邪馬台国畿内説 Part715
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1628833739/
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 >>267
>陸行五百里と書いてるのに、直線距離だと思い込むんだろ?
大陸史書の地誌情報ってのはそういう形式で書くっていうお約束なんだよ
お前がもの知らずで理解してないだけ
陸行については>>270も見ておいてね! >>271
一致しないんだよ
確定的な比定地の間を比べるだけで2〜4倍くらいの伸び縮みをする
渡海部分はさすがに強弁できないと悟って短里の例から外すようになったみたいだけどなww
もうちょっとだなw >>284
でも、具体的にどこの区間かを聞けばいつも逃げるよな、畿内説は >>276
だからそれ、松浦郡だってばさ!
出雲だって、もともとの出雲郷があって、それを含む郡が出雲郡で国名も出雲だろ
出雲国全体が出雲というのは違うのと同じ
松浦郡の中のどこがもとの松浦かを考えないといけない >>228
万二千余里は島嶼部を除いて九州の上陸地点までの距離 >>287
ずばりそのもの長崎県松浦市と書いてるが?
あそこは火力発電所で開発された町だから、古代はもっと伊万里側のほうに集落があっただろうな
そのすぐ隣の半島にある港だぞ、呼子は >>280
>使い終わったら洗うだろ
厚さ1ミリの土器なんてコゲツキを洗ってたら割れちゃうから使い捨てるんだよ
だから現実に残って発見されてる >>282
>直線距離など測れない
測れるか測れないかは、史書を書く人には実は関係ないんだ
史書を書く人は、手元にある情報だけで「二点間距離として」距離を撰述することになる
そうやって書かれたのが三国志であり魏志倭人伝なんだよ
渡海の距離は短里で測ったものじゃないんだよね?
だって測れないんだから? これは確認
ペーテンザラコク以外は九州説の連中でも
渡海千里は測定値ではないと言うようになった
そして今、渡土堤知らずの捏造君は、陸路も時間がかかるから測量はしていないという
なぜ、渡海は測ってないから短里の検証には入れず、陸行も測量していないのに
短里の見積もりに使って百里単位の概数で正確だという
でも具体的な数字は出さないし出せない
五百里の距離を稼ぐために合理的な推論なしに末盧国の上陸地点を呼子だと言い張り、
でも呼子から唐津までの距離は末盧国から伊都国の距離に入らないという
当たり前のことを突きつけられる
面白いね
人間ってこんなにご都合主義で堕ちることができるんだっていう、惨めな実例w >>290
どこまでも適当だな、畿内説は
厚さ1mmしかなかったら五合も米と水を入れたら割れる
それに、付着した部位で判断すると言ってたな
コロコロ変わってるぞ >>285
お前はバカか? いや、バカだったな、改めて訊いて悪かったよ
お前が経路、数字を出す番だぞ
>>129を再掲
https://imgur.com/UgKlIMk
これで確認できるけど、
五百里が30キロ
百里が18キロだ
五百里側を基準にすれば百里が6キロだから
伊都國・奴國間は三百里になる
百里の方を基準にすれば、百里が18キロだから
末盧國・伊都國間が五百里と書かれるためには90キロくらいないといけない
実際には30キロだから二百里余だなww
百里単位っていう作業仮説は破綻していることが簡単に実証できる訳だww
二百里表記も三百里表記もないんだからさwwwww
「短里で百里単位とみれば正確」っていう君のお気に入りの言い逃れですら通用しないw
魏志倭人伝の距離記載はいい加減であてにできない
もちろん短里など想定すべき余地すらないww >>291
千里刻みの水路は、所要日数で測れるぞ
1日千里だ >>286
大陸史書の記述である以上、直線距離で検証するのが最も合理的
単純論理が分からない人だけが延々と寝言を繰り返すだけ
直線距離以外の経路で検証するならそれでも構わないが、
ここまで具体的な経路も数値も出さない
いつも通りのオワコンなのが九州説の実態だ >>293
そらみろ、空飛ぶ区間じゃないか
実際には、空を飛んでない
呼子からだしな >>294
>千里刻みの水路は、所要日数で測れるぞ
>1日千里だ
そんな計り方しないだけ だいたい、中国人が湖を船で渡ったことがないとでも思ってるのか?
船が一日で何里進めるか知らないと思ってるのか? >>297
現に、投馬国は、所要日数だけで記述してる
最小単位が日で、距離の最小単位が千里なら、1日千里が合理的
1日5百里なら、5百里刻みになるからな キウスの自賛・自己弁護の自演、無知によるイチャモンは議論の邪魔だしスレの無駄でただただ不快
バレてないと思っている思考力が悲惨すぎる 水行距離が測量していない距離で、陸行距離が道なり距離ということであれば
1里の距離はどうにでもなる >>289
>ずばりそのもの長崎県松浦市と書いてるが?
お前、歴史を語る能力ないな
例えば、単に松浦市をWikipediaで調べるだけで、そんな恥ずかしいことは言えないぞ?
「律令制下では肥前国松浦郡の区域とされた」
「1889年4月1日 町村制施行により、 北松浦郡のうち現在の市域にあたる以下の村が発足。()は合併を行った村。それ以外は単独村制。
志佐村
上志佐村(← 高野村・横辺田村)
御厨村(← 御厨村・大崎村・田代村)
星鹿村
調川村
今福村
福島村
鷹島村」
「1955年3月31日 北松浦郡志佐町・新御厨町・調川町が新設合併、同時に市制を施行し、松浦市(旧)となる。」
もともとの松浦の地名を持つところはないんだよ
広域合併で、そのうちの1つの名を冠することができなかったので、
旧郡名の松浦を市名に採った
合併町村の力関係で吸収合併に見えるのをよしとしないときには
当たり障りのない古い広域の名称を採る
そういう地方自治体は結構たくさんあるんだよ 魏志倭人伝の地理的説明は誰かが実際に移動しながら記述したものではない
帯方郡の役人がそれまでいろいろな機会に移動・測量した記録を基に帯方郡に近い順番に並べてあるだけ
通常の入国者・出国者は伊都國の港で大率の検察を受けるからそこまで船で来ることになる >>294
一日でたどり着ければ、ある程度遠くても結構近くでも千里なんですよね?
それ、測ってるとは言わないww >>299
>現に、投馬国は、所要日数だけで記述してる
一日刻みで表記した例があるなら見せてくれよ >>296
呼子は末盧国の中心ではない
論破終了
大陸史書の地誌記述では、中心国邑の二点間距離が示される >>299
最小単位は10日、おそらく実際の記述は旬単位だったと思われる 黒斑・煤とお焦げは土器の取り扱いに慣れていれば分別可能
また分析にあたってはお焦げの内容を決めつけているわけではない
だいたい弥生時代や古墳時代のコメは、炊くのではなく蒸していたと言われている >>301
つまり測っていないし正確でもない、ということでよろしいですね?
つまり短里に実態など想定できないしある訳がない
短里は捏造、と
私もその考えに同意します >>298
>だいたい、中国人が湖を船で渡ったことがないとでも思ってるのか?
>船が一日で何里進めるか知らないと思ってるのか?
大陸人は基本的に海に出ないよ?
海路で船が一日にどれだけ進むかの標準は大陸にはない >>303
あのな、松浦は松浦党の本拠地にもなって、単に松浦と呼べば松浦市周辺を指したんだよ
薄っぺらいんだよ
https://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E5%85%9A-136799#:~:text=%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E5%85%9A%E3%80%90%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%89%E3%81%A8%E3%81%86%E3%80%91,%E5%91%BC%E7%A7%B0%E3%82%92%E4%B8%8E%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%80%82 >>267
>陸行五百里と書いてるのに、直線距離だと思い込むんだろ?
朝鮮距離五百里を歩いて行くんだよ。 簡単な話じゃないか。 @阿波 >>307
日より短い単位、たとえば時間、刻は使われていない >>309
マツロ国の一部なら、上陸した瞬間に、マツロ国到着だな >>268
いや、「末盧国」は福津市(万津浦)辺りだ。 @阿波 >>310
壱岐からマツロ国まで千里
まあ、厳密に千里なんてないけどな
1日で着いたからと考えれば理解できるぞ >>318
>日より短い単位、たとえば時間、刻は使われていない
水行に十日より短い単位は使われていないんだよ 末廬の中心がどこか探るには、まずは近世以前の松浦郡の範囲を確認しようぜ >>321
>1日で着いたからと考えれば理解できるぞ
主観は無意味 >>278
>地図もないのに直線距離など分からんのに、まだ諦めてないのか
逆だ。 おおよその直線距離が分かっていたから、おおまかな地図が書けている。 @阿波 方向も伊都国が現糸島市あたりになると
北東になる。魏志でいう東南にならない。
陳寿は、末盧国が倭国の最北と思い込む?
現糸島市あたりが東南にくるように傾けたのか? >>323
探らんでいい
中原か千々賀あたりで決まりだ >>267
>陸行五百里と書いてるのに、直線距離だと思い込むんだろ?
直線距離五百里を歩いて行くんだよ。 簡単な話じゃないか。 @阿波 >>322
距離のほうが千里が最短だ
ならば日の単位と整合性をとるには1日千里が合理的
2日や3日かかったら、千里刻みにならないからな 「松浦(まつら)地方(佐賀・長崎両県の玄界灘(げんかいなだ)に面する海岸地方)に割拠した・・・」
「現在の佐賀県北西部および長崎県北東部にわたる肥前国松浦郡に割拠した。」
「鎌倉〜室町時代に肥前国松浦4郡を中心に割拠した・・・」
「中世、肥前松浦郡に割拠していた・・・」
「中世、松浦地方に割拠し・・・」
「肥前国松浦郡(現,佐賀県東・西松浦郡,長崎県南・北松浦郡)に割拠した・・・」 >>331
「松浦」といえば現松浦市周辺だけでなく松浦4郡全体を指すということですな >>171
>・・・不彌國からまた船に乗り、20日の沿岸航行で投馬國、さらに10日の沿岸航行と一月の陸行で邪馬台国となる。
邪馬台国なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言だから、この大和説男はバツ。
また投馬國へは「至の前に途中移動をした事を示す文言がない」から、
直前の不彌國からの側副傍線行程国としての説明。
だから、不彌國の次は「南至邪馬壹國女王之所都」になり、
「至の前に途中移動があった事を示す文言がない」から、
魏使らは殆ど移動しておらず、50里以下で邪馬壹國女王之所都に着いた事になる。
そして、「水行十日陸行一月」は、
その直前の文言の(郡からの目的地である)女王之所都の所要日数説明になるから、
郡から女王之所都の所要日数説明になる。 >>312
近畿説ですがね
短里でなく変動里として見ている。
一寸千里法(海渡り千里)の欠点が諸に出ている。
区間によって75mになったり144m
また測るにしても垂直、水平をどれだけ正確に取ったのか定かではないが
使ったんでは?
変動里として65〜400m未満なら許容範囲。 >>332
南松浦郡は、通常、五島と呼ぶ
平戸も通常、平戸と呼ぶ
単に松浦と呼ぶのは長崎と佐賀の県境付近のみ >>331
いや、「末盧国」は福津市(万津浦)辺りだ。 @阿波 >>330
>距離のほうが千里が最短だ
>ならば日の単位と整合性をとるには1日千里が合理的
距離の最短は百里だろうが >>302
私ではありませんよ。
私は炭化物の内容まで言及してません。
三世紀に、箸墓近辺だけ煮炊きしてたわけでは無いので、箸墓築造年と結びつけるのはダメだとは投稿しましたが、
一応、コテつけておきます。
多分、あなたは誰かは検討はついてますが、姑息なやり方はいけません。 >>341
古代からだろう
五島も平戸も離島だ
離島は島の名前で呼ぶ >>340
>三世紀に、箸墓近辺だけ煮炊きしてたわけでは無いので、箸墓築造年と結びつけるのはダメだとは投稿しましたが、
つまり根本的に原理を誤解してるわけでしょ
そんな人は大勢いないよ >>345
水路は千里刻み、陸路は百里刻み
理由があると考えるのが自然 >>183
>間違ってないよ
陳寿の地理観では
朝鮮半島の循海岸水行が南へ四千里、東へ三千里で計七千里
この大和説男が、間違っている。
循海岸水行は、京畿湾北岸付近(おそらく海州付近)からの海岸沿い水行であり、
韓地に着いてから、「歴韓國乍南乍東」のジグザグ陸行だ。
>島嶼部の渡海が千里三回で三千里
循海岸水行と合わせてここまでで一万里
これも間違い。對海國と一大國の、
それぞれの国の海岸沿いの二辺分の合計1400里の陸行をしている。
>ここから
「20日の沿岸航行で投馬國、さらに10日の沿岸航行と一月の陸行」が二千里になってる
これも間違い。投馬國は、不彌國からの側副傍線行程説明。
また「水行十日陸行一月」は、郡から女王之所都の所要日数説明。 >>347
>理由があると考えるのが自然
自分の考えた理由を絶対視するのは間違い >>343
古代からだという証拠は?
五島も平戸も同じ離島である壱岐・対馬と違って
別国はおろか別郡にもなってないな >>343
だから短里など固定したもんがない。
計測区間のみ通用するもん >>185
>まだ話をそらしてる
大陸史書の距離が直線距離ってのは理解したんだな?
yes, noで答えられるだろ?
こんな簡単な質問からすら逃げないと九州説はやってられないのか?
この大和説男がまだ間違っている。
大陸内距離は、対象の山頂などが見えない限り、一寸千里の応用も出来ず、
直線距離計測も不可能であり、
全て記里車や歩測や「道のりでの短い三角測量の応用の合計里数計算」。 >>351
郡で言えば五島は南松浦郡だし平戸は北松浦郡だぞ
五島や平戸としか呼ばないけどな
ちなみに、対馬も上下の県郡だが、対馬としか呼ばない >三世紀に、箸墓近辺だけ煮炊きしてたわけでは無いので、箸墓築造年と結びつけるのはダメだとは投稿しましたが、
キウスの無知蒙昧ぶりがよくわかる >>340です。
追記しておきます。
現在の発掘物だけで、箸墓を三世紀とするのは時期尚早だと思ってます。
陵墓ゆえ、調査は難しいでしょうが、
?さんみたいに、築造中に作業員が食べた物と調査報告書に載っていると言う嘘もいけません。(過去 レスより) >>352
考えるだけなら、いくらだって言える
一万里を七三に割っただけとか >>357
>?さんみたいに、築造中に作業員が食べた物と調査報告書に載っていると言う嘘もいけません。(過去 レスより)
「築造中に作業員が食べた物と調査報告書に載っている」なんて言ってないだろ
そういう嘘はいけません >>355
松浦郡が東西南北に分割されたのは近代ね
今でも五島、平戸は「松浦」地域であることに変わりない
コトバンクにもあるように少なくとも古代の立郡以降は
「松浦」とあれば東は唐津から西は五島までの範囲を指すのであって
「松浦」=現松浦市周辺との主張は歴史を無視した暴論ということ キウスの嘘つきぶりは相変わらずだな
ザラコク、連句点、キウスが消えてる期間のスレはまったりとして平和だったのに 私は畿内説ではありませんので、、
炭化物が吹きこぼれた米とは言うはずもありませんし、、興味もありません。 >>358
なんだそりゃ
なぜ七三で割れば水路千里刻み、陸路百里刻みになるんだ?
少しは頭を使えよ畿内説 さんざん炭化物に言及しておいて「興味ない」?
分裂症なのか? >>359
訂正、
築造中に作業員が食べた物と調査報告書に載っていると言う嘘投稿はいけません。 ◆FAQ 91
Q:「南至邪馬壹國」の「水行十日、陸行一月」は起点が帯方郡なのだ!
10日で九州北岸に来たのだ! あとは陸路なので九州内だ!
A:大同江河口に位置する鎮南浦より唐津まで、海保水路部距離表に基づけば1,561kmを数える。想定される当時の船速と日照時間を勘案すれば、物理的に不可能な日程である。
実例に即して言えば、1719年に来日した朝鮮通信使一行は、申維翰の記録によれば、釜山出港より壱岐勝本着までだけでも60日以上を費やしている。釜山を立ち南風に阻まれ絶影島に停泊してから実に31日目の夜半に佐須奈に入港している。 >>363
>なんだそりゃ
測れるはずのない数字が出てたら、まず捏造を疑う
千里単位ってラフな数字は捏造くさいってこと >>365
>築造中に作業員が食べた物と調査報告書に載っていると言う嘘投稿はいけません。
「築造中に作業員が食べた物と調査報告書に載っている」と言う投稿があったという嘘はいけません >>359
言ってるぞ
417 日本@名無史さん 2021/08/12(木) 12:06:35.09
>>415
>築造中に食ったと言う証拠がないね
証拠は明示されている
調査報告書参照 >>360
現に、松浦を拠点とした和冦は松浦党と呼ばれてる >>370
>言ってるぞ
嘘
「築造中に作業員が食べた物と調査報告書に載っている」と言う投稿があったという嘘はいけません >>367
1日で進む距離と考えれば疑問はなくなるぞ 日本史トンデモにありがちなこと
・現代人の知識、技術、思考などを無意識になんの根拠もなく過去に遡らせて適応させること >>372
では誰が吹きこぼして炊飯したメシは誰が食べたんだ? >>373
>1日で進む距離と考えれば疑問はなくなるぞ
問題ありまくり
時速何キロの高速艇で走る気だ? >>346
原理ってなんですか?
詳細に教えていただき納得できたら、精進します。
わたしは奥山さんみたいに頑固ではありませんので、、
九章算術の指摘を私を始め色んな方が指摘しましたが、
奥山さんの頑固さには、、、
興味が有れば過去スレ見てください。 >>371
その「松浦」は唐津も五島も含めた松浦郡全体ってことでしょ
コトバンクに引用されている事典の文章を読んでないの? >>375
>では誰が吹きこぼして炊飯したメシは誰が食べたんだ?
さあね、誰がとも言った覚えはない
捏造するなよ
それに「食った」という表現が報告書にあるわけじゃないとも明言した
つまり、お前の捏造 >>377
>九章算術の指摘を私を始め色んな方が指摘しましたが、
九章算術って何か問題あんの? >>377
何がおかしい、問題だと考えているのか
まずそれを述べてみなよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています