邪馬台国纏向説は、なぜ、破綻してしまったのですか
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やはり、200回程も発掘したにも関わらず、国家が設置した組織から、2019年、具体的な証拠が発見できなかったと判定され、発表されたからですか。 九州説増えとるしw
「『九州説ですか』と聞かれた時は『7割は九州説、3割が近畿説』と答えている そうか、纏向説は破綻してたのか
どうりで動きが無いはずだ
奈良ではもう話題にもならない 纏向遺跡そのものは、卑弥呼の時代より少し前にあるからね。
出雲と尾張の連立政権である神武朝の遺跡。
熊野勢が入り込んできた第一次物部東征の160何代には破壊されなかった。
太田氏は三輪山祭祀の磯城登美家の出で、姉であるモモソ姫をサポートしてた。
当時の連立政権と相手方は大彦の父親、クニクル大王。
魏書に最初に出てくる卑弥呼の時代は邪馬台国時代ではない。
九州の都万国。日向神話の舞台から、第二次物部東征の230年代が所謂邪馬台国の時代。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています