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初心に戻り坦懐に魏志倭人伝を読む
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0001蛸卵形
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2021/06/03(木) 13:20:24.50
魏志倭人伝という書物がないのはご存知でしょう
正式には「三国志・魏書・烏丸鮮卑東夷伝・倭人条」となるでしょうか
ですが、通称として普通に使われていますので
このスレでは「魏志倭人伝」の名称を使用して進めたいと思います
ちなみに、スレタイに「坦懐に」とあるとおり
スレ主である自分は九州説・畿内説・その他の説のどれにも与しておりません
0126日本@名無史さん
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2021/06/08(火) 02:18:28.34
狗奴国の北が邪馬台国だろ。
狗奴国はどこかもうわかってんだからさ。ね?
で女王が狗奴国に近いとこにいたらまずいから伊都にいたんでしょ。
で伊都国は千戸
女王の侍女は千人。
間違ってるとこや意味ないとこを読んであれこれ考えても何にもならんだろ。
0127蛸卵形
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2021/06/08(火) 03:10:27.14
>>126
もっと皆にわかりやすい形で説明してください

それと、これは誤解があるようですが、このスレの目的は
邪馬台国の所在地を突き止めることではなく、魏志倭人伝を読むことです
0128蛸卵形
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2021/06/08(火) 07:05:13.96
補足 倭の人口に関しては、わざと数を増やして誇大に書かれているとする説が
あります その理由としては、まず「呉牽制説」というのがありますね
魏と対立していた呉の海をはさんだ背後に邪馬台国という魏の同盟国がある
倭地が南に伸びているような記述も呉を牽制するため

しかし、陳寿が『三国志』を完成させたのは呉が滅亡した後のことです
陳寿にはその意図はなかった では、陳寿が参考にした文献が
呉牽制のために書かれていたのか
それだと仮定に仮定を重ねるような話になります
0129蛸卵形
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2021/06/08(火) 07:09:50.05
補足 もう一つ「司馬懿顕彰説」もあります 陳寿は西晋に仕えており
西晋の高祖宣帝である司馬懿が公孫氏を討伐した功により
邪馬台国が魏に朝貢できるようになったことを強調するためとういうもの
0130日本@名無史さん
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2021/06/08(火) 15:39:26.83
>>128
呉の牽制は考えにくいですね
それが成り立つためには、陳寿が参考にした文献が呉にも伝わらなければなりませんから
文献はおそらく帯方郡の役人が書いた報告書でしょうから、帯方郡が魏に属している以上
その報告書を呉の人間が目にすることはありません
呉に伝えられない情報が呉の牽制のためというのは成立しません
0131蛸卵形
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2021/06/08(火) 16:08:17.92
>>130
まあ常識的に考えればそうですよね
0132蛸卵形
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2021/06/08(火) 16:14:14.73
補足 あと人口に関しては松本清張氏の「陰陽五行説」というのもありますか
対海國〜不彌國までの戸数を合計すると3万戸となり
対馬國、邪馬台国の戸数と比較して3:5:7の割合になっていて
陰陽五行説に基づいて作られた架空の数値であるとするものですが
これを支持する研究家は多くないようです
0133蛸卵形
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2021/06/08(火) 18:59:31.52
補足 弥生時代の人口は経済学者の鬼頭宏氏による概算60万が有名であるが
この元になったのが国立民族学博物館小山修三氏による推計である

これは全国の遺跡数から計算したものであるが
そもそもすべての遺跡が網羅できているわけでもなく
あくまで大雑把な数と見るしかない

実際、小山氏は講演で「その後の発掘によってわかった、
吉野ヶ里遺跡をはじめとする西日本における弥生集落の大きさを考えると、
弥生末期には100万を越えていたのではないか」と述べている
0135蛸卵形
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2021/06/09(水) 23:36:58.65
うーん、レスがないですね
0136蛸卵形
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2021/06/09(水) 23:39:20.50
人口問題は難しいです そもそも戸とは何かもよくわからない
中国では戸は門のことですが、では竪穴式住居一つが一戸にあたるのか
そのあたりもよくわかりません

また、これらの戸数が中国人が調査したものなのか
倭人からの伝聞なのかもわからないですね
0139蛸卵形
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2021/06/10(木) 20:45:31.76
第9節

・南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
・南 投馬国に至る 水行二十日 官は弥弥と曰い 副は弥弥那利と曰う 五万余戸ばかり

疑問@ 投馬國とはどこか 日向国都萬、薩摩国説、備後国鞆、出雲国など諸説あります

疑問A 水行はどういった形だったか これは九州説内でも九州島西廻り、東廻り、河川航行説があり
      近畿説でも瀬戸内通行説と日本海通行説があります

疑問B  投馬國への出発地は不弥国(連続説)か、伊都国(放射説)か

疑問C  水行二十日はどの程度の距離か、また、なぜ日数表記になったのか

疑問D  官の「弥弥、弥弥那利」とは

疑問E  五万余戸は奴国の2倍以上であるが、どのていどの広さの国か
0141蛸卵形
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2021/06/11(金) 01:42:31.87
>>140
ここが九州説と近畿説の分かれ目になります
明治期の論争では近畿説は南は東の誤記
あるいは誤解であるとする説を主張しました

誤解とする場合は、当時の中国人は日本列島が九州島を北にして
南に伸びているように認識していたとする説が出てきました
0142蛸卵形
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2021/06/11(金) 01:46:46.61
補足 官名の「弥弥」は記紀に人名の一部として出てくる「耳 ミミ」では
ないかとする説があります
陶津耳(スエツミミ)、多芸志美美命(タギシミミ)などです
「ミミ」は地方の首長の尊称だったかもしれません
0143蛸卵形
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2021/06/11(金) 01:51:40.15
補足 九州説の場合は、西廻り説と東廻り説では大きく考え方が異なっており
西廻り説の場合は邪馬台国を熊本・鹿児島、東廻り説の場合は大分・宮崎に
あてることが多いようです
また、河川航行説は特異で、支持者は多くはありません
0144蛸卵形
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2021/06/11(金) 01:54:26.23
補足 「五万余戸」が正しいとすると、投馬国は奴国とされる福岡市の
数倍の領域があったかもしれません
0145蛸卵形
垢版 |
2021/06/11(金) 02:12:10.82
補足 レス141の「日本列島が九州を北に南に伸びているように中国人が認識していた」説では
地理学者の室賀信夫氏の研究が有名です

https://imgur.com/a/FYUYik2
0146日本@名無史さん
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2021/06/11(金) 07:41:06.71
>>141
それ明治期の論争での話ですね
現代の畿内説の主流では、方角が正しいのか日数が正しいのか不明だが
考古学的に畿内説が正しいので、結果的に方角の南は東になるというもの
0148蛸卵形
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2021/06/11(金) 07:52:43.56
>>146
考古学は重要です 自分は大学で考古学を学びました(専門は近世)ので
古代についてもそれなりに理解はしています
ただ、このスレは邪馬台国の所在地をつきとめることが目的ではなく
あくまで倭人伝を読んでいくことなのです
ですから、これまでに出てきた説はできるだけ網羅していきたいと考えています
0149蛸卵形
垢版 |
2021/06/11(金) 08:04:55.27
補足 「水行二十日」の部分は、『唐六典』に
「重い荷を積んで川を遡上する場合は1日に三十〜四十五里
空船で川を下るには1日に七十〜百五十里」といった記述が出てきますが
これは黄河や長江などの大きな河川についての話で
参考になるかはわかりません
0150蛸卵形
垢版 |
2021/06/11(金) 08:13:56.96
最近「畿内説スレ」でやっていたホケノ山古墳の年代観、年輪年代法
三角縁神獣鏡の成分分析などについても理解していますが
それは後に関連した記述が出てきたときに取り上げることになります
0151蛸卵形
垢版 |
2021/06/11(金) 08:26:45.04
私見を言えば、文献とは誤りのあるものです
例えばですが、『明史』日本伝豊臣秀吉の条などを見れば
内容は滅茶苦茶の噴飯ものです

また、日本の江戸時代に目の前で起きた事件をその日のうちに
記した文献でさえ誤りがあります
文献とはそういったものなのですが
「魏志倭人伝」の場合、比較検討して批判する文献資料がありません
ですから考古学の比重が大きくなってくるのは間違いないでしょう
0152蛸卵形
垢版 |
2021/06/11(金) 11:22:18.24
補足 ちなみに中国の文献資料は前代の書の影響を強く受けています
特に正史と呼ばれるものに関しては、前代の書の記述が間違っていると考えても
あえて訂正せず内容を踏襲する場合が多いのです
ですから「魏志倭人伝」以後の倭国、日本に関する記述も
魏志の内容を踏襲して書かれています
0153蛸卵形
垢版 |
2021/06/11(金) 12:48:49.60
補足 ところで水行に関して九州説では東廻りと西廻りと
どっちが優勢なんですかね
以前は邪馬台国を筑後山門や熊本平野に置く説が多かったんですが
最近は地域おこしなのか宇佐説などを強力に推している方もいますし
0154蛸卵形
垢版 |
2021/06/11(金) 16:00:35.18
では第10節 いよいよ邪馬台国に到着します

・南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 
次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳? 可七萬餘戸

・南 邪馬壱国に至る 女王の都とする所 水行十日陸行一月 官は伊支馬有り 次は弥馬升と曰う
 次は弥馬獲支と曰う 次は奴佳?と曰う 七万余戸ばかり

疑問@ 邪馬台国はどこか 九州各地、近畿、四国、近江、吉備など諸説あります

疑問A 「女王之所都」という記述には違和感があります 魏からすれば卑弥呼は倭王であり
      その都地が邪馬台国であるという意味なのでしょうか

疑問B 「水行十日陸行一月」は「水行十日+陸行一月」でよいのか
      そう読むのが自然だと思いますが「水行すれば十日、陸行すれば一月」
      という説があります
      また、「水行十日陸行一月」は帯方郡からの総日数という説もありますね

疑問C 「七万余戸」はかなり広大な領域が想定できますが

疑問D 官は「伊支馬有、弥馬升、弥馬獲支、奴佳?」と四種が登場し
      政治機構が整っているようですが
0155蛸卵形
垢版 |
2021/06/11(金) 16:04:12.97
補足 邪馬台国の官名は「いくめいりびこ=景行天皇」 「みまきいりびこ=崇神天皇」
などを表しているという説があります まあ語呂合わせの域を出ないと思いますが
倭語としての語感が似ているようでもあります
0156蛸卵形
垢版 |
2021/06/11(金) 16:19:28.62
補足 この当時、中国の魏呉蜀はいちおう中央集権国家でしたが
倭国は邪馬台国を中心とした連合国家であったとする説があります
0157日本@名無史さん
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2021/06/11(金) 19:48:09.88
>>154
>「水行すれば十日、陸行すれば一月」

陸行だと3倍も日数がかかるのなら、陸行は書かないでしょう
また投馬国の陸行がないのも変です
投馬国は陸行では何倍も日数をかけても行けない場所ということになります
0158蛸卵形
垢版 |
2021/06/11(金) 20:30:26.37
>>157
はい、自分もこの読みはいろいろな点で無理があると思います
0159蛸卵形
垢版 |
2021/06/12(土) 11:53:21.97
補足 歴史的に大和朝廷は、裁判権、警察権を持った地方豪族である国造を
中央派遣の官である国司に代えるのに長い時間かかりました
この3世紀の時代に、倭地に中央集権国家があるとは思えず
倭は邪馬台国を中心とした連合だったのは間違いないでしょう
0160蛸卵形
垢版 |
2021/06/12(土) 15:41:49.68
補足 で、九州説をとれば、邪馬台国連合は九州島内の比較的狭い範囲
畿内説だと西日本一帯ということになり、3世紀の列島の社会の発展状況、
政治状況を考える上で邪馬台国の位置問題は重要だと言われてきました
0161蛸卵形
垢版 |
2021/06/12(土) 16:23:57.49
補足 通常は邪馬臺(邪馬台)国とされる国名ですが、テキストどおり「邪馬壹(邪馬一)国」
ではないかとする議論があります
0162日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/12(土) 18:45:09.27
壹(一)はyit、itのような入声音(子音終わりの音)だったので母音終わりの日本語を写すのに適さず
隋書俀国伝に邪靡堆(ヤバタイ)国とあるようにやはり元々は臺(台)だったのではないかとの説もある
0163蛸卵形
垢版 |
2021/06/12(土) 22:18:17.04
>>162
現存の宋代の『三国志』より古い書には「臺」で」出てくる場合が多く
「壹」とするのは難しいかもしれません
0164日本@名無史さん
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2021/06/12(土) 22:34:22.81
>>154
水行陸行は他の歴史書で用例が見つかったのでもう結論出てる


2 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:15.78
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない

【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
>沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける

【嘉興府志】
https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
>{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし
0165日本@名無史さん
垢版 |
2021/06/12(土) 22:39:08.55
ついでに

3 :日本@名無史さん :2021/02/23(火) 23:24:29.01
>>2により邪馬台国までの所要時間は水行ならば10日、陸行ならば一ヶ月であると確定したが、
同時に行程が放射読みで書かれていることも導かれる

なぜなら前段に書かれている投馬国へは水行20日とあるので、連続読みならば、訪問者は投馬国に着いた時点で必ず船に乗っていることになる
20日間も船に乗って投馬国まで来たのに、そこからわざわざ船を乗り捨てて3倍も時間の掛かる陸路を選ぶ理由が存在しない
そのままあと10日船で行けば済む話であるから、もし連続読みで記載しているのならば投馬国からの陸路なんて記載する必要が無い

そうではなく、行程が放射読みで書かれているため、伊都国を経由して邪馬台国へ行こうとする中国人への道案内のための文章としては
彼らが船を確保できていないケースも想定しなければならない
なぜなら末廬国から伊都国までは陸行だと書いてある以上、伊都国に到着する中国人は船に乗っていないわけだからな
そのため時間さえかければ陸路でも行けることを併記する必要があった

つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
水行のみで行ける場所なので海か大河のほとりであり、かつ陸行も可能なので伊都国との間に通行不能な山塊などは存在しない地域、となる
0166日本@名無史さん
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2021/06/12(土) 22:52:32.03
>>163
臺の音は現代ではtaiであるが中古音はdoj、古い音をよく残す客家語でthoi、広東語では今でもtoiである
タイというよりトイ
日本語のトを写すぴったりの漢字がないのならヤマトを写すのにヤマトイとしたのであろうか
(土の音も今も昔もthu、tuのような音であり、トではない)
0167蛸卵形
垢版 |
2021/06/13(日) 00:26:38.14
第11節

・自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳

・女王国より以北 その戸数道里は略載を得べきも その余の旁国は遠絶にして 詳を得べからず

疑問@ 「女王國以北」とは対海國〜不彌國までのことか 投馬國も入るのか
0168蛸卵形
垢版 |
2021/06/13(日) 00:34:04.99
補足 連続読みにすれば不弥国より水行二十日で投馬国
そのさらに南に女王国があるということになり
解釈が難しいところです
0169蛸卵形
垢版 |
2021/06/13(日) 00:39:50.22
第12節

・次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國 
次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 
次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 
次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡

・次に斯馬国有り 次に巳百支国有り 次に伊邪国有り 次都支国有り 次に弥奴国有り 次に好古都国有り 
次に不呼国有り 次に姐奴国有り 次に対蘇国有り 次に蘇奴国有り 次に呼邑国有り 次に華奴蘇奴国有り
次に鬼国有り 次に為吾国有り 次に鬼奴国有り 次に邪馬国有り 次に躬臣国有り 次に巴利国有り 
次に支惟国有り 次に烏奴国有り 次に奴国有り ここに女王の境界尽きる所

疑問@ これらの国々は冒頭で出てきた「今使譯所通三十國」なのか

疑問A 最後の「奴國」は前に出てきた国と同一か
0170蛸卵形
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2021/06/15(火) 10:29:24.17
うーん どうも需要がないようですね
0172日本@名無史さん
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2021/06/16(水) 14:17:29.01
な〜にかネタみたいな国名羅列だな
0173日本@名無史さん
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2021/06/17(木) 16:54:32.88
お〜い 初心
初心よ どこへ行ってしまったのだ
0174日本@名無史さん
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2021/06/17(木) 18:18:33.16
おれもROMって楽しんでたのに
0175日本@名無史さん
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2021/06/18(金) 18:11:23.12
>1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
>2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
>3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊佐早国(長崎県諫早市)
>4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
>5番 彌奴国は長崎県長崎市(または長崎県西彼杵郡)または嶺(佐賀県みやき町三根)
>6番 好古都国は高来郡(長崎県雲仙市)
>7番 不呼国は須古(佐賀県杵島郡白石町)
>8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
>9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
>10番 蘇奴国は?
>11番 呼邑国は佐賀県小城市
>12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
>13番 鬼国は?
>14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
>15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
>16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の広川、高良台、室岡・亀ノ甲遺跡
>17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
>18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺、浮羽郡)
>19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
>20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
>21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

‥だ、そうでぇ〜す
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