正始四年(243年)12月 - 倭王は大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を復遣使として魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。

という記述に出ている伊聲耆は、物部イニエ。

彼は大和入りしていないが、後に宗神天皇だかに比定されることになる。
だからそれが問題視され、物部氏の名前は系譜からうまく隠され、記紀によって隠された