最も整合性のある卑弥呼の墓は、久留米市御井町の祇園山古墳だな。
大和の箸墓なんて、どこにも整合性がない。
8世紀の書紀編纂者が奈良=ヤマト説の根拠を求めて創出したのが、箸墓=卑弥呼似モモソヒメの墓説。
後漢書の記述から奈良の知識人が大倭=邪馬台→ヤマトとして、奈良の地名変更を行ったのがそもそもの仇。
そして、結局、奈良を邪馬台国にしそこねて、いまだにその幻影に惑っているというわけ。
実際の卑弥呼の墓は、祇園山古墳だよ。