起付き円墳や近くの柄鏡型円墳。それが吉備の双方中円墳に発展したり、徳島の萩原に発展したりと推測したわけ。
大和の瀬田遺跡の突起付き円墳なども発見される。
しかし、これらの突起付き円墳は決して前方後円型墳丘墓の撥型前方部のように
裾が広がらない。突起のまま固定していて、これが完成型となって終わった。
皆だまされているんだよ。
五基の纏向型墳丘墓の祖型は尾張の前方後方型墳丘墓で、それを大和に持って来て後方部を吉備の円墳に置き換えたもの。
それがルーツだよ。
0474日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:19:13.20
>五基の纏向型墳丘墓の祖型は尾張の前方後方型墳丘墓で、それを大和に持って来て後方部を吉備の円墳に置き換えたもの。
それがルーツだよ


なんで前方後円型墳丘墓のルーツが前方後方型墳丘墓なんだよ。
纏向の前方後方墳墓・メクリ1号のルーツは尾張「かもしれない」という程度。
0475日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:22:21.33
古いものはなんでも縄文と呼ぶバカがいるな。
天皇家の祖先は稲作を持ち込んだ渡来人、すなわち弥生人だろ。
天皇家の祭祀は基本的に稲作と結びついている。
新嘗祭でもコメを捧げるし、秋の収穫の祭りそのものだ。
倭国の文化は弥生の文化。
0476日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:24:39.31
>>466
>天孫降臨とか高天原は韓半島以外にあり得ないだろ

高天原(海神族の城)は沖ノ島だよ。
天孫はそこから中つ国つまり奴国の王となるために王都である筑紫の日向、すなわち伊都に渡来した。
0477日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:25:01.67
倭国の起源は高天原(扶余)から九州への天孫降臨(韓人ニニギ一行の移住)
0478日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:27:36.37
>>471
>前方後円型墳丘墓の由来は尾張の前方後方型墳丘墓ではない、東瀬戸内の円形突起付周溝墓。

饒速日の末裔は物部氏と尾張氏。
つまり前方後円墳は饒速日王国の墓制だよ。
神武は彼のもとに身を寄せた居候。
そして纒向から出る外来土器は大半が終わりのものなので、纒向の前方後円墳も尾張の饒速日王国のもの。
邪馬台国とは関係ない倭種の傍国。
0479日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:27:52.26
>>475
弥生人は稲作を持ち込んでねえの

渡来してから50年以上経った子孫の時代になってから
朝鮮南部から稲作をパクってきたが正解
0480日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:27:58.21
ニニギ一行が松菊里の稲作文化を携えて玄界灘を渡って縄文土人の上に神のごとくにして君臨した
本拠地は後世の松浦や糸島と言われる地域にあった
その後背地の背振山脈にある霊山がクシフルタケ
0481日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:28:50.96
>>474
>纏向の前方後方墳墓・メクリ1号のルーツは尾張「かもしれない」という程度。

纒向の外来土器の大半が尾張だから、間違い無いだろうね。
0482日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:30:53.14
纒向遺跡への搬入土器(全体の15%)の出身地割合
伊勢・尾張系 : 49%
北陸・山陰系 : 17%
河内系 : 10%
吉備系 : 7%
近江系 : 5%
関東系 : 5%
播磨系 : 3%
西部瀬戸内海系 : 3%

纒向には魏の使いが滞在していた筑紫からの搬入物がない。
邪馬台国が交流していたはずの楽浪・帯方郡からの土器も出ない(四捨五入で1%に満たない)。
目と鼻の先の河内との交流も乏しく、畿内の他の地域のような瀬戸内海や淀川の水運の利益を受けられない、尾張の影響下の後進地域であった。
畿内説が言うように東海地方が狗奴国なら、纒向への土器の流入を説明できない。
河内が狗奴国とする説もあるが、その場合も纒向は半島大陸への玄関口である筑紫へのアクセスルートがなくなり、魏と交流できた可能性は低い。
尾張とはむしろ密接な関係であり、尾張を狗奴国と想定することもできない。
尾張は饒速日の王国であり、記紀では大和もその支配下であったとされる。
考古学的には邪馬台国畿内説は成立することが困難である。
0483日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:43:20.76
>>480
だったら菜畑遺跡は朝鮮土器遺構のはずだろ

ところが菜畑遺跡の弥生人たちは朝鮮土器を一切作らず、
山ノ寺式という刻目突帯文土器だけをもっぱら作った

その刻目突帯文土器の日本最古のものはその50年以上前に出雲地方に
登場した前池式で、刻目突帯文土器は沿海州南部のシニ・ガイ文化に
ルーツがある土器である
0484日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 21:59:37.24
>>482
狗奴国は東海地方なんだが天竜川以東の静岡から神奈川の東海地方中部〜東部に
あった日本武尊に滅ぼされる前の旧・久努国(くののくに)のこと

尾張、三河は入らない

都は3Cの東日本で最大の集落遺跡である足高尾遺跡群

そのそばにある3C中頃の東日本で最大規模の高尾山古墳が卑弥弓呼陵
0485日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 22:12:34.44
>>484

そんなことを言っている学者はいない。
0490日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/14(日) 22:41:58.63
>>480
〜チョンコの心の支え「松菊里(ソングンリ)遺跡」の真実♪〜
 
無能ヒトモドキ(https://sites.google.com/view/jhistory)を筆頭に、
チョンコは通称「ソングンリ型住居」が日本列島の縄文遺跡や弥生遺跡から多数発見されている事と同遺跡の炭化米出土を根拠に「ウリたちが住居も稲も倭人に教えてやったニダ」とホルホルしていますが、愚の骨頂です
ソングンリ遺跡は1975年に発見、住居跡は1977年に名付けられ、板付遺跡は1978年、菜畑遺跡は1979年に発見され、発掘調査を開始しました
学問に対して謙虚な日本の歴史研究者は先に命名した韓国側を尊重し、この名称を用いたに過ぎません

現時点までの炭素年代測定で判明しているのは
菜畑遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前900年」頃
板付遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前600年」頃
ソングンリ遺跡の「住居跡」ならびに「炭化米」は「紀元前500年」頃
という客観的事実だけです。

現時点でソングンリ遺跡から水田遺構は見つかっておらず、朝鮮半島最古の水田遺構は20Km南にあるマジョンリ里遺跡の「紀元前300年」頃です。
チョンコどもはオクキョン遺跡はさらに古いなどと言い出しましたが、日本、中国、ロシアからの共同研究を頑なに拒んだ上に、理由もなく埋め戻しという隠蔽工作しました
本国では玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為として黒歴史化しています

しかもソングンリ型住居は現在では日本の竪穴式住居の劣化コピーであることが判明しています
その証拠は北緯36度線より北にあるにもかかわらず、ソングンリ住居跡に炉の形跡が一つもない、1柱支から3柱支への移行遺構が存在しないなど多数に及びます
 
これら客観的な科学検証に基づけば3千年前には水稲や竪穴式住居を完成させた縄文人が朝鮮半島に入植し、朝鮮ヒトモドキに水稲と住居を指導し、支配下に置いていたことが明確です
支配していた根拠として挙げられるのは、日本人特有と言えるY染色体O2b1で、朝鮮半島では北緯36度線以北には存在していません
寒さに弱かった縄文人は北緯36度線以北は朝鮮ヒトモドキに開拓させていたという傍証であり、ソングンリ住居跡に炉がないことの理由と結論付けられます
 
正しく国際的な視点から見れば、魏志韓伝にもあるように馬韓の南は倭人の国であり、むしろ三韓は北から魏の影響を受け、南から倭の影響を受けて発達したと断定できます
0491日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 00:52:01.84
>>474
平地に造られた。
前方部と後方部の二つの墳丘からなっている。
前方部は撥型に開いている。

この三つが尾張の前方後方型と纏向の前方後円型に共通している重要点。
こんだけぴったんこに重なる墳丘墓はほかにない。
あったら教えてちょ。
0492日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 00:56:18.59
>>491
追加

周濠もある。
共通点は全部で4つ。

ちがっているのは後方部と後円部の形だけ。
あとはぜ〜んぶおんなじなんだよ〜。
そして、尾張の前方後方型のほうが早いの。
纏向の前方後円型は少し遅れて造られた。
尾張がオリジナルということだな。
0493日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 01:47:15.44
>>466
天孫降臨は朝鮮半島かその上らへん
0494日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 01:48:33.44
>>493
>>466
ミス 高天原
0495日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 02:25:52.44
 ババババババババババババ
_______              ________
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄干 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ̄ ̄ ̄ ̄_)  __皿_
   ̄ ̄\ \_//    λ   ヽ      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ‐=≡  \ / l          \   < 日本史に絡みつこうとすんなチョンコ
   ‐=≡ /    |    (^o^)    丶   \___________
  ‐=≡ (    \ γ(つ¶ つ¶__|
   ‐=≡ \      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   )
   ‐=≡ _/,へ ________/
      (_∴)      (∴)  ズガガガガガガガガ!
        ヽ\       ヽ\
         \ ヽ      \ ヽ
           ヽ丶 \      ヽ丶 \
            丶 \\\     丶 \\\   ギャーーーーーーーーーーー!!
              ヽ丶 \            ビシュ!!      ビシュシュシュシュシュシュ!!!!
              \\\ヽ          ビシュ!
               丶 \\\  ウリは:;:,∴ん<ヽ`;ζД´> o;;*∴;ウリナラマンセー・・・
               丶 \\\         / :*;:,∴ \
                   ヽ丶 \    :;:,∴⊂  );:,*∴ :;:つ))
                  ヽ丶 \ 丶         (_⌒ヽ
                         。;:,∴  ヽ 。;:,∴ ヘ }
                            ε≡Ξ ノノ J:*;:,∴`J
0496日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 06:48:43.53
三韓征伐地と高天原が両立するわけないじゃん。
0497日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 07:14:13.03
高天原=吉武高木遺跡群 日本最古の王家遺跡
0498日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 10:51:17.77
>>496
高句麗に大敗させられちゃってるじゃん
0499日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 10:59:33.13
三韓征伐自体が捏造だろ。
大陸の歴史にそんな史実はないし
当時の日本、倭にそんな力はない。
そもそもそんな兵力があれば、後世の白村江で一方的なボロ負けしないだろ。
0500日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 11:02:48.14
宋朝・順帝、倭王武を

「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」
とする。(『宋書』順帝紀)
0501日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 11:11:05.20
478年,中国南朝の宋に倭王武(雄略天皇)が送った上表文。「宋書」倭国伝にみえる。

武は上表で,東は毛人(えみし)55国を,西は衆夷(しゅうい)66国を征服して国内を統一,
さらに海北の朝鮮半島南部95国を平定したと誇示したうえで,
475年に百済(くだら)の蓋鹵(がいろ)王を殺した高句麗に対抗するため
「使持節,都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事,安東大将軍,倭国王」
の称号を求めた。 すでに宋に朝貢している百済を除いた称号で認められた。
0502日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 11:13:23.77
神武や神功皇后が、実在し得無くて
推古朝の時系列的存在性や即位事実でもアヤシイ、
って言うんだから、
天からの継承が後付けなら、高天原を天界以外に想定できるわけが無い。
これを認めないなら、記紀は歴史書ではない。
ラノベなら竹取の翁が、継体天皇でも驚かない。

九州が統一日本に参加したのは、240年以降
413(421)年から502年までで、
漢名を名乗った5代の王が即位した。
記紀の記述で、雄略天皇が考古学背景で
470年位〜500年辺りまでの倭王武と比定可能。

350年半島での百済新羅建国後、楽浪候高句麗との戦争
この軍事権や利権について、南朝に認めさせる交渉に出向いた。
500年以降は、任那四郡割譲等、半島国の独立性を強め
600年に百済が滅びる。 

対馬国境は実態として日本が撤収する663年に確定した。
これを萬世一系で、日本の歴史的領土というのが記紀。
隋唐は、若干この間の事実を知っているのだが、天智天武は取り繕い、
隋唐書は記紀を信用している気配は有る。
本人が言うなら、そうwww
 
万世一系の継承は、600年以降迄は成立していない。
実質的日本の建国は、九州統合からか、五王の外交からか、半島分離からか。
倭人伝畿内説は、九州統合は否定してるけどね。
起源が嘘なんだけど。
0503日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 12:49:35.93
天皇家は韓人です
九州倭国は扶余族の国で白江の戦いの後で新羅に征服されて滅亡
奈良百済国が日本国で新羅が撤退した後に九州を併合した
0505日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 13:45:57.28
.



最古水田菜畑に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。


◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕

◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット


鼎は穀物を煮炊きする三足と直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。

鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。

甑と釜と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!


.
0506日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 13:53:25.75
>>503
外国人ライター)エスクキューズミー!プリンスとね〜りサ〜ン
  「筑紫オホミコトモチ」ッテ何デスカ?「オホミコトモチのツカサ」トワ違ウデスカ〜?

舎人親王)あ、えっと・・・ 筑紫は分かるんだよな?
外)分カリマ〜ス! 那ノ懸デ〜ス!

舎)「オホミコトモチ」のオホは”ビッグ”って意味だけど、この場合は”トップ”って意味だな。
  「ミコトモチ」は”役人”って意味な。 だからオホミコトモチは”トップの役人”って事よ。
外)オーゥ!「筑紫オホミコトモチ」は”Governor-General of Tsukushi”デスネ〜!
  デワデワ〜、「オホミコトモチのツカサ」の「ツカサ」ワ何デスカ?

舎)「ツカサ」は”役人”の勤務先”役所”のことだから”オフィス”とかだな。
外)ワ〜ォ!筑紫大宰ワ「Governor-General of Tsukushi」デ。
  大宰府ワ「Tsukushi Headquarters」ッテ事デスネ〜!
  半島ノ「Ungjin(熊津)Headquarters」トワ違ウデスカ?

舎)あっちはお前さんの国が建てたんだろ。 まぁでも同じようなもんだよ。

外)プリンスとね〜り〜サ〜ン!ワタシVery deeply分カリマシタ!アプリシエイト!

数年後・・・
編)お〜い!お前ここ、27巻の天智6年の11月のとこ、これ英文で書いとけよ。
外)オマカセクッサ〜イ!
  In November 9th, Warlord RenYuan Liu of Tang army, sent back
  Mr. Iwatsumi Sakaibe of Big Mountain Under, and hundred POWs
  to Tsukushi Headquarters from Baekje. And also・・・
  編集長〜!デキマシタ〜!

1,300年後・・・
チ)倭国もウリたちと同じように唐に占領されたニダッ!筑紫都督府がその証拠ニダよ〜!
  熊津都督府と同じニダァァァ!
0507日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 14:15:35.45
高天原は金剛山のある御所市高天。
大和朝廷の発祥地でありそれ以外にない。
高天原が九州にあったなんて説は江戸末期に南九州説がでてきただけ。
ましてや高天原が北部九州にあったなんて説は、
最近の一部の人間の単なる主張であり歴史的に認められたものではない。
0508日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 14:24:12.28
>>492
前方後円墳の前進は前方後円形周溝墓。
瀬戸内や近畿各地にある。
奈良では最近、瀬田遺跡がみつかった。
それ以上でも以下でもない。
尾張の前方後方墳がルーツなど嘘を言うな。
0509日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 14:31:19.16
箸墓古墳と天皇の関係はある?
宮内庁の認定は、年代から完全に間違ってるけど。
0510日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 15:23:51.33
>これらから7世紀には高天原や天の原には明日香村や香具山がある
>奈良盆地一帯が万葉集や贈り名から認められる。

大化元年西暦645年から大宝2年12月22日西暦703年1月13日に生きた
天武天皇亡き後を継いで第41代持統天皇に即位。
奈良県高市郡明日香村大字野口にある檜隈大内陵

諱は鸕野讚良(うののさらら、うののささら)。 和風諡号は
[大倭根子天之廣野日女尊](おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)と
[高天原廣野姫天皇](たかまのはらひろのひめのすめらみこと)。

春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天香具山
天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出(い)でし月かも
0511日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 15:49:48.09
結局のところ、高天が原や天の原は時代によって移動してて
つまり、天孫降臨した子孫が都とする処、
天照大御神が降臨する山を定めた処=山処=ヤマトなんだよ。
0512日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 16:02:20.39
>>508
瀬戸内起源説者が意識的かそれとも無意識的にか見ないようにしているのが、前方部の撥型。
瀬戸内の突起付き円墳の突起は、最後まで撥型に開かない。
瀬田遺跡は奈良文化財研究所によって2世紀後半の築造とされているが、前方部は東田大塚古墳の前方部と類似しており、
東田大塚古墳の前方部を真似したものだろう。
したがって、瀬田遺跡の周溝墓は3世紀中頃のものであり、この時期には纏向墳丘墓群は完全周濠となっているので、
瀬田遺跡の墳丘墓の不完全周溝とは合わない。瀬田遺跡の周溝が完周していないのは瀬戸内の突起付き円墳のパターン通りということになる。
瀬田遺跡の周溝墓は瀬戸内系の突起付き円墳の流れを汲むものであり、突起部分を東田大塚古墳の前方部形式を取り入れて作り替えたものだろう。
瀬田遺跡の墳丘墓は奈良文研によって2世紀後半のものとされるが、その時期は疑わしいとする意見がみられる。
0513日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 16:14:14.04
日本人は韓人とアイヌの合いの子です
0515日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 16:45:15.05
山処(やまと)の意味 - goo国語辞書

山処(やまと)とは。意味や解説、類語。山のあたり。山。
「泣かじとは汝 (な) は云ふとも山処(やまと)の一本薄 (ひともとすすき) 」
〈古事記・上・歌謡〉
0517日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 18:03:35.10
>>499

広開土王碑というのがあって、倭が半島奥地まで攻めてきたのを、広開土王が追い返して討伐したことを讃える陽だ。
つまり倭は半島への侵攻能力はあった。
0518日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 18:14:10.41
>>502
>推古朝の時系列的存在性や即位事実でもアヤシイ、
>って言うんだから、
>天からの継承が後付けなら、高天原を天界以外に想定できるわけが無い。
>これを認めないなら、記紀は歴史書ではない。

そんなものを認めたら歴史書ではなくなる。
解決方法の一つは、別の王朝だったということ。
筑紫と大和が別王権で、大和が統一政権を打ち立ててから、筑紫の歴史をなかったものにして上書きしたんだよ。
0519日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 18:35:47.72
>>514
>天照大御神が降臨する処=山処=ヤマト

そんなことは記紀のどこにも書いてない。
0520日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 19:18:30.90
>>517
その倭が列島にいた軍勢とは限らない
0521日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 19:27:55.44
倭は扶余族が支配する九州国
新羅によって征服された
0522日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 19:29:36.29
>>518
まあ、おおむね正しいが、最後の行の「上書きした」て何なのよ。
九州王朝に歴史書があったというファンタジーか。
0523日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 19:30:22.27
日本と倭を混同するのは国家主義史観の産物
倭が韓半島南部に関わりを持っていたのを利用して日本が韓半島を支配することに歴史的正統性を持たせようとした
これは政治によって歪められた帝国主義的史観に他ならない
0524日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 19:32:30.55
倭国は扶余族の国だから韓半島南部に関わりがあったとしても日本とは関係がない
だから日帝の植民地支配は不当である
これを主張されると困る反動主義者が九州倭国の存在を否定しているのだ
0525日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 20:11:14.33
>>515
ヤマトは5世紀にできた国名だろう。
古事記の歌にヤマトが出てきても普通に当たり前。
0526日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 20:47:34.65
隋書・北史倭国伝
『隋書』都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。

邪摩堆(大和)に都しており、魏志で謂うところの邪馬臺者である。

裴世清が邪摩堆(大和)について以降、隋書では倭王との会談の様子が記述されている。
0527日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 21:15:03.08
>>526
北部九州にあった邪馬台国を5世紀頃に大和が僭称し、隋の使節団が列島にわたった時期には彼らも大和を卑弥呼の邪馬台国だと勘違いしていただけ。
また、この時期の大和の為政者たちも自分たちの国が邪馬台国の発展したものだと勘違いするようになっていた。
勘違い者たちが「うん、ここは邪馬台国から発展したんだね」と勘違いを認め合ったということ。
0528日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 21:15:35.08
当時の邪摩堆が畿内である根拠は何もない
0529日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 21:25:53.48
>>520
>>517
>その倭が列島にいた軍勢とは限らない

実は九州
0530日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 21:29:18.30
東大寺山古墳

古墳時代前期中葉にあたる4世紀後半頃の築造とされ、副葬品の中には24文字を金象嵌で表し、
西暦184年-188年にあたる「中平」年間の紀年銘を持つ鉄刀がある。

天理市和邇(わに)から櫟本(いちのもと)にかけては、和邇氏族の拠点であり、
関連一族が築造したと推定される古墳が平野部との比高差約70メートルの丘陵上に
点在している。その一つが本古墳である。
0531日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 21:30:03.82
粘土槨の東西に墓壙が掘られ、豊富な武器や武具が副葬されていた。
その東側の墓壙(粘土槨)から「中平」の年号を持つ刀が出土した。
鉄刀20本、鉄剣9本などの武器類のほか、玉類、腕輪形石製品、滑石製の壺などが出土している。

「中平」銘鉄刀を含む5本の装飾環頭付きの鉄刀(大刀)の環頭は、様々な意匠を表している。
基本的には楽浪の石巌里(せきがんり)の古墳で出土しているような環の中に三葉形を入れた
三葉環である。三葉環の鉄刀は、福岡市の若八幡宮古墳(4世紀)から出土している。

鉄刀の中には、家形の環頭(かんとう)をつけた刀もあり、奈良県河合町の佐味田宝塚古墳
出土の家屋文鏡の鏡背に表された家屋と形体が類似している。
0532日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 21:38:47.21
倭王武の上奏文​
東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。

渡りて海北(朝鮮半島)を平らぐること、九十五国。

王道融泰(ゆうたい)にして、土を廓(ひら)き畿を遐(はるか)にす。
累葉朝宗(るいようちょうそう)して歳(としごと)に愆(あやま)らず。」(『宋書』倭国伝)
0533日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 22:41:37.54
.



最古水田菜畑に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。


◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕

◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット


鼎は穀物を煮炊きする三足と直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。

鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。

甑と釜と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!


.
0534日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 23:00:33.88
南朝の滅亡で漢民族だけが天子を名乗れる特権が崩壊。北朝の隋唐に天皇、倭皇、日出る天子を名乗ったのは倭国が国際情勢をよく知ってたってこと。
0535日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/15(月) 23:20:54.15
勾玉を祭祀者の核心的祭具とする天皇と、中国起源の鏡を天照大神の分身とした伊勢神宮は、果たして並び立つのだろうか。
この両者の役割はルーツをそれぞれ異にするものであり、天皇は勾玉を持って祭祀し、伊勢神宮は鏡を持って神祇を統制した。
両者は、決して同じ道を歩いているのではないと思われる。
0536日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 00:08:01.31
隋糖は北狄だからな
0538日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 08:26:07.03
渡来人たる天皇は鏡で、それ以前の土着の権威が勾玉だろ。
0539日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 08:28:05.51
もし鏡が天皇のシンボルではなく、鏡で神祇(天皇家そのもの)を統制しているのなら、どこかで皇統がすり替わっていることになる。
まあ、それが崇神の時なのかもしれないけどね。
0540日本@名無史さん
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2020/06/16(火) 11:05:45.70
>皇室は縄文系Y-DNAだった事が、オクスフォード大学・遺伝学研究チームの分析で確定。

N253487 Sumeramikoto (Emperor of Japan) D-CTS8093
https://www.familytreedna.com/public/japan/default.aspx?section=ycolorized

https://wiki3.jp/famousdna/page/23
伏見宮家
伏見宮家のY染色体遺伝子は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)。
これは、伏見宮家の男系子孫1名から得られた解析の結果に基づく。

東山天皇
人皇第113代・東山天皇(Emperor Higashiyama, 1675-1710)のY染色体遺伝子は、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)(注3)。
これは、東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔粘膜の解析による(注7)(注8)。

南朝・後村上天皇
南朝・後村上天皇(Emperor Gomurakami, 1328-1368)の男系子孫のY染色体を調査した結果、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であることが判明した(注1)(注2)。

近衞文麿
内閣総理大臣を務めた、近衞文麿(Fumimaro Konoe, 1891-1945)のY染色体は、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)。

2019年6月19日改訂のISOGGより D1a2(旧D1b1'2)に変更。
「縄文系」のD1a2(旧D1b)、(チベットD1a1)

オクスフォード大学の遺伝学研究チームのクリス・テイラースミス(Chris Tyler-Smith)及び、
カラー・レッド(Color Red)は、日本人男性のY染色体の一塩基多型(SNPs)および
縦列反復数(STRs)を解析した結果、天皇家のハプロタイプは(D-CTS8093)に属する
系統であると結論づけました。
0541日本@名無史さん
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2020/06/16(火) 11:27:00.63
>>520
>>517
>その倭が列島にいた軍勢とは限らない

倭は九州
韓人か支配した国
白村江の戦いで新羅に征服されて筑紫都督府になり
やがて日本国つまり奈良百済国によって回収された
0543日本@名無史さん
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2020/06/16(火) 12:32:10.11
>>761



早くから、稲作の起源が長江中・下流域にあると主張してきた北京大学の厳文明教授は、
一九八八年に静岡市で開かれた「日本における稲作農耕の起源と展開」のシンポジウムで、
遺跡から出土した資料による栽培稲の年代と分布からみて、北回り説が最も可能性を
持ったルートだと講演しました。

中国・朝鮮・日本の水田跡や出土した農耕具にみられる個性、共通性から稲作伝播の様子を
解明したのが愛媛大学の田崎博之教授でした。

田崎教授は、中国・長江流域(馬家浜文化後期・紀元前約四〇〇〇年前)、
朝鮮半島(無文土器前期・紀元前七〇〇年前後)、
日本(縄文晩期終末=弥生早期・紀元前五〇〇年ころ)の水田跡の形、水利施設の有無、
水田が造られた地形、土壌などを比較しました。

また、掘り棒やクワ(鍬)、スキ(鋤)などの農耕具の共通性と個性を検討。
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく、
クワの系譜が山東半島―朝鮮半島―九州であることを調べました。

「農耕具の流れ・系譜からみて稲作伝播は北回りルートしか考えられません。
そうでないと、日本でのクワの成立はありえません」と同教授はいいます。

http://www.nouminren.ne.jp/dat/200205/2002050621.htm


.
0544日本@名無史さん
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2020/06/16(火) 12:56:26.44
推奨NGワード


@阿波
河姆渡
良渚
木骨泥墻





韓人
オクキョン
氏名と所属団体
サギー
チンク
ツカポコタカ
セローイ
アッー
0545日本@名無史さん
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2020/06/16(火) 14:36:19.19
.



今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません


.
0546日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 15:02:13.18
>>539
鏡を天皇に結びつけたのが天照大神の分身が鏡だとする思想であり、
この思想が作られる以前は、鏡は天皇と不可分の霊器ではなかったと思われる。
天皇と不可分であったのは勾玉だけだっただろう。
0547日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 16:21:41.97
>>545
朝鮮ヒトモドキどもは通称「松菊里型住居」が日本列島の縄文遺跡や弥生遺跡から多数発見されている事と同遺跡の炭化米出土を根拠に
「ウリたちが住居も稲も倭人に教えてやったニダ」とホルホルしていますが愚の骨頂です

松菊里遺跡は1975年に発見され、1977年に命名されました
板付遺跡は1978年、菜畑遺跡は1979年に発見され、発掘調査を開始しました
学問に対して謙虚な日本の研究者が先に命名した韓国側を尊重し、この名称を用いたに過ぎません

現時点までの炭素年代測定で判明しているのは
菜畑遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前900年」頃
板付遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前600年」頃
松菊里遺跡の「住居跡」ならびに「炭化米」は「紀元前500年」頃
という客観的事実だけです

松菊里に水田遺構は発見されておらず、朝鮮半島最古の水田遺構は20Km南にある麻田里(マジョンニ)遺跡の「紀元前300年」です

朝鮮ヒトモドキどもは玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡はさらに古いなどと言い出しましたが、炭素年代測定を意図的に行わず隣国からの共同研究を頑なに拒んだ上に理由もなく埋め戻すという隠蔽工作を行いました
韓国では玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為として、すでに歴史学の恥部となっています

しかも松菊里型住居は現在では日本の竪穴式住居の劣化コピーであることが判明し、証拠として北緯36度線より北にあるにもかかわらず炉の形跡がない、一柱支から三柱支への移行遺構が存在しないなど多数に及びます

これら客観的な科学検証に基づけば3千年前には水稲や竪穴式住居を完成させた縄文人が朝鮮半島に入植し、朝鮮ヒトモドキどもを指導し支配下に置いていたことが明確です

支配していた根拠として挙げられるのは日本人特有と言えるY染色体O2b1で朝鮮半島では北緯36度線以北には存在していません
寒さに弱かった縄文人は北緯36度線以北は朝鮮ヒトモドキに開拓させていたという傍証であり、住居跡に炉がないことの理由と結論付けられます

魏志韓伝にもあるように馬韓の南は倭人の国であり、むしろ三韓は北から魏の影響を受け、南から倭の影響を受けて発達したと断定できます
0548日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 17:25:59.83
勾玉は縄文の旧勢力、天皇は鏡を使う渡来系。
0549日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 17:30:30.02
>>546
剣についても、三種の神器の剣としては、スサノオが退治した出雲のオロチの尾から出た剣がそれであるとされ、ヤマトタケルが東征する際に用いたとされる。
天照大神の分身である鏡とパターンが似ている。
いずれも神話的な背景があり、しかも伊勢と熱田に置かれていて、鏡と剣は明らかに東国経営の抑えとしての意味がうかがえるようにみえる。
とすると、東国経営が本格化するのは5世紀頃からであるので、東国への海路の要衝にある伊勢神宮に鏡、陸路の要衝にある熱田神宮に剣が置かれるのはその頃であると考えることができる。
これは、明らかに政治的な動機によるものであろう。
そして、この鏡と剣がアマテラスの鏡、スサノオの剣と設定されるのは、6世紀後半ではないだろうか。
0550日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 17:53:19.88
>>549
この時点で鏡と剣はイザナギ、イザナミにまでつながることになり、日本創生以来の神器として確定する。
このような思想によって、アマテラスの鏡、スサノオの剣が設定されたのだろう。
一方、勾玉については、このような神話による関連づけはない。
勾玉を天皇が持つことについて、それが政治的な所産でないことは明らかだ。
0551日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 19:31:11.61
>>539
皇統の一系性が疑われるのは、やはり継体の時ではあるま〜いか。
継体が天皇の資格を認定されるのは皇女であった皇后のおかげであるし、
皇女である皇后が天皇の資格を認定するというパターンはそのあとも続く。
この「皇女である皇后」が天照大神の原像だろうな。
0552日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 19:53:34.11
>>543
田崎先生が言っているのは、山東半島→遼東半島→朝鮮半島→九州ですよ。
遼東半島は緯度言えば、秋田県大館市あたりと同じ。
この地域は、弥生時代に一旦水田が開かれるが、その後放棄されて水稲栽培は行われなかったとみられている地域。
早場米の品種がまだなかったのだろう。
この点が佐藤洋一郎先生が指摘していることであり、仮に超早場米の水稲品種があったとしても、その超早場米の品種は朝鮮半島や菜畑などの晩生品種には戻らず十分に生育しないということだね。
したがって、晩生のまま朝鮮半島や九州にもたらされたとすれば、山東半島から直接朝鮮半島南部や九州へ、あるいは東シナ海を直接朝鮮半島南部や九州へともたらされた別のルートがあったのではないかというわけ。
北回り説は、農学からすると首を傾げる説ということになってくるようだ。
0553日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 19:54:29.48
継体だけではなく、安閑、宣化、欽明も、旧体制の系譜の皇女を娶るという異常性。
やはり、継体は謎の人物で血が繋がって無かったから、皇女を娶らざるを得なかったのだろうな。
だいたい皇女はぶちゃいくと相場が決まっているから。
0554日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 20:08:07.74
>>543
クワの語彙を使っていたのは淮河下流域の淮夷O1b2種族。
彼らが山東半島沿岸→朝鮮半島中部沿岸→素通り→南岸地域→菜畑のルートでクワの語彙をもたらした。
その後、菜畑から半島南部地方へ水稲が伝わった。
韓国の鍬の語彙はクウェンギーであり、日本語のクワの変化のようだ。
0555日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 20:32:21.79
>>549
>とすると、東国経営が本格化するのは5世紀頃からであるので、東国への海路の要衝にある伊勢神宮に鏡、陸路の要衝にある熱田神宮に剣が置かれるのはその頃であると考えることができる。

熱田神宮は海路の要衝だぞ。
東国経営が5世紀からというのも根拠がない。
ヤマトタケルの東国遠征は4世紀頃の説話だからだ。

>そして、この鏡と剣がアマテラスの鏡、スサノオの剣と設定されるのは、6世紀後半ではないだろうか。

まったくの妄想としか言いようがない。
アマテラスの鏡が伊勢に落ち着いたのも推定で4世紀だ。

嘘ばかり並べるこのアホは何者だ?
0556日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 21:18:07.97
.



今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません


.
0557日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 23:01:07.68
>>555
熱田は四日市、桑名から熱田への舟での渡し。
あとは信濃への陸路。
5世紀初頭から本格的な東国経営というのは、松阪と伊勢に前方後円墳ができるのが5世紀だから。
それまでは、松阪の少し北の一志に前方後方墳が造られていた。
松阪の前方後円墳の被葬者は対岸の三河と連携して伊勢湾の海運を牛耳った。大和から進出してきた勢力らしい。
同じ頃に伊勢にも前方後円墳が造られた。
応神政権による東国への橋頭保が築かれたということ。
熱田は物部が四日市の勢力を抑え込んだあとに確保された拠点だろう。5世紀初頭より少し遅れるようだ。

伊勢に5世紀頃に置かれた神は、日神だろう。
この日神が天照大神に転換するのが6世紀後半。
東国経営が安定して、大和の政権が国司の紛争に介入して影響力を行使するのが6世紀後半。
豊受比売神が丹後から遷座して伊勢の神に変化が起こるのもこの頃。
日神が天照大神に転換したのがこの頃だろう。
鏡が天照の分身であるとする神話ができたのが、ころ頃ということになる。

いろいろ歴史のパーツを組み立ててみると、その歴史の実態が浮かび上がってくる。
いろいろ努力してみたまえ。
0558日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/16(火) 23:09:20.77
>>553
ぶちゃいくな皇女のなかにも、推古のような容姿端麗組もあったようだし。
0559日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 00:21:37.19
卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人 更立男王 國中不服 更相誅殺 當時殺千餘人
 復立卑弥呼宗女壹與年十三為王 國中遂定 政等以檄告喩壹與

「卑弥呼以って死す。冢を大きく作る。径百余歩。徇葬者は奴婢百余人。更に男王を立つ。国中服さず。
更に相誅殺し、当時、千余人を殺す。復(また)、卑弥呼の宗女、壱与、年十三を立てて王と為す。
国中遂に定まる。政等は檄を以って壱与に告諭す。」
    事代主
     ┣━━━━━━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)后━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
    建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃           ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ后(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津媛━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主            孝昭

以前にも言ったがトヨ津媛の一世代前の建甕尻は、先代旧事本紀・巻第四地祇本紀では、別命をタケミカヅチと書かれている。
ヒミコの死後、トヨの即位前に男王が立ち、千余人が死ぬ争いとは「タケミカヅチ VS タケミナカタ」の事であろう。
時系列が見事に一致する。
記紀では魏志倭人伝を説明してしまう事になるため、あえて時代を変えて「神代」としたのであろう。

(続く)
0560日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 00:21:56.90
・敗れたタケミナカタ

長野県内各地にはタケミナカタの逃亡・諏訪入りにまつわる伝承のある場所がいくつか存在する[17]。
下伊那郡豊丘村に伝わる伝承によれば、タケミカヅチがようやくタケミナカタに追いついたところ、
タケミナカタが降参し、タケミカヅチと和睦を結んだ。
同村にある御手形神社には、終戦の印として両者の手形を彫り残したといわれる石がある。
その後、タケミナカタが豊丘村から隣の大鹿村に移って、しばらくそこに滞在したという[18][19]。
このことから、大鹿村鹿塩梨原にある葦原神社はかつて「本(もと)諏訪社」と呼ばれていた。(wiki)


タケミナカタの敗走を時系列で説明すれば、諏訪の前に大鹿村にいて、その前に豊岡村にいたと言うことになる。
豊岡村は天竜川沿いにある。
その天竜川を下れば銅鐸最終集積地である浜松・磐田・袋井にたどり着く。

すなわち「タケミカヅチ VS タケミナカタ」の争いは狗奴国こと静岡での出来事であったのだろう。
敗れたタケミナカタが天竜川を遡り敗走、タケミカヅチが追いかけたのであろう。

まさに千曲川(血隈川)の伝承にある高天原(金剛山)の神々の大きな戦いである。
0561日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 01:01:58.54
>>552
>>554



まず一番大切な事は、


稲作が中国から直接伝わったと唱えている考古学者が


一 人 も い な い 


という事


.
0562日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 02:37:34.09
>>556
無能ヒトモドキ(https://sites.google.com/view/jhistory)を筆頭に、朝鮮ヒトモドキどもは
通称「松菊里(ソングンニ or ソングンリ)型住居」が日本列島の縄文遺跡や弥生遺跡から多数発見されている事と同遺跡の炭化米出土を根拠に
「ウリたちが住居も稲も倭人に教えてやったニダ」とホルホルしていますが愚の骨頂です

松菊里遺跡は1975年に発見され、1977年に命名されました
板付遺跡は1978年、菜畑遺跡は1979年に発見され、発掘調査を開始しました
学問に対して謙虚な日本の研究者が先に命名した韓国側を尊重し、この名称を用いたに過ぎません

現時点までの炭素年代測定で判明しているのは
菜畑遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前900年」頃
板付遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前600年」頃
松菊里遺跡の「住居跡」ならびに「炭化米」は「紀元前500年」頃
という客観的事実だけです

松菊里に水田遺構は発見されておらず、朝鮮半島最古の水田遺構は20Km南にある麻田里(マジョンニ or マジョンリ)遺跡の「紀元前300年」です

朝鮮ヒトモドキどもは玉峴(オクヒョン or オクキョン)遺跡はさらに古いなどと言い出しましたが、炭素年代測定を意図的に行わず隣国からの共同研究を頑なに拒んだ上に理由もなく埋め戻すという隠蔽工作を行いました
韓国では玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為として、すでに歴史学の恥部となっています
しかも松菊里型住居は現在では日本の竪穴式住居の劣化コピーであることが判明し、証拠として北緯36度線より北にあるにもかかわらず炉の形跡がない、一柱支から三柱支への移行遺構が存在しないなど多数に及びます

これら客観的な科学検証に基づけば3千年前には水稲や竪穴式住居を完成させた縄文人が朝鮮半島に入植し、朝鮮ヒトモドキどもを指導し支配下に置いていたことが明確です

支配していた根拠として挙げられるのは日本人特有と言えるY染色体O2b1で朝鮮半島では北緯36度線以北には存在していません
寒さに弱かった縄文人は北緯36度線以北は朝鮮ヒトモドキに開拓させていたという傍証であり、住居跡に炉がないことの理由と結論付けられます

魏志韓伝にもあるように馬韓の南は倭人の国であり、むしろ三韓は北から魏の影響を受け、南から倭の影響を受けて発達したと断定できます
0563日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 07:13:15.74
天武が皇后の病気快癒を寺に祈ったのは確か
天皇より天照大神より仏のほうが上と認めたと言う事
武士たちが仏を拝めば 天皇は普通の地上の人になって
天皇の優位性はなくなる
宗教は文化であり思想だ
天照信仰から仏教信仰に変わった時
天皇崇拝が衰退に向かった
0564日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 07:24:32.27
>>557
>あとは信濃への陸路。

信濃へは日本海側からのアクセスが一般的だ。
甲信越の名は単なる寄せ集めではなく、歴史的地理的に一体だからだ。
長々と屁理屈を書いているが、書き出しから無価値の駄文。
0565日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 07:25:52.84
>>558
推古が容姿端麗だなんて初めて聞いた。
持統は漫画で美人に描かれているのは見た。
0566日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 07:31:21.70
>>563
仏教の優位はその前の物部戦争で決着しているし、武士の登場は数百年は後だ。
その一方で、天皇の絶対的地位を確立して神格化を進めたのが天武だとされている。

お前の言うことは何から何まで嘘だな、キナイコシ
0567日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 07:41:02.72
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。

筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓         近江→尾張→伊勢→纏向

宇佐→安芸・伊予→阿波・吉備→淡路島→摂津・河内

【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入

1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入

2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→3世紀初に畿内から庄内式土器が博多湾へ流入

3世紀末に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入

支配は西から東へ拡大し、土器などの産物は王都である筑紫へ
0568日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 07:41:49.61
日本の歴史も地理も無視する異人キナイコシ
0569日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 10:36:30.21
縄文の司祭→倭の王→日本の皇帝→公家の王→列強の君主→日本の象徴
0570日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 10:37:58.42
キナイコシの妄想
0571日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 12:15:32.25
>>567
単なる地域間交易ルートを政治権力の拡大とみるファンタジー歴史観。
0572日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 12:17:22.65
>>565
歴史を見て来たウィキが容姿端麗だったと書いているからには、
間違いないだろう。
0573日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 12:29:35.02
>>564
弥生後期には若狭から信濃へ進み、信濃から関東へ出る交易路が確立していた。
これは博多からの山陰沿岸交易路の支流の一つだ。
この若狭からさらに北へ行って、越から埼玉方面へ出るルートもあり、これはおぬしが言っているルートだな。
5世紀後半には伊賀→四日市→多治見→諏訪→関東の陸上ルートも確立した。
このルートの確立では物部が四日市の在地氏族と戦って交易ルートを牛耳ったことで奈良から尾張を経て諏訪、埼玉へのルートが一本化された。
都から関東へ陸路一本で行く交易路が初めてできた。
0574日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 12:35:29.30
>>561
半島のオクキョンが怪しい以上、水稲は中国から菜畑へ一直線というシナリオ以外にない。
0575日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 12:52:02.84
>>573
物部による新しい交易路ができたということだな。
それならわかる。
ただしその時期は5世紀より前だろう。
纒向は尾張の土器が多いから、その時点で奈良から尾張まで伊勢湾沿岸の交易が成立していたはずだ。
纒向が5世紀というならわからなくもないがw
それでも、その主役が饒速日に始まる物部氏なら、神武並みに古い話でもあったはず。
そして、その頃はまだ都は筑紫であり、日本海交易路は現在だったろう。
0576日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 12:53:09.37
推奨NGワード


@阿波
河姆渡
良渚
木骨泥墻





オクキョン
氏名と所属団体
サギー
チンク
ツカポコタカ
セローイ
アッー
0577日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 14:22:14.55
.



◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!


.
0578日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 16:00:38.75
若狭〜信濃って?
甲斐や諏訪へは鎌倉街道、清水への、身延や河口湖ルートが先。
400年辺りの馬はこのルート。

甲斐を通らない武蔵高崎小諸塩尻木曽の中山道は相当後。てか、馬が先。
木曽川は飛騨に山越えなきゃ太平洋側だし?

黒曜石なら日本海ルートは千曲川〜長野か
安曇野〜翡翠の糸魚川だが海神族は別物。
信濃川も長野上越以下〜新潟まで北上しちゃったらもはや地の果てでしょw
0579日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 18:34:45.94
馬がなかった時代の話をしていたつもり。
出来る限り海または川を使うんだよ。
しかも弥生時代は日本海交易路が主力だから、越後から信濃に入る。
関東へは甲斐を抜けて武蔵へ。
0580日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 19:53:01.94
>>578
弥生後期に鉄刀と銅釧が若狭あたりから長野、関東へ運ばれたとする研究がある。
この鉄刀と銅釧のルートは、旧来の越後から北関東へ行くルートとは別のもの。
この別ルートによる鉄刀と銅訓の交易は丹後〜明石線以東の東日本に激震を呼び起こし、その振動が古墳時代を開いて行くというのが日本における鉄の歴史の後半だという。
0581日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 20:04:01.53
妄想乙。

関東最古の大社という鷲宮神社は、出雲国譲りより前に天穂日命と御子神の武夷鳥命が東国を経営するため、お供の昌彦・昌武の父子と出雲族27人の部族と共に当地に到着し、地元の部族と共に当地の鎮守として大己貴命を祀ったのに始まると伝える。
このルートがまさに越後から諏訪、甲斐を通過する古代の内陸の主要交通路だ。
越後から北関東へと言っても、当時は三国峠など越えられなかった。
0582日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 20:10:01.26
>>575
尾張から奈良盆地東南部へ行く交易路は、尾張→伊勢湾沿岸→一志→宇陀→奈良盆地東南部のルート。
東国からは伊良湖→鳥羽→伊勢→宇陀→奈良盆地東南部のルート。
いずれも海路が基本。
このルートに対して、奈良盆地北部→伊賀→四日市→桑名→尾張の陸上ルートが物部によって幹線化される。五世紀後半。
後に、このルートで四日市に駅が置かれる。
この陸上ルートは五世紀後半に尾張→多治見→諏訪→埼玉のルートにつながる。
鉄刀で有名な埼玉行田の氏族が、雄略天皇の宮の警護に赴くのにこのルートを使った。
0583日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 20:14:01.28
だからさ、なんで物部なのに5世紀なんだよ。
もっと古い氏族だろ。
0584日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 20:21:35.19
関東鎮守の鹿島香取が国譲りに関わる武甕槌と布津主を祭るが、この二社は太平洋に面した香取海の入り口に建てられていた。
つまり、出雲族が諏訪を拠点に陸路で関東入りしたのに対し、筑紫の海神族は海路で関東入りしたんだよ。
その途中に手土産げで登呂などを開発していた。
物部もその一族なわけだ。
尾張から関東にわざわざ内陸を通る必要はない。
ちなみに鹿島の名は志賀島に由来する。

あと、埼玉は基本的に出雲系だ。「大宮」はオオナムチを祭るんだぞ。
あまり出鱈目ばかり振りまかないでくれ。
0585日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 20:33:27.63
キナイコシは日本の古社や古伝、地理を無視した口から出任せばかり。
0586日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 20:35:29.88
>>581
上越あたりから鷲宮に行くルートは博多→出雲→日本海沿岸の弥生時代の幹線ルート。
奈良盆地東南部が都として機能するようになってからは、遠回りのルートなったために、海路であれば東海から天竜川を遡るルート、または三重一志から尾張へ海路を取り、尾張から多治見→諏訪→行田→鷲宮だっただろう。
しかし、いずれも遠回りとなる。
そこで、奈良盆地から伊賀→四日市→桑名→尾張の直行する陸路が是非必要になっていた。
これを物部が四日市の現地勢力にむりやり武力で挑んでこのルートを制圧した。
雄略の頃だ。
この結果、東国と奈良盆地の政権が直結した。
0587日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 20:45:44.54
>>584
鹿島が拠点となるのは、千葉九十九里浜の横芝光町あたりに大和朝廷の海路による拠点「むさ国」が開かれてから。
この拠点を橋頭保として東北の蝦夷に対する政策が進行した。6世紀後半。
鹿島はそうした大和朝廷の東北経営の拠点として発展した。
0588日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 21:04:24.58
>>583
石上神社のある杣之内に鉄器工房などがつくられたのは5世紀後半。
最初の古墳もその時期に当たる。
物部氏が奈良盆地に進出するのはその頃。
0589日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 21:25:39.52
北部九州勢力が奈良盆地に入って来たのは、
弥生終末と古墳初期の間で庄内式土器(厚さ2~3mの驚異的土器)の時代、
纒向の布留式土器同時かまえで、

卑弥呼時代2〜3世紀、この頃北部九州では多くの遺跡から出土するが
奈良盆地では一部の遺跡しか出土しない、少ない。
0591日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 21:34:21.18
.



◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!


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0592日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 23:43:43.15
>>589
河内庄内甕が博多で出ていて、その時期は3世紀中頃だそうだ。
何が起こったのかということだな。
0593日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/17(水) 23:44:35.45
>>592
生口が連れてこられた
0594日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 01:49:58.90
>>592
卑弥呼が八女あたりで死んだ頃だよ。
河内庄内甕が博多で出て、そのあと大和には鉄器があふれるようになるの。
博多で何が起こったか自ずと明らかね。
0595日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 08:33:21.84
>>586
奈良から伊勢湾に出るにはどうしても山を越えなくてはいけない。
しかしそこから関東へは太平洋の黒潮で良い。
天竜川を遡る?
バカだろ。
あれは木材の搬出のための下りが主だ。
0596日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 08:40:16.18
>>594
神武が奈良に入り、饒速日の亡骸が筑紫に帰還した。
0597日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 12:07:29.64
金属器生産からみた木津川・淀川流域の弥生〜古墳時代集落
http://hmuseum.doshisha.ac.jp/html/research/kizuyodo/pdf/chapter9.pdf

同志社大学歴史資料館第4期南山城総合学術調査
「木津川・淀川水系の弥生〜古墳社会に関する研究」の主たる調査対象として、

木津川・淀川流域内の弥生時代から古墳時代の集落のすべてが、金属器生産を行う遺跡
(以下、青銅器生産を行う遺跡を「鋳造遺跡」、 鉄器生産を行う遺跡を「鍛冶遺跡」という。)
というわけでなく、金属工人の配置には首長層以上の意向が反映され、

加えて一般の農耕生産を基盤とする集落よりも、首長層が葬られたであろう墳墓と
集落との関係性も明確化しやすいと考えたためである。
0598日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 12:08:08.56
http://hmuseum.doshisha.ac.jp/html/research/kizuyodo/pdf/chapter9.pdf
表2 弥生時代から古墳時代前期の鍛冶遺跡(淀川.木津川水系.鉄器遺跡)

京都市----------------羽口 鍛冶具 滓 砥石 炉壁・炉 文献 床 その他 炉
中臣遺跡85次 弥生.後〜古墳.初 ● 台石 ● 粘土塊 鉄器 ● 多角形建物
西京極遺跡06年次 弥・後前● ● 白色粘土粒状滓、鍛造剥片用遺物● 白色粘土
和泉式部町遺跡87年次 弥・後〜古・初●台石● 白色粘土鉄斧多角形建物
向日市
南条遺跡3次 弥・後前●鉄器2点(鉄斧ほか)多角形建物
中海道遺跡32次 古・初● ● 刀子片●焼土鍛冶工房
高槻市
古曽部・芝谷遺跡72-73、91-92年次 弥・後● 鉄器17点、砥石●焼土
八幡市
美濃山廃寺下層遺跡11次 弥・後後炭塊●小穴6基
京田辺市
田辺天神山遺跡68年次 弥・後後〜古・初● 鉄器7点●焼土多角形建物
枚方市
星ヶ丘遺跡1次 弥・後後●鉄片50点以上、鉄塊、鋳造鉄斧再加工品●
鷹塚山遺跡1次 弥・後後●鉄器12点、銅鏃1点●焼土多角形建物?
豊中市
穂積遺跡27次 古・初●蒲鉾形

表3 古墳時代中期から後期の鍛冶遺跡(25遺跡〜30遺跡、表3に掲載)
0599日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 12:08:58.27
3.鍛冶遺跡について  (1)概要(表2、3) 
弥生時代中期
 この時期には木津川・淀川流域において鍛冶遺跡は確認されていない。

大和川旧下流域では鬼虎川遺跡において、中期後葉の可鍛鋳鉄製の鋳造鉄斧を
摺り切り研磨において鑿状鉄器にした痕跡のほか、鉄鏃も同様の技法を用いて作られている。

これはすでに弥生時代前期には確認された技法である。
このほか、奈良盆地の唐古・鍵遺跡は中期前葉の銅鑿は銅剣を擦り切り研磨のうえ、
再利用して作っている。これら金属器の再加工は石器のそれと同じ技法で、
広く東北アジア一帯で行われていた。
木津川・淀川流域ではこれまでのところ、この鉄器生産の痕跡は確認されていないが、
資料を再調査すれば中期に遡る遺跡が確認される可能性は高いと思う。
0600日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 12:10:25.29
弥生時代後期
 砥石や多量の鉄器が出土した竪穴住居内で、火を用いた痕跡のある例が多く存在することが
分かってきた。 羽口を使わずに、熱間鍛造するだけの鉄器生産の段階である。
木津川・淀川流域の京都府側では京都市中臣遺跡、西京極遺跡、
京田辺市田辺天神山遺跡などがあり、

大阪府側では先に述べた高槻市古曽部・芝谷遺跡のほか、枚方市星ケ丘遺跡、
鷹塚山遺跡などでもその痕跡が認められる。遺跡の多くでは多角形状住居が確認されている。

なお、星ケ丘遺跡では素材やそれを鉄器に裁断した残りの切れ端のほか、
擦り切り研磨で再加工可能な鋳造鉄斧片も出土し、中期段階の鍛冶の様相も一部に残している。

大和川旧下流域や奈良盆地の遺跡においても今後検討が必要であろうが、
大阪府四條畷市雁屋遺跡や終末期の奈良県桜井市脇本遺跡で確認されている。
0601日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 12:11:14.23
滋賀県稲部遺跡(弥生後期中葉から古墳前期) - 邪馬台国大研究
http://inoues.net/ruins2/shiga_inabe.html

2019/10/17 - これまで邪馬台国時代の近畿には鉄が無いとされ、
滋賀県からも「鉄」の出土は皆無に近かったが、 今回「鉄」が大量が出土したのも...


 滋賀県彦根市彦富町の「稲部遺跡」2世紀から4世紀(弥生後期中葉から古墳前期)で、
王が居住するにふさわしい大型建物、独立棟持柱建物が発見され、
当時、保持することが勢力に大きな影響を与えた鉄器の生産が行われた鍛冶工房群、
青銅器の鋳造工房も発見されています。

最も栄えた時代は、(3世紀前半)の鉄器工房群の遺構約400平方メートル、180棟以上の
竪穴建物があったことを示す柱穴が確認され、 鉄器を作った際に出たと見られる
鉄片や鉄塊など計6キロと、鉄を加工する際の台石やハンマー用の石などが出土した。
同時期としては国内最大級の鉄器製造遺跡と位置付けられる。

中国の史書「魏志倭人伝」に記述のある「三十国」の一つとみられる重要な遺跡で、
市は国史跡指定を目指している。
0602日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 13:38:24.67
.



日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。


.
0603日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 14:54:41.39
>>601
稲部遺跡の鉄器工房跡や鉄器は古墳時代前期とされている。
古墳前期の年代は3世紀後半からの100年間で区切るのが普通。
3世紀後半から4世紀後半の時期なら、鉄器鍛造工房があってもおかしくない。
それを古墳時代初頭とする新聞記事があったり、古墳前期を3世紀前半とするものもあったりで、これらは信憑性がない。
弥生終末期(3世紀前半)に近江では鉄は出ていないよ。
0604日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 15:08:51.49
>>595
太平洋岸から諏訪へ行く秋葉街道と杖突街道があるだろう。
何を言っとるか。
ほどほどにしたまえ。
0605日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 15:11:51.32
>>596
饒速日は北河内に舞い降りたのだから、そのあたりに葬られたはずだな。
0606日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 15:34:59.85
>>588
饒速日は北河内の交野に舞い降りたと伝説に残る。
このあたりは、南の四条畷、北の枚方といずれも河内の馬飼いのエリアに当たる。
四条畷で馬飼いをしたリーダーは女真族であったとみられるので、饒速日は女真系の伝説ではないか。
モンゴルからカザフ平原にかけて太陽神信仰がみられ、また旧石器時代のモンゴルでは太陽を描いたとみられる岩絵が見つかっている。
饒速日は北河内の女真族の伝説だろうな。
物部氏と女真族は関係あるのかもな。
0607日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 16:12:27.41
まだ同じ話をしているの?すべて逆設定の話だろう。
大陸(中国だろう?)から渡ってきた人々のほうが上の人間、時代など関係ない。
0608日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 16:17:07.28
>>595
奈良から松阪、あるいは一志へでるには相当な距離を歩く必要がある。
松阪に出てから伊勢湾を北上して尾張に行くにも相当な距離だ。
一方、奈良から松阪までのその距離は奈良から鈴鹿、あるいは四日市までの距離に等しい。
そこで、雄略のときに奈良から伊賀を経て鈴鹿、四日市へのルートを掌握したのが朝明郎(あさけのいらつこ)征討だ。
この征討には物部菟代宿禰、物部目連が遣わされた。
五世紀の後半のこと。
この街道掌握によって、奈良から尾張を経て埼玉へ続く陸上の直行ルートが確立した。
0609日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 16:55:46.48
>>607
縄文弥生を通して日本には中国大陸から人が渡来定着した事が証明できる中国系の
生活痕遺構がない

繰り返す

縄文弥生を通して日本には中国大陸から人が渡来定着した事が証明できる中国系の
生活痕遺構がない


チンコロは出てけ!
0610日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 17:14:15.83
韓国渡来の天皇家
0611日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 17:55:59.66
>>605
>>596
>饒速日は北河内に舞い降りたのだから、そのあたりに葬られたはずだな。

亡くなってから故郷である王都の筑紫に亡骸が送られたんだとさ。
出典は先代旧事本紀かな?
0612日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 18:03:51.11
>>608
>この街道掌握によって、奈良から尾張を経て埼玉へ続く陸上の直行ルートが確立した。

古墳時代の関東の経営の拠点は埼玉ではなく、茨城の鹿島なの。
そしてそこにいたのは筑紫の志賀島の海神。
仮に尾張も参加していたとしても、尾張から鹿島にいちいち内陸を通るバカはいない。
君の意見は非合理的な妄想に過ぎない。
バカと話すのは疲れる。
0613日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 18:50:37.91
内陸の交通の便が悪い大和を王都だと考えるから、瀬戸内海に出るにはどうするのか、伊勢湾に出るにはどうするのかなどと悩むことになる。
記紀の神武が大和に即位して天皇となったという皇国史観そのままではないか。
前提が間違っているのだ。

畿内の開発の中心は瀬戸内海と直結した淀川であり、河内を押さえていた饒速日が権力者だ。
饒速日の末裔が物部氏と尾張氏であり、三種の神器の一つである草薙剣を祭る熱田神宮が尾張の中心となる。
纒向が尾張の勢力下であるのは、そのような背景がある。

関東でいえば旧香取海から広がる開発の中心であり、鹿島香取はのちの藤原氏となる中臣家の氏神であり、鹿島の名は古くは志賀島の海神に由来する。
今日でも天皇は皇居から鹿島香取を遥拝する。

そして河内、大和、尾張、鹿島のすべての勢力が筑紫の博多湾沿岸を故郷とした天津神(海の王)なのである。
唯一の例外が、諏訪から内陸を経由して武蔵に入った出雲の国津神であり、天照(海を支配する天神)により打ち負かされている。
0614日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 20:30:58.08
そして、藤原氏の守護神、常陸国鹿島の神、武甕槌命(タケミカヅチのミコト)が
白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神の使い(奈良公園の鹿)とする。
御蓋山の麓、春日の地に社殿を造営したのをもって、
春日神と呼ばれ、藤原氏の氏神としたのである。
0615日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 20:41:19.95
このような明確な日本の歴史の連続性を無視して、5世紀6世紀の歴史を改竄しようと嘘を並べ立てるキナイコシの所業は許されない。
0616日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 21:10:52.44
>>612
6世紀前半の武蔵の国の国造は埼玉の行田にあったとされるな。
笠原氏だ。ここには5世紀後半からの古墳群がある。
鹿島は常陸の国だろう。
0617日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 21:11:54.87
>>608
勉強になります
0618日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 21:14:46.68
.



日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。


.
0619日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 21:22:02.66
>>616
正解
0620日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 21:28:15.56
>>612
香島に神郡が置かれたのは孝徳天皇のときで、652年とされる。
常陸国風土記にそう書いてあるらしい。
まあ、鹿島の発展はその頃からじゃないの?
6世紀後半に房総半島にあった海上国に「むさ国」が置かれて東北経営が始まるので、その「むさ国」の北にある鹿島は「むさ国」の外港として発展したのだろうな。
鹿島の拠点としての活躍は案外新しいよ。
0621日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 22:17:47.93
>>611
旧事本紀では、饒速日は天上に葬られ、地上には登美の白庭邑に墓があるとされるな。
0622日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 22:39:30.66
>>620
それだと関東の古墳時代の始まりと考古学的に矛盾してしまう。
香取海についての記述はヤマトタケルまで遡るのだから、その後の発展も6世紀からということはあるまい。
0623日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/18(木) 23:37:31.44
>>622
関東の最古の前方後円墳は東京都大田区にある蓬莱山古墳で三世紀末の可能性が出てきているそうだ。
関東ではかなり早い時期から前方後円墳が造られている。
鹿島では宮中野古墳群があり100基の古墳がみられるそうだ。
この古墳群は6世紀〜7世紀に造られたようだ。
最大の夫婦塚古墳は6世紀中頃〜後半とされている。
一方、埼玉行田の稲荷山古墳は5世紀後半となっている。
まあ、この鹿島の古墳群からみると、大型前方後円墳をつくるほどの氏族が現われるのは6世紀中頃ということだから、
鹿島は、やはり大和朝廷の東北経営が始まってからの発展ということになってくるようにみえる。
0624日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 00:30:46.24
>>611
饒速日は物部氏の祖神とされ、北河内の哮峰に降りたとする神話が旧事本紀にみえるそうだ。
その近くの交野には物部氏の一派がいて、交野物部氏と呼ばれている。私市がその地盤で、古墳群が山の尾根につくられている。
そして、饒速日を神としたのが、この交野物部氏ではないかとされているようだ。
しかしながら、哮峰とされる山があるのはこの交野より少し南の地点で、この位置はむしろ四条畷に近い。
哮峰からほぼ真西に行くと四条畷に出て、さらに少し西へいくと女真族が馬を飼った蔀屋に至る。
距離的にみると、饒速日が降りた峰はこの四条畷にむしろ近いくらいである。
また、この哮峰のある位置は四条畷から木津川に行く街道と奈良二上山あたりから北上して交野・枚方へ向かう街道が交わる十字路の交差点に当たっている。
つまり、饒速日が降りた山は北河内と奈良・木津川を結ぶ交通の要衝に位置していることになる。
また、この交差点のすぐ南では、河内湖の白肩之津があった今の日下町から東へ延びて来た街道が接続している。
このような地理的要件をみると、この交差点は東南に広がる奈良盆地を見晴るかす位置にあり、奈良盆地への通路を牛耳る地点にあることが分かる。
ここに饒速日を降ろしたということは、明らかに奈良盆地に対する北河内の利益を狙ったものだとみることができる。
この北河内の有力な氏族は朝廷のために馬を飼育した女真族であり、この氏族は少し後の継体天皇のときには重要な情報を伝えた者たちであったことを考えると、
饒速日の伝承を持っていたのは、朝廷の下で馬を飼った女真族だったのではないかと思えてくるのである。
0626日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 07:46:09.88
>>623
>関東の最古の前方後円墳は東京都大田区にある蓬莱山古墳で三世紀末の可能性が出てきているそうだ。

奈良の古墳群に引きずられている可能性があるが、6世紀より古いことは確かだよね。
大田区は海側なので、前方後円墳を作った氏族は陸路ではなく海路で来たことは間違いない。
同じ前方後円墳を大きさで違う氏族だと考えるのはナンセンス。
0627日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 08:00:02.26
>>624
>ここに饒速日を降ろしたということは、明らかに奈良盆地に対する北河内の利益を狙ったものだとみることができる。

どこも明らかではない。
倭国の(我が国の)古代の慣習として、王は東側の山から太陽を背にして君臨するべしという考え方がある。
これは神武が日下で負けた時に、太陽に向かって戦ったのがいけないと反省している。
平野に対して東側の山を神奈備として拠点を築くのは、伊都の高祖山、福岡の香椎宮、奈良の三輪山などに見られる。
大阪において淀川流域全体を見下ろして君臨したのは交野の饒速日だったということだ。

何でも奈良盆地を基準に考えるのは後世の皇国史観の影響であり、歴史を無視した妄想だよ、キナイコシ君。
0628日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 13:26:39.46
.


◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&;ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&;aq=-1&oq=&ei=UTF-8


.
0629日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 15:27:28.76
>>627
平野に対して東側の山を神奈備として拠点を築くのは…、て都合解釈。
葛城の金剛山はどうなんのよ。
西側の山を神奈備としてるし。
なんでも都合解釈するのは、いかがなも〜んかと。

磐船神社のある場所は東西に山が迫った峡谷。
この地形は、その北の交野を遮るものであって、この辺りを交野物部につなぐのは不自然。
むしろ、四条畷の馬飼い女真族が交易路の要の十字路を牛耳るのに氏族の先祖神をそこに祀ったのだろう。
大阪平野を望見するには、南西方向が山に遮られてこの位置は適所ではない。
ずっと望見できるのは奈良盆地の方向。
奈良盆地を睨んだ立地であるな。
0630日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 15:31:28.40
>>626
三世紀末という時期を考えると、蓬莱山古墳の被葬者は外来者ではなく、在地勢力だろうな。
無理に海路に結びつける必要なし。
0631日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 16:17:39.42
>>624
>北河内の有力な氏族は朝廷のために馬を飼育した女真族

初めて聞いた、ソースは?
0632日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 16:19:59.77
>>629
饒速日が降りたとされる哮ヶ峰が、四条畷、奈良盆地、木津川、交野・枚方への交通路の十字路の要に当たる位置にあるのは地図を見れば一目で分かる。
そして、ここを牛耳ったのが四条畷で馬を飼育した女真族であった可能性が高い。
とすると、この哮ヶ峰に降りた饒速日は四条畷の女真族の神であったと考えるのが自然。
旧事本紀で饒速日は物部氏の祖神とし、交野物部氏と饒速日を結びつけるようになるのはずっとあとのことではないか。
では、この饒速日を四条畷の馬飼い女真族の伝承とした場合、どういうことが言えるだろうか。
饒速日(にぎはやひ)は、和語の二ギ(賑わいの二ギ)+和語のハヤ(速いのハヤ)+ヒの構成となっている。
これを見ると、ヒは何を表しているのかが問題になる。
日本書紀は饒速日は神武と同系だからと、ヒに日の字を当てているが、これは物語上の都合によるものだろう。
このヒを馬飼いの女真族に当てはめた場合、蹄(ひづめ)のヒが考えられる。女真語(満州語)で蹄はhitahun(ヒタフーン)で、語頭にヒ音がくるからである。
蹄(ヒヅメ)のツメは爪の意だから、女真語の蹄を表すヒタフーンの語頭ヒ音とツメを合わせてヒヅメ(蹄)の語ができたのだろう。
そして、このヒヅメ(蹄)の言葉でもって(馬)を表している。「この蹄(馬)は逞しい」などの表現だ。
このことを饒速日(ニギハヤヒ)に当てはめると、

饒速日(ニギハヤヒ)
ニギ=多くの
ハヤ=速い
ヒ=馬

饒速日(ニギハヤヒ)とは、「多くの優れた馬(足の速い優れた馬の群れ)」の意味が考えられる。
つまり、四条畷は馬飼い女真族の拠点なのだから、「いい馬をいっぱい飼ってるぞ」という自慢話が饒速日(ニギハヤヒ)という言葉なのだ。
それを交通路の十字路の要衝の山に祀ったのだから、今でいえばガソリンスタンドのロゴマークみたいなものだということになってくる。
それ以上でも、それ以下でもないよ。
0633日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 16:38:28.74
ソースを出さず、

>四条畷で馬を飼育した女真族であった可能性が高い

と言い、

>饒速日は四条畷の女真族の神であったと考えるのが自然。

とんだ三段論法だな。

馬の飼育民など歴史上、社会的優位にあった時期が一度もない。
交野や四条畷と物部は深く関係しているとは思うが、
馬飼部はその物部の私有民・奴婢だろう。
0634日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 16:42:29.73
Y-DNAの話になるが、以前見たサンプルではsuzukiさん3人が調査していて、
3人ともハプログループ「O2」であった。
漢民族に多いグループだ。
0635日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 16:50:26.31
>>632
説得力がありますね
大変、勉強になります
0636日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 16:57:00.67
>>632
あとニギハヤヒの時代の日本に馬はいない。
行灯山古墳が物部のイカガノシコメから産まれた崇神である可能性が極めて高い。
ならばその時代からニギハヤヒまでさかのぼること6世代。
当時の女性が15歳から25歳に子供を産んだとして一世代20年。
6世代さかのぼればニギハヤヒは2世紀末になる。
ちょうど纏向古墳群が始まるころだ。

そして日本での馬の登場が4世紀前半。
箸墓古墳周溝の木製のアブミや葛城の秋津遺跡の祭祀用の馬の歯でそれが分る。

つまりニギハヤヒの時代に馬はいない。
日本での馬は崇神時代の任那のソナカシチの来日あたりにもたらされたのであろう。
楽浪が高句麗に滅ぼされたAD313年ころであろう。
0637日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 16:58:51.61
>>631
四条畷で馬が飼われはじめたのは5世紀中頃からとされている。
従来は、その馬飼いは百済人ではないかとされた。
何を根拠にしたものか不明だ。
何でも百済と新羅につなげたい学者がいるのだろう。
しかし、日本が馬や牛を導入したのは、派遣した軍団が高句麗に惨敗して、馬を騎馬や輜重に用いる機動力に目覚めたからだ。
その高句麗に馬を供給していたのは女真族だったので、日本は女真族の馬飼いの能力を求めて招請したのだろう。
四条畷の馬飼いがその女真族だった証拠の一つは、例えば、日本語のムチ(鞭)の言葉だ。
日本では、ムチは馬との関連でしか用いられない語彙で、ムチは馬との関連でできた言葉だといえる。
このムチの発音を女真語(満州語)でみると、muksan(ムチャン)=棒がある。
馬の尻を叩く用具は棒であり、この棒のことを女真語(満州語)ではmuksan(ムチャン)と発音する。
日本語のムチの発音とよく似ている。
日本語のムチは、女真語の棒を意味するmuksan(ムチャン)に由来する言葉だろう。
そして、そのムチの語彙が日本語にあるということが、日本で最初の本格的な馬の飼育が始まった四条畷の馬飼いが女真人であったと推定する理由である。
この四条畷の女真族が、河内の馬飼い荒籠の先祖であろう。
0638日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 17:17:25.65
>>636
まあ、饒速日は神武の当て馬に用いられたもので、この神武の物語自体はそう古いものではないと思う。
饒速日は元々神武の物語とは関係なく、街道筋に祀られていた四条畷の神様だったのではないか。
それを日本書紀の編纂室が神武の当て馬として拝借したのかも知れんしね。
神武がいなかったら葛城はどうなるのよ、と怒りの反論が出てきそうだけどな〜。
0639日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 17:29:23.57
>>633
秦氏はその馬を整えて伊勢まで荷を運んでいるし。
そうした陸運を飛躍的に向上させたのが、朝廷による馬の飼育の導入だ。
その馬飼いは朝廷の管轄のもとに四条畷で始まり、四条畷から東へすぐのところにある交通の大動脈の十字路にデンと饒速日が降りてきたのだから、
当然荷駄の運輸に睨みをきかそうという腹だったのはみえみえだ。
まあ、荷駄運輸の交通の要衝に私設の警視庁が出張ってきたようなものだろうな。
0640日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 17:42:53.70
>>637
>日本が馬や牛を導入したのは、派遣した軍団が高句麗に惨敗して、馬を騎馬や輜重に用いる機動力に目覚めたからだ

惨敗したっけ?高句麗が圧勝したのなら任那に首長を置いただろうがそんな話はない。
またにほんにおいて騎馬用甲冑・佳甲の導入もゆっくりと急いでいないことから、乗馬習慣というのは首長の威信財であったのだろう。

どっちにしてもニギハヤヒの時代に馬はいない。
0641日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 17:47:53.54
>>638
>饒速日は元々神武の物語とは関係なく、街道筋に祀られていた四条畷の神様だったのではないか。

いや瀬戸内集団の大親方。
先代旧事本記でも複数の瀬戸内の物部、
たとえば筑紫の物部、播磨の物部、讃岐の三野物部などを伴って畿内入りしてることから間違いないであろう。
それは寺澤薫さんの2013纏向学の纏向遺跡を構成している「筑紫、吉備、讃岐、播磨」の様相と一致する。
0642日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 17:54:49.02
>>629
>葛城の金剛山はどうなんのよ。

三輪山に比べると重要ではない。

>むしろ、四条畷の馬飼い女真族が交易路の要の十字路を牛耳るのに氏族の先祖神をそこに祀ったのだろう。

饒速日の時代に馬はいなかった。
(少なくともいたという根拠がない)
0643日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 17:55:46.48
>>638

都合が悪いとすべて後世の創作にしてしまうキナイコシ
0644日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 17:57:19.22
>>636
>あとニギハヤヒの時代の日本に馬はいない。
>6世代さかのぼればニギハヤヒは2世紀末になる。
>ちょうど纏向古墳群が始まるころだ。
>そして日本での馬の登場が4世紀前半。
>つまりニギハヤヒの時代に馬はいない。

まったくその通り。
女真族など関係ない。
0645日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 18:00:37.40
>>641
>いや瀬戸内集団の大親方。
>たとえば筑紫の物部、播磨の物部、讃岐の三野物部などを伴って畿内入りしてることから間違いないであろう。

その通り。
天照と大国主の権威を継承して天照国照彦火明櫛玉饒速日命という称号が与えられており、実質的に倭国の王であったのだろう。
しかし現在の天皇家の直系の祖ではないため、後世に王としては数えられなくなったと考えられる。
0646日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 18:50:43.02
>>645
平安時代にできた物部の氏族譜だし。
あちこちから引っ張って来て加上したのがみえみえ。
0647日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 18:52:37.75
>>644
古代史好きの物知らず。
0648日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 18:55:26.30
>>643
都合が悪いと新説否定に走る古代狂。
0649日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 18:58:54.92
>>642
三輪山に比べると重要ではない…て、
怒れ、土蜘蛛墓。

饒速日の時代に馬はいなかった…、
日本書紀完成よりは古いだろう。
0650日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 19:04:46.80
>>641
纏向で九州系の土器片は一つだけ。
しかもそれは南九州のもの。
寺沢某説は疑問だらけ。
0651日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 19:13:32.09
>>640
広開土のときに高句麗は伽耶まで攻め込んでない。
碑文からすれば、このときの戦いで倭軍は馬を用いた機動力というものに始めてぶち当たったのよ。
で、すぐさま組織的な馬の導入を始めた。
もちろん、そのあと高句麗と大きな戦いに出てないから、半島ですぐ馬の運用を行ったわけではないだろう。
むしろ、秦氏が馬隊を整えて荷駄の運搬を行っているから、馬の飼育は陸運に大きな画期となったということだな。
0652日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 19:49:31.84
>>632
このように、饒速日は四条畷の女真族馬飼いの神様だとすると、
饒速日を神とした長脛彦の部族の呼称の謎が見えてくる。
女真族の本拠地は黒龍江省であるが、現在の中国人の省別平均身長によると、
平均身長の第一位は山東省で男175.44cm、女169.45cm。
第三位の黒龍江省は男175.24cm、女165.25cmとなっている。
つまり、黒龍江省の女真族は背が高いのだ。
そして、背が高いのは脚の長いことが第一の理由なので、長脛彦の名を持つ生駒の人物は長身であったことが分かり、
また饒速日を神としたこの付近の住民である馬飼いの女真族も背が高かったことになり、
この四条畷の女真族の長身は長脛彦の名と合致することになる。
この長身の点からみても、饒速日は四条畷の女真族の神であったことを推測することができるのだ。
0653日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 20:33:30.99
>>646

日本の古代史をことごとく否定しないと気が済まないキナイコシって何者なの?
0654日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 20:33:59.98
>>648
>>643
>都合が悪いと新説否定に走る古代狂。

新説を唱えるなら根拠を示さないと。
0655日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 20:34:53.23
>>649
>怒れ、土蜘蛛墓。

土蜘蛛と、天皇を凌ぐ勢力の三輪山の神を比べてもなあ。
0656日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 20:36:05.96
>>652
>このように、饒速日は四条畷の女真族馬飼いの神様だとすると、

根拠がないことを前提としても意味がなかろう。
0657日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 20:42:11.98
そだそだ
結局、三輪山の神の正体って何?
蛇は置いておいて。
物部氏?
0658日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 20:46:36.65
女真族の最後の皇帝溥儀の身長は、実際に会った人の記述では六尺近い温和な偉丈夫だったそうだ。
六尺は181cm程度。六尺近いということは175cm〜180cm程度ということになる。
この身長は、現在の黒龍江省の平均身長である175.24cmと合う。
四条畷で馬を飼った女真族は当時の日本人より相当高身長だったので、長脛彦のあだ名はその通りだったのだとみなすことができる。
まあ、これが歴史の真実だろう。
0659日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 20:57:40.88
四條畷のそばに住んでるけど
そんなに四條畷は有名なのか?
なんか観光名所とかある?
古代の遺跡とかでここは見ておけ。ってとこ。
0660日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 21:04:31.08
.


◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&;ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&;aq=-1&oq=&ei=UTF-8


.
0661日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 21:17:42.18
>>659
蔀屋で馬の歯見とかないとね。
それに、神武東征で有名な饒速日の故郷だと自慢できる。
物部はあとから自分とこへ饒速日を引っ張っただけだから、無視。
蔀屋は、楠木正成の子の楠木正行と高師直が激突した南北朝の戦いの帰趨を決めた戦いがあった場所。
高師直が準備した馬軍団が、軍馬の故郷であるその蔀屋で地面が湿地のために馬を動かせなかったというオチがついているのはこの戦いのオマケ。
0662日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/19(金) 22:20:58.70
うーん、それで本当に軍馬の故郷なのか?
0663日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/20(土) 00:11:33.28
>>662
四条畷や枚方などは淀川筋の低湿地帯で、放置されていた土地だったので、広い範囲が利用できたこと、
それに真菰や葦が豊富に生えていたため馬草の確保が容易だったことなどが馬の飼育場として用いられた理由だとされている。
その低湿地帯の中の微高地に馬を放牧したもの。枚方の北の淀川沿いには牧野の地名が残る。
これは後代に信濃に多数設けられる牧(まき)の言葉のはしりだ。
だから、高師直の軍馬が湿地に邪魔されて動けなかったために、一時形勢不利になったと伝えられる。
0664日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/20(土) 01:32:29.66
>>657
三輪山の正面にあるのは芝遺跡であり、纏向遺跡ではない。
芝遺跡は纏向が開かれる前にあった祭祀地区だとされていることからすると、
纏向以前に唐古・鍵やその他の集落が共同で三輪山を祀った場所が芝遺跡の場所ではないか。
なので、三輪山の元々の山の神は唐古・鍵を中心集落とする奈良盆地東南部連合の神であったと考えるべき。
そこへ各地の勢力が集まって芝遺跡のあるエリアの北隣の纏向で開発が行われるようになり、
5基もの大墳丘墓がそのエリアの中に造成され、さらにこの墳丘墓にも関連しつつ農耕祭祀施設が形成されて、各地の勢力の連合祭祀空間が作り上げられる。
この時点で三輪山は在地勢力の祭りの場でありつづけたのではないか。
各地からの纏向への出張者も在地勢力を尊重して三輪山の祭祀に参加しただろうが、この連合勢力としては三輪山を連合の神奈備とはしなかったように思われる。
そして、崇神の時代になって各地からの連合体が求心性を持った組織体に変貌してこれまでにない巨大墳丘墓を纏向に造った時点で、
三輪山を神奈備とする在地勢力はその組織体の下部にランク下げされるようになり、三輪山は地域の神奈備に過ぎない扱いになったのではないか。
崇神の三輪山の神に対する接し方はよそよそしいものとして描かれている。
こうしたことからすると、三輪山は奈良盆地東南部の在地勢力の神奈備であり、纏向に出現した連合政権の神奈備ではなかったように思われる。
こうした点で、この連合政権は自らの神奈備として三輪山を扱ったことはないようにみえる。
物部氏は神を祀る際の政権の祭祀技術者として描かれていて、三輪山の神に所属する神の系統の者としては描かれていないようだ。
三輪山の神に所属する祭祀者は、連合政権とは別に在地勢力の中にいたのではないだろうか。
0665日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/20(土) 07:49:34.81
なるほど。
物部氏(饒速日)より前の在地勢力というと、あとは長髄彦らの鳶族くらいしか寡聞にして思い浮かばない。
あとは鴨族もいたか?
その辺りが在地勢力かな。
0666日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/20(土) 12:57:39.47
>>665
長脛彦らは奈良盆地北部が地盤で、そのあたりに神奈備を戴いていただろうし、鴨は南西部の金剛山が神奈備。
南東部の勢力が歴史上からかき消され、その代わりに崇神らの連合政権がどっかと座っているふうに見える。
かき消された南東部勢力とは、書紀にみえる磯城邑の磯城の八十梟帥などではないか。
0667日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/20(土) 14:10:28.17
.

(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html

.
0668日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/20(土) 14:11:30.73
神武はどこに滑り込むんだ?
ホントに隙間に住んでいたんだな。
0669日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/20(土) 14:16:33.98
.



7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

同じく中国には7000年前からある竈も釜もそれまで知らなかった。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


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0670日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/20(土) 14:17:22.75
.



7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

同じく中国には7000年前からある竈も釜もそれまで知らなかった。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


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0672日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/20(土) 15:10:39.60
>>668
神武がそもそもなぜ大和川の川筋から竜田方面から奈良盆地に入ろうとしたのかというと、最初から畝傍山を目指していたからだよ。
確かに竜田の手前の大和川の川筋の登り道は狭いが、なにも軍団の隊列を横何人も並ばせたまま進む必要はなく、一人ずつ通れば時間はかかるが、通れないことはない。
そこを通れないとして引き返して生駒から登ったのは、奈良盆地北部にいた饒速日から奈良盆地の主権を譲ってもらうためであり、その結果長脛彦と対決するはめになるストーリーが立てられていたからだ。
神武は最初から畝傍山を目指していた。そのようなストーリーが立てられていたからというほかない。
ではなぜに畝傍山だったのか〜、というわけだけど、そこに応神の国家祭祀所が設けられていたからだね。
天武がその畝傍山の東の土地を藤原の宮に決めたのもそうしたゆかりがあるのだろう。
こうしたことから、神武は応神天皇をモデルとしているとの説が出て来るわけ。
まあ、神武は実在の人物だとする説もあるので、一概には言えんけどね。
0673日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/20(土) 15:22:24.06
>>671
畷は田んぼの畦道のことだね。
八丁というから相当長い距離の田んぼの畦道があったのだろう。
というわけで、八丁畷を調べてみると、江戸時代には川崎から鶴見の宿までの間は広い田んぼで、その中をまっすぐな道が八丁つづいていたために、八丁畷の言葉が生まれたそうだ。
四条畷も田んぼだったそうだから、どちらも田んぼがらみの地名だね。
0674日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/20(土) 22:16:26.52
高槻にも八丁畷
寝屋川には秦八丁
佐賀にも八丁畷がある
0675日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/21(日) 11:45:22.20
>>674
高槻は安満遺跡のあるところだな。
このあたりは湿地で、弥生時代には水田があったそうだ。
あちこちに八丁畷の地名があるみたいだから、
この八丁畷は普通名詞みたいになっていたのかもな〜。
0676日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/21(日) 11:58:25.95
まあ、いずれにしても、天皇と勾玉は切っても切れない関係にあるよ。
鏡と剣はまた別の威信財だろうね。
三種のセットとなったのは、6世紀代ではないか。
鏡が天皇と結びついたのも天照大神との関連だから、天皇と鏡は天照大神の登場と関係がある。
天皇制を支えていることの中の一つに勾玉に対する価値観があるようだ。
0677日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/21(日) 12:44:49.64
くどいなあ。
勾玉は古くからあるが、記紀によると崇神の頃は鏡だけが重要視されていて、景行の頃はまだ剣は実用品だ。
そして勾玉が最後に神器に加わったのが6世紀なんだろ。
0678日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/21(日) 14:19:30.32
.



中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!


.
0679日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/21(日) 14:43:22.52
資料を読んでも、系譜が継体天皇で途切れてる、あるいは切れてるくさい。と思わせるような書き方してるのが多いな。
まあそれでも1500年は続いてる訳だし。
0680日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/21(日) 21:25:32.88
>>677
まあ、それはないだろうな。
崇神の贈り名が御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりひこいにえのすめらみこと)だからね。
(たくさんの玉を身につけた統治者)ということ。
鏡はぶらさげてないようだし〜。
0681日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/21(日) 23:51:46.95
>>679
応神天皇ですら仲哀天皇の血筋でないかもと疑われているくらいだから、
五世の孫でも血がつながっていればましなんじゃな〜いの。
0682日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/21(日) 23:52:37.60
崇神の時代にはすでに神鏡の概念があったんだぞ。
玉はただの宝飾品扱いだ。
0683日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/21(日) 23:53:46.05
>>681
同意。
五世孫ならまあいいかと、当時の人たちは一応受け入れていたんだよ。
0684日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 00:41:00.83
>>683
受け入れられなかったから
都に入れずに20年も周辺をウロウロ、ホームレスオオキミだったわけだが。
0685日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 01:47:24.18
>>684
入れなかったのか、入らなかったのか、微妙なところだけどね。
入らなかったに1万ペリカ。
0686日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 03:04:24.12
>>682
鏡を神鏡としたのは中国の道教だろう。
日本では鏡を霊器として扱ったのだろうが、
その日本で鏡をご神体としているのは伊勢神宮と紀伊の日前宮だけじゃないの?
0687日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 04:53:10.47
>>684
それでも最終的には受け入れられた。
0688日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 04:53:51.74
>>686
日本の大部分の神社は鏡を祭る。
0689日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 04:56:42.71
>>686
中国における鏡は、皇帝の権威を示す威信財。
魏志倭人伝には、「これ(鏡)を示すことで汝(皇帝)が其方(卑弥呼)を大事に思っていることを知らしめよ」と書かれている。
道教は関係ない。
0690日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 04:57:47.62
>>1
奴隷だと言っている人たちがいるでしょ。
中国という国があるでしょ、そこのw
0691日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 05:02:26.83
同じような人間(奴隷)が集まり、勝手にやっているだけだとか。
0692日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 05:10:17.47
それよりも謎『伊達のモモタロウ』伝説。

司徒 司馬 司空〜、皇劔〜などと書いてあったり、
何の話なんだろう、北斗の拳?
0693日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 05:16:15.17
『ウイグル獄長』などw

なぜか、ほとんど同じようなコンセプト。
0694日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 05:20:30.96
サウザーも同じような話、コンセプトでしょ。
0695日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 05:27:51.00
北斗の拳、・・・、・・・、・・・、その他w
どう考えても日本の話。
0696日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 05:34:30.14
デスラーも同じような?wikiを読んでみて。

>下品な言動を取った部下に対して問答無用で
0697日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 05:51:26.73
>>1
神主の親分だ。
0698日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 07:36:55.72
三種の神器や百済の七支刀、七子鏡は道教。道教と仏教が流行した魏晋南北朝の外来文化。
0700日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 13:54:49.75
.
最古水田菜畑に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の中国とは
全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国には存在しない耕作用農具が伝わっている。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜(スキ)、鋤、犂 《すべて石刃》


クワは当時の中国には存在しない耕作用農具。

エブリは田を均す耕作用農具で、これも当時の中国には存在しない。

鋤は地面を引っ掻いて除草する除草用の耕作用農具で日本には伝わっていない。

スキが日本に伝わるのは菜畑遺跡から200年以上あとの弥生前期頃で、
やはり全て木製であり、犂は牛耕用の耕作用農具で日本に伝わるのは5C頃で鉄刃。

伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
.
0701日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 14:21:54.37
>>688
日本の大部分の神社が鏡を置いてあるのは、神の依り代としてじゃありませんか。
鏡をご神体としているわけじゃないと。
0702日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 15:15:27.01
>>687
ここは微妙なところですね。
継体が大和に移った翌年に、六万の大軍が編成されて新羅攻めに出発する。
この軍団は磐井の反乱で、半島に渡ることができず立ち往生してしまうのですが、
思うに、継体が山城から大和へ移ったのは、大和に新羅攻めのための大本営が設けられたから宮を大和に移し、大和の大本営の大司令官となったということでしょう。
ですので、継体が大和に受け入れられたというより、大本営設置でどうしても大和へ行かなければならなくなったということでしょうね。
そして、半島への派遣軍が任を解かれて帰還したその翌年に継体は亡くなるわけですから、ずっと大本営の大司令官を務めていたことになります。
継体が大和に移ったのはそういう理由からだと思いますね。
0703日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 15:54:24.74
ここの多くの方々は遠回しに言っていますが私は直接言います
まわりくどいのは嫌いです

天皇のルーツは韓人です
0704日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 15:56:25.38
結論から先にいうとネトウヨに攻撃されますから
なかなか天皇が韓国系と書けないのです

だから婉曲的表現で外堀を埋めるようにしてきました
でも理解されないのではっきり書きます

天皇は韓国系渡来人です
0705日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 16:37:56.62
>>704
その当時、韓国という国家はないですから、半島系渡来人とするのが適当かと。
0706日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 16:50:39.92
もともと半島にも縄文人がいたんだろ、そいつらが出戻ってきたんだろな
0707日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 17:03:26.04
半島の渡来人か?どうかはともかく
継体の頃、それ以前?から大王は渡来人に囲まれてたのは事実。
最大の勢力を持ってた豪族の蘇我氏が渡来人っていうし。
0708日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 17:03:32.75
書紀継体紀には「大伴金村大連。乃ち跪きて天子の鏡、剣の璽符を上りて再拝みたてまつる…」と書かれていますが、
このあたりの文章は漢書文帝紀や史記などの文章をそっくり引き写しているようです。
漢書などでは、「天子の璽符」と書かれていますが、書紀はそこに「鏡と剣」を書き加えています。
中国の皇帝の璽符は「玉璽と割符」の2品ですので、書紀がこれを「鏡と剣」としているのは中国皇帝の2品の璽符に合わせたものでしょう。
そして、この場合の鏡と剣は政権のスメラミコト(天子=統治者)としての資格を与える神器ということになるのだと思います。
この継体紀では、勾玉はその資格の神器として書かれていません。つまり、政権のスメラミコト(天子=統治者)の資格としての神器は2種だというわけです。
では、勾玉はどうしたのでしょうか。
勾玉は政権の統治者の資格とは関係がなかった、と解釈するのがよいでしょう。
勾玉は祭祀者の必須の霊器ですので、継体が鏡と剣を受け取りスメラミコト(天子=統治者)となったあとの祭祀において伝承されてきた勾玉を用いたということでしょう。
つまり、勾玉は別格の霊器だということですね。
このように見ますと、鏡と剣はあくまで政権の統治者に資格を与えるための威信財であるということです。
祭祀の霊器としての勾玉とは別なのですね。
0709日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 17:22:59.56
>>707
まあ、継体がいた越地方には土着した半島系渡来人の勢力があったとされていますね。
それに、河内馬飼氏族の荒籠の先祖は女真族だったフシがありますし、その荒籠と継体は以前から付き合いがあったようですね。
そもそも、応神天皇は皇太子のときに敦賀の気比神に詣でたりしますが、敦賀は新羅との外交の窓口ですね。
その応神天皇の父親とされる仲哀天皇は神功皇后とともになぜか敦賀に宮を置いています。
そうした天皇の動きの中の一環として渡来人勢力のいる越の継体天皇が引っ張り出されてくるわけですから、
対新羅政策が大和政権の大きな課題であったということはあるのでしょう。
0710日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 18:05:50.00
>>701
>>688
>日本の大部分の神社が鏡を置いてあるのは、神の依り代としてじゃありませんか。
>鏡をご神体としているわけじゃないと。

同じだよ、アホ
0711日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 18:07:28.38
>>708
>この継体紀では、勾玉はその資格の神器として書かれていません。つまり、政権のスメラミコト(天子=統治者)の資格としての神器は2種だというわけです。
>では、勾玉はどうしたのでしょうか。
>勾玉は政権の統治者の資格とは関係がなかった、と解釈するのがよいでしょう。

賛成。
0712日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 19:53:59.96
三種の神器を継承すれば、血統はど〜でも良いんじゃね?
っていう、言い訳なんで、そういう事じゃダメなのか?

万世一系の皇統じゃないんだから気にスンナ。
なんで、兄弟継承や、女帝が日本の皇室史に有るんだよ?

子だねの無い、王は兄弟継承有るとして?
一夫一婦制の、現代じゃないんだから?
もうね、女系通い婚説とかなwww

源氏物語の後宮に? 
まあ・・・ 世継ぎは争うほど有るわけで、
そんなわけは無いだろwww
0713日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 21:30:20.45
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最古水田菜畑に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の中国とは
全く違ったものが伝わっている。

と言うか、当時の中国には存在しない耕作用農具が伝わっている。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》

◆同期する中国の耕作用農具 → 耜(スキ)、鋤、犂 《すべて石刃》


クワは当時の中国には存在しない耕作用農具。

エブリは田を均す耕作用農具で、これも当時の中国には存在しない。

鋤は地面を引っ掻いて除草する除草用の耕作用農具で日本には伝わっていない。

スキが日本に伝わるのは菜畑遺跡から200年以上あとの弥生前期頃で、
やはり全て木製であり、犂は牛耕用の耕作用農具で日本に伝わるのは5C頃で鉄刃。

伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。


◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ

◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
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0714日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 22:52:11.01
>>710
依り代と神体は別でしょう。
0715日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 23:47:10.01
鏡を御神体としている神社は多いです。
アマテラスの神勅から言えば依代かもしれませんが、一般には御神体と読んでいます。
伊勢神宮でさえ、八咫の鏡を御神体としています。
日本の神道において鏡を用いるとき、両者に違いはありません。
0716日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/22(月) 23:47:35.28
読んでいます
呼んでいます
0717日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/23(火) 11:54:41.37
>>711
勾玉は天皇が行う祭祀の最高の神器だったということですね。
その祭祀において、鏡と剣が用いられたかどうかは不明です。
多分、用いられなかったのではないでしょうか。
勾玉は別格だったということです。
記紀では、勾玉を筆頭に記述していますからね。
0718日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/23(火) 12:00:22.49
>>715
伊勢神宮の鏡には天照大神の分身だけが宿っています。
ご神体ということになります。
一方、各地の神社では鏡を依り代として祀っていますが、
この鏡には神主が招き下ろしていろいろな神が一時的に宿ります。
これは依り代ということでありまして、伊勢神宮の鏡とは全然別の性格のものですね。
0719日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/23(火) 19:53:47.77
鏡の意味は、生前に死者が使用したものを、古墳に殉葬させるという事でしょ?
死者の生前の功労の記念として与えられた勲章として、古墳に収める。

銅鏡は中華起源だけど、神社が鏡を祀るような事例は無い。 
てか、神社だから・・・

祖霊の宿る鏡という事かな?
伊勢神宮の起源は、皇室の起源。

天地創造の神を創生した、記紀の前、
どれくらいに伊勢神宮が有ったのかな?

鏡は、せいぜい、AD2〜300年?
倭人伝では、九州は240年まで、統一日本に含まれないよ?
でも、半島南部は500年まで、てか、663年の白村江海戦で
対馬国境を確定するまで、倭人の勢力下にある。

日本の建国は、九州統合の247年
対外交渉開始の、倭の五王外交の412年?
対馬国境確定の、白村江海戦の663年

言うまでも無く、
天皇制のルーツは、記紀の成立だよ。

日本は、卑弥呼の筑紫と統合して、対魏晋での、
半島進出の富国強兵政策で、牛馬を移入した。

歴史には、記紀では成立しない、
時系列と事績の必然性が有る。
0720日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/23(火) 20:00:19.38
ほんとーは奴隷だと言っている人たちがいるでしょ。
0721日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/23(火) 20:06:13.15
日本の天皇の家などがあるでしょ、
その家のほうが上のような記載、表現ばかりだとか、・・・実際は「❓」
0722日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/23(火) 20:17:03.15
とある神話、英雄譚なども創作だと言っている人達がいるし、
どの系統の神話、英雄譚なんだろう。

関係する、ほとんどスレ?創作だと言っている人達がいる。
0723日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/23(火) 20:32:19.56
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最古水田菜畑に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。


◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕

◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット


鼎は穀物を煮炊きする三足と双つの直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。

鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。

甑と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。

釜が伝わったのは古墳期の5C頃。



稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!


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0724日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/23(火) 23:25:21.58
>>722
津田左右吉の影響が大きい。
実際に記紀は、後世に造作されたファンタジー小説であって
事実とはほど遠いであろう。

例えば卑弥呼とか、中国に使節を送れる相当大きな國だっただろうが、記紀では全く触れてない。
史実を書いてるなら、卑弥呼にも触れてないと駄目。

神武は捏造だし、応神、仁徳も存在しない。
雄略、武烈の実在も怪しい。
継体、安閑、宣化、欽明辺りから、ようやく信憑性が出てくる。
0726日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 06:52:15.74
>>724

津田に影響されたアホがここにもいるな。
0727日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 11:00:39.05
記紀を信用してる馬鹿よりマシ。
殷、夏王朝だって、遺跡が発見される前は中国の学者も疑っていた。
こういう批判的に考察するのが、真の学問の探求。
戦前に戻りたいのか?
0728日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 13:26:57.18
金印が志賀島から出たのは事実。
240年まで、九州と本州の青銅器文化は別。
半島北部に太守を置いた、中国史において、
九州と半島南部の国境は確定していない。
つまり、統一国家は成立していない。

平原、吉野が里、吉武高木遺跡は、
漢鏡や鉄器において、本州に先駆けて、
公孫氏、大陸文化の移入が有る。
日本製銅鏡は240年の九州で始まり、本州に移動した。

倭人伝に記されている歴史として、、
238年に魏帝に朝貢、同盟した倭の女王国は
245年の黄幢=魏の正規軍として、檄=韓制圧戦に参戦せよ
に応えなかった。

これの調査に来た張政の報告が
使 大倭監之 自女王國 以北 特置 一大率 檢察諸國 畏憚之 常治 伊都國 於國中有 如刺史
王遣使 詣京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使倭國 皆臨津 捜露 傳送文書 賜遺之物 詣女王 不得差錯
であり、女王国は既に援軍を派遣するような、外交能力は持っていなかったと言ってよい。

この247年をもって、三国志における、魏と倭国の女王国との国交の記述は終わる。
漢以来の知見が有る倭国を、女王国などと言う一代の名称で記録するわけが無い。
筑紫王を倭王と見たのは、三国志における覇者魏帝の恥であり、
倭国探検記を残したかった陳寿の記述に 曖昧さが有るのはそのせいである。
評曰
史漢著 朝鮮両越 東京撰 録西羌
魏世 匈奴遂衰 更有 烏丸鮮卑 爰及 東夷
使譯 時通 記述隨事 豈常也哉

記紀神話が、九州を起源にしたファンタジー創作の理由は
中国三国史に残る、この事実をむちゃくちゃにするための工作である。
0729日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 14:10:58.80
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今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません


.
0730日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 14:58:28.46
>>729
無能ヒトモドキ(https://sites.google.com/view/jhistory)を筆頭に、朝鮮ヒトモドキどもは
通称「松菊里型住居」が日本列島の縄文遺跡や弥生遺跡から多数発見されている事と同遺跡の炭化米出土を根拠に
「ウリたちが住居も稲も倭人に教えてやったニダ」とホルホルしていますが愚の骨頂です

松菊里遺跡は1975年に発見され、1977年に命名されました
板付遺跡は1978年、菜畑遺跡は1979年に発見され、発掘調査を開始しました
学問に対して謙虚な日本の研究者が先に命名した韓国側を尊重し、この名称を用いたに過ぎません

現時点までの炭素年代測定で判明しているのは
菜畑遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前900年」頃
板付遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前600年」頃
松菊里遺跡の「住居跡」ならびに「炭化米」は「紀元前500年」頃
という客観的事実だけです

松菊里に水田遺構は発見されておらず、朝鮮半島最古の水田遺構は20Km南にある麻田里(マジョンニ)遺跡の「紀元前300年」です

朝鮮ヒトモドキどもは玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡はさらに古いなどと言い出しましたが、炭素年代測定を意図的に行わず隣国からの共同研究を頑なに拒んだ上に理由もなく埋め戻すという隠蔽工作を行いました
韓国では玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為として、すでに歴史学の恥部となっています

しかも松菊里型住居は現在では日本の竪穴式住居の劣化コピーであることが判明し、証拠として北緯36度線より北にあるにもかかわらず炉の形跡がない、一柱支から三柱支への移行遺構が存在しないなど多数に及びます

これら客観的な科学検証に基づけば3千年前には水稲や竪穴式住居を完成させた縄文人が朝鮮半島に入植し、朝鮮ヒトモドキどもを指導し支配下に置いていたことが明確です

支配していた根拠として挙げられるのは日本人特有と言えるY染色体O2b1で朝鮮半島では北緯36度線以北には存在していません
寒さに弱かった縄文人は北緯36度線以北は朝鮮ヒトモドキに開拓させていたという傍証であり、住居跡に炉がないことの理由と結論付けられます

魏志韓伝にもあるように馬韓の南は倭人の国であり、むしろ三韓は北から魏の影響を受け、南から倭の影響を受けて発達したと断定できます
0731日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 15:57:03.56
>>719
>神社が鏡を祀るような事例は無い。 

はあ?
たいていの神社は鏡を祀っているが?
0732日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 15:59:15.71
>>727

殷、夏王朝だって、遺跡が発見される前は中国の学者も疑っていた。
しかし実際に遺跡が見つかり、概ね実在が確認された。
0733日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 17:25:12.99
>>732
そうだよね。
で、古代天皇が存在したって、考古学的な証拠は全く無いから、戦前、戦中ですら津田左右吉みたいな学者が出てきて、
しかも現在の主流の学派になってる。

だから、神武から、それ以降の十数代、あるいは数十代目の天皇の実在は
極めて疑わしい。
0734日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 18:04:38.25
記紀の日本神話は奈良時代にまとめられたが、その次の平安時代後期に成立した中世神話を見ると古代の話が全然別物になっている
平安から奈良という一時代だけで驚くほどの変貌ぶり

奈良時代にイザナギイザナミが国産みをしたと書かれた話が、中世にはアマテラスが大日如来の印文を見つけて国づくりをして第六天魔王が怒って妨害してきたというストーリーになっている

僅か一時代を経ただけでこんなに話が変わってしまうのだから、恐らく大和時代の神話など奈良時代と全く別物だっただろう

当然、古代天皇の話なんかも全く別物だったに相違ない
0735日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 18:22:54.08
中世神話は明らかに仏教の影響が強く、奈良時代の記紀の神話からは道教的な雰囲気が感じられる。
イザナギイザナミやアマテラスなどの登場人物の名前は変わっていないと思うが、その時代の流行学問によって神話こ解釈が変わり、ストーリーは容易に変化していっただろう。

天皇の寿命が長いのも作為的な理由だと思われる。
仏教伝来の時、梁の武帝が80過ぎまで生きた話が伝わった。それ聞いた当時の人たちは寿命が短い時代というのもあって、梁の武帝の話は仏を信じて神仙になった実例のように感じただろう。

神話を伝承していた神道派の人達が、仏教がなくても昔の人は信心深く長寿だったと主張するために、どんな神仙にも負けないように天皇の寿命を改編したのだろう。

記紀の話などは幾多の改変を経ており、名前と大まかな話の枠組みくらいしか参考になるものはない
0736日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 18:23:17.53
天皇のルーツ
自分たちの民族は 天にいる神々の子孫だと 考えている
その考えが 民族の大王が天の子孫であることになった
民族全部が天孫だというのが本来の思想
0737日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 18:40:10.78
>>733
津田を肯定しているのか否定しているのか、どっちだ?
殷周が史実だったのなら、神代や神武東征だって事実だった可能性があるということでいいのか?
0738日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 18:42:58.66
>>736
それは明治以降の比較的新しい思想だよ。
記紀にはそんなことは書かれていない。
0739日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 18:46:15.43
記紀の神話は細部はどうせ後付けで適当だから信用に値しない
ただ大まかなストーリーが参考になるのみ
天皇は船団を率いてヤマトに入り、同族の饒速日はアメノイワフネなるものでヤマト入りしたというのだから、天孫と名乗っていたのは海人族なのだろう

天皇は北九州や瀬戸内の海人族の部族長か何かと考えるのが自然
0740日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 19:33:19.19
>>737
津田は批判的に研究してるだけで
考古学的な証拠があれば、神武とか見とめるだろうから、矛盾してないと思うが。
ただし、神武天皇陵は明治以降に造作されたものだから、神武が実在してた証拠は実際に無いわけで、だから明治政府も天皇陵を作らざる得なかった。
したがって神武は居ない。
暗に明治政府すら認めてるようなもの。
0741日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 19:51:51.64
天皇の先祖は元々弥生時代の瀬戸内海賊のような存在で交易を支配して、莫大な富を作っていたんだろう
イザナギイザナミの聖地が瀬戸内海の淡路島というのも、天孫族が瀬戸内の海人だったからに相違ない
後付けにしても淡路島というのは、かなり不自然な話だからな

船乗りは北極星の位置が命綱だ
神道の最高神がアメノミナカヌシになっているのは、海人族時代の天孫族の神話の断片だろうな

イザナギイザナミの子供たちが、太陽と月と嵐と蛭子。
蛭子はクラゲだろうな。みな海の民に紐付く属性だ
0742日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 21:14:07.92
.



今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。

紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。

こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。

http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975


※炭素年代測定と他国からの共同研究を拒否して埋め戻す隠蔽工作をしたという
ウソのレッテルをしている中国人詐欺師にその証拠提出を無数に求めましたが、
その証拠が出てきた事はありません


.
0743日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/24(水) 23:20:50.49
三種の神器も天皇の称号も記紀のファンタジー要素も道教。隣国の唐高宗と則天武后は日本への影響力は絶大。
0744日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 00:51:39.29
>>742
無能ヒトモドキ(https://sites.google.com/view/jhistory)を筆頭に、朝鮮ヒトモドキどもは
通称「松菊里型住居」が日本列島の縄文遺跡や弥生遺跡から多数発見されている事と同遺跡の炭化米出土を根拠に
「ウリたちが住居も稲も倭人に教えてやったニダ」とホルホルしていますが愚の骨頂です

松菊里遺跡は1975年に発見され、1977年に命名されました
板付遺跡は1978年、菜畑遺跡は1979年に発見され、発掘調査を開始しました
学問に対して謙虚な日本の研究者が先に命名した韓国側を尊重し、この名称を用いたに過ぎません

現時点までの炭素年代測定で判明しているのは
菜畑遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前900年」頃
板付遺跡の「住居跡」ならびに「水田遺構」が「紀元前600年」頃
松菊里遺跡の「住居跡」ならびに「炭化米」は「紀元前500年」頃
という客観的事実だけです

松菊里に水田遺構は発見されておらず、朝鮮半島最古の水田遺構は20Km南にある麻田里(マジョンニ)遺跡の「紀元前300年」です

朝鮮ヒトモドキどもは玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡はさらに古いなどと言い出しましたが、炭素年代測定を意図的に行わず隣国からの共同研究を頑なに拒んだ上に理由もなく埋め戻すという隠蔽工作を行いました
韓国では玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為として、すでに歴史学の恥部となっています

しかも松菊里型住居は現在では日本の竪穴式住居の劣化コピーであることが判明し、証拠として北緯36度線より北にあるにもかかわらず炉の形跡がない、一柱支から三柱支への移行遺構が存在しないなど多数に及びます

これら客観的な科学検証に基づけば3千年前には水稲や竪穴式住居を完成させた縄文人が朝鮮半島に入植し、朝鮮ヒトモドキどもを指導し支配下に置いていたことが明確です

支配していた根拠として挙げられるのは日本人特有と言えるY染色体O2b1で朝鮮半島では北緯36度線以北には存在していません
寒さに弱かった縄文人は北緯36度線以北は朝鮮ヒトモドキに開拓させていたという傍証であり、住居跡に炉がないことの理由と結論付けられます

魏志韓伝にもあるように馬韓の南は倭人の国であり、むしろ三韓は北から魏の影響を受け、南から倭の影響を受けて発達したと断定できます
0745日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 02:40:22.59
>>724
>例えば卑弥呼とか…記紀では全く触れていない

てなこと言っちゃってるけど、神功皇后の六十六年を見てちょ。
「武帝の泰初の二年の十月に、倭の女王、譯を重ねて貢献せしむといふ」
て書いてるよ。
これって、倭国の女王卑弥呼は実在したという認識だよね。
そして、この女王とは、大和とは別だけどねって言ってるのよね〜。
0746日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 02:45:19.51
>>728
最後の結論がなんともなあ〜。
0747日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 02:49:40.21
>>733
そらそうよ。
崇神の頃でも、まだシャーマンだしな。
シャーマンを天皇と言うかというと、ちょっとためらうわな。
0748日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 02:58:47.08
>>737
殷周が史実だったというのも、殷の王名が甲骨文字や金文で確かめられ、
それが史記が書いている殷の王名とぴったんこだったことで、殷王朝があったと確定したということ。
史記などに書いてある細部の出来事などが、果たして史実だったかどうまでは分からんというのが実際。
0749日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 03:33:20.33
逆に言えば、史記は凄いな
よく殷の皇帝とか記録出来て、残せてたな
0750日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 03:40:55.00
>>749
神話伝承の世界では固有名詞は残るんだよ
ただストーリーが変わる
奈良時代の日本神話と平安時代鎌倉時代の神話のようにね

だから邪馬台国スレでよく神々の名前や系譜を根拠に論陣張ってる池沼がいるけれども、そんなものは全く信用ができない
伝承はいい加減なもので固有名詞とストーリーのアウトライン以外は信じてはいけない
0751日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 03:41:35.09
>>1
終了している話なんだけどw
いつまで同じ話をしているんだ?
0752日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 03:47:30.99
>>1
このような話ばかりしていると、
神(氏族?系統なども違う)もいて・・・という話になるし。
0753日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 03:50:14.69
ほんとーの国の神だからw何をしても逮捕もされないとか。

そういうことにもなるかもしれないし。
0754日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 04:09:17.41
世界皇帝、宇宙皇帝〜、〜神という存在もいるだろうし。
探せば、どこかにいる。
0755日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 13:58:41.32
.



◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。


「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
 


ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!


.
0756日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 17:24:35.82
天皇の先祖は元々弥生時代の対馬海峡の海賊のような存在で交易を支配して、莫大な富を作っていたんだろう
イザナギの聖地が博多湾沿岸の小戸というのも、天孫族が博多の海人だったからに相違ない
そこは金印のあった倭奴国でもある
0757日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 17:26:35.77
>>750
>伝承はいい加減なもので固有名詞とストーリーのアウトライン以外は信じてはいけない

出雲を下した筑紫が天下を治め、その一部が大和に入り、のちに天皇家となったというのが、記紀のストーリーのアウトライン
0758日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 18:53:54.18
神武といい応神といい、九州から畿内に向かってるストーリーが多いから
天皇の祖先が九州方面から来たのは間違いかなろう
0759日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 18:56:02.21
>>756
安曇族と関連がありそう。
親族関係くさいな。
安曇も九州から畿内、関東方面に向かってる
0760日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 19:14:15.79
考古学的にも弥生時代の列島の中心は九州北部
0761日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 19:41:08.08
軍事などが行われるとき、天皇は大本営に留まり、皇族は各軍団などに参加して士気を高めるなどの役割を担う。
蘇我氏が物部氏を攻めたときには、若き聖徳太子も蘇我氏の軍兵に参加している。
また、大和政権が中国への渡航の航路を調査するために調査団である覓国使を種子島へ派遣したが、その覓国使が薩摩を通過した際、
薩摩の有力者らが巫女あるいは女シャーマンらしき者を先頭に立てて集団でこの覓国使を脅迫することがあった。
これらをみると、神を祀り、その神の意思を受ける祭祀者には、そのような役割があったことが分かる。
この観点から神武紀をみれば、神武の兄が生駒の長脛彦の軍兵が放った矢に当たってやがて死ぬことになるが、
これは若き聖徳太子が蘇我氏の軍兵に参加したことと同じである。
天皇、あるいはその血を受けた皇族とは集団の中においてどのような存在であるのか、おのずと明らかである。
天皇の存在の核にあるのは、古い時代の部族のシャーマンだということである。
そのようにみると、天皇や皇族が軍兵の先頭に立って敵に向かうのはそもそもなぜなのか推測がつくというものである。
0762日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 19:51:36.58
強いリーダーに頼るのは必然。
天皇云々は関係ない。
さかも薩摩の例で何が言いたかったかが意味不明。
九州は女王国だったというだけ。
0763日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 20:34:18.40
生駒のナガスネヒコだけど
前から思ってたけど
土蜘蛛なのか?
手足が長いから土蜘蛛なんだろ?
長脛彦って、もろに長い足の事だし
土蜘蛛なんかな?
神武の連中とは、やや民族が違ってたのだろうか?
旧モンゴロイドと新モンゴロイドみたいに。
0764日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 21:08:41.69
>>762
大和朝廷が派遣した薩摩や種子島などの調査のための覓国使を脅迫した者たちについて、
続日本紀の文武天皇四年には「薩末比売、久売、波豆と土地の豪族らが…」と書いている。
そもそもの首謀者は豪族たちであり、その先頭に女たちが立って覓国使を脅迫したわけだが、
研究者はこの女性名の者たちを女酋的呪術者集団とみなしている。
つまり、女シャーマンらの集団が先頭に立って脅かしたというもの。
このパターンは、若き聖徳太子が蘇我氏の軍兵に参加していたことや、神武の兄が軍団の中にいて敵の流れ矢を受けてしまったことと同じだと言っているもの。
近いところでは、第二次大戦のときに皇族方が師団に派遣されて、軍の士気を高めたことも同じパターンである。
天皇とその皇族の存在の核心には、この古い時代のシャーマン性が秘められているということなのよ。
0765日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 22:17:09.45
>>763
言葉が通じているみたいだし、ナガスネヒコの名はちゃんと倭人の名前だ。
ちなみにその頃の神武の名前はイワレヒコ。
同じ民族だろ?
0766日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 22:18:17.77
>>764
>このパターンは、若き聖徳太子が蘇我氏の軍兵に参加していたことや、神武の兄が軍団の中にいて敵の流れ矢を受けてしまったことと同じだと言っているもの。

どう同じなのかさっぱりわかりません。
戦いを率いた神武らと、シャーマンがどうして同じなのでしょう?
0767日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 22:30:21.08
>>765
神武側が名付けた可能性は?
ヒコは男に付ける名前だから
足の長い男みたいな意味で命名したのでは?
0768日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 23:00:53.79
>>766
こちらが聞きたいくらいですよ。
神武やその兄らは何だと考えているのですか?
0769日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/25(木) 23:16:36.58
ぶっちゃけ、神武が居たのか?不明だけど、ヤマトの創始者が東征を行ったのは事実だろうけど、
明らかに土着民に対する侵略行為なのに、誰もそこに触れずに普通に美化してるのに
底知れぬ違和感を感じるわ。
0770日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 01:06:50.73
ナガスネヒコとか
敵は大将はあの足長野郎程度の意味だったんじゃね?
0771日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 01:28:21.35
まあ、天皇の前身は大シャーマンだな。
0772日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 01:31:24.90
饒速日と長脛彦の関係と、天皇と秀吉の関係とは、ほとんど同じじゃないの?
0773日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 02:14:05.46
ぶっちゃけ、実際の古代大王は豪族に推挙されてなって、有力豪族の持ち回り制みたいになってた説が有力だよな。
合議制とか言うやつ。
それが、欽明あたりから世襲制になっていって、記紀編纂の時に、持ち回りだと格好悪いから万世一系ぽく書いたのが、真相だと思う。
明治になって、プロパガンダで万世一系が強調された。
0774日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 08:27:50.38
>>768
普通に筑紫の王族だろ。
筑紫のシャーマンは女性だよ。
0775日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 08:28:51.82
>>769
>明らかに土着民に対する侵略行為なのに、誰もそこに触れずに普通に美化してるのに

勝てば官軍とはまさにこのこと。
0776日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 08:30:03.64
>>772
>饒速日と長脛彦の関係と、天皇と秀吉の関係とは、ほとんど同じじゃないの?

そもそも饒速日が天神の子(アマテラスの直系)とされているから、似ているね。
0777日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 10:25:56.38
神武のヤマト入りの神話の特徴は同胞の饒速日を除き、原住民が人間扱いされていないところにある
人間なら百姓の中に含まれるはずだが、土着民たちは例え天皇一行に帰順していても、土蜘蛛などと虫ケラのように書かれている

これはインドアーリア人の原住民征服の話に似ているところがある
被征服者のドラビダ人はみなダーサ(奴隷)扱いだ

天孫族と原住民との間には、同じ人間とみなせないような相当大きな民俗的違いがあったのだろう
0778日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 10:40:48.50
旧モンゴロイドと新モンゴロイドみたいな
縄文と弥生系みたいな
朝鮮中国系とポリネシア系みたいな
見た目の差は大きかったと思う。
天皇は当然、大陸からの渡来人だろうから
先住民族に対する人権意識などは全く無かったろう。
安曇族はたぶんポリネシア系の海遊民族と見た
0779日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 11:05:46.70
天皇のルーツは韓国。
上皇陛下が天皇だった頃に、「私の母方の先祖が韓国」と言ったのが動かぬ証拠。
0780日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 11:07:05.38
>>779
そんなこと言ってないぞ無能
お前ら朝鮮系はスグ嘘をつくから罵られ蔑まされる
0781日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 11:13:39.20
チョンコロの手にかかるとデイヴィッド・ベッカムもカール・ルイスも韓国人にされてしまう恐ろしさ。
0782日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 11:28:07.25
嘘つかないと死んじゃうニダ
0783日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 12:51:59.71
>>774
神武は王らしいことはなんもしてないけど。
神武が王だと判断した根拠はな〜に?
0784日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 12:59:30.09
そもそも実在してないという。
神が入ってる名前のやつは、実在しないってのは定説
0785日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 13:00:46.59
>>776
天皇が祭祀を行い、秀吉が世俗の政治を行うのは、饒速日と長脛彦と同じパターンなんだから、天皇は古代から一貫して祭祀者であることは変わらんのよね。
そうした祭祀者の役割は、縄文弥生ではシャーマンの仕事だったということも同意できる?
0786日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 13:11:25.39
>>777
神武紀は、敵対したから蔑んだという構図ははっきりしている。
すなおに帰順したものは、蔑んだりしていない。
しかも、その戦後に奴隷として用いたことを示す記述は一切ない。
戦中の話と、戦前戦後は分けて考えんとな。
0787日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 13:13:30.71
>>783
王族だけど、実権は親族の饒速日が持っていたんだよ。
だから神武に事績などない。
ただ、饒速日の末裔の物部氏はのちに滅んでしまって、現在の天皇家の祖先が神武にあたるので、神武がもてはやされているだけ。
0788日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 13:15:18.04
>>784
神とつくのは、その王朝の始祖神、つまり初代だ。
神武、崇神、応神はそれぞれが先代と直接の血縁ではないのだろう。
しかしそれは実在を否定する根拠ではなく、むしろ実在を支持する根拠だよ。
その後の子孫が続いているわけだからね。
0789日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 13:17:09.30
>>785
縄文を持ち出す意味が不明。
あと、神武の頃の祭祀を司るのは饒速日。
その後も、大和王朝の祭祀は物部氏が司っていた。
(だから仏教の導入に反対した)
神武は祭祀など司ってはいない。
0790日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 13:44:25.59
>>788
子孫は続いているだろうけど
もともと記紀は天皇の権威を高めるために、創作されたものだということを忘れてはいけないよ。

だから、史実ではないストーリーを入れたりする。
とくに神武から崇神までの天皇は居ないのは、歴史学では常識。
もっと言えば、神功も応神も武烈とかも存在しない創作の人物だろう。
これも常識。
神功の三韓征伐とか、新羅、百済、高句麗が戦わずして降伏した。とかある。
これは白村江の戦いで半島に惨敗したから、わざと入れたストーリーって説がある。
0791日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 14:12:54.14
.



日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。


.
0792日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 14:49:24.62
嘘は書けないけど、誇張したり年代をずらしたりしてあると思う。
神武は饒速日のもとに転がり込んだ居候だったのに、物部氏を倒しちゃったから書き放題。
ただ、本質的なストーリーでは創作を書いているわけではない。
0793日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 14:57:39.28
三韓征伐は嘘じゃないけど
派兵して小競り合いとか、和平交渉とかが誇張されて、書かれたものだろう。
これなら、半島側の歴史とも一致するからな
0794日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 16:34:52.42
レトリックとか修辞とか文学的な装飾とか、いろいろ大人の事情があったんだろうなぁ
とは忖度します。

記紀が偽書だとか、政治的なフイクションにまみれて読む価値がないとかいう極端な評価はお菓子いとは思います。

日本書紀の感性の後、250年の間に7回も日本紀講筵が実施されて、真面目に原著講読のゼミが
皇族、貴族、学者によって行われて、詳細なテキストの解釈と学術的な注釈がなされてきたんだし
当時も今も重要であるのは間違いがない
0796日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 18:01:32.44
>>789
その饒速日が「大和の祭祀権を神武に譲ります」というのが、そもそもの饒速日の帰順の意味なのよね。
そして、それが神武紀のテーマなんよ。
神武は大シャーマンというのが実際の姿。
そうした大シャーマン神武より前の部族の祭祀者は単にシャーマンと呼ぶのが適当。
何事にもルーツというものがあるのよ。
0797日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 18:45:23.67
>>796
この考え方から言うと、3世紀前半頃に北部九州にいた卑弥呼は、北部九州の部族連合の大シャーマンだったというのが真実の姿だろう。
卑弥呼がシャーマンだったのは、倭人伝の記述を読めば分かること。
とすれば、同じ3世紀前半の大和で列島最大の墳丘墓を複数造った部族連合が戴いていたのはそうした大シャーマンだったということは、自明のことだね。
0798日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 18:47:18.66
あっちには広開土王碑があるから、倭人がしばしば半島を攻めていたのは確かなんだろう。
なんでも創作で片付けるのは思考停止だぞ。
0799日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 18:48:12.20
>>796
>その饒速日が「大和の祭祀権を神武に譲ります」というのが、そもそもの饒速日の帰順の意味なのよね。

妄想ですね。
その後も物部氏が果たした役割は大きかった。
0800日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 18:50:21.29
>>797
>とすれば、同じ3世紀前半の大和で列島最大の墳丘墓を複数造った部族連合が戴いていたのはそうした大シャーマンだったということは、自明のことだね。

別の文化を持つ別の氏族だよね。
倭の別種だ。
シャーマンとは関係がない、もっと武力に訴える野蛮な勢力。
0801日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 19:19:59.29
>>798
しばしば倭が半島にでていったのは史実で間違いない。
だが、新羅、百済、高句麗が戦わずして降伏したは、盛りすぎ。
さすがのネトウヨでも擁護出来んぞ。
特に高句麗は隋でも征伐に失敗して、隋王朝滅亡の原因になってる。
0802日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 20:47:38.83
>>800
卑弥呼の3世紀前半に氏族という血縁集団が成立していた証拠はない。
考古学的には、3世紀前半は弥生の部族の時代といえる。
部族の祭祀者はシャーマンの言葉で表すのがよい。
この時期に大和のあたりにいた勢力については、倭人伝などは北部九州の倭人と同じ倭種だと言っているよ。
部族の連合体だったようだ。
0803日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 20:52:48.74
>>799
残念ながら、大和で物部氏の存在が推定されるのは、天理市にある布留遺跡に関連して。
布留遺跡は5世紀後半から。
それ以前に大和に物部氏がいたかどうか、それは分からんということになるよ。
0804日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/26(金) 21:04:37.66
.



日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。


.
0805日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 00:29:04.16
>>803
都合が悪いことはわからんと片付ける典型的なチェリーピック。
0806日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 00:30:15.64
部族と氏族とどう違う?
0807日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 00:31:13.25
天皇どころか日本人のルーツは朝鮮人である。
0808日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 03:54:53.96
 ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     彡 ⌒ ミ
    〈 ´・ω・〉    ∧_∧
    /     \   (    ) はぁ?てめえウンコ食い過ぎじゃね?
.__| |    .| |_ /     ヽ
||\. ∧_∧    (⌒\__./ ./
||.  (    )    ~\_____ノ|  ∧_∧
   /   ヽ ガイジきめぇ \|  (    ) 朝鮮に帰れよクソゴミカス
0809日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 07:12:45.21
纏向古墳群とは誰の墓なのか。
私は崇神の母系の物部ではないかと思ってます。
当時は母親の実家で子供を育てたわけですから、崇神の住んだ纏向は母親のイカガノシコメが住んでいた所でしょう。
つまり物部の土地である。

また大阪交野(かたの)に箸墓の縮小サイズである雷塚古墳(森古墳群)があります。
この雷塚古墳は箸墓と同時期か少し後と言われています。
箸墓は260〜280年くらいでしょう。
つまり雷塚古墳は崇神時代より少し前です。

ところでこの森古墳群、前期古墳にしては珍しく被葬者をほぼ特定できます。
交野の語源になった肩野物部集団です。
被葬者として推定できるのは彼らしかいません、一択です。

つまり崇神の前に【物部が前方後円墳を造っていた】という事になります。
しかも彼らは箸墓とも強い関りがあることになります。

というわけで纏向古墳群は瀬戸内海洋集団・物部の墓である。
0810日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 08:16:22.55
調べたりすると出てくるでしょ?
皇帝、現存する世界唯一の〜とか、ただのハッタリなんだけどな。

工作員か何かなんだろう。
0811日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 08:17:23.64
例えばw『世界皇帝』調べてみた?
0812日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 08:32:57.90
『世界皇帝』のように持ち上げたり、担ぎ上げたりして、
ただ利用しているだけだと言っている人達もいるし、それがホンモノの意見、考えだろうw

何かに利用しているだけ。
0814日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 13:04:59.35
古事記を50年以上研究してる
歴史学者の三浦 佑之というのが、
NHKのラジオ番組で
古事記の神話の天孫降臨とか天皇に関わる神話は
世界各地の神話分布の分析からいって、中国東北部から朝鮮半島にかけてから、来ている。
って講演してたぞ。
暗に天皇のルーツに言及してたな。
ちなみに出雲神話の因幡の白ウサギとかは、東南アジアから来てる。
おそらく、縄文時代を構成してたポリネシア系の人たちの神話だろう。
って分析してた。
0815日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 13:38:07.91
ポリネシアに人類が現れたのはほんの3000年前だぞ

そして3000年前の日本はちょうど弥生時代開始

馬鹿馬鹿しい
0816日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 13:38:27.20
.


◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用
新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&;ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&;aq=-1&oq=&ei=UTF-8

アー タノシーデスネー 7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑!wwww

http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html


.
0817日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 14:33:50.74
>>809
問題は、交野の森遺跡の鍛冶工房跡も大和石上の布留遺跡の鍛冶工房跡も、いずれも5世紀後半からの遺構ということだよね。
4世紀頃からの森古墳群の被葬者たちと5世紀後半から始まる鍛冶工房の主が同じかどうかという問題が残る。
もちろん、物部氏の当主は大和石上の物部氏だから、こちらは5世紀後半からの氏族。
どうすんの、100年以上の誤差があるんだが。
交野の森遺跡は5世紀後半からの遺構だから、大和石上の物部氏の支族が出先の施設を交野につくったという可能性はあるよ。
0818日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 14:38:29.91
>>814
日本書紀はあちこちから雑多に神話を集めて、それを基にしてストーリーを作っているから、
その元ネタの神話保持者が直接天皇につながっているとは考えないほうがいいね。
0819日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 14:46:50.22
>>818
天皇と直接つながる神話は、イザナギとイザナミの国生み神話くらいだろう。
天孫降臨のアイデアは、近江の三上山の天之御影神の降臨神話が元ネタだから、天皇とは直接関係ない神話だし。
天孫降臨の際の猿田彦なんてエジプトのトート神を探し出してきて、ストーリーに組み込んでいるんだからね。
また、イザナギが目を洗って太陽が生まれたというのはインドの神話から拝借したアイデアだ。
天皇関連の神話が半島などから来た移住民が保持していた神話だとするのは、考えすぎだよ。
0820日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 14:56:49.57
>>806
部族の場合は、その構成員全員が同じ神から生まれたとする神話を持ち、血縁によるつながりは重視されない。
氏族の場合は、その構成員全員が一人の始祖から生まれたとする伝承を持ち、血縁がそのつながりの要となる。
そういう違いがあり、部族と氏族の概念はまったく異なるものだ。
また、部族の場合は私有財産の観念は薄く部族韻全員の所有とする観念があったようだ。
一方、氏族の場合はその財産は明確にその氏族に所属していて、氏族員以外の者には何の権利も認められない。
部族と氏族の違いは、この血縁と財産の所属の違いが極めて大きな要素となる。
0821日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:08:48.44
>>815
正確には、東南アジアとか中国南部とか言う言い方だった。
三浦教授は古事記研究の重鎮だからな。
馬鹿には出来ないのは事実だよ。
0822日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:14:10.50
>>817
>もちろん、物部氏の当主は大和石上の物部氏だから、こちらは5世紀後半からの氏族。

前提が間違っている。
饒速日は交野に降臨し、そこから入ったことになっている。
考古学的に確認できていないだけ。
何しろ時代が時代だから、高床建物は1棟くらいしかなかったろう。
0823日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:15:25.06
>>819
>天孫降臨のアイデアは、近江の三上山の天之御影神の降臨神話が元ネタだから、天皇とは直接関係ない神話だし。

根拠のない思い込みを前提にするとトンデモな結論になるという見本だな。
0824日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:15:26.91
>>817
大和石上の物部氏がつくった出先工房が交野の鍛冶工房だと思う。
交野の鍛冶がなぜつくられたかというと、出雲に海路到着する鉄素材を入手するための拠点を設けたもので、
その交野で出雲から運んだ鉄素材を鍛治精製したうえで、大和の布留の鍛治工房へ運んだのだろう。
このシステムは、大和の西の河内大県の鍛治工房の役割と同じ。
大県で鍛冶精錬した鉄を大和へ運んで、布留の物部の工房が鉄器を仕上げた。
もちろん、交野や大県自体でも鉄器は生産したが、中枢部は大和物部にあったということだろう。
布留遺跡では馬の骨が多量に出土しているから、鉄素材運搬のために馬を飼育していたのだろうと考えられている。
交野は北河内の馬飼いの地域に当たるから、出雲から鉄素材を運搬する馬の入手は容易だったはずだ。
0825日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:16:16.67
>>820
>部族の場合は、その構成員全員が同じ神から生まれたとする神話を持ち、血縁によるつながりは重視されない。

祖先が同じなら血縁だよ。
勝手定義を振り回してもダメ。
0826日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:17:49.48
>>823
神が山頂に降りて来るという神話は、日本ではここにしかないのよ。
根拠がありすぎて、こまっちゃ〜うわ♪
0827日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:19:37.05
>>824
>大和石上の物部氏がつくった出先工房が交野の鍛冶工房だと思う。

根拠のない思い込み。
物部氏は畿内では最初に交野に住み着いたとされる。
当時はまだ海が近く、交野に上陸したということ。

>交野の鍛冶がなぜつくられたかというと、出雲に海路到着する鉄素材を入手するための拠点を設けたもので、

デタラメだなあ。
出雲からどうして海路で交野に着くんだ?
交野は瀬戸内海の終着点ではあるが、出雲は日本海側だから関係ない。

キナイコシのアホな妄想ばかりでつまらないな。
0828日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:22:26.84
>>826
交野の山上に饒速日が降臨したとされている。
磐船で来たとあるから、実際には船で大阪湾に到着して磐船神社あたりに宮を構えたということだろう。
0829日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:22:52.43
>>826
筑紫の日向の天孫降臨のパクリに過ぎない。
0830日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:27:57.81
古代ギリシアでは、各王家が自らの祖先をゼウスとする家系を主張しており、それが肯定され結合された結果、ゼウスは浮気を繰り返し沢山の子孫を儲けたという、とんでもない浮気性の神となってしまった。

ギリシア人は先祖の多くがゼウスと主張したのは分かる。
同一民族だからな。

翻って日本はどうか?
古代の日本でも、各部族の神話が肯定され、そして結合されていった。
その結果、大和の神々はアマテラスか高御産巣日の子孫となり、出雲の神々はスサノオか神産巣日の子孫となる
そしてこの祖神達は、姉と弟、兄と弟と位置付けられて、ヤマトが格上と定義されている。

これが意味する物は何か。
大和と出雲は別民族だったのではないのかな。大和が出雲を支配する関係として神話が結合されたのだろう。
0831日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:29:06.48
>>828
>交野の山上に饒速日が降臨したとされている。
>磐船で来たとあるから、実際には船で大阪湾に到着して磐船神社あたりに宮を構えたということだろう。

そんな話は信用ならない
後の人がこじつけて産まれた話を証拠に出すのは意味がない
0832日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:35:43.52
あーあー
見えませんー
聞こえませんー

都合が悪いとすぐにそうなる。
敗者のキナイコシ、哀れなり。
0833日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:35:45.57
>>825
一部族が一つの血縁でつながっていれば、子孫の維持は不可能。
部族のような集団は常に新しい血が必要だから、血筋は入れ替わっている。
しかし、それらの血縁の由来は部族の神に発しているとする疑似血縁神話によって部族員が構成されているので、部族員はみな兄弟という前提になる。
部族の部族たる理由はここにある。
一方、氏族は明確に一つの血縁からなる集団であり、氏族が男性始祖を氏族神話に設けるのは、そうした血縁が要だから。
そうした男系の氏族も健全な子孫維持のために、氏族外から嫁取りが行われる。男系氏族の女性は族外から夫を得て、血の健全保持を図る。
しかし、その族外夫及び子は氏族の周縁に位置し、決して氏族の本流とはならない。
まあ、そういう違いがあるのよ。
問題は、部族社会から氏族社会に転換する5世紀に、いったい何が起こったのかということよ。
きみの優秀なおつむでよく考えてみたまえ。
0834日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:36:14.93
>>830

ブーメラン

そんな話は信用ならない
後の人がこじつけて産まれた話を証拠に出すのは意味がない
0835日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:36:21.34
どの神がどこで産まれたてどこに天下った。
そんな話には何の根拠もないし下らない後付け。

神道の宗学研究ではないのだから、記紀は神聖でもなく無謬でもなく、間違いと改竄だらけの伝承の結末と知るべき。

神話を歴史的真実とそのまま信じるのは池沼。
歴史的真実を元に改変や改竄を繰り返して、文字時代になったときに、それが書き留められただけに過ぎない。
0836日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:36:35.82
>>819

そんな話は信用ならない
後の人がこじつけて産まれた話を証拠に出すのは意味がない
0837日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:36:44.32
>>819

そんな話は信用ならない
後の人がこじつけて産まれた話を証拠に出すのは意味がない
0838日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:36:54.53
>>817

そんな話は信用ならない
後の人がこじつけて産まれた話を証拠に出すのは意味がない
0839日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:37:57.03
ダブスタキナイコシ
0840日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:39:52.53
>>834
神話は断片的な固有名詞やストーリーのアウトラインにしか意味がない。
登場人物にまつわる小噺などは全く考慮に値しない。

あなたの論説は、記紀の細かなお話を意味のあるものして信じており、それ論拠に主張を展開している。
私はそんなものは無意味として捨てており、アウトラインしか見ていないよ。

記紀は神聖でもなく無謬でもない。
ただの日本のある時代の伝承を書き留めただけの書物だからね。
0841日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:41:22.37
>>829
残念だけど、筑紫の日向の天孫降臨は日本書紀のパクリだからね。
0842日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:44:02.10
神話のアウトライン以外などは、簡単に変化していくものなのだ。
記紀の小噺を論拠に主張する事に意味はない
そもそも神話は記紀だけではない

記紀の僅か数百年後の神話が沢山残っている
アマテラスが国を作るときに、海底にある大日如来の印文を拾い、第六天魔王と契約を交わしたと書いてある

これは参考にしなくても良いのかね?
同じ日本神話ではないか
0843日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:47:10.72
>>828
そうじゃないよね。
磐船神社にある円盤磐は、饒速日が乗っていた磐船がUFOみたいに乗り捨てられて墜落したものだから、墜落前に哮ヶ峰に飛び降りたという饒速日の伝承は正しいの。
0844日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:50:09.79
>>840
>私はそんなものは無意味として捨てており、アウトラインしか見ていないよ。

それは君の勝手な判断で、ナンセンス

>ただの日本のある時代の伝承を書き留めただけの書物だからね。

否定する根拠ではない。
歴史とは全てそうしたものだ。
0845日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:50:41.09
>>841
天孫降臨そのものが日本書紀に書かれているのだけれど?
意味不明
0846日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:51:26.85
>>842
>これは参考にしなくても良いのかね?
>同じ日本神話ではないか

より古い史料である記紀を重視するのは当然。
0847日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:51:33.70
>>842
座布団25枚!!!
0848日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:54:03.27
>>843
すいません、UFOを根拠にされても信用できません。

交野の地理的条件からすれば、淀川から瀬戸内海への交通の要所を抑えたと見るべきでしょう。
実際、饒速日の部下の長髄彦は、この地で神武らの上陸を阻んだとされています。
0849日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:55:14.93
アマテラスが国を作ったとき、海底の大日如来の印文を拾ってしまったため、第六天魔王が怒りアマテラスの前にやってきて、国が生まれる前をそれを潰そうとした。
今生まれようとしているこの国には仏教が広まり、仏の教えで沢山の人が救われるだろうと。
そこでアマテラスは、私は仏の教えを近づけないと、大魔王に約束した。
大魔王はその回答に満足し、それではあなたの子孫(天皇家)が常にこの国の支配者でいられるように、この私大魔王が神通力で守護てやるといった。天皇に反逆するものは、大魔王の強力な神力で必ず破滅する運命に迎えると。

伊勢神宮が何故仏教を遠ざけるかという神話だが、これも記紀の僅か一時代後の平安時代の日本神話なのだよ。
0850日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:57:32.77
前方後円墳の原型が瀬戸内海で生まれたとすれば、河内を拠点にした饒速日つまり物部氏こそがその担い手でしょう。
その饒速日が日下に上陸して交野から畿内と瀬戸内の全域を支配したと考えられます。
神武らは、東に饒速日が王国を打ち立てて繁栄していると聞いて、筑紫から旅立ったとされています。
0851日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:57:51.74
>>846
記紀もまた、改変された後の神話の一形態。
平安時代以降の中世神話と同じなのだよ。
0852日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:58:14.16
>>849
>伊勢神宮が何故仏教を遠ざけるかという神話だが、これも記紀の僅か一時代後の平安時代の日本神話なのだよ。

詐欺師。
何百年も空いてるだろ。
0853日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:59:39.56
>>827
岡山あたりには、交野から技術者がやってきていたと考えられる説話があるらしい。
こうした話は、交易が元となっている。
交野は、出雲や岡山など山陽山陰から鉄素材を入手していたということだな。
0854日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 15:59:50.69
>>852
その何百年は、古墳時代と奈良時代の間の長さと、あまり変わらない
0855日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:05:46.16
>>850
交野まで遠回りする必要はないな。
日下からそのまま東へ登ればよい。
その東へ登る道が、生駒山にある南北に通る街道に出ると、そのちょっと北に饒速日の磐船があるし、その脇には高い山もある。
あるいは四条畷から東へ登れば、直に饒速日の磐船の地に出る。
0856日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:21:35.48
>>855
実際のルートはそんなところだろうね。
伝承にある「交野」はそれらの地域を包括していたのかもしれない。
場所が変わっていなければ、磐船神社が饒速日や初期の物部氏の宮だろう。
それからさらに大和や尾張に分かれて住み着いたと考えられる。
(饒速日は物部氏やや尾張氏の祖)

神武より前に筑紫から瀬戸内に進出して畿内を開拓した部族の具体的な名称がちゃんと記録に残っているのに、伝承だから取り上げないというのは、歴史に対する冒涜だよ。
0857日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:25:43.13
>>856
伝承だから、取り上げないとすれば
神武とか全て伝承だよな。
ぶっちゃけ、確実な実在記録を求めたら
天智とか天武あたりになってくる。
記紀成立に関わってる人物だし。
0858日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:27:53.92
>>848
まあ、交野は大和からみると伏見方面やずっと北の丹後半島方面へ行く要衝だね。
この交野に4世紀からの古墳群があるというのも要衝だった証だろう。
そして、5世紀になると、交野の南西の寝屋川太秦あたりに伏見の秦氏が進出してくる。
同じ時期に交野に鍛冶工房が設けられるようになる。
交野が大和物部氏の影響下に入ったのが5世紀後半だろうね。
饒速日飛び降り伝承は、元々は四条畷市原田あたりにあった伝承じゃないの?
0859日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:29:35.79
>>818
でも、大陸からの亡命王族がルーツの可能性が高いと思うし
東南アジアから来た説より信憑性は高いし
王族だから不敬にもならないからウヨもニッコリだし
このあたりが落としどころじゃね?
0860日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:32:28.21
部族の名称や地名などは固有名詞だから、改変されても話の中には残るだろう
ただしストーリーの細部は信じてはならない。
参考程度にするのならば問題は無かろう。
どちらにしても考古学的裏づけがなければ、全く使い物にならないものだ。
0861日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:37:35.24
>>857
そもそも記紀の神武は実在の有無を問わず、ギリシア神話のゼウスのようなもので、人々の神話の集合体だろう
饒速日も然りで、実在の有無はわからない
実際したとしても、神話の集合体と化しているので、実際の存在とはかけ離れたものとなっているだろう
0862日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:43:56.20
>>858
>交野が大和物部氏の影響下に入ったのが5世紀後半だろうね。

近畿地方への上陸地点が交野のあたりなんだろ。
そうしたら、大和がその後に交野物部氏の支配下に入ったと考えるべき。
なんでも大和大和というのは、皇国史観という亡霊だよ。
0863日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:44:05.05
>>858
大和鍛冶の元締めだった物部氏が、重い鉄素材を運び込むのに馬を用いたというのは合理的な考え方た。
実際に物部氏の布留遺跡からは馬の骨が大量に出ており、馬を飼育していたと考えられている。
また、北河内の四条畷から枚方までの淀川沿い馬の牧だったし、物部氏はこの四条畷の馬飼いから馬を手当てしていた可能性が高い。
物部氏の布留遺跡の鍛冶工房がスタートするのが5世紀後半で、北河内の四条畷での馬飼いがスタートするのは5世紀中頃とされるので、
当然物部氏は四条畷の馬飼いを影響下に置きたかったはず。
四条畷の馬飼いが交通の要衝である原田に饒速日神を置いていたのを物部氏が取り込んだのは、物部氏が大和で鍛冶工房を設けて鉄素材を運び、仕上がった鉄製品を運び出すのに馬を用いたからではないか。
鉄素材を運び込み、その鉄素材で作った鉄器を運び出すための馬が物部氏の生命線だったのは確か。
大和物部氏にとって饒速日とはそういう存在だったのではないの。
0864日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:47:04.06
物部氏って、そんなに古くからいたの?
昔からあったなら、なんで葛城氏の時代に無名なの?
嘘くさいわ
0865日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:47:38.56
>>861

君は神武を誇大的に捉えすぎだ。
いい加減に皇国史観から脱却するべきだよ。
記紀の神武についての記述の大枠は、筑紫でうだつが上がらなかったから、大和の親戚を頼って来たけれど、四兄弟のうち3人も失って、末の弟だけが辛うじて転がり込んで居候したというものだ。
決して華々しくも神的でもない。
0866日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:51:18.66
>>863
>大和鍛冶の元締めだった物部氏が、重い鉄素材を運び込むのに馬を用いたというのは合理的な考え方た。

大和の鍛治遺跡がどこにある?
大阪湾や淡路島の方が有名だろ?
考古学的根拠も文献的根拠もない適当なホラをつくのはいい加減にしろよ。
0867日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:52:20.16
ここの人って、何で歴史好きなの?

知り合いは教派神道の教義に関わるからと言ってたよ
その人は在日2世だけどね
しかも神道なのに、イスラエルがどうの言ってるんだ

ここの人たちの言ってる事が、彼とソックリなんだよ
宗教の教義を述べてるの?
0868日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:55:38.24
>>864

物部氏の祖は饒速日といい、アマテラスの孫にあたる。
アマテラスの孫のうち、関西に降臨したのが饒速日で、九州に降臨したのが邇邇芸。
神武は邇邇芸のひ孫にあたり、饒速日(とその一族)を頼って九州から奈良に移り住んだとされている。
古代においてはヤマト王権の祭祀と軍事を司る役職であった。
0869日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:56:26.25
その在日の教派神道の人が言うには

秦氏はユダヤ人
邪馬台国は九州
古代の大王は物部氏
古代倭国の任那出兵は九州
神武天皇はいない
安倍総理大臣はサタン

こんな主張なんだわ

このスレの人も、教派神道なんじゃないの?
0870日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:56:48.05
>>861
そうそう。
で、饒速日の原像は、街道の要衝だった原田に四条畷の馬飼いが置いた神だったと想定してるのよ。
大和と交野をつなぐ街道のその要衝にある神を物部氏が取り込んで作ったのが饒速日。
それをさらに、日本書紀が神武の大和入りのストーリーの当て馬として脚色した。
まあ、そんなところだろう。
0871日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 16:58:49.48
>>864

葛城氏は武内宿禰の末裔だから、10世代以上後に登場する氏族だよ。
0872日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 17:00:27.75
>>869

文献的根拠を無視するとそうなってしまう。
まがりなりにも日本書紀は千数百年にわたり、この国の歴史とされて来た。
0873日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 17:00:32.97
宗教の教学を述べたいなら、最初から自分は〇〇教ですと、名乗って欲しいよ
そうしたら誰も近づかないよ
反論もされないから、存分に自説をかけると思うよ

在日教派神道の彼もネトウヨがどうの言ってたよ
0874日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 17:08:06.82
>>870
>それをさらに、日本書紀が神武の大和入りのストーリーの当て馬として脚色した。

当て馬だという根拠がない。
むしろ神武の旅は華々しくなく、最後に長髄彦を倒したのは饒速日となっている。
記紀は脚色部分を除くと、実は畿内の実権は饒速日にあったという物語なんだよ。
0875日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 17:23:14.32
>>866
極力、アホに近いな。
物部氏が天理の布留に鍛冶工房を開設したのは5世紀後半。
ウィキくらい目を通してから、書き込んでちょ〜よ。
0876日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 17:33:23.18
>>874
饒速日が長脛彦を倒したというシーンが脚色なんよ。
長脛彦は四条畷の馬飼い女真族。
女真族は長身なので、長い脚とあだ名されたもの。
その馬飼い女真族の祖先神話が、磐船の峡谷に墜落するUFOから飛び降りる饒速日。
この馬飼い女真族の祖先神話を奈良盆地の支配先住民に仕立て上げたのが、饒速日を取り込んだ物部氏。
自分たちが奈良盆地に住んでいたからね。
その物部氏の勢力を蘇我氏が抑え込んだ事件を脚色したのが、饒速日が神武に帰順する日本書紀の話。
つまり、馬飼い女真族の祖先神話が二転三転しているのが、書紀の饒速日の話。
0877日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 17:47:55.33
>>870
神武が奈良盆地を掌握したあとに皇后としてのが、三島溝咋の娘の媛蹈鞴五十鈴媛。
三島てどこやということになるが、神武の橿原から香芝→生駒→原田→四条畷→太秦→香里→淀川渡河→三島とつながるルートの先にある所。
この三島は、交野からも西に行って淀川渡河した所に当たる。
つまり、奈良盆地から北へ行って、淀川を渡ってさらに北へ向かう交易路の、その淀川の北側の渡河地点にあるのが三島。
橿原の神武が、この北河内の向こうの渡河地点の勢力の娘を皇后にしたということなのだから、交易上のちゃんとした理由があったのよ。
おそらく、日本海側の海上交易路から来る交易品に関連した拠点の取り込みが主目的だろうな。
神武はそのあたりの洞察力が優れていたということだろう。
0879日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 17:52:13.09
>>862
鶏が先か卵が先かの問題。
当然鶏が先で、その鶏は大和だろう。
0880日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 17:57:20.86
>>868
一番大事な疑問なんだけど、
饒速日もニニギも、なんで直接奈良盆地に降りなんだん?
0881日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 18:30:17.70
>>868
大和王権の支配者たちは、実は外来の征服者であったという証拠が神話のあらすじに現れている。
神武や饒速日が本当にいたのかは不明。
原像になる存在はあったと思われるが、神として祀られて拝まれていたため、長い間に人々の想いを吸収して尊格と成長していき、伝承としては元の存在とは似ても似つかぬものになったしまっただろう。
0882日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 18:34:31.80
>>880
大人の事情

継体がわざわざ武烈を極悪人に仕立て上げて
大伴や物部の熱心な推挙を何度も断って
やむなく帝位に就いてたのに
何故か?ヤマトの豪族にヤマト入りを拒否されて
20年も周辺をウロウロした。
あげく継体亡き後の安閑、宣化も何故か
即位後に、すぐに死亡する不自然さ。
明らかに簒奪なのに、ほとんど黙認されているのと一緒
0883日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 19:23:41.60
>>878

創作だという根拠は?
0884日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 19:25:02.90
>>880

ニニギは大和とは関係ない。
ニギハヤヒも、降り立ったのは河内の交野。
何でもかんでも大和に結びつけるのは後世の色眼鏡で無意味だよ。
0885日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 19:29:07.45
>>877

三島を抑えていた溝杭耳は本当に畿内の実力者だったんだろう。
神武なんて、交通の便の悪い大和盆地の片隅に住み着いていたに過ぎない。
日本海?馬鹿も休み休み言えよ。橿原からどれだけ離れているか理解してないだろ。
0886日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 19:32:36.10
>>876
>饒速日が長脛彦を倒したというシーンが脚色なんよ。

自説に都合が悪い部分は脚色や創作だと言い逃れする悪い癖はやめてくれないか?
非常に聞き苦しい。
ただのチェリーピッキングであり、議論に貢献しない。

>自分たちが奈良盆地に住んでいたからね。

物部氏は河内や尾張が活躍の舞台であって、その勢力範囲に石上など大和も含まれていただけだろ。
なんでも大和を中心に考えるのは後世の色眼鏡に過ぎない。
洗脳から覚めてちゃんと資料と向き合おうよ。
0887日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 19:33:41.07
>>875

そりゃ物部氏が最初に畿内に来た時代にはまだ鉄を持っていなかったからじゃないか?
後で物部氏が鉄や馬を導入したんだよ。
0888日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 20:13:24.84
饒速日が長髄彦を誅殺した話がもし本当ならは、長髄彦は良い面の皮だ。
話の辻褄がおかしすぎる。
0889日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 20:57:30.45
皇帝とカーンとスメラミコト=天命を受けた東アジア最大の帝
0890日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 21:16:16.35
.


◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用
新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用


アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&;ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&;aq=-1&oq=&ei=UTF-8

アー タノシーデスネー 7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑!wwww

http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html


.
0891日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 21:17:10.36
>>889
お前の名前は?
0892日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 21:21:29.52
そもそも、お前(テレビなどに出てくるw)の家の話ではないんだけどな。
0893日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 21:26:27.18
他人の家の系図などを繋げているだけ、
〜直系(一系?)でもないし、何度言えばわかるんだ?
0894日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 21:36:02.11
成り済まし、騙りw何度、言えばわかるんだ?
0895日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 21:45:01.89
>>887
大和に来る前は、どこをうろうろしてたんだよ。
0896日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 21:48:15.35
>>886
河内や尾張に物部氏がいたという、なんか、ちょっとしたことでもいいけど、その資料なんぞみせてほしいんだよね。
0897日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 21:49:22.90
そろそろ精神病院に行ったほうが良いぞ、
何度、言えばわかるんだ?
0898日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 21:54:51.56
>>885
日本海から三島までの交通路を一元的に運用していた勢力は、5世紀までは存在しなかっただろうね。
それぞれの区間の部族がそれぞれバケツリレー式に交易品を運んでいたのだろうな。
その中の一区画を受け持っていたのが三島溝杭だろう。
いつの世も川の渡しの勢力は有力だったよ。
0899日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/27(土) 21:58:47.04
>>880
そら、UFOが途中で故障したからだろう。
0900日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 01:09:26.49
>>895
だから交野だろ。
0901日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 01:16:53.80
>>896

アマテラスの孫であるニギハヤヒが降臨したのは交野。
物部氏や尾張氏はその末裔。
三島溝杭耳の父はニギハヤヒの随身の一人だった。
原文は日本書紀と先代旧事本紀。
0902日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 01:20:06.96
>>900
その確証がほしいよな〜。
森古墳群は4世紀からあるらしいからな。
それが物部氏のものだとすれば、もうちょっとははっきりした由緒があると思うけどな。
0903日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 01:27:40.86
>>898

5世紀までなんだって?
三島溝杭耳は淀川と鴨川を支配域にしていたから琵琶湖も押さえれば日本海から瀬戸内海までの通行は可能になるし、その親分がニギハヤヒであることもわかっている。
ニギハヤヒが海部氏の祖として籠神社のある日本海側まで支配していたのは確実。
そして尾張も纒向もその傘下にあった。
ニギハヤヒ物部氏が近畿地方の最大勢力だったんだよ。

君の意見は何から何まで根拠がない妄想に過ぎない。
文献を無視して妄想を語るのはファンタジー板でどうぞ。
0904日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 01:32:01.63
神武の皇后になった媛蹈鞴五十鈴媛は、淀川右岸の高槻三島江の三島溝杭の孫姫さんだが、
この三島江には三島鴨神社があり、この付近は飛鳥時代には近都牧が置かれていたらしい。
近都牧は各地の牧の優れた馬を集めて放牧し、都の主だったところへ配備するための場所で、
その牧が三か所に分かれていたことかせ三箇牧の地名があるという。
このことからすると、この近都牧が設置される前も淀川左岸の牧と同様に、河内の馬飼いによってここで馬が飼育されていたのではないか。
そのように考えれば、ここから北へ向かう街道の荷駄運搬用の馬の飼育が行われていたことが推測される。
神武がこの三島の部族の蹈鞴媛を皇后にしたのは、やはりそうした運輸と関連があってのことだと思われるよ。
0905日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 01:34:59.64
>>902

国内ではほぼ最古の文献である日本書紀に書かれているのに、それを無視したら記録なんてあるわけがない。
古墳時代より前になると遺跡の規模が小さく、発見される可能性は極めて低くなる。
それでも磐船神社とかを掘れば何かしら出てくるかもしれない。
ちなみに京都の籠神社にはニギハヤヒがアマテラスから授かった神鏡2枚が現存する。
0906日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 01:47:51.13
>>904
時代が違う。
魏志倭人伝によると、3世紀の日本には牛馬はいない。
よって神武の頃にも牛馬はいない。

ついでに言うと、古事記によるとその姫の家は三島ではなく大和の三輪山の麓、美和というところだ。
神武天皇とは狭井川(大神神社を流れる)の川べりで出会ったとされている。

君の書き込みは嘘だらけだな。
0907日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 02:09:32.26
饒速日尊の降臨した「河内国河上哮峯」伝承地について、河内国交野郡は交野物部の本貫地であること、
「天神本紀」の天物部二十五部・肩野物部の肩野は交野であること、饒速日尊の六世孫・伊香色雄命の子・多弁宿禰が交野連の祖先と記載されていること、
饒速日尊の十三世孫・物部の目の大連の子の物部臣竹連公が交野の連らの祖先であるとも記載されていることから、
哮峯は河内国讃良郡西田原・磐船山(饒速日山)と考えられる。
0908日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 02:12:47.87
>>904
この三島江の鴨神社の祭神は大山積神で、伊予国風土記逸文では大山積神は「津国の御島」から伊予・伊豆に移ったと記していて、
この神の別名として「和多志(渡し)の神」と書いているという。
つまり、三島溝杭の地盤にある淀川右岸の鴨神社の祭神は、淀川の「渡しの神」だと書かれているわけ。
このことからしても、三島江は淀川の渡し場があった場所であることが分かる。
日本海経由の鉄素材も、交野や天理の物部の工房に向けて淀川を渡ったということだ。
神武がこの三島溝杭の孫娘を皇后にしたその理由が、交易路の要衝を掌握することにあったといよいよ分かるデータが出てきたな。
神武はちゃんと戦略的ポイントを押さえていたということだよ。
0909日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 02:34:54.21
神武天皇の事績とか信じてるの?
作り話かもしれないのに、それを元に論理転回して恥ずかしくないの
0910日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 03:17:13.41
>>907
磐船神社があるすぐ左手の山が付近の山の中で最高峰。
四条畷市下田原の飯森霊園が設けられている山がそれで、
霊園の最も高い位置にある斎場のすぐ西地点が標高274mの地蔵ヶ谷山の山頂。
ほしだ園地の哮ヶ峰より約400m南にあり、四条畷からの国道163号と交野への168号が交差するその交差点が真下に見下ろせる位置にある。
この山頂が本来の哮ヶ峰だろうね。
0911日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 03:21:05.14
>>909
神武の戦略ポイントというのは、古代ロマンだからねえ。
まあ、正しく言えば、日本書紀編纂室は交易路の要衝をちゃんと抑えていて、神武の皇后をそこから迎えさせたというべきだけどね。
0912日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 04:03:46.50
>>906
古事記は信用ならんからな。
日本書紀は五十鈴媛の所在を示す文言を書いてないし。
この古事記のエピソードは、七夕の織姫と牽牛の説話をベースとした話にすぎん。
七夕伝説は交野の天野川にある。
三島はその天野川が淀川に注ぐ河口の対岸にあり、七夕伝説のエリアに当たる。
古事記は、五十鈴媛の父が大物主とされることから、五十鈴媛は三輪山の近くにいたと根拠もなく設定している。
一方、日本書紀は五十鈴媛の父は事代主としている。事代主は橿原の隣の御所市の鴨都波神社で祀られているので、関連付けたのだろう。
しかしそれでも、日本書紀は五十鈴媛の所在地をまったく書いていない。
あやしい古事記に引っ張られて、あやしい話を信じ込んでいるのは、あやしい人間だけだよ。
0913日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 09:36:49.84
宇佐神宮が皇室の重要な宗教拠点なんだし
神武天皇や皇室の発祥が九州から瀬戸内航路にゆかりがあるのは確実だろ
0914日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 11:38:50.63
>>908
何でもかんでも神武に結びつける皇国史観。
神武の妃の出身地は三輪山の麓の美和。
0915日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 11:40:05.70
>>910
>この山頂が本来の哮ヶ峰だろうね。

山頂に降り立ったわけではなく、山上に宮を構えたという意味だから、磐船神社の場所がそれ。
0916日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 11:43:59.40
>>912
>古事記は、五十鈴媛の父が大物主とされることから、五十鈴媛は三輪山の近くにいたと根拠もなく設定している。

三輪山の近くにいたのは事実なんだろう。
そうでないと橿原にいる神武と出会わない。

>一方、日本書紀は五十鈴媛の父は事代主としている。事代主は橿原の隣の御所市の鴨都波神社で祀られているので、関連付けたのだろう。

馬鹿だろ。
それは後世に日本書紀に基づいて祭った神社だぞ。
0917日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 12:46:04.76
神武も饒速日も、瀬戸内から北九州までの交易を支配していた海人族だと思う
当然だが、任那の鉄の流通も担っていただろう

アマテラスもイザナギもイザナミも、この人たちの神だったのではなかろうか
宇佐神宮の神は奈良時代なって応神天皇と習合されるが、実は八幡神は大昔から天孫族の有力な神だったのではと推測する
0918日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 12:47:23.52
>>914
当時は一夫多妻の時代、
魏志倭人伝でも〈其俗国大人皆4^5婦下戸或2^3婦
=「身分の高い人は4〜5人、一般身分の人でも2〜3人の妻を持つものがいる」
0919日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 12:51:11.77
>>917
根拠のない推測は無意味だよ。
まあ、宇佐は神武の頃から記紀に登場するから、筑紫の天津神(海神族)の一族がいたのは確かだろうけど。
0920日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 12:53:52.17
>>918
ああそうだね。
ここではイスケヨリヒメのことだよ。
三輪山の神の娘とされているが、記事をよく読むと父親が分からないというだけのこと。
他にも類似の話はいくつかあり、いずれもどこぞの神の子ということにされている。
0921日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 12:54:38.25
>>912
寝屋川市のおとぎ話で河内の国 、交野郡寝屋のお姫様「鉢かづき姫」もお忘れなく。
0922日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 13:20:59.22
弓削氏(ゆげうじ)は、「弓削」を氏の名とする氏族。
古代の日本で弓を製作する弓削部を統率した氏族で、
物部氏と関係が深く、一部の系統はその傍系とも称した。

吉備弓削氏
備前には、饒速日命(にぎはやひのみこと)の子孫・物部氏が関係する、
素戔嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣を収めたという石上布都魂神社がある。

河内弓削氏
現在は長瀬川とされるが、古代にはこちらが大和川本流であった。
対応して、川をはさんで二つの弓削神社が現存する。奈良時代には弓削寺もあって
称徳天皇が参拝したが、今はなく、位置も不明である。

道鏡の弟弓削浄人は河内国若江郡の人であったが、弓削氏は河内国内で
もう少し広く分布していたようである。
0923日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 13:22:21.69
卑弥呼の後の男の王が物部氏で饒速日のモデルじゃね?
その後の女の王が崇神天皇の母親で王位が物部氏から天皇家に女系継承されたために
王権が物部氏から天皇家に移ったのだと思う。
天皇家は元の姓を名乗れず名だけの存在になったんだろう。
0924日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 13:56:37.49
物部氏は関西を中心とした氏族であり、九州の邪馬台国とは関係ない。
0925日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 14:05:43.22
邪馬台国は畿内でしょ。
0926日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 14:19:54.44
.



(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html


.
0927日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 14:24:22.49
.



7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

6000年前には鬲も登場して、甑を鬲にセットして蒸し上げるという炊飯方法も加わる。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も鬲も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

甑と同時に伝わった同じく中国には7000年前からある竈もそれまで知らなかった。

釜に至っては5Cまで待たなければならない。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html


.
0928日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 14:42:07.91
               ∩_
              〈〈〈 ヽ
      ____   〈⊃  }
     /⌒  ⌒\   |   |
   /( ●)  (●)\  !   !
  / :::::⌒(__人__)⌒:::::\|   l    在日朝鮮系の
  |     |r┬-|       |  / < 無能ヒトモドキ
  \     ` ー'´     //      まるだしwww
  / __        /
  (___)      /
0929日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 14:48:59.98
>>925
根拠なし
0930日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 15:31:29.78
>>921
絶世の美女の顔隠すのに鉢かぶり、その鉢の中にお宝隠しすというちょっとしたホラー趣味の発想力は、寝屋川特産なのか。
話自体は継母にいじめられ、王子様に見初められて結婚して幸せに暮らす、というシンデレラ姫の話と同じ。
やっぱ、鉢が得意点レベル高い。
ご飯食べるときは鉢をどうしていたのか、ちょっと気になる点やな。
0931日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 15:58:45.91
>>930
ただのおとぎ話だろ。
事実じゃないから。
桃太郎の桃を切るとき、桃太郎も切り殺してしまう。
のたぐいと同じ
0932日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 16:03:22.47
まあなんやな、饒速日が登美地域の首長である長脛彦を排除して神武に大和の祭祀権をゆずったのも、神武が三島の淀川渡し部族の娘を皇后にしたのも、橿原から生駒→下原田→交野(あるいは四条畷)→三島の交易の要衝を牛耳るためであることは、
日本書紀が編纂されてそれを読んだ当時の大和の知識人としては、「あ、なるほどね」とすぐ分かる話だったはず。
ということは、この生駒山系脇の交易路を手中にすることが、大和王権の生命線であったということなんだわさ。
ここを手中にしないことには、せっかくの奈良盆地も鉄器が思うようにつくれず、王権が維持できなくなるということなのよ。
神武の話のテーマの一つは、ここにあるということだよな。
きみらも、神武紀のここのところをじっくりと読んでみたまえ。
0933日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 16:15:05.57
説得力はあるけど、高千穂から来たばっかりの
神武がそんな地理や政治に詳しい訳ないし
ますます神武非実在説が有力になるだけなんだが。
0934日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 16:16:15.56
むしろ記紀の編纂をした知識階級の人間が創り上げた物語と考えた方が説得力ある。
0935日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 16:34:37.51
>>932
長髄彦は祭祀権なんて持っていなかったし、三島に進出していないし、そもそも王権ですらなかったかもしれない。
饒速日の部下の鴨族の姫を娶って大和の豪族たちの仲間入りを果たしただけ。
0936日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 17:11:07.85
最大限遡って370年代、七支刀、阿直岐師の渡来時の
統一日本王が、記紀名、応神天皇とする。

応神が神功皇后の伝奇を信じたら基地外である。
こういうものが、同世代次世代に伝わるわけが無い。

記紀神話はまさかの当然に創作であって、
記紀の創生一統の天帝構想があったと思える、
600年の聖徳太子まで万世一系を創作するための創作なのである。
出雲の国譲りも素戔嗚も建南方も皇統の存在が九州起源じゃ嘘で、
対立豪族間の祖先の伝承である以上、一統に伝わったわけが無い

この応神の後は、倭の五王時代だが、記紀は事実を示さない。
そもそも、240年までに女王卑弥呼の筑紫を統一していなかった日本は
卑弥呼以降313年の楽浪帯方郡撤退まで半島への侵攻は無い。

侵攻したのは三韓ではなく、百済新羅の建国を支援したのであって
幽州刺史、楽浪候として中国貴族となった北方侵略者の高句麗と戦ったのである。
牛馬の移入も、百済新羅、王子の人質来日も七支刀などの根拠は有る。
0937日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 17:11:11.01
長髄彦って本名の訳ないよな
現代語で足長男だぜ
賊軍の大将が異民族で、ヘンテコや名前だったから、足長野郎と言われて、本名は覚えてもらえなかったんだろう
0938日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 17:17:31.20
長髄彦って英語で書くと
chief the long legs
かな
足長の酋長
名前じゃないね
0939日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 18:36:23.50
ナガスネヒコの話が出てるから
生駒の隣の東大阪に石切神社って馬鹿でかい神社があるけど
イシキリって、ナガスネヒコの事らしい。
少なくともそういう説はある。
0941日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 19:51:19.21
タケミカヅチやフツヌシも、アメノトリフネに乗って出雲に行き、オオクニヌシを降伏させたのだという。
神武や饒速日と同じく、船に乗る神という点に特徴がある。
天孫族の神々は、海に縁が深いという事が分かる。
0942日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 20:01:51.07
日本書紀は、長髄は地名だとしている。
古事記では同じく地名から登美ヒコともいうとしている。
0943日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 20:14:05.73
登美の地名は関西地方にいくつかあり、奈良市石木町の登弥神社が代表的。
長髄彦(登美彦)の妹が長髄姫(登美夜姫、三炊屋媛)だが、事代主の娘であるとされている。
(神武に嫁入りしたイスケヨリヒメと同じパターンであることに注意)
長髄彦と天孫饒速日の間の子が物部氏の祖であるウマシマジである。
0944日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 20:16:54.01
生駒山の大阪から見て裏手、東側には富雄川があって
富雄や登美ヶ丘などの地名がある。
0945日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 20:40:48.24
神武が登美彦に最初に遭遇したのは難波の白肩津で、登美の地名は奈良盆地まで広がっている。
この分布に覚えがないだろうか?
登美彦は、自分たちの一族が開拓した土地を神武らが取ろうとしていると憤慨していた。
そして饒速日に仕えていた。

饒速日に従って河内に降臨し、畿内一帯を開拓した三島溝杭耳という人物がいる。
その娘が三輪山の事代主との間に産んだ子が神武に輿入れしたイスケヨリヒメである。

長髄彦と溝杭耳の勢力範囲はおそらくほぼ一致し、一族が饒速日に仕えて畿内を開拓した。
そして事代主にまつわる丹矢伝説も共通する。
この二人、親族ではないだろうか?
0946日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 20:56:47.85
登美は古事記ではトビと読んでいます。
日本書紀では神武の弓に金色の鳶が止まったので地名がついたともされています。
ただし古事記では金色の鳶ではなく、八咫烏が神武を先導し、その正体は三島溝杭耳でした。
敵味方が混乱しそうですが、金色の鳶がいた登美の長髄彦と、八咫烏の正体とされる三島溝杭耳の関係は、記紀が長髄彦の出自を頑なに明かさなかったことと関係があるのでしょうか?
0947日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 21:14:59.00
.



(8)蒸して食べる

7000年前 中国に起源

最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。

この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。

蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。

日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。

しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。

今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html


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0948日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 21:17:13.49
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7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。

6000年前には鬲も登場して、甑を鬲にセットして蒸し上げるという炊飯方法も加わる。

ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も鬲も甑も何一つ伝えなかった。

弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。

中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。

甑と同時に伝わった同じく中国には7000年前からある竈もそれまで知らなかった。

釜に至っては5Cまで待たなければならない。

弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。


◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の釜と竈(=火へんに土)と甑


http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html


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0949日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 22:17:43.48
闇夜に月のピラミドで恐怖の暴力が・・・その後太陽のピラミッドまで車(影)道を歩き天辺で首を切断され
けり落とされる。
最後に朝日と共に心臓を抉り取られ金の皿に乗せられ血の入った金杯と共に太陽に(日本に)
捧げられる。

羊は巻物を開いた。エジプトのファラオは唯一の神が王とした王の中の王である。
王を中心としたピラミッド階層で正方形の秩序の国家
そこで虐げられた奴隷イスラエル人をモーセがエジプトからシナイ山に脱出させた。
神は結果は知っていたが見ておられた。奴隷が苦しくて逃げ出した人達を・・・
結果はやはり金の牛を拝み無秩序に騒いでいた。
今後何処まで逃げても正方形が崩れアナーキーになる事がわかった。
人々は東へむかった。最後の王は日本の卑弥呼や天皇であつた
0950日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 22:38:32.46
総じて見ると、畿内一帯はアマテラスの直系である饒速日が君臨し、その下で三島溝杭耳や長髄彦などが軍事や開拓を実施するという体制がとられていたことがわかる。
神武は三島溝杭耳の孫娘を娶ることで、畿内の豪族たちの仲間入りを果たして奈良盆地の一角に居を構えることができたのだろう。
0951日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 22:53:10.41
>>943
>神武に嫁入りしたイスケヨリヒメと同じパターンであることに注意

その時代に家制度なんてないのに嫁入りなんてするわけないだろ。

事代主神、神の娘に通い婚したのが神武だ。

その神の娘こそ卑弥呼だ。
0952日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 23:10:24.08
神武天皇の事績を信じて、論理展開するなよ
ギリシア神話のトロイアの遺跡ですら、考古学で現物出てきたが、それでもホメロスやらアガメムノンの事績なんて、誰も信じていないだろう
伝承はヒント程度にしか使ったらダメだ
0953日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/28(日) 23:29:40.43
羊は二番目の巻物を開いた。
台湾の原住民に首を刈る民族がいる。また日本の侍も倒した相手の首を刈る
珍しい風習だ。蘇我の姓は我、蘇ると書くフォースは首を刎ねないと我蘇るのだ。
台湾からも九州辺りに船で移民した事は容易に考えられ卑弥呼は九州にいた可能性
が高い。高天原等
0955日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 00:28:11.02
>>951

わかりやすく表現しただけだ。
ちなみに神武は通い婚ですらない。
川べりの小屋に藁を敷いて寝ましたねという神武の詠んだ歌が残されている。
0956日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 00:32:05.57
そもそも神武なんて名前自体がおかしいだろ?
なんで?いかにも格好いい名前なんだ?
創作に決まってる
0957日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 00:39:10.48
神武の原像になる存在はいただろう
しかしながら、神として大先祖として祀られて長年立つうちに、人々の想いを吸収していき、どんどん理想化されて美化されて偉大な尊格に成長していき、伝承も継ぎ足しや改変が入り、まるで原像と違うものになってしまったはずだ
そもそもその原像を神武と呼んでいいのか分からないが、天皇家の太祖という意味では、既に本名が分からないのだから、我々は神武天皇と呼ぶしかない
0958日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 03:19:59.13
さっきまで書き込めなかったので、2ちゃんで書いていたよ。
なんでエラーがでたのかな。
0959日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 03:23:29.11
登美は遠見じゃないの。
白庭台からは、奈良盆地の平城京跡や天理方面がずっと展望できる。
登美と漢字をつけたら意味不明になるが、遠見ならごく普通に意味分かるけどな。
0960日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 03:33:28.70
>>958
お前がバカだからだろ
0961日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 06:40:21.66
>>955
>ちなみに神武は通い婚ですらない。

通い婚だよ。
相手は 比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后、
すなわち卑弥呼(Bei mei hu)。

神武の宮は今の橿原神宮ではない。
あれは明治になって創作された神社。

本当のカシハラ宮は本居宣長も指摘した御所市柏原。
奈良で神武天皇を祀る古社はここしかない。

ここは20世紀に水平社宣言がなされた日本の部落解放運動の発祥地だ。

何故か分るか?
神武は大和先住民の土蜘蛛を高尾貼邑で捉え、束ね、柏原に住んだ奴婢長だったからだ。

その神武が大和の最高位の人物であるはずがない。

当時の大和の、いや日本の最高位は事代主から続く系統・大物主だ。
0962日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 07:08:21.77
>>956
>創作に決まってる

創作なら127歳で没なんて無理な設定はしない。
これは実在した人物だから伝えなければいけない、
しかし、神武が生きたそのままの時代を伝えるわけにはいかない、
そのジレンマが127歳などという記紀という奇形の史書を生み出したのだ。

なぜ神武が生きたそのままの時代を伝えるわけにはいかなかったか分るか。

後漢書東夷伝の倭国王帥升とはスサノオだったからだ。
日本の歴史は中華皇帝への土下座から始まるのだ。
その屈辱の史実を隠すため、時代を大きくずらしたのだ。
だから基点になる100年後の卑弥呼の時代を神武東征紀という武勇伝で覆い隠し、
男王国のようにみせかけ、その時代をBC660年にもって行ったのだ。
0963日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 07:50:15.05
>>956
そりゃ神武は奈良時代につけた名前だからな。
古事記では磐余彦という名前だ。
0964日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 07:51:35.23
>>959
Toomiという音は日本語の古語としてはありえない。
却下
0965日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 07:54:19.51
>>961
>本当のカシハラ宮は本居宣長も指摘した御所市柏原。
>奈良で神武天皇を祀る古社はここしかない。

そこには九州から連れてきたもう一人の妃の宮があるよな。
神武が新しい妃を迎えたので、日陰者として扱われたそうだ。
神武は通い婚ではないということだよ。
0966日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 09:22:31.29
>そこには九州から連れてきたもう一人の妃の宮があるよな。

アヒラツ媛か。
自分から神武にあうためにカシハラに来たという伝承がある。

。神武は通い婚ではないということだよ。

通い婚だ。
鴨族の最高位の女性の宮は長柄神社「姫の宮」。
神武はそこに通ったのであろう。
息子の綏靖がすぐ近くの高丘宮(御所市森脇)であることからもわかる。

あと神武には妃が一人もいない。
神武は大王ではなかったからだ。

神武の役割は女王の婿だ。
0967日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 11:05:15.50
>>961
橿原神宮の側に橿原遺跡ってのが普通にある。
本居宣長の時代には未発掘だったから知らんかったんだろうけど。
0968日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 11:09:37.57
>>967
>橿原遺跡

全然関係がない。
奈良には普通に縄文の遺跡もある。
あの遺跡と神武を結び付けようとするのは典型的な戦前の皇国史観。
0969日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 11:18:27.45
神武の127歳は後世の作為的改竄だな
本来はもっと短い歳だったはずだが、奈良時代は道教も伝来していたので、古の徳の高い聖人は人知で計り知れない長寿と信じられていた。
神農や黄帝といった存在が本当に信じられていた
当時の人は、神武127歳が全く不自然と感じなかったろう。
それどころか、普通の人間と同じような寿命なら、逆にガッカリしたに相違ない。
0970日本@名無史さん
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2020/06/29(月) 11:25:30.98
>>968
wikipediaでも見たんだろうけど、橿原遺跡に対して書いてある縄文時代というのは
実際には紀元前7世紀頃の事だよ。
0971日本@名無史さん
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2020/06/29(月) 11:45:24.19
>>966

イスケヨリヒメと神武の通婚は狭井川のほとりの小屋とされている。
現在の桜井市のはず。

葦原の 穢しき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し
神武天皇
(大意)河原の草むらにあるむさ苦しい小屋にスゲの畳をきれいに敷いて、二人で寝た。

この部分には、狭井川の地名の由来に関する注釈がある。この辺りには「山由里草」(ヤマユリ、実際にはササユリのこと)が多く、ヤマユリの異称を「佐韋」というので、この川を「佐韋河(狭井川)」と呼ぶとある。

イスケヨリヒメが狭井川を詠んだ歌もある。

狭井河よ 雲立ち渡り 畝火山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす
イスケヨリヒメ
0972日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 13:36:05.14
>>969
>当時の人は、神武127歳が全く不自然と感じなかったろう。

そんなことあるかいw
というか平民は日本書記なんて見れないし、
あれは漢文で書かれてることから中国史書への日本側からのレスポンス。
実際の卑弥呼の時代を思いっきりずらし、神功皇后を卑弥呼の時代に持って行った。
そのために干支を2運120年ずらした。

すべて倭国王帥升(shuài/shuò shēng)ことスサノオの土下座を隠すためだ。
0973日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 13:38:48.80
>>971
出会いはどこであれ、二人の息子の綏靖が葛城であることは事実。
というか神武も葛城(御所市)。
ヒメ(踏鞴五十鈴)后は鴨族、鴨族の聖地は高天原(金剛山)。
0974日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 13:44:25.87
.



中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!


.
0975日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 13:45:31.05
>>972
須佐之男って実在の人間なのか?
なぜ実在の人間という前提で話してるのか謎
0976日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 13:49:50.01
ゼウスを実在の人間として話してる人がいたら、世の中の人は池沼だと思うだろう。
なぜスサノオが実在の人間という前提でマトモだと思えるのか不思議で仕方ない。
何かの宗教なのかな?
0977日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 13:51:12.86
>>974
その辺が不思議だよなぁ

世界最古の磨製石器も、世界最古(級)の器も日本にあるのに
なぜ皿状にしなかったんだろう。
0978日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 13:56:54.21
>>975
実在だよ。

実在した人間を神話に託した。
0979日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 13:59:57.07
>>977
浅鉢が皿の代わりになってしまうため、皿の器型の発想を阻まれたのではないか?

以下は参考までに



616 名前:出土地不明 2020/06/29(月) 13:35:56.58 ID:Njv2tRio
東北北部は紀元前後〜BC4C頃??に沿海州と一時期交流している

その証拠に東北北部だけ皿型土器と鬲型土器が出土している

鬲型土器は足が後付けで、粘土の段階から袋足を内側から叩き出して作る中国鬲とは
製法の段階から違っている

しかも甑が伝わっていないので、鬲本来の利用である蒸し器としての利用を
されていないので宝器との見方が強い

コピー土器がほとんどであろうが、30数点の鬲型土器の出土があった

しかし皿型土器も鬲型土器も一世紀ほど後の次の土器段階には幻のように消滅してしまう

ちなみに皿型土器は東北北部以外では日本最古の窯跡である4C末の神戸の出合窯から
出土した百済系の須恵器が最古であり、ここから日本の皿が始まる

東北北部の皿型土器は定着できず、短命で消滅してしまうので、基本的に日本最古の
皿と言えばこちらになる
0980日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 14:01:07.53
口伝してるうちにアニミズムと習合して神様になっちまった
0981日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 14:02:17.88
>>976
倭国王帥升(shuài/shuò shēng)を発音の似たスサノオだと仮定してみろ。
その5世代100年後に卑弥呼がいることになる。
そしてそのすぐ後にトヨ。

朝貢年

266年 台与        トヨ津媛
 ・
238年 卑弥呼       ヒメ(踏鞴五十鈴)后
 ・
 ・
 ・
 ・
107年 倭国王・帥升     スサノオ

神武東征紀は実際には女王国であった史実をごまかすための武勇伝。
0982日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 14:46:23.73
>>978
なぜ実在と言い切れるのですか?
ひょっとしてエジプトやインドに当てはめたら、ホルス神やヴィシュヌ神も実在の人物になってしまったりするような理屈ではありませんか?
0983日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 14:50:08.46
ネトウヨにかかると、エジプトやギリシャの神話はおとぎ話でも
日本神話はすべて史実になってしまう
0984日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 15:11:37.23
>>982
中国最古の夏王朝の開祖禹が実在するか、神話なのか?
禹は神話上の黄帝の玄孫で黄河に住む水神という設定だが?
0985日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 16:28:35.72
>>977
葉っぱに乗せるから必要性が無かったんだと思うよ
0986日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 19:38:43.54
>>982
エジプト神話は明確に神話だが、そもそも記紀は神話ではなく歴史書なのに、それを誰かが神話と呼んでしまった。
0987日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 19:39:38.85
>>984
殷や周は実在していた。
0988日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 19:47:53.56
弥生初期
九州 イザナギにより能古島で倭国建国、稲作拡大
本州 スサノオが日本海から全国へ農業を広める

弥生中期
九州 大山祇らによる倭奴国の最盛期、前漢に朝貢し内行花文鏡をもらう
本州 大山祇の子である三島溝杭耳らにより瀬戸内から近畿の稲作が拡大、出雲に大山祇の曽孫の大国主が日本海を支配

弥生後期
九州 伊都に遷都した天孫ニニギらが後漢に朝貢し金印と内行花文鏡をもらう
本州 大国主は失脚、三島溝杭耳の末裔である鴨一族と天孫ニギハヤヒの王権

弥生末期
九州 倭国は乱れ天孫族が九州を脱出、収拾のため伊都で共立された卑弥呼が、滅亡した漢王朝のかわりに国産の内行花文鏡である平原遺跡の八咫鏡を製作
本州 ニギハヤヒの物部王朝に神武が合流して大和王権の基礎となる

古墳時代初期
九州 再びの乱を収拾するため壹與共立へ、続いて八咫鏡を継承した神夏磯姫が景行と共闘、沖ノ島の合同祭祀の規模拡大へ
本州 崇神により大和王権は拡大征服路線へ、八咫鏡を宮から追放し伊勢へ

古墳時代前期
九州 仲哀が筑紫に迎えられるが崩御、神功皇后が神夏磯姫の末裔の田油津姫を倒し筑紫を統一へ
本州 神功皇后の子で筑紫生まれの応神による統一王朝へ
0989日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 19:48:53.45
>>987
夏はまだ確定してないけど?
0990日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 21:08:53.74
殷周が史実であったのに、夏が虚構であったとする合理的理由はない。
0991日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 21:18:56.95
.



中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。

あちらで皿は盤と呼びます。

ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。

日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。

中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。

その時代差、約5400年。

弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!


.
0992日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 21:25:18.82
>>989
遺跡が見つかってるから
ほぼ確定だろ。
少なくとも欠史8代よりは存在するぞ。
0993日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 21:31:15.16
欠史八代に事跡がないのは、神武一族がただの田舎者であり、実は天皇ではなかったから。
実在しなかったわけではない。
0994日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 21:33:50.69
殷より前の王朝はあったろうが
それを当時の人が夏と呼んでいた証拠はない
王の名前も分からない

殷の一つ前の王朝があったという意味で、後世の言葉を使って夏王朝があったと言っているだけ
勘違いも甚だしいし、文献的な意味での夏王朝じゃないぞ
0995日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 22:07:33.20
欠史八代の事績は日本中の豪族と婚姻関係を結んだことだろ
ちゃんと読めよ
0996日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 22:11:04.59
立場が弱い豪族がよくやる方法なんだよなあ。
0997日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 22:12:35.83
>>994
ちゃんと文献が残っていても否定しないと気が済まない愚か者。
歴史の探求には向かないから、この板にいなくてもいいよ。
0998日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/29(月) 23:47:23.03
>>997
ところで神と書いてあるスサノオが、文献に反して現実の人間だった証拠はどこにあるのか
0999日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/30(火) 06:53:37.96
神というのは王族の尊称だよ。
1000日本@名無史さん
垢版 |
2020/06/30(火) 07:38:54.76
神武天皇様は、とても強い
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