地名の日本史 2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
国内の地名に関してウンチクを語ろう
国外の地名に関しては専スレがあるので移動しよう
※前スレ
地名の日本史
ttps://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1357479968/ 水戸には「石川川」があるぞ
しかも流れている地区名は「元石川町」 >>214 >>1
>日本語で解釈できないような地名は、蝦夷の言語・・・・・
アイヌ語のことか?
アイヌ語地名リスト ア~ワ 北海道庁アイヌ政策課
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/ass/new_timeilist.html >>8
>古代日本語には拗音がなかった・・・・・・
古代大和語にはラ行音で始まる言葉はなかったは聞いたことがあるが
拗音がなかった? 北海道の名付け親が徳川斉昭じゃなくて松浦武四郎なのは徳川斉昭の方は明治以降の写本で根拠が薄いから? >>206
埼玉に高麗と書いてコマという地名があるな。これは狛とも書き、狛犬は高麗から伝わってきた
神獣ということらしい。
一説には駒の由来は、高麗人が乗っている動物だからとも言われる。
東国に土着した高麗人には、馬の生産をさせたのかもしれないな。
これが後の関東武士の起源かもしれない、と言うといろいろ文句を言う奴が出てきそうだが。 北海道という地名の由来が蝦夷の音読みだって今さっき知ったわ 若狭國遠敷郡=おにゅうぐん
これは知らなきゃ読めないな。 筑紫(つくし)平野
筑後(ちくご)平野
筑前・筑後(ちくぜん・ちくご)
統一性がない 築豊(ちくほう)炭田
筑前(ちくぜん)
豊前(ぶぜん) >>222
> 日本橋川
> 橋の名前が川の名前という珍しいケースではないかと思う
「川の名が、橋の名」では? 橋(はし)は、存在しない──
何故ならば「両国橋」のように、必ず「ばし」と濁るから──
言語学の人がこんなこと言ってた。
「○×大橋の場合だと、“はし”だぞ」
とのツッコミに対しては、
「……大橋以外には存在しないのでは?」
との返し。
この貞政橋(さだまさはし)は、全国唯一の例なのか
https://ameblo.jp/kawatakeshino/entry-12624305911.html
なおこの橋は「さだまさしに似てる」と、ナニコレ珍百景で紹介されてた。 松浦武四郎が提案した北加伊道って名前加伊は分かるんだけど北って何 >>40
琉球王国の正史で源為朝が始祖と書いてありますが。
考古学的には10世紀以降に鹿児島から沖縄本島に大きな人口移動があり、そこからグスク乱立→三山分立時代→中山が統一(琉球王国)になる
言語的にも日本語族ですが >>230
地名アハ(淡・阿波・安房)の語義は何なのだろうか?
五穀の一つの粟のことなのか? さかなクンをパクった芸風
持ちネタもパクリの替え歌
~するチャレンジという企画もパクり
父の名声にあやかり父の名を貶める親不孝者
そのこころは、名古屋城調査研究センター長の長男
さかな芸人ハットリ!!
https://twitter.com/hattori95
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) もしかしたら大昔ここで訊いたことかもしれないんだけど、古代大和地方の豪族和邇氏及び関係する地の和邇地名は生物のワニじゃなくてハニ=赤土が訛ったものだという説がある
これの地名学的な妥当性ってどう? 口が大きく恐ろしげな水棲動物は十把一からげで、「ワニ」 というのも動物の名前がそのまま氏族名になっている例が他に無いんだよ
犬養?鳥取?はいても
ただハニだとしても土師氏と被っているから違和感は残るw >>222
江戸幕府の作った川だからだろ
東京中央区で北条以前の時代から残ってる地名は横山ぐらいしかない >>251
自レスだけど鴨(賀茂)がいたわ
普通に忘れてた 現代においては、存在しない名字らしいのは
犬(犬山とか、犬の付いた名は多数)
猫(これも、含んだ名字は多数)
※ただし、根子など「ねこ」と読む名字は実在
鼠も同様 逆に実在する名字は・・
牛、馬、熊、虎、鳥
など。
このうち馬は、中華系からの帰化のみ、という 和邇は動物関係なく地名のワニがあったんじゃないかな
天理市の辺りに REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー
汚職/集団ストーカー/盗聴/盗撮/揉み消し
揉み消し加担 >>251 >>253
>動物の名前がそのまま氏族名になっている例が他に無い・・・・
無知を晒しておるな。思いついて挙げるだけでも数多くあるがな。
鹿島・駒井・猿橋・鳥井・鳥飼・犬飼・猪名部・朱雀・烏丸etc
尤も鹿島・駒井・猿橋は当て字で夫々の動物の意味ではないがね。
用字に着目するのは意味がないぞ。鴨長明も賀茂同様に当て字で鳥の意味はない。 沖縄は日本固有の領土ではないから沖縄には日本人に読めない地名が多い。 北朝鮮に◯◯道◯◯郡◯◯里という行政組織が残っていることに感心した。
日本同様、中国から輸入したんやろな
↓
北朝鮮、台風で堤防決壊 正恩氏、冠水被害で叱責 2023年08月14日11時02分 時事通信
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023081400277&g=int
https://www.jiji.com/news2/kiji_photos/202308/20230814at20S_p.jpg
>北朝鮮の朝鮮中央通信は14日、朝鮮半島に上陸した台風6号の影響により江原道安辺郡梧渓里で河川の堤防が決壊し、農耕地200ヘクタール余りが冠水したと伝えた。 >>263
その固有領土論理でいくと日本人に読めないアイヌ語地名が多い北海道も
遠敷>>232や百舌鳥などの難読地名の多い近畿地方も日本固有の土地ではなくなるのでは? >>39
山口県下関市の東方に周防国熊毛郡上関村もあるんやね
上総・下総同様に京都に近い方が上関なのかしらん?
尤も馬関戦争にみられるように下関の旧称は赤馬関市だったようだ。
明治期の赤馬関市->下関市改称理由は何やったんやろ?
使用済み核燃料「中間貯蔵施設」建設調査、山口県上関町が受け入れ…議会も賛成
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1692323957/ >>263
ところで、沖縄だけど、沖縄(オキナワ)の元々の表現は阿児奈波(アコナハ)で、これは鑑真の伝記である「唐大和上東征伝」(779年)に出てくる呼称だそうだ。
このアコナハ崩れのオキナワに沖縄の漢字を当てたのは、江戸時代の新井白石だという。
そうなると、779年の阿児奈波(アコナハ)の呼称の語義は、いったい何だったのかということが気になってくる。
そこで調べたところ、どうやら、阿児(アコ)は三重県志摩の英虞湾の英虞(アゴ)と同系の言葉で、「和ぐ・凪ぐ(ナグ)=静か」「和む(ナゴム)=静か」の意のようだ。
この「静か」の意を表すアコ・アゴの言葉は、安坐(あぐら)、足組む(あぐむ)に関連した「あごら(貴族が胡坐を座る高い台)」の「あご」にちなむもののようだ。
まあ、阿児奈波(アコナハ)の阿児(アコ)は、「やすらかな、おだやかな」のような意味だとみることができる。
問題なのは、奈波(ナハ)。
しかし、奈波(ナハ)の発音としては、地名に那覇(ナハ)があり、その近くには饒波(ノハ)があるうえ、那覇関連では我那覇や与那覇の地名があちこちにある。
饒波(ノハ)は大宜味村にもあって、饒波(ヌウハ)の発音となっている。
なので、那覇(ナハ)も饒波(ノハ)も饒波(ヌウハ)も発音と漢字に微妙な違いはあっても、みな同じナハ(奈波)であることが予想される。
ここで注目されるのが、豊見城市にある地名の饒波(ノハ)だ。
この饒(ノ)の字の発音は物部氏の饒速日(ニギハヤヒ)の饒(ニギ)なので、この饒(ニギ)のニの音が沖縄弁でノ音に訛ったのが饒波(ノハ)の饒(ノ)だとすることができる。
そうすると、饒(ノ)は、饒(ニギ)の語義である「たくさん」の意味であることが想定できる。
では、饒波(ノハ)の波(ハ)は、どういう意味なのか。
波(ハ)は波の漢字音であることみなすことができる。
そして、和語の波(ナミ)の語義は、海の波はうねりが並んで打ち寄せることでも分かるように「並ぶ(ナラブ)」意であり、足をそろえて歩くことを「足並(あしなみ)をそろえる」と表現するのと同じである。
このようなことから、阿児奈波(アコナハ)は、阿児(アコ=おだやか)+奈(ナ=たくさん)+波(ハ=ならぶ)の構成の言葉であり、「おだやかに たくさん ならんだ(もの)」がその語義ということになる。(続く) >>267
そこで、何がたくさん並んでいるのかというと、この那覇(ナハ)や饒波(ノハ)の地名が平坦な土地に付けられているところからすると、たくさん並んでいるのは田んぼ、水田、陸田たとするのがよいだろう。
つまり、「穏やかに稲が育つたくさんの並んだ田んぼ」が、阿児奈波(アコナハ)の意味だとすることができるのである。
これは、豊かな土地ということを言った言葉だろう。
こうして、新井白石が考え付いた沖縄とはまるで違った意味が、我々の目の前に新たに浮かんでくるのである。
これが、オキナワの真の意味なのだ。 >>262
賀茂は加茂が元の表記で、この加茂を地図上で探してみると、おおむね川の渡し場のある立地に見られる。
加茂は、川の渡し業者のことであり、川の渡し業者が舟を連ねて川を対岸へ渡る姿が、鳥の鴨が何羽も列になって川を進む姿や鴨の親子が連なって川を渡る姿がこの連なった舟の姿とよく似ているために、この鳥を加茂(カモ)と呼ぶようになったもの。
そして、この鳥のカモ(加茂)に漢字を当てたのが、鴨というわけ。
なので、加茂(カモ)とは、「渡し」を意味する言葉ということだね。
こうした渡しの加茂(カモ)の中で大族になったのが、京都の賀茂氏だよ。 沖縄はもともと琉球国という独立国で日本固有の領土ではないから沖縄の地名はほとんどの日本人には読めないものが多い。
名字についても同様で、沖縄の名字は日本人には読めないものが多い。 琉球の漢字の意味は、「つるつるした美しい玉」。
この琉球王国が存続したのは、1429年から1879年まで。
先島諸島、本島、奄美諸島のエリアがその領域。 >>228
高句麗、高麗を日本ではコマと呼び、そのコマ(高麗)を起源地とする獣名をコマイヌと呼んだ。
本来の高句麗族は狛(ハク)族と書かれたが、日本ではこれをなぜコマと呼んだのか。
日本では若い馬を駒(コマ)と呼ぶが、これは高句麗がモンゴル馬を用いたことによる。
モンゴル馬は比較的体躯が小さく、このモンゴル馬を女真族がモンゴルから買い入れて飼養し、高句麗に納入していた。
日本軍を悩ました高句麗の馬は、モンゴル馬だったのだ。
この小さい体躯の馬を中国では駒(ク)と呼び、この駒(ク)に馬(マ)を加えたのが駒馬(クマ)で、この駒馬(クマ)の訛ったのがコマ(小さな体躯の馬)だ。
それで、高句麗が用いた体躯の小さいモンゴル馬を駒馬(コマ)と呼び、その駒馬(コマ)が高句麗の呼び名になった。
あるいは、コマ(高句麗、高麗)は、胡馬(コマ=匈奴に産する馬)に由来する呼称かも知れないが、日本では駒(ク=小さい馬)をコマと呼ぶので、やはりコマ(高句麗、高麗)は駒馬(クマ)が訛ったコマに由来するとするのがいいだろう。
まあ、これが、日本が高句麗、高麗をコマと呼んだ理由だろうな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています