日本書紀と古事記ってどこまでホントなの
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邪馬台国と大和朝廷は、日本書紀を読む限り別物でしょう。
神武東征も邪馬台国を意識しながら動いてるでしょう。
日向、宇佐、北九州岡田、中国地方へと東征しているからね。
東征はBC100年位だから卑弥呼の時代より300年位前だけど倭国連合は既にあったはず。
なぜなら倭国連合があった長崎、佐賀、福岡市、福岡南部を一年間黒崎岡田宮で滞在して監視してから移動しているからね。
あとは春秋年を調整してあげれば、海外との史実の整合がとれる筈だよ。 いや、神武の実年代はもっと新しく、2世紀末だろう。
そして神武が出発した筑紫の日向は、福岡県西部だ。
同じ記紀にイザナギが筑紫の日向の小戸で禊をしたことが書かれているが、それは福岡市西区の小戸とされている。
高祖山の周辺に日向峠、日向川などの地名もある。
日向峠の上の高祖山の頂がクシフル峰と呼ばれていた。
高祖神社の祭神は神武の祖父の彦火火出見だ。
糸島市には神武の曽祖母である木花咲耶姫を祀る細石神社があり、そのそばの三雲南小路遺跡は倭王と王妃の墓だと考えられる(三種の神器が副葬されている)。
伊都が倭国の王都であり、神武の東征出発地、天孫降臨の地、イザナギの禊の地だよ。 日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。
明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。
鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。
鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。
稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)
つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。
邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐
終わり 古い正史がないって時点で朝鮮民族って知能低いだろ。考古学でも何も残ってないから当然負けw 鎮西九党武士団
少弐、大友、惟任、惟住、秋月、島津、菊池、原田、松浦
西暦800年代以降に九州に配されて武士団を形成していったメンバー 卑弥呼の場所が佐賀だってえならその地には松浦武士団が進出しとる
だいたいそれぞれの武家伝承だろいま残ってるの その連中らに卑弥呼らの伝承が残る地だから同じことやれって無理やで
元は関東、京都あたりにルーツ持つ連中らが進出して配置されてその末裔らなんだからよ 日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期〜晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。
明治時代に設定された宮内省による陵・古墳の比定が間違えているという落ち。
鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。
鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。
稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)
つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。
邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐
終わり 下手すりゃその武士団が持ち込んだ伝承が卑弥呼の伝承にすり替わったりしてんのよ😀
これが錯覚 飛鳥の地で栄えた蘇我氏みたいのも日向系武士団みたいので現地入りしているわけ
日向系武士団が惟任、惟澄氏やからな
それらと一緒にみたいなんで日向入り 佐賀源氏に繋がる源融(みなもととおる)みたいなんとかな
隣は大宰府の役人務めた少弐氏やで 薩摩には平氏が荘園領主みたいなんで進出してるしな
初期は関東でも源氏より広く平氏の方が栄えてるからそっちの方が勢力強いの
平氏っても要するに親王らの末裔やからな
常陸には大掾平氏ってのがおりこれが越後の国に勢力を伸ばした
木曽義仲なんてのはこの大掾平氏を駆逐して上洛果たしたからな 中世あたりまでの方が日本も神官勢力強いからな
織豊徳時代にみな武力的には解体されたのさ 古代九州あたりも中国から
九州なんて呼ばれとらん
筑紫島って記述が見える
古代中国が使ってる九州ってのは自国を構成する九国の美称として使用 書紀が 百済人が作ってるのは クダラと読み指定してるので分かる
多分百済人に都合よく書かれてるんだろう
新羅をシラギと読み指定してるから 反新羅思想で書かれてる
蘇我氏は新羅系だから 天智天武は反新羅らしい
日本の政治は どの外国とつながってるかで 内容が決まる
今の日本では 親米国 親中国 親北 親南 で勢力が分かれてる 「伝説の王国」阿羅伽耶の痕跡を発見 : 東亜日報
https://www.donga.com/jp/article/all/20180608/1346805/1/%E3%80%8C%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%9B%BD%E3%80%8D%E9%98%BF%E7%BE%85%E4%BC%BD%E5%80%BB%E3%81%AE%E7%97%95%E8%B7%A1%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A6%8B
文献や口承だけで伝わってきた阿羅伽耶の王城の実体が初めて確認された。
国立伽耶文化財研究所は、
慶尚南道咸安郡伽耶耶邑伽耶耶里(キョンサンナムド・ハムアングン・カヤウプ・カヤリ)289番地の一帯で
先月から始めた発掘調査の結果、
5、6世紀に造成されたと見られる大規模な土城や木柵(垣根)施設、様々な土器片などが見つかったと、
7日明らかにした。
阿羅伽耶耶は、
三国史記、三国遺事、日本書紀などの古文献で「阿那加耶」、「阿耶伽耶」、「安羅」のようないくつかの名前で登場したが、
いざその記録は残っていなかった。
文献によると、
阿羅伽耶耶は金冠伽耶耶、大伽耶と共に伽耶の中心勢力を成し、6世紀は新羅、百済、倭と国際会議を開いたと伝えられる。
史料研究では限界がある状況で、阿羅伽耶耶の土木技術と防御体系、生活文化を示す考古学資料が大量に出土され、
学界から注目が集まっている。 なんでニダチョンの主張って、
「資料のどこにも明記はされてないけど、こうだったらいいのニダ」ばっかなん?
環境的、遺伝子的、気候的、考古学的、資料的、全てにおいてありえない事を平気で
「こうニダ」って言い張る。 日本がらみの遺跡だと分かったらどうせ破壊して埋めちゃうんだろ どっちにも共通するのは天皇の系譜。
どっちか片方しか登場しない天皇はいない。
細かい事績、在位年、崩年、逸話の違う部分はあるが、天皇の系譜だけは信用に足ると思う。 なんだってコジキって名称にしたの
乞食みたいじゃん >>1
日本の皇統、氏族は千年の都を作った桓武朝が整理したもので、天智朝を継いで天武朝を革命した桓武帝により日本書紀は改変されてる可能性ある。 おそらく桓武天皇から万世一系じゃないの。それ以前の天皇は
古文献よみくらべても整合しない天皇だから。 17条憲法や律令制度など漢籍を切り貼りした唐の制度の切り貼り
神武東征などで先住民を虐殺して支配したという部分はホント やっぱり都、氏族、日嗣が定まった桓武平安朝が統一日本だね。奈良朝までは古代豪族紛争の延長戦だろ。 言葉が、大きく変わったって事は
そういう事じゃないの?w
上代日本語からどの国の言語に近づいたの? 1300年前に、この列島は新羅に制圧され
国号を「日本」に改められ、新羅人天皇が始まった
この天皇は第42代になってるが、それ以前の天皇はでっちあげだ
とはいえ、その前の倭国というのも百済人の集落であった
ではその前の列島は、どういう状態だったのだろうか
台湾が参考になるか分からないが
台湾では、谷に人々が住み、その谷ごとに言葉が違うのだ
誰かによって制圧され搾取された状態になることで、
言葉や文化が伝わるのだろう ほんとというより
当時も地方は多くの氏族に別れ領地開拓されていたてこと
現在ですら市町村1718あるといわれている
これをさらに47都道府県にまとめているがそれでも47の条例区がそんざいするちゅうこと
例えば現在郷土史とかを東西ふたつに纏めろとか言っても無理ぽてなるだろ
そういうこと 古事記だけの専門家なんているだろうか?
大概、古事記と日本書紀の両方の専門家じゃないかな 白村江で負けて、新しく天皇中心の中央集権国家を作った。
天皇の権威を高めるため、神の委任というストーリーを作った。
ストーリーと合わない矛盾する部分はデリート 天皇についての疑いの根底は舐めてるのが理由になってて
権力を放棄した奈良時代以降を当たり前だと思ってるから。
基本は戦国武将とおなじでやり方が秀吉や家康ってだけ。
秀吉や家康が大和朝廷を習っただけだろうけど。 景行天皇は次のように述べられている(日本書紀)。
「東の国(関東)の人々は性質が凶暴で人を凌辱しても恥じることない。
国を治める人がいないので、領地争いばかりしている。
道を通る人に悪いことをしたり、苦しめたりしている。
蝦夷は男と女が雑居して暮し、親子の礼儀を知らない。
獣の皮を着て動物の血を好み、兄弟は仲が悪くて争ってばかりいる。
人から恩を受けてもすぐに忘れるが、人に恨みを持つと必ず仕返しをする。
仲間を集めては、大和朝廷の国境に侵入して農家の仕事を邪魔し、人を襲っては物を奪ったりして人々を苦しめている。」 明治天皇は次の様に述べてます
明治時代からようやく東西同視するとのこと
江戸を東京と為すの詔書
https://www.kotono8.com/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%82%92%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%A8%E7%82%BA%E3%81%99%E3%81%AE%E8%A9%94%E6%9B%B8
現代語訳
詔書
朕は今、すべてのことを自ら裁断することとなり、億兆の民をなだめて安らかにさせる。江戸は東国第一の大都市であり、四方から集まってくる地であるから、自ら臨んでそのまつりごとをみるべきである。よって、今より江戸を称して東京とする。これは朕の海内一家、東西同視するためである(京都と江戸を対等に見ている)。皆はこの意を体現するように。 >>73
勇「兄上、倭国軍は唐の海軍に敗れました。」
豊「援軍が思わぬ事態となり、百済の命運も尽きた。この地を去ろう。」
勇「・・・・・」
豊「お前は、倭国に渡ってくれぬか?」
勇「倭国に渡って何をすればよろしいか?」
豊「わしはこれから単身高句麗に渡る。」
勇「・・・・・」
豊「高句麗には百済との連合の時の手のものがいるのでな。
高句麗が唐に勝った暁には、高句麗をわが手に収めようと思っている。
そのためには、軍事力経済力が必要だ。それをお主に頼みたい。
倭国王の大海人には書状をしたためておく。」
勇「承知いたしました。高句麗を取れるように立派に倭国を経営して見せます。」
豊「よくぞ言ってくれた。頼みにしているぞ。
高句麗を取ったら国名を半島を表す日本とするのはどうじゃ。」
勇「立派な名前です。」
勇は大海人のサポートもあり、倭国経営に成功した。しかし、高句麗は敗れ、豊も捕縛されてしまった。
勇「兄上は敵の手に落ちた。やむを得ず、以降、私が扶余家の当主となり、倭国全土を経営する。
兄上の悔しさを晴らすためにも、倭国を日本と改める。」
この勇すなわち扶余勇が天智である。 殆ど嘘だ。真実は金石文と遺跡と海外史書から解析される。
「国際的視点からの古代史考」
https://sites.google.com/view/jhistory/ 驚くのは神=自然、命(ミコト)=人間を踏まえてなかったり
隣の中国で起きてることがまったく頭になかったりすることかな。
特定の分野の専門家だったり当たり前のことを当たり前に考えられない馬鹿には
向かないと思う。
それに専門家は論文書くために他人が言ってない論を立てるしかないから
めちゃくちゃなことを言うというのが歴史に限らず問題だそうで。 神とは祖先神のことであり、神を祀るのは祖先を祀ること。
特に天皇家とその祖先であるアマテラスやイザナギがその対象となることが多い。 天王ってのは仏教呼称だからな
仏教には夜叉王らが仏教の護法神となったとある
3種の神器にも夜叉の鏡あるしな ワンピース 尾田栄一郎
キャラクター
ウソップ・ 山口勝つ兵
海賊「麦わらの一味」狙撃手。異名は「〝狙撃の王様〟そげキング」、「〝ゴッド〟ウソップ」。「東の海(イーストブルー)」のシロップ村出身。
ルフィの3人目の仲間。赤髪海賊団狙撃手ヤソップの息子。母バンキーナ譲りの長鼻(長さは13cm[24])が最大の特徴[注 1]。臆病でお調子者ながら器用で口八丁な射撃の名手であり、その手腕は仲間からも一目置かれている。一人称は「おれ」
チョッパー ・ 大谷育江
海賊「麦わらの一味」船医。異名は「わたあめ大好きチョッパー」。「偉大なる航路(グランドライン)」のドラム島出身。
ルフィの5人目の仲間。青い鼻のトナカイ。動物系悪魔の実「ヒトヒトの実」の能力者で、人獣型・人型・獣型に変形でき人語を話せる「人間トナカイ」。何でも治せる医者を目指している。一人称は「おれ」。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています